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自己紹介

名  前:東 毅(あずま つ
よし)

生年月日:1976年3月31


血液型 :A型(遺伝型AO,
Rh+)

出  身:福井県小浜市

住  所:岡山市南区福島2
丁目

連絡先 :日本共産党岡山
地区委員会(086-273-2221)

経  歴:岡山大学農学部
卒。在学中、岡山大学吟詩部
第38代副将。党内では岡山大
学支部支部長、第21回党大
会代議員。TBS報道特集に学
生党員として出演(97/11/16
放送)。大学卒業後、日本民
主青年同盟岡山県委員会副
委員長、日本共産党岡山県委
員会青年学生部長など歴任。
99年原水爆禁止国民平和大
行進で岡山県通し行進、PEA
CE WALKおかやま実行委
員。03、05年の衆院選で岡
山4区候補。09年衆院選で中
国比例、岡山1区候補。現在、
2011年4月の岡山市議選に
むけ南区で活動中。

出没地域:岡山市南区

Favorite:成分献血、名所古
跡の散策、「太陽の牙ダグラ
ム」、木刀の素振り、バナナ

座右の銘:「異質なものへの
理解と寛容」

性  質:真面目なときは頑
固に真面目、それ以外はかな
りてきとーでいーかげん。寝不
足と空腹時は一切の能力が停
止。でもいつもお腹をすかせて
いる。

家  族:なし(遠くに両親と
姉がいます)


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おいたち

はじまりは幼いころの疑
問から
 工場労働者の父のもと、福
井県小浜市に生まれました。
祖父は農民でした。ちいさいこ
ろから地場産業は大変でし
た。倒産した繊維工場の織機
をバールで壊す、売れ残った
メガネ枠を燃やすニュースの
映像は今も目に鮮やかです。
そして毎日帰りの遅い父の姿
を見て、「働くって大変だなー」
と幼心に思ったものでした。祖
父の家は農業が大変で先祖
伝来の土地を守りぬくのも苦
労していました。その一方で相
次ぐ汚職や、アメリカの言うが
ままにすすめる貿易自由化の
ニュースを見て疑問でした。
「なんで働く人や日本の国土や
産業を大切にしないんだろう」
しかし何が問題なのか、自分
はどうしたらいいか、考えても
分からないままでした。

とりあえずプチ右翼(?)
 高校生くらいに、自分なりに
いろいろ調べたり、人と議論し
て一つの結論を得ました。「そ
もそもこうなったのは日本が戦
争で負けたからだ。日本は軍
事力もふくめて、もっと強くなら
ないといけない」と。祖父がシ
ベリアに抑留され、田畑を失っ
たということもあり、こう考える
のはありうることだったでしょ
う。いつしか軍事研究にいそし
んだり、靖国神社に参拝した
り、有名どころの軍歌は一番
は歌えるようになるというなか
なかアブナイ学生になっていま
した。しかし、右翼的な人たち
は「アメリカから押し付けられ
た憲法をなくし、自主憲法を作
らなくてはいけない」と言いな
がらも、日米同盟をなくす話を
しないことにうさんくささも感じ
ていました。
 高校を出て、自分はどうする
か考え、「科学技術で農業をさ
さえよう」と岡大農学部にすす
みました。ここで日本共産党と
日本民主青年同盟(民青同
盟)に出会いました。

宗旨替え、というか転
向。
 思想は「右」でも反共ではな
かったので、とりあえず見聞を
深めるために民青同盟に入
り、気の向くままに活動に参加
していました。
 党員の学生と話し合う中で、
日本の政治がおかしいのは、
財界・大企業主役、アメリカい
いなりというゆがみがあるから
で、日本共産党は、国民ととも
にこの政治のゆがみをただす
という路線をもっていることを
知りました。「なんで働く人や日
本の国土や産業を大切にしな
いんだろう」…小さなころの疑
問にこたえる路線に、「今必要
なのはこれだ」と思いました。
平和運動や薬害エイズ運動に
参加し、国民には、おかしな政
治をかえる力があるんだと実
感しました。道理ある態度を貫
くことで、軍事力によらずとも、
日本の独立と世界の平和は守
ることができるという展望を見
ました。民青に入って知ったこ
とは、自らの主張を改めるに
十分でした。そして「現実にあ
きらめ、傍観するのでなく、変
革するために生きよう」と日本
共産党に入党しました。20歳
の春のことでした。

貫いているのは初心。
 大学を卒業したら研究者に
なるつもりでしたが、「農業を
守るためにも、今自分が働く
場所は研究室でなく、人々の
中だ」と、日本共産党の専従
活動家への道を選びました。
家族からは共産党への誤解
からずいぶん反対されました
が、「おかしな政治や、くらしを
よくするためにやらせてほし
い」と意を尽くしてうったえたつ
もりです。はじめてもらった給
料で母の日のカーネーションを
買い、故郷に送ったら、母に
「貧乏なのにそんなことせんで
ええ」と言われました。しかしそ
の後、陰ながらでも応援してく
れるようになったのは、心の支
えでした。
 専従活動家になってからは、
若者分野で平和や雇用、教育
の問題にがんばってきました。
運動をひろげながら、いろんな
人と出会い、仲間をふやしてき
ました。「仕事が見つからな
い。自分は社会から必要とさ
れていないのではないかと思
ってしまう」「罪のない子どもた
ちが戦争で死ぬのを見たくな
い。でも私に何ができるのか」
「学校で勉強におわれるだけ
の生活。自分の価値ってなん
だろー」などなど運動のなかで
若い人から声が出されます。
一人ひとりの思いをよく聞き、
「いっしょに解決のために力を
あわせよう」となるとみんな元
気になります。政治を変えると
いうことは、ひとつの目標にむ
かって行動しながら、心をよせ
あう仲間関係を広げることなん
だと実感しています。

選挙をたたかいの場に
して。
 政治というものは、政治家だ
けがするもんじゃなく、国民が
声をあげて作っていくものだと
思っています。そのためにも国
民と新しい政治をおこす議員
が必要です。しかし自分が選
挙に出るとは…。03年衆議院
選挙、岡山4区から「草の根の
声を、政治に届ける力になれ
るなら」と立候補しました。とも
にたたかう仲間の輪が広が
り、自分自身も大きく成長する
きっかけになりました。しかし
結果は、日本共産党の議席を
9議席に後退させるという悔し
いものになりました。
 政治を変える草の根の力を
もっと大きくしたいと思っていま
す。「年金が下がった。暮らし
ていけない。年寄りには死ねと
いうことですか」という声に衝
撃をうけました。もっと地域の
人に寄り添いたい。2011年4
月の岡山市議会議員選挙に
南区から挑みます。

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