ピンボールとの出会い

記憶の中にある最初のピンボールは、1973年の夏だったように思う。地元の西友ストアーの屋上にあったゲームコーナーで、友達と一緒にプレーした記憶がある。フリッパーボタンが金属だったということ、ゴットリーブの地球のマークが付いていたことは記憶にあるが、マシンのタイトルはまったく覚えていない。
その後、青梅街道沿いの薄暗いゲームコーナーで、スペイン製のピンボールをやったり、ボウリング場の地下のゲームコーナーでWILLIAMSのTRIPLE STRIKEをプレーした。当時、ゲームのルールなどはまったく理解していなかったが、1ゲーム10円のピンボールをたまにやったことだけは覚えている。

 ピンボールに本格的にはまるきっかけになったのは、1979年の冬だった。新宿で、BALLYのSIX MILLION DOLLAR MANを高校時代の友人3人とやって、すっかり気に入ってしまった。そして、新宿の武蔵野館の前にあった昔のスポーツランドで、WILLIAMSのLASER BALLとSTERNのSEAWITCHを、それこそ朝から晩までやった。

 大学時代は時間がたっぷりあったので、新宿や池袋でピンボールを手当たり次第プレーした。新宿のルナパークや喜川、池袋のロサ会館などはニューマシンのロケテストが行われる店で、頻繁に通ったものだ。どこのゲームセンターに行っても新旧取り混ぜたピンボールがたくさんあった時代だった。
それだけでなく、いろいろなボウリング場や近郊のスーパーの屋上などで、古いドラム式のマシンなども数多くプレーすることが出来た。今考えると、夢のような素晴らしい時代だったと思う。
とにかく知らないマシンを見つけたときの興奮と喜びは、今でも鮮明に思い出すことが出来る。

 そして、1980年代初めのBALLYが自分にとって一番思い入れの深いマシン達である。MATA HARI、PLAYBOY、KISS、PARAGON、SKATEBALL、XENON、EIGHT BALL DELUXE、EMBRYON、CENTAUR、どのマシンも鮮明にとフィールドやルールを思い出すことができる。いつかは、これらのマシンを含めたミュージアムを作りたいと夢見ている。

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