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2月5日読売巨人軍渡辺恒雄オーナー(近鉄の球団名売却について)「(1月)30日にオーナー会議をやった時に何も言わないで、2月1日に根来さん(コミッショナー)が就任した。(1月)31日の空白の1日に発表したあのやり方は、フェアじゃない。」
空白の一日と言えば1978年におきた「江川事件」があまりにも有名。クラウンライター・ライオンズ(当時)の指名を拒否し野球浪人をしていた江川が突然、翌年のドラフト会議の前日に東京読売巨人軍(当時)と契約を結んだ事件。当時の野球協約では、ドラフトで指名した球団の選手への優先交渉権は1年間であったが、実際には翌年のドラフト会議の2日前までであった。そこで、東京読売巨人軍(当時)はドラフト会議の前日は前年のドラフトに関係なく自由にドラフト外で交渉契約ができると主張し、江川と契約した。これを「空白の1日」という。
http://www.jttk.zaq.ne.jp/genmatsu/rekisi/egawaru.html
「空白の1日」という発想は読売巨人軍ならではであるが、その空白の1日も読売巨人軍が行えばフェアなのに、他球団が行うとフェアじゃないということになるようだ。さすが読売巨人軍渡辺恒雄オーナー。ところで、「江川事件」の時には、「正力前オーナーの秘書として事後処理にあたり、見事に事態を収拾させた経歴も持つ」のが、読売巨人軍渡辺恒雄オーナーの懐刀三山代表である。
さらに面白いのが、クラウンライター・ライオンズであった。西鉄が72年に球団を手放した後、球団を引き継いだ福岡野球株式会社は、親会社を持たなかったため、ネーミングライツを売却していたのだ。73年から76年までは太平洋クラブ(初年度3億円、以後毎年2億円)、77・78年がクラウンライター(1億円)であった。それでも、球団経営は苦しく、結局78年をもって球団は西武に売却され、ライオンズは福岡を去り、埼玉県所沢に移転してしまいます。
福岡野球株式会社は、岸元首相の秘書でロッテ球団のオーナーであった中村長芳氏の個人会社であった。72年西鉄が球団を手放す話がパ・リーグのオーナー懇談会ででたとき、後継者探しを任されたのが当時ロッテ・オリオンズのオーナーだった中村長芳氏であった。それが、結局、後継者が見つからず、中村氏自ら福岡野球株式会社をつくり、西鉄の後を引き受けることになった。
中村氏は、岸元首相の秘書だった人で、オリオンズの永田オーナーに頼まれ、副オーナーをしていた。それが71年永田氏の本業である大映が傾き、球団を手放したことから、69年からスポンサーになっていたロッテ製菓が親会社となり、ロッテの要請のもと中村氏がオーナーになっていた。オリオンズも69年70年は、ネーミングライツをロッテに年間3億円で売却していた。このアイデアを出したのが中村氏だった。
オリオンズ、ライオンズに続き経営危機に瀕したのがフライヤーズであった。73年に東映が球団を手放すと、73年日拓ホーム、74年日本ハムとなりニックネームもファイターズに変更となった。このように、この時期、関西の私鉄3球団(阪急、南海、近鉄)を除く3球団が経営危機に陥り、親会社が替わっている。この当時のパ・リーグの経営危機の原因は、「巨人、大鵬、卵焼き」と言われた読売グループ(読売新聞、日本テレビ、東京読売巨人軍)による圧倒的な独占支配力にあった。
オリオンズは、ロッテ製菓がスポンサーから親会社となった。ライオンズは、球団名がネーミングライツとしてスポンサーに売られた。これに対し、フライヤーズは、2年ごとに親会社を交代するという手法が企てられようとしていた。だがこの試みも、中堅の不動産会社に過ぎなかった日拓ホームにとって球団所有は負担が大きすぎ、1年と持たなかったため頓挫する。パ・リーグの球団にとって唯一のそして最後の財産だったのが球団名であった。それは、今も変わることがなかった。
88年には、さすがの私鉄球団も球団を支える力と意味を失い南海と阪急が球団経営から去った。そして、2004年関西私鉄の勇「近鉄」の球団経営が危機に直面している。その裏には読売グループの横暴が見え隠れしている。
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ヤクルトの販売は堅調であったが、一人の財テク失敗により巨額の損失をだしたヤクルト本社は、球団経営にあたってフジサンケイグループとのつながりを強め、フジテレビが球団株の20%の株式をもつこととなった。もともと、ヤクルト球団の前身はサンケイ・アトムズで親会社はフジサンケイグループであった。このため、ヤクルト球団の6.7%の株式は70年からフジテレビがもっていた。
ヤクルト本社がサンケイ・アトムズに経営参加したのは68年12月。この年の春から、サンケイの水野オーナーが体調を崩し、夏頃からヤクルトが業務提携を申し入れ、その年の暮れに実現した。表面上は対等の条件ということだったため、単にアトムズを名乗るが、実際はサンケイは経営から手を引き、ヤクルトが実権を握っていた。70年、正式にヤクルト・アトムズとなり、フジサンケイグループは、このとき6.7%のフジテレビだけが残ったようである。
民放各社は、BSデジタルや地上波デジタル時代を迎え、ソフトの確保が課題になっていた。一方、ヤクルト球団は、親会社であるヤクルト本社が巨額の損失をだし、経営危機に直面していた。20%の株式取得は両者の利害が一致したものであった。
このヤクルト球団とフジサンケイグループとの接近が、横浜ベイスターズの買収問題に大きな影響を与えることとなった。同じ頃、横浜球団の親会社であったマルハが、経営危機から球団株を手放すことになり、30%の株式を保有していたニッポン放送が譲渡先となり、親会社となることがいったん実行委員会で承認された。
ところが、読売巨人軍の渡辺恒雄オーナーから、フジサンケイグループが、ヤクルト球団の株式を持っていることから協約183条に違反している主張し、結局、マルハの球団株の譲渡先は、これまた、横浜球団の15%の株式を保有していた東京放送に変更になった。
99年、桑原氏から松園兄に球団オーナーが替わるとともに監督も野村から生え抜きの若松氏に替る。苦戦が予想されたが2001年にはリーグ優勝し日本一にもなっている。ただし、その後エース石井一久が02年からメジャーに、4番ペタジーニが03年から巨人に、ストッパー高津が04年からメジャーに去っている。
また、03年からは松園兄が退任し、ヤクルト本社社長の堀澄也氏が新オーナーに就任。ヤクルト本社は海外部門が好調で02年度の収益が過去最高を記録し、デリバティブ取引失敗以後の立て直しに成功している。「堀新オーナーと多菊球団社長は同期入社でもあり、二人三脚で球団経営に力を入れることになる」。
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セキュリティがやかましくなって、うちの職場では出入りの業者でさえ、なかなか中に入れないようにしているのに、ヤクルトおばさんだけは、なぜか職場の中に入ってきて、ヤクルトを配っている。よく考えれば不思議なのだが、ヤクルトおばさんにはそれだけ信用と信頼が置かれているのだろう。
そもそも、ヤクルトは、京都大学医学部の代田稔博士が発見した入腸乳酸菌「Lカゼイ シロタ株(のちのヤクルト菌)」を当時栄養状態の悪さから苦しんでいた多くの人たちに飲んでもらおうと、乳酸菌飲料ヤクルトとして商品化したのが始まりである。博士は、一人でも多くの人に飲んでもらえるように願い、ヤクルトの製造・販売権を望む人に分け与えていった。「誰もが願う健康を、誰もが手に入れられるよう、ハガキ1枚、タバコ1本の値段で届けられるヤクルト」。これが当初のヤクルトのスローガンだそうだ。ヤクルトは単なる利益追求の事業ではなかった。
http://www.yakult.co.jp/company/origin/origin.htm
http://www.yet.co.jp/hataraki/hata1.html
http://be.asahi.com/20030726/W16/0034.html
もう一つ、ヤクルトの性格を示すものに愛の訪問活動がある。これは、ヤクルトおばさんが商品を届けるさいに、「地域の独り暮らしのお年寄りの話し相手になったり安否を確認するという、地域に密着した活動」。独り暮らしの老人が人知れず亡くなったことに胸を痛めた福島県郡山市のヤクルトおばさんが自費で、地域の独り暮らしの老人にヤクルトを届けながら安否の活動をするようになったのが切っ掛けだそうだ。この一人の活動がやがて会社全体の活動となり、さらに、「この活動に共鳴した地域の民生委員の働きかけにより、自治体の協力を得て、「愛の訪問活動」の輪は、全国各地に広がりました」ということである。
http://www.yakult.co.jp/company/corpo/main.htm
ヤクルトというのはある種社会福祉的な側面をもった会社である。このため、松園氏は、球団経営に当たっては、和を重んじるアットホームな経営をモットーとし、選手はトレードに出さない、クビにしないという逸話が残っている。荒川監督の後を受けて就任したこれまた巨人出身の広岡監督のもと、78年に初優勝をかざってしまうが、優勝時の年俸アップは一律にといった様に、ぬるま湯的な風土が露呈し再び優勝から遠ざかっていく。
85年、プロ野球選手会は労働組合として認可され、選手会はストライキ権を持つようになるが、このときヤクルト選手会だけが、労組プロ野球選手会から脱会する。和を重んじる松園氏のご威光に、ヤクルト選手会も縛られていたようである。古田選手会長を擁する今のスワローズを考えると隔世の感がある。
89年には、さすがのヤクルト選手会も労組プロ野球選手会に復帰する。90年には野村氏が監督に就任し、古田が入団している。このころ、さしもの松園氏も衰えを見せ、89年からヤクルト本社の桑原潤社長がオーナー代行に就任していた。91年3月には松園氏に替わり、桑原潤オーナー代行が新オーナーに就任すると、強化路線がとられ、松園氏の呪縛が解かれたスワローズは、野村監督のもと、常勝球団になっていく。92年に14年ぶりにリーグ優勝すると、以後93年、95年、97年と一年おきに日本一を飾った。
ところが、98年、ヤクルト本社がデリバティブ(金融派生商品)取引など財テクの失敗で1000億円を超える損失を出し、桑原オーナーは引責辞任してしまう。このとき、ヤクルト本社は、全国各地の販売店から多くの抗議を受けた。この後を受けた新オーナーはなんと、故松園尚已氏の双子の兄という松園直巳新オーナーであった。
http://homepage3.nifty.com/nam-oto/n-nikki%207.htm
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ヤクルト・スワローズの親会社はヤクルト本社である。普通、本社があって、後から販売店ができるものだが、ヤクルトの場合は、販売業者が各地にできてから、これら販売店を組織化し統合するためにできたのが「ヤクルト本社」であった。社名に「本社」の名称が入っているのはこのためである。この本社設立の推進役となったのがヤクルト球団の初代オーナーの松園尚已氏であった。
http://www.yakult.co.jp/company/history/history.htm
http://www.sanbou.net/retsuden/ma/matsuzono.htm
長崎の一業者に過ぎなかった松園氏は、各地の販売業者を説いて回り、1955年製造・販売各社を統合したヤクルト本社を設立。松園氏は、関東ヤクルト製造社長、本社専務を経て68年本社社長に就任。その途中、63年には有名なヤクルトおばさんが誕生する。今はヤクルト・レディというらしいが、ヤクルトおばさんのほうが通りがいい。ヤクルトおばさんというヤクルト独自の宅配制度は、生きた乳酸菌を毎日新鮮なうちに届けるために採り入れた制度だそうだ。
このため、各地の販売店やヤクルトおばさんを束ねていく必要があり、松園氏の社長就任とともに、ヤクルトのシンボルとして球団経営をおこなうようになったのが、ヤクルト・スワローズの始まりである。つまり、スワローズはヤクルトおばさんのためにできたといっても過言ではない。事実、初優勝した78年のファン感謝デーだっかで、神宮球場のグラウンドで東京音頭をヤクルトおばさんが選手と踊ったは象徴的であった。
初代オーナーの松園氏は、巨人戦に勝たなくてもいいという方針であった。巨人戦に勝つとヤクルトおばさんが売りにくくなるからということもあったが、なんといっても松園氏自身が熱烈な巨人ファンだったからである。ヤクルトおさばんが誕生した63年、ヤクルトがサンケイ・アトムズの経営を承継した68年は、まさに「巨人、大鵬、卵焼き」の時代であった。
松園氏は、巨人ファンであることを公言して憚らなかったようで、某週刊誌が12球団のオーナーに「あなたはどこの球団のファンですか」というアンケートをとったとき、巨人ファンと答えたという逸話が残っている。また、親巨人的な行動もしばしばで、江川事件のとき巨人に代わって新リーグ結成に暗躍したというエピソードもある。長島茂雄の息子一茂をドラフト1位指名でとったのもヤクルトであった。
ドラフトといえば、大洋にとって最大の禍根である荒川事件がある。王の一本打法の育ての親荒川博氏の養子で、早稲田大学で活躍していた尭氏であった。この早稲田で同じくクリーンアップを打ち、中日に入団したのが今年から社会人の西多摩倶楽部の監督になる元中日の谷沢氏であった。尭氏は、「巨人かヤクルトにしか入団しない」と主張していたが、それに対し、大洋が強行指名。大洋との入団交渉さえ拒否する尭氏がその後、大洋ファンと思われる暴漢に襲われ事件があった。その後、大洋入団直後ヤクルトに電撃トレードされ、ヤクルト入りするも、暴漢に襲われ後頭部を強打した影響で左目の視力が低下し、思うような活躍もできず、4年でユニフォームを脱いでいる。
http://www2.plala.or.jp/ippeifuji/p-k2-18.htm
暴漢の行為は許されるものではないが、荒川家とヤクルトとの親密な関係については、68年からオーナーとなり熱烈な巨人ファンでもあった松園氏の影響が大きかったものと思われる。父親の博氏はその後、74年から2年半、スワローズの監督に就任している。
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295からのつづき
大鵬は、自叙伝を出しているが、題名はなんと、「巨人、大鵬、卵焼き」である。その中で「大洋、柏戸、水割り」という言葉が確か出てきた。白系ロシア人を父にもつ大鵬は、色白の長躯で身体も柔らかく、柔和な性格と柔軟な取組と相まって子どもや女性に人気のあったが、柏戸は、筋肉質で男らしい性格と相撲で、大人や男性に人気があった。
一方、当時の巨人は、13年連続、15回のホームランキング静かなる「王」と3年連続を含む6度の首位打者に輝いた燃える男「長島」という好対照のスーパースターを筆頭に、それを支える広岡、柴田、高田、堀内といったスターがきら星のごとく連なり、テレビの普及と合わせ、野球人気を子どもや女性にも広げていった。この巨人と対照的に前年最下位からの初優勝という三原魔術で玄人筋に人気があったのが大洋であった。
60年代、確かに大洋は強かった。ただし、60年代前半であるが。初優勝した60年を含む5年間で、優勝1回、2位が2回という成績を残している。62年、64年の2位は、どちらも優勝争いに絡み、特に64年には、「あと1勝で優勝だったが、ここからズルズル連敗。阪神に奇跡の逆転優勝をされてしまう」。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~eba/data/rslt.htm
つまり、当時子どもが好きなもの代名詞である「巨人、大鵬、卵焼き」の裏言葉として、大人が好きなものとして「大洋、柏戸、水割り」という言葉ができたようである。この「大洋、柏戸、水割り」という裏言葉にはネットを検索してみると、いろいろなバリエーションがあるらしい。「巨人、大鵬、卵焼き」に対し、卵つながりで「大洋、柏戸、目玉焼き」があり、関西では「南海、柏戸、ハムエッグ」となる。南海には魔術師三原と並び称せられる名将鶴岡親分がいた。
「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉には、強くて華があって甘い世界を連想する一方、マジョリティで単純な世界も想起する。これに対し、「大洋、柏戸、水割り」には、玄人の大人の世界とマイナーを好む孤高の世界が思い浮かぶ。
ところで、大洋はV9時代も実は強かった。V9の後半、「巨人の星」の時代、69年から71年の別当薫監督時代、大洋は3年連続Aクラス3位となり、エース平松を擁し、全盛期の巨人を苦しめた。巨人の星は68年から71年にかけて日本テレビ系で放映され、巨人に主人公の星と伴宙太が入団し、ライバル達は、阪神に花形満、そして大洋には左門豊作が入団している。当時、阪神もAクラスの常連だった。確かにこのとき大洋は強かった。そう、当時巨人ファンであった私にとって大洋は強くて憎い敵役であったのだ。
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1月25日モンゴル出身横綱朝青龍の全勝優勝で大相撲初場所が終わった。全勝優勝は、96年秋場所の貴乃花以来だという。一方、幕下では、外国出身力士が席巻する角界にあって久々の日本人力士期待の星が誕生した。貴花田(現貴乃花親方)富樫(元横綱柏戸)に次ぐ17歳6ヶ月の若さで幕下優勝を飾った萩原である。ここで柏戸という名前がでてきたが、この柏戸が活躍した1960年代というのは、まさに大相撲の黄金時代であった。この60年代の世相を表す言葉に「巨人、大鵬、卵焼き」があった。
私が子どもの頃、そう、1960年代、子どもの好きなものと言えば「巨人、大鵬、卵焼き」だった。この言葉は、東京オリンピックの前年1963年に流行し、大鵬の引退の71年、巨人九連覇の最後73年まで使われた。
60年代、巨人は、61年に監督が水原茂から川上哲治に代わると、1年おきの優勝の後、65年からセ・リーグ、日本シリーズ九連覇を飾り、プロ野球史上、最強と呼ばれる「V9巨人」をつくり上げ、「野球は巨人、司会は巨泉」の時代を築いた。1963年という年は、巨人がONそろい踏みで初めての優勝を飾った年だ。長島は、58年にデビューし、3割29本塁打で新人王に輝いたが、6年目の63年には打率341、本塁打37、打点112という最高の成績を残し、首位打者と打点王に輝いた。一方、前年、一本足打法を身につけ38本で初の本塁打王となった王は、63年には40本のホームランを打ち本塁打王となった。さらに、翌64年には年間55本の本塁打日本記録を作っている。
一方、大鵬は61年初場所若干20歳で大関となり、その年の10月には早くも21歳5ヶ月で横綱に昇進し、71年に引退するまでの通算
69場所で優勝32回、準優勝15回を飾り、60年代の大相撲黄金時代「柏鵬時代」を築く。この大鵬とともに柏鵬時代を築き、横綱に同時昇進したのがライバル柏戸であった。「色白の長躯で均整の取れた柔軟な体格の美男」であった大鵬に対し、柏戸は、筋肉質の長躯で「馬力や勝負の速さは物事に拘らぬ性格と同様の男らしさで観る者を惹き附けた」が、「体の固さと相俟って負傷も多く」横綱昇進後は負傷や病気に苦しみ、優勝回数では大鵬に大きく水をあけられた。ただ、対戦成績は、互角で人気では引けをとらなかった。
63年という年は、大鵬が前年から6連勝を飾る中、柏戸は連続休場が続き、復帰した9月場所で、千秋楽に大鵬との全勝対決を制し、「苦しかった後に勝ち取った栄冠だけに涙を堪えられずに人目を憚らず大泣きした」という。
http://www.fsinet.or.jp/~sumo/profile/1/19600101.htm
http://www.fsinet.or.jp/~sumo/profile/1/19580902.htm
296につづく
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「ダイエー 外資が買収画策
ダイエー株が急上昇、170円台だった株価がわずか1カ月で100円近く値上がりしている。2月の期末は売り上げ不振で厳しい決算予想がささやかれているのに、なぜなのか。市場では「保有しているリクルート株売却でダイエーの有利子負債が大幅に減る」(大手証券関係者)と解説されているが、本当の理由は外資の株集めだ。」(夕刊ゲンダイ:1月23日)
昨日、会社の帰り途、「ダイエー 外資が買収画策」という新聞の見出しが目に入ってきた。このダイエーはダイエー本社のことでダイエー球団のことではありませんでしたが、即座に思ったことは、「あの確認書はどうなるんじゃ」ということです。
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オーナー会議ではダイエーの中内正オーナー(44)が、ダイエー本社の高木邦夫社長からコミッショナーとオーナー会議あてに提出された「確認書」を読み上げた。確認書ではダイエー本社が引き続きダイエーホークス球団を保有する方針であり、球団株式の持ち分は変更されるものの、中内オーナー、高塚オーナー代行兼球団社長の地位に変更はないこと。両氏を中心とする球団首脳陣で球団運営を行っていくことを確認している。またダイエー本社の経営力の許す限り、球団への支援を継続し、野球機構の承認なしに球団を第三者に売却しないことを約束した。
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これは、去年11月1日のスポニチの記事です。10月31日のオーナー会議で、ダイエー本社がホークス球団を野球機構の承認なしに第三者に売却しないことを約束したものです。これには小久保の無償トレードというおまけまでついていました。
ところが、昨日の記事のように親会社であるダイエー本社のほうが外資に買収されたら、ダイエー本社が「確認書」の内容を守っても、今度は逆に、プロ野球協約に抵触してしまう恐れがでてきます。抵触する恐れがあるのが日本人以外の持株が49%を超えてはならないという協約28条です。ただし、ダイエー本社は、あくまでも日本国内の法人ですからどうなんだという気がしますが。
また、球団の譲渡、球団の保有者の変更ではありませんから、協約の31条には該当しないと思うのですが、実際上の保有者の変更ということで強引に持っていくかもしれませんね。でも、さすがのナベツネさんも、外資のダイエー本社買収にはどうすることもできません。
「安く買って高く売るというハゲタカ商法に売ったらプロ野球の将来がなくなる。どうしても12球団じゃないと、というのはない。野球協約による57条(別項)とかの緊急措置も必要かもしれない。解散することがあっても、1球団の選手枠を増やして、ウエーバーで選手を取っていけば(ダイエーの選手は)全員、救済できる」と前回、ナベツネさんは、宣っていましたが。
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日本のプロスポーツも、やっと、スポーツビジネスに目覚めたようです。新球場建設問題が暗礁に乗り上げている広島ですが、一般向けに球団運営を講義する講座を開講するそうです。最終的には大学の講座に発展させたい(松田元オーナー)そうですが、私も近くなら講義を聴きたいものです。でも、ちょっと遠すぎるので、通信講座でもやってほしいものです。考えてみれば、独立採算球団という点では、日本で一番歴史のある球団ですからね。でも、講義の中身は講師の面子からみるとチーム運営の話みたいですね。
スポーツビジネスの取組は、サッカーの方が進んでいます。日本で初めてのサッカービジネススクールを2006年にも設立するそうです。Jリーグといえども企業スポーツの枠組を越えられないのが現状です。それを打破するための具体的な取組が進められています。
ところで、広島カープを、弱小チームから一躍強豪チームに導いたのが重松良典代表。ルーツ氏を監督に据え、初優勝を飾ったのは有名です。この重松氏は、元東洋工業のサッカー選手で、カープ退団後は、ベルマーレ平塚(当時)の社長をしていたようで中田英寿がペルージャに移籍した当時の社長です。
現在、J2に落ちている湘南ベルマーレが、伊勢原にある産能大学で、「スポーツビジネス実践講座」を開講するそうです。「プロスポーツクラブと大学のこうした連携は全国初で、世界的にも異例という」ということですが、広島カープ(プロ野球)は先を越されてしまいました。
2004年01月13日(火)
広島が一般向けに講座 ファン層の拡大狙う(デイリースポーツ)
広島は13日、一般向けに球団運営を講義する「プロ野球チームの作り方」を開講すると発表した。 26日から30日の午後6時から同7時半までの全5講座で受講料は無料。木下2軍監督、山内コーチ、長島スコアラー部課長、福永トレーナー部部長、白武スカウトが各講座を受け持ち、担当部門の役割を説明する。受講申込は電話082(222)2277、RCC文化センター「カープ講座事務局」まで。各講座45人で先着順。 球界では異例の試みに松田オーナーは「より身近な市民球団として取り組む。ファン層の拡大につながればいいし、最終的には大学の講座に発展させたい」と話した。http://www.daily.co.jp/newsflash/2004/01/13/112109.shtml
2004年1月17日(土) 12時30分
2006年にもサッカービジネススクール設立(サンケイスポーツ)
日本サッカー協会の平田竹男GS(44)が、2006年に日本初の本格的サッカービジネススクールを立ち上げる計画を16日、明らかにした。早大客員教授として最終講義を終え「サッカービジネススクールを立ち上げたいと真剣に思っている」と語った。大きな目的は2つある。
まずは、Jリーグなどのクラブ経営者にマネジメントの手法や理論を徹底教育する。「現在、優れたGMを育成するためのグループもない」。Jクラブでは親会社の出向社員らが務めるケースが多いため、経済学や経営学に精通したスペシャリストを育成する。早大では2年後にスポーツ経営学の博士課程が開設されるが「博士課程では我々へのフィードバックが少ない」。GM専門学校開講で、日本代表を支える人的資源を増やす。
第2は選手の引退後の人生のサポート。「Jリーガーにはモラトリアムの時間があまりに短い」。Jリーグ側が着手した選手のセカンドキャリアの支援を強化。再教育の環境を1年間用意し、選択肢を広げるつもりだ。http://sports.yahoo.co.jp/soccer/headlines/fuj/20040117/spo/12303900_sks_00000011.html
2004年1月18日(日) 神奈川新聞
◆産能大と湘南ベルマーレ
▲04年度から湘南ベルマーレと提携し、スポーツビジネス実践講座を開講する産能大学
産能大学(伊勢原市上粕屋、上野一郎学長)とサッカーJリーグ二部(J2)の湘南ベルマーレ(小長谷喜久男社長)は二〇〇四年度から、経営学的な観点でスポーツをとらえる「スポーツビジネス実践講座」を、同大経営情報学部に共同で開講する。日本で初めて「経営情報学部」を設置した同大が蓄積してきた理論と、ベルマーレの人的ネットワークやノウハウを融合。地域貢献やブランド力の向上だけでなく、欧米に比べ遅れが指摘されている「スポーツ産業」の発展を目指す。
プロスポーツクラブと大学のこうした連携は全国初で、世界的にも異例という。産能大所在地の伊勢原市はベルマーレのホームタウンの一つで、新たな地域密着型事業としても注目を集めそうだ。 http://www.kanagawa-np.co.jp/news/nw04011823.html
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シーズン・オフも稼ぐレアル・マドリード
去年の夏、アジアツアーを行い、2004年は米国ツアーを企んでいたレアルだったが、世界で唯一サッカーがbPでない米国だけでは、そんなに儲からないということで、今年もアジア・ツアーを行うことを決定。日本では2試合を予定、なお詳細は未定。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/headlines/20040102-00000014-spnavi-spo.html
http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/sports/20040114/20040114a5990.html
http://www.daily.co.jp/soccer/2004/01/15/112270.shtml
去年のツアーの話ならこれ↓
../../www.geocities.co.jp/Athlete-Crete/4031/wind3.htm#239
http://www.mainichi.co.jp/sports/muguruma/2003/0811.html
そのほか、東京近郊にサッカースクールをつくって将来はJリーグに参戦なんて話もあります。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040115-00000005-sks-spo
シーズン中も稼ぐレアル・マドリード
さらに、今度は、シーズン中も稼ぐレアルが発覚。なんとシーズン終盤の3月に南アフリカへの遠征を発表。12日間に4試合という強行スケジュール。そして、「マドリード−ヨハネスブルク間は、飛行機で往復20時間の長旅」。以下はZAKZAKの夕刊フジの記事から
http://www.zakzak.co.jp/spo/s-2004_01/s2004011606.html
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そのためレアルは2月28日のリーグ戦(対セルタ)終了後、すぐにマドリードを出発。翌29日の夜に現地に到着、中1日で南ア代表との親善試合を行い、終了後すぐマドリードへ戻らねばならない。
そして中2日で週末のリーグ戦(対ラシン)、3日後に、チャンピオンズリーグベスト8進出をかけ、強敵バイエルン・ミュンヘンをホームに迎えることになる。こんな殺人的スケジュールをクラブが承諾した裏には、南アの提示したギャラが大きくモノをいった。
2010年W杯誘致を目指す南アは、ドル箱といわれるアジアでの1試合の約5倍にあたる1000万ユーロ(約13億5000万円)を支払う予定。
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なお、アジアツアーも1試合の単価が、去年に比べ2倍強の600万ユーロ(約8億円)に値上がったそうです。
ジダン、ラウル、ロナウド、ロベルトカルロス、フィーゴ、にベッカムといったスーパースター軍団、白い巨人には休みはありません。一方、清原、ペタジーニ、高橋由、ローズに小久保といったスーパースター軍団、橙色の巨人は休みがち。元気なのはローズだけ。
http://news.goo.ne.jp/news/fuji/sports/20040116/20040116-f-26.html
ところで、ジダン、ラウル、ロナウド、フィーゴそしてベッカムの年棒は約8億1000万円で横並び。これ以上のマネーをもらっているのがメジャーリーグ。テキサスのアレックス・ロドリゲスの年俸は30億円。ヤンキースは平均年俸でも5億円。橙色の巨人たちの年俸はどうだったかな。
ちょっと追加。
http://number.goo.ne.jp/wsoccer_03_04/newyear_special/2004.01.09.html
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287でもみたようにプロ野球はチームスポーツでありリーグスポーツですから、プロ野球の内部には、選手・球団・リーグという利害関係者(ステイクホルダー)が存在します。これらプロ野球内部の利害調整を図るのが従来のコミッショナーの役割でした。このため、法曹界出身者がベストだと思われ現コミッショナーの川島氏は警察官僚の出身者ですし、次期コミッショナーは元検察官僚でかつ前公正取引委員会委員長、現在弁護士という肩書きです。法の番人といっても多くは官僚出身者でまあ天下り先の名誉職になってしまっています。これは両リーグ会長についても同じことが言えるのですが。
オーナー連にとっても、プロ野球の内部を知らない法曹界出身者は御しやすくまたとない連中ということになります。プロ野球の場合、日本も米国も2リーグ制をとっていますからリーグ間の利害の調整を図る中立機関として生まれ位置づけられてきました。米国の初代コミッショナーは、あのブラックソックス・スキャンダルで裁判で無罪になった選手8人を永久追放にしたケンソー・M・ランディス氏です。ランディス・コミッショナーは元最高裁判事で、イリノイ州判事のとき、第三のリーグ・フェデラルリーグから大リーグが独占禁止法違反で訴えられたとき、これを退け、大リーグには独占禁止法が適用されないという途を作った人です。
武田薫氏によれば、「国家的娯楽として独禁法の適用免除という、アメリカ社会においては極めて大きな特権を得た野球界は、フットボール(NFL)やバスケットボール(NBA)がこうむった独禁法違反の訴えに対する膨大な手間や裁判費用を免れた一方で、責任も果たしてきた」ということですが、この独占禁止法の日本の番人である公正取引委員会の前委員長が次期コミッショナーの根来氏です。
日本でも、プロ野球は独占禁止法に抵触しないようです。抵触していたら、前委員長がコミッショナーになるはずはありません、と思ってネット検索していたら、社団法人「日本野球機構」とコナミが、選手の実名などを2000年から3年間、独占使用できる契約を結んだことに対し、公正取引委員会は、コナミがプロ野球選手の肖像権を独占使用できる立場を利用し、他社の活動を不当に妨害した独占禁止法違反(不公正な取引方法)の疑いがあるとして警告しています。
プロ野球には、保留条項・ドラフト制やフランチャイズ制といった独占禁止法に抵触するおそれのある制度がありますし、リーグというのはそもそも独占体ですから、それだけをみても怪しいものです。ところが、スポーツには公共性がありますから、スポーツはそれがプロスポーツであっても、社会的公正を引き替えにある程度、ある種の独占性は許容されるのではないかと思っています。その社会的公正を保証することもコミッショナーの重要な仕事に思えます。
2004/01/31朝日新聞 根来氏一問一答
−野球協約は読んだか
「どう解釈していいのか、疑問に感じる条項もある。憲法は条文が変わらなくて解釈が変わってきているが、協約は時代の流れで改正している。それがどういう経緯なのか。」
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ところで、この石山本願寺の跡地に築城されたのが秀吉の大坂城です。大坂という地名は、1496年、本願寺の別院が建てられたときに初めて歴史に登場してきます。ですから、関西においては比較的新しい地名といえると思います。大坂は、畿内五国のひとつ摂津国東成郡(ひがしなりごおり)に属し、淀川と大和川の間を南北に横たわる上町台地北端に位置し、瀬戸内海から淀川を通じて京都に通じる水運の要衝でした。上町台地の東側が東成郡、西側が西成郡(にしなりごおり)です。現在の大阪市の市域の大半は、この東成郡と西成郡に属していたそうです。
「阪神ファンで有名な大谷教授の著書「大阪学」によれば、戦前までの大阪という地域は現在の大阪府と異なり、河内を含まない代わりに尼崎・西宮どころか、現在の神戸市東灘区まで」を指していたそうです。摂津国は兵庫県東端と大阪府北半にあたり、摂津国の東半分が大阪圏(明治になって「坂」は土に返るに通じ縁起が悪いので「阪」が使われるようになりました)だったということになります。事実、甲子園球場は、大阪の郊外開発として位置づけられたものです。ですから、阪神の設立時の名称「大阪タイガース」は間違いではなかったということになります。
ところで、次期コミッショナーの根来氏は和歌山出身ということもあり、幼少のころからこの「阪神ファン」だそうですが、和歌山出身だからといって必ずしも阪神ファンだとは限らないはずです。71歳の幼少のころなら阪急と南海が既にあったはずで、南海電鉄などは和歌山までつながっています。でも、根来氏の幼少のころって南海が強くなる直前のことかもしれませんね。南海の人気がでてくるのは二度目の優勝の1948年以降で、それまでは関西ではタイガースが一番強く人気がありました。1948年だと根来少年は15歳ぐらいですから。思春期がちょうど終戦から二リーグ分裂時までの藤村富美男、別当薫といった阪神全盛期の頃ということになります。
コミッショナー交代と読売グループ本社社長の交代を絡めて書こうと思ったのですが、今回は根来おもしろネタでお終いです。
それから、データ的に書き込んでおくとスポニチによれば「根来氏はパ・リーグの小池唯夫会長と知識人の集まりである「昭和7年間会」の同期生。法務事務次官時代には当時建設省事務次官だった豊蔵一セ・リーグ会長とも親交があった」そうです。
川島コミッショナーの実績は報知によれば「1984年にセ・リーグの第4代会長に就任。98年、吉国一郎・前コミッショナーの後を受け、両リーグの会長としては初めてコミッショナーに就いた。これまで、米大リーグ開幕戦の日本開催に尽力したほか、昨春のセンバツ高校野球開会式に出席するなどプロとアマ、特に高校野球との宥和(ゆうわ)、協調体制に力を注いできた。」という記事がそれぞれ載っていました。
2004/01/31朝日新聞 根来氏一問一答
−阪神ファンだそうだが
「元松竹の真田重蔵投手が中学の先輩だった。52年に真田さんが阪神に移籍したので、阪神ファンになった。でも、やめるつもり。(弁護士の)バッジを外すほどではないが、携帯電話のストラップを外す感覚。」
ープロとアマの交流は
「プロがあってのアマであり、アマがあってのプロだと思う。その垣根が低くなることはいいこと。まず、常識やモラルを持った人がアマ選手を指導するようにしないといけない。処分については最後の話。」
※やはり「和歌山出身だから阪神ファン」というマスコミの単純な図式は誤りでした。松竹も関西の球団でしたね。ところで、真田投手が、中学の先輩ということは中学は海草中で、海草中は真田投手の活躍で1939年から甲子園で二連覇しています。それから面白いのが、真田投手は、阪神退団後評論家を経て、1958年から大阪・明星高監督となり、63年夏の甲子園では、和田 徹捕手(阪神・南海)を擁して優勝を飾っています。プロ野球と高校野球との間にもかつては、このようにいい関係あったあったわけで、対立はどちらにとっても不幸なことだったと思います。
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川島広守コミッショナー(81)が3月の任期を待たず、1月末日で退任し、後任には前公正取引委員会委員長で、弁護士の根来泰周氏(71)が内定したそうです。根来氏は、和歌山県の出身で、かつて阪神の私設応援団に所属していた虎党として有名だそうです。
根来と書いて「ねごろ」と読みます。和歌山出身で根来といえば、戦国時代の「根来衆」を思い浮かべます。根来衆は、NHKの大河ドラマ「国盗り物語」にも雑賀衆とともに登場していたと記憶してますが、最近では千葉真一の「影の軍団」や「仮面の忍者赤影」など悪役忍者集団で有名です。
根来衆は、鉄砲集団としても有名です。鉄砲は1543年、種子島にポルトガル人の船が漂着して伝来したと言われていますが、早くも1545年根来衆の一人津田監物算長が種子島から持ち帰り紀州根来に伝えています。
http://www.m-network.com/sengoku/kisyu/negoro.html
戦国の群雄割拠の時代、和歌山では高野山で知られるように社寺の勢力が強く、戦国大名は育たず、中小豪族の力が強かったそうです。根来衆とは、紀州北部(紀ノ川の上流部)にある根来寺(真言宗)を本拠とする僧兵軍団で、泉州南部まで支配権は及んだそうです。
また、紀ノ川の平野部はこれまた雑賀衆と呼ばれる土豪集団が支配していましたが、紀ノ川の下流域は、真言宗ではなく浄土真宗の影響が強かったそうです。雑賀衆で有名なのが、織田信長と石山本願寺(浄土真宗、一向宗)の闘いで本願寺側につき信長を苦しめた鈴木一族です。この鈴木一族の家紋はなんと三本足の八咫烏(やたがらす)、日本サッカー協会のロゴと同じです。因みに、次期コミッショナーの根来氏は、住職の資格をもっているそうですが、根来寺の真言宗ではなく本願寺派の浄土真宗だそうです。(2004/01/31の朝日新聞にやれば和歌山市内の実家が浄土真宗のお寺だそうです。)
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/ojikoji/intv/negoro.html
浄土真宗(一向宗)の総本山本願寺は、もともと京都にありましたが、戦国時代乱を逃れ大坂の石山本願寺を総本山としていました。石山本願寺は結局、1580年に信長によって滅ぼされますが、このとき根来衆は、信長方についています。根来衆や雑賀衆は、群雄割拠の戦国時代を傭兵軍団として巧みに生き抜きますが、1585年、秀吉の紀州攻めによって滅亡します。なお、本願寺はその後京都で再興されています。
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1月4日朝日新聞朝刊の読書案内のコーナーで「東京から日本経済は走り出した」(財部誠一著 講談社 1500円)の書評が載っていました。書評者は、作家の高任和夫氏。
「実際、東京は変わったようにみえる。とくに中心部の変化はめざましい。それもそのはず、99年度に千代田、中央、港の三区で着工された工事量(床面積)は、すでにバブル時代を凌駕しているという。六本木ヒルズや汐留の再開発が着工された頃だ。しかし、ビルラッシュだけではない、99年から2002年までに、都内23区の人口は23万人もふえたらしい。ちょっとした地方中核都市に匹敵する数字ではないか。ソフィスや人口が増加すれば街の様子も変わる。この本はその実態の丹念なリポートである。」
現在の東京の状況が端的に書かれていたので紹介してみました。同書の紹介文には「グッチが推定90億円で銀座の不動産を購入。六本木ヒルズ・汐留シオサイト・品川グランドコモンズなどが続々オープン。日本経済全体としても新日鉄など重厚長大産業の復活、松下電器の変身など展望は明るい!!驚愕のデータと緻密な取材をベースに、東京の一極集中から一点突破へと、まったく新しい視点で経済をとらえ直した画期的日本再生論。」とありますね。まだ、この本を読んだわけではないし、購入してもいないし、購入するかも分からないものですが、現在の東京一極集中が日本再生の突破口になるのかどうか。「地方からブランド創りは始まった」という章もありますね。とりあえず紹介まで。
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スポーツビジネスといえども、それぞれのスポーツの特性を反映しています。そこで、今回は、ベースボールの仲間達、団体球技のプロスポーツの特性についてまとめてみました。今後、プロ野球を理解する上で何度もでてくる概念だと思います。
チーム・スポーツ 野球は、投手対打者といった個人競技的な要素がありますが、1人では試合をすることができません。野球は、9人対9人のチーム対抗のスポーツであり、1チーム9人の選手がそろわなければ試合は成立しません。プロ野球では、チームは球団という営利組織によって運営されます。選手はプレーに専念し、球団の運営は専門のスタッフが行います。選手は契約により球団との雇用関係が発生します。
リーグ・スポーツ 野球は1チームだけでは成立しません。相手チームがあって初めて試合が成立します。プロ野球は、1球団では成立しません。恒常的な球団運営には、3球団以上による総当たりのリーグ戦が不可欠です。リーグ加盟球団は、相互扶助の関係にあり、リーグ戦を興行する共同体を構成することになります。リーグと球団の関係は、フランチャイザー(本部)とフランチャイジー(加盟店)の関係となります。
スペクテイター・スポーツ 野球には観客がつきものでした。野球には、ファウル・ラインがあり、観客は、ダイヤモンドの間近で選手のプレーを見ることができます。アメリカでは、貴族階級やブルジョアジーといったパトロン階級が稀薄だったので、プロ・スポーツの主たる収入源は、庶民の入場料であり、観戦型スポーツ(スペクテイター・スポーツ)が発達しました。ベースボール(野球)は、そのスペクテイター・スポーツの典型です。
メディア・スポーツ スポーツは、非言語的で年齢や性別を問わず多くの人びとに受け入れられる一般性、公共性を持っています。メディアにとって、多くの人びとの関心が集まるスポーツ、中でもはスペクテイター・スポーツは、最良のコンテンツとなります。メディアの発展はさらに、スポーツ自体をメディア化して行きます。メディア・スポーツの登場により、スポーツにメディアとスポンサーという関係が生まれます。
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2004年元旦にちなみ私の大好きなプロ野球賛歌です。日本のコミッショナーもこんな感動的な話がしてほしんですがね。これは、昔セントラルリーグの野球教書に載っていたものです。2000/12/28のラクガキ帖にも取り上げたものです。では、
あるプロ野球賛歌
(セントラル野球教書から)
「1969年は,プロ野球が生まれて100年目になりましたので,米国では盛大に100年祭が取り行われました。そのおりにボウイ・キューン(コミッショナー)とフィル・ピトン(ナショナル・アソシエーショ会長)が連名でステートメントを発表しました。それを,部分的に引用しましょう。
『野球とともにあってください。野球場に来てください。そこには,アクションがあります。
楽しさに参加してください。興奮に参加してください。ドラマに没入してください。それが野球です。
野球は,清潔で,楽しいゲームです。生き生きとしており,チャレンジがあります。老若男女すべての人のためのものです。全国民のためのゲームです。
野球はすべての人のためのゲームです。男女を問わず,人種を問わず,貧富を問わず・・・・。
野球は少年にアンビション(野心)を起こさせます。機会があれば夢は現実になります。それは,サスペンスです。1球1球,1イニング1イニングが・・・・。
野球はビューティフルです。音楽なきバレー,セリフなきドラマ,比類なき輝きを持つダイヤモンドです。始球式に大統領が投げるのは野球のスタジアムだけです。
野球はハンク・アーロンやハーマン・キルブルーが打つ「キングサイズ」の本塁打です。両ロビンソンやクレメンティやヤムストレスキーがただき出す痛烈なベースヒットです。モーリー・ウィリズやルー・ブロックが見せる閃光のような脚力です。ピート・ローズや万能名人ウィリーの見せる興奮であり,スタイルです。デニー・マクレーンやボブ・ギブソンが投げるフレームです。トニー・コニグリアロのむき出しの闘志です。
野球は,喜びです。リラックスさせるものです。
原稿なしの演説です。
野球は,長い伝統を持つナショナル・パスタイム(国民的娯楽)ですが,一瞬ごとにモダンなものに生まれ変わりつつありませ。1世紀も続いたアトラクションですが,楽しさと興奮は代わりありません。
実際,今日のゲームはより良くなっています。見物がより楽しくなっています。また,便利になっています。球場は汚れなくきれいです。...多くは名所化しています。ダイヤモンドはエメラルド。グリーン。席は広く楽です。設備はあなたの家族,友人にフィットします。(後略)』」
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「なぜ,東京だけが一極集中したのでしょうか。作家で元経済企画庁長官堺屋太一氏によれば,これは自然に起こったわけではなく,官僚が大変なコストをかけて,行った結果ということになります。国家官僚は,全国の市場を均質化し,規格化した商品が売れやすくするため,日本全国を有機的に結合し,産業経済の中枢整理機能や情報発信機能,文化創造機能を,東京一極に集中することにしたというのです。」
../../www.geocities.co.jp/Athlete-Crete/4031/toshi1.html#5-3
戦後の人口の都市集中は、大きく三回あって、ひとつは高度成長期、このときは東京圏、大阪圏、名古屋圏といった三大都市圏に人口が集中しました。これは、オイルショックによってストップします。このころ言われたのが地方の時代です。
二回目の都市集中は、バブル期です。これは東京圏への都市集中です。このとき、東京への一極集中の是正策として、横浜、千葉、埼玉地区への業務核都市構想が生まれました。横浜の「みなとみらい地区」、千葉の幕張、さいたまの副都心(スーパーアリーナがあるところ)がそれです。これも、バブルの崩壊でストップします。
そして、最後が、今の平成デフレ期です。これこそが、まさに東京への一極集中です。バブルの反省から、規制緩和が叫ばれ、東京都心部の建築制限が緩和された結果、いまや都心部には汐留や品川地区、六本木ヒルズといった巨大ビル群が誕生しています。また、都心部の工場跡地には高層マンションが建てられ郊外の戸建てからの人口流入が続いています。
この状況を見てみると、当初中央官僚主導で始まった東京への一極集中が、次第に完了の統制を離れ、一人歩きを始めているのが分かります。高度成長期までは、官僚の統制が効いていたものが、次第に官僚の統制が効かなくなり暴発(バブル)してしまいました。そして、バブルは官僚の統制が原因ということになり、官僚は都市への統制を止めてしまいます。この結果おきているのが、現在の東京一極集中です。
ところで、従来、中央官僚の中央集権性を補完していたのが、自民党のムラ政治です。シャウプ税制と相まって地方に公共事業という所得再分配政策がとられました。この公共事業、従来の上下水道、道路に橋といった生活基盤に代わって、バブル期以後、音楽ホールやスタジアムといった文化施設、スポーツ施設も作られるようになりました。
ワールドカップの競技会場もこれに含まれますが、地方の大型球場の多くはこのころ建てられたものです。地方にはりっぱな公営球場がありますが、大都市にはありません。サッカー場は、ワールドカップという国家的な事業にによって、大都市にも競技場が作られましたが、プロ野球には公共性がないのか、野球場は、ドームという多目的施設に代わってしまいました。
ところが、今や、文化施設やスポーツ施設といった箱モノ行政に対する批判が高まっています。横浜でも、ワールドカップ会場となった横浜国際総合競技場を「改革派の教授」がやり玉に挙げていました。
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球場がなければ、プロ野球は成立しません。プロ野球の球場は、グラウンドでだけでは成立しません。プロ野球の球場には、グラウンドの他に観客席が必要です。観客のいないプロ野球は存在しないし、観客がいなければプロ野球は成立しません。観客席があって初めてプロ野球の球場となります。ただし、これはスペクテイター(観戦)スポーツとしてのプロ野球の考え方においてです。
正力松太郎の考えたプロ野球では、観客は手段に過ぎませんでした。正力のほしかったのは読者、すなわち、読売新聞の購読者でした。正力の考えたのはスポンサード・スポーツとしてのプロ野球でした。スポンサード・スポーツには、古きヨーロッパにみられるパトロン・スポーツと現代のメディア・スポーツの二つのタイプがありますが、正力の考えたプロ野球は、その中間形態ともいえるメディアをパトロンとするスポンサード・スポーツでした。
この形態は、朝日新聞による中等学校野球選手権大会や毎日新聞による都市対抗野球など、先例があります。メディアと言った場合、一般的には、新聞やテレビといった情報系列のメディアを指しますが、鉄道は、明治時代のニューメディアともいわれる交通系のメディアです。
先に生まれ消えていった日本運動協会(芝浦協会)や宝塚協会など、スペクテイター・スポーツとしての日本のプロ野球は時期尚早と感じたのか、ただ単に読売新聞の購買のためだけを考えてなのかという問題が残りますが、とにかく、この新聞と鉄道といった二つのメディアをパトロンとするスポンサード・スポーツとしてプロ野球は再出発しました。
鉄道は、直接観客を運ぶことにより便益を受け取ることができる点が、新聞社と異なっていました。鉄道は、スペクテイター・スポーツとしてのプロ野球に直接依存しており、鉄道系の球団は、球場の建設に積極的でした。日本職業野球連盟設立当時、専用球場を持っていたのは鉄道系の球団でした。
正力の東京巨人にしても専用球場を持っていませんでした。巨人といえば後楽園球場でしたが、そもそもは後楽園球場と巨人は関係がありませんでした。、そもそも後楽園球場は、当初は職業野球連盟設立後少し遅れて誕生したイーグルスの所有というか、イーグルスの親会社でした。それが、正力が、球場建設のどさくさに紛れて巨人の第一使用権を手にいれたことに始まります。
後楽園球場とイーグルスは、日本運動協会の創立者でもあった押川清と河野安通志が、「球場と所属チームは一体であるべし」の理想のもと設立しますが、このころの職業野球だけでは経営が行き詰まり、球場と球団は分離してしまいます。つまり、職業野球は、スペクテイター・スポーツとしての理想は敗れ、メディアをパトロンとしたスポンサード・スポーツとして生き延びたということです。
| 東京 |
東京巨人軍 |
読売新聞 |
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| 大東京軍 |
国民新聞 |
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| 東京セネタース |
西武鉄道 |
上井草球場 |
| 名古屋 |
名古屋軍 |
新愛知新聞 |
|
| 名古屋金鯱軍 |
名古屋新聞 |
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| 大阪 |
大阪タイガース |
阪神電鉄 |
甲子園球場 |
| 阪急 |
阪急電鉄 |
西宮球場(宝塚球場) |
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球場というのはプロ野球の選手にとったら舞台であり、球団にとってはお店です。球場で選手はプレーをし、球場で観客はそのプレーを観戦します。スペクテイター・スポーツでは、その観客の入場料によって球団が経営されていきます。ところが日本のプロ野球は、舞台であり、店舗である球場を球団が持っていません。持っていないというのは、所有していないし、管理運営もしていないということです。日本のプロ野球場の大半が貸し球場で、球団と同系列であっても別会社です。売店収入や飲食収入、広告収入は球場に入り、球団の懐には直接入ってきません。そのうえ、高い使用料を別途支払わなければいけません。日本のプロ野球というのはスペクテイター・スポーツとして考えると不自然なところがあります。
球場は、プロ野球にとって舞台であり店舗である
俳優の演技は、舞台で演じられることによって、初めて意味をなし、観客に何かを伝えることができる。観客はその何かに価値を見いだし対価を払う。俳優の演技を引き出し、引き立てるのが舞台である。舞台は、舞台の上だけでなく、会場全体が舞台となる(歌舞伎の花道なんぞは、その典型である)。舞台は俳優の演技を演出する。歌舞伎には歌舞伎座が、オペラにはオペラハウスが最高の舞台となる。俳優に最高の演技を演出してくれるのが最高の舞台である。
日本の球場は、プロ野球の最高のゲームを演出してくれる場所なのだろうか。
売り手と買い手の接点は、店舗である。店舗を通じて、売り手と買い手は出会い、商品の売買が成立する。これは、移動店舗であれ、仮想店舗であれ同じである。成熟した消費社会では、商品の購入の動機は、商品の性能ではなく、商品によってもたらされる満足感だという。いまや、店舗それ自体が商品となる。生産即消費である定置場型のサービス業では、なおさらである。
日本の球場は、買い手である観客に満足感を与えてくれる場所なのだろうか。
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12月25日のヤフー(読売新聞提供)によれば、サッカー・イタリア・セリエAの中田英寿が所属するパルマの親会社パルマラットが破産したそうです。イタリア式カイシャフランチャイズも限界のようです。中田のボローニャ移籍もその影響でしょうか。「子会社の不正経理問題で経営危機に陥っていたイタリアの食品最大手パルマラットは24日、パルマ地裁に破産法の適用を申請した。負債総額は明らかになっていないが、90億ユーロ(約1兆2000億円)に達すると見られている。」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031224-00000226-kyodo-int
パルマラットは、パルマにある大企業で会社名も地名と同じことから、当初は会社も含めてジャパンマネーを意識して、中田を獲得したようですが、思うようにはいかなかったようです。そして、今、ジャパンマネーを狙っているのが柳沢の住むジェノバで、日本人「増客作戦」を立てているそうです。12月24日の朝日新聞によれば「サッカー日本代表FW柳沢敦(サンプドリア)の住むジェノバ市が、日本人の「増客作戦」を展開している。市のナンバー2が指揮を執り、観光スポットの改装工事も進む。 市内の大手旅行会社「トラモンターナ」は、現地在住の日本人と提携。近く日本語HPを立ち上げ、試合観戦と市内観光を抱き合わせた商品を売り出す。グアスタビーノ議長は「あとはヤナ(柳沢)次第なのだが……」。 http://www.asahi.com/sports/update/1224/073.html
次は、米国の話題三題です。まずは、25日の朝日新聞の記事によれば、メジャーリーグの2003年の選手年俸が確定したそうです。それによればメジャーリーグの平均年俸は、2億5620万円 (03年、AP調査 )で、8年連続の上昇になるそうです。ただし、増加率は、「昨年より3.3%増。01〜02年は7.3%増、その前の3年間は10%以上の伸び率を示していただけに、抑制傾向にある。昨年締結された新労使協定の影響も考えられる」とのこと。そして、その新労使協定で取り決まられたのが、ラグジュアリー・タックス(贅沢税)です。
| ◆平均年俸上位5チーム◆(ドル、円) |
| 順位 |
球団名 |
ドル |
円 |
| 1 |
ヤンキース |
4,687,002 |
5億0620万 |
| 2 |
ドジャース |
4,212,418 |
4億5494万 |
| 3 |
レッドソックス |
3,578,193 |
3億8644万 |
| 4 |
ブレーブス |
3,465,626 |
3億7429万 |
| 5 |
マリナーズ |
3,440,751 |
3億7160万 |
| ◆平均年俸下位5チーム◆ |
| 26 |
インディアンス |
1,434,747 |
1億5495万 |
| 27 |
レッズ |
1,261,634 |
1億3626万 |
| 28 |
パイレーツ |
1,159,132 |
1億2519万 |
| 29 |
ブルワーズ |
1,153,912 |
1億2462万 |
| 30 |
デビルレイズ |
776,775 |
8389万 |
|
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| 【過去15年の平均年俸】 |
| 年 |
平均年俸 |
伸び率 |
| 1989 |
497,254 |
|
| 1990 |
597,537 |
20.17% |
| 1991 |
851,492 |
42.50% |
| 1992 |
1,028,667 |
20.81% |
| 1993 |
1,076,089 |
4.61% |
| 1994 |
1,168,263 |
8.57% |
| 1995 |
1,110,766 |
-4.92% |
| 1996 |
1,119,981 |
0.83% |
| 1997 |
1,336,609 |
19.34% |
| 1998 |
1,398,831 |
4.66% |
| 1999 |
1,611,166 |
15.18% |
| 2000 |
1,895,630 |
17.66% |
| 2001 |
2,138,896 |
12.83% |
| 2002 |
2,295,649 |
7.33% |
| 2003 |
2,372,189 |
3.33% |
| (単位はドル) (12/24 17:03) |
|
次の話題は、その贅沢税を払うことになったのはやはり、ヤンキースだけだったというお話です。25日の毎日新聞によれば、
「米大リーグで新たに導入された選手年俸に対する課徴金は今季、ヤンキースだけが支払い対象球団」になり、支払金額も「1182万ドル(約12億7000万円)」(AP通信)にのぼるそうです。
※ 「ぜいたく税」とよばれる課徴金は昨年、機構と選手会の間でまとまった労使協定に盛り込まれた年俸抑制策。導入1年目の今季は、選手の年俸総額が1億1700万ドル(約126億円)を超えたチームが、超過分に対して17.5%を大リーグ機構に対して支払うことになっている。ヤンキースは今季の年俸総額が1億8450万ドル(約198億円)で、他の29球団を大きく引き離した。また、収入の多い球団が少ない球団に対して支払う「再配分制度」によって、さらに5000万ドル(約53億7000万円)を請求される見込みだ。
最後にヤンキースのスタインブレナー・オーナーの話
『AP通信』によれば「ニューヨーク・ヤンキースのジョージ・スタインブレナー・オーナーら球団幹部3人が、ニューヨーク市長を始めとする市の幹部にヤンキース戦の無料チケットを贈り、この報告を怠っていたとして、同州の調査委員会から召喚を受けたと伝えている」とのこと。
まあ、いろいろありますね。
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1744年のベース・ボールの絵というものが「ベースボール創世記」(佐伯泰樹著)にでてきますが、その絵のベースは、杭になっています。ところで、BASEという言葉を調べてみると、BASEの語源はラテン語の「土台」で、英語の意味としても、物を支える土台という意味の基部・底・土台、さらには台座という意味が基本になっています。そこから、(行動・計画などの)出発点、基点、(軍の)基地、(野球の)塁、ベース、(競技の)出発点やゴールという意味を持つようになったようです。New College English-Japanese Dictionary, 6th edition (C) Kenkyusha Ltd. 1967,1994,1998
BASEには、杭のような意味が出てこないのですがどうしてでしょうか。日本マサチューセッツ・ゲーム協会のHPには、タウンボール(マサチューセッツ・ゲーム)のルールが載っていますが、そこでは、「ベースは木製の杭で、地面から4フィート(1.22m)突き出している」と規定されています。また、そのHPではベースのことを基地と訳しています。
../../www.geocities.co.jp/Athlete-Crete/8414/townball.html
一方、1845年にカートライトが作った、ベースボールのルール(カートライト・ルール)の中には、ベースの形を規定した項目はなく、あるのは「正式な試合では、スタンプ・マッチをしない」という規定です。スタンプ(STUMP)とは、木の切り株という意味で、クリケットではウィケットの三本ある柱のことを言います。ピッチ・スタンプ(pitch stumps)でクリケットを始めるという意味になります。スタンプ・マッチといった場合、クリケットの試合にようにもとれますが、ここでのスタンプ・マッチは、ベースボールのルールの中での言葉ですから、敢えて「クリケットはしません」というのもおかしな話です。素直に読めば、ベースに杭を用いたタウンボールのことを指していると思われます。
タウンボールは、地域ごとにさまざまなルールの違いがあって、名称もさまざまでした。その中でベース・ボールという名称もよく用いられ、カートライトもごく自然にベース・ボールという名称を用いたようです。おそらくニューヨーク近辺では、タウンボールのことをベース・ボールと呼んでいたのでしょう。カートライトらがニッカーボッカー・ベース・ボール・クラブを結成した当時、既に先輩格にあたるニューヨーク・ベース・ボール・クラブというものが存在していました。ですから、カートライト自身、新たなスポーツを考案したというよりも、自分たちのタウンボールのルールを考案したと考えていたのではないかと思うのです。なぜなら、タウンボールは、地域ごとにさまざまなルールの違いがあったからです。
そうだとすれば、カートライト・ルールに、スタンプ・マッチという言葉がでてくるのは自然なことであり、さらに、タウンボールには、スタンプ・マッチと非スタンプ・マッチがあり、カートライト・ルールでは、正式な試合では、スタンプ、つまり、ベースに杭を用いないということを示しています。
つづく
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上原投手の代理人問題は、代理人を務めた加藤弁護士が読売巨人軍の三山代表に、”「意図的に文書通知をしないことを球団と合意し、公式な代理人とならないことを図ったかのような事実はない」”などとして、警告書を郵送する事態となりました。12月4日には読売巨人軍からの回答書が加藤弁護士あてに届き、加藤弁護士は、”同代表から、誤解を招く発言をしたことを認める回答があったことで、「当職と上原選手の名誉の回復がある程度達成された」として”、法的措置をとらないことにしたそうです。
「ボクはお金の話はしたくないから、(代理人が)非公式なところで話して、最後に一発サインすればいい」という10月15日の上原投手の話に尽きます。11月27日に行われた上原投手の契約は、まさにこれでした。読売巨人軍三山代表と上原投手の代理人である加藤弁護士が「非公式なところで」4、5回事前交渉し、話がまとまったところで、「最後に」上原投手が登場し「一発サイン」という結果になりました。これは、三山代表は認めています。ただし、加藤弁護士は「オーナー会議合意事項」で定義された代理人ではなかったというだけです。
意図的であろうが、なかろうが、それは問題ではありません。問題となるのは、今回の代理人交渉が、「オーナー会議合意事項」を必要としなかったことです。
次は、11月28日の産経webの記事です。
”オーナー会議で合意した手続きを踏まなければ、だれでも「アドバイザー」として「事実上の代理人」を務めることができる、との今回の例は、他球団にも影響を及ぼしかねない。12球団の経営側は、代理人交渉をめぐる日本プロ野球選手会との話し合いで、代理人の拡散を防ごうと、さまざまな“制限”を加えてきた。代理人反対の急先鋒(せんぽう)だった巨人が代理人交渉を活発化させかねない対応をするとは、皮肉だ。(佐藤正弘)”
そう、皮肉です。
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「ウインブルドンで採用されている冬芝は16°〜24℃が適温で25℃以上になると枯れてしまいます。」
千葉グリーン社のHPに「ペレニアルライグラスはイギリスで牧草として長い間栽培されており、芝生用としても使われていたが、アメリカでは寒暖が大きいことと病害に弱いため芝生用としては定着しなかった。」という記述がありました。ウィンブルドンの芝は、この系統かも知れませんね。
http://www.chibagreen.co.jp/basic/basic_knowledge_4.html
こんな広告もありましたから間違いないと思います。
http://www.engei.net/Browse.asp?ID=5385
耐暑性をみると弱になっています。耐寒性も弱ですね。乾燥にも弱い。でも、発芽・初期生育が早く、簡単に芝生を造りやすい芝草というのがこの芝草の特徴。メキシコ湾流のおかげで緯度のわりには気温が暖かく、冬でもあまり雪はふらず、一定した降水量のあるイギリスには打って付けということになります。でも寒暖の激しいニューヨークには向いていない。
http://www.chibagreen.co.jp/basic/basic_knowledge_5.html#hot
一方、ニューヨーク在住のダイスポさん情報によるとヤンキースタジアムで使われている芝草はMerion
Bluegrass(メリオン・ブルーグラス)ということですが、メリオンは、ケンタッキー・ブルーグラスの1品種で、耐暑性は中、耐寒性は強、乾燥には中。「初期の生長が遅いため芝生の造成には比較的時間を要しますが,地下で繁殖し丈夫な芝生を形成します」とのこと。
ロンドンとニューヨークの気温を見比べてみると
ロンドンは、
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最低 -3 -2 3 7 10 12 15 15 12 8 5 2
最高 7 7 8 10 13 18 19 19 16 13 9 8
ニューヨークは
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
最低 -3 -3 1 7 12 17 20 19 16 10 5 -1
最高 3 4 9 16 22 27 29
29 24 19 12 6
確かに、ニューヨークの方が寒暖が大きく、最高気温は6月〜8月にかけて25度を超えており、耐暑性の低いペレニアルライグラスでは夏枯れが出てしまいそうです。一方、ケンタッキーブルーグラスは、ケンタッキーという名前からしてアメリカ産のような気もしますし、アメリカの気候に向いてそうです。
下はケンタッキー州の気温です。だいたいニューヨークとおなじですね。
1月
2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最低 -5 -4 1 7 12 17 19 18 15 8 2 -2
最高 4 7 12 19 24 28 30 29 26 20 12 7
その後、これまたアメリカ在住のらいさんから、ケンタッキーブルーグラスの情報もいただきました。ありがとうございます。そういえば、ケンタッキーはケンタッキー・ダービーでも知られるように競馬が有名ですね。そこの競馬のトラック用に作られたのがケンタッキーブルーグラスということです。ネットで調べると、ケンタッキーの競馬は歴史が古く、1789年にまでさかのぼるそうです。ということは、19世紀ベースボールが生まれたころのニューヨーク地方の芝生は既に、ケンタッキーブルーグラスだった可能性もあります。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~louis/racecourse/usa/churchill_downs.htm
http://www.americanphoto.co.jp/pages/shasinshuchu/shasinshunanbu068.html
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2000年11月2日に代理人交渉が承認されたオーナー会議後、
渡辺オーナー「代理人が来たら(年俸を)カットしろと言う」
同8日に衆院労働委員会で不穏当発言として取り上げられた際に、
巨人広報部「渡辺オーナーも代理人交渉に応じることをきちんと申し上げております」
http://www.kyoto-np.co.jp/news/flash/2003oct/22/CN2003102201000391F1Z10.html
そらから3年後、エース上原投手が代理人交渉を希望。
上原投手「ボクはお金の話はしたくないから、(代理人が)非公式なところで話して、最後に一発サインすればいい」
http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200310/bt2003101601.html
渡辺オーナーは当初「交渉のテーブルには着くよ。だが、そういう選手は給料をカットする。嫌なら自由契約だ」と代理人交渉を否定。
三山代表「(代理人交渉は)望ましいかと言われれば望ましくない。彼の来季のことも考え、彼だけ特別扱いしたら、彼がチーム内で浮き上がっちゃう。たくさんいる選手の契約更改と一緒です。特別扱いするのは先輩選手にも失礼でしょう」
http://www.sponichi.co.jp/baseball/kiji/2003/11/26/01.html
プロ野球選手会の松原事務局長「代理人交渉は3年も前から認められた制度。それを認めないというのは、選手そのものを認めないのと同じ。これは、大人の対応なんかじゃない。子どもの対応で十分。今時の子どもはキチンとしてますからね」
http://sports.yahoo.co.jp/headlines/20031127/20031127-00000001-sks-spo.html
ところが、代理人交渉を強く拒否していた読売巨人軍は、結局、10月下旬から代理人と交渉を重ね、11月27日、上原投手とその代理人である加藤弁護士同席のうえ、事実上の代理人交渉を行い、上原投手と9000万円アップの推定年俸3億円で契約を結ぶ。
辣腕三山代表は、2000年11月2日のオーナー会議で決まった選手契約の交渉代理人に関する合意事項を1項目ずつ説明した説明したあげく、第7項の「選手による球団への代理人交渉通知の手続きに関して」の項目を読み上げた後、語気を強め
「さて7番目。この行為が今回なされていません。私どもとしては、上原君からの手続きに瑕疵(かし)があるため、特に弁護士番号が確認できないため、従って代理人ではないと。球団としては代理人交渉ではないということです」
定められた文書が提出されていないことを理由に、三山代表は加藤弁護士を上原の代理人と認めず、よって代理人交渉そのものが成立していないと主張。あくまでも巨人サイドでは代理人交渉が行われなかったとした。
http://www.sponichi.co.jp/baseball/kiji/2003/11/28/01.html
http://www.sankei.co.jp/reon/yakyu/1998/2003html/1128_001.htm
加藤弁護士「文書で代理人つけますというのは送ってません。ただ三山代表にお会いしたときに、当然『上原選手の代理人の加藤です』ということでお会いしてます。私が代理人になりますというのも十分伝わっている」
労組・日本プロ野球選手会の松原徹事務局長「第7項目は労使間で話し合ったこともない。我々は合意していない」
http://www.nikkansports.com/ns/baseball/p-bb-tp0-031128-0015.html
「オレに任せられてる裁量はほんのちっぽけなものなんだ」と三山代表
読売巨人軍三山代表
読売新聞東京本社の執行役員経理局長からの抜擢(ばつてき)。金銭面での交渉についてはプロ中のプロともいえる。さらに、78年の「江川事件」の時には、正力前オーナーの秘書として事後処理にあたり、見事に事態を収拾させた経歴も持つ。また、代表に就任してからも、原前監督の電撃解任、ダイエー・小久保の無償トレードなど、いかんなくその手腕を発揮。渡辺オーナーの“懐刀”といわれる。ZAKZAK 2003/11/25
http://www.zakzak.co.jp/spo/s-2003_11/s2003112507.html
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イギリスの首都ロンドンは北緯51度。日本の札幌が北緯43度ですから、かなり北の方にあります。サハリンと同じ緯度のため、夏は昼が長く、冬は夜が長くなります。ただし、メキシコ湾流の影響で緯度のわりには気温が暖かく、冬でもあまり雪はふりません。
イギリスの夏はとても短く、3〜4週間で終わってしまいます。気温も、20度を越えればいいほうで、25度を越えることは滅多にありません。この気候が、冬芝と呼ばれる寒冷地型芝の生育に最適でした。
【ロンドンの気温と降水量】
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最低 -3 -2 3 7 10 12 15 15 12 8 5 2
最高 7 7 8 10 13 18 19 19 16 13 9 8
降水量 76 53 57 56 56 59 49 57 75 62 83 77
寒地型芝は、冬芝とも呼ばれ、その特徴は、「冬季でも緑を保つが、暑さに弱い。最適な温度は、16〜24℃といわれる。25℃以上で枯れ始めるが、0℃以下でも芽や根は枯れることがない」というもので、まさにイギリスの気候に適したものでした。イギリスでは、枯れることなく1年中青々とした緑を見せてくれます。
これに対し、夏芝と呼ばれる暖地型芝は、「25°〜35℃が育成適温で、この温度では青々と葉を茂らせますが、17°〜18℃以下になると休眠期に入り、冬期は枯れて茶色くなってしまいます」。つまり、日本では、冬芝だけでは夏枯れが起こり、夏芝では冬枯れが起きてしまいます。このため、一年中芝生を緑に保つことは難しく、冬芝と夏芝の両方を使ったオーバーシードといわれる手法が用いられますが維持管理には手間がかかってしまいます。
http://www.naash.go.jp/kokuritu/sibafu/sibafu2.html
http://www.bs-tennis.com/tmk/text/52.html
イギリス人は、短い夏を楽しむために、日光浴や田園生活を好みます。この生活スタイルと芝生というものがマッチして、イギリス独特の芝生文化が生まれました。イギリス人は、日差しが伸びた春先から、庭の手入れに精をだし、イギリスの家庭には1家に1台あるという芝刈り機のゴォーっという音と草のにおいがするそうです。
http://users.skynet.be/mimomimo/season.html
http://travel.biglobe.ne.jp/trj3/london_4/index.html
http://www.netpro.ne.jp/~futagami/uktaizaiki/01-10-16.html
「イギリス人と庭園 イギリスでは年中、ガーデンライフを楽しむ人が多い。アウトドアの生活をたのしむというのが正しい表現かもしれない。だからイギリスの家庭には、庭があるのが普通で、ロンドンの住宅地でも、必ずといってよいくらい庭がついている。イギリスの庭は色とりどりの花や芝生などの見た目の美しさが大切な要素である。特にイギリスの芝生は年中青々として、枯れることがないから特に美しい。ヨーロッパの庭園の中で一番自然的要素の強いのがイギリス庭園であるが、日本庭園ほど日常性から隔離した感じはない。つまりイギリスの庭園は、見た目に美しいだけでなく、生活とも結びついているのである。たとえば暖かい日ならば、芝生の上にガーデン・チェアや、テーブルを持ち出して、友人・知人を招いてガーデン・パーティやら、アフタヌーン・ティを飲む場として庭園が利用される。」『イギリス四季暦』春夏(出口保夫/出口雄大著 東京書籍)より
http://www.tamano.or.jp/usr/osaka/pages/b-data/8/garden.htm
つづく
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今回は、「base-ball」という名前の謎解きはお休みして、今日の話題から。福岡ダイエーホークスが、福岡ドームと30年間という長期に渡る使用契約を結ぶことが21日に明らかになりました。
ダイエー本社は、「来週中にも米投資会社コロニー・キャピタルに球団を除くドーム球場などの福岡事業を売却する基本契約を結ぶ方針で、その中に盛り込む。福岡銀行は、同事業に対する金融支援の条件として球団の地元残留の保証などを求めており、こうした地元企業の意向にも配慮する。ダイエーが球団を手放した場合でも、長期契約は引き継がれる方針。契約を守らなかった場合には多額の違約金が支払われる仕組みとする」(スポニチ2003/11/22)
コロニー社にしても、ホークス球団が福岡ドームから出て行かれると、ドームはただの空気入れになってしまうので、ホークスとの長期契約は不可欠なものです。問題は、今までのような三位一体型の契約ができるのかです。福岡ドームとホテルの経営から高塚さんが退くかどうか。コロニー社がどんな経営を行うのか。
北海道のほうでは、新庄の日本ハム球団入りで盛り上がっているようです。今日の日刊スポーツの記事によれば「元メッツ新庄剛志外野手(31)の日本ハム入りで、来季から札幌移転する新球団出資会社の株価が軒並みアップした。19日夜の「北海道に行きます」発言を受け、翌20日から株価が上昇。21日の終値も主要6社のうち5社でアップし続けた」とのこと。
2004年から北海道札幌に移転する日本ハムファイターズは、今年の8月5日受け皿となる新会社を設立しました。社名は、株式会社「北海道日本ハムファイターズ」、球団名は北海道日本ハムファイターズ。新会社の会長には大社啓二・日本ハム取締役、社長には今村純二・日本ハム球団社長が就任。資本金は2億円で、日本ハムが74%を出資したほか、北海道新聞、JR北海道、北洋銀行、北海道銀行、札幌ドーム、札幌商工会議所など道内の10企業・団体が出資しました。8月8日に設立登記。球団事務所は、札幌ドームに隣接して、コンサドーレ札幌とお隣さん同志になります。
9月22日には、社名変更と球団名変更について、パ・リーグ理事会と実行委員会の承認を受け、「ホークスのダイエー確認書」が承認され、小久保の無償トレードの申し出をした10月31日にはオーナー会議でも承認されました。旧日本ハム球団から新会社へ営業譲渡という形で引き継がれます。
最後は微笑ましいお話。サンスポから、「秋山違い」数学者講演に元ダイエー秋山選手の巻。福岡県の中学校で21日行われた体育館落成記念講演で、学校側が講師として予定していた数学者秋山さんではなく、元福岡ダイエーホークスの秋山さんが現れるハプニングがあったそうです。学校側は元プロ野球選手秋山さんに、謝罪する一方、「是非講演をお願いしたい」と頼み込み、元プロ野球選手秋山さんも「自分でよければ」と引き受け、代打で講演を行ったそうです。この手違いに、「生徒は大喜びだった」そうです。
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ピッチについては、「スポーツ語源クイズ55」(田代靖尚著 講談社現代新書)によれば、ピッチという、言葉の語源はクリケットから来ているそうです。クリケットでは、ウィケットとウィケットの間をピッチと言います。このピッチという言葉は、日本人にはピッチング(pitching)として馴染みのある言葉ですが、もともとは、突く、掴むという意味のpick(ピック=突く、摘む)の姉妹語で杭を打ち込むとか、地面に突き刺すという意味でした。
なぜ、ピッチ=打ち込むのかと言え、それはウィケットのスタンプ(杭)を打ち込むためです。このウィケットとウィケットの間で「投げる、打つ、走る」のプレーが行われ、このプレーエリアをピッチというようになりました。
クリケットでは、投手はウィケットを倒すためにボールを投げ、打者はウィケットを守るためにボールを打ちます。投手は、ウィケットめがけて直接ボールを投げるのではなく、打者のバットに当たらないようにワンバウンドのボールを投げます。このため、地面がでこぼこではイレギュラーしてしまうため、きれいな芝目のところでなければプレーができません。通常、広大な芝地の中で状態がいいところが選らばれてピッチとしたそうです。状態がいいところに杭を打ち込んで、杭に囲まれたところがピッチとなりました。
フットボールにはもともと囲いというものがありませんでしたが、パブリックスクールで、行われるようになると一定の区画の中でゲームが行われるようになります。競技場の四隅にはフラッグが立てられ、長い方の境界線がタッチライン、短い方をゴールラインといい、ゴールライン上に、二本の細長い丸太が一定の間隔で立てられゴールポストとされました。クリケットのピッチにならって、杭と杭に挟まれたプレーエリアをピッチというようになりました。
また、前回見てきたように、当時の芝生のグラウンドでは、ラインを引くということは困難なことでした。そこでコーナーにフラッグを立て、このフラッグに囲まれた部分がプレーエリアとされ、フラッグに囲まれた部分をピッチというようになったのだと思います。
雑草が生い茂った「原っぱ」、ベースでは隠れてしまい、目印としての機能しませんし、また、ラインも引くことさえできません。このため、ラウンダーズでは、ベースの代わりに杭(ポスト)が用いれられたものと思われます。単なるストゥールやウィケットの名残りではなかったと思われます。
つづく
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今回も引き続き中村敏雄氏の話の紹介しながらベースボールの名前の謎に迫って行きたいと思います。出典は「メンバーチェンジの思想」(平凡社)です。
前回、サッカーの「ラインの引き方」について、「幅5インチ以下の線」をもって描くとしましたが、イギリスで1863年に結成されたフットボール協会が最初に承認した競技空間に関するルールは「グラウンドは、長さ200ヤード、幅100ヤードを最大とする。長さと幅はフラッグで示される」とされ、フラッグを立てることは考えても、ラインを引くことは考えられていませんでした。
近代スポーツが生まれた当時、イギリスの屋外スポーツの多くが芝生の上で行われていました。この芝生は、芝生と言っても、「ゴルフのグリーンと呼ばれるホールの周辺の芝生のように綺麗に刈り込まれたものではなく、いわば雑草が生えた「原っぱ」と考えていいようなもので、時には足首まで隠れてしまうこともあった。それは、今日われわれが使っているラインカーでラインを引くことができそうもないほど丈の高いものであった」
「代表的なイギリス紳士を山高帽とこうもり傘で描くように、降雨の多さがこの地方の気候の特徴とすれば、仮に「石灰」が今日のように安価に入手できたとしても、それで引いたラインは、引いたあとから雨で流され消されていったであろうと考えられるから、このような方法でラインを示すことはあまり良い方法とはいえず、したがってこの当時、フラッグで「ライン」を示すことは妥当な方法であったといえる」
雑草の生い茂った「原っぱ」で行われていたフットボールでは、ラインを引くことは困難でした。競技場の区画は、四隅に立てられたフラッグによって示されていたのです。足首が隠れてしまうくらい芝が伸びていたら、ベース(累)では、すっぽりと隠れてしまい、印としての意味を持ちません。丈の伸びた草地でも目立つようにフラッグが用いられたのでした。このフラッグで囲われた区画をピッチといいます。このピッチという言葉は、サッカー・ワールドカップによって世間に知られるようになりました。
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ラウンダーズの仲間の中にも、ベースを用いるものがあったとしても、本来のラウンダーズは、杭を使います。チャドウィックが、ラウンダーズと同じものと述べたタウンボールの一種で、1858年成文化されたマサチューセッツ・ゲームの第4条でベースは「1.22mの木製の杭」としています。
1845年にカートライトが成文化したベースボールには、ベースについての項目はありませんが、条文から読むとベースは杭ではなく累であることが想像できます。また、初めてのベースボールの試合の想像図を見ても杭ではなく累になっています。
ラウンダーズの杭がなぜ、ベースボールのベースになったのかを考える前に、スポーツ・ルール学の第一人者中村敏雄氏の著書「オフサイドはなぜ反則か」(平凡社)に気になる話があるので紹介します。
サッカールールの第1条第2項には、「ラインの引き方」について「競技場は幅5インチ以下の線をもって描き、V字型のみぞで区画してはならない。長い方の境界線がタッチライン、短い方をゴールラインという。四隅には高さ5フィート以上で先がとがっていない旗ざおにつけた旗を立てる。」と書かれているのですが、著者の中村敏雄氏は、ここに書かれている「V字型のみぞで区画してはならない」という文言の意味がよくわからなかったそうです。
ところが1970年の春、偶然のことからロンドンにひとり旅したときラグビー校を訪れ、この積年の疑問が解き明かされたそうです。ルールが決めている「幅5インチ以下の線」は、何と芝を刈りこんで引くことを指示するものだったし、「V字型のみぞ」は危険防止のための「芝の刈り方」を規定したものでした。視点を換えていえば、このルールは、芝を刈ってラインを引くことを要求していると同時に、サッカーは芝生のグランドで行われなければならないということを規定していたものでした。
「イースター直後の、まだ雪がちらつくことさえあった春先のラグビー校のグラウンドは、目の覚めるような緑色に輝いており、10面ほどまでは数えることができたすべてのグラウンドのラインは、見事に芝を刈り込んであった」
中村敏雄氏でさえ、ロンドンを訪れ、実際に見るまでは「V字型のみぞ」の謎は分かりませんでした。中村氏の「V字型のみぞ」の謎は、スポーツのルールを理解するためには、そのスポーツが生まれた国の気候、風土さらには文化を理解することが重要だということを教えてくれます。
塁を理解するためには杭について理解する必要があります。なぜ、ラウンダーズは、塁ではなく杭だったのでしょうか。それには、ラウンダーズが生まれたイギリスの気候、風土さらには芝生文化を理解することが大事であることを中村氏は教えてくれています。
つづく
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ベースボールのことを日本語で野球と称しますが、ベールボールは、野っぱらでやるボールゲームですから、野球という名称はまさにピッタリの訳です。野球という日本語からみるとベースボールという名称の方が野暮く感じられます。
なぜ、ベースボールは「Baseball」という野暮な名称が付いたのでしょうか。そもそも、スポーツの名称は、名は体を表すというように、その競技の特徴や由来を表しています。バスケット・ボールは、籠状のゴールに由来していますし、バレーボールは、ボールが飛び交うことからvolley=「飛ぶ」(テニスのボレーと同じ)ballという名称が付きました。フットボールは、足と脚を使うボールゲームで、ハンドボールは手を使うゲームです。
ベースボールの親戚であるクリケット(cricket=コオロギ)は、クリケットのボールを打つ音が、コオロギの鳴く音に似ていることからつけられたとも言われています。一般的には、フランス北部のフランドル地方に古くからあったクリッケ(cricke)という棒や古代フランス語のcriquet(クリケ=バット)に由来しているといわれています。
では、ベースボールは、ベースボールのどの特徴に由来するのでしょうか。ベースボールのベース(base)は塁のことを指しますが、ベースボールの前身であるラウンダーズでは、ベースの代わりに杭(ポスト)が使われていました。つまり、従来のラウンダーズが杭(ポスト)を用いていたのに対し、塁(ベース)を用いるところに新しい競技としてのベースボールの特徴があるからではないかと思うのです。
ラウンダーズのラウンダーはホームランのことで、回る人、四つの杭を回って還ってくる人の意味です。ボールを打ってアウトにならないうちに四つの杭を回りきれば得点です。杭は、ストゥール(三角いす)ボールのストゥールの脚やクリケットのスタンプの名残りだといわれています。
ところで、ラウンダーズというゲームの名称は、イングランド西部地方での名称で、南部地方ではベース・ボール(base ball)と言われていました。ベース・ボールといってもカートライトが考案した近代ベースボールではなく、ラウンダーズの一種であることには変わりありませんでした。ただし、ベース・ボールという名前からも分かるように、杭の代わりに塁(ベース)が用いられていたことが想像できます。
ベースボールとタウンボール、ラウンダーズ、ベース・ボールについては、ベースボールを「アメリカの国技に」と説いたヘンリー・チャドウィックの話が参考になると思います。
以下は、ノンフィクション作家でアメリカ野球学会会員でもある佐山和夫氏の「野球はなぜ、人を夢中にさせるのか」(河出書房新社)からの抜粋です。
「タウンボールの方が規則性があるが、基本的には、それはラウンダーズと同じものだ。今から25年前にニューヨークで流行した野球の原型とは、ラウンダーズを改良したものだ」
「今から三、四十年昔、私のお気に入りのゲームといえば、あの古い学童のゲーム、ラウンダーズだった。私たちは地面に穴を掘ってホームとし、四つの石を円を描くように置いてベースとして、二つのチームに分かれてプレーした。ベースボールの原型であるそのゲームに夢中になっていたものだ」
つづく
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読売渡辺オーナー 「欲しいね」(11月1日共同通信)
読売堀内監督 「そうなれば、それで困るなあ。」(11月2日スポニチ)
読売三山?GM 「オーナーが言ったことがファクト(事実)。」(11月2日スポニチ)
近鉄田代和オーナー「(ローズを)欲しいのは欲しいでしょうが、球界のリーダーとして残念な発言です。事実が明白になれば球団として抗議することになる」(11月2日スポニチ)
近鉄足高取締役編成部長「遺憾です。気分が悪い。そんなに補強ばかりしてどうするんですか」(11月2日スポニチ)
近鉄梨田監督「あの人が言えば何でも通るでしょう。何でもルールを変える人やから」(11月2日スポニチ)
ローズの代理人「近鉄とは契約できない」(11月10日報知)
近鉄永井球団社長「まさかこんなことになるとは。複数年のこともあるが、条件面で差があった。(慰留は)断念する。タフィは大阪の顔でもあったので本当に残念」(11月11日スポニチ)
読売三山?GM「近鉄の社長がおっしゃったことが、球団のオフィシャルな発表だと確認しました。ステージが変わったのでローズとの交渉の準備に入るべく、専門家にお願いした」(11月10日報知)
ローズ本人「退団報道にびっくりしている。代理人から何も聞いていない」(11月10日報知)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031101-00000074-kyodo-spo
http://www.sponichi.co.jp/baseball/kiji/2003/11/02/05.html
http://www.sponichi.co.jp/baseball/kiji/2003/11/02/06.html
http://www.sponichi.co.jp/baseball/kiji/2003/11/11/01.html
http://www.yomiuri.co.jp/hochi/giants/nov/o20031110_20.htm
ローズの代理人のおかげで、巨人はローズを獲得できそうですが、そもそも、代理人については、誰かさんは、嫌いだったはずですが。
読売渡辺オーナー「巨人に関していえば(代理人を使えば)損をする。」(11月1日日刊スポーツ)
夕刊フジの記事は傑作です。
「原前監督の更迭、小久保の無償トレードなどでは辣腕(らつわん)ぶりを発揮した球団フロントだが、代理人問題だけは頭痛のタネ。下手にこじれれば、全日本のエース級(上原)を失う事態にもなりかねない。」(11月6日夕刊フジ)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031101-00000008-nks-spo
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031106-00000021-ykf-spo
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昔のプロボクシングのクローズド・サーキット興行は、ラスベガスなどで行われた試合を全米数十カ所〜百数十カ所の会場で独占中継し、普通のテレビ中継は行われませんでした。試合のチケットを取れなかった人たちは、高額な入場券と引き替えにクローズド・サーキット会場でテレビ中継を観戦するほかは、試合を観ることができませんでした。
クローズド・サーキットによる独占中継は、ケーブルテレビや衛星放送が普及する以前の有料放送の形態と見ることができます。ケーブルや衛星を使った独占放送が可能になり、高額な放映権が生まれる現代においてクローズド・サーキットを使った独占中継は有料放送としては価値を低下させています。
すると、ケーブルや衛星を使った独占放送が可能になり、価値の低下したクローズド・サーキットの現代的な意味合いは何のかという問題がでてきます。さらに言えば、今回の日本シリーズのパブリック・ビューイング(クローズド・サーキット)も、無料の地上波放送が行われている下で行われました。主催者側や球場側の思惑よりも入場者は少なかったようですが、甲子園では4試合とも1万人以上のファンが詰め掛けました。
家で無料でテレビ観戦ができるのに、わざわざおカネを出して、大型とはいえ解像度の低い球場の常設スクリーンを見に行こうという人たちが1万人以上いたという事実、この事実を理解しないと先に進めないことになります。その一考になるのが応援スタイルの変化です。
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ワールドカップのパブリック・ビューイングは、試合の入場券がとれなかった人たちのために、競技場から溢れた人たちのために企画されたものです。これは、メディアにおけるユニバーサル・アクセス権と同じ考え方です。ユニバーサル・アクセス権とは、サッカー・ワールドカップのようなイベントは、公共性をもっており、万人が観る権利を有しているので、独占有料放送は適さないというものです。
このワールドカップの試合が有料放送により独占されると,会場整備等に多額の税金を使っているのに,貴重な入場券を獲得できた一部の人たちを除く一般の国民は、試合をテレビで見ることができないという事態が生じてしまいます。このため、先に放映権を獲得したのは有料放送のスカイパーフェクトTVでしたが、結局,NHKと民法によるジャパン・コンソーシアムも放映権料を負担することにより,64試合のうちの約3分の2を,NHKや民放で放送することになりました。三分の一の試合は、一般のテレビでは観ることができませんでした。
横浜でも、横浜国際総合競技場で行われた3試合のうち日本戦を除く2試合は,地上波で放送されませんでした。競技場の建設費603億円の65%393億円を横浜市が負担し、ワールドカップの開催地ということで10億円の負担金を強いられたあげくにです。
もともと、入場券というものは、競技場の収容人員によって限定されます。これがサッカー・ワールドカップのような巨大イベントともなれば、世界中のサッカーファンが入場券を買い求めているのに加え、スポンサー枠やらがあったりして、開催地での入場券は結局、抽選でした。
市民や国民の多くが関心をもち、公共機関を含めた社会の支援を受けて行われる巨大スポーツイベント。このような巨大スポーツイベントには、市民や国民は、ユニバーサル・アクセスとしてのパブリック・ビューイング権を持っているといっていいと思います。このような状況を背景に、ワールドカップのパブリック・ビューイングは行われました。
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結局、ワールドカップで行われた日本のパブリック・ビューイングは、スタジアムやアリーナ、体育館など閉ざされた会場で実施され、本来の意味での不特定多数が観られるオープンスペースでのパブリック・ビューイングは行われませんでした。
これは、放映権との兼ね合いが言われていますが、フーリガンを恐れた自体体が治安上の問題から、不特定多数の人が出入りする公共のオープンスペースでの開催を敬遠したことにもよります。
例えば、横浜では会場となった横浜国際総合競技場に近い横浜アリーナ(収容人員1万人以上)でのパブリック・ビューイングを企画しましたが、競技場とアリーナの観客が観戦後、新横浜に溢れるの恐れ、収容人員では劣る横浜文化体育館(同5千人)に場所を変更しています。クローズドな会場である横浜アリーナからして「観客誘導上無理(横浜市長)」なのですから、オープンスペースの場では当然、警備上無理ということになります。
※横浜国際総合競技場と横浜アリーナは、新横浜地区にあるのに対し、横浜文化体育館は関内地区にあります。
以上からも分かるように、パブリック・ビューイングで問題になるのはむしろ、日本野球機構側も指摘していたもう一つの問題、治安上の問題です。不特定多数の人が限られた場所に集まり、興奮してくれば、何らかのトラブルが発生する可能性あります。そこで、考え出されたのが、閉じられた空間(スタジアムやアリーナといった大型の競技施設)でのパブリック・ビューイングです。
競技場をパブリック・ビューイングの会場として使えば、競技場の使用料がかかりますし、何万人もの人が集まれば、場外を含めて警備上の費用もかかってきます。この費用を受益者負担ということからすれば、入場料の問題がでてきます。つまり、有料のパブリック・ビューイングの可能性がでてきます。パブリック・ビューイングは、限りなくクローズド・サーキットに近くなっていきます。
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パブリック・ビューイングという言葉が日本で広く使われるようになったのは、昨年のサッカー・ワールドカップからです。ワールドカップでは、FIFAの要請により、開催地となった10都市の競技会場(スタジアム)などで、(常設の)大型スクリーンを使った中継イベントが無料で行われました。実際には観客が思ったほど集まらなかったため、中止になった会場もありました。
FIFAの要請による開催地でのパブリック・ビューイング以外で、パブリック・ビューイングが行われなかったのは、開催自治体とFIFAとの契約により、「開催自治体は、FIFAの権利を侵害してはいけない」とされ、パブリック・ビューイングがFIFAのクローズド・サーキット権を侵害する恐れがあったからです。JAWOCが、興行権としてのクローズド・サーキット権と放映権を混同し、これに過剰反応したため、日本では、FIFAからの要請によるもの以外のパブリック・ビューイングは行われませんでした。
広瀬一郎氏も指摘していましたが、ワールドカップの試合は、開催自治体とFIFAとの契約によるものであり、開催自治体はその契約に拘束されますが、逆に開催自治体以外はその契約に拘束されないことになります。つまり、開催自治体以外の地域では、パブリック・ビューイングはFIFAと関わりなく可能だったのはずですが、JAWOCの反対にあい実現しませんでした。
ただし、国立競技場では、常設の大型スクリーンを使った有料の中継イベントが行われました。有料ですからパブリック・ビューイングではなくクローズド・サーキットということになりますが、中継イベントの名称は、「2002FIFAワールドカップTMパブリック・ビューイング・イン・東京」と具合に「パブリック・ビューイング」の呼称が使われています。
有料のクローズド・サーキットですから、興行権との兼ね合いが問題になりますが、これは、電通がFIFAから開催権(興行権)を取得することによってクリアしました。映像については、放映権を持つスカイパーフェクトTVが映像と音声を提供することで問題をクリアしました。
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パブリック(public)とは、公共的、公益的の意味で、ビューイング(viewing)はテレビの視聴・観戦のこと。つまり、パブリック・ビューイングとは、公共の空間で、非営利で不特定多数を対象に行うテレビ放映イベントのことで、街頭放映、街頭テレビがこれにあたり、通常のテレビの個人視聴や私的視聴とは区別されるものです。
日本野球機構が主催したパブリック・ビューイングは、営利を目的とした興行であり、本来の意味でのパブリック・ビューイングではなく、クローズド・サーキットといわれるものです。クローズド・サーキット(closed-circuit)とは、もともとは、有線テレビ(ケーブルテレビ)のことで、現在では、特定の会場に人を集めて行う営利目的の有料放送イベントのことを指します。かつて、ケーブル・テレビを利用してプロ・ボクシングの有料中継がクローズド・サーキットとして盛んに行われ、興行スタイルとして定着しました。
クローズド・サーキットでは、大型テレビや大型スクリーンがよく使われていたので、クローズド・サーキットやパブリック・ビューイングを大画面の中継イベントと思っている人が多いようですが、定義上画面の大きさは関係がありません。
スポーツ・カフェなどで、入場料をとり特定の試合中継を放送すれば、営利目的のクローズド・サーキットになり興行権に抵触します。ショッピングセンターのオープンスペースで、通常の商業テレビ放送を無料でそのまま見せるのであれば、パブリック・ビューイングということになり、興行権に抵触しません。キャナル・シティで行われた大型スクリーンを使った無料の野球中継が本来の意味でのパブリック・ビューイングということになります。
日本野球機構が、放送局の権利の保護を理由に、街頭でのテレビ中継の禁止を求めましたが、テレビ放送をCMを含めて、そのまま無料で放映するパブリック・ビューイングであれば、放送局の権利を侵害することにはなりません。抵触するのであれば、入場料をとるクローズド・サーキットの場合の方ですが、これもどちらかといえば放映権というより興行権との兼ね合いが問題になります。
もちろん、通常のテレビ映像をCMカットなどの加工をしてパブリック・ビューイングで流すのなら問題があります。また。昨年のサッカー・ワールドカップのように、スカイパーフェクトTVのような有料放送局が放映権を持っている場合、有料放送契約が結ばれている映像を勝手に無料で放映することはできません。しかし、地上波の無料放送をそのまま無料で流すのであれば別です。「W杯ではフランス(98年)でもアメリカ(94年)でもイタリア(90年)でも、町の一角に100インチ以上のテレビが置かれ、市民は試合の中継放送を楽しんでいた。営利を目的としない単なる来訪者へのサービスなどを取り締まるはずが無いではないか。」と元スポーツナビの広瀬一郎氏は述べています。
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日本シリーズは、福岡ダイエーホークスが、阪神タイガースを4勝3敗で破り、福岡で2度目の日本一(ホークスとしては、4度目。福岡の球団としては5度目)に輝きました。今年の日本シリーズは、史上初めて読売巨人軍以外で300万人以上の観客を動員した球団同士による闘いとなり、しかも、7戦とも熱狂的な地元ファンが応援するホーム・チームが勝つといった、ファンが主役のシリーズでもありました。つまり、ビジター側は7戦全敗となったわけですが、ビジター球団が留守をしていたホーム球場でも、多くの熱狂的な地元ファンが応援していました。
今年の日本シリーズは、史上初めて、ビジター側のホーム球場で、全試合、有料のパブリック・ビューイング(PV)が実施されました。甲子園では、第1戦が1万3千人、第2戦が1万1千人、第6戦と第7戦は1万5千人の観客が集まったそうです。球場側は、2万人の観客を見込んでいたそうですが、そこまでは届きませんでしたが、福岡に行けなかったファンが多数応援に駆けつけました。入場料は、アルプス席が1000円、指定席が1500円。ちなみに福岡ドームは大人1500円、子供500円で観客が第5戦は8千人。
日本シリーズのパブリック・ビューイングを、日本野球機構が主催し、入場料を取って実施するのは今年が初めてです。このため、昨年までのシリーズでは無料で行われてきた街頭や商業施設での大型スクリーンを使ったテレビ放映は、日本野球機構により「放送局の権利保護や、現場での治安の関係」から禁止とされました。福岡・天神のソラリアステージ広場など、放映を予定していた福岡市や北九州市の商業施設は、相次いで放映を取りやめたそうです。また、「阪神タイガースのリーグ優勝時に、阪神尼崎駅前に巨大スクリーンを置いて観戦イベントを開いた兵庫県尼崎市の実行委員会は、日本シリーズでも開催を検討していただけに、野球機構の決定にがっかり」(2003.10.16朝日新聞)だったようです。
ただ、優勝決定のニュースを見ていると、実際には球場以外の場所で、テレビ中継が行われていたようです。例えば、福岡のキャナル・シティです。下のHPは、日本一の瞬間です。大画面は静止画には出てきませんが、動画には出てきます。
http://www.nishinippon.co.jp/nishispo/hawks/V/photo/canal.html
※パブリック・ビューイングといえば、今年の夏、埼玉スタジアムでの阪神タイガースのそれ(JTB主催)が、フランチャイズ権の侵害になるから中止するの、しないので話題になり、私も「ぼーる通信」で「さまよえるパブリック・ビューイング」として取り上げましたが、結局のところ、入場者数は8月26日が450人、27日が1300人といった具合で、JTBの関係者は赤字だとこぼしていたそうです。ただし、観戦した阪神ファンは盛り上がっていたようですが。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~Salvador/Balltsushin/Baseballwind.htm#Baseballwind17
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10月31日に行われたオーナー会議では、ダイエー本社の高木邦夫社長からコミッショナーとオーナー会議あてに「確認書」が提出され、球団株式の持ち分が40%から2%に下がっても、引き続き同氏がオーナーとして球団運営を行っていくことを確認された。
そして、さらに日刊スポーツの記事によれば読売巨人軍二代目オーナー渡辺恒雄氏は、「(中内正オーナーは)もちろん続投だ」と語り、ダイエー本社が「確認書」に背いた場合、野球協約第57条にのっとってダイエー球団を“連盟預かり”することも確認された。つまり、福岡ダイエーホークス・中内正オーナーの生殺与奪権は、渡辺恒雄氏に握られ、渡辺恒雄氏が中内正オーナーの後見人に納まったことを意味している。
渡辺恒雄氏は、福岡ダイエーホークスの売却問題に際し、「安く買って高く売るというハゲタカ商法に売ったらプロ野球の将来がなくなる。野球協約による57条(別項)とかの緊急措置も必要かもしれない」と主張し、ダイエーの福岡事業売却に絡むホークスの外資系企業への売却に反対してきた。そして、福岡事業の売却に産業再生機構を活用するか否かの問題に、産業再生機構の齋藤社長が、「渡辺恒雄・巨人オーナーも「それならよい」というのなら、検討に値すると思っている。」と語っていた。
プロ野球については門外漢の齋藤社長が述べた言葉は、プロ野球の本質を衝いていた。日本野球機構を動かしているのはコミッショナーではなく、一球団のオーナーに過ぎない渡辺恒雄氏であることを。
そして、今日(11月3日)、衝撃的なニュースが届いてきた。福岡ダイエーホークスの中内正オーナーは、今年はケガで1年間棒に振ってけれども、ホークスの4番バッターであった小久保裕紀内野手の読売巨人軍への無償トレードを発表したのだ。日本シリーズで大活躍した川崎選手の台頭もあり、来シーズンのポジション争いも注目されていましたが、井口のメジャーリーグ志願や村松のFA宣言など選手の流出も取りざたされている中のトレードであった。
記事によれば、昨年から小久保選手の側からトレード希望があったそうだが、選手流出の危機に加え、親会社であるダイエー本社よる支援額が減額され厳しい経営状態にあるホークスにとって、後見人となった渡辺恒雄氏がオーナーを務める読売巨人軍への無償トレードは、何を意味しているのだろうか。
形の上では、確認書を確認した10月31日のオーナー会議が行われた席で、ホークスの中内正オーナーが、読売巨人軍二代目オーナー渡辺恒雄氏に小久保選手の無償トレードを申し入れ、渡辺氏がこれを了承したことになっている。しかし、小久保選手の無償トレードは「確認書の」見返りであることは明白であろう。賄賂といってもいいかもしれない。
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昨日(2003/11/01)のスポニチ・アネックスに次のような記事が載っていました。
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オーナー会議ではダイエーの中内正オーナー(44)が、ダイエー本社の高木邦夫社長からコミッショナーとオーナー会議あてに提出された「確認書」を読み上げた。確認書ではダイエー本社が引き続きダイエーホークス球団を保有する方針であり、球団株式の持ち分は変更されるものの、中内オーナー、高塚オーナー代行兼球団社長の地位に変更はないこと。両氏を中心とする球団首脳陣で球団運営を行っていくことを確認している。またダイエー本社の経営力の許す限り、球団への支援を継続し、野球機構の承認なしに球団を第三者に売却しないことを約束した。
ダイエー本社は球団向け債権約80億円をデッド・エクイティ・スワップ方式で株式化する。これによりダイエー本社の持ち株比率は現在の60%から98%に上がり、これまで40%を保有していた中内オーナーの持ち株は2%程度に低下することになっている。これまでダイエーの一連の福岡事業再生案について、巨人・渡辺オーナーは大筋で了承しながらも球団の「健全な運営」を定めた野球協約第3条を盾にダイエー本社の球団への金銭的な支援を強く求めていた。高木社長がこの確認書で球団への支援を約束したことで、渡辺オーナーと他球団オーナーも来季以降の球団保有を了承した。
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ここでも、日本野球機構=ナベツネですね。今回の確認書の「球団への支援を継続し、野球機構の承認なしに球団を第三者に売却しないこと」という内容は、産業再生機構がダイエー本社に求め、ダイエー本社が断ったという内容と文言的には似ていますが、重みは異なります。もともと、球団の第三者への売却は、野球機構の承認が必要ですから当たり前のことを言っているだけであり、「(ダイエー)本社の経営力の許す限り」の支援ですから、ダイエー本社がもうこれ以上支援できないといえばそれまでです。
それに、ドームとホテルがコロニー社に売却され、高塚猛氏ら現経営陣が解任や退陣した場合、これまでの福岡事業の三位一体の経営ができなくなってしまいます。ダイエー本社が引き続き球団を保有し、中内オーナー、高塚オーナー代行兼球団社長の地位に変更がなく、両氏を中心とする球団首脳陣で球団運営を行っていくとしても、いままでのような球団経営は不可能です。でも、どうしたらいいのか。こういった状況下で、中内オーナー、高塚オーナー代行兼球団社長は、福岡のホークスを守るためにベストを尽くしていると思います。
追伸。筆頭株主が変わらず、株主も変わらないのであれば、株式構成の変更は単なる報告事項。それからオーナー職も球団からの届け出で足りますから、今回の場合、オーナーの持ち株比率が40%から2%に下がっても、球団がオーナー変更の届け出をしなければそのままです。オーナー会議の承認は必要ありません。
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258で、「なぜ、福岡事業に産業再生機構が登場するのか」について書き込みましたが、その後の10月24日、ダイエー本社は、産業再生機構の活用を断念し、私的整理ガイドラインに基づく再建を目指すことになりました。産業再生機構側の要求が厳しく、ダイエー本社側がその要求を飲めなかったからだそうです。
産業再生機構側は、ドームとホテル事業の非主要取引金融機関の債権引き受けを行う代わりに、今回売却を見あわせたホークス球団に対する条件をいろいろとつけてきました。258でも紹介したほか、ダイエー本社が保有する球団株をダイエー本社から隔離し、自由に処分できないようにすることを要求し、さらに、野球機構にその保証を求めていました。球団の売却権の放棄を求められたあげく、毎年の赤字分を全額補填しなくてはいけないとなると、再建中のダイエー本社にとって由々しき問題となります。
産業再生機構の支援を断ったダイエー本社は、金融機関の債権放棄のルールである私的整理ガイドラインに基づき、主要取引銀行6行が約200億円の債権放棄をする案をまとめました。有利子負債の額を1150億円とし、そのうちコロニー・キャピタル社が約600億円を引き継ぎ、350億円はドームやホテルの運営子会社が保有する新神戸オリエンタルホテルなどの資産を売却して約350億円を返済する。残りの200億円を、主要6行が債権放棄するというものです。ダイエー側が、資産売却の額を割り増すことにより、債権放棄額を主要6行の200億円にとどめ、他の金融機関には債権放棄を求めない。
いよいよ、球団を除く、福岡事業の決着が見えてきました。でも、350億円の資産売却と200億円の債権放棄があれば残りは600億円。それを毎年50億円の返済ができれば、12年で元本は返済できる。うーん、これでいいのだろうか。
福岡ダイエーホークス球団社長である高塚猛氏は次のように述べています。
「実は親会社のダイエーが今売却している子会社は、ほとんどが、現在事業として成り立っているところばかりなんです。ローソン、オレンジページ、アラモアナ・ショッピングセンター・・・、そして今度は「福岡3点セット」を売ろうという。果たして、それが正しい選択なんだろうか。確かに「3点セット」には有利子負債がある。でも、事業として成立していいるんです。それを売却するというのは、話がおかしいのではないかと思うんですよ。」
「だいたい売られた子会社の人は惨めですよ。黒字を出しているのに、新しい経営者が来たらそれまでの人は全員解任。経営方法が悪くて責任を取らされるなら解任もわかる。でも、やっていることは逆でしょう。親会社の都合で、優良な子会社を売り飛ばしている。そして、新しく買い上げた人たちは、買い取った子会社から収益を上げようとして、経営陣どころか従業員の給料までカットするような無茶をする。本当にそんなやり方で日本は幸せになれるだろうか。」(代表取締役副社長 高塚猛)(「プロジェクトH 「福岡3点セット」の構造改革」竹森健太郎著 朝日新聞社)
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福岡野球株式会社が、球団を買い取った際、議会の一部から平和台は市民スポーツの場だからプロの独占は許さないという議案が出て、一時、平和台球場から閉め出されそうになったそうです。その裏には、西鉄時代、弁当販売の利権を持っていた業者のいやがらせがあったそうです。福岡野球株式会社が、一旦、弁当の販売業者を白紙に戻したそうですが、なんと利権を持っていた販売業者の社長が市会議員をしていて、その議員が、嫌がらせのため、ライオンズを平和台から閉め出す議案を出してきたそうです。
親会社を持たない独立採算性の球団であった福岡野球株式会社は、その後も、地元福岡からの協力を得られず、行き詰まりを見せ、78年10月.西武鉄道に経営権を売却してしまいます。球団は、西武ライオンズとなり、フランチャイズを福岡県から埼玉県に移すことになり、福岡から球団が消滅しました。
福岡に球団が戻るのは、88年11月、ダイエーに買い取られたホークスが、大阪から福岡に移転し、福岡ダイエーホークスが誕生した10年後です。このとき、福岡のファンは困ったそうです。福岡を去ってもライオンズを応援し続けたファンは、西鉄のライバル関係にあったホークスを応援するのか、そのままライオンズを応援するのかという選択に迫られたからです。
「南海時代以来のホークスのファン。かつてライオンズを声援していたファン。移転後の新生ホークスを目当てに球場に出かけるようになったファン。現在のホークス・ファンは、こういったさまざまな経緯をへた人びとを包摂する集合体となっている。(「南海ホークスがあったころ」永井良和・橋爪紳也著 紀伊國屋書店)」
「西鉄ライオンズがなくなって、福岡という街は何十年も寂しい思いをした。そこに中内オーナー、そしてお父さんの功さんが球団を持ってきてくれた。大阪でもよかったのに、わざわざ九州に球団を持ってきてくれた。我々九州の人間には、そういう思いがあるんですよ。その中内オーナーが困っている。それを助けてあげようじゃないか。ということなんですよ。」(地元球団応援連合会相談役・小寺慶治)(「プロジェクトH 「福岡3点セット」の構造改革」竹森健太郎著 朝日新聞社)
福岡だけでなく九州の球団となった福岡ダイエーホークス。2003年の日本一は、2度目なのか、4度目なのか、はたまた5度目なのか。・・・・・・・。
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2003年の日本一は、福岡市民にとって、5度目の日本一でした。最初は、もちろん、西鉄ライオンズによる1956年から58年までの巨人を倒しての三連覇でした。西鉄ライオンズは、二リーグ分裂時にできた西鉄クリッパーズと西日本パイレーツが合併して1951年に誕生した球団。
もともと、西鉄と西日本新聞が共同で球団を所有するはずでしたが、二リーグ分裂のあおりで、西鉄がパ・リーグ、西日本がセ・リーグの球団として別々にスタートを切りますが、地方都市福岡に二球団ではやっていけず、1年で早くも行き詰まり、リーグを超えた合併によりライオンズが誕生しました。球団の運営は西鉄が行い、入場券の販売は西日本が受け持つことになりました。
当時、巨人を追われた三原氏を監督に迎え、大下に加え、中西・豊田・稲尾の活躍により日本一の三連覇を飾り、三原は打倒巨人を果たすことになります。
ところが、三連覇をしても観客動員は伸びず、三連覇の年1958年の89万人をピークに観客も減少し、60年代後半には40万人を割る年が続くようになります。止めとなるのが70年におきた黒い霧事件といわれる八百長事件で、これにより中心選手が永久追放となりチームが弱体化したのに加え、ファンの西鉄離れは決定的なものとなり、72年の暮れに西鉄は球団を手放します。
ライオンズ球団を買い取ったのが福岡野球株式会社で、太平洋クラブをスポンサーにして、73年のシーズンから太平洋クラブ・ライオンズを名乗り、77年・78年はクラウン・ライターにスポンサーを代え、クラウン・ライター・ライオンズを名乗った。本拠地球場は、平和台球場で西鉄時代と同様に使用しましたが、それについても紆余曲折がありました。
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福岡ダイエーホークスが、阪神タイガースを4勝3敗で破り、4年ぶりの日本一に輝きました。福岡ダイエーホークスとして、福岡に移転してから2度目の日本一ですが、ホークス球団としては4度目になります。
初日本一は、巨人を破り伝説の御堂筋優勝パレードの行われた南海時代の1959年。リーグでは優勝できても、宿敵巨人の前になかなか日本一になれなかったホークス。さらに新興西鉄ライオンズにリーグ優勝も奪われ、その西鉄に打倒巨人を先越されてしまっていた。その中で、エース杉浦による4連投による4連勝で鶴岡南海が5度目の正直で、巨人を破って日本一に輝いた。
2度目が、今年と同じ阪神タイガースが対戦相手となった1964年。この年はオリンピックの開幕が直前に迫り、日本中がオリンピック熱に湧く中で行われた大阪同志の対戦となり浪花シリーズとマスコミではいわれた。シリーズの日程も、オリンピックの開幕までには終わらせるといった慌ただしさの中で行われが、優勝を決めた甲子園の第6戦は、東京オリンピックの開会式と重なり、日本一をかけ甲子園で阪神が試合をしていたにもかかわらず、球場には1万5千人しか入っていない。シリーズの最低記録と言われ、大阪の街は盛り上がらなかったといいます。
3度目が、1999年、対戦相手は星野監督率いる中日ドラゴンズ。星野監督にとっては、2003年のシリーズは、いわばチームを替えてのリベンジだったわけですね。ホークスとしては、福岡に移転し、福岡ダイエーとなって初めてのパリーグ制覇、そして初めての日本一となりました。監督は王。
4度目の日本一が2003年の今シリーズとなりましたが、対戦相手は1964年と同じ阪神タイガース。1964年当時の阪神というのは、今のような関西の人気を独占するような立場にはなく、南海と人気を二分していたときでした。その後、巨人人気とセ・リーグ人気の影響を受け、阪神は関西の人気を独占する人気球団となり、南海は身売りされ、ダイエーホークスとして福岡に去っていきました。しかし、福岡に移転したホークスは、観客動員300万人を誇る球団に成長し、今シリーズは、観客動員300万人同士による対決となり、有料入場者総数は史上最多の28万9640人を記録しました。39年前と隔世の感があります。
参考文献
「南海ホークスがあったころ( 野球ファンとパ・リーグの文化史)」永井良和氏・橋爪紳也共著 紀伊國屋書店
参考サイト http://www.d7.dion.ne.jp/~xmot/?
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ダイエー福岡事業の有利子負債を1200億円としても、ダイエーグループ全体のそれが1兆2000億円というから、福岡事業はその1割にのぼることになる。ダイエーの主要取引銀行は、UFJ、三井住友、みずほの大手3行だが、福岡事業の場合、福岡、福岡シティ、西日本の地元3行が加わり、主要6行と呼ばれている。福岡事業に対する有利子負債の割合は、大手3行より地元3行の方が多いという。
大手3行と地元3行との間には、球団の取り扱いに大きな溝がある。大手3行にとっては、球団が福岡に残留するか否かは問題ではなく、単独では赤字が確実な球団の売却を要求している。これに対し、地元3行は、球団の売却には同意しているが、球団の福岡残留が条件となる。ちなみに、地元行のうち西日本と福岡シティは今年の4月に持ち株会社を作り、統合しており、来年4月には合併して西日本シティになる。
福岡事業の再建をさらに複雑にしているのが、約40にのぼる取引銀行の多さだという。福岡事業を売却(約600億円)しても、銀行側には債権が残る。主要行が債権放棄(約400億円)に合意しても、債権放棄に同意しない金融機関が出てくれば、福岡事業の売却はうまくいかなくなる。このため融資額が少ない取引銀行の債権を産業再生機構に買い取ってもらい、債権者間の調整を図ろうというのが、ダイエーと主要行の思惑である。
産業再生機構は、球団を含めて3点セットで売却することを主張していたが、球場とホテルの先行売却が具体化したことで、@ダイエー本社が球団の赤字を全額補填するA球団オーナー中内正氏の保有する球団株の減資B球団がチケット販売権を持ち、球場に適正な使用料を支払う、という条件をダイエー本社側に出してきたことが、明らかになった。これは、球場とホテルの売却後、売却先にチケット販売権を譲渡し、球団の赤字分を補填してもらおうとしているダイエー本社の思惑と大きくずれたものであった。
10月17日の日経新聞によれば
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高木社長は主力銀行を通じて再生機構と折衝していることは認めたが、球団の赤字全額補てんについては「球団とダイエーの経営状況をみながら従来通り一定の負担をしていく」とかわした。球団の年間赤字15億円のうちダイエーは3分の1を負担しているとみられ、再生機構との調整が必要だ。中内正氏の保有株の圧縮も高木社長は「正氏の株式保有は(来期以降も)尊重すべきだ」と語った。
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産業再生機構については、西日本新聞(9月6日)の記事から
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金融と産業の一体的再生のために5月に業務を始めた半官半民の株式会社。取引銀行が持ち込んだ事業再生案件を専門家で構成する産業再生委員会が審査し、再生可能性が高い場合に支援を決める。これまでに九州産業交通、ダイア建設、うすい百貨店、三井鉱山の4社の支援を発表した。非主力行からの債権買い取りにとどまらず、九産交や三井鉱山は実質子会社化し、強力に再建を進める。ダイエー福岡事業は「支援第一陣」候補とされたが、再生案づくりが遅れている。
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最後に、9月18日の毎日新聞の記事では、産業再生機構の齋藤社長が毎日新聞のインタビューに答えて
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ダイエー福岡事業が注目されていますが−
齋藤社長「少し役者が多すぎる感じがある。ただ、債権を買い取ってほしいとの関係者の意向が明確になり、渡辺恒雄・巨人オーナーも「それならよい」というのなら、検討に値すると思っている。」
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オヨヨ
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10月17日、ダイエー本社の高木邦男社長は、中間決算発表の席で、福岡事業三点セットのうち、球場とホテルの売却問題について、米国の投資会社コロニー・キャピタルに売却する方向で交渉中であること、産業再生機構の活用を視野に入れていることを発表した。この「福岡事業の売却により有利子負債1200億円を減らせられる」という、高木社長の発表を受けて、ダイエー株は急騰しストップ高まで買われた。
ダイエーの総合スーパー主体の単独経常利益が前年同期を44%下回る51億円となり、目標の60億円を達成できなかったし、単独売上高も13%減の7089億円となり、期初計画を約210億円下回っているのにである。
ここで福岡三事業の有利子負債額に注目してほしい。17日の発表ではその額は1200億円になっている。今年度当初は1300億円と言われていたはずである。
http://www.nikkei.co.jp/sp2/nt46/20030314NN002Y25614032003.html
二次入札の9月頃は1260億円という数字だった。
http://www.yomiuri.co.jp/hochi/baseball/sep/o20030910_70.htm
この減少は、単なる端数の処理の違いによるものなのか、はたまた、福岡事業三社が保有する株式売却による減少によるものなのか。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/special/daie/daie-news2/daie-2news0830a.htm
この仕組みは、2002.9.10 日本経済新聞の記事とメルマガ「経済ニュースで学ぶ会計」が参考になる。http://www.f-gym.net/bn59.html
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『ダイエー福岡事業 負債、最大400億円圧縮3年で 関連会社の資産売却』
「経営再建中のダイエーグループで、球団やドーム球場、ホテルな どの「福岡事業」関連子会社が抱える1400億円弱の有利子負債を3年間で350億−400億円削減する案が浮上してきた。子会社が保有する土地や株式などを返済原資に充てる。金利負担の軽減で経常黒字への転換を急ぎ、地元に対し出資を要請しやすい条件を整える。」
「福岡事業の関係子会社が売却を検討するのは、ダイエーやオーエムシーカード(旧ダイエーオーエムシー)の株式に加え、大阪府や兵庫県などにある合計4ヶ所の土地など。資産売却によって、200億円程度の有利子負債が削減できる。」
「営業利益が出ている福岡事業で得られるフリーキャッシュフロー(純現金収支)で年間50億円以上の返済が可能。3年間の削減額は合計350億−400億円程度になる。このスキームについてダイエー本体などと協議する。」2002.9.10 日本経済新聞
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ところが、「営業利益が出ている福岡事業で得られるフリーキャッシュフロー(純現金収支)で年間50億円以上の返済が可能」という返済は、金額はともかく、既に1999年から始まっていた。
プロジェクトH「福岡3点セット」の構造改革(竹森健太郎著 朝日新聞社)には次のように書かれている。
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02年2月の段階で、「3点セット」の抱える有利子負債1400億円は、100億円も減らすことができ、残りは1300億円となった。
98年度まで、毎年30数億円の運転資金を借りい入れていたが、高塚が改革を始めた99年度からその借り入れもなくなった。その上、有利子負債に対して毎年40億円ずつ返済。3年で負債を100億円圧縮することに成功した。
この鮮烈なまでの経営状況の好転は、まさに奇跡的とも言える。
「以前だったら、マイナス78億円だったろうと思われる経常損益の数字が、00年はマイナス3億円。01年はまだ言えないけれども、毎年50億円ぐらいの資金ができています。」
そう言って河井(福岡ドーム経理管理本部、財務経理部部長)は胸を張る。
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年間50億円の返済なら1200億円の有利子負債の返済も24年で可能になる。ダイエー本社の本業不振が続く中、福岡事業3点セットは、利益を上げ、ダイエーの有利子負債の返済に貢献してきた。利益の上げている事業を安く買い取るのは米国の投資会社。おいしい商売ではないか。不採算の企業が採算部門を切り離し、株価が上がる。不思議な世界である。
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255のつづき
福岡ダイエーホークスの球団株式の60%をダイエー本社が、40%を中内正オーナーが所有しています。実際上の保有者は、ダイエー本社です。ダイエー本社は、球団の売却を決定できます。中内オーナーがいかに抵抗しようとも、どうしようもありません。また、ダイエー本社は既に過半数の株式を保有しているので、球団への負債(90億円)を株式に変換して株式所有を9割(98%)にしても、過半数であり、筆頭株主であることには変わりありません。
つまり、プロ野球協約の改正31条2号の49%を超える株式の所有の変更ではありませんし、同条3号の筆頭株主の変更でもなければ、同条4号の実際上の保有者の変更ではありません。もちろん、同条1号の参加資格の譲渡ではありません。ただし、改正28条の届け出義務はあります。ダイエー本社が、株式を6割から9割に増やしてもプロ野球の実行委員会やオーナー会議で承認を受ける必要はありません。
この状況までは、ナベツネさんも手出しできないことになります。1年後の売却を前提に球団を保有したとしても、日本プロ野球組織から球団が脱退する分けではありませんから、プロ野球協約36条の脱退の恐れには該当しません。
それよりも問題になるのが、ナベツネさんがよく脅しに使う、「脱退して新リーグを結成する」という話のほうです。オーナー自ら、日本プロ野球組織から脱退するということを言っているわけですから、プロ野球協約36条の脱退の恐れに該当することは明らかです。このとき実行委員会は、コミッショナーに球団の参加資格、その他諸権利に関する処分、又は第57条(連盟の応急措置)と第58条(選手の救済措置)の発動をコミッショナーに申請することができることになっています。
36条に抵触する発言を繰り返す読売巨人軍渡辺ツネオオーナーの口から、ダイエー球団を解散させ、57条による応急措置も辞さないという発言がでるとは、まさに球界のパラドックスです。読売巨人軍こそ、36条により、球団の参加資格の剥奪と57条の連盟の応急措置が必要なはずなのです。
そして、その渡辺ツネオ氏の感覚が、原氏を読売巨人軍の監督から追いやったのです。
日本プロ野球協約2003年度版(日本プロ野球選手会HPより)
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福岡ダイエーホークスとしての優勝は、今年で最後になるかもしれないとも言われていますが、親会社のダイエー本社が球団の売却を来シーズン終了時まで先延ばしにしたので、少なくともあと一回チャンスは残された格好になっています。
この売却を前提にした球団保有に、自称「球界の盟主」読売巨人軍の渡辺ツネオオーナーは、
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「オーナー会議の承認事項になるだろうが、球団は継続して努力する義務があることが協約上、決められている。1年で転売するというのはどうか」と来年、売却先を探しながら球団を持ち続けることに疑問を投げかけ(中略)、さらに「安く買って高く売るというハゲタカ商法に売ったらプロ野球の将来がなくなる。どうしても12球団じゃないと、というのはない。野球協約による57条(別項)とかの緊急措置も必要かもしれない。解散することがあっても、1球団の選手枠を増やして、ウエーバーで選手を取っていけば(ダイエーの選手は)全員、救済できる」と強い口調で話した。
(報知新聞2003.9.10)
http://www.yomiuri.co.jp/hochi/baseball/sep/o20030910_70.htm
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ダイエー本社側は、福岡三事業のうち福岡ドームとホテルの売却を優先し、これについては米国の投資会社コロニー社への売却が今年中には決まりそうな状況になっています。これに対し、球団は地元の反発と外国人の球団保有を制限しているプロ野球協約の制約からとりあえず、球団の売却を1年延期して、ドームとホテルの売却を優先することにしたようです。
ただし、ホークス球団が300万人を超える観客動員を誇るようになったのは、球団とドームとの一体的な経営によるものであり、ドームにとって球団との一体的な経営は不可欠なものです。このため、入場券の販売など、球団の興行権の一部は、コロニー社への売却後も福岡ドームに委託する考えのようです。さらに、球団オーナーの中内色を消すため、球団のダイエー本社に対する負債90億円を株式化して、ダイエー本社の持ち株比率を9割(98%)にするということも考えているようです。
福岡ドームがコロニー社に売却されたら、福岡ドームは外資系企業となるわけですが、外資系企業に興行権を委託したからといって保有権の変更にはならないと思います。球場や親会社への興行権の委託は、親会社の宣伝機関として位置づけられてきた日本のプロ野球にとって広く行われていたからです。それを「でも、球団が主体的に興行権を持つのが本来の姿」(長谷川事務局長 bQ52で前出)といわれても困ってしまいます。一番困るのが入場券を親会社である読売新聞の販売拡張に使われている読売巨人軍ではないでしょうか。
横浜ベイスターズも前の球団社長の大堀氏が社長になるまでは、入場券の販売など興行権の一部を横浜スタジアムに委託していました。興行権の委託が、実質的な保有者の変更となるのであれば、それまでは、横浜スタジアムが球団の保有者で、委託の取り消しは、マルハへの保有者変更になってしまいます。古くは、西鉄ライオンズでは、球団は西鉄が保有していましたが、入場券の販売などは西日本新聞が請け負っていました。これは、西鉄クリッパーズと西日本パイレーツが合併して西鉄ライオンズになった経緯によるものですが。
資本関係のない者を、実際上の保有者として判断することは極めて難しいものです。税務署などは、税金逃れしている実際上の保有者に課税をしたりしますが、「実際上」の意味の判断は司法にゆだねられたりします。単に興行権の一部の委託先の企業の株主が変わったからといって、直ちに、球団の実際上の保有者の変更にはなりません。委託契約の内容とホークス球団の株主が変わらないのであれば、福岡ドームの保有者がダイエー本社から外資のコロニー社に変わっても、福岡ダイエーホークスの保有者は、ダイエー本社であることには代わりはありません。現在のオーナーが、中内正氏で、実質的な親会社が福岡ドームであってでもです。
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9月30日最後になってもたついたが、福岡ダイエーホークスが優勝した。親会社のダイエーは、今日(8日)、ホークスの優勝セールで、直営店(265店)の売上が期間中(1日から8日)400億円を突破したことを発表した。前年同期比で約2倍だったという。西日本、中でも関西で売り上げが伸びたそうだ。もともと、親会社のダイエーは、神戸で生まれ大阪で育った企業であり、ホークス自体も、南海という関西の老舗球団だったわけで、だから関西の売り上げが伸びたのかと思ったら、売り上げのトップが兵庫県西宮市の甲子園店の約6億5000万円だった。単に、タイガースフィーバーがダイエーに飛び火しただけのようである。恐るべしタイガース人気。
我が家(関東)の近所のダイエー系の食品スーパーでも、優勝セールを行っていたが、表示してあった球団名は、福岡ダイエーホークスではなく、ダイエーホークスであった。かみさんに、スーパーの広告でホークスのマークがFDHになっているのを見て、DHは分かるけれれど、Fは何の意味かと聞かれてしまったくらいである。関東では福岡ダイエーホークスの「福岡」の知名度は低い。全国区の巨大スーパー、ダイエーにとって、九州以外では、球団名の福岡は邪魔なんでしょう。
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阪神タイガースの御堂筋優勝パレードは、11月3日大阪市役所前を午前10時半出発し、南に2.2キロ1時間の予定、費用の1億円は、募金頼み。ところで、阪神のフランチャイズは大阪府ではなく兵庫県。その兵庫県では3日の午後神戸市内で優勝パレードを実施するとのこと。再び、ところで、阪神の本拠地球場は、阪神甲子園球場で兵庫県西宮市にあります。その西宮市では、財政難から、阪神の優勝パレードは断念という摩訶不思議。兵庫県と神戸市さん、オリックス・ブルーウェーブを忘れていませんか。大阪府と大阪市さん、大阪近鉄バファローズをお忘れではありませんか。
※ 阪神パレード動員数 大阪40万人 神戸25万人 計65万人
一方、福岡ダイエーホークスの優勝パレードは、阪神のパレードの前日の11月2日、福岡市内で行うとのこと。1999年、福岡ダイエーホークスになってからの初優勝の年、優勝パレードは福岡の他、北九州でも行っています。そのとき使われたオープンバスは、前年の横浜ベイスターズの優勝パレードに使われた横浜市営のバス。このバスも、10月1日から実施されたディーゼル排ガス規制のため、廃車になるという。改造するにはおカネがかかるし、もともと老朽バスだったし、ベイスターズは当分優勝はなさそうだし、というわけ。
※ ホークス・パレード動員数 福岡36万人
※その後の話では、オープンバスは、廃車ではなく、売りに出されるようです。ただし、買い手がつくかどうかは知りません。排ガスの浄化装置をつけないと行けませんからね。
※さらにその後の話では、ディーゼルの排気ガス規制のない地区へトラックの売却が増えているそうです。オープンバスも排ガス規制のない地区に売り出すようです。
次は、なんばホークスではなく、なんばパークスのお話。先日、大阪スタヂアムの跡地にできた「ばんばパークス」がマスコミに公開され、テレビ東京で大阪版六本木ヒルズとして紹介していました。オープンは、来週だそうです。そして、同時に紹介されていたのが、大阪市か府が東京で行った外国企業の誘致レセプションのお話。番組のキャスターが言うことには、大阪は官民挙げて都市の再開発に取り組んでいるとのこと。なんばパークスに緑が目立つのは官民協力によるヒートアイランド対策だそうです。緑は、もと南海ホークスの球団カラーですが、ここでいう緑はもちろん緑地のことです。ところで、このなんばパークスには、南海ホークスのメモリアル・ギャラリーや記念プレートができることになっていますが、そのことにはテレビでは触れられていませんでした。
なんばパークスのホームページがありました。やっぱり緑が溢れていました。緑の部分はパークス・ガーデンというそうです。フロアガイドをみたら、7階のフロア図に小さくな南海ホークス・メモリアルギャラリーを見つけることができました。ただし、メモリアルギャラリーの紹介は何もないようです。みたところ、なんばパークスが大阪スタヂアムの跡地に建てられたことも出てきませんでした。オープンは10月7日。
※ 追伸 メモリアル・ギャラリーには野村監督のメモリーがないそうです。
http://www.nambaparks.com
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大阪から福岡に移転して15年、福岡ドームを本拠として11年、福岡ダイエー・ホークスは、2001年から3年連続300万人の観客を動員し、1999年以降3度目の優勝を目前にしている。その福岡ダイエーホークスは、いま重大な岐路に立たされている。
1兆2000億円の有利子負債を抱え、再建中のダイエー本社は、その圧縮のため約1260億円の負債を抱える福岡事業の切り離しを図っていたが、9月25日、福岡ドームと隣接するホテルの売却先として米国の投資会社コロニー・キャピタル社に優先交渉権を与えることを決めた。
売却先の候補として、コロニー社の外、同じく米国の投資会社リップルウッド・ホールディングスとリーマン・ブラザーズ証券の連合体の2グループに絞られていたが、コロニー社は600億円の債務承継額のほか、新たな商業施設などへの投資額として250億円を提示し、債務承継額500億円台、追加投資額100〜150億円の2社連合を条件面で上回り、負担軽減を図りたいUFJ銀行などの主要取引銀行の評価を得て、内定したようである。
焦点となった福岡ダイエー・ホークスの処遇は、ダイエー本社が、来シーズンまでは保有し続け、「少なくとも10年間は福岡ドーム(球場)を本拠地とする方針を固めた」。ホークスは、「興行権のうち、放映許可権や選手の肖像権を保有し、チケットの販売などの営業面は福岡ドームに委託している。ダイエーは営業面については買い手企業にそのまま引き継ぐ方向で検討している」。
福岡ドームとシーホーク・ホテルは、球団が移転したらただの箱と化し、買いたたかれる恐れがあったことから、主要取引銀行は、ダイエーに球団を含めた売却を迫っていた。中でも、地元3行のリーダー格である福岡銀行は、今年の6月、ドームと球団を合わせて売却するという独自案を提案していたが、地元福岡市民から「銀行が球団を売らせようとしている」と反発を受け断念する。
8月には、福岡事業の三点セットの売却案も明らかになるが、福岡事業の売却先は、この時点では、コロニー、リップル、リーマンの外資3企業に絞られていたため、外資の球団所有を制限した、野球協約をクリアできるかが焦点であった。そこで考えられたのが、「ドームの買い手は球団の1割以上の株を取得するが、最大でも4割にとどめる。その一方で、ドームの買い手は実質的な売却先として、6割分の株を取得するスポンサー(国内企業)を指名する権利を得る。残りの3割までは、地元企業が株を持ち、「市民球団」の性格を強める。」というものであった。
ところが、球団売却案で地元の猛反発を受けた地元銀行団は、この三点セット売却案に距離を置くようになり、地元九州の企業も球団の持ち株所有には消極的であった。「球団売却には、プロ野球12球団のオーナー会議の承認が11月末までに必要」だが、この案でも、「ドームの買い手である外資系企業が球団運営に一定の影響力を持つことに」なり、プロ野球側の理解を得られないとしてダイエーは、球団の売却を1年先延ばしにしたのだった。
ところが、ダイエーの球団売却先延ばし案も、多くの問題を抱えていた。9月23日の朝日新聞朝刊西村欣也氏のEYEによれば、長谷川コミッショナー事務局長曰く「これまでの議論を聞いている限り、売却を前提として球団を保有することは、実行委員会、オーナー会議の了承を得られないでしょう」。渡辺読売巨人軍オーナー、ダイエー本社から1年後の球団売却を打診されて「買い手企業も決まっていないの、売ることを前提とした球団経営はどうなのか。野球協約に反するのではないか」。
球団がドームの買い手企業に興行権を譲渡する話についても、「球団が興行の一部を本社に委託しているのはめずらしくない。でも、球団が主体的に興行権を持つのが本来の姿。ダイエーからいずれ話があるでしょう。その場合、実行委員会、オーナー会議で判断することになるでしょう」(長谷川事務局長)。
ホテルとドーム球場の買い手企業を巡っては、当初は国内外の投資会社や証券会社など5社が名乗りを上げ、7月に行われた1次入札で米証券大手のリーマン・ブラザーズ、米投資会社のコロニー・キャピタル、リップルウッドホールディングスの3社に絞り込まれた。 コロニーは1次入札の段階から最も高い金額を提示した。今月中旬の2次入札では、リップルとリーマンの2社が連携してコロニーに対抗したが、引き継ぐ債務の額が500億円台、追加投資額が100―150億円と、いずれもコロニー案を下回った。(2003.9.26読売新聞)
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阪神優勝は登録商標のため阪神星野組を使用しました。
星野組と毎日と阪神
星野組といえば昔、ノンプロに別府星野組というのがあって結構、強かった。1949年には、都市対抗で優勝している。その星野組にいた西本幸雄、荒巻淳らは、その年の暮れに結成された毎日球団に合流する。西本幸雄はご存じ阪急、近鉄で監督を歴任しリーグ優勝8度という名将。荒巻淳は、火の玉投手という異名をもつ速球派の投手で1950年入団時に26勝8敗、防御率2.06で最多勝、防御率1位、新人王を獲得、毎日初優勝の原動力となった。
2リーグ分裂の原因となった毎日球団の誕生。これは、読売というマスコミ1社に依存していた体制に危惧を感じていた関西私鉄グループが、毎日新聞社の参入を働きかけたことによる。当時、読売新聞から離れコミッショナーをしていた正力松太郎も読売新聞を主体としたリーグと毎日新聞を主体としたリーグという2リーグ制を提唱する。二つのリーグが切磋琢磨してプロ野球の繁栄を築こうというものであった。
ところが、この毎日の加入に読売が猛反対して結局、けんか別れ状態になり、選手の争奪戦が起こった。そこでおきたのが毎日新聞による阪神の選手の大量引き抜き事件。若林監督以下
別当・呉・土井垣・本堂・大館の6人が新球団毎日オリオンズに移籍し、阪神タイガースは大打撃を受ける。阪神が2リーグ分裂後初優勝するのは1962年、別当・土井垣らを引く抜かれてから13年後であった。
阪神と南海 御堂筋パレード
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右の表は、九時星さんの球探からデータを使わせていただきましたが、1952年から1959年までの南海と阪神の観客動員数を追ったものですが、こうみると「南海ホークスがあったころ」で指摘されているように関西の代表球団の地位を南海と阪神が争い、しかも、南海が優位に立っているのわかります。その南海も日本シリーズでは読売に苦杯をなめています。
ところが、1959年杉浦投手を擁した南海はリーグではライバル西鉄を破り日本シリーズでは宿敵読売を倒し、日本一に輝きます。そのとき行われたのが御堂筋パレード。このときを最後に、優勝パレードは行われていません。御堂筋パレードは、警察が警備の都合上、これが最後のパレードだとしてやっと許可されたものでした。
2003年、今や関西の野球熱を独占する阪神タイガースは大阪府知事から直々に御堂筋パレードの依頼を受ける立場になっていました。御堂筋パレードは11月3日が予定されているそうです。
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| 西暦 |
阪神タイガース |
南海ホークス |
日本シリーズ優勝球団 |
| 順位 |
観客数 |
観客数 |
順位 |
| 1952 |
2 |
252,782 |
656,002 |
1 |
読売 |
| 1953 |
2 |
627,644 |
769,500 |
1 |
読売 |
| 1954 |
3 |
686,710 |
736,500 |
2 |
中日 |
| 1955 |
3 |
590,906 |
749,300 |
1 |
読売 |
| 1956 |
2 |
892,364 |
713,900 |
2 |
西鉄 |
| 1957 |
2 |
931,600 |
603,700 |
2 |
西鉄 |
| 1958 |
2 |
836,400 |
743,600 |
2 |
西鉄 |
| 1959 |
2 |
526,250 |
858,869 |
1 |
南海 |
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1920年代大阪は大発展する。市域の拡大もあるが、1920年の125万人(東京同217万人)から10年後の1930年には245万人(東京同207万人)と倍増し、関東大震災の影響、市域拡大の遅れなどによって逆に人口減となった東京を抜いて日本一の巨大都市となった。
このため大阪には早くから、混雑、公害、住宅問題などの都市問題がおきた。これに対し、大阪は、鉄道の建設、市域の拡張、街路の整備、地下鉄の建設によって対応したが、自治体だけでは対応できず、都市開発を中心となったのが私鉄であった。私鉄は郊外に路線を延ばし沿線の住宅開発を次々と行っていった。乗客を増やすため、住宅の分譲だけではなく、学校の建設、百貨店などの商業施設の開設などさまざまなアイデアを実行していった。特に、私鉄どうしの競合路線では、熾烈な乗客獲得競争が繰り広げられた。その中で、スポーツ、なかでも野球への関心も高まっていった。ただし、最初からプロ野球を念頭においていたわけではなく、球場も、どちらかといえば沿線住民のためのスポーツ施設やイベント施設として考えられていたようであった。
ところで、郊外に延びた私鉄網は、大阪郊外の都市基盤を整備していったが、同時に、大阪市の人と富を大阪市の外に持ち出す装置にもなった。大阪郊外の高級住宅地は、灘、西宮、芦屋、宝塚など、ほとんどが大阪市外にある。これは23区内にも高級住宅地を持つ東京と大きく異なる。大阪は富だけでなく、1970年代以降人口を減少させていく。1970年に295万人であった人口が1999年には247万人となり1930年当時の人口に戻ってしまっている。
ここで大阪スタヂアムにおける立地について、「南海ホークスがあったころ」によれば次のようになる。
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大阪スタジアムができるまではプロ野球を見に行くには郊外の甲子園球場か西宮球場に行くしかなかった。このころはまだ大阪には多くの人が住んでいたので、野球を見に行くと言うことは郊外に出かけるということだった。そこに、都心のターミナル駅の隣にナイター設備を備えた野球場ができた。大阪の人たちはわざわざ郊外に出かけることなく野球を見ることができるようになり、大阪スタヂアムには多くの観客を集めることができた。ところが、やがて都市のドーナツ化が進行し、都心の球場は遠い場所におかれることになる。ゲームセットが夜の9時を過ぎるような平日のナイターに女性や子どもたちだけで出かけることは危険だと考えられ。自然と大人の男たちだけの空間になった。
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参考文献
「南海ホークスがあったころ( 野球ファンとパ・リーグの文化史)」永井良和氏・橋爪紳也共著 紀伊國屋書店
「都市の魅力学」 原田泰著 文春新書
「近代プロ・スポーツの歴史社会学(日本プロ野球の成立を中心に) 菊幸一著 不味堂出版
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第一世界大戦後、我が国に一時的に出現した大衆消費社会は、人口の都市集中化と労働者の購買力の増加を背景にしていた。そして、この大衆消費社会の担い手となったのが鉄道と新聞であった。鉄道と新聞は明治期のニューメディアといわれ、鉄道は人を運ぶという運輸系列のメディア、新聞は情報を伝達する情報系列のメディアであった。大衆消費社会は、人と情報のメディアの発達が不可欠であった。大阪にはこの鉄道と新聞が発達していた。戦前の大阪は、官都東京に対抗して民都大阪と呼ばれ、阪神、南海、阪急、大阪鉄道(現近鉄)といった私鉄が郊外にまで延び、新聞は大衆化・企業化も進み、朝日・毎日といった大衆紙が生まれていた。
また、この時期、野球は見るスポーツとして確立していく。明治から大正にかけて、野球は全国的に普及し各地で大会や対抗戦が行われるようになっていく。中でも、1915年(大正4年)に始まった全国中等学校野球大会は人気を博し、これがまた、「野球の裾野を拡大した。それは、郷土の代表が地方予選に選出され、全国大会で覇を競うかたちを整えたからだ」。全国中等学校野球大会は、年ごとに参加校が増えるとともに、観客の数も増え、豊中から鳴尾、甲子園球場と会場を移していった。大衆消費社会の大衆は、見るスポーツとして野球を求めていた。特に、地方から都市に移り住んだ住民にとって、中等学校の全国大会は、望郷装置としての役割を担っていた。
この野球人気を鉄道会社と新聞社は見逃さなかった。鉄道会社は沿線開発と乗客誘致が目的に、新聞社は競争力と購読者を増やすことを目的に野球と結びついたのである。そもそも、全国中等学校野球大会は、朝日新聞社(新聞)と箕面有馬電気鉄道(現阪急電鉄)(鉄道)とのタイアップ事業で当初は、阪急の豊中運動場で始まった。豊中が手狭になったため、1916年(大正6年)の第3回大会から阪神の鳴尾運動場が会場となった。阪急電鉄は、全国中等野球大会というキラーコンテンツをライバルである阪神電鉄に奪われたことになる。その鳴尾運動場も手狭になり、阪神電鉄は1924年(大正13年)4万5千人収容の甲子園球場を建設し、第10回全国中等学校野球大会から使用され、1日で8万人の観客を集めたとされる。甲子園球場はその後も増改築を繰り返し1936年(昭和11年)には収容人員6万8千人から7万人というマンモス球場となった。
朝日のライバルであった毎日新聞社は、朝日による中等学校野球の成功に刺激され、野球を通した事業を展開していく。甲子園球場ができた1924年の春には、選抜中等学校野球大会を主催し、第2回大会から甲子園球場で開催するようになる。東京に進出した毎日新聞社は、1926年に完成した神宮球場で、1927年から都市対抗野球大会を始める。1920年には毎日新聞社の宣伝機関としてのセミプロ球団大毎野球団を作っている。
プロ野球では、関東大震災で頓挫した日本初のプロ球団日本運動協会(1921から1924)を引き受けたのが阪急電鉄の小林一三。再建された宝塚運動協会は、宝塚運動場をホームグラウンドとして1929年まで活動した。ところで、阪神電鉄が甲子園球場を建設したのは、全国野球大会の受け皿としてだけではなく、沿線の住宅開発の核として建設したのであった。阪急の宝塚運動場しかり、大阪鉄道の藤井寺球場しかりであった。
参考文献
「南海ホークスがあったころ( 野球ファンとパ・リーグの文化史)」永井良和氏・橋爪紳也共著 紀伊國屋書店
「猛虎伝説(阪神タイガースの栄光と苦悩)」 上田賢一著 集英社新書
「近代プロ・スポーツの歴史社会学(日本プロ野球の成立を中心に) 菊幸一著 不味堂出版
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南海ホークス(当時、南海)は、日本職業野球連盟9番目の球団として南海電鉄が親会社となり1938年誕生した。当時関西には、タイガース(阪神電鉄)と阪急(阪急電鉄)という私鉄を親会社とする二球団がすでにあり、タイガースには甲子園球場、阪急には西宮球場というホーム球場があった。そして、両球場とも兵庫県西宮市にあり、大阪にはプロ野球を行う球場はなかった。このため、南海も大阪スタヂアムができるまでは、関西にゲームがあるときは甲子園球場や西宮球場で試合を行っていた。
戦後、日本のプロ野球は、米国大リーグを模し、球団ニックネームとフランチャイズ制を導入した。南海は、近畿グレートリングを経て南海ホークスとなり、本拠地は正式に大阪市となった。この大阪を争ったのが田村駒次郎の大陽ロビンスであったが、阪急とタイガースの反対にあい、ロビンスは京都、南海が大阪ということで落ち着いた。ただし、南海が早急に大阪に球場を建設するのが条件であった。そこで、南海電鉄難波駅に隣接してできたのが大阪スタヂアムであった。大阪スタヂアムは、都心のターミナルに隣接している立地を生かし、スタンド下にはテナントが入る複合施設であった。この大阪スタヂアムの完成によって、南海ホークスは名実ともに大阪の球団となった。
1950年の2リーグ分裂時に、大阪に二つめの球団、近鉄パールス(バファローズ)が誕生した。これにより大阪近郊には電鉄系の4球団がようやくそろった。関西で唯一の非電鉄系の球団であった大陽(太陽)ロビンスは、その後松竹映画をスポンサーとして松竹ロビンスとなり、大洋ホエールズとの合併を経て消滅していくことになる。
次に大阪近郊におけるこれら4球団の位置づけを見てみよう。出典はやはり「南海ホークスがあったころ」から。
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住民は、どのチームを選んでファンになったのか。マスメディアの影響が小さいうちは、自分が利用する鉄道のチームを選択するだろう。大阪やその近郊で暮らす人びとが、日常生活の中で「大阪人である」と意識することはあまりない。・・・だが、大阪やその近郊でのふだんの生活にあっては、たとえば「阪急沿線に住んでいる」という意識のほうが顕在化しやすい。関西私鉄四球団の本拠地は大阪市とその近郊に集中したけれども、沿線ごとの下位文化がそれぞれのチーム・カラーに定着していたとみることができる。南海は浪花のチームであり、近鉄は河内のチームであった。阪急は摂津阪神間の山手イメージをつくり、阪神は海側の地域がもつ いろ合いをそなえていた。
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マスメディア、すなわちテレビが普及する以前の関西・大阪にあっては、私鉄系4球団がそれぞれの沿線沿いに独自のマーケットを築いていた。ただし、やはり強豪チームには人気があった。戦前から大阪の強豪といえばタイガースであったが、南海が1946年に続き、1948年にも優勝すると、大阪で強豪の仲間入りを果たす。そして、1950年に地元大阪に大阪スタヂアムが完成すると、南海ホークスが、大阪の「代表」チームとなった。「阪神タイガースが大阪の「代表」チームとして押しも押されもせぬチームに浮上するのは、1970年代以降の話」だそうである。
参考文献
「南海ホークスがあったころ( 野球ファンとパ・リーグの文化史)」永井良和氏・橋爪紳也共著 紀伊國屋書店)
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「南海ホークスがあったころ」に次のように書かれていた。「この景観の異様さは、言葉では表現しにくい。世界的にも珍しいものだったようで、ロッテルダムで発行された建築の専門書の表紙にもなっている」。これが245の上の写真だが、まるでジオラマの世界である。
当初、住宅展示場は3年間だけの予定であったが、ちょうどバブルの崩壊期に重なり、結局、1991年から大阪スタヂアム解体の1998年まで続いた。南海ホークスの夢の跡は、福岡移転後も10年間保存されていたことになる。そして、大阪スタヂアム解体から5年、阪神タイガースの18年ぶりの日本シリーズが行われるであろう今年の10月再開発が完成し、複合商業施設が開業する。そこには、南海ホークスの記念コーナーも付設されるらしい。そうそう、阪神タイガースの日本シリーズの相手は、福岡ダイエーホークスになりそうである。そんな縁で、8月24日にあの写真が掲載されたのかもしれない。
「南海ホークスがあったころ」は、ともに熱狂的な南海ホークスのファンであった永井良和氏と橋爪紳也氏が書き綴ったもので、この本の帯には「日本の戦後史を、読売ジャイアンツというチームや長嶋茂雄という人物をもって描こうとする人がいる。しかし、歴史を限られた視点から圧縮した結果である。野球の歴史は、プロ野球のそれだけをとってみても、それぞれの都市に独自のものがある。とりわけ、敗戦から高度成長にかけてのじだいだからこそ、希望と絶望が混ざり合う波乱に満ちた独自の歴史があった。−ひとつの地域史として、あるいはパ・リーグの野球史として、歴史の書き方を示しておきたい。(まえがきより)」と書かれている。
関東のセ・リーグファンにとって、否、全国のプロ野球ファンにとっても、いまや記憶のエア・ポケットになっている歴史を明らかにしてくれたのが本書である。「南海ホークスがあったころ」サブタイトルは「野球ファンとパ・リーグの文化史」紀伊國屋書店から値段は税抜きで1800円。
8月、ある掲示板で関西と関東の違いが話題になり、ある掲示板では鉄道と新聞の話が取り上げられていた。18年ぶりの阪神フィーバーでわく関西。私の脳裏に ある思いと疑問とイメージが渦巻いていた。その答えが、本屋の店頭に出ていた。まさに私のエアポケットを埋めてくれるものであった。さっそく購入したが、今年の7月5日が第1刷なのに購入した本はすで8月5日発行の第4刷であった。
最後まで呼んでこの増刷分の秘密が分かった。後書きの最後に「本書脱稿後の6月19日、南海電鉄は、大阪球場跡地に開業する「なんばパークス」の二階「キャニオンストリート」にホームベースとピッチャーズ・プレートをかたどった御影石製の記念プレートを設置すると発表した(開業は2003年秋)。場所は、かつて本塁とマウンドあった位置の真上に相当する。また、七階には、南海ホークスと大阪球場の歴史を展示する「メモリアル・ギャラリー」をオープンする。南海ホークスの50年を記念する場所がつくられた。増刷にあたって書き加えておく。」と著者のひとり永井良和氏はつづっていた。
ここで、大阪スタヂアムの写真と本書がつながった。
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太陽の季節とは、もちろん夏の意味で野球の季節のことである。決して大洋ホエールズに掛けているわけではありません。といいながら、最初から話を脱線させると、昔、大洋ホエールズと合併後消えていった松竹ロビンスの前身は、太陽ロビンスだったから、大洋は太陽と大いに関係があったのだ。
話を戻すと、今年の8月24日、日曜日、朝日新聞朝刊のスポーツ欄の2面ぶち抜きで、前日23日行われた夏の甲子園大会決勝戦の結果を報じていた。結果は、茨城の常総学院が、宮城の東北高校を4−2で下し、初優勝を飾った。また、この試合は、常総学院の名匠木内監督の引退に花を添えた。
春先から快進撃を続けていた阪神タイガースは、8月の死のロードで苦戦を続けていたが、前日23日の試合は、横浜ベイスターズのおかげで連敗を5で止め「トラ連敗脱出、M18」という見出しが載っていた。もちろん、この試合は、甲子園ではなく横浜スタジアムのロードであった。甲子園は夏の高校野球が決勝戦が繰り広げられていたからである。ところで、横浜戦の前は中日との三連戦であったが、この試合、阪神タイガースのホーム試合であった。もちろん、このときも甲子園では高校野球が行われていた。阪神の中日三連戦は、大阪バファローズの本拠地大阪ドームで行われていた。
阪神タイガースの本拠地、甲子園球場。プロ野球12球団のうち球団設立当初から、本拠地球場が変わらないのは、阪神タイガースだけだそうだ。そんな甲子園球場も夏は高校野球が優先されるので、タイガースは死のロードといわれる長期ロードを強いられる。そこで、甲子園のある兵庫県と隣接している大阪にある大阪ドームでここ数年試合を行うようになっていた。
タイガースが大阪で試合を行うのは何も最近のことだけではなかった。タイガースは、戦後まもなくは、大阪タイガースと名乗っており、大阪スタヂアムでも試合を行っていた。大阪スタヂアムは、南海ホークスの本拠地球場として1950年に完成し、1951年には後楽園球場に次いでナイター施設も完成していた。甲子園球場が米国軍の接収などでナイター設備の設置が遅れていたため、タイガースも大阪スタヂアムを本拠地球場として使用していたのだ。
この大阪スタヂアムは当初、南海だけでなく阪神、近鉄、果ては、大洋松竹ロビンスも本拠地として使用していた。甲子園球場が接収を完全に解除されたのが1954年、ナイター設備が完成したのが1956年であった。甲子園球場のナイター完成によって、タイガースは、大阪スタヂアムを去り、ようやく甲子園球場に落ち着くことができた。1958年には近鉄が日生球場に進出し大阪スタヂアムを去った。ロビンスも1955年からは大洋ホエールズにもどり川崎球場に移転していった。
さらに1988年の10月南海ホークスが、ダイエーに売却され福岡に移転すると、主を失った大阪スタヂアムは、住宅展示場というテーマパークと化してしまった。そんな大阪スタヂアムも1998年11月には解体されていった。
ところが18年ぶりの阪神フィーバーにわく夏、2003年8月24日の新聞に突如、住宅展示場と化した大阪スタヂアムの写真が掲載された。
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2003年8月24日朝日新聞朝刊
様変わり 1996年8月17日 大阪・難波の大阪球場で
90年、南海(現ダイエー)ホークス最後の公式戦後、球場は住宅展示場に再利用。
今年10月、再開発の複合商業施設が開業し、南海の記念コーナーも付設される。

南海ホークスがあったころ 野球ファンとパ・リーグの文化史
永井良和・橋爪紳也 著 紀伊国屋書店 1800円(税別)
2003年7月5日 第1刷発行
2003年8月4日 第4刷発行

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日本のプロ野球は、親会社の広告宣伝媒体だといわれています。実際、球団は、親会社の名前を名乗り、親会社は、球団の赤字分を広告宣伝費として償却できる仕組みになっています。
広告宣伝媒体という点であれば、親会社と球団の関係は、球場の広告看板スポンサーやテレビのCMスポンサーといった関係と代わりはありません。この関係を元SportsNaviの広瀬一郎氏風に言えば、ビジネス「through」プロ野球ということになります。ビジネス「through」プロ野球というのは、プロ野球を通して行うビジネスのことで、この場合はプロ野球を通して行う広告宣伝活動ということになります。親会社もスポンサー企業もプロ野球を通して広告宣伝という企業活動を行っているわけであり、その広告宣伝媒体になっているのがプロ野球であり、各球団ということになります。
スポンサー企業と親会社の違いは、球団に出資しているか否かの違いです。スポンサーは球団と直接又は間接的に契約しているに過ぎず、広告宣伝効果がなければスポンサー契約を打ち切りにすればいいわけです。ところが親会社の方は、球団に出資しているわけですから、球団経営に対するリスクを負担していることになります。
そこで、日本のプロ野球の親会社がとったリスク回避策が、親会社が自ら球団経営を行うということでした。プロ野球出身者は、ビジネスには素人だからと、球団経営に参加できず、経営陣は親会社からの出向者で占められています。NPB自体が、球団の代表の集まりである実行委員会では何も決められず、親会社の代表の集まりであるオーナー会議のいいなりになっています。
プロ野球自体のビジネスをこれまた広瀬一郎氏風にいえば、ビジネス「of」プロ野球ということができますが、日本のプロ野球の最大の特徴は、本来、ビジネス「through」プロ野球であるはずの親会社が、自らこのビジネス「of」プロ野球を行っている点にあります。別の言い方をすると、球団の経営主体が、球団にはなく、親会社にあるということです。
こうなった背景には、球団の収益性の低さがあります。プロ野球は観戦スポーツといいながら、観戦収入だけでは成り立っていかないからです。その原因のひとつに、球場の所有(管理権を含む)の問題があります。観戦スポーツにとって球場というのはいわば店舗です。観戦者は入場料を払ってくれるだけではありません。球場内の看板広告を見てくれます。また、観戦者は、お弁当やビールを買ってくれます。球団の応援グッズも買ってくれます。米国ではこれに駐車場収入も加わります。
ところが、日本の球団は、自前で球場を所有(管理権を含む)していないため、売店収入も広告看板収入も球場の収入となります。日本の球場は、民間の株式会社が多く、甲子園や西武ドームにしても、親会社は球団と同じですが、全くの別法人です。日本のプロ野球は、ハードである球場は儲かるけれども、ソフトである球団は儲からない仕組みになっています。
親会社が球団経営の意志決定権を持っていますから、球団の経営陣は、親会社からの出向者で占められています。ただし、親会社は、球団の収益性の低さのため、プロ野球を本格的なビジネスとは捉えておらず、球団は単なるチーム運営会社になってしまっています。入場券の販売など営業活動は、親会社や球場にアウトソーシングされているのが通常です。
ビジネスのことはプロ野球出身者には分からないだろうからと、球団の経営陣は、親会社の出向者で占められていますが、逆に、プロ野球については、親会社の出向者は素人であり、チーム運営を監督に権限委譲をしてきたのが、日本のプロ野球の一般的なスタイルです。日本の監督は、一軍の采配だけでなく、選手・コーチ陣・トレーナーの面倒をみ、選手の育成(二軍)、選手の獲得(スカウト、トレード、外国人選手)も担います。もちろん、選手の査定も行います。日本の監督は、監督と言うよりも、総監督と呼んだ方がよく、昔からゼネラル・マネージャー的な存在でした。
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241の「機会均等主義の合理性と不条理」で書きそびれてしまったのですが、「スポーツルールはなぜ不公平か」の著者、生島氏がインディアナ州の平等主義といっているように、1997年までは、インディアナ州の高校生のバスケットボール大会は、学校の規模別の大会より、インディアナ州の人々にとっては平等だったわけです。
学校の規模別の大会では、小規模校と大規模校とは対戦することがありませんから、小規模校は、大規模校に勝つチャンスさえないことになります。その上、「生徒の人数によって、ある程度チームの優劣が決定される」わけですから、小規模校の大会優勝者は、チャンピオンではなく、「真のチャンピオン」は、大規模校の大会優勝者ということになります。小規模校のチームは初めから「真のチャンピオン」になる機会を奪われてしまうことになります。
ところが、1954年のインディアナ州では、1500人の街からやって来たマイラン高校が州のチャンピオンになり、ジーン・ハックマン主演の映画にもなったそうです。1997年以前のインディアナ州では、どんなに小さな学校のチームでも、大規模校のチームに勝つチャンス、「真のチャンピオン」になるチャンスが与えられているわけであり、1997年以前のインディアナ州の平等主義は、学校の規模別の大会という平等主義よりも、真のチャンピオンになる機会が均等であるといえるのです。
このことについて生島氏は次のように述べています。「様々な人種が渦巻くアメリカ社会では、「機会」という考え方に関して、ことさら真剣に考える傾向がある」「イコール・コンディションを整え、平等な環境で競争すべきなのか、それとも真の王者になるチャンスを与えるべきなのか。この議論に決着がつくことはないだろう。」
いわば、前者は、弱者救済による機会均等であり、後者は、自由放任による機会均等です。弱者救済の場合、誰が弱者なのかが問題になります。生徒数1000人以上が大規模校とした場合、999人と1000人の違いは何なのか。生徒数よりも指導者の質や体育館などの環境面の格差は問題ないのか。そう、バスケなら身長の差はどうなのか、といろいろ出てきます。自由放任の場合も、そういった環境の違い、条件の違いが問題になってきますし、根本問題として、自由競争を保証しなければならないという課題があります。夏の甲子園大会は、地方予選の参加校が都道府県によって異なっています。このため、甲子園に出たい選手は、参加校が少ない地域の学校に野球留学するケースも出ています。
ところで、生島氏は、「しかし本来アメリカ人は、同じ条件の下で競争するのが「合理的」だと考える」と述べ、「オリンピックから(柔道の)無差別級が消えたのは欧米の合理主義が日本の美学を凌駕したと見るべきである」としています。
以下は、先週8月10日(日)の朝日新聞朝刊の記事です。機会均等がもたらす合理性と不条理の問題は、話が尽きません。言えるのは、米国のやり方が全て正しいわけではありませんが、米国は自身が抱えている矛盾を是正していこうとしているのは確かです。その是正策が正しいか正しくないかは別問題ですが。
米学生スポーツ界で、男女差別を禁止した連邦教育法(タイトルナイン)への議論が続いている。女性のスポーツ参加を促した法律に対し、男子競技者が減少した団体から法改定を求める動きがでている。
この法律は国から助成金が出る学校が対象で、学校全体の男女比と、クラブ登録者の男女比を同じにするように定めた。この結果、法律が施行された72年は訳3万2千人だった女子選手(大学)が、01年には約15万人に上昇。米国における押しサッカーの人気確立に貢献したとされる。
一方で、学校予算は一定のため、女子部の増加は男子部削減を招くと懸念されてきた。実際、テニス、体操、陸上などの男子部は減り,米レスリング監督教会は、この法律のために355校が男子レスリング部は廃部したと法改定を求めて提訴。米連邦地裁は今夏訴えを退けたが、原告側は直ちに上訴した。
一時は男女比率の弾力化を検討した政府は、このほど現状維持を決定し、議論の沈静化を図った。しかし、男女平等の理念とのはざまで、解決策が見つけられないのが現状だ。 |
参考文献
「スポーツルールはなぜ不公平か」 生島淳著 新潮選書
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収入の多い球団から収入の少ない球団に資金を回すメジャーリーグのレヴェニュー・シェアリング制度は、経営環境の格差と経営努力の格差が混同されてしまう危険があり、弱者救済ではなく、敗者救済のシステムになってしまう恐れがあります。
レヴェニュー・シェアリング
従来、メジャーリーグでレヴェニュー・シェアリングというとこの「独自収入の高い球団から低い球団へ資金を回す収入分配制度」のことを指していましたが、それだけではなく、放映権やマーチャンダイジング権などをリーグ(機構)が一括管理し、その収益を加盟球団に分配する制度もレヴェニュー・シェアリングといいます。また、ラグジュアリー・タックスも、課徴金をリーグ(機構)が徴収し、これを各球団に再配分するわけですから、レヴェニュー・シェアリングの一種と考えていいと思います。次は、最近のレヴェニュー・シェアリングの例です。
| メジャーリーグ機構は8月4日、米国に本社を置くアパレル・メーカー7社とアパレル関連商品の2005年から09年まで5年間のライセンス契約を結んだと発表した。契約したのはナイキ、マジェスティック・アスレチックスなどで、7社は各球団のユニホーム、帽子、練習ジャージー、Tシャツなどを商品化し、基本的に世界的に販売できる独占的権利を獲得。見返りに機構側、球団側には5年総額で5億ドル(約600億円)を超える収入が見込まれている。大リーグでは多くの球団が赤字経営に陥っており、今回の巨額契約による収益再分配が、チーム運営の大きな助けとなることが期待されている。(日刊スポーツ8月5日) |
興行市場とメディア市場
球団の収入の柱は、大きく興行収入とメディア収入に分けることができますが、興行市場が地域市場であるのに対し、メディア市場は、超地域市場という特徴を持っています。興行市場では、地理的限界により収益の限界があるため、棲み分けによる共存体制が生まれやすくなります。ただし、大都市と小都市との間の市場格差は現存しています。一方、メディア市場には、地理的な限界がありませんから、収益の限界もありません。各球団は収益の最大化を目指して競争することになります。ところが実際のメディア市場は、人気球団による寡占化が進んでいます。
Ballpark
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SalvadorのMB Da Kiddさんは、レヴェニュー・シェアリングは、放映権とインターネット権といったメディア権に絞るべきだと述べています。そして、メディア市場の特徴として
メディア市場
広告宣伝効果については、費用対効果、マーケットの大きさ等が大きく関係してきます。でかいカネかけりゃ、勝つのが、メディアを利用したマーケットですから、機会の均等を保証するには、ここに大きな制限をかける必要が、あります。しかも、地元都市だけでなく、でかいカネかけりゃ、世界を統一したマーケットに挑戦できるのですから、カネの勝負が、いろいろと、最初の明暗を分けてしまいます。であるがゆえに、ビッグクラブへと富が集中する、『富が富を呼ぶ』構造になってしまう。『富が富を呼ぶ』構造の行く先は独占であり、寡占です。これはイコール、マーケットの停滞感と閉塞感を招きます。であるがゆえに、自由競争の機会は、確実に確保されなければならないのです。(Ballpark
In SalvadorのMB Da Kiddさん) |
つまり、レヴェニュー・シェアリングを、地理的に限界のないメディア市場に限定すれば、球団の経営的な独立性の確保と、経営環境の格差の是正を両立させることが可能となるということになります。ただし、メディア市場にも地域性はあり、必ずしも非地域市場というわけではありません。ローカル放送も現に存在しており、メジャーリーグの場合、全国放送が機構管理で、ローカル放送は球団のフランチャイズに含まれています。ところが、フランチャイズにおけるこのローカル放送収入の格差が大きく、メジャーリーグにおける財力格差の主因となっています。このため、ローカル放送をレヴェニュー・シェアリングに加える必要性がでてきます。これについても、Ballpark
In SalvadorのMB Da Kiddさんの説は明快です。
ローカル放送
たとえローカル放送とはいえ、レヴェニューシェアの対象にすべきだと僕が主張するのは、ローカル放送での観戦は、球場に行っての観戦よりも、球団に対するロイヤリティを示す観戦にならないからです。敷居が低いゆえに、簡単に客が逃げるし、また、簡単に客が入る。地域に対する愛着や忠誠心を示す手段にはなりにくい。であるがゆえに、極めて戦略が採りにくく、マス的な考え方を全面的に押し出さなきゃいけなくて、『平均値』を追ったからといって必ずしも効果が出るものではないため、数字を追うだけという遊びになってしまう。努力の対象になりづらく、競争できる箇所が限られている。だったら最初から、競争をなくしてしまった方がいい。というのも、最初から大きなカネと有利な条件を備えているヤツの一人勝ちになって、独占がどんどん進むだけだからです。(Ballpark
In SalvadorのMB Da Kiddさん) |
メジャーリーグに対し、NFLでは、ローカル放送もリーグの一括管理です。メディア収入を加盟球団に均等に配分することによって、球団の収益環境の格差を解消し、加盟球団が同じスタートラインに立てるということになります。これならレヴェニュー・シェアリングが、敗者救済にならなくて済むことになります。
興行市場
次の問題点として、フランチャイズ地域の規模の格差はどうするのかなということになります。球団が、ビッグ・マーケットにあるか、スモール・マーケットにあるのかというのは、球団にとっては、多分に宿命的なものがあります。レヴェニュー・シェアリングがなければ、スモール・マーケットにフランチャイズを置く球団は、財政面で決定的なハンディキャップを背負うこと(経済的弱者)になります。スモール・マーケットにある球団は、経済破綻するまで、弱者としてリーグに留まるか、はたまた、フランチャイズを無視して、ビッグ・マーケットに移転するしか方法はありません。
NFLでは、球場はいつも満杯ですから、興行収入による収入格差というのはそれほどないはずですが、メジャーリーグの場合は、試合数も多く、入場者数も、100万人から300万人までと格差が存在しています。このフランチャイズ地域の格差については、メジャーリーグでも依然やっていましたが、入場料収入をホームとヴィジターを7:3で分けるのも手だと思います。これなら、インセンティブとフランチャイズ環境の格差解消が両立するのではないでしょうか。
リーグ戦
なお、リーグ戦は、ホーム&アウェイ(ヴィジター)の相互扶助のシステムですから、例えば、メディア市場であっても、ホームの試合は独占できても、ヴィジターの試合は相手球団の権利になるわけですから、完全に、放映権を独占できるわけではありません。セントラル・リーグの巨人戦のように、ヴィジターの人気球団で放映権料を稼ぐこともできます。これも、一種のレヴェニュー・シェアリングと言えなくもありません。
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米国の平等主義である機会均等主義は、日本人では理解できないことがあります。黒人と白人の教育の機会不均等を是正させるため白人居住区と黒人居住区に住んでいる子供たちを強制的にバスに乗せ交流させたり、黒人などのマイノリティは就職の機会の不平等があるからと、強制的に就職の採用枠を作ったり、それが逆に多数派である白人から逆差別だと訴えられたり、といった具合です。
スポーツの世界は、機会均等を実践する最良の場と位置づけられてきたようで、その例を「スポーツルールはなぜ不公平か」(生島淳著)から見てみましょう。生島氏が例に挙げたのがバスケットボールのマッド地帯と言われる米国中西部のインディアナ州の平等主義です。生島氏によれば、インディアナ州には観るべきものがないそうですが、そんなインディアナ州で一番有名なのがバスケットボールだそうです。
1997年まで、インディアナ州では高校のバスケットボール大会が熱狂的に行われていたそうです。米国の高校のスポーツ大会は、州によって方式の違いはありますが、普通は高校の規模別に分けられ、小規模校は小規模校同士で、1000人を超える大規模校は大規模校同士で優勝を争う仕組みになっています。
生島氏によれば「この規模別による競争という発想は、アメリカの平等主義の表れなのである。アメリカ人の常識からすれば、生徒の人数によって、ある程度チームの優劣が決定されると考える。そこから有利・不利が生まれないように、学校の規模別に大会を分け、「イコール・コンディション」を整えることが目的とされたのである。」。
ところが、1997年までインディアナ州では、一般的な米国人の平等主義と異なっていて、学校の規模別の大会ではなく、全ての高校が参加する大会になっていました。小規模校だろうが大規模校であろうが、そんなことにお構いなく、対戦が行われ、「そんなトーナメントの中での「番狂わせ」の妙が、過度とも受け取れる人々の熱狂を生んできた」。そして、準決勝からは、インディアナポリスにある「RCAドーム」に5万人の観衆の前でプレーするということですから、まさに夏の甲子園に匹敵する盛り上がりを見せていたようです。
そこで、なぜ1997年までかというと、1998年から他の州と同じ学校の規模別の大会に変わってしまったからです。ときの州教育長から「いまの制度では、小規模校が、大規模校に勝つことは不可能で、不平等だ」ということで変えられてしまったそうです。
生島氏によれば、合理的なものが面白いのかというとそうとも言い切れない、不条理といえるインディアナ州の高校バスケットボール大会は、全米のスポーツファンで知らない人はいないほど有名だった。ところが、学校の規模別の大会になってからは、人々の熱狂は消え去り、集客力も格段に落ちてしまい、クラブ運営もままならなくなってしまった学校も出てきたそうです。
日本人からすると学校の規模別の大会という発想は生まれないと思います。平等主義を言うのなら、バスケットボールなら、学校の規模別ではなく、身長別の大会をしろよ、と言いたくなってしまいます。
それから、この学校の規模別という発想で思い浮かべたのが、メジャーリーグとマイナーリーグです。MLBというのは、都市の規模別にリーグを組んでいます。大都市は大都市同士、中都市は中都市同士、小都市は小都市同士でリーグを組み、リーグ戦を行うことが、「アメリカの平等主義に通じるから」「機会が均等になるから」「イコール・コンディションになるから」ということでしょうか。米国の固定リーグは、ヨーロッパの入替リーグとは明らかに異なっています。米国では、メジャーリーグ球団とマイナーリーグ球団の入替はありません。
米国人の常識からすれば、都市の人口によって、ある程度球団の観客数が決定されると考える。観客数は球団の収入を決定し、さらに、契約できる選手のレベルも決定されてしまう。そこから加盟球団の有利・不利が生まれないように、都市の規模別に、レベルのあったリーグが組まれる。都市の規模別にリーグを分け、「イコール・コンディション」を整えることが、プロ球団にとっての機会均等であり、平等主義となる、ということでしょうか。イコール・コンディションでない球団同士の戦いは、結果が分かってしまい、面白くない。プロならなおさらだ、ということでしょうか。固定リーグというのは、観戦スポーツとして発達した米国ならではの、機会均等主義の結果かもしれません。
参考文献
「スポーツルールはなぜ不公平か」 生島淳著 新潮選書
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スポーツ王国アメリカでは、プロスポーツの視聴率が低迷しています
Sports Advantage vol.152「下降示すプロスポーツの全米テレビ視聴率(杉山 茂)」によると今年6月に行われたNBAファイナルは、あのニュージャージー・ネッツを4勝2敗で破ったサンアントニオ・スパーズが4年ぶり2度目の優勝を飾りましたが、その全米視聴率は、視聴率調査開始以来、史上最低の視聴率6.5%だったそうです。同じく、今年1月に行われたNFLのスーパーボウル(タンパベイ・パッカーズ48−21オークランド・レーダーズ)の全米視聴率(ABC)は、40.7%で史上27番目だったそうです。
そういえば、昨年(2002年)のMLBのワールドシリーズは、エンゼルスvsジャイアンツというワイルドカード同士のカリフォルニアシリーズになり、全米の平均視聴率は,シリーズ最低の11.9%でした。先月(7月)行われたMLBのオールスター・ゲームの視聴率(FOX)はどうだったかというと史上最低だった昨年と同じ9・5%でした。
ヨーロッパではどうでしょうか。
キラーコンテンツと言われたサッカーの視聴率がここでも低迷しています。Sportiva8月号の「欧州サッカー経済白書」によれば「昨年以来、他国同様フランスも視聴者の間でサッカー人気が落ち込んできているのだ」「この1年間、サッカー番組の視聴率が30%を超えることは珍しくなってきた」「それでもTFI(フランスでトップのテレビ局)が最低目標として掲げてた35%のには及ばなかった」。
視聴率の低下は、コマーシャルでの広告収入を減らすことになり、高額の放映権料を支払っているテレビ局の経営を直撃します。このため、テレビ局は、UAFAや各国リーグ、クラブに放映権料の値下げを迫っています。
日本ではどうでしょうか。
プロ野球の場合、巨人戦しか視聴率が稼げないのが現状ですが、その平均視聴率は、ビデオ・リサーチ社によれば、1999年の20.3%を最後に、大きく下がり、2000年18.5,2001年15.1、2002年16.2%となり2003年には、7月までで、15.5%、7月だけをみれば13.3%、これは、データがある中で最も低い数字です。
低迷する巨人戦の視聴率ですが、放映権料の方は逆に高騰しているそうです。豊田さんの「サムライたちのプロ野球」によれば、以前1億円だった放映権料が今は2億円になっているそうです。プロ野球中継が商売になるかどうかのギリギリの線が1億円らしく、1億円を超える放映権料では、テレビ局は儲からないそうです。豊田さん曰く「視聴率が下がるいっぽうなのに、放映権料が高騰するのでは。テレビ局側が二の足を踏むのは当然のこと」ということになります。
日米欧でキラーコンテンツと言われたプロスポーツの視聴率が落ちています。放映権料に踊らされたプロスポーツビジネスも曲がり角に来ているようです。
参考文献
「サムライたちのプロ野球」 豊田康光著 講談社+α新書
Sportiva8月号 集英社
ビデオリサーチ社HP プロ野球巨人戦平均視聴率
スポーツ・ネットワーク・ジャパンHP Sports Advantage
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ロナウド、ジダン、ロベルトカルロス、フィーゴ、ラウルといったスーパースターに、ベッカムまで加わった白い巨人「レアル・マドリード」のアジアツアーが始まった。アジアツアーは、中国・昆明から北京、東京、香港、バンコクと続き、19日間で4試合行う。8月5日は、東京。雷雨の中、超満員の国立で、3−0でFC東京に完勝した。ベッカムはレアルでの初ゴールを上げたが、大雨の中、レアルのロスの少ない動きが目立った。その中で、後半出てきたロナウドは体重がヘビー級なのに華麗な舞でゴールを決めていたが、あれではまるでモハメッド・アリである。
テレビ東京で中継をしていたが、CMもベッカムばかりが目立っていたが、その中で、レアルのスポンサーであるアディダスもCMスポンサーになっていた。ベッカムのいたマンUのスポンサーはナイキだったから、ベッカムの移籍を機に乗じようというのか、ライバル関係が面白い。ハーフタイムのとき、アナウンサーがロベルトカルロスの話で締めくくったと思ったら、本人が出ているCMが流れていた。看板スポンサーには、消費者金融の三洋信販ポケットバンクの名前もあった。午後9時までは、消費者金融のCMは、自粛しているはずじゃなかったのかな、と横槍を入れたくなってしまった。
同じ頃、ベッカムの抜けたマンチェスター・ユナイテッドが米国ツアーを行っていた。最終戦は、8月3日レアルのライバルであるバルセロナと対戦し、3−1と快勝し、4戦全勝で、米国ツアーを締めくくった。最終戦の入場者数は、満員の6万8396人。サッカー不毛の地、米国で、ヤンキースの盟友、マンUはベッカム抜きで成功を収めた。マンUとベッカムのスポンサーだったヴォーダフォン(Jフォン)が確か、ベッカムを出汁にマンUの米国ツアー観戦キャンペーンをやっていたと思ったが、ベッカムは米国ではなく日本に来ていたのである。
ヨーロッパ・サッカー界の二大クラブ、レアルとマンUが、オフシーズンとはいえ、それぞれアジア、米国ツアーをやる背景には、ヨーロッパ・サッカー界の経営危機が内在されてる。高額な放映権料を背景にした移籍金の高騰、次に来た視聴率の低迷と上がりすぎた放映権料と移籍金の反動により、ヨーロッパのサッカーバブルは、緩やかな崩壊過程を辿っている。この中で、レアル、マンUといった巨大クラブも安穏としていられず、新たな市場の開拓にやってきたのだ。
巨大クラブからしてこの状態だから、イタリアの小さなクラブ、レッジーナはもっと必死である。8月6日、中村俊輔のレッジーナは、古巣の横浜F・マリノスと横浜国際で試合を行う。
※6日のレッジーナ戦は、5万4000人を超える動員数 試合結果は、 レッジーナ(イタリア) 2−1 横浜マリノス(J1) ただし、試合中継はなし
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国際ドラフトというのは、米国プロリーグの選手国際化に伴う、共同体的機能の進化形であり、世界中の選手に米国国内の選手と同じ取扱をしようという、いわば米国スタンダードのグローバル・スタンダード化です。この国際ドラフトをNBAでは、既に、世界に押しつけていますし、MLBでは、世界にこれから押しつけようとしています。
バスケットボールは、1891年YMCAのカナダ人体育教師J・ネイスミスによって冬の屋内競技として、人工的に考案された米国生まれのスポーツです。このため、ベースボールやアメリカン・フットボールのような米国臭さが希薄なためか、ベースボールやアメリカン・フットボールと異なり、スポーツとして世界的に普及しました。
このため、NBAは、米国4大スポーツの中で真っ先に、ビジネスマーケットの国際化を進め、成功しました。NBAは、従来、米国カレッジ・スポーツに依存していましたが、ビジネスマーケットの国際化とともに、選手の国際化も進み、米国カレッジスポーツへの依存体制が低下しています。それに伴い自前の育成組織(マイナー組織)の必要性が高まり、マイナーリーグも組織化されています。このような状況を背景に、国際ドラフトも始まったのだと思います。バスケットボールのプロ・リーグには、MLB対するNPBといった存在がなかったためか、米国のトップ・リーグがそのまま、世界のトップ・リーグの地位に就くことができたのだと思います。
ただし、NBAがグローバル・スタンダードという訳ではありません。国内にはカレッジ・バスケットボールが存在し、国際的なバスケットボールの組織(FIBA)も存在します。NBAの競技ルールは、プロリーグとして、国際ルールとは異なる独自のルールを持っています。NBAの競技ルールは、あくまでもローカル・ルールに過ぎません。以下、「スポーツルールはなぜ不公平か」(生島淳著 新潮選書)からの引用です。
試合時間 NBA 12分×4クォーター FIBA 10分×4クォーター
3ポイントライン NBA 7.23メートル FIBA 6.25メートル
フリースロー・レーン NBA 長方形 FIBA 台形
クォーター開始時のボールの所有権
NBA 第1クォーターのみジャンプボール
FIBA すべてのクォーターをジャンプボールで開始
「実はもっとも大きなルール上の違いは、ゾーン・ディフェンスについてだった。NBAでは長年ゾーン・ディフェンスが禁止されていたのだが、2001年〜2002年のシーズンに解禁され、FIBAルールとの差はなくなった」
NBAのゾーン・ディフェンスの廃止は、米国スタンダードがグローバル・スタンダードに破れた結果でした。NBAの国際化に伴って、バスケットボールが世界的にレベルアップし、バスケットボールの世界で米国のトップが揺らぎはじめたからです。2002年には、男子バスケットボールの世界選手権で、米国ドリーム・チームが、アルゼンチン・ユーゴ・スペインに破れ6位に終わっています。
参考文献
「スポーツルールはなぜ不公平か」 生島淳著 新潮選書
「スポーツ語源クイズ55」 田代安尚著 講談社現代新書
「野球と銀行」 木村剛・二宮清純著 東洋経済新報社
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今朝、朝日新聞の朝刊を見たらびっくり。スポーツ欄の下に、大きく、モビットとキャッシュワンの広告が載っていました。まさにスポーツの持っている健全性と大衆性の利用です。さて、今日は機会均等主義とビジネス・モデルの話です。
フランチャイズ・システム、ドラフト、レヴェニュー・シェアリング、サラリーキャップという米国プロリーグのビジネス・モデルは、フィールドの上では競争するけれども、ビジネスの上ではパートナーというリーグ戦興行共同体の考えから、合理的に導き出すことができます。
一方、これらのビジネス・モデルは、「機会が誰もに均等に与えられて初めて自由競争が成立する。特権は許されない。機会の恵まれない弱者には救済があり、自由競争に敗れた敗者には再起の機会が与えられる。」という米国の民主・平等主義である機会均等主義から生まれたとも言えます。
リーグ戦興行共同体という考え方は、米国スタンダードである機会均等主義を正当化させ、グローバル・スタンダード化させているともいえます。そもそも、ベースボール自体が、機会均等主義ですから。
ヨーロッパのサッカー界には、フランチャイズもドラフトも、サラリーキャップもありません。放映権のレヴェニュー・シェアリングは、英・仏・独にはありますが、西・伊にはありません。フランチャイズ・システム、ドラフト、サラリーキャップという仕組みを、スポーツビジネスのビジネス・モデルとして理解することもできるし、米国文化の特徴として捉えることもできます。そして、その両方を理解することが大切なのではないかと思ったりします。
日本のプロ野球には、フランチャイズ・システムとドラフトはありますが、サラリーキャップとレヴェニュー・シェアリングはありません。Jリーグには、放映権とマーチャンダイジングのレヴェニュー・シェアリングはありますが、フランチャイズ・システムとサラリーキャップとドラフトはありません。
日本のプロ野球のフランチャイズ・システムは、首都圏と関西に9球団が集中し、地方球団といえるのは中日と広島と福岡ダイエーの3球団だけです。また、東京を保護地域とする読売巨人軍は、フランチャイズの精神を無視し、バファローズの保護地域である大阪府とホークスの保護地域である福岡県で、毎シーズン、親会社の宣伝のため公式戦を主催しています。そして、今、問題になっているのは、ライオンズの保護地域である埼玉県内で阪神がPVを行おうとしていることです。ライオンズの保護地域内にある埼玉スタジアムにテレビを見るためだけに、1万人が集まるということ自体、プロ野球のフランチャイズ・システムが本来の機能を果たしていない証でもあります。
ドラフト制度もそうです。アメリカのスタンダードである最下位球団からのウェーバー方式ではなく、昔くじ引き、今逆指名・自由枠といった状況です。
機会均等主義は、米国スタンダードに過ぎないから、そこから生まれたドラフトやフランチャイズ・システム、サラリーキャップ、レヴェニュー・シェアリングといったビジネス・モデルをそのまま導入する必要はない、日本には日本にあった制度を作ればいいといった主張も成り立ちますが、リーグ戦興行共同体といった、基本原理を無視した制度では、うまく行くものも、うまく行かなくなってしまいます。
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消費者金融会社が、ライバルとなる銀行と手を組むことにしたのは、ライバルの取り込みのほか、銀行ブランドを利用した消費者金融の社会的地位の向上に他なりません。プロ野球やJリーグの利用もその一環ですし、株式の上場、経団連への加入と次々に手を打ってきました。では、その目的は、何かといえば、出資法金利の正当化です。今回、高額な金利と違法な取り立てに対する規制のため、貸金規制法が改正になりましたが、武富士・アコム・プロミス・三洋信販・アイフルが加盟している消費者金融連絡会は、出資法金利の正当化と引き上げを盛り込んでもらおうとしたそうです。同連絡会のHPには、「消費者金融市場における上限金利規制の影響」というレポートが紹介されています。
ところで、「野球と銀行」によれば、消費者金融会社の看板が街中に溢れているのは日本ぐらいのようです。普通は銀行が個人向けの貸し付けを行うので、消費者金融会社の出る番がないと言うわけです。
「銀行がやるべきことをやっていさえいれば、サラ金が数千億円も儲かるなどということはありえなかった。そもそも銀行が一番儲けられるのは、個人と中小企業ですから。その事実は、世界中の国で明らかになっています。」(「野球と銀行」から)
大企業というのは、社債やコマーシャル・ペーパーなどの直接金融で安く資金を調達することができます。このため、銀行は高い金利で貸し付けることができず、大企業への貸し付けでは儲からないことになります。「野球と銀行」を読んで、確かに、80年代バブルの起こる前、大企業の銀行離れが話題になっていたことを思い出しました。そして何をやったのかといえば、不動産投機で、これがバブルの原因の一つになったはずです。
バブルのとき、流通業界も不動産投資に走って、その先頭に立ったのが水島「そごう」と中内「ダイエー」です。そごうは結局破綻して、「西武」に吸収されてしまいました。ダイエーは、ホークスを買い取り、福岡ドームまで作ってしまいましたが、今や、中内ファミリーはダイエー・グループから去り、福岡ドーム・ホテル・球団の売却話も現実味を帯びてきています。福岡市民がホークスを応援できるのも、バブルの恩恵といえるかも知れませんが、今、その清算が迫っています。
このダイエーには、銀行は巨額の資金を貸し付け、巨額の債権放棄していますが、「野球と銀行」によれば「たとえば債権放棄を受けた小売業の大企業などは、社債金利が20パーセントを超えています。ところが、そういうマーケットの評価を無視して、銀行は2パーセント程度の金利で、その大企業に貸しているのです。こんなバカげた話はありません。儲けたいなら融資などせず社債を買えばいいではないですか。」ということになります。
銀行が、消費者金融に進出した動機は、その収益性ですが、それにも関わらず、これまでやっていなかったのは、消費者金融の無担保・無保証人性にあります。無担保・無保証人性というのが、従来の日本の銀行の慣行にはそぐわなかったかったからです。銀行というのは本来、投資機関だと思うのですが、日本の銀行には、この投資への審査能力がないのではないかと思っています。
審査能力がないから、やれ実績は、担保は、保証人はということになってしまいます。本来、有限責任のはずの中小企業主は、会社の融資に対し、個人で連帯保証人にされ、自宅を担保に提供しなければならなかったりします。ですから、一度事業に失敗すると、銀行に個人の財産ももっていかれ、二度と立ち上がれない、といったことになってしまいます。これが、日本では、事業に再チャレンジがなかなか難しい理由です。この再起のチャンスを与えてくれていたのが、消費者金融だったりするわけです。
審査能力をプロ野球でいえば、スカウティングでしょうか。監督にする審査能力がないから、元スター選手とか有名監督というネームヴァリューだけで、監督に据え失敗するというケースに枚挙にいとまがありません。甲子園や神宮の有名選手がドラフトの上位指名されるのもこの現れです。
「野球と銀行」 木村剛・二宮清純著 東洋経済新報社
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銀行が負け組なら消費者金融会社は勝ち組ということになりますが、この勝ち組、社会的に認知されたくて、プロ野球やJリーグに食指を伸ばしています。Jリーグでは消費者金融最王手の武富士が公式スポンサーになっています。
プロ野球では、アコムが大阪近鉄バファローズとスポンサー契約を結んでいます。また、パ・リーグ球団の身売りの噂が上るとき、身売り先として真っ先に上がるのが、アコムや武富士やアイフルといった消費者金融会社です。
これに反対しているのがご存じナベツネさん。先日もパ・リーグのプレーオフと併せて「青少年育成のために民放連でも(消費者金融の広告は)自粛する方向なのに、マークが体に着いていたらどうにもならん。それを認めた小池会長の見識を疑う」と吠えていました。そう、最近、消費者金融のCMが夜9時までは自粛しているみたいです。
消費者金融、昔は、サラ金といってましたが、この消費者金融にもいろいろあって、出資法で制限されている年29.2%を超える利息を取っているのが闇金と言われるもので、これは明らかに犯罪になり刑事罰の対象です。利息を制限している法律にもう一つ利息制限法というものがあって、これは、元本10万円以上100万円未満が18%、元本100万円以上だと15%というものです。
この出資法と利息制限法の間のいわゆるグレーゾーン金利で商売をしているのが武富士、アコム、プロミスといったいわゆる消費者金融会社です。このグレーゾーン金利は、「みなし弁済規定」というものをクリアしていれば利息制限法の例外ということで認められるのですが、この規定は厳格なため、通常この要件を充たすケースはほとんどないそうです。つまり、消費者金融会社の多くが、利息制限法に違反した高い利息をとっているのが現状です。利息制限法に違反していますから、任意整理や民事再生・民事調停といったもので利息制限法の範囲内の利息ですますことができます。
次に、利息制限法上限ぎりぎりの利息としているのがモビットやキャッシュワン、アットローンといった銀行系の消費者金融会社です。銀行が消費者金融の収益性にやっと気が付き、消費者金融に進出してきのですが、実態はノウハウとリスク回避のため、消費者金融会社と提携というかおんぶに抱っこのようです。キャッシュワンは東京三菱とアコム、モビットはUFJ銀行とプロミス、アットローンは三井住友と三洋信販が提携しています。さすがに銀行は公的資金を導入しているためか、利息は利息制限法内です。ただし上限、ぎりぎりの15%から18%です。http://www.loanginza.com/aw/
利息制限法と出資法のグレーゾーンで商売しているこれらの大手消費者金融会社は、株式を上場したり、経団連に加盟してりしてイメージアップを図ろうとしています。そのイメージアップの一つがスポーツの利用です。スポーツの持っている健全性・大衆性を利用しようというものです。ところが、大手消費者金融会社が、利息制限法に違反しているのは事実です。
http://www.kanazawa-f.com/ronbun2-3.html
http://www.aa.alles.or.jp/~acn/cash/tp01.html
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今朝、通勤の途中、某新聞の「日本人にもバカンスを」という社説が目に入ったので、今日は唐突に、野球とバカンスの話です。
1年前、日本はサッカー・ワールドカップで国中、盛り上がっていましたが、そもそも、サッカーのワールドカップが梅雨時の6月に行われたかと言えば、6月が、ヨーロッパのサッカー・シーズンのオフ・シーズンだからです。ヨーロッパのサッカー・シーズンは9月から翌年の5月までで、6月から8月までが、シーズンオフになります。このサッカーのシーズンオフがちょうど、バカンス・シーズンにあたります。
以下は、イギリスの話になりますが、夏になると人々は、日差しを求めて、バカンスをとります。このため、サッカーどころじゃないというわけで、サッカーは、シーズンオフになります。高緯度に位置するヨーロッパでは、冬は、朝は8時でも暗く、午後も3時半を過ぎれば日が暮れてしまう日々が続きます。このため、人々は、夏になると日光浴に精を出すという訳です。因みに、夏のロンドンの日没は夜の9時です。
サッカーやラグビーといったフットボールは、身体と身体がぶつかり合う、ガチンコ・ゲームで運動量もプレーも激しいスポーツです。つまり、フットボールは、暗くて長い冬を乗り切るストレス発散に持ってこいのスポーツでした。このため、フットボールのシーズンが学業シーズンと重なっており、フットボールが、パブリック・スクールやケンブリッジ・オックスフォードといった学校スポーツとして発展した理由の一つがここにあります。学生も勉強は、9月から翌年の5月までで、6月から8月は夏休みとなります。
では、夏のバカンス・シーズンにイギリスで行われていたスポーツは、何かといえば、それがクリケットです。クリケットは、ノンコンタクト・ゲームで、運動量もフットボールに較べて少なく、夏のスポーツにもってこいでした。野原で日光浴がてらにプレーできるスポーツとして生まれたクリケットが、勝負が付くまで5日もかけたり、ルールにランチ・タイムやティー・タイムがあるのも、バカンスのスポーツならではです。
このクリケットの親戚にあたるベースボールも夏のスポーツとして発展していきました。メジャーリーグのシーズンは、4月から9月までの夏場で、逆にアメリカン・フットボールのNFLは、9月から12月までの冬場がシーズンとなります。サッカーやラグビーの親戚筋にあたるアメリカン・フットボールはこれまた冬のスポーツとして定着していました。
僕の好きな本にロジャー・カーン著池井優訳の「輝けるアメリカ野球」(昭和53年9月1日刷、講談社)がありますが、その原題が「a
season in the sun」で、直訳すると「太陽の季節」で文字通り、ベースボールが夏のスポーツであることを表しています。訳者は、この太陽の季節を「カーンにとっては、野球のできる季節を意味する。1年間の大リーグの総決算ともいうべきワールド・シリーズは、全米数千万の野球ファンの血を沸かせるが、ひとたび冬の季節にはいれば、もう過去の歴史の中に閉ざされてしまうのである」と序文で書いています。
野球といえば、汗と泥。汗と泥と言えば、夏の甲子園大会。夏の高校野球は、今や、日本の一大イベントです。今日も、甲子園の代表を目指して各地で予選大会が繰り広げられています。ベースボールが日本に伝わり、野球と呼ばれるようになっても、野球は夏の季節がよく似合うのであります。ところが、日本の夏は、カラッとした欧米の夏とは違って、蒸し暑いモンスーン型です。このため、高校生が野球をやるのには酷であるとも言われています。
日本人にはバカンスはありませんが、その代わりお盆があります。お盆になると、地方から都会に出てきた人たちが一斉に帰省し、この時期は、望郷意識が高まる時期です。この望郷意識に、各都道府県代表による争いとなる故郷代表という意識が合体して、夏の甲子園という独自の世界を形作っているといえるのではないでしょうか。
参考文献
「イギリス人の表と裏」 山田勝著 NHKブックス
「史上最も成功したスポーツビジネス」 種子田穣著 朝日新聞社
「輝けるアメリカ野球」 ロジャー・カーン著 池井優訳 講談社
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本屋に行ったら「野球と銀行」(木村剛・二宮清純著 東洋経済新報社 定価1600円(税別)2003年7月14日発行)という本が山積みになっていたので思わず買ってしまいました。サブタイトルが「なぜ日本は失敗したか」というもので、二宮清純と木村剛との対談本です。元日本プロ野球コミッショナー神田順治氏は「野球にはあらゆることがあてはまる」と言いましたが、まさか、野球と銀行という「一見何の関係もない二つのジャンル」の話が一冊の本になるとは思いませんでした。それも、近年日本が失敗してきた分野、というのが共通点で、どちらも負け組と言うことですから情けない話です。
今回は、この「野球と銀行」を題材に、少し話を広げて行きたいと思います。本書で、二宮清純は、「敗者と弱者は違うものです」といっています。二宮清純は、弱者である「社会的な弱者やハンディキャップのある人には、セーフティネットを含めて社会全体でサポートする必要がある」といい、敗者に対しては、「敗者に本当に必要なのは、同情ではなく、チャンスを与えること」だとしています。
この弱者救済の考えたというのは、自由競争社会におけるセーフティ・ネットという補完システムであり、自由競争それ自体を正当化するものだと考えられます。米国には、ベースボールにも貫かれている機会平等主義があります。自由競争社会への参入機会は、公正・公平に与えられます。弱者がいれば、スタートラインに立てるまで救済します。同じ条件、同じ機会(チャンス)が、自由競争への参入者には与えられる。つまり、機会平等主義に基づく自由競争社会においては、敗者は、同情されるものではなく、敗者に必要なのは、再起できる機会ということになります。
米国のプロスポーツの世界でも、弱者救済のシステム、機会均等のシステムがあります。それがドラフト制であり、サラリーキャップ制であり、レヴェニュー・シェアリングです。
特定の球団が財力にものを言わせて、有望新人をかき集められては、リーグ戦という自由競争が始まる以前から、財力のない球団はハンディキャップを負うことになります。同じ条件、同じ機会が与えられて初めて自由競争が成立します。つまり、特定の球団が財力にものを言わせて有望新人をかき集めるという行為は、アンフェアということになります。であり、リーグ戦をフェアに営むためにできたのが、ドラフト制です。ドラフト制は、リーグ戦の自由競争を保障するための制度でもあります。
サラリーキャップ制とは、1球団の選手コストの総枠を制限し、財力のある球団とない球団との格差を是正することにより、フリー・エージェント後出現したFA選手市場における自由競争とリーグ戦における自由競争を保障しようというものです。メジャーリーグでは、サラリーキャップ制が選手会によるストライキで頓挫したため昨シーズン末からラグジュアリー・タックスが導入されています。
レヴェニュー・シェアリングは、球団の収益環境の格差を是正するためのものです。球団の財力の違いが、戦力の違いに直結するプロフェッショナルの世界では、球団のフランチャイズ地域の規模やメディア市場における収益格差を是正することが、リーグ戦での自由競争を保障します。フランチャイズの規模が大きければそれだけ、球団の収入機会が多くなり、小さければ収入機会が少なくなります。メディア市場は本来、自由競争市場ですが、実際の市場は、ビッグ・マーケットにフランチャイズを置くビッグクラブが市場支配力を持っているのが普通です。
地方にある小都市をフランチャイズとしている球団=経済的弱者を支援するする制度が、レヴェニュー・シェアリングです。ところが、この制度が、単に収入の多い球団の利益を、収入の少ない球団に回すというのでは、弱者救済のシステムではなく、敗者救済のシステムになってしまいます。努力をした球団の利益が、努力をしない球団の利益となり、さらには、球団経営以外へ資金流用される危険性も持っています。
参考文献
「野球と銀行」 木村剛・二宮清純著 東洋経済新報社
「野球にはあらゆることがあてはまる」 神田順治著 ベースボール・マガジン社
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経済学で市場とは、取引を行う売り手と買い手の集まりのことですが、マーケティングでは売り手を産業、買い手を市場といいます。また、経済学では、単一で均質な市場が想定されますが、実際の企業にとっての市場=買い手は、パレートの法則のとおり、「一様ではなく偏在」しています。買い手である顧客の欲求、財力、居住地域、購買態度、購買慣習などはさまざまであり、平均的な顧客像を描いても意味がありません。市場は偏在しており、この市場の偏在した部分を標的市場として定め、マーケティング・アプローチをすることをターゲット・マーケティングといいます。
標的市場を明らかにする手法に、市場細分化があります。市場を各種の変数によって絞り込み、標的となる市場を明らかにしようというものです。市場を細分化する変数は、顧客の特性と反応に大別することができ、前者の顧客の特性には、地理的、人口統計学的、心理学的変数があり、後者の顧客の反応には購入する契機(オケージョン)、追求する便益(ベネフィット)、ロイヤルティがあります。
地理的変数とは、地域、都市規模、人口密度、気候などのことです。これはサッカーの例ですが、1998年の大阪体育大学の調査によれば、関西エリアにホームスタジアムを持つ4つのJリーグクラブの観客は、クラブ間で若干異なりますが、球場から直線距離で30km以内に住んでいる人が約75%〜90%を占めており、自宅から球場までの所要時間は、観客全体の約70%〜80%が1時間30分以内となっています。また、観戦回数が多い観客は、球場までの所要時間が1時間圏内に居住していることも明らかになっています。
人口統計学的変数とは、年齢、性別、世帯規模、家族のライフサイクル、所得、職業、教育水準、世代、社会階層などのことです。ある統計によれば、プロスポーツの観客をプロ野球とJリーグを比較すると、プロ野球は,「団塊の世代(1947〜51年生まれ)」を中心とする中高年層で、Jリーグは「団塊ジュニア(1972〜77生まれ)」を中心とする若い世代という結果がでています。また、プロ野球の観客は、大相撲、バレーボール、マラソン・駅伝への関心が高く、Jリーグの観客は、バスケットボール、F1、アメリカンフットボール、テニスへの関心が高いという結果もでています。つまり、同じ地域をマーケットにしているといっても,プロ野球とJリーグでは観客層が違うことが分かります。
心理学的変数には、顧客のライフスタイル、パーソナリティ、価値観などがあります。
顧客の反応のうち、顧客が購入する契機(オケージョン)とは、顧客がニーズを感じたり、製品を購入したり、製品を使用したりするようなる契機がなんであるかというものです。例えば、定期的な購入なのか、何か特別な購入なのかといったもので、プロ野球の試合を毎試合球場で観たいのか、たまに球場で観戦したいのかといったものです。毎試合みたい人にはシーズン・チケットを、たまにの人には通常のチケットが購入の対象になりますが、実際には、毎試合は観ることはできないけれども、年間10数試合は観たいという人たちもいます。スポールストラは、(バスケットボールの話ですが)人気カードをパッケージにしてチケットを売り込んでいます。
追求する便益(ベネフィット)とは、顧客が製品に何を求めているかということです。プロ野球の観客は、勝利を求めにやってくるのか、スタープレーヤーがお目当てなのか、球場の雰囲気が好きなのか、というものです。最後のロイヤルティとは忠誠心のことで、プロ野球でいえば、ファンかどうか、ファンといってもその程度はどうなのか、といったものです。
参考文献
「コトラーのマーケティング・コンセプト」 フィリップ・コトラー著 大川修二訳 東洋経済新聞社
「マーケティングを学ぶ人のためのコトラー入門 片山又一郎著 日本実業出版社
「スポーツ経営学」山下秋二・畑攻・冨田幸博編著 大修館書店
「エスキモーに氷を売る」 ジョン・スポールストラ著 中道暁子訳 きこ書房
「エスキモーが氷を買うとき」 ジョン・スポールストラ著 宮本喜一訳 きこ書房
「スポーツ産業論入門」原田宗彦 編著 杏林書店
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1 米国の長時間労働
以下の記事は、2003/07/01朝日新聞朝刊の過労社会の中の記事です。米国のプロスポーツ界は長時間労働ということですが・・・・・
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米国のホワイトカラーが過労とストレスにあえぐ姿を描いた「窒息するオフィス−仕事に強迫されるアメリカ人」 (岩波書店)の著者、ジル・A・フレイザーさん=写真=の来日を機に、米国での状況を聞いた。
−米国では長時間働くのはエリート層だけだと思っていました。
あらゆる産業、企業規模、職種や年齢層で深刻化している。22歳の若者ですら、徹夜に備えて職場のドアの裏に着替えをつるしていた。電子メールや携帯電話の普及もあり、家庭生活や休暇と仕事との境界が消えてしまった。みんな自分や自分の会社だけの問題だと思い込み、社会問題として意識されなかった。
−過労死・過労自殺する人もいるのですか。
「仕事が人を殺す」という概念は米国にはなく、私も最近「カローシ」という言葉を知った。だが、米国でも間違いなく存在する。私が取材したシングルファーザーは仕事と育児で疲弊し、車で自ら道路脇の木に激突した。その後は、抗うつ剤を飲んでいる。
−ホワイトカラーは特に探刻なのですか。
米国ではホワイトカラーははとんど労働組合に加入せず、労組による保護がない。賃金も労働時間に関係なく決まるので、長時間労働の歯止めがない。
−働きすぎの要因は。
経営者は尻をたたけば社員は働くと思っている。だが、国内で長時間労働を強いている米国企業が、労働時間が短い欧州の事業で高い生産性を上げている事実に着目すべきだ。米国企業が人材投資を怠り、社員のやる気をなくさせたことが長引く不況の背景にあると確信している。
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関連サイト・記事
勝者の代償 ロバート・B・ライシュ著 東洋経済新報社
http://www.jicosh.gr.jp/Japanese/kikan/ilo/topics/workinglonger.html
2 米国の電話セールス規制
これは、6月28日の日経の記事です。電話セールスが迷惑電話として規制されるそうです。
※ 230でスポールストラが電話番号のデータを集めたのは電話セールスのためでした。
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米政府、迷惑セールス防止へネット登録窓口開設
米政府は27日、社会問題になっている迷惑電話セールスの防止へ新たな消費者向けサービスを始めた。米連邦取引委員会(FTC)のインターネットのホームページで消費者が自分の電話番号を登録すれば、今年10月以降、登録された番号に商品勧誘の電話をしてきたセールス業者は罰せられることになる。
連邦取引委がネットでの登録受け付けを始めたのは「ドゥ・ノット・コール(電話するな)」サービス。登録初日の午後5時(米東部時間)時点で、登録数はすでに73万5000件に達した。最も込み合った時間には1秒間に1000件のアクセスがあり、この問題への米消費者の不満の強さを浮き彫りにした。FTCのリストに掲載された登録電話番号にダイヤルした電話セールス業者は、米政府から最大1万1000ドル(約130万円)の罰金を科せられる。
ブッシュ大統領も「望まれない電話セールスは押しつけがましく、われわれを困らせる」とコメントを出した。ホワイトハウスの電話番号もリストに登録された。(ワシントン=吉田透)
(13:00)
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関連サイト・記事
http://www.zdnet.co.jp/news/0306/05/ne00_donotcall.html
http://www.zdnet.co.jp/news/0307/02/xedj_call.html
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「クリームのレベル」は、顧客のことがわかっているとき、最高の効果を発揮する。ジョン・スポールストラの言葉ですが、CRMでは、既存客を主要ターゲットとするといっても、その顧客が誰なのかがわからなければ、結局、マス・マーケティングを使って、顧客ロイヤルティを高める手法をとるしかできません。ですから、CRMのまず第一歩は、自社の顧客が誰なのかを知ることです。
顧客データベースをまず作ること、これがCRMの第一歩です。ところが、この顧客情報の収集と活用が、プライバシー保護の観点から、近年難しくなってきています。このため、パーミッション・マーケティングという手法を1999年ヤフーの副社長が提唱しています。これは、顧客や消費者にあらかじめ許可を得た上で、情報の収集と活用を行いマーケティングを展開していくものというものです。パーミッション・マーケティングは、ワン・トゥ・ワン・マーケティングの進化形というよりも、修正形といったほうがいいと思います。つまり、今後の顧客の情報の収集と活用には、パーミッション(顧客の許可)が不可欠だとういうことです。
パーミッションの話はさておき、スポールストラが行った情報収集について見てみましょう。スポールストラは、ニュージャージー・ネッツの社長に就任したとき、ネッツの顧客情報は、その年のシーズンチケット購入者の記録だけでした。ネッツは、シーズンチケットの非更新者の情報を毎年消去しており、そもそも顧客情報というものを持っていなかったのです。
チケットの販売は、通常、日本ではプレイガイドなどの窓口で顧客が直接チケットを購入しますが、米国では、電話によるクレジットを利用した販売が広く行われていたので(今はネット販売ですが)、そこ(チケットマスター)には5年分のチケット購入者の住所と氏名の情報が残されていました。スポールストラは、そこから過去5年分のシーズンチケットの購入者を検索してもらいデータベースを作り、シーズンチケットの非更新者に対し14ゲームのチケット・パッケージを売り込みました。
次に、1ゲームのチケット購入者のデータを検索するとチケット購入者は、平均1シーズンに3回チケットを購入することがわかりました。そして、彼らにチケットカタログを送り、観戦頻度を高めてもらうことにしたのです。そして、スポールストラは、スタッフに無理かも知れないが「次の年のネッツのゲームのチケットを購入したすべての人(男性、女性、子供、あるいはニックスファンを問わず)の名前と住所、それに昼間と夜間の電話番号を入手するように望んだ」。さらに、ニュージャージー北部の「ネッツとNBAのすべてのファン(ネッツの試合に来たかどうかに関係なく)の名前と住所、それに昼間と夜間の電話番号を入手するように望んだ」。「われわれは、ニュージャージー北部を綿密に調査した」「子供たちからのファンレターも利用した」「われわれは『・・・の両親へ』というリストを作った」。結局、ネッツは75,000人以上のリストを作りあげることができました。
スポールストラは、既存客だけでなく、潜在客のデータベースを作ったことになります。プロスポーツ特有の感情にチーム・ロイヤルティがあります。チームにロイヤルティを感じている人(ファン)は、顧客(チケット購入者)ではなくても、チケットの購入に関心を持っている人たちです。チームにロイヤルティを感じているファンは、自分の欲求を充たしてくれるなら、個人情報の収集と活用にパーミッションするだけでなく、自ら情報を提供してくれ可能性が高い人たちです。
参考文献
「コトラーのマーケティング・コンセプト」 フィリップ・コトラー著 大川修二訳 東洋経済新聞社
http://www.nri.co.jp/m_word/permission.php
http://www.bit-care.com/marketing/column-market-20001114.shtml
http://www.wunderman-d.com/newsletter/marketinsight/newsletter012.html
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CRMやワン・トゥ・ワン・マーケティングは、ITを前提にしていると書きましたが、具体的には、顧客データベースの構築とその有効活用=データベース・マーケティングがシステムの根幹を形成しています。
どのように、顧客データベースを構築したらよいのか。コトラーのマーケティング・コンセプトによれば、まず、収集すべき情報として、顧客の取引履歴やデモグラフィック情報(年齢、学歴、収入、世帯規模等)のほか趣味や嗜好といったサイコグラフィック情報を集める必要があります。次に、これらの情報をいかに集め、いかに更新していくか。そして、最後にこれらの情報をいかに有効活用するかが問題になります。
コトラーによれば、CRMを導入した企業のうち、結果に満足を得ているのは3割に満たないということですから、大半の企業が、情報の有効活用ができていないことになります。そして、「先進国である米国がその有様なら、さぞや日本は惨憺たる結果であろう」ということになります。これに対し、ワンダーマン電通でCRMのメールマガジンを執筆している金森努氏によれば、「おそらく日本での現状はこうだ。『成功した企業は確かに何社もある。しかし多くの企業は、成功も失敗もしていない。』」「『成功も失敗もしていない』というのは、CRMの成否を判断する基準が明確されていない状態でプロジェクトが進行している場合が多いことによるものだ」。
堺屋太一氏は、「世界中がグローバル化して通信情報で処理されるときに、日本だけがあくまでも対面情報に拘泥して」いる、と述べています。対面情報というのは、ITを介在させないヒトからヒトへ直接伝達される情報のことであり、この対面情報に日本の社会は固執するあまり、ITを使った通信情報が有効に活用されていないのが日本の現状ということになります。結局、CRMの根幹である通信情報に対する不慣れが、いくらCRMを導入しても、「成功も失敗もしていない」といった結果を招くことになってしまっています。日本のCRMが抱えている問題は、CRM導入以前の「通信情報」に対する慣れの問題に他ならないことになります。堺屋太一氏曰く「これからの新しい知恵の時代においては、迅速、公正、正確、グローバルな通信情報慣習をつける必要がある」、ということです。
http://www.shu-kokkaiiten.go.jp/03/sanko/sakaiya4.html
また、ワン・トゥ・ワン・マーケティング自体が、すべての企業に適しているわけではなく、不向きな企業が顧客データベースを作っても無駄に終わるだけです。コトラーはワン・トゥ・ワン・マーケティングが不向きな企業として、顧客が生涯に一度しか購入しない製品(例えば、グランドピアノ)を売り込む企業、単価が安い上に顧客が何百万人にものぼるマス・マーケティング企業(例えば、チューインガムの会社)をあげています。前者は、顧客ロイヤルティの意味をなさないし、後者は、ヘビーカスタマーでさえ、何十万人の世界であり、1対1による継続的な顧客管理は意味を持ちません。マス・マーケティング企業では、CRMは、一部の顧客を対象にしたモデリングやサンプリング、モニタリングの程度に済ますことになります。このような、ワン・トゥ・ワン・マーケティングに不適な企業では、個々の顧客情報を管理する顧客データベースは不要です。ただし、マス・マーケティング企業であっても、既存客をターゲットとした顧客ロイヤルティを高める手法は存在しますし、有効です。
最後に、近年、顧客情報の収集自体が困難になっているという問題があります。情報社会における個人情報は、プライバシーの侵害という危険性をもっており、近年、個人情報に対する保護の機運が高まり、個人情報の収集とその活用に対する制限が加えられるようになってきています。企業が第三者から顧客情報を購入することが問題になっているのに加え、企業自身で収集した顧客情報も勝手に使うことができなくなってきています。さらに、顧客自身が、企業に対し、個人情報の提供をためらうようになっており、顧客情報自体の信頼性が低下しています。このような状況では効果的な顧客データベースの構築と活用は絵空事になり、CRMやワン・トゥ・ワン・マーケティングは、意味を持たなくなります。そこで、注目されているのが、パーミッション・マーケティングです。
参考文献
「コトラーのマーケティング・コンセプト」 フィリップ・コトラー著 大川修二訳 東洋経済新聞社
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「観客動員数最下位の全米プロバスケットチームを最弱のまま、高収益チームへと変貌させた、奇跡のマーケティング」 これは、「エスキモーに氷を売る」の帯に書かれた文書です。著者は、スポーツ・マーケティングの第一人者、ジョン・スポールストラ。当時全米で23番目のマーケット、ポートランド・トレイルブレイザーズで11年間先駆的なマーケティングを行い、91年から3年間NBAのお荷物球団だったニュージャージー・ネッツの社長として、独自のマーケティングを展開し、27球団中1位のチケット収入の伸び率を達成しました。本書はこのとき行った常識破りのマーケティングについて書かれたもので、著者自身も「スポーツ・マーケティングの本ではない」と述べています。
その中に「顧客の購入頻度を高める」「大口顧客と小口顧客を区別せよ」といったことが書かれており、いままで見てきた顧客ロイヤルティとCRM(又はワン・トゥ・ワン・マーケティング)の実践例が、しかも、常識破りの例が取り上げらています。そして、実際、既存客、つまり、本書の読者、又は、本書の内容に興味を持っていた人たちを対象に第二弾「エスキモーが氷を買うとき」をその後出版しています。題材は、ほぼ前回と同じ、日本語のタイトルは「売る」→「買う」という応答型です。私などは、第二弾を購入したら、思わず、第一弾も購入してしまいました。本からして顧客ロイヤルティの手法を使っていますね。そういえば、ハリーポッターも同じですね。でも、ハリポタは、第7弾まであるようですが。
ところで、第二弾の「・・買うとき」の第7章に「顧客の中には、もっとお金を出してもいいと思っている人もいる」というのがあります。実践例として、ちょっと紹介してみましょう。
「クリームは必ず一番上にあがってくる(最高は何ものにも勝る)」。顧客のことをこういうそうです。ところが実際には「クリームにはさまざまなレベル(段階)」があるそうです。スポビズの世界でも、この「クリームのレベル」を活用し成長してきました。マジソンスクウェアガーデンのニューヨーク・ニックスの試合のチケットは、10ドルでも買えれば、2000ドルのチケットも買えます。どちらも、観戦という点では同じですが、10ドルの席は気の遠くなるほど遠い席なのに対し2000ドルの席は最前列のかぶりつきです。多くの企業では「クリームのレベル」が自然にできあがるままにしているが、「レベルが自然にできあがるまま放置するのは禁物」
として、スポールストラは、常識破りのマーケティングを展開します。
1980年代のポートランド・トレイルブレイザーズの時代、アメリカでは、ケーブルテレビが普及していった時期でしたが、全米23番目のマーケットであるポートランドには、ケーブルテレビ局も無関心で、球団自身が、ケーブルテレビのマーケットを切り開いて行く必要がありました。ところが、消費者は、スポーツ専門チャンネルを見るのに、毎月12ドルは支払うが、それに見合うだけの大量の番組を提供する必要があるとされました。莫大な番組制作費の大半は、自分たちで負担しなければならない。しかも、利益はケーブル会社との間で折半しなければならない。さらに、毎月10%の解約も覚悟しなければならない。また、当時、ケーブルテレビでホームゲームの放送は、観客を減らすと考えられていました。では、どうしたらいいのか?
本当にファンが望んでいるのはことは?「ポートランド・トレイルブレイザーズの試合をみることだ」
そこで考えたのが「一番集客力のある12試合をパッケージにして売り込む」「価格は120ドル」「解約は不可」。対象は、「クリームのレベル」の一番上の人たち。120ドルという高額な値段をつけることにより、チケット収入との競合を避けることが可能となり、120ドルを払ってでも試合を見たがっている人たち、彼らは、もっとお金を出してもいいと思っている人たち=「クリームのレベル」の一番上の人たち=顧客ロイヤルティの高い人たち=ヘビーカスタマー、を見つけ出すことができたのです。
まず、ケーブルテレビの契約者全員に郵送で勧誘。回答率は、他のDMと変わらなかったが、放送を見ている本当のブレイザーズファンを見つけ出すことができた。ただし、「クリームのレベル」は、顧客のことがわかっているとき、最高の効果を発揮する。ブレイザーズに興味を示した人たちのリストをまとめあげる。プレイザーズが提供する賞品に応募した人たち、ポケットサイズのスケジュール表を手に入れようとチームのオフィスを訪れた人たちなど。彼らに、ケーブル放送の企画を郵送し、スポールストラは、「クリームのレベル」の上澄みを見つけることができた。
最も回答率の高かったのは、現在の年間指定席の持ち主。彼らのほとんどは、自分の指定席に自分たちの顧客を招待していた(つまり、接待)。大事な試合をあきらめたくないが、上得意客は、上得意客で試合を見たがる。年間予約席の持ち主も、こうした試合を見逃したくない。かくして、ケーブル放送のパッケージを購入すれば、家で試合を見ることができる。
スポールストラは、集客力のある対戦カード12試合に限定したケーブルテレビの放送パッケージを相場(12ドル)から言えば、常識破れな価格(120ドル)で売り出した。1試合10ドル(約1200円)。チケットに比べれば、高いわけではない。これらの試合は、満員でチケットは残っていないのだから。スポールストラは、このケーブル放送のパッケージを買うつもりのない顧客に対し、1試合17ドルのペイ・パー・ビュー商品を用意した。さらに、ケーブル放送と入場チケットを組み合わせたパッケージを売り出した。つまり、いくつかの試合は、アリーナで観戦し、残りはケーブル放送で見るという分けです。
スポールストラは言う。@顧客の名前は管理されているか、A特別なパッケージをまとめれば、顧客の一部は喜んでその分余計にお金を払ってくれるか。もし、両方ともイエスなら「クリームのレベル」のマーケティングに取りかかるべきだ。すなわち、「クリームのレベル」のマーケティングとは、CRMであり、CRMの根幹をなすのが@のデータベース・マーケティングです。
参考文献
「エスキモーに氷を売る」 ジョン・スポールストラ著 中道暁子訳 きこ書房
「エスキモーが氷を買うとき」 ジョン・スポールストラ著 宮本喜一訳 きこ書房
「コトラーのマーケティング・コンセプト」 フィリップ・コトラー著 大川修二訳 東洋経済新聞社
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顧客ロイヤルティは、顧客が自社製品を継続的にして購入する状態をいい、顧客シェアは、顧客が自社製品を購入する割合をいいます。つまり、顧客ロイヤルティは、顧客シェアの維持拡大のことであり、CRMが、ワン・トゥ・ワン・マーケティングと同じ意味で使われているこのためです。
ワン・トゥ・ワン・マーケティングは、既存客、中でも、ヘビーカスタマーをメイン・ターゲットとしたマーケティングですが、それなら、新規客はどうすんだということになります。そもそもヘビーカスタマーというのは、顧客満足度が高く、しかも顧客ロイヤルティが高い人たちですが、彼らは、自社製品の大口顧客であると同時に、「伝道者」として口コミで他人に自社製品の購入を勧めてくれるセールスマンたちです。顧客ロイヤルティの根幹は、顧客と企業との信頼関係です。ヘビーカスタマーは、周囲の人たちに、この企業の信頼性を口コミで広げてくれるPRマンです。既存客、ヘビーカスタマーへターゲットを絞りこんでも、新規客へのアプローチは、「伝達者」がタダで行ってくれるという分けです。
顧客一人ひとりに対する極めの細かいマーケティングというのは、商売の世界では昔から当たり前のことでした。ところが、大量生産・大量消費の時代になると、スケール・メリットを利用したマス・マーケティングが幅をきかせるようになり、ワン・トゥ・ワンの対面情報は軽視されてきました。ところが、成熟した消費社会・生産過剰の消費社会では、顧客一人ひとりへの対応が求められるようになります。ただ、巨大化した現代マーケットにおいて、顧客一人ひとりに対する対面サービスを行っていたのでは、コストがかかりすぎます。そこで考えられたのがIT(情報技術)の利用です。いわば、ワン・トゥ・ワン・マーケティングは、IT版お得意様係の発想です。
ITを使い顧客一人ひとりに対する極めの細かいサービス、これが、CRMでありワン・トゥ・ワンなのですが、実際には期待ほど機能していないようです。CRMを導入した企業のうち満足な結果を得られているのは3割に満たないそうです。コトラーによれば、企業は「顧客中心企業をめざした組織再編が完了するまで、CRMに投資すべきでない」と述べています。ITよりも人ということですね。
参考文献
「コトラーのマーケティング・コンセプト」 フィリップ・コトラー著 大川修二訳 東洋経済新聞社
「経営用語の基礎知識」野村総合研究所編著 ダイヤモンド社
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現代は成熟した消費社会です。成熟した消費社会は、生活に必要な生活財は言うに及ばず、嗜好性の高い選択財でさえ豊富に存在する社会です。消費者の選択の幅は広がり、生活財でさえ嗜好性を帯びてきます。現代は、生産過剰の消費社会です。コトラーは、「コトラーのマーケティング・コンセプト」の序文で「世界的に見て、ほとんどの産業が消費者の購買力を上回る生産力を有している」と述べています。
これをプロ野球の世界で見れば、昔、プロ野球のライバルは大相撲と映画だけでした。ところが今や、プロ野球は、Jリーグ、メジャー・リーグといったスポーツ産業だけでなく、ディズニーランドなどのエンターテイメント産業すべてがライバルです。スポーツファンは、日本に居ながらにして、NFL・NBA・MLB・NHLといったアメリカ四大スポーツ、さらにはヨーロッパ・サッカー4大リーグの試合をテレビで見ることができます。
このような状況下で、企業(球団も含む)はどうしたらよいのでしょうか。「その答えを教えてくれるのマーケティングだ」とコトラーは述べています。そのマーケティングで今、注目されているのが、顧客ロイヤルティを高める手法であるCRM(カスタマー・リレーションシップ・マネジメント)です。このCRMとほぼ同じ使われ方をしているのが、ワン・トゥ・ワン・マーケティングです。ワン・トゥ・ワン・マーケティングという用語はマス・マーケティングに対する用語です。
従来、会社全体の売り上げを上げるためには、マーケットに占める自社の売り上げ(マーケット・シェア)をいかに伸ばすかというマス・マーケティングの手法が採られてきました。ところが、成熟した消費社会・生産過剰の消費社会においては、消費者をマスとして考えるマス・マーケティングの考えには限界がでてきました。成熟した消費社会・生産過剰の消費社会においては、顧客一人ひとりに対する極めの細かいマーケティング=ワン・トゥ・ワン・マーケティングが必要になってきます。ワン・トゥ・ワン・マーケティングは、顧客一人ひとりの売り上げ=顧客シェアを増やすことにより、会社全体の売り上げを伸ばそうという考え方です。顧客シェアとは、顧客の消費額のうち自社製品の購入額が占める割合を言います。
顧客シェアという用語は、既存客を対象とした概念です。新規客は、自社製品を初めて購入する人たちですから、いきなり顧客シェアでは話になりません。従来のマス・マーケティングは、マーケットの拡大を前提とし、新規客の獲得を主眼においていました。既存客の離反を防ぐことには、あまり関心がありませんでした。成熟した消費社会・生産過剰の消費社会においては、マーケットの飛躍的な拡大は期待できず、新規客の獲得よりも、既存客の維持・拡大が重要になってきます。新規客の獲得には、既存客の維持拡大よりも5倍から10倍のコストがかかるからです。
既存客を主眼においたマーケティングが、ワン・トゥ・ワン・マーケティングです。既存客の中には一際、顧客シェアが高い人たちがいます。それが、パレートの法則の20%の顧客であるヘビーカスタマーです。ですから、ワン・トゥ・ワン・マーケティングの狙いは、いかにヘビーカスタマーを作るのか、いかにヘビーカスタマーの顧客シェアを増やすか、さらにはヘビーカスタマー自体をいかに増やすかということです。
参考文献
「コトラーのマーケティング・コンセプト」 フィリップ・コトラー著 大川修二訳 東洋経済新聞社
「経営用語の基礎知識」野村総合研究所編著 ダイヤモンド社
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チーム・ロイヤルティとは、忠誠心や愛着心といった感情なのに対し、顧客ロイヤルティは、特定の企業の商品やブランドを、他の競合商品があるにも関わらず、継続して購入してくれる状態をいいます。企業にとっての忠誠心とは、製品やサービスを購入し続けてくれるという形になってあらわれないといけないわけですね。
ワンダーマン風にに言えば,前者の忠誠心をロイヤルティ心理,後者の継続して購入している状態をロイヤルティ行動としてロイヤルティを捉えることができると思います。なお、ワンダーマンによれば、心理・行動にロイヤルティ深度を加えた三つの要素で顧客ロイヤルティを把握することとしていますが、ここでは,チーム・ロイヤルティと区別する意味で,顧客ロイヤルティと言った場合,ロイヤルティ行動中心の考え方を指し、単にロイヤルティと言った場合は,ロイヤルティ心理を指すようにします。この顧客ロイヤルティを高める要素には、顧客満足度、ロイヤルティ、スイッチング・コストなどがあります。
顧客満足度はCSといわれるもので、自社製品の購入時や購入後における顧客の満足度をアンケート調査や苦情件数などを利用して把握します。顧客満足度が高くても次の購買機会には他社製品を購入するかも知れない人は顧客ロイヤルティが低いことになり、顧客満足度が低くても他社に代替品がないため自社製品を購入し続けている顧客は、顧客ロイヤルティが高いということになります。後者の場合、他社の代替品が登場した場合、顧客は他社に乗り換える可能性があるわけですから、顧客ロイヤルティには、顧客の満足が不可欠となります。従来の顧客満足度は、マス・マーケティングの考えである会社全体に対する満足という視点に立っていました。しかし、顧客ロイヤルティにおける顧客満足は、ワン・トゥ・ワン・マーケティングの考え方である顧客一人ひとりの満足を重視します。
先にも述べたようにここでのロイヤルティとは、チーム・ロイヤルティと同じ忠誠心のことです。ブランド・ロイヤルティといってもいいと思います。ブランドという言葉自体が、顧客の忠誠心を前提にしています。他社に代替品がないため,自社製品を継続して購入してくれる顧客は,顧客ロイヤルティは高いが,自社へのロイヤルティは低いことになります。また,顧客満足度が高くても,次の購買機会に他社製品を選択する顧客は,顧客ロイヤルティは低いが,ロイヤルティも低いということになります。また、ロイヤルティが高くても顧客満足度が低く,顧客ロイヤルティが低くなる場合も考えられます。ロイヤルティはブランドと顧客との心理的・感情的な結合であり、簡単に切れるものではありません。継続的な顧客ロイヤルティの維持のためには、ロイヤルティは必要条件です。
最後に上げたスイッチング・コストは、マイレージ・カードのポイントのように他社製品や他のブランドに乗り換えた場合にかかる費用のことをいいます。マイレージ・カードのポイントは、他社に乗り換えると、ゼロからスタートしなければなりません。ワン・トゥ・ワン・マーケティングなどで,顧客が企業に情報を提供することにより,自分の好みにあったサービスや製品を提供してくれるというパートナー関係が企業と顧客との間にできている場合,他社に乗り換え,他社から自分好みのサービスや製品を購入するには, 相当の時間と費用を要することになります。このため、他社への乗り換えが減り顧客ロイヤルティが高まるということになります。
参考サイト
http://www.nri.co.jp/m_word/kokyaku_loyal.php
http://premium.nikkeibp.co.jp/crm/glossary/royalty.shtml
http://www.wunderman-d.com/corporate/
参考文献
「コトラーのマーケティング・コンセプト」 フィリップ・コトラー著 大川修二訳 東洋経済新聞社
「経営用語の基礎知識」野村総合研究所編著 ダイヤモンド社
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チーム・ロイヤルティについて、「スポーツ産業論入門(原田宗彦編著)」で大阪体育大学の藤本淳也氏が書いているので、それをもとに今回は、マズローの欲求5段階説とからめてまとめてみたいと思います。
チーム・ロイヤルティとは、スポーツチームに対する忠誠心又は愛着心のことであり、「スポーツチームに対する特有の感情」とされています。これは「自分が規定している要素が世間で高く評価されたい」という自我の欲求から生まれてくるものであり、「例えば、自分が応援しているチームが勝って、自分が強いチームのファンであることをアピールすることによって、一瞬の優越感を味わう」ものです。これが、優勝でもすれば、自己実現の欲求も充足されることになり、チーム・ロイヤルティは最高潮に達します。
そもそも、ロイヤルティは、自分の帰属するものと対立するものとを意識することにより生まれるものであり、特定の集団に帰属したいという社会的欲求の意識化の現れということができます。特に、スポーツ観戦の場合、対戦相手が必ず存在するので、その対戦相手や相手を応援する人を意識することにより、特定の選手やチームにロイヤルティを感じ、応援という行動を起こすことになります。すなわち「チーム・ロイヤルティは、このような心理的要因によって誘発されたチームへの愛着心あるいは忠誠心」ということができます。
それでは、人は何に対して帰属意識を持つようになるのでしょうか。この点に大きく影響しているのが、安全と安定の欲求です。人は「自分が規定している要素の中で、変えることができない物事に対して強いロイヤルティ」を持つと言われています。自分が「変えることができない物事」に対し、帰属意識を持つことが最も安全と安定の欲求を充たすことになります。マーケティングにおいて一番重要なことは、チーム・ロイヤルティを獲得するためには、この「変えることができない物事」にいかに働きかけるかということになります。
なお、マズローの欲求五段階説は、アメリカの心理学者マズローが提唱したもので、人間の欲求は5段階の階層を成しており、欲求は、1段階目が満たされると、1つ上の欲求を目指すというものです。その欲求とは、下から@原始的欲求A安全の欲求B社会的欲求C自我の欲求D自己実現の欲求です。@の原始的欲求は人間が生きるために必要な基本的な欲求で食欲、性欲、睡眠欲などがあります。闘争心もここに含まれます。Aの安全の欲求は自分の身の安全や安定を求める欲求です。Bの社会的欲求は親和の欲求ともいわれ、他人と仲良くなりたい、他人と同じにしたいとか、特定の集団に帰属したいとかいった欲求です。Cの自我の欲求は、自分が集団から価値ある存在と認められたい、尊敬されたいという欲求です。最後のDの欲求が自己実現の欲求は、創造的活動や自己の成長を追求する欲求です。
ところで、一番下の原始的な欲求ですが、これについては、「大リーグと都市の物語」(宇佐見陽氏)から。「もともとスポーツ観戦、球団の声援は人間本来が持ち合わせている闘争本能の他者への委託行為」ということです。
参考サイト
http://www.dango.ne.jp/sri/maslow.htm
http://saido.tripod.co.jp/maslow.html
http://ma.skg.co.jp/words/words19990709.htm
参考文献
「スポーツ産業論入門」 原田宗彦 編著 杏林書院
「大リーグと都市の物語」 宇佐見陽 著 平凡社新書
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ファンスーマーは、ファンとコンシューマーの合成語です。ファンは、プロ野球ファン、メジャー・リーグ・ファンのファンで、ファナティック(熱狂的)で、ロイヤルティ(愛着心、忠誠心)の高い人たちです。一方、コンシューマーは、消費者のことで、球団からみれば顧客(カスタマー)となります。
ファンは、必ずしも顧客(カスタマー)ではありません。ファンであっても、チケットの購入やグッズの購入に結びつかない人たちがいます。まず、ノン(非)・マーケットに住んでいるファンで、球場から遠くに住んでいるファン、テレビ放映のない地域に住んでいるファンたちです。次に、顧客満足度が低いファンがいます。彼らは、負けが続いけているから観たくないとか、監督が嫌いだから見るのがいやになったファンです。観戦しても満足が得られないことが分かっているファンは、顧客になることを放棄してしまっています。最後の層が、球場に通える地域に住んでおり、しかも、満足度が高いにもかかわらず、観戦やグッズの購入に結びつかないファンです。新聞やテレビのニュースで結果が分かり、勝てば喜び、負ければ悔しがるといった人たちです。彼らは、昔はせっせと球場に通って応援していたけどいつの間にか脚が遠のいだ人たちか、又は球場やテレビでの観戦という習慣がない人たちです。
プロ野球ビジネスで重要なのは、顧客(カスタマー)となるファンです。
ビジネス・ツールにも流行があって、ちょっと前まで流行っていたものに顧客満足度(カスタマー・サティスファクション=CS)があります。顧客の満足度を高めれば、売り上げが伸びるといわれ、猫も杓子もCS、CSといい、自治体にまで波及しています。ところが、顧客満足が高くても、必ずしも、売り上げに結びつくわけではなく、却ってコストが増えるだけという場合があります。その製品やサービスの購入時の満足度は高くても、次の機会には別の店やメーカーを選択するかもしれません。そこで、重要視されてきたのが顧客ロイヤルティという考えかたです。顧客に自社の製品やサービスのファンになってもらって、次の機会にも継続して購入してもらおうというものです。いわば、顧客にファンスーマーになってもらおうというのが顧客ロイヤルティの手法です。
既存客の購入に要する費用は、新規客のそれの5分の1から10分の1と言われています。既存客に、リピーターになってもらって、継続的に自社製品やサービスを購入し続けてもらうことが、企業に大きな利益をもたらしてくれます。これを顧客生涯価値(ライフ・タイム・ヴァリュー=LTV)といいます。このためには顧客ロイヤルティを高める必要があります。ロイヤルティとは、愛着心とか忠誠心とか訳されますが、顧客ロイヤルティとは、企業やブランドに対し信頼感をいだき継続して、製品やサービスの購入をしてくれる状態のことをいいます。
ファンは、チーム(球団)に対するロイヤルティが高くても、マーケット以外で自らのニーズを充足することができます。新聞やテレビ、ネットのニュースで試合経過や結果を知ることができます。プロ野球の顧客とは、チケットを購入し観戦してくれたり、テレビ中継を観てくれたり、グッズを買ってくれる人たちです。チーム・ロイヤルティを顧客ロイヤルティに如何に変換するかがマーケティングの鍵です。
参考サイト
http://www.ideahp.com/ssub-ma3.htm
http://premium.nikkeibp.co.jp/crm/glossary/royalty.shtml
http://premium.nikkeibp.co.jp/crm/glossary/ltv.shtml
参考文献
「スポーツ産業論入門」 原田宗彦 編著 杏林書院
「新庄が「4番」を打った理由」 タック川本 著 朝日新聞社
「スポーツの経営学」
池田勝・守能信次 編 杏林書店
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パレートの法則
「世の中の事象は一様ではなく偏在している」「上位2割の要素が全体の8割を占める」
19世紀のイタリア人経済学者パレートは、イギリスの資産と所得の分布を調査し,20%の人たちに資産総額の80%が集中していること、この割合が他の時代、他の国々にも当てはまることを発見しました。そして,パレートの法則は,経験則から,いろいろな事象に当てはまるとされ,いろいろな使われ方をするようになりました。パレートの法則は,2割8割の法則ともいわれますが,似たようなものに,7:3の法則というものもあります。これは「上位3割の要素が全体の7割を占める」といったもので、パレートの法則の一種といっていいでしょう。つまり,「上位の2割〜3割の要素が全体の8割〜7割を占める」といったところでしょうか。
パレートの法則で、有名なところでは「20%の製品又は顧客が、売り上げの8割を生みだす」「上位20%のセールスマンが、収益の80%を上げる」といったものがあります。プロ野球でいえば,「20%の観客が80%の売り上げを生みだす」とか「20%の選手の力により,勝利の80%がもたらされる」といった使われ方がされます。ところで,「20%の顧客が売り上げの80%を生みだす」の20%の顧客とは、「得意客」とか「常連客」とかいわれてきた人たちのことで,昔から特別扱いされ、重要視されてきました。今でもデパートの外商部にはお得意様係というものがあります。
パレートの法則によれば、20%の観客が熱狂的なリピーターとなり、観客動員の80%を占めるということになりますが、実際、メジャーリーグのリピーターは7割だそうです。因みに、ディズニーランドは9割だそうです。大阪体育大学の藤本淳也氏の研究(「スポーツ産業論入門」原田宗彦編著)によれば、この熱狂的なリピーターは、観戦頻度(観戦回数然10回以上)が高いヘビーカスタマー(大口の顧客)で、「球場の近くに住み、昨シーズン以前観戦経験が多く、自主的に観戦することを決め、特定の選手よりもチームにロイヤルティを持ち、日頃からチームの情報に多く接している」人たちということです。もちろん、ヘビーカスタマーには、チケット購入者だけでなく,球団グッズの購入者もいます。
メジャー・リーグでは、このヘビーカスタマーのことをファンスーマーといいます。ファンスーマーは,ファンとコンシューマー(消費者)の合成語です。タック川本著の「新庄が4番を打った理由」によると、ファンスーマーは,球団のロゴを付けただけの千円のTシャツを躊躇なく1万円で買う人たちです。ファンスーマーは,ロゴが入っているだけで,ユニフォームだろうが帽子だろうが何度も繰り返し購入します。ファンスーマーは,球団にとってありがたい消費者です。ファンスーマーも,ロゴを付けるコストが微々たるものであることは,先刻承知です。ファンスーマーは,球団を愛しているから,倦むことなく財布の紐を緩めます。そのおかげで球団も,継続的な安定収入を見込めます。この構図は一般のブランド商品と共通だということです。
参考サイト
http://www.oka-kaikei.com/infomation/boss-commento/boss-commento-20011001.htm
../../vvv.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/1755/zak40026.html
http://homepage2.nifty.com/m_shi/words/laws003.html
参考文献
「スポーツ産業論入門」 原田宗彦編著 杏林書院
「新庄が「4番」を打った理由」 タック川本著 朝日新聞社
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クリケットもボールをウィケットに当ててアウトにすることは難しく、得点(ウィケットとウィケットの間を橋って1点(ラン))が100点以上入ることも珍しくありません。1人で100点以上稼ぐ打者をセンチュリーといいます。逆に、投手がウィケットにボールを当ててアウトにすることは難しく、3球続けてウィケットに当ててアウトにした投手をハットトリックといって賞賛しました。しかしながら、あくまでも、クリケットはウィケットへの的当てが主目的のゲームです。打って走るのは、長時間大勢の人が楽しむための手段に過ぎませんでした。ところが、ラウンダーズは打つことが、ゲームの主目的でした。的当てゲームの要素は、打ったボールを拾った野手がポストに投げ返す部分に残ることになります。タウンボールになると、走者が的になり、走者への的当てゲームという要素が強くなっていきます。
ラウンダーズのラウンダーとはホームランのことで、ホームランだけが得点になります。これなどは、トラップボールの影響と思われます。ポストの間を走るのは、得点に関係なく、ただ長時間楽しくプレーするための手段になってしまっています。とはいっても、ラウンダーズは、競技化せず、遊びのレベルでしたから、各地でいろいろなルールで行われ、クリケットと同じようにポスト間のランが得点になる場合もありました。四つ目の塁(ホーム)へ帰ってきて得点というベースボールと同じ得点形式のものもありました。複数の非対面型ゲームの要素が組み合わさったバットとボールのゲームでは、得点の方法にも多様性があったのです。
タウンボールまでは遊びのレベルでした。ベースボールになって、ようやく、競技化することになります。大人の青年男子が行う競技となります。トラップボールの影響を受けてか、ファウルラインが取り入れられ、スペクテイター・スポーツの要素を持つようになります。このとき女性は選手から観戦者となりました。走者への直接の的当ては廃止され、硬いボールが使用可能となり、ボールの飛距離が出て、スピードと豪快さを持つようになります。ところが、まだ最初のベースボールは単なる打つゲームでした。投手は、タウンボール(ラウンダーズ)と同じく、打者に打ちやすいボールを投げることが役割でした。アンパイアのストライクの宣告は、投手が打ちやすいボールを投げたにも関わらず打たなかった打者への「打ちなさい」という警告だったのです。
その後、ベースボールは、スペクテイター・スポーツとして発展していき、1869年になるとプロチームが出現し、1871年にはプロリーグもできてきます。プロフェッショナル・ベースボールになってから投手は次第に攻撃的になってきます。従来、打者が上中下と打ちやすいボールを要求できたものができなくなり、下手投げだけが許されていたものが、横手投げ、上手投げが次第に許されるようになっていきます。投手は、打者を打たせないように投げることが役目になっていきました。投手の投球のスピードが速くなり、カーブも投げるようになります。ベースボールは、19世紀末、プロフェッショナル・ベースボールとして、打つゲームから投げて打つゲームへ進化していきます。ストゥールやウィケットはありませんが、ストライクゾーンのという的めがけて投げることが投手の役割となったのです。ストゥールボールの的当てゲームが、19世紀末のベースボールで復活したといっていいでしょう。
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ベースボールへの進化の過程を仮説ですが、まとめてみたいと思います。まず、ボールを投げて的に当てるという単純な遊びがあったはずです。子供の頃石を投げて缶に当てて遊んだ記憶を持っている人も多いと思います。次にこの的当てに、邪魔する行為が加わります。ストゥール・ボールは、牧童がミルク搾りの女性たちをからかって石を投げ、これを女性たちが腰掛けで防いだことが由来とされていますが、最初は的目がけて投げられたボールを掌ではじき返していました。
掌でボールを打ち返すという行為はテニス等のハンドボールに似ており、テニスに似た過程をたどりラケット型のバットに進化していきます。一方、ボールをバットで打って遠くに飛ばすトラップボールも、広く普及していました。次の段階のゲーム展開は、対面ゲームなら、打たれたボールは、同じくバットで打ち返すのですが、非対面ゲームですから、捕球するか否かということになります。ボールを捕るという行為が付加されることによって、一緒に遊べる人数を格段に増やすことができます。これによって初めてチームスポーツとしての要素を持つことができるようになります。
フライボールなら捕球で終わり(アウト)ですが、グラウンダー(ゴロ)のときはどうしようということになります。そこで、次に新たな的当てが加わります。ゴロで捕球したボールは、ストゥールやトラップに投げ返して当てればアウトという行為が加わります。トラップボールにも的当ての要素が加わったことになります。ところで、ストゥール・ボールは、打つことが目的ではありませんから、ファウルという概念はありませんでした。打者の四方八方すべてがフェアゾーンでした。一方、トラップ・ボールは、打つことが目的ですから、打つのを難しくするため、打つ方向を制限するようになります。ところで、ストゥール・ボールの目的は的当てですから、的当てを難しくするため、バットで打って邪魔する行為が付加されました。みんなのプレーがうまくなると、ゲームが単純だとすぐにゲームが終わってしまうので、ゲームは難しくなっていきます。
打ち返されたボールを捕るという行為が付加され、投げる側は、複数の選手が一緒に遊ぶことができるようになりました。これに対し、打つ側は、あくまでも1人です。そこで、ストゥールを増やし、走者を作り出しました。ストゥールとストゥールの間をボールを打ち返した打者が走るという行為が加わり、これによって、打ち返されたボールを拾った投手側の選手による返球による的当てに動きがもたらされ、ゲームにスピード感と試合展開に深みがでてきました。ここにベースボールの原型が完成します。
ストゥールが二個になった段階で、競技化したのがクリケットでした。青年男子の正式な競技です。一方のストゥールはウィケットになり、他方のストゥールはスタンプ(杭)だけになります。これがシングル・ウィケットゲームです。両方ともウィケットなのがダブル・ウィケットゲームです。どちらが古いかよく分かりませんが、前者のシングル・ウィケットゲームのスタンプ(杭)は、後のラウンダーズを彷彿させます。ラウンダーズは、打者側の選手が大勢プレーできるようにするため、杭(ポスト)の数を四つに増やし、ウィケットを廃止して、打つゲームに変化しています。投手は、ウィケットへの的当てではなく、打者に打ちやすいボールを投げる人間トラップに変化しています。これは明らかに打つゲーム、トラップ・ボールの打つという要素が組み込まれたことを意味しています。
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対面型ゲームというのは、対ヒトのゲームで、実力の評価は相対的なものです。対戦者以外と客観的に評価する基準を持っていません。記録化が難しいのがこの対面型ゲームの特徴です。これに対し、非対面型ゲームは、対ヒトのゲームではなく、記録できるあるものを介して他者と競い合いをするゲームです。このため個人競技であってもゴルフのように多数の選手が一斉に競技を行うことができます。ボールゲーム以外で説明すると、対面型ゲームというのはレスリングや柔道などの格闘技であり、非対面型ゲームというのが陸上競技や水泳競技のことです。最強の者を選ぶ場合、格闘技は1対1の試合では、相対的な強者しか分かりませんから、トーナメント形式やリーグ戦形式で試合を行っていき、勝者を決めていかなければいけません。ところが、陸上競技は、記録がハッキリとでますから、一回の試技で勝者を決めることも可能です。何度も競技する必要もありません。
非対面型のボールゲームの特徴は、「何回投げる」とか、「何回打つ」とかという、まず、機会が与えられて、その距離とか的に当たった回数とかを競い合うという点にあります。ゴルフでは、何回打ってホールにボールを入れることができるか競います。そしてこれを18ホールで繰り返し行っていきます。ボーリングでは、1回又は2回投げて10本のピンのうち何本倒せるかを10回繰り返します。ベースボールも、3ストライクになるまでにボールを打つ、3アウトチェンジになるまでに点(ラン)を入れる。これを9回繰り返し、得点を競い合います。非対面型ゲームは、機会と確率のゲームということができます。
非対面型のボールゲームには、ボールを投げるゲームとボールを打つゲームの二種類があります。前者が、ボーリングであり、ストゥール・ボールでした。後者が、ゴルフであり、トラップ・ボールでした。空中でボールを扱うゲームであるストゥール・ボールとトラップ・ボールは、相互に影響試合ながら、やがてチームスポーツ化し、複合化し、ベースボールへと進化していきます。ゲームの進化の方向は、「いかに大勢の人が一緒に遊べるか」「いかに一定に時間を楽しく過ごせるか」というものでした。
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ベースボールは、1860年代、クリケットやマサチューセッツ・ゲームとがナショナルパスタイムの覇を競いますが、ベースボールを北部のスポーツからアメリカ全土に普及させる契機になったとされているのが南北戦争です。南北戦争に従軍した兵士たちが、戦時中ベースボールを体験し、戦後各地に帰還してベースボールが普及したというものです。ベースボールの独特のユニフォームは、この南北戦争当時の軍服によるものとされています。ところが、実際には、南北戦争前から、南部でもベースボールは盛んに行われていたようですし、タウンボール以前のゴールボールやベース・ボールと言われたラウンダーズ系の遊びが各地で行われていました。そういって下地があったからこそ南北戦争で、ベースボールが一気に広まったといったのだと思います。
この1860年代は、ベースボールだけでなく、歴史的にみてもエポックメーキングな時代でした。アメリカでは既述のとおり南北戦争が1861年から65年にかけて行われ、これがアメリカ近代化の契機にもなっています。日本では、1868年、江戸幕府が倒れ、明治維新が起きています。ヨーロッパではイタリアやドイツで統一国家が成立しています。1860年代は、近代的な国民国家の成立という点で極めて重要な時代でした。考えてみれば、日本の近代化は極端に遅れていたわけではありませんでした。
ベースボールが日本に伝わったのが明治5年(1872年)であり、サッカーは翌年の明治6年(1873年)です。ベースボールが近代スポーツとなった1857年から15年後、サッカーは1863年から10年後に日本に伝来しています。ヨーロッパでもこの時期は、フランスとプロイセンとの間で普仏戦争がおこり、ドイツ帝国と誕生と、フランス・ナポレオン3世の退位と第三共和制の樹立といった状態でした。フランスのクーベルタン男爵がイギリスに留学し、近代スポーツに接するのは1880年代です。このころイギリスは世界帝国を築き、世界各地に進出していました。そして、各地に、スポーツクラブを作ります。たいていは、クリケットクラブといい、横浜に最初にできたクラブもクリケットクラブでした。
近代スポーツの成立と国民国家の成立は密接に結びついています。近代スポーツは、国民国家統治のための道具として利用されてきた面も否定できません。1860年代のアメリカで、ベースボールがナショナルパスタイムとなったのには、時代の要請があったからだと思います。
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ベースボールは、奇妙で不可思議なスポーツではありませんでした。1860年代のアメリカでナショナル・パスタイム(国技)の覇を競ったのは、クリケット、ベースボール、そしてマサチューセッツ・ゲームでした。これら三つの近代スポーツは、すべてこん棒(バット)とボールのゲームです。この時期のアメリカでは、フットボールやハンドボール(テニス等)は、まだ、一般には普及していませんでした。
現代、ベースボールが奇妙で不可思議なゲームに見えるのは、20世紀に入って普及したフットボール・タイプやハンドボール・タイプのスポーツのためでした。佐山和夫氏は「たいていのチームスポーツは、敵と味方が正面から向き合って戦うのに、野球ではそうではない」「(野球は)攻撃中といっても、チームの大半の者がベンチに座っているのも奇妙だ」「他のスポーツでは、たいていボールを持っている方が攻撃しているのに、野球ではボールを守っているのかも不思議だ」「攻守ということでいえば、野球は攻撃と守備とで道具を異にするが、そんなスポーツも珍しい」といっています。しかし、野球(ベースボール)と比較している他のスポーツというのはフットボールタイプのサッカー、ラグビー、バスケットボール、ホッケー、(近代スポーツとしての)ハンドボールであり、もう一つはテニス、バドミントン、卓球、バレーボールといった(イギリス人がいうところの)ハンドボールのことです。
1860年代のアメリカでは、敵と味方が正面から向きあって戦うボールゲームよりも、こん棒(バット)とボールを使ったゲームの方が一般的でした。18世紀のイギリスで、近代的なボールゲームといえば、ゴルフとクリケットしかありませんでした。フットボールはまだ、ラグビーやサッカーと呼ばれる遙か昔の状態でした。佐山氏や私を含めてベースボールが奇妙で不可思議に見えたのは、単なる誤解であり、錯覚だったのです。
佐山氏が指摘したたいていのチームスポーツとは、フットボールとハンドボールのことです。言い換えれば、フットボールタイプとハンドボールタイプのスポーツは、一つのカテゴリーで括られ、ベースボールを始めとするバットアンドボールゲームは、それとは異なった別のカテゴリーに属するというということです。それはどういう分類なのでしょうか。それは、対面型ゲームと非対面型ゲームという分類です。
佐山和夫氏は著書「野球はなぜ人を夢中にさせるのか 奇妙なゲームのルーツを訪ねて」で、トラップボールという打つゲームに出会い「現在の野球の奇妙さの多くが当然と思えてくる」「まず第一に、相手ときちんと向き合っていない不思議をいったが、初めは相手なんかいなかったのだ」「相手は距離、もしくは空間であって、それと向かい合っていた」 と書いています。これが非対面型ゲームの特徴であり、ゴルフやボーリングもこの非対面型ゲームに含むことができます。つまり、ベースボールは、チームスポーツのサッカーよりも個人競技のゴルフに近いということができます。トラップボールとともにベースボールのルーツであるストゥールボールは、的当てとそれを邪魔するゲームですが、バットで的当てを邪魔するという行為は副次的なものであり、基本は的当てゲームです。的当てゲームも、打つゲーム同様、初めは相手はいませんでした、相手は的であって、それと向かい合っていたのです。
非対面型ゲームの特徴は、記録が録れることです。非対面型ゲームは、その記録により他者と優劣を計り競い合うゲームなのです。
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19世紀初頭、アメリカは人口・領土ともに急激な拡大をみせますが、基本的には農業国で、人口密度も低いものでした。ところが、ニューイングランド地方やニューヨーク州、ペンシルバニア州といったいわばアメリカの北部の一部で、商工業が発達し、都市化の波が押し寄せてきます。それがボストン(マサチューセッツ州)、ニューヨーク(ニューヨーク州)、フィラデルフィア(ペンシルバニア州)でした。これらはまさにタウンボールの盛んな地域でした。タウンボールは、田舎の田園地帯で生まれたものではなく、都会化の波の中で盛んになっていきました。これは、都市化と余暇の増大がリンクしていたことと関係しています。そして、アメリカ最大の都市となりつつあったニューヨークで、ベースボールが1845年生まれました。
スポーツが普及する背景には、余暇の増大が不可欠です。農業社会では、スポーツは何か人々が集まったときに行われたお祭りにすぎませんでした。ところが余暇が生まれると継続的にスポーツを嗜むことが可能となり、スポーツの組織化(近代スポーツ)が求められるようになります。19世紀初頭の近代スポーツといえばクリケットしかありませんでしたから、各地にクリケット・クラブが作られ、プロのクリケット選手も活躍していました。 世界最初のベーブボールの対抗試合として、佐伯泰樹氏が主張している1845年の試合は、ニューヨーク・クラブ、ブルックリン・クラブというクリケット・クラブを母胎にしたチーム同士によるものでした。
だからといって、スポーツを嗜みたいと思っていた全ての人々に、クリケットが受け入れられたかというとそうではありませんでした。 貴族階級の存在しないアメリカでは、クリケットの試合は、日数がかかりすぎました。短い時間で済む競技を人々は求めていました。それがタウンボールであり、ベースボールでした。また、ベースボールが考案されたら、即、人々はタウンボールを棄て、ベースボールをプレーするようになったかというとそうではありませんでした。当初、ベースボールは、タウンボールの一種として考えられ、人によっては、ベースボールをニューヨーク・ゲームと呼ぶ人もいます。
タウンボールの中で最も人気を博したマサチューセッツ・ゲームは、1858年、10のクラブが集まり、ルールが統一化され近代スポーツとして生まれ変わります。ベースボールの方も、1857年最初のアマチュア全国組織(14クラブ)が発足し、ルールもこのときはじめて統一化が図られています。近代スポーツの誕生の条件にルールの統一化と全国組織があります。この定義で言えば、近代スポーツとしてのベースボールの誕生は、1857年ということになります。クリケット、ベースボール、マサチューセッツ・ゲームは、1860年代、アメリカの国技として人気を争うようになります。そして、1876年、ナショナル・リーグの発足とともにベースボールはアメリカの国技としての地位を不動のものにしていきます。
ベースボールが、タウンボールやクリケットと大きく異なるのは、ファウル・ラインの存在でした。このファウル・ラインのおかげで、観客が選手の近くで見ることができるようになり、スペクテイター(観戦)スポーツという点で、ベースボールは一歩リードしていました。なお、ファウル・ラインは、トラップボールの影響を受けていると佐山和夫氏は考えているようです。
タウンボールでは、打球を拾った野手が、ボールを走者に投げ当ててアウトにする代わりに,ベースボールでは、ボールが走者より先に塁に送られた場合,アウトとすることとしました。また、走者が塁に着く前にボールでタッチされた場合もアウトとしました。これにより、硬いボールを使うことが可能となり、打球の飛距離も伸びました。また、試合自体がスピーディーになりました。さらに、3アウト・チェンジ制(タウンボールは1アウト制)のため試合展開が複雑になり面白みが増えました。
ベースボールは、スピードとスペクテイター性で、クリケットとタウンボール、マサチューセッツ・ゲームを凌駕していました。
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タウンボールという呼び名は、タウンミーティングの前後によく行われていたことに由来すると言われています。タウンミーティングとは、タウン(村や町)の住民による直接参加の集会のことで、タウンの運営を住民自ら行う直接民主主義の一形態です。タウン・ミーティングは、ニューイングランド地方を中心に行われ、集会所(タウン・ホール)の前にはたいてい広い芝生の庭があったということです。集会(タウン・ミーティング)の前や終わってから、親睦と娯楽を兼ねてバットとボールのゲームが行われていたことから、これらのゲームはタウンボールと呼ばれるようになったそうです。
権力に支配されない自由と平等を約束するルール、これが直接民主制としてのタウンミーティングでした。その前後に行われていたタウンボールも自由と平等のルールのもとで行われるようになります。ラウンダーズやクリケットでは、打者はアウトにならない限り打ち続けることができます。ところが、タウンボールでは、誰もが平等に打席に立つことができます。これは、イギリスでは能力に応じた特権を認めるが、米国では機会の均等という平等を重んじ、特権を廃する思想の表れとみることができます。
タウンボールは、ラウンダーズと同じくファウルラインがありませんから、打球は全てフェアとなります。また、1アウトでチェンジになります。アウトになるのは、フライを直接捕られたときと、打球を拾った野手が走者に投げ当てた場合です。イギリスのラウンダーズと異なるのは、ラウンダーズが「打球を拾った野手」の送球がポストへの的当てになっているのに対し、タウンボールが走者への的当てになっている点です。これはおそらく、実際の遊びでは、ポスト(杭)の代わりに、石ころやベースが多く使われたことに由来すると思われます。ゲームのたびに杭を打つのは大変ですし、石ころでは的にならないからです。これはイギリスでも同様でした。
その証拠に、アレグザンダー・カートライトと並ぶベースボールの父、ヘンリー・チャドウィックは、イギリスのラウンダーズを回想して「四つの石を円を描くように置いてベースとし」「打球を直接捕れなくても、走者に球を当てればアウトにできた」と述べています。
タウンボールという名前は、ゲームの総称であって、地域ごとに「ニューヨーク・ゲーム」「マサチューセッツ・ゲーム」「フィラデルフィア・ゲーム」などの種類がありました。フィラデルフィア・ゲームが最も古く(とわいっても1830年代ですが)行われたゲームですが、結局は主流になれず、後にニューヨーク・ゲームに吸収されていき、そのニューヨーク・ゲームもやがて自らベースボールに吸収されていきました。最も盛んだったのがマサチューセッツ・ゲームです。タウンボールが競技として盛んになるのは、意外に遅く1830年代から40年代からです。ベースボールが考案されたのもちょうどこのころでした。1845年ニューヨークのアレグザンダー・カートライトが、当時若者たちの間で盛んになったタウンボールを改良して作ったのがベースボールでした。
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ラウンダーズのルーツであるストゥール・ボールは、14世紀までにイギリスで、ミルク搾りの女性たちによってプレーされていたゲームで、女性のスポーツでした。これは、ストゥール・ボールがノンコンタクト・ゲーム(非接触型ゲーム)であったこと、また、運動量もフットボールに較べて少なかったということがあげられます。これに対し、フットボールはコンタクトゲーム(接触型ゲーム)で、男のスポーツとして位置づけれていました。
ストゥール・ボールは、その後男の子供たちや青年たちに広がり、棒切れ(バット)を用いてプレーするようになります。やがて、男のスポーツ、クリケットとして17世紀には組織化され、18世紀中頃にはボールゲームで最初の近代スポーツとして成立していきます。クリケットは、運動量が少ないことからイギリスの夏のスポーツとして普及していきます。イギリスは高緯度に位置し、夏のバカンス・シーズンは、貴重な日光浴の季節です。このため、野外での長時間に渡るレクリエーションとしてクリケットは最適だったのです。これに対し、フットボールは運動量が激しく、冬のスポーツとして普及していきます。
クリケットが男のスポーツとして競技化していく一方、女性や子供たちの間では、ストゥールボールから発展したラウンダーズという遊びが広く行われるようになります。ラウンダーズは、ストゥールボールが、トラップボールやクリケットなどの影響を受けて生まれたものと思われますが、クリケットのように競技化(ルールの統一化)はなされず、各地で様々な呼び名と多様なルールでゲームが行われていました。地域によっては男の大人の遊びだったところもあります。このラウンダーズもクリケットやトラップボール同様、北米に17世紀には伝わり各地で行われていました。
北米に渡ったラウンダーズは、タウンボールとなり、ベースボールの母胎となったと言われていますが、ラウンダーズは、タウンボール以外にも、ゴール・ボールやベース・ボール、ベース、バース・ボールと呼ばれ、子供の遊びとして、広く各地でプレーされていました。タウンボールは、「するスポーツ」といわれますが、ストゥール・ボールもラウンダーズも同様に「するスポーツ」でした。大勢の人が集まって一緒にプレーできる遊びがストゥール・ボールから生まれた、ラウンダーズでありタウンボールでした。投手の役目は、誰もが打ちやすいボールを投げることにあります。的当てを邪魔するゲームより、打って捕ってからの的当てゲームの方が大勢の人が遊べますし、楽しめます。バットとボールのゲームは、大勢の人が長時間一緒に楽しく遊べるように工夫がなされ、しかもその土地々々にあったルールで広まっていったのです。ですから、人数も特に決まっていたわけではありませんでした。後の成文化されたタウンボールの一種マサチューセッツゲームでさえプレーヤーは10人から14人とされています。
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ベイスターズの大堀前社長を戦犯呼ばわりする人がいるので、ここではっきりさせておきます。
昔、GMといえばベースボール部門とビジネス部門を統括する人を指していましたがを、今では、複雑化したためベースボール部門だけを統括するだけみたいです。森西武野球の黄金時代は、GM根本、FM(フィールドマネージャー)森という関係がうまくいったからだと思います。もちろん、根本さんは、ベースボール部門の統括者としてのGMです。そして、森さんがベイスターズで失敗したのは、ベースボール部門の責任者野口編成担当取締役が補強に失敗したからです。
大堀前社長は、ビジネス部門の責任者です。従来、日本の球団にはビジネス部門など無きに等しいものでした。ベイスターズでも、大堀氏が社長に就任するまでは、チケットの販売を横浜スタジアムに委託していました。球団からチケット販売を取ったら、ビジネス部門は皆無に等しくなります。ベイスターズだけでなく、従来の日本の球団は、チケット販売を親会社や球場に委託するのが一般的でした。つまり、日本のプロ野球は、プロ球団とは名ばかりで、ビジネスをしない単なるチーム運営会社に過ぎなかったのです。
その中にあって、親会社の出向社長の過ぎなかった大堀氏は、自分の責任(親会社にもどらない覚悟)で、横浜スタジアムへの委託を解除し、チケット販売の営業権を球団に戻したのです。
ベイスターズにはビジネス部門があります。しかしながら、ベイスターズのおかれた状況は厳しいものがありました。親会社マルハの支援は期待できませんでした。独立採算が使命です。しかも、FA導入後、選手の年俸はうなぎ登りです。しかも、横浜スタジアムは、球場広告や飲食収入をほぼ独占し、ベイスターズにはほとんどおカネが入ってきません。その上、高額な使用料をベイスターズから徴収します。
つまり、ベイスターズの収入源は、入場料収入と放映権料、それとライセンス収入だけです。放映権については、ベイスターズ・ソフトという会社を作って、テレビ放映の制作を球団自ら行うことにより、放映権を完全に売却するのではなく、高次利用を念頭においた体制を作っています。また、ライセンス収入の確保を目的、ベイスターズ・サービスという会社も作っています。また、湘南シーレックスを作ったのも大堀さんです。大堀氏が社長になってから、やっとプロ球団としての体裁がとれたと言っていいでしょう。
大堀氏は、野球のことを知っている人が球団を経営すべきだとして、引退した選手を多く球団職員として採用しています。ただ、ここに甘さがありました。ベースボール部門の責任者、選手出身の球団生え抜き野口氏を切れなかったことです。
大堀氏は、メジャー・リーグのようなGMとFMとの関係を目指しました。もちろん、GMは、ベースボール部門のGMです。スカウティングは、GMが行い、FMは、フィールド内でのマネジメントに責任を持つ。つまり、FMは、与えられた戦力で戦うものだというものです。その結果、ベースボール部門のGMに相当する野口氏が、スカウティングに失敗し、ベイスターズの今日の状況を作り出したのです。大堀氏の責任は、森氏をFMにしたことではなく、野口氏を切れなかったことです。
それから、横浜ドーム問題については
../../www.geocities.co.jp/Athlete-Crete/4031/dome.html#雑1
../../www.geocities.co.jp/Athlete-Crete/4031/dome.html#雑2
横浜スタジアムの実態については
../../www.geocities.co.jp/Athlete-Crete/4031/wind1.html#79
横浜市の対応については
../../www.geocities.co.jp/Athlete-Crete/4031/wind1.html#77
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近代スポーツの要件は、全国的な組織に全国的に統一されたルールそして全国的な大会です。近代スポーツの誕生は、度量衡の統一、鉄道の普及、国民国家の成立と軌を一にしています。これに対し、近代以前のスポーツは、地域間の交流も少なく、地域ごとにルールや名称も異なっていたりしました。
ベースボール創世記の佐伯泰樹氏は、バットアンドボール・ゲームは「イングランド西部ではラウンダーズ、南部ではベース・ボールと呼ばれたいたようである。いっぽうアメリカでは、”タウンボール”はもとより、”ベース””ベース・ボール””ゴール・ボール””バース・ボール”など様々に表記された」としています。これらのバットアンドボール・ゲームは、ラウンダーズと異名同体のゲームであり、ベース・ボールは、近代スポーツとしてのベースボールと同名異体のゲームです。
『ヨーロッパ大陸にあったラウンダーズ(ベース・ボール)に似たゲームが海峡を渡ってイギリスに行ったのは1600年代以前のこと。そこで初めてゲームになったのがストゥール・ボールである。投手はひっくり返された腰掛け(ストゥール)にボールを当てようとして投げ、打者はクリケットのようにバットで打ち返した。より多くのストゥール、つまり、ベースが追加され、円を描いて置かれるようになった。これが進化してラウンダーズになった。』(佐山和夫氏の「野球はなぜ人を夢中にさせるのか」の中での、1997年発行の「カルチュアル・エンサイクロペディア・オブ・ベースボール」北米スポーツ歴史事典からの引用)
ラウンダーズもクリケットと同じく、ストゥール・ボールをルーツとしていますが、的当てゲームであるストゥール・ボールの流れを組んでいるのはクリケットの方です。ラウンダーズは、トラップ・ボールなどの影響を受け、的当てゲームとしての性格が薄れ、打つゲームへと変化しています。その代表がウィケットの喪失です。打者の後方にはウィケットはありません。投手は、ウィケットにボールを当てるために投げるのではなく、打者に打ってもらうボールを投げるための役割に過ぎなくなっています。いわば人間トラップです。
ストゥール・ボールの名残(いわば、腰掛けの脚の名残)とも言えるのが、四つの白い杭(ポスト)のベースです。なお、四つ目のホームベースは、打席とは別のところにあります。人数は一チーム9人で、9人全員がアウトになって初めてチェンジです。イニングは2回。打者がアウトになるのは、フライが相手に捕られた場合。打球を捕った野手が、走者より先にポストに触れた場合などです。また、面白いのが、「ホームラン」だけが得点になること。ラウンダーとはこのホームランのことであり、このため、打者の目的はボールを遠くに飛ばすことにあります。これなどはトラップ・ボールそのものです。単打や二塁打はどうなのかといえば、もちろん塁に残ることができますが、次打者のヒットでホームを踏んでも、得点になりません。ただし、アウトになっていないので打順の上では生きています。
ここで述べたラウンダーズは、現代のイギリスで行われている近代スポーツとしてのラウンダーズです。近代以前のラウンダーズは先に紹介したようにいろいろな名称で呼ばれていましたが、ルールもまた、ヴァリエーションに富んでいました。ベースもポストの代わりに石ころや樹木だったり、大きな窪みがあればホームベースにしたりしたようです。打席と四つ目のホームベースが同じ場所という、ダイヤモンド型もあったようです。得点も、ホームランだけでなく、近代ベースボールと同様にホームベースに還って1点とか、中にはワンベースで1点というものもあります。アウトにしても、タウンボールと同じように打球を拾った野手が、走者にボールを投げ当てた場合もあったようです。人数も決まっていたわけではありません。
参考文献
「野球はなぜ人を夢中にさせるのか」 佐山和夫著 河出書房新社
「ベースボールと日本野球」 佐山和夫著 中公新書
「ベースボール創世記」 佐伯泰樹著 新潮選書
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トラップボールは、打者が自分で投げ上げるか、バウンドさせたボールをバットで打つゲームで、ノックに似たゲームです。バット・アンド・トラップともいいます。トラップとはボールを投げ上げる仕掛けのことをいい、木製の台座の上にスプーン状の木製レバーがあって、スプーン状の部分にボールを載せ、もう片方の端をバットで叩いてボールを投げ上げる仕組みになっています。トラップは、西洋の中世にでてくる投石器(キャタパルト)と同じてこを応用した道具です。
初期のトラップボールは、単純にボールを遠くに飛ばすゲームで、トラップから適当な距離に線を引き、その線を越えた本数で得点を競うというものでした。ホームラン競争みたいな競技ですが、必ずしもフライでというわけではなく、ゴロでもよかったみたいです。ゴルフのドライビング・コンテストにも似ています。トラップボールは、2人でもゲームとして成立しました。人数が多ければ、二つのチームに分けての団体戦も可能でした。また、3人以上であってもゴルフのような個人戦もできたと思います。
トラップボールは、しだいに、飛ぶ方向性も求められるようになります。トラップから一定の距離のところに2本のポールが建てられ、この2本のポールの間を通ったボールだけがフェアとなるというものです。単純にボールを遠くに飛ばすだけでは飽きられ、飛ぶ方向性が求められるようになったようです。この2本のポールは、ラグビーのゴールポストのようであり、ベースボールのファウルポールのようでもあります。ストゥールボールやクリケット、ラウンダーズとベースボールの大きな違いに、ファウル・ラインの存在があります。佐山氏は「この『二本の棒(ポール)』を倒したのが、のちのファウル・ラインと考えていいか。棒がないところでプレーするにはラインを引くしかなかったはずだからだ」と述べています。ファウル・ラインについては、トラップボールの影響を受けているのかもしれません。
トラップボールは、その後、さらに複雑化し、打ったボールを捕球するという、守備の要素が入ってきます。フライを直接捕球された場合アウトとなり、地面に触れた打球を捕った者が、投げ返してトラップに当てた場合もアウトとなります。投げ返してトラップに当てるという行為は、的当てゲームの要素が付加されたわけです。
トラップボールは14世紀までにはイギリスで流行し、北米には1600年代には伝わり、ワンオールド・キャット、ツーオールド・キャットなどと呼ばれいたりもしていたようです。キャットとは投石器のキャタパルトが短縮したものです。
参考文献
「野球はなぜ人を夢中にさせるのか」 佐山和夫著 河出書房新社
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まずは、佐山和夫氏の「野球はなぜ人を夢中にさせるのか」の中での、1992年発行の北米スポーツ歴史事典からの引用からです。
ストゥール・ボールは、「14世紀までにイギリスにおいて、ミルク搾りの女性たちによってプレーされていたゲームで、クリケットやラウンダーズのルーツにあたり、ベースボールの祖先ということになる。牧師たちは、ダンスや他のスポーツと同様にこれを禁止したが、彼女たちは好んでプレーをした」「このストゥール・ボールは二人でもプレーができた。さまざまな種類がこれにはあるが、そのうちの一つのやり方を示せば、投手は打者の後ろにあるミルク搾り用の腰掛け(ストゥール)を倒そうとしてボールを投げる。打者は手でそのボールを弾き飛ばして腰掛けを守る。投手がうまく腰掛けにボールを当てて倒すことができれば攻守交代。」「このゲームはのちに男の子供たちや青年たちに広がり、棒切れ(バット)を用いてプレーするようになった。北米へは非常に早い時期に伝えられている」
これでストゥール・ボールが腰掛け(ストゥール)への的当てゲームであり、腰掛けに当てられないように邪魔するのが打者の役目ということが分かります。投手が攻撃側で、打者が守備側です。ストゥール・ボールは、まず、ボールを的である腰掛けに当てるという行為があり、次にそのボールを的である腰掛けに当たらないように邪魔する(打ち返す)という行為が付加されゲームとして成立していきます。これでは1対1の2人だけしか遊べませんから、これに打ち返されたボールを捕るという行為が加わり、打ち返されたボールを捕球する人たちが登場し、3人以上で遊べるゲームとなっていきます。
実際、 「野球はなぜ人を夢中にさせるのか」に登場するマサチューセッツ州プリマスでの17世紀に行われていたゲームを再現したストゥール・ボールは、的である腰掛けにボールを投げ、これを相手チームの打者が手で打ち返して、その打ち返されたボールを投手側のチームが捕れるか捕れないかというゲームです。
ところが現代のストゥール・ボールは、ストゥールは地上1.4メートルのところに置かれた30センチメートル四方の板(ウィケット)に変わり、さらにウィケットも二つになります。ボールを打ち返した打者はもう一方のウィケットまで走り、バットまたは手でタッチして還ってくる。これがランでランの多さでゲームが決まります。ボールを捕るというゲームに走るという行為がプラスされています。 また、ルールはクリケットに近いものがあり、クリケットの影響を受けているように思えます。
一方、クリケットは、このストゥールボールが、競技化してできたものです。ウィケットの三門柱にその名残が残っています。初期のストゥールボールでは、ストゥールは投手に脚を向けて横倒しにされ、そのストゥールに投球が当てればアウトというものでした。そして、別のルールのものとして、ストゥールを裏返しにして脚を上にしておくものもあったそうです。この三本の脚に投球を当てるか、脚の間を通すと打者がアウトになるというものでした。裏返しになった腰掛けの三本の脚、これなどクリケットの三本の門柱(ウィケットのスタンプ)そのものだということになります。このようにクリケットは、的当てゲームとしてのストゥール・ボールの影響を受けており、早い段階で、このストゥール・ボールをもとに他のバットアンドボール・ゲームの影響を受けながら競技として成立していったものと思われます。クリケットという言葉も、フランス北部のフランドル地方にあったボールを打つクリッケ(棒)に由来すると言われています。
初期のストゥール・ボールは、ボールを掌で打ち返していたので、イギリス人のいうハンドボールに近かったと言えると思います。プリマスで再現されたストゥールボールを実際に見た佐山氏は、野球のルーツというよりもバレーボールの原型を見る思いがすると言っています。素手で打ち返していたボールが次第に遠くへボールを打ち返すできるようにと木のバットに変わっていきます。ただし、バットといってもラケット状の分厚い板のようになっているものです。これは、ストゥールボールがしだいに的当てゲームから打って捕るゲームへと変わっていったことによると思います。
参考文献
「野球はなぜ人を夢中にさせるのか」 佐山和夫著 河出書房新社
「スポーツ語源クイズ」 田代靖尚著 講談社現代新書
「歴史としてのスポーツ」 加藤元和著 近代文藝社
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朝、神奈川新聞を見たら、「魚(ぎょ)っと」となりました。一面がご覧のとおり、スポーツ新聞と見間違うような記事になっています。大見出しは「本日開幕!がんばれ”新星”横浜ベイスターズ」。真新しいフィールドターフを張った横浜スタジアムを背景に、「大ちゃん」監督と峰岸球団新社長、そして、中田横浜市長が並んで「熱いスクラムで元気を出せ、横浜!」。
なお、峰岸氏は3月27日の株主総会で正式に球団社長に就任しました。併せて前法大監督の山中正竹氏も正式に球団専務に就任しました。
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横浜4−2阪神(横浜スタジアム)
横浜ベイスターズが、開幕を勝利で飾りました。今夜28日横浜スタジアムで行われた対阪神一回戦で横浜が阪神を4−2に破りました。阪神の先発は、左の井川、対する横浜も左の吉見。オープン戦調子を落とし心配されていた吉見ですが、井川相手によく投げ勝ってくれました。投手陣は中継ぎの河原・デニーもよかったし、抑えのホワイトサイドも球が速く使えそうです。バッターはウッズがタイムリーにホームランで2打点と乗っていました。古木は4打数3三振。石井は2安打1盗塁で今年はやってくれそうです。金城もタイムリーがでました。勝利監督インタビューで大ちゃん頭は、全開でテカっていました。吉見は投打に、はなまる(吉見&大ちゃん談)
フィールドターフは、テレビ目に格好よかった。明日は、久々にハマスタに行きます。ウキウキ(*^_^*)。先発はドミンゴか若田部?
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19世紀初期まで、クリケットにはシングル・ウィケットゲームとダブル・ウィケットゲームがあったそうで、前者はやがて公式戦から姿を消し、後者が現在のクリケットの原型となったそうです。ウィケットとは門柱と訳されますが、3本のスタンプ(杭)とその上に置かれている二つの横木(ベイル)からなっており、ウィケットが落ちるとはこのベイルが落ちることをいいます。このウィケットが一基なのがシングルウィケット・ゲーム、二基なのがダブルウィケット・ゲームです。
シングルウィケット・ゲームは、攻撃側の打者は、ウィケットの防御者であり、相手チームは打たれたボールを捕球したり、フィルドボールを処理したりする守備のチームである。ゲームでは、投手がウィケットから22ヤード離れたスタンプから、ウィケット目がけて、ボールを投げる。投手の目的は、ウィケットにボールを当てて、それを落とすことである。対して、打者は、ウィケットが落ちるの守り、逆に、ボールを打ち返すことを目的とする、そして打者がボールを打ったら、スタンプに向かって走り、バットで触れてから、再び戻ってくる。戻れば一得点となる。それに対して、守備側は、打たれたボールを素早く処理してスタンプに触れるか、ウィケットを落とせば打者はアウトになる。フライ球を捕球してもアウトである。こうして、まず攻撃側の5名が全部打撃し終わってから、攻守を交代し、得点の多い方を勝ちとする。この単純で、素朴なシングル・ウィケットゲームは、やがて公式試合から姿を消したが、思えば、三角ベースみたいなものであったろう。(以上、加藤元和氏の「歴史としてのスポーツ」から)
シングルウィケット・ゲームでは、打者はウィケットとスタンプ(杭)の間を走ることになります。つまり、スタンプ(杭)は一つのベースみたいなもので、ベースボールのもとになったラウンダーズも元はベースではなく、ポスト(杭)だったそうですから、加藤氏が三角ベースというのもうなずけます。
投手の目的は「ウィケットにボールを当てて、それを落とすこと」、対して、打者の目的は「ウィケットが落ちるの守り、逆に、ボールを打ち返すこと」です。得点から見れば投手が守備側で、打者が攻撃側になりますが、ウィケットに対したとき、投手は攻撃側となり、打者が防御者(守備)側となります。クリケットは、ボールを投げてウィケットを落とす的当てゲーム(打者はボールがウィケットを倒さないように邪魔をします)とボールを打ってアウトになるまでの間にウィケット間を走って点をとるゲームの二つの要素からなっているとみることができます。つまり、的当てゲームと打つゲームです。
的当てゲームの代表は、ボウリングです。打つゲームといえばゴルフ。いわば、クリケットにはボウリングとゴルフの要素が一つのゲームに含まれていると言えるかもしれません。ボウリングもゴルフも、ボールを転がしたり、地面に置かれているボールを打ったりと、ボールが地面に接地しているゲームです。これに対し、空中のボールを使ったゲームにも的当てゲームと打つゲームがあります。前者がストゥール・ボールで、後者がトラップ・ボールです
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ハンドボール、フットボールに続いて、最後に残ったのが、野球の仲間である打棒(バット)とボールとの関係にある競技です。手や腕の延長としての打棒で有れば、テニスやホッケーも含まれることになりますが。テニスについては、「スポーツの由来1」で紹介したように今回の分類ではハンドボールの範疇に含まれます。問題はホッケーですが、今回の「スポーツの由来」の原本になっている加藤元和氏の「歴史としてのスポーツ」の中では、ホッケーに似たゲームが「ハーリング」(フットボール)の別型として行われていたとしていますが、ホッケーについては後述するといいながら話は出てきませんでした。
以下は、加藤元和氏の「歴史としてのスポーツ」をもとに打棒とボールを用いたゲームの紹介をしてみたいと思います。
この打棒とボールを使った競技はバリュエーションが富んでいます。この仲間の代表的なものにゴルフがあります。ゴルフは14世紀以前に「goff」などとも呼ばれイングランド北部地方で盛んだったようです。ただし、この「goff」もローマ時代のパグニカが伝わったものとされています。ゴルフ様式のゲームには、バンディ・ボールやペルメルというゲームがありこれらが相互に影響しあって発展していったのであろうということです。ゴルフが、ホールにボールを入れながらゲームを進めていくのに対し、バンディ・ボールはフィールドやコートに設けられた鉄製のアーチを通して進めていくもので、ゲートボールみたいなものでしょうか。ペルメルはホールに代えてつり下げた環にボールを入れるゲームということです。
ゴルフ型のゲームと異なる打球戯にイギリス人がクラブボールと呼ぶ競技があるそうです。ゴルフ型とクラブボールの違いは、ゴルフが先端にヘッドのついた打棒(杖)を用いるのに対し、クラブボールはヘッドがない打棒を用いるということです。※現在、クラブといえばゴルフのヘッドの付いた打棒杖のことです。ちょっと不思議ですね。これについては、加藤元和氏の著作には出てきませんでした。
クラブボールには更に二種類あって、一つは、相手の投げたボールを打って行われるゲームで、もう一つが、打者が自分でボールを投げ上げてから打つか、バウンドさせてから打つゲームで野球のノックに似たゲームです。前者は、17世紀からクリケットと呼ばれる組織的なゲームに発展し、後者はイギリス人の間でトラップ・ボールと呼ばれゴルフと同じぐらい古いゲームで14世紀頃から流行していたそうです。
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GS神戸は、オリックス・ブルーウェーブの使用料だけでは、年間数千万円の赤字があったそうです。この赤字を解消するため、2002年4月財政難の神戸市は、GS神戸を民間企業、つまりオリックス野球クラブに外部委託したというわけです。オリックスはボールパーク構想を進めGS神戸の改修を行い集客を図ろうとしましたが、結果は100万人割れということになり、収入増につながりませんでした。
神戸市とオリックス野球クラブとの間の委託契約がどうなっているかはわかりませんが、従来から赤字であった市営球場の管理運営を民間企業に委託するのであれば、本来、委託料というものが必要です。民間企業に委託すれば赤字が解消するのかといえばそうではありませんし、逆に、採算が合わなけば、民間企業は撤退を余儀なくされます。神戸市としては委託料は払えない、でも払わなければオリックス野球クラブも赤字を負担してまでも委託を受け続けることはできないという問題が出てきます。
そこで出てき来たのが、ネーミングライツです。募集は、公には神戸市が主体になっていますが、実際の募集や審査はオリックス野球クラブが主体となって行っていたと思います。これがデイリーに載っていた「球団によると約100社から引き合いがあり、そのうち交渉が具体化した中から企業理念などが球団と一致する4、5社に絞られていた」という記事につながるんだと思います。GS神戸は、あくまでも市営球場で、ネーミングライツの権利は神戸市が持っています。ネーミングライツまでオリックス野球クラブが委託を受けているわけではないでしょうから。
オリックス野球クラブが、主体となって非公式に声かけを行ってきたのだと思います。球団関係者は、100社を超える引き合いがったということですが、結局3年から5年という条件をクリアできる応募者はいなかったということです。そこで、契約期間の条件を下げて、手応えのあった4、5社と具体的に交渉をすすめ、その中で条件の良かったソフトバンク・グループと契約をすることになって、急遽、3月7日から公募、17日決定、31日から新名称の使用開始となったのだと思います。ですから、応募は1社だけだった、そして、名称使用料は、名目は分かりませんが、神戸市からオリックス野球クラブに委託料という形で支払われることになります。
それから、ネーミングライツのスポンサー企業にソフトバンク・グループに決まったのは、契約期間は2年だけれども、”名称使用料の年間1億円”を上回る資金がソフトバンク・グループからオリックス野球クラブに提供されるからだと思います。「名称変更に伴う総額2000〜3000万円の諸費用」は、ソフトバンク・グループが負担します。開幕戦のヤフーBBスタジアム・オープニングナイトでは、内外野自由席の無料招待するようですが、「ソフトバンクグループもスタジアム名改称をきっかけに営業戦略に乗り出す意向で、知名度向上へ、選手のCM出演なども視野に入れている」(スポニチ)ということですから、球場のネーミングライツ・スポンサー以上のことを考えているようです。
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ネーミングライツは、単純に訳せば単に「命名権」ですが、「施設命名権」と訳されています。ビジネスとしてのネーミングライツは、「スポンサー企業の社名や商品ブランド名をスタジアム、アリーナ等の施設の名称として付与する権利」のことをいい、米国で生成・発展してきた概念です。これは、日本政策投資銀行今日の言葉長尾秀樹氏の言葉ですが、その中で、ネーミングライツに類似したものとして「冠イベント」を上げています。そして、ネーミングライツとこの「冠イベント」の相違点を、「ネーミングライツの場合には一時的な冠イベントとは異なりほとんど恒久的な企業名の表示という点が異なる」と指摘しています。
米国では、プロ球団は、都市名や地域名を名乗り、エリア・アイデンティティとして存在しています。このため、プロ球団が使用するスタジアムやアリーナを自治体が提供するのが普通になっています。スタジアムやアリーナを提供できない都市や地域は、都市や地域のステータスでありシンボルとなるプロ球団を所有することができません。ところが、このスタジアムやアリーナの建設費の負担はやはり大きく、自治体の財政を圧迫します。このため、生まれたのがスタジアムやアリーナのネーミングライツ・ビジネスです。スポンサー企業が、スタジアムやアリーナ等の施設の名称を名乗るのと引き替えに、その建設費や維持費の一部を負担してもらおうというものです。
今や、プロ球団が使用するスタジアムやアリーナは、都市や地域のランドマークになっています。このスタジアムやアリーナに企業名やブランド名を付けつことは、マーケティング効果があるというわけです。ところで、日本では、プロ球団は、コーポレート・アイデンティティ、つまり会社の広告宣伝の媒体として位置づけられ、企業名を名乗っています。企業名を名乗るプロ球団を所有していると赤字分は、広告宣伝費として処理することができます。いわば、球団名自体が、ネーミングライツとなっています。実際、球団名をネーミングライツ・ビジネスとして利用したのが、西鉄ライオンズを引き継いだ福岡野球株式会社です。1973年から1976年は「太平洋クラブ」ライオンズ、1977年と78年は「クラウンライター」ライオンズを名乗りました。
米国では、プロ球団はエリア・アイデンティティが高いため、球団名のネーミングライツが不可能でした。このため、スタジアムやアリーナといった施設への命名権ビジネスが普及したのです。これに対し、日本では、球団名自体が古くから、ネーミングライツとして考えられていました。
ここで話を始に戻します。長尾氏は、冠大会は一時的、ネーミングライツは恒久的とその相違点を指摘していますが、今回のヤフーBBスタジアムが、果たして恒久的と言えるのでしょうか。契約は2年間という短期間です。しかも、業種は変化の激しいIT業界であり、なおかつ変わり身の早い孫氏の経営するソフトバンク・グループです。ヤフーBBが2年後、契約を更新するかは分かりません。スタジアムの看板だけでなく、ランドマークとなったスタジアムへの道路標識、案内板、ガイドブック等も変更する必要があります。そして、人々の記憶も直す必要があります。これには、時間とコストがかかります。これを2年という短い期間で繰り返すことはデメリットの方が大きいのではないかと思います。
※ 「名称変更に伴う総額2000〜3000万円の諸費用」は、ソフトバンク・グループが負担。新名称のロゴは3月31日の開幕戦(西武戦)から、球場内外6カ所で掲示。(17日時事通信)
※ 正式名称は「Yahoo!BB STADIUM」、和文表記「Yahoo!BB スタジアム」
略称「ヤフーBB」「ヤフー」
※ (スポニチの記事から)現在、企業名がついているのは30球団中15球団。今季から名前が変更になったのはホワイトソックスのコミスキー・パークで、電話会社が命名権を買い取り「USセルラー・パーク」となった。また、レッズの新球場は保険会社から「グレート・アメリカン・ボールパーク」と命名された。
※ 16日付けのデイリースポーツによれば「球団によると約100社から引き合いがあり、そのうち交渉が具体化した中から企業理念などが球団と一致する4、5社に絞られていた」とのことです。
※ 神戸市の発表によれば今回の応募はソフトバンクBBの1社だけだった。
http://www.bluewave.co.jp/info/index.asp?n=314
http://bb.watch.impress.co.jp/cda/news/975.html
http://www.softbank.co.jp/news/newsrelese/2003release/030317.htm
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オリックス・ブルーウェーブの本拠地、グリーンスタジアム(GS)神戸がYAHOO!BBスタジアムに変わるそうです。3月7日から神戸市が、GS神戸のネーミングライツのスポンサー企業を募集していましたが、そのスポンサー企業にソフトバンクの子会社であるソフトバンクBBと関連会社のヤフーが応募し、そのADSL事業のブランド名であるYAHOO!BBというネーミングでグリーンスタジアム神戸のネーミングライツ(施設命名権)を購入することが15日明らかになりました。期間は開幕戦から2年で2億円の契約になるそうです。
Yahoo!Sportsの記事(毎日新聞)によれば、3月14日の「締め切りまでにソフトバンク・グループだけが買い取りを名乗り出ていた」とありますが、スポニチの記事によれば、GS神戸の管理委託を受けているオリックス・ブルーウェーブの球団幹部の話として「(今回の神戸市の公募に関しても)かなり多くの申し込みがあった」としています。
そもそも、GS神戸のネーミングライツに関しては、昨年の9月18日に神戸市が導入を決めている話です。この時点では、「契約期間は三―五年で、最低価格は年間一億円程度に設定。テレビ中継で放映される広告価値などを企業側が判断して価格と名称を決め、同市が選考する。年内に公募を始め、来年二月の決定を目指す。」としていました。
ところが、去年の12月段階でも、候補者が決まらず、正式な募集が掛けられなかったようです。以下は12月25日の報知の記事です。「球団は施設運営費、改修費の財源確保のため3〜5年、数億円の契約を当て込み9月に公募を開始。球場に広告を出しているUCC、ダンロップ、みなと銀行など約50社に売り込みをかけた。当初は年内に決定して、来年3月の開幕から名称を変更する予定でグループ総出で営業活動を行ったが、チームは39年ぶりの最下位に沈み広告価値としての信用度が低下。取り巻く経済状況も悪く、いまだに決定に至っていない。」矢田神戸市長も12月26日の定例記者会見で「わたしも気にしているのですが、まだ色々な交渉をしている最中ということのようです。」 と述べています。この時点では契約がシーズン中にずれ込むのではと見られていました。
それが急に3月9日、募集を開始し14日の締め切り、「17日に開かれる同市のネーミングライツ審査会で正式決定され」、3月末の開幕戦から名称を変更するという慌ただしさです。要は、水面下での交渉がやっとみのり、ソフトバンク・グループがネーミングライツを購入してくれることにが決まったので、今回の募集ということになったのだと思います。ですから、最初に「ソフトバンク」ありきだった分けです。
役所も面子がありますから、公募したのに応募が「ゼロ」だったじゃ、格好が付かないということでしょう。それから、今回は出来レースでしょうが、格好は競争入札みたいにしておかないと困るので、球団幹部の「かなり多くの申し込みがあった」という発言になるんだと思います。市営球場という公共施設ですから、本来長期契約が望ましいのですが、今回当初希望の「三―五年」が「2年」に短縮されています。
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フットボールは、フランスの「スール」ないし「シュール」に由来するとされ、イタリアでは「カルキオ(カルチョ)」と呼ばれる同種のゲームが行われていました。どちらも、革製のボールが用いられ、そのボールを相手陣営のゴールに持ち込むゲームで、手を使っても、足を使ってもよくどちらかと言えばラグビーに似たゲームでした。
カルチョというゲームは今でも、イタリアのフィレンツェで盛んに行われており、NHKのテレビで一度見たことがあります。市内の地区の対抗戦で、観光イベントになっていました。印象に残ったのは下が芝ではなく砂地であったことです。スポーツといえば芝と最近言われていますが、スポーツが芝の上で行われるようになったのはイギリスからということでしょうか。テニスでも、イギリスのウィンブルドン大会は芝ですが、全仏大会は土のコートです。
スールは、イギリスでは当初「ハーリング」と言われ、これがのちのフットボールになりました。近代スポーツ以前のフットボールは、マス・フットボールとも言われ、村や町のお祭りとして行われ、町ごとにやり方も異なっていました。「ルールらしいルールはなく、ボールを抱えて走っても、投げても、蹴ってもよかったし、どうやって相手を止めてもよかった。人数も決まっている分けではなく、数十人、数百人が参加して一日中くんずほぐれつの肉弾戦が繰り返したので数多くの負傷者がでたし、死者がでることも珍しいことではなかった。」ということです。やがて、フットボールは、パブリックスクールに取り入れられ、ラグビーとサッカーへと進化していきます。
ところで、ハンドボールにしろ、フットボールにしろ、イギリスで誕生した近代スポーツの原型の多くがフランスから渡ったものです。ところがフランス生まれの近代スポーツ(少なくともボールゲーム)は一般に知られていません。近代スポーツとしてのフットボールであるサッカーは、イギリスからフランスに19世紀後半伝わります。サッカーを世界中に伝えたのは、19世紀のイギリス人です。ところが、サッカーを世界のスポーツに仕立て上げたのは、フランス人です。
現在、世界のサッカー界を支配しているFIFAは、フランスが提唱して1904年、フランスのほかベルギー、スイス、スペインなどヨーロッパの8カ国が参加して結成されました。このときサッカーの母国イギリスの4協会は参加しませんでした。イギリスの4協会(イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド)は、第二次世界大戦前は、アマチュア問題と4協会の独立の地位を巡って、FIFAの加盟と脱退を繰り返していたそうです。今や世界最大のイベントとなったFIFAワールドカップも、1930年時のFIFA会長であったフランス人のジュール・リメが提唱し実現にこぎ着けたもので、第一回のワールドカップのヨーロッパ出場国は、フランスとベルギー、ルーマニア、ユーゴスラビアの4カ国で、イギリス4協会は参加していません。イギリス4協会がワールドカップに出場するのは第二大戦後の第4回大会に出場したイングランドからです。
また、FIFAワールドカップと並ぶ国際イベントであるオリンピックを復活させたのも、フランス人貴族クーベルタン男爵でした。イギリス留学などで接したいろいろな近代スポーツに感銘し、1892年古代オリンピックの復活を提唱し、1896年オリンピックがアテネで復活します。1900年の第2回大会はクーベルタン男爵のお膝元パリで開催されています。フランスという国は、オリジナルな近代スポーツを作るのは苦手だったようですが、近代スポーツを普遍化するのには長けていたようです。柔道をJUDOに変えたのもフランスです。
世界を代表するボールゲームといえば、イギリス生まれのラグビー、サッカー、クリケットとアメリカ生まれのベースボール、アメリカンフットボール、バスケットボール、バレーボールといったところでしょうか。ところが世界を代表するボールゲームといっても、このうちラグビーとクリケットが盛んなのは旧イギリス連邦の諸国ですし、ベースボールとアメリカンフットボールは、今でもアメリカが中心です。バスケットボールとバレーボールは19世紀末にできた人工的なスポーツですからこれを除くと、近代スポーツといっても結構文化性・土着性があることがわかります。
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「198(2003/02/23) sports wind」でサッカーとラグビーの最近の動向を示す記事を紹介しましたが、今回はその背景となったお話です。
ラグビーもサッカーもフットボールを名乗るとおりルーツを同じくしています。19世紀の後半以降、分化とともに近代スポーツとしてそれぞれアソシエーション・フットボール、ラグビー・フットボールとして誕生していったわけですが、その普及発展の経緯は随分異なっています。当時、イギリスは、世界発の産業革命を果たし、世界国家として君臨していました。そして、イギリスは、ブルジョアジーと労働者階級との対立という階級国家でもありました。スポーツは当時新興支配階級であったブルジョアジーの心身の鍛錬の場として受け入れられ、ブルジョアジーの支配階級化とともに近代スポーツとしていろいろなスポーツが誕生していきます。19世紀のイギリスの支配階級は、単にイギリスだけにとどまらず、世界の支配者としての役割を持っていました。世界中の植民地支配を行うための心身の鍛練が求められていたのです。
これに対し、産業革命の担い手であった労働者階級にとってスポーツは気晴らしの娯楽でした。19世紀の前半における労働者階級の労働環境は過酷なものでしたが、19世紀も後半になると労働者階級も、世界国家としてイギリスの恩恵を受けるようになり、地位も向上して行きます。娯楽としてのスポーツが普及するようになり、スポーツの近代化の一翼を担うようになります。このころになると、選手のプロ化が問題になってきます。余暇の少ない労働者階級の選手たちが休業補償を求めたのが最初でした。これに対し、ブルジョアジーは、自分たちをアマチュアと名乗り、プロの参加を拒みます。このプロアマ対立で、サッカーとラグビーは好対照の対応をします。これが後々のスポーツの運命を決定づけます。サッカーは、結局はプロを受け入れ、フットボール協会というアマチュア組織の下にフットボールリーグというプロ組織を作ります。対照的にラグビーは最後までプロを受け入れなかったため、プロ側は別組織を作り最終的には13人制のリーグラグビーという別のスポーツとして袂を分かつことになりました。
サッカーは、これを契機に労働者階級に広く受け入れられ、労働者階級のスポーツ、プロフェッショナルなスポーツとして発展し、さらには世界で最も普及したスポーツとなっていきます。一方、ラグビーは上流階級のスポーツ、アマチュアのスポーツとして位置づけられ、旧イギリス連邦の諸国を中心に普及していきます。
イギリスから遠い島国である日本において、しかも1世紀半たっても、この二つのフットボールの潮流の影響を受けているのを見るとその影響力の大きさと不可思議を感じざるえません。サッカーは、日本でも漸く10年前からプロスポーツ化し、若者や子供を中心に人気を博しています。bP98の記事は、日本のプロリーグを先頭に東アジアにおけるサッカー世界を確立していこうというものです。一方、階級制度を持たない日本でも、上流階級にラグビーは人気があり、企業経営者にラグビー経験者が多いことからか、企業スポーツの休廃部が続く中、ラグビーは比較的その影響は少ないと言われています。宿沢氏の投稿は企業スポーツをベースにこれからもラグビー界を運営して行こう(運営せざる得ない)というものであり、プロ選手制度は出来ましたが、日本ラグビーのアマチュア性がかいま見られます。
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