メディアとスポーツ

2003/05/25
by B_wind

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1 メディアとスポーツの関係
2 新聞とスポーツの関係
3 テレビとスポーツの関係
4 続 テレビとスポーツの関係
5 多チャンネル時代のスポーツ
6 キラーコンテンツとユニバーサルアクセス権
7 スポーツ団体の腐敗とチェック機能
8 テレビメディアがスポーツを変える
9 メディアとスポーツ 最終章


関連コラム

1 メディアとスポーツの関係

メディアとは,

情報を伝達する媒体のことで,特に新聞やラジオ・テレビといった社会に情報を大量に伝達する媒体,マスメディアのことをいいます。一部の限られた情報を広く社会に伝えることがマスメディアの役割だといえますが,メディアは,情報をただ伝えるのではなく,加工をして伝達します。つまり,情報は,メディアによって操作可能であり,実際,広く操作されています。これが政治的に利用されればプロパガンダとなり,商業的に利用されれば,商業広告となります。情報操作が可能であるが故に,社会性を有するメディアは,公共性を持ち,社会的責務を負うことになります。

報道機関と娯楽機関

メディアと同様に使われることばにジャーナリズムがあります。ジャーナリズムを辞書で引くと「新聞・ラジオ・テレビなどの,報道や娯楽機関(の事業)」とあります。テレビでいえば,報道はニュース,娯楽番組はドラマやバラエティで,スポーツは報道と娯楽の二面性を持っているといえます。新聞にも,4コマ漫画や新聞小説など娯楽記事もありますが,ほとんどが報道記事です。新聞は活字メディアですが,活字メディアの娯楽面は,雑誌や書籍が担っており,新聞は報道が主力です。新聞には一般紙とスポーツ紙がありますが,スポーツ紙は一般紙に比べて娯楽性が高いといえます。これはスポーツ新聞が扱う情報自体が娯楽情報だからです。ただし,扱う娯楽情報は,あくまでも娯楽の事前情報や事後情報で,娯楽の代替にはなりません。この点が代替の娯楽となるテレビとは異なります。つまり,スポーツ紙も,新聞であり,娯楽情報を伝達する報道機関には違いがないということです。ところが,メディアとスポーツの関係上,問題のひとつがここにあります。スポーツ紙が,娯楽情報の報道しているのを,スポーツ紙自身が自分は娯楽機関だと勘違いしている点です。

テレビは報道機関プラス娯楽機関

新聞が原則的に報道機関であるのに対し,テレビやラジオといった放送メディアは,報道機関と娯楽機関の両面を備えています。新聞は活字メディアで,事前情報や事後情報を伝達できますが,現在情報を伝えることはできません。伝える情報も文字情報です。これに対し,テレビは,放送メディアで,現在情報をリアルタイムに,しかも,映像という形で提供することができます。新聞と放送メディアの代表格であるテレビとをスポーツで比較するとわかりやすいと思います。

新聞とテレビの相違

スポーツの新聞記事というのは,試合結果か,周辺記事,または試合の予告記事です。スポーツをリアルタイムに伝えることはできません。新聞は,スポーツ大会のスポンサーにはなっても,スポーツという商品を直接販売することはできません。これに対し,テレビ局は,スポーツ団体から試合を購入し,それを娯楽商品としてスポンサーや視聴者に再提供することができます。新聞はスポーツを所詮は報道としてしか捉えることはできないのです。これに対し,テレビはスポーツを娯楽商品として扱うことができます。もちろん,テレビ放送にもスポーツを報道するという報道機能はあります。また,現代は,映像マルチメディアの時代に突入しており,その代表格は,CS放送のスカパーです(将来的には,インターネットがこれに替わると思いますが)。スカパーには,ニュースチャンネルやスポーツチャンネルといった報道は報道,娯楽は娯楽といった専門チャンネルがあり,チャンネルごとに機能が特化しています。

メディアの広告宣伝機能とスポーツの公共性

スポーツとメディアの関係を具体的に論じる前に,それぞれの機能について考えてみたいと思います。メディアは,情報伝達する媒体であり,情報を操作することができます。この機能から広告宣伝機能というものが生まれてきます。テレビなどでは,この広告宣伝機能を使って,CMスポンサーから広告料をとり無料放送を実現しています。もうひとつ,メディアとスポーツの話を進める関係上必要なのが,スポーツの公共性です。スポーツの魅力は一瞬のプレーの中から生まれ,多くの人々を引きつける力を持っています。このため,スポーツは,特定の企業に結びつきにくく,一般性と公共性を持ちやすいといわれています。

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2 新聞とスポーツの関

新聞とスポーツの関係ですが,新聞の試合予告や試合結果の報道は,スポーツにとっては格好の宣伝になります。無料の宣伝,つまりパブリシティということになります。新聞にとっては,ファンや関係者がそのスポーツの載っている新聞を買ってくれるということで新聞の購読者の拡大につながります。これが,スポーツと新聞の補完関係です。新聞は,リアルタイムに試合を伝える能力がないため,スポーツと競合関係にはならず,相互補完の関係が成立します。これに対し,テレビは,スポーツの試合中,試合の映像を茶の間にリアルタイムで伝えることができるため,「見る」という点でスポーツと競合することになります。NFLのブラックアウトルールも元はといえば,試合の集客を優先するルールだったはずです。MLBのドジャースは,観客が減るからと長い間,ホームゲームの地元中継はしてきませんでした。

新聞とスポーツは,次の段階に入ると,パブリシティからスポンサーシップや広告宣伝に替わっていきます。スポーツが新聞の売り上げに影響することが分かるとスポーツを積極的に支援するようになります。新聞社は,スポーツ団体が,独力で試合を開催できなければ資金を提供し,スポーツイベントを協賛したり,場合によっては主催したりします。スポンサーシップや広告宣伝の形で,新聞社とスポーツ団体との間に補完関係の上に金銭関係が生まれることになります。ここで,報道機関としての新聞とスポーツ団体との関係が問題になってきます。もし,そのスポーツ団体に不正や悪影響があった場合,新聞社は正しい報道ができるのかどうかという,メディアの社会的責務の問題です。

新聞にも公共性があります。スポーツにも公共性があります。一見,公共性のある新聞社が公共性のあるスポーツを支援することは,道理に叶っているように感じます。ところが,新聞社はスポーツの公共性を隠れ蓑にして新聞の公共性を歪め可能性を持っています。実際歪められた関係にあるのが高校野球と朝日新聞の関係,プロ野球(巨人)と読売新聞の関係です。この関係を知っていればワールドカップと朝日新聞やJOCと読売新聞のスポンサーシップが危惧されるのも当然です。スポンサーになると優先的な取材が受けられ,特ダネや詳細な報道が可能となります。一方で,スポーツ団体にとって都合にいいことばかりを報道する危険性ももっています。逆に,新聞社にとって都合のいいようにスポーツ団体の公共性が歪められる危険性もあります。この点は放送メディアの場合の方が顕著ですが,新聞社の場合も可能性があります。

新聞社によるスポーツイベントやプロスポーツチームへのスポンサーシップは,好ましいとは言えないし,控えたほうがいいのかも知れませんが,避けて通れない問題ではないでしょうか。同じ,報道機関であるテレビが既に放映権という形で,スポーツイベントやプロスポーツチームとの直接の関係が生まれているのですから。新聞社だけダメということはできないでしょう。とはいっても,新聞社には報道機関としての社会的責務があります。これを倫理というのなら,新聞社は常に高い倫理性が求められます。少なくとも,報道と営業の間には,ファイアーウォールが必要になります。

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3 テレビとスポーツの関係 

テレビは報道機関であるとともに娯楽機関です。スポーツ観戦も娯楽です。テレビのスポーツ番組は,競技場でのスポーツ観戦の代替となる娯楽商品となります。テレビのスポーツ番組は,スポーツと競合関係にあります。

報道機関と娯楽機関の両面をもち,同じマスメディアといっても新聞を遙かに超えた広告宣伝効果を持っています。このため,テレビは全面的に広告収入に依存する無料放送が可能となります。この中では視聴者が稼げる番組(コンテンツ)が,価値=メディア・ヴァリューをもつことになります。その中で,公共性のあるスポーツは,報道性と娯楽性を兼ね備え,テレビにとって視聴率が稼げるコンテンツ(番組)となります。

一方,情報操作可能なメディアが,全面的な商業放送に依存することに危惧があり,NHKやBBCに代表される公共放送も併存しています。80年代までは,米国では商業放送が,欧州では公共放送が主流で,日本では公共放送のNHKと商業放送の併存体制になっています。

成熟した大衆消費社会において,企業による広告宣伝は重要な商品のマーケティング手段です。テレビというマスメディアに多額の広告宣伝費が投入されるようになります。このため視聴率を稼げるコンテンツの価値は,メディア・ヴァリューが高まります。競合関係にあるスポーツをテレビで放送するには放映権料が必要になります。この放映権料がメディア・ヴァリューの高まりとともに高額化していきます。

テレビ放送というのは,情報を遠隔地に伝達することができ,基本的に地理的な限界はありません。ただし,新聞と異なり時間消費型のサービスであり,時間的な限界は持っています。これがマルチメディア時代になるとビデオがパッケージ化されたり,マルチチャンネルにより再放送されたり,時間的な限界を超えるようになります。

地理的な限界を超えるテレビ放送は,スポーツ興行が持っている地理的マーケットの限界を超えた新たなマーケットをスポーツに提供してくれます。このため,従来スポーツ団体にあった成長の限界を破壊することができたのです。こうなると競合関係にあったテレビとスポーツは共生関係に変化します。しかし,結果的には,スポーツが大きくメディアに依存する関係ができてきます。そして,また,テレビはスポーツについては報道機関であること忘れてしまう場合が出てきました。

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4 続 テレビとスポーツの関係

ラジオやテレビという放送メディアは情報を電波を通して伝達します。電波の周波数は限られており,電波は公共物として使用に当たっては政府の許可を必要とします。また,放送メディアは,情報操作商品を扱う社会的責任及び公共物の電波を占有することから,電波法及び放送法により集中排除原則がとられています。放送局が政府の免許制である点が新聞社とは全く異なる点です。

放送メディアも80年代米国のケーブルテレビの普及,90年代の欧州の衛星放送の出現により,これまでの商業放送や公共放送とは異なる有料放送が出現します。この有料放送には,番組ごとに課金するペイパービューや一定の料金を支払えば番組見放題のサブスククリプションサービスがあります。初期には,映画館スタイルのペイパービューが注目されましたが,実際にはサブスクリプション・サービスが主流です。

有料放送が出現する前,テレビとスポーツの関係は,テレビにとってスポーツは視聴率を稼げる有料コンテンツであり,スポーツにとってテレビは,パブリシティであるとともに新たな収入を生む金の卵でした。その収入の源泉は広告料です。商業放送が主流だった米国では,CMスポンサーの広告料が放送局の放映権という形でスポーツ団体に収入化します。公共放送が主流だった欧州では,テレビ中継で写る競技場の広告看板がスポーツ団体の収入源となりました。日本では,企業が広告宣伝を目的に直接スポーツを所有・運営するようになります。ただし,日本のケースは新聞メディア時代からの延長と考えられます。

商業放送にしても公共放送にしても,従来誰もがテレビをみることができました。ところが,有料放送が出現すると,これが危うくなってきます。有料放送の出現の背景には,地上波マスメディアからケーブルテレビや衛星放送・通信放送といったニューメディアの登場とそれに伴う多チャンネル化があります。これが映像マルチメディア時代の先駆となるわけです。ケーブルテレビや衛星放送・通信放送は,そもそも地上波の難視聴対策として始まったものですが,アナログ回線でも地上波を上回るチャンネルの確保が可能となり,一気に多チャンネル時代に突入します。とはいっても,これらが地上波を脅かす地位につくには時間を要し,米国のケーブルテレビでトップのスポーツチャンネルESPNも,地上波の脅威となったのは90年以降です。マードックのBスカイBがスポーツチャンネルの有料化を開始するのは92年以降の話です。

多チャンネル化は,いままで視聴率を稼ぐことができなかったものも,放送を可能にしました。日本の有料衛星放送スカパーでは,地上波ではほとんどお目にかかれないパシフィック・リーグの試合をほぼ全試合見ることができます。とはいっても,マイナーコンテンツだけでは巨額の投資を回収するだけの受信契約料を確保することはできません。そこでキラーコンテンツといわれるメガスポーツイベントやトッププロスポーツリーグの囲い込みが起こります。代表的なのがBスカイBによるイギリスプレミアリーグの独占放送。最近の話ではスカパーによるFIFAワールドカップの独占契約があります。多チャンネルは,普段,テレビに映らないコンテンツを,お金を払ってもみたいと思う人がいれば,見ることができるようにしてくれました。ところが,最も視聴率を稼げるキラーコンテンツの独占契約は,お金を払えない人は,そのキラーコンテンツをみることができなくなるといった状態を生みます。

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5 多チャンネル時代のスポーツ

多チャンネルになれば当然,それだけの番組(コンテンツ)が必要になります。そうはいっても,ドラマやドキュメンタリーは簡単に制作することはできません。そこへ行くとスポーツというコンテンツは,既製の試合を中継するだけで足り,メディアにとって簡単で安価なコンテンツといえます。

スポーツの価値はプレーの瞬間にあり,スポーツは常に新鮮さを失いません。スポーツは毎日試合を中継しても同じ内容にはなりません。多チャンネル時代のテレビメディアにとって,スポーツ中継は,大量のコンテンツを確保することができます。

また,多チャンネルのターゲットは,マス(大衆)ではなく,ある特定の集団です。料金を払ってまで視聴しようとする集団です。 スポーツにはスポーツ観戦という,有料観戦の習慣があります。スポーツファンには,スポーツ観戦の習慣性もあります。スポーツファンは,有料・多チャンネルのターゲットになりやすい特徴があります。

テレビメディアの有料化には,ペイパービューとサブスクリプションサービスがありますが,見放題の後者の方式が一般的です。サブスクリプションサービスは,いわばパック料金であり,その売り込みのためには,目玉となる商品が必要になります。これがキラーコンテンツです。そして,スポーツは,キラーコンテンツとしての特性を持っています。より多くの人に加入してもらうためには,多くの人に受け入れられる大衆性が必要ですし,契約という行動を起こさせるためには,インパクトとなるリアルタイム性が必要です。スポーツは,このどちらも備えています。大衆性というのは,多チャンネルのターゲットと矛盾しますが,キラーコンテンツにとっては必要なものです。この矛盾がユニバーサル・アクセス権という問題になります。

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6 キラーコンテンツとユニバーサルアクセス権

多チャンネル時代,キラーコンテンツとなるのは,大衆が熱狂するスポーツが一番です。ところが,スポーツがメディアによって独占され有料化されると,経済的に恵まれないファンは,そのスポーツを見ることができなくなります。ユニバーサル・アクセス権とは,このアンチテーゼとして出てきたもので,誰もがテレビを見ることができる権利のことです。従来無料放送であったものが有料化されると,視聴者は必ず減少します。減少した数だけ,ユニバーサル・アクセス権が奪われたことになります。

スポーツは,多くの人に受け入れられ公共性が高いものとして考えられています。国や自治体が競技場や体育館を建設するのも,スポーツに公共性があるからです。先のFIFAワールドカップ韓国・日本大会では,有料衛星放送のスカパーが放映権を獲得し,ユニバーサル・アクセス権が注目されました。ワールドカップは公共性が高く,開催のためには,政府や多くの自治体の協力を受けています。ところが,このワールドカップの試合が有料放送により独占されると,会場整備等に多額の税金を使っているのに,一般の国民が試合をテレビで見ることができないという事態が生じてしまいます。

結局,NHKと民法によるジャパン・コンソーシアムも放映権料を負担することにより,64試合のうちの約3分の2を,NHKや民放で放送することになりました。ところが,横浜国際総合競技場で行われた3試合のうち日本戦を除く2試合は,地上波で放送されませんでした。横浜国際総合競技場の建設費603億円の65%393億円を横浜市が負担しているのにです。

従来無料放送だったものが,有料化されれば視聴者数は必ず減少します。それにつれ,露出が減り,広告効果も減少してしまいます。ワールドカップの広告看板の価値は日本では3分の2に減少したことになります。

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7 スポーツ団体の腐敗とチェック機能

近代スポーツは特権階級であるアマチュアのスポーツとして生まれました。国民国家の成立とともに国民国家のスポーツとして普及発展していきます。国民国家のスポーツとして近代スポーツは,国家や政治と大きく関わってきました。オリンピックやサッカー・ワールドカップもその例に漏れませんでした。最も典型的だったのがヒトラー・ナチズムの国家主義に利用されたベルリン・オリンピックでした。

このベルリン・オリンピックでは,映像メディアが初めて表舞台に登場します。オリンピック記録映画「民族の祭典」「美の祭典」は有名ですが,テレビ中継がはじめて行われたのもこのベルリン大会だったそうです。スポーツと映像メディアは国威発揚のため利用されたのです。因みに聖火リレーや国旗掲揚もこの大会から始まりました。
http://www.firstberlin789.de/imbn2001/092001/main/fs9_11.htm

戦後の大衆消費社会が成熟期の70年代80年代をむかえると,市場の国際化と相まって企業によるマーケティング手段としての広告宣伝も国際化してきます。この広告宣伝の媒体となったのがテレビメディアとスポーツでした。テレビは衛星中継により国境の壁を越え,スポーツという国境のないイベントは,世界的規模での広告宣伝に合致するものでした。スポーツと映像メディアは,今度はビジネスのために利用されるようになります。

それまでおカネにならないと思われていたオリンピックやサッカーワールドカップは,テレビメディアと多国籍企業と結びつくことにより,おカネのなるイベントに変わったのです。このため,IOCやFIFAといったスポーツ団体は,急速に利権団体へと変わっていきました。チェック機能の持たない利権団体は自浄能力がなく腐敗を招きます。IOCもFIFAも,ご多分にもれず腐敗してしまいました。JOCも同様です。

内部にチェック機能を持たないスポーツ団体のチェック機関として期待されるのが,スポーツ・メディアです。ところが,この腐敗したスポーツ団体のスポンサーにメディアがなった場合,メディアは腐敗したスポーツ団体のテイクホルダーとしてその腐敗を追及できなくなってしまいます。

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8 テレビメディアがスポーツを変える

スポーツとテレビメディアの結合により,スポーツはスポーツの持っているメディア・ヴァリューを放映権料,スポンサーシップ,ライセンス手数料といった形で収入化することが可能となります。収入化という点では,新聞メディアは通常スポンサーシップという形で関わることになります。

腐敗とバブル

テレビメディアと結びつく以前の,IOCというスポーツイベント主催団体やFIFA,IAAFなどの競技団体といったプロ組織を除くスポーツ団体は,ボランティア組織に近いものであり,会計上,財政上のチェック機能も甘いものでした。アマチュア・スポーツの時代は,資金力に乏しくそれで十分だったのです。ところが,テレビメディアと結びつくことにより巨額の資金がこれらスポーツ団体に入るようになっても,チェック体制は従来のままでした。このため,テレビメディアと結合したスポーツ団体の内部組織は腐敗への途を歩むことになります。これに対し,プロ組織はもともと興行団体であり,通常,企業として財政上・会計上のチェック体制が確立しており,内部組織の腐敗は発生しにくいといえます。とはいっても,欧州サッカーのような地域クラブ的なプロスポーツは,財政上のチェック体制が甘くなり,バブルが発生することがあります。テレビメディアはスポーツ組織の変更を迫っています。

サバイバルと淘汰

すべてのスポーツがテレビメディアと結びつくものではありません。結合できるのは視聴者を獲得できるスポーツだけです。オリンピックというのは,スポーツの品評会みたいなもので,オリンピック種目はメジャーで,非オリンピック種目はマイナーだと評価されます。オリンピック種目になれば,競技の知名度も上がり,単独でのテレビメディアの結合も可能となります。ところが高額な放映権料を支払うテレビメディアとしては,人気のないスポーツやテレビ放映に適していないスポーツは邪魔になります。そこで,スポーツのルール変更やオリンピック種目からの削除という問題がでてきます。バレーボールのサイドアウト制をラリーポイント制にしたのは有名ですし,野球・ソフトボール・近代五種の三種目をオリンピック種目から削除するという提案が現在なされています。テレビメディアはスポーツのルール変更を迫っています。

プロフェッショナル

テレビメディアと結びつく以前のスポーツ界でも,スポーツの専業化により国家アマ,企業アマ,学校アマという隠れプロが存在していました。このプロ化の動きに,テレビメディアとスポーツの結合が重なり,選手のプロ化が促進されます。テレビメディアによりスポーツ団体が巨額の報酬を得ているのに,肝心の選手が無報酬では道理に合いません。報酬のでない大会にはプロ選手や専業化した選手が参加しなくなってしまい,大会のメディア・ヴァリューが低下してしまいます。オリンピック,サッカーワールドカップと並ぶビッグイベントとしてIAAFが1983年に創設した世界陸上でも,選手側からの要求により97年のアテネ大会から賞金付きの大会となりました。因みに2007年の世界陸上の開催地に大阪市が決まったそうです。

ドーピング

選手側もテレビメディアからの報酬の分配を受けられるようになると,スポーツとテレビメディアとの結合体制の影響を受けるようになります。大会での勝利が高額な報酬をもたらすようになると,薬物の力を借りてでも勝利しようする動きも出てきました。といっても,ドーピングの問題は,東ドイツなどの国家主義による汚染の方が問題でしたが,国家アマの減少に伴って,テレビメディアとの結合による商業化に起因することが顕著に成っています。ドーピングの問題はプロの世界でも同じで,今年まとまったメジャーリーグの労使協定には「ステロイド系の筋肉増強剤を規制するための薬物検査の導入」というドーピング検査の項目が含まれています。

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9 メディアとスポーツ 最終章

メディアとスポーツの関係を扱ったものに最近出た「スポーツを殺すもの」(谷口源太郎著 花伝社 2002.10.13刊 1800円税込み)が非常に参考になります。「スポーツを殺すもの」というあまりに過激で挑発的すぎる(著者)タイトルですが,このタイトルには著者の思いが込められています。以下,本書のあとがきからの引用です。

「日常的にテレビから流されるスポーツ報道を単に消費する(感動したり,熱狂したりして)だけでなく,その裏に錯綜した思惑が隠されていることを知らなければならない。なぜなら,そうした思惑に影響されてスポーツ世界に多くの深刻な影響が起きているからである。」「平和な社会をつくることにこそ,もっとも尊重されるべきスポーツの生命がある。しかし,国家主義(ナショナリズム),勝利至上主義,経済的利益追求主義などによって,そのスポーツの生命が無残に殺されている。その現実を歴史的に検証し批判することによってしかスポーツの生命を救う道は見出せない,と私は考える。」

スポーツを殺すものの正体はとは何か。現代において,その主役はメディアです。日本のプロ野球も,誕生の時からそのメディアと密接な関係にありました。メディアは,プロ野球を娯楽産業として普及発展させましたが,その一方でメディアは球界に深刻な影響を与えてきました。

「いまさらいうまでもないことだが,巨人中心主義の球界構造は『読売新聞』・日本テレビの強力な影響力をバックにつくりあげられてきた。それらのメディアは,巨人戦は新聞の拡販材料であり,テレビ視聴率を稼ぐ商品としか考えていない。そして,メディアは,あの手この手の演出を凝らして強引にスターをつくりあげたり,バラエティー番組化したりして娯楽としての商品価値を付加しようと必死になっている。これまで,こうしたメディアのスポーツへのかかわり方が球界で問題視されないままできた。改めてその問題を考えるべきであろう。」「メディアが娯楽産業の一つとして直接球団を経営することは,とりもなおさず批判を規制し,その結果教育的役割が果たせないばかりか,より大きな障害を生みだすことになるのだが。」

プロ野球ビジネスから見ても,メディア企業が親会社になると,メディア収入の多寡が生まれ,これが球団財政の格差を生みだしてしまう危険性があります。ところが,一方では,読売グループ以外のメディアグループ(フジサンケイグループ,TBSグループ)が球団を経営することに対しては,読売グループに対する拮抗力として認められるのではないでしょうか。

今やメディアはスポーツと切ってもきれない関係にあります。このメディアとスポーツの関係がどうあるべきなのか。著者は参考として,英国の第三者機関による報告書を紹介しています。「彼ら(BBCとITV)がするべきことは,人びとを楽しませることだけでなく,スポーツの基本原理を教え,理論だけ振り回す評論家気取りの視聴者の理解力を高め,そのうちのある人びとをスポーツに積極的に参加するよう鼓舞することである。」「しかし,批判的であることなしに教育的であることは難しく,もしスポーツとメディアの関係があまりに緊密であると批判することは困難な状況となる。(中略)大手テレビ局とラジオ局のスポーツ部が選手や組織委員と緊密な関係を保とうとすること,これらはすべて,メディアの果たすべき課題に対する障害を生みだす要因である」(『英国スポーツの文化』トニー・メイソン著,同文館出版刊)

とは言っても,メディアとスポーツの結合は,メディアとスポーツの関係を緊密にせざるをえませんし,スポーツにとってもメディアは不可欠なものになっています。

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