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夜の空には 真っ白な 月。 世界を包む闇という名の悪魔は 神秘的な月の光によって今は息を潜めていた。
ここは とあるBAR。 ある街の ある路地裏の終着点。 生物の気配のない無機質な路地裏。 そんな無機質な路地裏には普段誰も訪れることはない。 しかし時々ではあるが迷い込んだように「人」いや「人であるべき」ものがその店のドアを開ける。
普段は真っ暗な路地裏は今、 月明かりに照らされて神秘的な世界へとその姿を変えていた。
その終着点にあるその店がここだ。
店の象徴となるはずのネオンライトはところどころ光を失い、おぼろげな光をその身に浮き立たせる。 元の店の名が読めなくなったそのBARを常連はこう呼ぶ・・・・・・。
「BAR PALE MOON」と。
カラン、コロン。 と店の入り口のドアの上に取り付けてある、錆びたベルがその役目を果たす。 店に客が入った証拠だ。
はいってきた客は店を見渡す。 しかし誰もいない。 むしろ客のいることのほうが少ない店である。 店にはテーブル席が三つ。それに椅子が二つずつ。 入り口のドアを囲むように扇状に広がっている。 カウンター席は入り口の真正面に設置され席は7つほどしかない。 黒ずんだ木で出来たカウンターやテーブルは長い年月を物語る。 入り口から入って右側の壁には、この店に一つしかない窓。 カーテンもなにもないその窓からは、綺麗な月の光が「それ」を照らしていた。
照らされた「それ」とは古びたオルガン。 ところどころが黒ずみ、もとは豪奢であったに違いないキリスト教を連想させる十字架の形をした金具は、今はもう錆び付いて、原型が分からなくなるほどであった。 しかしそのオルガンは今でも確かに生きている。 ソプラノ歌手のように荘厳にその音を奏でることはないにしろ。 その茶色がかった白い鍵盤をたたけば 低く それでいてしっかりとした優しい音を今だ紡ぐことが出来た。
その客はたまに蒼い髪の女性が轢いているのを見ることがあったが、最近ではそれもなくなってしまった。 入れ違いになっているだけなのか、それとも。
当たり前のことのように客はいつも座っている一番左端のカウンターの席に座る。 この左端の席。 この客が始めてこの店に訪れたとき、それはその客とは違う「彼女」の席だった。 初めてこのBARに訪れたとき、今のこの席には女性が座っていた。 美しい黒髪の女性が一人。この席に座っていたのだ。
その女性はこの店のマスターと楽しげに会話をしていた。 一度入ってきた自分を視線の隅におさめ、また会話を始める。 自分はその時、仕方なしに反対側のカウンター席に座ったのを覚えている。
しかし自分が座った、そのすぐ後に カラン コロン というドアの音が聞こえた。 振り向いてみるとそこには 瞳の色が違うだけの双子の女性が二人。 その二人に気付いた黒髪の女性が店を後にするのに数分とかからなかった。 店を出るとき一度振り返って「また」と笑顔を店に置いていったのは今でも忘れられない。 その笑顔はマスターにあてたものなのか、それとも自分にあてたものなのか。
それから自分はまたその女性に会えるようにおまじないをした。 それは 次、自分が一番左の席に座れなくなるときは彼女にまた会えるとき。 さいわい、このおまじないは今も続いている。 それほどに自分以外の客がこの席に座っているのを見たことがないからだ。
いつもの席に座った後、 店の奥からマスターが現れる。 黒ぶちの丸い眼鏡をかけた男性だ。 マスターは「やぁ」と自分に挨拶してくれた後に「今日はラッキーだね」 と言葉を付け足す。 ?マークを浮べていると店の奥から彼女が現れた。
それで気付く。
今日は本当に運がいい。と。
迷い込んだようにこのBARに初めて赴いた時以来だろう。 彼女に会えるのは。 自分がこのBARに常連としてくるようになった最大の理由。
それは蒼い髪の女性が奏でるオルガンの優しい音色に耳を傾けたいからではなく。
それは黒髪の女性の温かい微笑をもう一度この瞳に映したいからでもなく。
それは双子の女性の宝石のように美しい瞳をいつまでも眺めたいからではなく。
ましてやこの店のマスターの作ってくれる、蒼く澄んだカクテルに酔いたいがためではない。
すべては彼女の歌を聴くため。
その女性は自分の事を一度、その美しい紅い瞳でとらえてから。 オルガンの置いてあるステージのようになっているスペースへと歩みを進める。 それまで、ただただオルガンだけを照らしていた月は、彼女の全身を白く包みこむ。 しかしその白さに負けないくらいの絹のような肌。 そして美しく輝く金髪。 それから彼女はその薄紅色の口から歌を紡ぎだす。
その歌詞は物語。 一点の曇りのないその美声が紡ぐのは在りし日の思い出。
そして自分はその美声に酔う。 マスターの作ってくれた美味しいカクテルと 彼女が紡ぐ「歌」というなの物語とともに。
ここは とあるBAR。 ある街の ある路地裏の終着点。 生物の気配のない無機質な路地裏。 そんな無機質な路地裏には普段誰も訪れることはない。 しかし時々ではあるが迷い込んだように「人」いや「人であるべき」ものがその店のドアを開ける。
常連でも滅多に会うことの出来ない彼女に会うことができたのなら それは幸運だ。 その歌声はどこかおぼろげで、しかしどこか暖かさを含んでいる。 彼女の紡ぐ歌と言う名の物語は客の心を魅了して放さない。 そんな美しい歌姫のいるこの店を常連はこう呼ぶ。
「BAR PALE MOON」と。
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