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2009. 12. 12 青森・善知鳥(ウトウ)神社・ 三内丸山遺跡 (1/4ページ)


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12月12日、我孫子発6時44分。上野発7時42分「はやて」に乗る。 ktn_1.jpg
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八戸で函館行特急「白鳥」に乗り換え青森に着く。 

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青森駅。海側を見ると「青函連絡船」が着いていた波止場の跡が見える。 ktn_3.jpg
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今も「八甲田丸」が記念館として残っている。

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改札口への通路には我孫子駅に貼られていたのと同じ「どんなフユ?ワンダフユ!」のポスターが見える。 ktn_5.jpg
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青森駅にて。青い顔の鬼。 ネブタの鬼か?どことなくインドのシバ神のような形をしている。

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青森駅前の繁華街「新町通り」を500m位行くと「善知鳥(ウトウ)神社」がある。 知らなかったが青森を代表する神社で行ってみることにした。 ktn_7.jpg
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まずは腹ごしらえ。五月に来たときも入った「おさない食堂」。 「おさしみ定食」を注文。 ホタテの刺身が自慢。

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「縄文けの汁」、「縄文鍋うどん」などの品書きも出ている。 三内丸山遺跡の発掘で分かった縄文時代の食物であろう。 ktn_9.jpg
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「善知鳥(ウトウ)神社」に着く。東向きの「一の鳥居」は神明鳥居、二の鳥居は明神鳥居、その奥に拝殿。 建物は皆新しく、樹木もそれ程古いものはなく、周囲のビルの壁がそのまま見えている。

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善知鳥(ウトウ)神社由緒。善知鳥神社は現在の青森市が昔、善知鳥村と言われた頃、 奥州陸奥之国外ヶ浜鎮護の神として 第十九代允恭天皇の御世に日本の國の總主祭神である天照坐皇大御神の御子の三女神を善知鳥中納言安方が 此の北国の夷人山海の悪鬼を誅罰平定して此の地を治め、その神願霊現あらたかな神々を祭った事に由来している。又、善知鳥中納言安方は此の 地の人々に初めて漁猟と耕作を教へ此の辺一帯が今日のように発展したのは安方の聰明なる知恵と才能と勇氣が、神々の御意に叶い人々に慕い仰 がれる所以となったと言われている。爾来此の善知鳥神社は青森の発祥の地として長い間連綿として敬神崇祖の信仰が受け継がれている。 ktn_11.jpg
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二の鳥居と拝殿。祭神は多紀理毘賣命 天照大御神和魂
市寸嶋比賣命 倉稲魂命(稲荷様) 多岐都比賣命 海津美神(龍神様)親鳥が「うとう」と鳴くと、雛鳥が「やすかた」と応えるという。その習性を利用して、善知鳥を捕っていた猟師が死後、 地獄で鳥に責められる話が、世阿弥作の謡曲『善知鳥』。

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拝殿。謡曲「善知鳥」は、殺生の罪を犯した猟師が地獄で責めたてられる苦患の有様を見せる執心の夢幻能である。 その猟師は奥州外が浜の者で、立山の凄惨の地獄に堕ちていたが、外が浜一見の旅僧に回向を乞うて故里の妻子の前に現われ、我が子を見て子鳥を殺した罪の恐ろしさを悔い、 化鳥にさいなまされる苦しみの仕型を見せて更に回向を頼んで消えて行く。善知鳥と言うのは彼が常に捕っていた鳥の名なのである。陸奥の外が浜なる呼子鳥 鳴くなる声は うとうやすかたという主題歌は定家の歌と伝えられている。 ktn_13.jpg
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本殿。一説には、安方は、安方悪智という名を蒙り、親子ともども流罪によって、当地に流され、 深く悔いて、善智となり、この外が浜の神となったという。彷徨える魂が鳥となる説話の類型だと思われる。

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善知鳥神社の社殿近くに「謡曲善知鳥旧跡之地」という碑がある。安潟と呼ばれた大きな湖沼のあとが現在の安方町であり、 神社を囲む池を善知鳥沼と呼ぶなど、昔、此の地を「善知鳥の里」と言った名残を示す碑である ktn_15.jpg
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青森駅への帰り道。「新町通り」のアーケードの下には三内丸山遺跡で発掘された様々な土偶の模造品が置かれている。