wind10

№927(2009/08/09) パンノニア平原 1 パンノニア平原

パンノニア(Pannonia)は古代に存在した地方名で、ローマ帝国の時代には皇帝属州であった。北と東はドナウ川に接し、西はノリクムと上イタリア、南はダルマティアと上モエシアに接した。パンノニアの領域は現在のオーストリア、クロアチア、ハンガリー、セルビア、スロベニア、スロバキア、およびボスニア・ヘルツェゴビナの各国にまたがる。

今日では、パンノニアという地名は、パンノニア平原を指して使われる。パンノニア平原は、カルパティア山脈とバルカン地域北縁の山地、ディナル・アルプスに縁取られ、ドナウ河によって二分されている。カルパート盆地、又はカルパティアン盆地の別称でも呼ばれる。

パンノニア平原

パンノニアには、元々はイリュリア人に近い部族であるパンノニア族が住んでいた。西暦6年、パンノニア族はダルマティア族など他のイリュリア人と連合して反乱を起こした。激しい戦いが3年間続いたが、結局はローマ帝国のティベリウスとゲルマニクスによって制圧された。この後にイリュリクム属州は新に二つの属州に分割され、北側がパンノニア属州、南側がダルマティア属州になった。ディオクレティアヌス帝の死後は西ローマ帝国に属した。

2世紀初頭のローマ帝国
※西バルト海沿岸には、西からランゴバルド族、ゲピダエ族、ゴート族が確認できる。

433年、西ローマ皇帝ウァレンティニアヌス3世の時代に、パンノニア属州はフン族に割譲され、ローマ帝国の属州ではなくなった。453年フン帝国のアッティラが急死すると、フン族に服属していた東ゲルマン系の東ゴート族とゲピダエ族が蜂起、フン帝国は瞬く間に滅亡し、パンノニアは、ドナウ河を挟んで東にゲピダエ族、西に東ゴート族が支配することとなった。

470年東ゴート族の王となったテオドリックは、488年東ローマ皇帝ゼノンにオドアケル討伐を命じられイタリアに侵攻した。これは、東ローマ帝国内に居座る東ゴート族を厄介払いしてしまおうと言うゼノンの思惑があった。493年オドアケルを滅ぼし、イタリアを平定、497年パンノニア、ダルマティア、イタリア、プロヴァンスからなる東ゴート王国を建国した。テオデリックの治世において、東ゴート王国は西ローマの政治機構を再整備し、それまでのローマ法を遵守しつつ新たな国家の構築が進められた。

526年のヨーロッパ

しかし、テオデリックの死後、後継者問題や宗教対立によって国内は混乱しはじめ、ローマ帝国の再統一を進める東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世がこれに乗じて東ゴート王国に将軍ベリサリウスの軍を派遣した。

一方パンノニアでは、526年テオドリックの死後、東ゴート王国の支配が衰え、空白地帯が生じていた。だが、ゲピダエは西に勢力を拡大することは出来なかった。黒海北岸に現れた遊牧民族、アヴァール族の侵入を受けたからである。結果、パンノニアには北からやってきたランゴバルト族が国を作り上げた。ユスティニアヌス1世は、イタリアを支配する東ゴート族等への対策のため、ランゴバルド族の定住を許可し、帝国の傭兵とした。

 550年のパンノニア平原

553年ユスティニアヌス1世は、イタリアから東ゴート族を駆逐するため、将軍ナルセスの援軍としてアルボリン(アルボイーノ)率いるランゴバルド族をイタリアのラヴェンナに派兵する。東ゴート王国は滅亡し、東ゴート族の駆逐には成功するもののランゴバルド族が略奪行為を行い、ナルセス将軍はランゴバルド族を撤退させた。

566年東方からアヴァール族がパンノニア平原に侵攻し、アヴァール族は、ランゴバルド族と同盟を結んでゲピダエ族を殲滅した。戦後アヴァール族はゲピダエ族から略奪した財宝の半分とゲピダエ族の領地を要求し、アルボイーノはこれを承諾した。アヴァール族との関係悪化をおそれていたことと、アルボイーノの興味はイタリアに向いていたからと言われる。

568年アルボイーノはランゴバルド族の軍勢を率いて西進し、北イタリアに侵入する。当時、イタリアでは東ローマ帝国の支配が弱まり、ローマ教会がほぼすべての行政を行っていた。しかしローマ教会には軍隊がなかったため、ほぼ無抵抗で北イタリアは占領されてしまった。東ローマ帝国はササン朝ペルシアとの紛争に集中していたため、イタリアに派兵する余裕はなかった。その3年後の571年、アルボイーノはパヴィアを首都としたランゴバルド王国を建国した。その後も、ランゴバルド族はイタリアの中央部・南部にまで侵入し、北の本国からは幾分か離れた場所にスポレート公国、ベネヴェント公国を建国した。結果残った中部・南イタリアの領土を東ローマ帝国が断片的に支配することになった。ランゴバルド族の北イタリア侵入は、最後のゲルマン人の大移動となった。

 ランゴバルド族
ランゴバルド王国(オレンジ)、ピンク色の部分は東ローマ帝国のラヴェンナ総督府領

参考・出典 ウィキペディア