本学会発足にあたり
〜分析至上主義宣言〜
スポーツとは諸君も既知の如く競技目的やレクリエーション目的に行う“身体の運動”のことであるが、故に論理的分析の対象外として扱われがちである。
しかし、我々はそれら今日の(いや、スポーツの発祥当時から続く)社会に於ける普遍的概念に真っ向から反論することをここに宣言する。
結論から云おう、今日の社会に於いて(いや、過去に於いても、そしてこれからも)あらゆる事柄には論理的説明がつき、つまり我々が生活する社会は厳格なる理論に支配されており、スポーツもまた例外ではない。
怖らくこう云うと「スポーツに於ける精神的分野をいかに説明するか」と云う反論をぶつけられるだろう。無論、これら精神的分野を無視するつもりはないし、これらがスポーツに於いて重要な位置を占めていることも我々は十分認めるものであるし、また、大きな研究対象となりうるだろう。ただ、我々が批判するのはそれら精神的分野を宛も超自然的なものとして扱い、論理的考察を不可能とする意見に対してである。先述したように我々の社会における如何なるものにも論理的説明を与えることができるのであり、精神的分野とて決して例外ではない。いや、むしろ人間社会に於けるあらゆる行動・活動の原理は精神に由来するのであり、実存的事物の占める割合よりも、これら相対的分野の占める割合のほうが圧倒的に多いのである。また、そもそも“内的精神”と“理性”とは全く同一のものであり、これらの差別は社会の近代化に伴い、“原始的なもの”と“近代的なもの”とに後から差別したこじつけに過ぎず、故に精神を理性から遠く離れた理解不能なものとする考えは当たらない。つまり、先述したように、我々はこれらの分野を無視する気は毛頭ないし、大きな研究対象とするものであり、また、これらを分析対象としない、スポーツに於ける精神への超自然的信仰は極めてナンセンスである。
さて、多少話が大きくなったのでここでスポーツ、いや、バレーボールの問題に論点を絞ろう。諸君もお分かりと思うが、先に挙げたことなども踏まえ、スポーツ(ここではバレーボール)に於いて分析・研究すべき分野は(ここでは実践する側の立場に立っており、文化的問題や歴史についての考察は除く)大きく三つに分けることができる。即ち、“技術”“戦略”そして“精神”である。ここではそれらが如何なるものなのか、如何にあるべきであるのか、そして如何に研究・分析していくべきであり、また、我々がするのかを部類別に述べていこう。
◎技術
技術と戦略、この二つの論理的概念は互いに密接に関係しており、元来この二点を分けて考えることは難しい。と云うのは、このどちらもバレーボールの発祥(どのスポーツにも云えることだが)と同時に生まれ、またどちらも互いに関係し合いながら発展してきたものだからである。だが、どちらが最初に生まれたかと云えば、発祥直後は戦略などと云うものは考えられていないだろうから、技術的考察の方が若干戦略的考察より先に生まれただろうと想像できる。また、最も緻密さを要するのもこの技術的考察だろう。今日では技術の進歩により、ジャンプ力、スピードなどミクロン単位の緻密な研究が行われている。このことは他(戦略、精神)には云えないことだろう。
ただ、我々はこれら科学的分野はまず脇に置き、スポーツを行う際のより効率的なフォーム、より有効なテクニックなどに焦点を絞って分析・研究したいと考えている。
◎戦略
こちらも技術と同じくスポーツ発祥とほぼ同時に誕生した、極めて歴史のある概念である。また、両者はどちらもルールの発展と共に進歩を続けてきたわけであるが、その点に関してはこの戦略と云う概念が一枚上手ではないだろうか。つまり、このスポーツのに於いて歴史のある両概念であるが、その中でも原初的なのが“技術”、そして発展的なのが“戦略”と云えるのではないだろうか。
ルールの誕生と共に生まれ、ルールの発展と共に進歩してきた、この常にルールと共にある戦略を我々は若干違った視点から考察したいと考えている。即ち、元来、戦略はルールにあわせて作られ、改良されてきた。云いかえれば、ルールに附随してきたのである。そこで、我々は一旦ルールから切り離し、より有効な、より効率的な戦略を考察し、それを後からルールに組み込む試み、云いかえれば、ルールの盲点を突く試みなどの新たな視点からの研究・分析を行うことを考えている。
◎精神
結論から云えばスポーツに於いて、この三つの概念の中で最も重要な役割を占めていながら、日々発展するスポーツの中にありながら最近まで研究の対象にされることはなかったと云う特殊な分野がこの精神的分野である。特に我が国に於いてはこれが顕著に現れている。このことは我が国に於けるスポーツの起源が体育教育、果ては体育教育の原初的形態たる戦前の軍隊教育に由来していることを考えれば諸君も納得であろう。それ故に、現在でもスポーツに於いて、根拠のない精神論が大きな位置を占めているのである。
勿論、先述の通り、人間社会に於いて精神とは大きな位置を占めるものであり、このスポーツに於ける精神論も大変重要なものである。しかし、ここで注意しなければならないのは外的(内的)刺激による精神の操作による結果は必ずしも良いものとは限らないということである。その代表的な例が“プレッシャー”やチームの“内部分裂”であることは云うまでもあるまい。
つまり、我々がここで声を大にして云いたいことは、現在我が国で行われている盲滅法な“根性”への依拠を伴った精神論への全面的批判と、彼らの方法とは全く異なる、それら精神の状態変化によるスポーツへの影響を偶発的なものとしてではなく、自ら操作することにより、自らの武器の一つとなりうるものとし、それを踏まえた上でこれらの分野について我々は研究・分析を行うと云うことである。
我々は以上のことを公約とし、スポーツの論理的観点からの考察による向上を目指すものであり、ここにこれを宣言文と代えたい。
2005年9月
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