スポーツの由来

BY B_wind

2003/05/24

はじめに

野球ってなんだろう。野球は,日本で最初に普及したスポーツですが,考えてみると誠に不可思議なゲームです。野球は団体競技ですが,投打の対決は個人競技のようだし,場外ホームランはフィールド外なのにフェアです。作家の佐山和夫氏は野球は奇妙なスポーツであるといい,大リーグ通でお馴染みの池井優,宇佐見陽氏は野球をユニークな競技と表現しています。

これは、このHP立ち上げ当時に作った「野球って何だろう」の序文です。「歴史としてのスポーツ」((加藤元和著 近代文藝社)、「野球はなぜ人を夢中にさせるのか」(佐山和夫著 河出書房新社)などをもとに、再び、不可思議でユニークな競技の由来をたどります。「スポーツの由来」は、windで2003年2月26日から4月28日まで書き込んだものです。

INDEX

はじめに

1 ハンドボールとフットボール
2 もう一つのハンドボール
3 フットボールの潮流
4 フットボールからサッカーへ
5 バットアンドボール・ゲーム
6 クリケット
7 ストゥール・ボール
8 トラップ・ボール
9 ラウンダーズ
10 バットアンドボール・ゲームの潮流
11 タウンボール
12 ベースボール
13 非対面型ゲーム
14 続 非対面型ゲーム
15 国民国家と近代スポーツの誕生
16 ベースボールへの途
17 ベースボールへの途 2

引用・参考文献
 番外編 ピッチ

1 ハンドボールとフットボール 

近代スポーツの母国といえば、イギリス。ボールゲームもまた多くがこのイギリスから生まれています。そのボールゲームをその発展経路からみれば「手とボールの関係になるもの、脚とボールとの関係になるもの、手・腕の延長としての打棒とボールとの関係のあるもの」に区分できます。これは、加藤元和氏が「歴史としてのスポーツ」で書いているものですが、とにかく、イギリスでは極一般にこう考えられているそうです。分類的にいえば、本HPの「野球って何だろう」で引用した宇佐見陽氏著の「大リーグ野球発見」に出てくる表が参考になると思います。

まず、手とボールに関係になるボールゲームですが、イギリスではこれをハンドボールと言うそうです。ここで言うハンドボールとは、近代スポーツとしてのハンドボールではなく、テニスのようにボールを掌で打ち返し合うもののことをいいます。もちろん、このハンドボールの代表はテニスで、これはフランスの掌のプレー「ジュ・ド・ポーム」に由来するとされています。掌で打ち返していたものが、しだいに打球を早くするため、グローブをはめたり、手に革ひもや糸ひもを巻いてプレーするようになり、最後は手の延長としてのラケットへと変化していきます。主に1対1で争う対戦型のゲームですが、2対2の複数でも争われます。ボールははじめ、布きれを固く巻いたものが使用されていましたが、ラケットの出現当時には、羽根や犬の柔毛を詰めた白革ボールが使われるようになったそうです。(参考文献 「歴史としてのスポーツ」加藤元和著 近代文藝社)

一方、脚(足)とボールに関係あるボールゲームのことをフットボールといいます。フットボールは多人数で争う対戦型のゲームで、ボールを相手方のゴールにたたき込むことによって勝負が決まります。サッカーもラグビーもフットボールといいますが、サッカーは手を使うことを原則禁止されていますが、ラグビーは手を使います。手を使うのにフットボールというのはおかしいといえばおかしいのですが、ここでフットボールと呼ばれるのには理由があります。ハンドボールのボールが掌サイズなのに対し、フットボールのボールは、両手でなければ扱えないほど大きなボールを使います。大勢のプレーヤーが密集してボールを取り合うので、大きなボールでなければ都合が悪かったのでしょう。この大きなボールは、革製でしたが、その中身は、牛や豚の膀胱が使われていました。この膀胱性の中空ボールは、弾力性に乏しく、ゲームは密集したプレーが中心となります。さらに、この膀胱性の中空ボールは貴重で、一般には革製のボールに布などを詰めたものが使われ、手でプレーするには重く、第一手が痛くなってしまう代物でした。結局、フットボールは、ボールをもって運ぶか蹴るとかいった、足と脚を使ったプレーが主体にならざるをえなかったのです。

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2 もう一つのハンドボール

大きなボールを手を使ってプレーするスポーツが登場するのは、弾力性のあるゴム製の中空ボールが普及する19世紀も後半を過ぎてからです。1891年、ゴム製の中空ボールのサッカーボールをつかって、米国のジェームズ・ネイスミスは、冬の室内ゲームとしてバスケット・ボールを考案します。続いて、弾力性のあるボールを使用したバレーボールがこれまた米国で1895年考案されます。つまり、大きなボールを手を使ってプレーするボールゲームが出現するのには、石油からゴムを作り出すという技術革命が必要だったのです。

また20世紀になると、近代スポーツとしてのハンドボールが生まれています。当初ハンドボールは、サッカーグラウンドを利用して足の代わりに手を使ったゲームでした。ところが、広いグラウンドで行うにもかかわらず、パスやシュートが正確で、攻守の転換が少なく、選手の動きも不活発で、室内ハンドボールの普及とともに、しだいに関心と興味がもたれなくなっていったそうです。このことから中村敏雄氏は「スポーツ・ルール学の序章」で「広いグラウンドで行われるボールゲームが攻防の転換が少なく、そのプレーも定型化して変化もスリルに乏しくなれば興味や関心が低下することを教示している」と述べています。

このことからも、大きなボールを手を使ってプレーするボールゲームは、プレーヤーが必然的に密集する狭いグラウンドを使用したゲームということになります。

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3 フットボールの潮流

ラグビーもサッカーもフットボールを名乗るとおりルーツを同じくしています。19世紀の後半以降、分化とともに近代スポーツとしてそれぞれアソシエーション・フットボール、ラグビー・フットボールとして誕生していったわけですが、その普及発展の経緯は随分異なっています。当時、イギリスは、世界発の産業革命を果たし、世界国家として君臨していました。そして、イギリスは、ブルジョアジーと労働者階級との対立という階級国家でもありました。スポーツは当時新興支配階級であったブルジョアジーの心身の鍛錬の場として受け入れられ、ブルジョアジーの支配階級化とともに近代スポーツとしていろいろなスポーツが誕生していきます。19世紀のイギリスの支配階級は、単にイギリスだけにとどまらず、世界の支配者としての役割を持っていました。世界中の植民地支配を行うための心身の鍛練が求められていたのです。

これに対し、産業革命の担い手であった労働者階級にとってスポーツは気晴らしの娯楽でした。19世紀の前半における労働者階級の労働環境は過酷なものでしたが、19世紀も後半になると労働者階級も、世界国家としてイギリスの恩恵を受けるようになり、地位も向上して行きます。娯楽としてのスポーツが普及するようになり、スポーツの近代化の一翼を担うようになります。このころになると、選手のプロ化が問題になってきます。余暇の少ない労働者階級の選手たちが休業補償を求めたのが最初でした。これに対し、ブルジョアジーは、自分たちをアマチュアと名乗り、プロの参加を拒みます。このプロアマ対立で、サッカーとラグビーは好対照の対応をします。これが後々のスポーツの運命を決定づけます。サッカーは、結局はプロを受け入れ、フットボール協会というアマチュア組織の下にフットボールリーグというプロ組織を作ります。対照的にラグビーは最後までプロを受け入れなかったため、プロ側は別組織を作り最終的には13人制のリーグラグビーという別のスポーツとして袂を分かつことになりました。

サッカーは、これを契機に労働者階級に広く受け入れられ、労働者階級のスポーツ、プロフェッショナルなスポーツとして発展し、さらには世界で最も普及したスポーツとなっていきます。一方、ラグビーは上流階級のスポーツ、アマチュアのスポーツとして位置づけられ、旧イギリス連邦の諸国を中心に普及していきます。

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4 フットボールからサッカーへ

フットボールは、フランスの「スール」ないし「シュール」に由来するとされ、イタリアでは「カルキオ(カルチョ)」と呼ばれる同種のゲームが行われていました。どちらも、革製のボールが用いられ、そのボールを相手陣営のゴールに持ち込むゲームで、手を使っても、足を使ってもよくどちらかと言えばラグビーに似たゲームでした。

カルチョというゲームは今でも、イタリアのフィレンツェで盛んに行われており、NHKのテレビで一度見たことがあります。市内の地区の対抗戦で、観光イベントになっていました。印象に残ったのは下が芝ではなく砂地であったことです。スポーツといえば芝と最近言われていますが、スポーツが芝の上で行われるようになったのはイギリスからということでしょうか。テニスでも、イギリスのウィンブルドン大会は芝ですが、全仏大会は土のコートです。

スールは、イギリスでは当初「ハーリング」と言われ、これがのちのフットボールになりました。近代スポーツ以前のフットボールは、マス・フットボールとも言われ、村や町のお祭りとして行われ、町ごとにやり方も異なっていました。「ルールらしいルールはなく、ボールを抱えて走っても、投げても、蹴ってもよかったし、どうやって相手を止めてもよかった。人数も決まっている分けではなく、数十人、数百人が参加して一日中くんずほぐれつの肉弾戦が繰り返したので数多くの負傷者がでたし、死者がでることも珍しいことではなかった。」ということです。やがて、フットボールは、パブリックスクールに取り入れられ、ラグビーとサッカーへと進化していきます。

ところで、ハンドボールにしろ、フットボールにしろ、イギリスで誕生した近代スポーツの原型の多くがフランスから渡ったものです。ところがフランス生まれの近代スポーツ(少なくともボールゲーム)は一般に知られていません。近代スポーツとしてのフットボールであるサッカーは、イギリスからフランスに19世紀後半伝わります。サッカーを世界中に伝えたのは、19世紀のイギリス人です。ところが、サッカーを世界のスポーツに仕立て上げたのは、フランス人です。

現在、世界のサッカー界を支配しているFIFAは、フランスが提唱して1904年、フランスのほかベルギー、スイス、スペインなどヨーロッパの8カ国が参加して結成されました。このときサッカーの母国イギリスの4協会は参加しませんでした。イギリスの4協会(イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド)は、第二次世界大戦前は、アマチュア問題と4協会の独立の地位を巡って、FIFAの加盟と脱退を繰り返していたそうです。今や世界最大のイベントとなったFIFAワールドカップも、1930年時のFIFA会長であったフランス人のジュール・リメが提唱し実現にこぎ着けたもので、第一回のワールドカップのヨーロッパ出場国は、フランスとベルギー、ルーマニア、ユーゴスラビアの4カ国で、イギリス4協会は参加していません。イギリス4協会がワールドカップに出場するのは第二大戦後の第4回大会に出場したイングランドからです。

また、FIFAワールドカップと並ぶ国際イベントであるオリンピックを復活させたのも、フランス人貴族クーベルタン男爵でした。イギリス留学などで接したいろいろな近代スポーツに感銘し、1892年古代オリンピックの復活を提唱し、1896年オリンピックがアテネで復活します。1900年の第2回大会はクーベルタン男爵のお膝元パリで開催されています。フランスという国は、オリジナルな近代スポーツを作るのは苦手だったようですが、近代スポーツを普遍化するのには長けていたようです。柔道をJUDOに変えたのもフランスです。

世界を代表するボールゲームといえば、イギリス生まれのラグビー、サッカー、クリケットとアメリカ生まれのベースボール、アメリカンフットボール、バスケットボール、バレーボールといったところでしょうか。ところが世界を代表するボールゲームといっても、このうちラグビーとクリケットが盛んなのは旧イギリス連邦の諸国ですし、ベースボールとアメリカンフットボールは、今でもアメリカが中心です。バスケットボールとバレーボールは19世紀末にできた人工的なスポーツですからこれを除くと、近代スポーツといっても結構文化性・土着性があることがわかります。

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5 バットアンドボール・ゲーム

ハンドボール、フットボールに続いて、最後に残ったのが、野球の仲間である打棒(バット)とボールとの関係にある競技です。手や腕の延長としての打棒で有れば、テニスやホッケーも含まれることになりますが。テニスについては、「スポーツの由来1」で紹介したように今回の分類ではハンドボールの範疇に含まれます。問題はホッケーですが、今回の「スポーツの由来」の原本になっている加藤元和氏の「歴史としてのスポーツ」の中では、ホッケーに似たゲームが「ハーリング」(フットボール)の別型として行われていたとしていますが、ホッケーについては後述するといいながら話は出てきませんでした。

以下は、加藤元和氏の「歴史としてのスポーツ」をもとに打棒とボールを用いたゲームの紹介をしてみたいと思います。

この打棒とボールを使った競技はバリュエーションが富んでいます。この仲間の代表的なものにゴルフがあります。ゴルフは14世紀以前に「goff」などとも呼ばれイングランド北部地方で盛んだったようです。ただし、この「goff」もローマ時代のパグニカが伝わったものとされています。ゴルフ様式のゲームには、バンディ・ボールやペルメルというゲームがありこれらが相互に影響しあって発展していったのであろうということです。ゴルフが、ホールにボールを入れながらゲームを進めていくのに対し、バンディ・ボールはフィールドやコートに設けられた鉄製のアーチを通して進めていくもので、ゲートボールみたいなものでしょうか。ペルメルはホールに代えてつり下げた環にボールを入れるゲームということです。

ゴルフ型のゲームと異なる打球戯にイギリス人がクラブボールと呼ぶ競技があるそうです。ゴルフ型とクラブボールの違いは、ゴルフが先端にヘッドのついた打棒(杖)を用いるのに対し、クラブボールはヘッドがない打棒を用いるということです。※現在、クラブといえばゴルフのヘッドの付いた打棒杖のことです。ちょっと不思議ですね。これについては、加藤元和氏の著作には出てきませんでした。

クラブボールには更に二種類あって、一つは、相手の投げたボールを打って行われるゲームで、もう一つが、打者が自分でボールを投げ上げてから打つか、バウンドさせてから打つゲームで野球のノックに似たゲームです。前者は、17世紀からクリケットと呼ばれる組織的なゲームに発展し、後者はイギリス人の間でトラップ・ボールと呼ばれゴルフと同じぐらい古いゲームで14世紀頃から流行していたそうです。

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6 クリケット 

19世紀初期まで、クリケットにはシングル・ウィケットゲームとダブル・ウィケットゲームがあったそうで、前者はやがて公式戦から姿を消し、後者が現在のクリケットの原型となったそうです。ウィケットとは門柱と訳されますが、3本のスタンプ(杭)とその上に置かれている二つの横木(ベイル)からなっており、ウィケットが落ちるとはこのベイルが落ちることをいいます。このウィケットが一基なのがシングルウィケット・ゲーム、二基なのがダブルウィケット・ゲームです。

シングルウィケット・ゲームは、攻撃側の打者は、ウィケットの防御者であり、相手チームは打たれたボールを捕球したり、フィルドボールを処理したりする守備のチームである。ゲームでは、投手がウィケットから22ヤード離れたスタンプから、ウィケット目がけて、ボールを投げる。投手の目的は、ウィケットにボールを当てて、それを落とすことである。対して、打者は、ウィケットが落ちるの守り、逆に、ボールを打ち返すことを目的とする、そして打者がボールを打ったら、スタンプに向かって走り、バットで触れてから、再び戻ってくる。戻れば一得点となる。それに対して、守備側は、打たれたボールを素早く処理してスタンプに触れるか、ウィケットを落とせば打者はアウトになる。フライ球を捕球してもアウトである。こうして、まず攻撃側の5名が全部打撃し終わってから、攻守を交代し、得点の多い方を勝ちとする。この単純で、素朴なシングル・ウィケットゲームは、やがて公式試合から姿を消したが、思えば、三角ベースみたいなものであったろう。(以上、加藤元和氏の「歴史としてのスポーツ」から)

シングルウィケット・ゲームでは、打者はウィケットとスタンプ(杭)の間を走ることになります。つまり、スタンプ(杭)は一つのベースみたいなもので、ベースボールのもとになったラウンダーズも元はベースではなく、ポスト(杭)だったそうですから、加藤氏が三角ベースというのもうなずけます。

投手の目的は「ウィケットにボールを当てて、それを落とすこと」、対して、打者の目的は「ウィケットが落ちるの守り、逆に、ボールを打ち返すこと」です。得点から見れば投手が守備側で、打者が攻撃側になりますが、ウィケットに対したとき、投手は攻撃側となり、打者が防御者(守備)側となります。クリケットは、ボールを投げてウィケットを落とす的当てゲーム(打者はボールがウィケットを倒さないように邪魔をします)とボールを打ってアウトになるまでの間にウィケット間を走って点をとるゲームの二つの要素からなっているとみることができます。つまり、的当てゲームと打つゲームです。

的当てゲームの代表は、ボウリングです。打つゲームといえばゴルフ。いわば、クリケットにはボウリングとゴルフの要素が一つのゲームに含まれていると言えるかもしれません。ボウリングもゴルフも、ボールを転がしたり、地面に置かれているボールを打ったりと、ボールが地面に接地しているゲームです。これに対し、空中のボールを使ったゲームにも的当てゲームと打つゲームがあります。前者がストゥール・ボールで、後者がトラップ・ボールです

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7 ストゥール・ボール

まずは、佐山和夫氏の「野球はなぜ人を夢中にさせるのか」の中での、1992年発行の北米スポーツ歴史事典からの引用からです。

ストゥール・ボールは、「14世紀までにイギリスにおいて、ミルク搾りの女性たちによってプレーされていたゲームで、クリケットやラウンダーズのルーツにあたり、ベースボールの祖先ということになる。牧師たちは、ダンスや他のスポーツと同様にこれを禁止したが、彼女たちは好んでプレーをした」「このストゥール・ボールは二人でもプレーができた。さまざまな種類がこれにはあるが、そのうちの一つのやり方を示せば、投手は打者の後ろにあるミルク搾り用の腰掛け(ストゥール)を倒そうとしてボールを投げる。打者は手でそのボールを弾き飛ばして腰掛けを守る。投手がうまく腰掛けにボールを当てて倒すことができれば攻守交代。」「このゲームはのちに男の子供たちや青年たちに広がり、棒切れ(バット)を用いてプレーするようになった。北米へは非常に早い時期に伝えられている」

これでストゥール・ボールが腰掛け(ストゥール)への的当てゲームであり、腰掛けに当てられないように邪魔するのが打者の役目ということが分かります。投手が攻撃側で、打者が守備側です。ストゥール・ボールは、まず、ボールを的である腰掛けに当てるという行為があり、次にそのボールを的である腰掛けに当たらないように邪魔する(打ち返す)という行為が付加されゲームとして成立していきます。これでは1対1の2人だけしか遊べませんから、これに打ち返されたボールを捕るという行為が加わり、打ち返されたボールを捕球する人たちが登場し、3人以上で遊べるゲームとなっていきます。

実際、 「野球はなぜ人を夢中にさせるのか」に登場するマサチューセッツ州プリマスでの17世紀に行われていたゲームを再現したストゥール・ボールは、的である腰掛けにボールを投げ、これを相手チームの打者が手で打ち返して、その打ち返されたボールを投手側のチームが捕れるか捕れないかというゲームです。

ところが現代のストゥール・ボールは、ストゥールは地上1.4メートルのところに置かれた30センチメートル四方の板(ウィケット)に変わり、さらにウィケットも二つになります。ボールを打ち返した打者はもう一方のウィケットまで走り、バットまたは手でタッチして還ってくる。これがランでランの多さでゲームが決まります。ボールを捕るというゲームに走るという行為がプラスされています。 また、ルールはクリケットに近いものがあり、クリケットの影響を受けているように思えます。

一方、クリケットは、このストゥールボールが、競技化してできたものです。ウィケットの三門柱にその名残が残っています。初期のストゥールボールでは、ストゥールは投手に脚を向けて横倒しにされ、そのストゥールに投球が当てればアウトというものでした。そして、別のルールのものとして、ストゥールを裏返しにして脚を上にしておくものもあったそうです。この三本の脚に投球を当てるか、脚の間を通すと打者がアウトになるというものでした。裏返しになった腰掛けの三本の脚、これなどクリケットの三本の門柱(ウィケットのスタンプ)そのものだということになります。このようにクリケットは、的当てゲームとしてのストゥール・ボールの影響を受けており、早い段階で、このストゥール・ボールをもとに他のバットアンドボール・ゲームの影響を受けながら競技として成立していったものと思われます。クリケットという言葉も、フランス北部のフランドル地方にあったボールを打つクリッケ(棒)に由来すると言われています。

初期のストゥール・ボールは、ボールを掌で打ち返していたので、イギリス人のいうハンドボールに近かったと言えると思います。プリマスで再現されたストゥールボールを実際に見た佐山氏は、野球のルーツというよりもバレーボールの原型を見る思いがすると言っています。素手で打ち返していたボールが次第に遠くへボールを打ち返すできるようにと木のバットに変わっていきます。ただし、バットといってもラケット状の分厚い板のようになっているものです。これは、ストゥールボールがしだいに的当てゲームから打って捕るゲームへと変わっていったことによると思います。

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8 トラップ・ボール

トラップボールは、打者が自分で投げ上げるか、バウンドさせたボールをバットで打つゲームで、ノックに似たゲームです。バット・アンド・トラップともいいます。トラップとはボールを投げ上げる仕掛けのことをいい、木製の台座の上にスプーン状の木製レバーがあって、スプーン状の部分にボールを載せ、もう片方の端をバットで叩いてボールを投げ上げる仕組みになっています。トラップは、西洋の中世にでてくる投石器(キャタパルト)と同じてこを応用した道具です。

初期のトラップボールは、単純にボールを遠くに飛ばすゲームで、トラップから適当な距離に線を引き、その線を越えた本数で得点を競うというものでした。ホームラン競争みたいな競技ですが、必ずしもフライでというわけではなく、ゴロでもよかったみたいです。ゴルフのドライビング・コンテストにも似ています。トラップボールは、2人でもゲームとして成立しました。人数が多ければ、二つのチームに分けての団体戦も可能でした。また、3人以上であってもゴルフのような個人戦もできたと思います。

トラップボールは、しだいに、飛ぶ方向性も求められるようになります。トラップから一定の距離のところに2本のポールが建てられ、この2本のポールの間を通ったボールだけがフェアとなるというものです。単純にボールを遠くに飛ばすだけでは飽きられ、飛ぶ方向性が求められるようになったようです。この2本のポールは、ラグビーのゴールポストのようであり、ベースボールのファウルポールのようでもあります。ストゥールボールやクリケット、ラウンダーズとベースボールの大きな違いに、ファウル・ラインの存在があります。佐山氏は「この『二本の棒(ポール)』を倒したのが、のちのファウル・ラインと考えていいか。棒がないところでプレーするにはラインを引くしかなかったはずだからだ」と述べています。ファウル・ラインについては、トラップボールの影響を受けているのかもしれません。

トラップボールは、その後、さらに複雑化し、打ったボールを捕球するという、守備の要素が入ってきます。フライを直接捕球された場合アウトとなり、地面に触れた打球を捕った者が、投げ返してトラップに当てた場合もアウトとなります。投げ返してトラップに当てるという行為は、的当てゲームの要素が付加されたわけです。

トラップボールは14世紀までにはイギリスで流行し、北米には1600年代には伝わり、ワンオールド・キャット、ツーオールド・キャットなどと呼ばれいたりもしていたようです。キャットとは投石器のキャタパルトが短縮したものです。

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9 ラウンダーズ

近代スポーツの要件は、全国的な組織に全国的に統一されたルールそして全国的な大会です。近代スポーツの誕生は、度量衡の統一、鉄道の普及、国民国家の成立と軌を一にしています。これに対し、近代以前のスポーツは、地域間の交流も少なく、地域ごとにルールや名称も異なっていたりしました。

ベースボール創世記の佐伯泰樹氏は、バットアンドボール・ゲームは「イングランド西部ではラウンダーズ、南部ではベース・ボールと呼ばれたいたようである。いっぽうアメリカでは、”タウンボール”はもとより、”ベース””ベース・ボール””ゴール・ボール””バース・ボール”など様々に表記された」としています。これらのバットアンドボール・ゲームは、ラウンダーズと異名同体のゲームであり、ベース・ボールは、近代スポーツとしてのベースボールと同名異体のゲームです。

『ヨーロッパ大陸にあったラウンダーズ(ベース・ボール)に似たゲームが海峡を渡ってイギリスに行ったのは1600年代以前のこと。そこで初めてゲームになったのがストゥール・ボールである。投手はひっくり返された腰掛け(ストゥール)にボールを当てようとして投げ、打者はクリケットのようにバットで打ち返した。より多くのストゥール、つまり、ベースが追加され、円を描いて置かれるようになった。これが進化してラウンダーズになった。』(佐山和夫氏の「野球はなぜ人を夢中にさせるのか」の中での、1997年発行の「カルチュアル・エンサイクロペディア・オブ・ベースボール」北米スポーツ歴史事典からの引用)

ラウンダーズもクリケットと同じく、ストゥール・ボールをルーツとしていますが、的当てゲームであるストゥール・ボールの流れを組んでいるのはクリケットの方です。ラウンダーズは、トラップ・ボールなどの影響を受け、的当てゲームとしての性格が薄れ、打つゲームへと変化しています。その代表がウィケットの喪失です。打者の後方にはウィケットはありません。投手は、ウィケットにボールを当てるために投げるのではなく、打者に打ってもらうボールを投げるための役割に過ぎなくなっています。いわば人間トラップです。

ストゥール・ボールの名残(いわば、腰掛けの脚の名残)とも言えるのが、四つの白い杭(ポスト)です。なお、四つ目のポストは、打席とは別のところにあります。人数は一チーム9人で、9人全員がアウトになって初めてチェンジです。イニングは2回。打者がアウトになるのは、フライが相手に捕られた場合。打球を捕った野手が、走者より先にポストに触れた場合などです。また、面白いのが、「ホームラン」だけが得点になること。ラウンダーとはこのホームランのことであり、このため、打者の目的はボールを遠くに飛ばすことにあります。これなどはトラップ・ボールそのものです。単打や二塁打はどうなのかといえば、もちろん塁に残ることができますが、次打者のヒットでホームを踏んでも、得点になりません。ただし、アウトになっていないので打順の上では生きています。

ここで述べたラウンダーズは、現代のイギリスで行われている近代スポーツとしてのラウンダーズです。近代以前のラウンダーズは先に紹介したようにいろいろな名称で呼ばれていましたが、ルールもまた、ヴァリエーションに富んでいました。ポストの代わりに、石ころや樹木だったり、大きな窪みがあればホームベースにしたりしたようです。打席と四つ目のホームベースが同じ場所という、ダイヤモンド型もあったようです。得点も、ホームランだけでなく、近代ベースボールと同様にホームベースに還って1点とか、中にはワンベースで1点というものもあります。アウトにしても、タウンボールと同じように打球を拾った野手が、走者にボールを投げ当てた場合もあったようです。人数も決まっていたわけではありません。

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10 バットアンドボール・ゲームの潮流

ラウンダーズのルーツであるストゥール・ボールは、14世紀までにイギリスで、ミルク搾りの女性たちによってプレーされていたゲームで、女性のスポーツでした。これは、ストゥール・ボールがノンコンタクト・ゲーム(非接触型ゲーム)であったこと、また、運動量もフットボールに較べて少なかったということがあげられます。これに対し、フットボールはコンタクトゲーム(接触型ゲーム)で、男のスポーツとして位置づけれていました。

ストゥール・ボールは、その後男の子供たちや青年たちに広がり、棒切れ(バット)を用いてプレーするようになります。やがて、男のスポーツ、クリケットとして17世紀には組織化され、18世紀中頃にはボールゲームで最初の近代スポーツとして成立していきます。クリケットは、運動量が少ないことからイギリスの夏のスポーツとして普及していきます。イギリスは高緯度に位置し、夏のバカンス・シーズンは、貴重な日光浴の季節です。このため、野外での長時間に渡るレクリエーションとしてクリケットは最適だったのです。これに対し、フットボールは運動量が激しく、冬のスポーツとして普及していきます。

クリケットが男のスポーツとして競技化していく一方、女性や子供たちの間では、ストゥールボールから発展したラウンダーズという遊びが広く行われるようになります。ラウンダーズは、ストゥールボールが、トラップボールやクリケットなどの影響を受けて生まれたものと思われますが、クリケットのように競技化(ルールの統一化)はなされず、各地で様々な呼び名と多様なルールでゲームが行われていました。地域によっては男の大人の遊びだったところもあります。このラウンダーズもクリケットやトラップボール同様、北米に17世紀には伝わり各地で行われていました。

北米に渡ったラウンダーズは、タウンボールとなり、ベースボールの母胎となったと言われていますが、ラウンダーズは、タウンボール以外にも、ゴール・ボールやベース・ボール、ベース、バース・ボールと呼ばれ、子供の遊びとして、広く各地でプレーされていました。タウンボールは、「するスポーツ」といわれますが、ストゥール・ボールもラウンダーズも同様に「するスポーツ」でした。大勢の人が集まって一緒にプレーできる遊びがストゥール・ボールから生まれた、ラウンダーズでありタウンボールでした。投手の役目は、誰もが打ちやすいボールを投げることにあります。的当てを邪魔するゲームより、打って捕ってからの的当てゲームの方が大勢の人が遊べますし、楽しめます。バットとボールのゲームは、大勢の人が長時間一緒に楽しく遊べるように工夫がなされ、しかもその土地々々にあったルールで広まっていったのです。ですから、人数も特に決まっていたわけではありませんでした。後の成文化されたタウンボールの一種マサチューセッツゲームでさえプレーヤーは10人から14人とされています。

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11 タウンボール

タウンボールという呼び名は、タウンミーティングの前後によく行われていたことに由来すると言われています。タウンミーティングとは、タウン(村や町)の住民による直接参加の集会のことで、タウンの運営を住民自ら行う直接民主主義の一形態です。タウン・ミーティングは、ニューイングランド地方を中心に行われ、集会所(タウン・ホール)の前にはたいてい広い芝生の庭があったということです。集会(タウン・ミーティング)の前や終わってから、親睦と娯楽を兼ねてバットとボールのゲームが行われていたことから、これらのゲームはタウンボールと呼ばれるようになったそうです。

権力に支配されない自由と平等を約束するルール、これが直接民主制としてのタウンミーティングでした。その前後に行われていたタウンボールも自由と平等のルールのもとで行われるようになります。ラウンダーズやクリケットでは、打者はアウトにならない限り打ち続けることができます。ところが、タウンボールでは、誰もが平等に打席に立つことができます。これは、イギリスでは能力に応じた特権を認めるが、米国では機会の均等という平等を重んじ、特権を廃する思想の表れとみることができます。

タウンボールは、ラウンダーズと同じくファウルラインがありませんから、打球は全てフェアとなります。また、1アウトでチェンジになります。アウトになるのは、フライを直接捕られたときと、打球を拾った野手が走者に投げ当てた場合です。イギリスのラウンダーズと異なるのは、ラウンダーズが「打球を拾った野手」の送球がポストへの的当てになっているのに対し、タウンボールが走者への的当てになっている点です。これはおそらく、実際の遊びでは、ポスト(杭)の代わりに、石ころやベースが多く使われたことに由来すると思われます。ゲームのたびに杭を打つのは大変ですし、石ころでは的にならないからです。これはイギリスでも同様でした。

その証拠に、アレグザンダー・カートライトと並ぶベースボールの父、ヘンリー・チャドウィックは、イギリスのラウンダーズを回想して「四つの石を円を描くように置いてベースとし」「打球を直接捕れなくても、走者に球を当てればアウトにできた」と述べています。

タウンボールという名前は、ゲームの総称であって、地域ごとに「ニューヨーク・ゲーム」「マサチューセッツ・ゲーム」「フィラデルフィア・ゲーム」などの種類がありました。フィラデルフィア・ゲームが最も古く(とわいっても1830年代ですが)行われたゲームですが、結局は主流になれず、後にニューヨーク・ゲームに吸収されていき、そのニューヨーク・ゲームもやがて自らベースボールに吸収されていきました。最も盛んだったのがマサチューセッツ・ゲームです。タウンボールが競技として盛んになるのは、意外に遅く1830年代から40年代からです。ベースボールが考案されたのもちょうどこのころでした。1845年ニューヨークのアレグザンダー・カートライトが、当時若者たちの間で盛んになったタウンボールを改良して作ったのがベースボールでした。

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12 ベースボール

19世紀初頭、アメリカは人口・領土ともに急激な拡大をみせますが、基本的には農業国で、人口密度も低いものでした。ところが、ニューイングランド地方やニューヨーク州、ペンシルバニア州といったいわばアメリカの北部の一部で、商工業が発達し、都市化の波が押し寄せてきます。それがボストン(マサチューセッツ州)、ニューヨーク(ニューヨーク州)、フィラデルフィア(ペンシルバニア州)でした。これらはまさにタウンボールの盛んな地域でした。タウンボールは、田舎の田園地帯で生まれたものではなく、都会化の波の中で盛んになっていきました。これは、都市化と余暇の増大がリンクしていたことと関係しています。そして、アメリカ最大の都市となりつつあったニューヨークで、ベースボールが1845年生まれました。

スポーツが普及する背景には、余暇の増大が不可欠です。農業社会では、スポーツは何か人々が集まったときに行われたお祭りにすぎませんでした。ところが余暇が生まれると継続的にスポーツを嗜むことが可能となり、スポーツの組織化(近代スポーツ)が求められるようになります。19世紀初頭の近代スポーツといえばクリケットしかありませんでしたから、各地にクリケット・クラブが作られ、プロのクリケット選手も活躍していました。 世界最初のベーブボールの対抗試合として、佐伯泰樹氏が主張している1845年の試合は、ニューヨーク・クラブ、ブルックリン・クラブというクリケット・クラブを母胎にしたチーム同士によるものでした。

だからといって、スポーツを嗜みたいと思っていた全ての人々に、クリケットが受け入れられたかというとそうではありませんでした。 貴族階級の存在しないアメリカでは、クリケットの試合は、日数がかかりすぎました。短い時間で済む競技を人々は求めていました。それがタウンボールであり、ベースボールでした。また、ベースボールが考案されたら、即、人々はタウンボールを棄て、ベースボールをプレーするようになったかというとそうではありませんでした。当初、ベースボールは、タウンボールの一種として考えられ、人によっては、ベースボールをニューヨーク・ゲームと呼ぶ人もいます。

タウンボールの中で最も人気を博したマサチューセッツ・ゲームは、1858年、10のクラブが集まり、ルールが統一化され近代スポーツとして生まれ変わります。ベースボールの方も、1857年最初のアマチュア全国組織(14クラブ)が発足し、ルールもこのときはじめて統一化が図られています。近代スポーツの誕生の条件にルールの統一化と全国組織があります。この定義で言えば、近代スポーツとしてのベースボールの誕生は、1857年ということになります。クリケット、ベースボール、マサチューセッツ・ゲームは、1860年代、アメリカの国技として人気を争うようになります。そして、1876年、ナショナル・リーグの発足とともにベースボールはアメリカの国技としての地位を不動のものにしていきます。

ベースボールが、タウンボールやクリケットと大きく異なるのは、ファウル・ラインの存在でした。このファウル・ラインのおかげで、観客が選手の近くで見ることができるようになり、スペクテイター(観戦)スポーツという点で、ベースボールは一歩リードしていました。なお、ファウル・ラインは、トラップボールの影響を受けていると佐山和夫氏は考えているようです。

タウンボールでは、打球を拾った野手が、ボールを走者に投げ当ててアウトにする代わりに,ベースボールでは、ボールが走者より先に塁に送られた場合,アウトとすることとしました。また、走者が塁に着く前にボールでタッチされた場合もアウトとしました。これにより、硬いボールを使うことが可能となり、打球の飛距離も伸びました。また、試合自体がスピーディーになりました。さらに、3アウト・チェンジ制(タウンボールは1アウト制)のため試合展開が複雑になり面白みが増えました。

ベースボールは、スピードとスペクテイター性で、クリケットとタウンボール、マサチューセッツ・ゲームを凌駕していました。

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13 非対面型ゲーム

ベースボールは、奇妙で不可思議なスポーツではありませんでした。1860年代のアメリカでナショナル・パスタイム(国技)の覇を競ったのは、クリケット、ベースボール、そしてマサチューセッツ・ゲームでした。これら三つの近代スポーツは、すべてこん棒(バット)とボールのゲームです。この時期のアメリカでは、フットボールやハンドボール(テニス等)は、まだ、一般には普及していませんでした。

現代、ベースボールが奇妙で不可思議なゲームに見えるのは、20世紀に入って普及したフットボール・タイプやハンドボール・タイプのスポーツのためでした。佐山和夫氏は「たいていのチームスポーツは、敵と味方が正面から向き合って戦うのに、野球ではそうではない」「(野球は)攻撃中といっても、チームの大半の者がベンチに座っているのも奇妙だ」「他のスポーツでは、たいていボールを持っている方が攻撃しているのに、野球ではボールを守っているのかも不思議だ」「攻守ということでいえば、野球は攻撃と守備とで道具を異にするが、そんなスポーツも珍しい」といっています。しかし、野球(ベースボール)と比較している他のスポーツというのはフットボールタイプのサッカー、ラグビー、バスケットボール、ホッケー、(近代スポーツとしての)ハンドボールであり、もう一つはテニス、バドミントン、卓球、バレーボールといった(イギリス人がいうところの)ハンドボールのことです。

1860年代のアメリカでは、敵と味方が正面から向きあって戦うボールゲームよりも、こん棒(バット)とボールを使ったゲームの方が一般的でした。18世紀のイギリスで、近代的なボールゲームといえば、ゴルフとクリケットしかありませんでした。フットボールはまだ、ラグビーやサッカーと呼ばれる遙か昔の状態でした。佐山氏や私を含めてベースボールが奇妙で不可思議に見えたのは、単なる誤解であり、錯覚だったのです。

佐山氏が指摘したたいていのチームスポーツとは、フットボールとハンドボールのことです。言い換えれば、フットボールタイプとハンドボールタイプのスポーツは、一つのカテゴリーで括られ、ベースボールを始めとするバットアンドボールゲームは、それとは異なった別のカテゴリーに属するというということです。それはどういう分類なのでしょうか。それは、対面型ゲームと非対面型ゲームという分類です。

佐山和夫氏は著書「野球はなぜ人を夢中にさせるのか 奇妙なゲームのルーツを訪ねて」で、トラップボールという打つゲームに出会い「現在の野球の奇妙さの多くが当然と思えてくる」「まず第一に、相手ときちんと向き合っていない不思議をいったが、初めは相手なんかいなかったのだ」「相手は距離、もしくは空間であって、それと向かい合っていた」 と書いています。これが非対面型ゲームの特徴であり、ゴルフやボーリングもこの非対面型ゲームに含むことができます。つまり、ベースボールは、チームスポーツのサッカーよりも個人競技のゴルフに近いということができます。トラップボールとともにベースボールのルーツであるストゥールボールは、的当てとそれを邪魔するゲームですが、バットで的当てを邪魔するという行為は副次的なものであり、基本は的当てゲームです。的当てゲームも、打つゲーム同様、初めは相手はいませんでした、相手は的であって、それと向かい合っていたのです。

非対面型ゲームの特徴は、記録が録れることです。非対面型ゲームは、その記録により他者と優劣を計り競い合うゲームなのです。

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14 続 非対面型ゲーム

対面型ゲームというのは、対ヒトのゲームで、実力の評価は相対的なものです。対戦者以外と客観的に評価する基準を持っていません。記録化が難しいのがこの対面型ゲームの特徴です。これに対し、非対面型ゲームは、対ヒトのゲームではなく、記録できるあるものを介して他者と競い合いをするゲームです。このため個人競技であってもゴルフのように多数の選手が一斉に競技を行うことができます。ボールゲーム以外で説明すると、対面型ゲームというのはレスリングや柔道などの格闘技であり、非対面型ゲームというのが陸上競技や水泳競技のことです。最強の者を選ぶ場合、格闘技は1対1の試合では、相対的な強者しか分かりませんから、トーナメント形式やリーグ戦形式で試合を行っていき、勝者を決めていかなければいけません。ところが、陸上競技は、記録がハッキリとでますから、一回の試技で勝者を決めることも可能です。何度も競技する必要もありません。

非対面型のボールゲームの特徴は、「何回投げる」とか、「何回打つ」とかという、まず、機会が与えられて、その距離とか的に当たった回数とかを競い合うという点にあります。ゴルフでは、何回打ってホールにボールを入れることができるか競います。そしてこれを18ホールで繰り返し行っていきます。ボーリングでは、1回又は2回投げて10本のピンのうち何本倒せるかを10回繰り返します。ベースボールも、3ストライクになるまでにボールを打つ、3アウトチェンジになるまでに点(ラン)を入れる。これを9回繰り返し、得点を競い合います。非対面型ゲームは、機会と確率のゲームということができます。

非対面型のボールゲームには、ボールを投げるゲームとボールを打つゲームの二種類があります。前者が、ボーリングであり、ストゥール・ボールでした。後者が、ゴルフであり、トラップ・ボールでした。空中でボールを扱うゲームであるストゥール・ボールとトラップ・ボールは、相互に影響試合ながら、やがてチームスポーツ化し、複合化し、ベースボールへと進化していきます。ゲームの進化の方向は、「いかに大勢の人が一緒に遊べるか」「いかに一定に時間を楽しく過ごせるか」というものでした。

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15 国民国家と近代スポーツの誕生

ベースボールは、1860年代、クリケットやマサチューセッツ・ゲームとがナショナルパスタイムの覇を競いますが、ベースボールを北部のスポーツからアメリカ全土に普及させる契機になったとされているのが南北戦争です。南北戦争に従軍した兵士たちが、戦時中ベースボールを体験した、兵士たちが戦後各地に帰還してベースボールが普及したというものです。ベースボールの独特のユニフォームは、この南北戦争当時の軍服によるものとされています。ところが、実際には、南北戦争前から、南部でもベースボールは盛んに行われていたようですし、タウンボール以前のゴールボールやベース・ボールと言われたラウンダーズ系の遊びが各地で行われていました。そういって下地があったからこそ南北戦争で、ベースボールが一気に広まったといったのだと思います。

この1860年代は、ベースボールだけでなく、歴史的にみてもエポックメーキングな時代でした。アメリカでは既述のとおり南北戦争が1861年から65年にかけて行われ、これがアメリカ近代化の契機にもなっています。日本では、1868年、江戸幕府が倒れ、明治維新が起きています。ヨーロッパではイタリアやドイツで統一国家が成立しています。1860年代は、近代的な国民国家の成立という点で極めて重要な時代でした。考えてみれば、日本の近代化は極端に遅れていたわけではありませんでした。

ベースボールが日本に伝わったのが明治5年(1872年)であり、サッカーは翌年の明治6年(1873年)です。ベースボールが近代スポーツとなった1857年から15年後、サッカーは1863年から10年後に日本に伝来しています。ヨーロッパでもこの時期は、フランスとプロイセンとの間で普仏戦争がおこり、ドイツ帝国と誕生と、フランス・ナポレオン3世の退位と第三共和制の樹立といった状態でした。フランスのクーベルタン男爵がイギリスに留学し、近代スポーツに接するのは1880年代です。このころイギリスは世界帝国を築き、世界各地に進出していました。そして、各地に、スポーツクラブを作ります。たいていは、クリケットクラブといい、横浜に最初にできたクラブもクリケットクラブでした。

近代スポーツの成立と国民国家の成立は密接に結びついています。近代スポーツは、国民国家統治のための道具として利用されてきた面も否定できません。1860年代のアメリカで、ベースボールがナショナルパスタイムとなったのには、時代の要請があったからだと思います。

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16 ベースボールへの途

ベースボールへの進化の過程を仮説ですが、まとめてみたいと思います。まず、ボールを投げて的に当てるという単純な遊びがあったはずです。子供の頃石を投げて缶に当てて遊んだ記憶を持っている人も多いと思います。次にこの的当てに、邪魔する行為が加わります。ストゥール・ボールは、牧童がミルク搾りの女性たちをからかって石を投げ、これを女性たちが腰掛けで防いだことが由来とされていますが、最初は的目がけて投げられたボールを掌ではじき返していました。

掌でボールを打ち返すという行為はテニス等のハンドボールに似ており、テニスに似た過程をたどりラケット型のバットに進化していきます。一方、ボールをバットで打って遠くに飛ばすトラップボールも、広く普及していました。次の段階のゲーム展開は、対面ゲームなら、打たれたボールは、同じくバットで打ち返すのですが、非対面ゲームですから、捕球するか否かということになります。ボールを捕るという行為が付加されることによって、一緒に遊べる人数を格段に増やすことができます。これによって初めてチームスポーツとしての要素を持つことができるようになります。

フライボールなら捕球で終わり(アウト)ですが、グラウンダー(ゴロ)のときはどうしようということになります。そこで、次に新たな的当てが加わります。ゴロで捕球したボールは、ストゥールやトラップに投げ返して当てればアウトという行為が加わります。トラップボールにも的当ての要素が加わったことになります。ところで、ストゥール・ボールは、打つことが目的ではありませんから、ファウルという概念はありませんでした。打者の四方八方すべてがフェアゾーンでした。一方、トラップ・ボールは、打つことが目的ですから、打つのを難しくするため、打つ方向を制限するようになります。ところで、ストゥール・ボールの目的は的当てですから、的当てを難しくするため、バットで打って邪魔する行為が付加されました。みんなのプレーがうまくなると、ゲームが単純だとすぐにゲームが終わってしまうので、ゲームは難しくなっていきます。

打ち返されたボールを捕るという行為が付加され、投げる側は、複数の選手が一緒に遊ぶことができるようになりました。これに対し、打つ側は、あくまでも1人です。そこで、ストゥールを増やし、走者を作り出しました。ストゥールとストゥールの間をボールを打ち返した打者が走るという行為が加わり、これによって、打ち返されたボールを拾った投手側の選手による返球による的当てに動きがもたらされ、ゲームにスピード感と試合展開に深みがでてきました。ここにベースボールの原型が完成します。

ストゥールが二個になった段階で、競技化したのがクリケットでした。青年男子の正式な競技です。一方のストゥールはウィケットになり、他方のストゥールはスタンプ(杭)だけになります。これがシングル・ウィケットゲームです。両方ともウィケットなのがダブル・ウィケットゲームです。どちらが古いかよく分かりませんが、前者のシングル・ウィケットゲームのスタンプ(杭)は、後のラウンダーズを彷彿させます。ラウンダーズは、打者側の選手が大勢プレーできるようにするため、杭(ポスト)の数を四つに増やし、ウィケットを廃止して、打つゲームに変化しています。投手は、ウィケットへの的当てではなく、打者に打ちやすいボールを投げる人間トラップに変化しています。これは明らかに打つゲーム、トラップ・ボールの打つという要素が組み込まれたことを意味しています。

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17 ベースボールへの途 2

クリケットもボールをウィケットに当ててアウトにすることは難しく、得点(ウィケットとウィケットの間を橋って1点(ラン))が100点以上に入ることも珍しくありません。1人で100点以上稼ぐ打者をセンチュリーといいます。逆に、投手がウィケットにボールを当ててアウトにすることは難しく、3球続けてウィケットに当ててアウトにした投手をハットトリックといって賞賛しました。しかしながら、あくまでも、クリケットはウィケットへの的当てが主目的のゲームです。打って走るのは、長時間大勢の人が楽しむための手段に過ぎませんでした。ところが、ラウンダーズは打つことが、ゲームの主目的でした。的当てゲームの要素は、打ったボールを拾った野手がポストに投げ返す部分に残ることになります。タウンボールになると、走者が的になり、走者への的当てゲームという要素が強くなってきます。

ラウンダーズのラウンダーとはホームランのことで、ホームランだけが得点になります。これなどは、トラップボールの影響と思われます。ポストの間を走るのは、得点に関係なく、ただ長時間楽しくプレーするための手段になってしまっています。とはいっても、ラウンダーズは、競技化せず、遊びのレベルでしたから、各地でいろいろなルールで行われ、クリケットと同じようにポスト間のランが得点になる場合もありました。四つ目の塁(ホーム)へ帰ってきて得点というベースボールと同じ得点形式のものもありました。複数の非対面型ゲームの要素が組み合わさったバットとボールのゲームでは、得点の方法にも多様性があったのです。

タウンボールまでは遊びのレベルでした。ベースボールになって、ようやく、競技化することになります。大人の青年男子が行う競技となります。トラップボールの影響を受けてか、ファウルラインが取り入れられ、スペクテイター・スポーツの要素を持つようになります。このとき女性は選手から観戦者となりました。走者への直接の的当ては廃止され、硬いボールが使用可能となり、ボールの飛距離が出て、スピードと豪快さを持つようになります。ところが、まだ最初のベースボールは単なる打つゲームでした。投手は、タウンボール(ラウンダーズ)と同じく、打者に打ちやすいボールを投げることが役割でした。アンパイアのストライクの宣告は、投手が打ちやすいボールを投げたにも関わらず打たなかった場合、打者に「打ちなさい」という宣告だったのです。

その後、ベースボールは、スペクテイター・スポーツとして発展していき、1869年になるとプロチームが出現し、1871年にはプロリーグもできてきます。プロフェッショナル・ベースボールになってから投手は次第に攻撃的になってきます。従来、打者が上中下と打ちやすいボールを要求できたものができなくなり、下手投げだけが許されていたものが、横手投げ、上手投げが次第に許されるようになっていきます。投手は、打者を打たせないように投げることが役目になってきます。投手の投球のスピードが速くなり、カーブも投げるようになります。ベースボールは、19世紀末、プロフェッショナル・ベースボールとして、打つゲームから投げて打つゲームへ進化していきます。ストゥールやウィケットはありませんが、ストライクゾーンのという的めがけて投げることが投手の役割となったのです。ストゥールボールの的当てゲームが、19世紀末のベースボールで復活したといっていいでしょう。

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引用・参考文献

「歴史としてのスポーツ」 加藤元和著 近代文藝社
「ベースボール創世記」 佐伯泰樹著 新潮選書
「スポーツの歴史」 レイモン・トマ著 蔵持不三也訳 白水社
「野球はなぜ人を夢中にさせるのか」 佐山和夫著 河出書房新社
「オフサイドはなぜ反則か」 中村敏雄著 平凡社
「スポーツの風土」 中村敏雄著 大修館書店
「メジャーリーグを100年分楽しむ」 佐山和夫著 河出書房新社
「野球から見たアメリカ」 佐山和夫著 丸善ライブラリー
「ベースボールと日本野球」 佐山和夫著 中公新書

おしまい