|
八塚 やつづか
松山は久谷に八つの塚があります。むかし、弘法大師がこの地に巡錫(−しゃく)されたとき、この地の豪族の門に立たれて喜捨をこわれました。その家の主人は大師のささげられた鉢(はち)を打ち割ったといわれています。その鉢が八つに割れてそれぞれの塚になったのだそうです。豪族の家では八人の子供がつぎつぎと命を落としました。主人は前非を悔い遍路に出ました。そして生まれかわってふたたびこの世に生をうけたとき手の中に石を持っていました。石手寺の名の起こりです。その名を衛門三郎といいました。久谷村の浄瑠璃寺(じょうるりじ)には、子規の句碑があります。“永き日や衛門三郎浄瑠璃寺”とあります。県地方労事業局長の八塚太郎は宮窪町出身であります。中四国結核病学会長をつとめ国立療養所山陽荘長八塚陽一も同町の出。松山市からは三菱電機常務の八塚茂治、富士鉄名古屋製鉄所製鉄部長八塚健夫が出ています。
|