イギリスへ
17世紀末、国王継承者のいなかったイギリスに、親戚筋であるオランダ王家のウイリアム3世が迎えられました。
この時、ウイリアム公が故国の酒としてジュニエーヴルをイギリスに伝えました。
公は即位後間も無く、フランスから輸入するワインやブランデーの関税を大幅に引き上げたため、ジュニエーブルは国民酒として大流行しました。
ジュニエーヴルを縮めて「ジン」と呼ばれるようにもなりました。
※エリザベス時代のイギリス人は、ビールやワインをよく飲みました。
イギリスの水質は悪く、水は煮沸しなければ飲めなかったからです。
ジェームズ1世の時にワインが値上げされたため、一般労働者はビールしか飲む余裕がなくなりました。
後にそのビールでさえ値上げされました。
安くて強いジンが大流行するのは、当然の流れだったのです。
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ジンの時代
ウイリアム公の死後即位したアン女王も、ロンドン周辺で生産される蒸留酒の専売を廃止し、誰でも蒸留酒が作れるようにしてジンの普及に努めました。
ジンは貧しい人々に安い酒として受け入れられました。
飲みすぎて死ぬ者まで出たそうです。
労働賃金もジンで支払われたという話もあります。
当時の酒場の看板には次のように書かれていたそうです。
『ホロ酔いは1ペニー、泥酔は2ペンス』
ビールやワインは一般労働者には高価すぎましたが、ジンなら、1ペニーを稼ぐか、他人から恵んでもらえれば、誰にでも手が届きました。
ジンの生産高と消費量は瞬く間に本家のオランダを凌ぐようになりました。
当時、ロンドンだけでも、年間1人平均14ガロン(約63リットル)のジンが飲まれたそうです。
このあたりを、「ジンの時代」と呼びます。
一方、アル中患者や泥酔者の激増が社会問題となりました。
2ペンスを得るために、強盗・殺人などの犯罪が激増したのです。
※1734年、ジュディス・デュフォーという女性が、自分の赤ん坊を殺した罪で処刑されました。
彼女は、赤ん坊を貧民院から連れ戻して、絞め殺し、死体をどぶに捨てました。
赤ん坊は、貧民院で新しい着物を着せてもらっていたのです。
剥ぎ取った着物は1シリング4ペンス(1シリングは12ペンス)で売れ、彼女はその金でジンを飲みました。
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ジンの時代(1690-1751)
ありとあらゆる場所でジンがつくられ、あらゆる人々(薬屋、床屋、煙草屋、酒屋、沿道の乞食に至るまで)がジンを売りました。
ジンはビールより安価なものとなり、この間にジンの消費量は10倍になりました。
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ジンの時代の事件、読んでみる?
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画家ウイリアム・ホガースは、当時の狂躁ぶりを描いた「ジン横丁」 という木版画を残しています。
そこに描かれている風景は、
・酔っ払った母親の腕から、赤ん坊が地面に落ちている
・泥酔者が、別の赤ん坊を鉄串で突き刺している
・女が持ち上げられ、棺桶の中に入れられようとしている
・屋根裏部屋で、男が首を吊っている
・大工がジンを買うために、道具を質入れしようとしている
・「ジン・パレス」(豪華酒場:ジンの樽がいっぱいに置かれた、納屋のような場所)の前で、母親が赤ん坊の喉にジンを流し込んでいる etc...
※ ホガースは、当時の犯罪の増加はジンのせいだと考えていたようです。
「ジン横丁」とシリーズで描かれた「ビール街」には、対照的に繁栄と楽しみが表現されています。
・人々は裕福そうに小太りしている
・テーブルの上には本が積んであり、人々はビールを飲みながらまじめな話をしている
・画家や大工など、仕事に励みながらビールを楽しんでいる etc...
英国政府は対応策として、『ジンの税金を引き上げる』、『免許税を納めた酒場以外でのジンの販売を禁止する』などを盛り込んだジン法を成立させました。
ところがこの法律に反対した民衆が、暴動を起こします。
この暴動は30年間も続きました。
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ウイリアム・ホガース(1697-1764)
18世紀ロンドンの肖像・風刺画家。
当時の貴族階級や政治家、中産階級の道徳観などを風刺した版画を数多く制作。
英国風刺画の父とも言われています。
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ホガースをもっと知りたい?
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新時代
19世紀中頃、連続式蒸留器が発明され、イギリスのジンは軽い風味の新しいタイプの酒として生まれ変わりました。
これ以降、イギリスのジンは、「ロンドン・ドライ・ジン」と呼ばれ、オランダのジュネバとは別の道を歩むのです。
また、この頃からジンはカクテルと共にアメリカに紹介され始めます。
20世紀になると、アメリカでは禁酒法が施行され、イギリスからも闇ルートでジンが送り込まれました。
それでも需要に追いつかず、「バスタブ・ジン」と呼ばれる自家製の粗悪なジンまでが出回りました。
闇バーでは、この粗悪なジンを飲みやすくする必要から、どんどん新しいカクテルを生み出し、爆発的なカクテルブームが起こりました。
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ジンについて人はこう言います。
『オランダ人が生み、イギリス人が洗練し、アメリカ人が栄光を与えた』と。
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禁酒法(1920-1933)
正しくは「酒類製造、販売及び運搬禁止法」。実は「買う」こと「飲む」ことは禁じられていないのです。
製造・販売・運搬を禁止すれば、飲むこともできなくなるだろうということのようです。
宗教上の理由と、飲酒による労働力低下という経済的理由で制定されました。
禁酒法が成立してからは、アル・カポネに代表されるマフィアによってもぐりのバーができ、密造酒や酒の密売が横行しました。
マフィアは、警察や裁判官などを買収していましたから、罪を問われることもありませんでした。
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禁酒法時代のアメリカを描いた映画「アンタッチャブル」
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