もうひとつのワールドシリーズ

第1章 第2章 第3章 第4章

第1章 もうひとつのワールドシリーズ

(2005/08/14〜2005/08/27)


1 もう一つのワールドシリーズ
2 インディ500マイル
3 インディカー・シリーズ
4 インディカー・ワールドシリーズ
5 ふたつのインディカー・シリーズ
6 FedExチャンピオンシップ・シリーズ
7 IRLシリーズ
8 オーバルコース
9 ホースレースとカーレース
10 パトロンとスペクテイター
11 再びオーバルコース

1 もう一つのワールドシリーズ

米国には野球以外に、CARTワールドシリーズというモータースポーツのワールドシリーズがあった。CARTワールドシリーズは、ヨーロッパを中心とするF1に対し、米国を中心とするフォーミュラーカー・レース。CARTは、Championship Auto Racing Teams−チャンピオンシップ・オート・レーシング・チームズのことで、正式にはシリーズを主催する組織名。

CARTワールドシリーズは、北米だけのMLBワールドシリーズとは異なり、北米を中心にブラジル、オーストラリア、日本、さらにヨーロッパでもレースを開催し、文字通りワールドなシリーズを展開していた。

ところが、このワールド化は、米国独自のオーバルコースの減少や米国人ドライバーの減少を招き、結果として米国国内での支持を失うことになり、2003年CARTは経営破綻、現在チャンプカー・ワールドシリーズとして再建中である。

CARTワールドシリーズは、1996年までインディカー・ワールドシリーズと呼ばれていたように、インディ500マイル・レースに由来する。インディカーとは、そもそも、インディ500に出走する車のことで、1911年に第1回インディ500が開催され、以後、インディ500を中心に、インディカー・レースは、全米各地に展開していった。top

2 インディ500マイル

インディ500(Indianapolis 500)は、米国インディアナポリス市近郊のインディアナポリス・モーター・スピードウェイで毎年5月の最終週(メモリアルデー・ウィークエンド)に開催される米国モータースポーツの代表的レース。

1周2.5マイルのオーバルコースを200周、走行距離500マイルで争われる。1周約40秒弱で周り、平均速度360q、 最高速は390q。 賞金総額は10億円、優勝賞金2億円とボルグワーナー・トロフィー(銀色のトロフィー)と、どれをとってもけた外れでビッグ。第1回開催は1911年。

同スピードウェイは、1909年実業家のカール・フィッシャーによって建設されたレース場。当時のカーレース場はダートがほとんどだったため、路面の荒れによる事故が多発した。そこで、コースに3万個のレンガを敷き詰め、安全で高速走行可能なコースとなった。その後通常の舗装に改修さるが、そのなごりで、後に「ブリックヤード」と呼ばれる。現在もスタート&フィニッシュラインに一部数列のレンガが残されている。

インディ500は、F1モナコGP、ル・マン24時間レースと並び世界3大レースのひとつとされ、現在も、メモリアルデーの前日に行われる決勝レースには40万人の観客を集めるビッグイベントとして存在している。

インディ500の誕生とほぼ同時にインディカー・シリーズの前身にあたる全米ドライバー選手権が始まったが、常にインディ500はその最高峰にあり、シリーズで優勝するよりもインディ500で優勝することの方が名誉なこととして、現在でも、インディ500のチャンピオンはシリーズチャンピオンとはまた別格のステイタスを持っている。

1950年から1960年まではインディ500も「世界選手権」としてのステータスを高める為に、F1に組み込まれていた。選手権ポイントも他のGP同様与えられたが、交流はまったくといっていいほどなく、またインディ500での入賞者が他のGPに入賞することもなく形骸化したため、F1から除外された。top

3 インディカー・シリーズ

ヨーロッパでも1900年代初頭から現在のF1の前身にあたるグランプリ・レースが開催されていたが、1950年代以降次々に新しい技術が開発されるに従い、F1は、世界最高峰のフォーミュラ・レースとして着実にその足場を固めていった。

これに対し、1956年以降インディカー・シリーズを運営していたUSAC(US Auto Club)は、保守的な体質で、なかなか近代化が進まず、参戦するチームやドライバーの不満が募っていった。

その結果、1978年にインディカー・チームの組合的な組織であったCART(Championship Auto Racing Teams)がUSACに造反して独立、1979年からUSACとは別に独自のインディカー・シリーズを始め、その年は、CARTとUSACの2つのシリーズが別々に開催された。

ところが、多くのスター選手を擁するCARTに独立されたUSACは80年以降独自のシリーズを続行することができず、インディ500(&ダートオーバルなどの下位カテゴリ)をUSACが統括、インディ500を除くインディカー・シリーズ各戦はCARTが統括する形で合意が成立し、80年以降は再びシリーズが一本化した。top

4 インディカー・ワールドシリーズ

CARTは、シリーズ一本化以降、オーバル中心だったシリーズに、ヨーロピアンタイプのロードコースや観客が見に来やすいストリートコースを加えるなど、F1をお手本に米国的な発想を加えた近代的なレース・シリーズを作り上げていった。

その名もインディカー・ワールドシリーズと銘打たれたCARTのシリーズは国際的にも注目を集めるようになり、F1を主催するFIAは、F1を脅かす存在として非常に警戒心を持ったと言われる。

事実、1980年代後半からマイケル・アンドレッティ、アル・アンサーJr.という2世ドライバー2人の活躍もあってCART人気が急上昇し、それが原因となってFIAと対立。FIA側はCARTならびにインディカー関係者のライセンス剥奪などで圧力をかけた。しかし、CART側はこれを無視、1991年にはオーストラリアで初めて北米大陸外でのレース開催を強行する。

FIA側も91年オフに「世界オーバル選手権」構想を発表してCARTに対抗するが、結局「北米大陸外でのCART管轄レースは、オーバルコースでの開催に限る」ということで決着。

1990年代に入ると、93年にヨーロッパから現役F1チャンプのナイジェル・マンセルが参戦、日本からはファイヤストン(≒ブリヂストン)、ホンダが参戦と順調に発展、と思われた。top

5 ふたつのインディカー・シリーズ

ところが、この国際化路線により、CARTに参戦する米国人ドライバーの減少と米国国内のレース数の減少、何よりアメリカンレーシングそのものであるオーバルレースの減少にインディ500主催者であるインディアナポリス・モーター・スピードウェイ(IMS)が不満を持ち、1994年にはUSACの支援を受けたIMS(Indianapolis Motor Speedway)が1996年より新しいカテゴリーを発足させる旨の発表。

その後1995年までにCARTとIMSとの間で何度か交渉が持たれたが話がまとまらず、96年USACとIMSはIRL(Indy Racing League)を設立し、CARTとは別の、インディカー・シリーズを展開することになった。

1996年、CART側はインディ500をシリーズカレンダーから除き、それまでのレギュレーションのレースを維持する一方、IRL(Indy Racing League)側は、インディ500を中心としたオーバルレース専門のレースを運営開催することになった。

1996年、以後6年間CART及びIRLの双方ともシリーズ名に「インディカー」を使わないこととなる。これは、IRL側の「インディ500に出場していないチームがインディカーシリーズを名乗る資格はない」という発言にCART側が反発し、逆にインディカーの名称使用に関しては、契約上2002年までCARTが所有すると主張したため。

このため、CART側は、1997年以降CARTワールドシリーズ、1998年以降はFedExを冠スポンサーにFedExチャンピオンシップ・シリーズと改め、また、今までインディ・カーとよばれていたCART用のマシンはチャンプ・カー(Champ Car)と呼ぶように変更された。チャンプ・カーとは1909年から続いている米国国内チャンピオンシップを走る車、即ちチャンプ・カーのこと。
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6 FedExチャンピオンシップ・シリーズ

分裂後も、主力選手やチームが参加しているCART側が、圧倒的に強いと思われていた。98年以降、CART側は、インディライツ (2002年以降廃止)、フォーミュラ・アトランティックを買収し、ドライバー育成のための独自の「ラダーシステム」が完成。また、もてぎ(日本)やリオ(ブラジル)でのレース開催を実現させたほか、メキシコやヨーロッパでのレース開催など、国際化への積極的な動きがあった。このあたりの数年間がCARTの隆盛のピークとなった。

2000年あたりから、あまりに急激な国際化戦略や年間レース数の増加についてのチーム側の不満が表面化。これを受けて、2000年シーズン途中にCEOのA.クレイグが辞任、2001年にロングビーチGP創始者でもあるクリストファー・プークがCEOとなり、チーム代表からなる "Board of Directors" が運営を掌握するという体制がとられた。

また、コンペティションが激しくなるとともにエントリー費用も膨大なものとなり、豊富な資金力を持つチームでないとエントリーすること自体が困難となってきていたところに、ネットバブルの崩壊による米国経済の不振が追い討ちをかけた。

米国国内でのマーケットを睨んだスポンサーやチームがインディ500を擁するIRLへの鞍替えを検討するようになった。2002年にはCARTの老舗チームであり、2001年のCARTチャンピオンドライバーを擁するペンスキーがIRLへ転向。チップ・ガナッシもIRLにも自らのチームをエントリーさせるなど、CARTからIRLへという流れが出てくる。

さらに2002年中旬以降、レギュレーション改訂のもつれなどから、トヨタ、ホンダの両エンジンサプライヤーが2003年にはIRLへ転向することを発表すると、一気にCART離れの傾向が強まる。これまでCARTの顔ともいうべき立場だったベテランのマイケル・アンドレッティがIRLへ、そしてチップ・ガナッシも完全にIRLへ転向していった。

CARTは2003年からはフォードエンジンによるワンメイクのシリーズとして、コストなどを大幅に削減して生き残りをかけての戦いを余儀なくされた。2003年9月に OWRS (Open Wheel Racing Series) というグループが CART を買収する契約が合意に達し、現在、再建中である。

CARTは、常にF1を意識しながらハイパフォーマンスなマシンと独特のコースコンビネーションを売り物に世界のトップカテゴリーを目指し、その結果、参戦費用の高騰という副次的現象に悩まされ、経済の低迷とともに勢いを失っていった。

しかしながら、参戦費用の高騰はF1においても起きている問題であり、ネットバブルの崩壊による米国経済の低迷は、ライバルであるIRLにおいても同じ条件であり、CARTの破綻は、伝統のオーバル・レースの減少という米国らしさの喪失が主因ではなかったか。top

7 IRLシリーズ

1996年IRL主催となったインディ500は例年と変わらぬ40万人近い観客の動員に成功し、オーバルコースを中心とする米国伝統の「興行としてのレース」展開を志すIRLはいよいよ自信を強め、97年以降大幅なレギュレーションの変更を進めるなど、独自の路線を歩き始めた。

2003年からインディカーという名称を復活させ、インディカー・シリーズとして、あくまでもアメリカ国内のオーバルコースに固執しながら低コストのフォーミュラシリーズを展開していった。

発足当初はCARTに比べマイナーなカテゴリーであったが、2003年よりホンダ、トヨタが揃ってCARTよりIRLへ移籍表明を行ってからはそれまでの有力CART参戦ドライバー、チームも挙って移籍に追随し、一気に北米フォーミュラーレースのメジャーへと取って変わった。

日本でもそれまで1998年よりツインリンクもてぎで開催されてきたCARTのレースは2003年からIRLに変更し、インディ・ジャパン300として開催。これがIRLの初の米国以外での開催進出となった。top

8 オーバルコース

米国レーシング、伝統のオーバル・コースとは、楕円型の円周コースのことで、レースは、その円周コースを周回し競い合う。いまやIRLを上回る人気を得ているNASCARもまた、オーバルで行われる。オーバルは、米国のクローズドコースを使った初めて(1897年)のレースが競馬場のダートコースを利用して行われたことによる。

例えば、1876年に競馬場として開設された“ミルウォーキー・マイル”は、1903年に初の自動車レースが開催された、現役レース場としては、世界一の歴史を誇るオーバルコースとして知られている。もちろんその頃はダートと呼ばれる土の路面で、インディスタイルのレースが初めて行なわれたのは1911年、その後1954年にコンクリート舗装がされ現在に至っている。しかしその後もインフィールドにおいては1/4マイルのダートレースが1960年代まで行なわれていた。

ところで。米国の競馬場は、1周1マイルの左回りのオーバルコースが一般的であり、このため、米国の自動車レースも左回りが基本となっている。top

9 ホースレースとカーレース

競馬発祥の地である英国の競馬が階級制に根ざして「Sports of Kings(王侯貴族のスポーツ)」として発展していったのと対照的に、米国競馬は、大衆に根差し、「草競馬(Camptown Races)」として発展してきた。

英国の競馬場は、天然の地形を利用した、起伏に富み、深い芝の広大なコースを有するが、一方では自然の地形をそのままに用いるために、観客の観戦には適さないコースが見受けられる。これに対し、米国の競馬場は、競馬がレジャーとしての側面を持つことから、平坦で見晴らしの利く小回りコース(オーバル)を用いることで、観客にとっても見やすいコースとなっている。

この違いは、自動車レースについても見て取ることができる。例えば、F1のロードレース(サーキット)では、周回数は55周前後、つまりマシンが目の前を通り過ぎるのは55回程度。一度通り過ぎると車は1分30秒ほど戻ってこないし、その間どこでどうなっているか、観客には見えない。

その点オーバルコースは、競馬場と同じくどこの席に座っても、コースが全て見渡すことができる。例えば、インディ500では、コースが2.5マイル(4km)、マシンのスピードが平均360kmで一周40秒程度で目の前に戻ってくる、周回数200周なので目の前をマシンが200回通る。
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10 パトロンとスペクテイター

米国の自動車レースの主流は、オーバルレースであり、見る者はレースの進行をすべて見渡すことができる。これに対し、欧州の自動車レースの主流は、ロードレースやモナコGPのような市街地コースであり、レース全体を見渡すことがほとんど困難である。

競馬や自動車レース以外にも、観る者の視点において、英国のスポーツと米国のスポーツでは異なった特徴を持っている。英国のスポーツの代表ともいえるサッカーやラグビーでは試合時間はレフェリーが管理しており、観衆は、試合時間が後何分残っているのかを正確には知ることができない。近年は、ロスタイムの目安を公表しているが、正確な時間がスタジアムに刻まれることはない。ところが、NFLやNBAでは、残り時間が電光表示され、観ている者が残り時間を正確にカウントすることができる。

競馬や自動車レースだけでなく、英国を含めた階級社会の欧州では、スポーツは王侯貴族や資本家といったパトロンの支援により成り立ってきた経緯があり、必ずしも観衆に考慮する必要はなかった。これに対し、階級としてパトロンが成立し得ない米国では、スポーツは、入場料と引き替えに参加するスペクテイター(観衆)としての大衆の支持を得なければ成立し得なかった。

つまり、欧州のスポーツはパトロン文化であり、米国のスポーツはスペクテイター文化ということができる。米国マスターズ・ゴルフでは、観衆であるギャラリーをパトロンと呼ぶ。米国では、スペクテイターがパトロンである。
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11 再びオーバルコース

米国伝統のオーバルと言われるが、実際、米国にある1320ヶ所のレース場のうちの78%がオーバルといわれる。

オーバルは、基本的に楕円形をしたコースだが、「ツインリンクもてぎ」のようなタマゴ形(EGG SHAPED OVAL)、「インディアナポリス」のような長方形に近いもの(SQUARE OVAL)、D字形をしたもの(D SHAPED OVAL)、三角オムスビ形のもの(TRI-OVAL)などがある。

また、全長1.5マイル(約2.4km)以上の高速オーバルを「スーパースピードウェイ」と呼び、1.5マイル以下のコースは「ショート・オーバル」と呼んでいる。

左回りの一方向へ高速走行となり、コーナーにはバンクがある。このため、マシンは左に曲がることだけを踏まえて設計されているため必然的に左側に重心が偏っている。ちなみに、マシンに装着しているリヤタイヤの外径には、内輪(左側)よりも外輪(右側)の方を大きくする”スタッガー”と呼ばれるセッティングが施されている。

これは、コーナリング中のマシンの安定性を確保するため。これも左回りのオーバルコースで争われるレースならではの特徴。したがって、常にマシンは内側方向へと向こうという習性を持つため、直線走行時は、ハンドルを軽く外側に切ることになる。

今年のF1は、ローコスト化の一環として、「レース中のタイヤ交換禁止」を決めらていた。ところが、インディアナポリスのオーバルコースの一部を使って行われた米国F1グランプリでは、ミシュラン製のタイヤがオーバルのバンクに対応できず、ミシュラン製のタイヤを使用していた7チーム14台が決勝戦を棄権し、結局、ブリジストンの3チーム6台のみで決勝戦が行わる異常事態となった。top