№928(2009/08/18) パンノニア平原 2 アヴァール族
6世紀パンノニア平原の新たな支配者となったのが、アジア系の遊牧民族アヴァール族であった。アヴァール族は、テュルクあるいはモンゴル系の遊牧民族で、突厥に服属していたが、その一部が西へ追われて移動しキプチャク草原に侵入した。東ローマ帝国の資料によるとアヴァール族はユスティニアヌス1世の末年、557年頃にカスピ海・黒海北岸に居住するアラン族のもとにあらわれたといわれる。
西暦500年世界歴史地図
558年アヴァール族は、アラン族の仲介で東ローマ帝国に使者を派遣し、東ローマ帝国が毎年貢納を払うことでアヴァールが国境地域の防衛を行うという同盟関係を結んだ。当初アヴァールは、東ローマ帝国の期待に応え黒海北岸からドナウ川下流域にいたクトリグル・ブルガール、ウティグル・ブルガール、サビル(テゥルク系、フン族Sabir)、アント(スラヴ系)といった諸族を征服していった。
562年アヴァール族が、バルカン半島に到達すると、東ローマ帝国は前の世紀にフン族のアッティラに対したように貢納金を支払い、ゲルマニアに追い払った。この頃、アヴァール族の可汗(君主)にバヤンが就いた。この頃のアヴァール族は、ブルガール族との連合体で事実、バヤンの前の可汗はブルガール族であった。西に拡大を始めた突厥から如何に逃れるかが、バヤン可汗の指命であった。
バヤン可汗に率いられたアヴァール族は、カルパティア山脈を北に迂回し、エルベ川に達したが、フランク王国アウストラシアのシギベルト1世に562年テューリンゲンの戦いで敗れ、さらなる西進は阻まれた。
さらに、565年東ローマ皇帝に即位したユスティヌス2世は、アヴァール族に対する貢納を拒否し強硬姿勢に転じた。これに対し、バヤン可汗は定住地としてドナウ河の南、現在の北ブルガリアを要求するが、ユスティヌス2世は、ドナウ河の渡河を断固拒否、突厥を恐れるアヴァール族をカルパティア山脈に囲まれた自然の要塞、パンノニア平原へと誘った。
西暦565年世界歴史地図
パンノニア平原のランゴバルド族とゲピダエ族
566年バヤン可汗は、再びエルベ川でシギベルト1世と戦い今度は勝利したが、パンノニア平原を目指すアヴァール族は、フランク王国に侵入することはなかった。ところが、パンノニア平原は、ゲタピエ族の支配下にあったため、アヴァール族は、ドナウ河西岸のランゴバルド族と同盟を結び、西からランゴバルド族が、北からモラヴィアとドナウ河を通ってアヴァール族がパンノニア平原に侵入し、ゲピダエ族を殲滅した。スラヴ諸族も、アヴァール族とともに、パンノニア平原に侵入し定住を始めた。
バヤン可汗は、さらにパンノニア平原ドナウ河西岸を支配するランゴバルド族にイタリア進出を強制し、568年ランゴバルド族のイタリア侵攻とともに、パンノニア平原を平定、パンノニア平原を本拠地とするアヴァール可汗国が成立、同年、ダルマチアに侵攻し、東ローマ帝国とイタリア半島を事実上切り離した。
574年、東ローマ皇帝ユスティヌス2世は、バヤン可汗がバルカン半島進出の構えを見せると動揺し、貢納を再開し、同盟関係を結んだ。577年アヴァール族は、ユスティヌス2世から正式にパンノニアへの移住を許されベーメンに本拠を置いた。しかし、当時東ローマ帝国は、ササン朝ペルシアとの抗争に全力を注いでおり北辺の守りは手薄だったため、アヴァール族は、その後バルカン半島にも進出しスラヴ民族を従え、582年にはシンギドゥヌム(ベオグラード)を占領、イタリア半島まで押し寄せたこともあった。アヴァール可汗国は、バヤン可汗の治世にパンノニアを中心に黒海・バルト海・エルベ川におよぶ広大な帝国を建設した。
西暦600年世界歴史地図
西暦600年 アヴァール可汗国
しばしば、貢納金の支払いを受けていたにも関わらず、配下のスラヴ諸族とともに東ローマ帝国に侵入し、各地を略奪した。マウリキウス帝のとき、バルカン遠征により一時的にドナウ河北岸にアヴァールは後退したが、626年~627年アヴァール族は配下のスラヴ諸族とともに、ササン朝ペルシアと同盟を組み、コンスタンティノープルを包囲、しかし、これは失敗に終わった。このコンスタンティノーブル攻略失敗を契機として、以降アヴァール族は、国内の異民族の離反が生じ、東ローマ帝国の攻撃とブルガールの侵入などで徐々に衰退に向かっていった。
680年~804年のアヴァール
西暦700年世界歴史地図
791年フランク王カール1世が息子のピピンとともにアヴァールの掃討に乗り出し、795年カールの部下フリウリがアヴァールの本拠リングを陥落させ翌年ピピンがアヴァール可汗国を征圧し、アヴァール辺境領がおかれた。その後、アヴァールの旧領は第一次ブルガリア帝国の支配を受け、その過程でアヴァール族はスラヴ民族と同化していった。
西暦800年世界歴史地図
参考・出典 ウィキペディア
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