
●経歴
1936年にエルサレムで生まれた。地元の音楽アカデミーでヴァイオリンを学び、パウル・ベン=ハイムに作曲を習った。レナード・バーンスタインの推薦によって奨学金を得、パリ音楽院指揮クラス、及びヒルファーサムにおけるフランコ・フェラーラの講習会で、さらに研鑽を重ねた。
1963年にはノヴァーラの『グイード・カンテルリ指揮者コンクール』で一等賞を得た。以来、ヨーロッパ、アメリカ合衆国、日本、イスラエルの主なオーケストラやオペラハウスに客演。
1974年から89年まではフランクフルト放送交響楽団の音楽監督を務め、その間にこのオーケストラ世界のトップランクに引き上げた。
インバルはレコーディングも積極的に行っている。フランクフルト放送交響楽団とは「ブルックナー交響曲全集」、「マーラー交響曲全集」、「ベルリオーズ管弦楽作品集成」などを、またフランス国立管弦楽団と「ラヴェル管弦楽作品全集」を録音し、そのいずれもが世界的成功を修めている。
著:森泰彦、発行者:日本コロムビア株式会社、CD番号:COCO-75719
●ショスタコーヴィチについて思うこと
ショスタコーヴィチはマーラー同様、内面的分裂の気高さや美しさを探し求めて苦悩した作曲家である。共産主義の文化的独裁は、不安に満ちた内向的で時にはふさぎ込みがちだったこの芸術家に対しては、きっと何らかの解決も与えなかったのであろう。その結果として生まれた作品には、交響曲第4番や弦楽四重奏曲のうちの何曲か、或いは歌劇「鼻」のように、極めて鋭角的で現代的なものが数多くある一方、同時に、極めて親しみやすく「分かりやすい」ながらも、表面的なところに終止しているのではない作品も見い出せる。交響曲では第5番、第6番、第8番、第9番、第10番、第11番、さらに大変美しい交響曲第13番、第14番、第15番などがこの例に該当する。これらの曲は、マーラーのいくつかの作品(大地の歌、交響曲第9番と第10番)にも似て、創造の淵を体験の深淵に発し、抽象化を受け、我々の存在という大きな問いに対して哲学的な距離を構えつつ成立した作品なのである。
ショスタコーヴィチはその作品の中で繰り返しを行うばかりだ、との批判をしばしば耳にする。これに対して私は、例えいくつかのリズムの型やハーモニー上の定型(例えば、半音階的な進行や長調と短調の対比など)が殆ど全ての交響曲で繰り返し現れるとはいえ、その交響曲の一曲一曲を個々に眺めれば、極めて個別性の高い独自の様式がそれぞれの曲で展開されている、との見解に立っている。
ショスタコーヴィチはマーラー以後の今世紀を代表する交響曲作曲家である。彼の態度は世界に向いて開いており、ロシア的な指向よりは間違いなく世界への開放性の方がより顕著である。フォークロア的な色づけは、チャイコフスキーやグリンカ、ムソログスキーなどと比べ、彼の場合はほんの些細な価値を占めるばかりである。ショスタコーヴィチに見い出すものは、一方で人間の生の意味を探求するロシアの魂の深さや悲劇への傾倒、或いは人間表現の極といったものであるが、他方、彼の交響曲の筆致は、ベートーヴェン、ベルリオーズ、ブルックナー、マーラーなどの伝統を沿っており、古典主義やロマン主義の偉大な先達を彷彿とさせるものもある。
ウィーン交響楽団は、地理的及び歴史的な条件が重なり、ハンガリー、スラヴの伝統と古典主義の伝統の両方を体現している。我々がこのオーケストラをショスタコーヴィチの交響曲演奏に選んだのもそのためである。
著:エリアフ・インバル、訳:藤縄康弘、発行者:日本コロムビア株式会社、CD番号:COCO-75719
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