<いい加減な>用語解説



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年 代

この物語は、15世紀半ばの物語です。



クズラル=アガ(宦官長)

オスマントルコ帝国のハレム(後宮)では、黒人の宦官がその長を努めていたそうです。
ただ、この時代はまだ初期なので、もしかしたら白人の宦官がされていたかも知れません。
クズラル=アガは「娘達の長」という意味です。

1章で彼に対するイレーネの蔑視的発言がありましたが、黒人を見慣れていない彼女の恐怖心と、嫌悪感から来るものです。
当時のヨーロッパの人は、異人種に対する嫌悪感が強かったものと解釈したので。

作者としては、彼ほどの現金な性格だと、逆に憎めないですね。(笑)
これほど露骨では、かえって出世しづらいのではと思いますが、現代でも得てしてこういう方が偉くなるようですね。



スルタン(皇帝)

オスマントルコ帝国7代スルタン・メフメトU世のことです。
彼は、父ムラトU世から12歳で帝位を譲られスルタンになりましたが、父の側近の助言で2年後に帝位を剥奪されました。
そして、父の死後、彼の幼い弟を帝位にと押す、父の側近達の切っ先を制するために、弟を殺害するという経緯があります。

父の側近達の受けが悪かったのは、彼があまりに野心家だったためではないかとも言われています。
賢く、誘導尋問が上手く、嘘つきで、激情家であったらしいです。(笑)
でも彼は、オスマン帝国で最上級のスルタンだったと私は思います。
ただの良い人は、一国の元首としては、害にさえなりますので。

ただ、彼の性格ですと、ちょっと小説にしにくかったので、どちらかというと10代スルタン・スレイマンT世に近い性格設定にしました。
彼は信仰心が厚く、正義感も強く、ヨーロッパからも受けが良く『壮麗王』と呼ばれていました。
でも、私はちょっと……スルタンとしてはイマイチ好きになりきれないのですが。



イレーネ

8章の壁紙で使用した場所が『ファティーフモスク』という、スルタン・メフメトU世の墓があるイスラム寺院です。
そして彼の棺の隣に安置されている謎の棺の主が、イレーネのものではないかと言われているそうです。

彼女については、この物語を書くにあたって色々調べましたが、当時は原作のページに書いて有る以外の事は、何も分かりませんでした。
そこで、他の事は、勝手にでっち上げる事にしました。
彼女をベネツィア人にしたのは、塩野七海さんの本を何冊か読んで、多少、ベネツィアに関する知識があったので。
あくまで「多少」ですが。

後に何かの本で、
「彼女はフランス人で、コンスタンチノス11世に嫁入りに来たのを、メフメトU世に捕まった」
と読んだ気がします。(資料をひっくり返しているのですが、その記述がある本が見つからなくて……)
ははは………(笑ってごまかす)

彼女の家が襲撃に遭わず、父の選んだ殿方と結婚していたら、彼女にとってはきっと、退屈な人生を送ったのでしょうね。
こういう気の強い女の子は、書いていて楽しいです。(笑)



オスマン=トルコ

当時、勢力を拡大しつつあった、オスマン=トルコ帝国のことです。
14世紀初頭から台頭し、東ローマ帝国の領土を次々と侵略して勢力を拡大していきましたが、4代スルタン・バヤズィットT世の時代に、チムールに破れ、スルタンが虜囚になるという憂き目を見ました。

その際は、滅亡の危機を迎えましたが、その後2代のスルタン(メフメトU世の祖父と父)が精力的に再建に当たり、バラバラになりかけた帝国を再統一しました。
再び拡大期に入ったのは、メフメトU世の時代からです。

イレーネは、トルコ人のことを『野蛮人』と呼んでいますが、実際のところはヨーロッパと比較してどちらが野蛮かは難しいところです。
当時は、イスラム圏(アラブ、ペルシャ)の方がヨーロッパより文明が発達していましたので。
ただ、トルコの場合は新興国なので、難しいですね。
どちらにしても、大好きなトルコ人のことを『野蛮人』なんて書きたくなかったです。(涙)



コンスタンチノープル

イスタンブールの事です。
ここは、1453年、オスマン帝国に陥落させられる前まで東ローマ帝国の首都でした。
当時の名前が『コンスタンチノープル』で、スルタンメフメトU世がここを征服するまでこう呼ばれていました。
彼がここを征服した後も、オスマン宮廷でも『コンスタンチノープル』と呼ばれていたという話もあり、正式に『イスタンブール』になったのは、たぶんトルコ共和国が出来てからではないでしょうか?
ここでは、イレーネがヨーロッパの人間ということもあり、統一して『コンスタンチノープル』と呼ばせる事にしました。



(ついでに)コンスタンチノープルの陥落

メフメトU世により征服されたことは、前出しました。
彼はここを征服する際に、再三の降伏勧告をしましたが、コンスタンチノープル側は
「やだね、あっっかんべー」
の態度をとり、徹底的に抵抗しました。
(まぁ、降伏勧告に素直に従うというのも、それはそれで情けないですが)

彼はここを攻めるにあたり、この街に深く入り込んでいる入り江(金閣湾)に船を入れそこから攻撃することを考えました。
しかし、入り江の入口は太い鉄鎖で塞がれ、進入を拒まれます。

そこで彼が考えた奇策は、船を近くの海岸から上陸させ、馬や水牛を使って山越えさせ、入口ではないところから、入り江に運ばせることでした。(「艦隊の山越え」は彼に関する有名なエピソードです)
でも実際、この街の陥落は、彼が戦闘に取り入れた、巨大大砲による城壁の崩落のためと言われています。
船の件は、敵に心理的ショックを与えるという面では、大いに役立ったそうですが。

夜が明けて気付いたら、信じられない所に敵の艦隊が居たら、萎えますよね、普通。



宮 殿

ここで言う宮殿とは、後に『エスキサライ(古い宮殿)』と呼ばれた、スルタン・メフメトU世が、コンスタンチノープルを占領後、すぐに建てたという木造の宮殿です。
現在ののイスタンブール大学が有る土地に、建てられていたと言われています。

資料がなかったので、トプカプサライのハレムを参考に描いてみました。
この『トプカプサライ(大砲の門の宮殿)』、トルコで一番有名な宮殿です。
これは、スルタン・メフメトU世が1560年に着工し、その後様々なスルタンにより建て増しを繰り返し、現在に至っています。
ラストシーンでの舞台は、この『トプカプサライ』です。


イエス

キリスト教で言う、イエス=キリストですね。
キリストというのは、『救世主』という意味だそうなので、イスラム教徒はキリストとは呼びません。
イスラム教における彼は、モーゼと並んで預言者の一人と位置づけられています。
「モーサー(モーゼ)もイーサー(イエス)も預言者だが、神の教えを間違えて伝えてしまった。それを最後の預言者ムハンマド(マホメット)が、正確に神の教えを受け『クルアーン(コーラン)』に書き記した」
これがイスラム教の考えです。(本の受け売りですが)



カラ=エルマス

作者の創作キャラです。
彼女の容貌から、どこか東の小国の王族か貴族の娘でしょう。
(って書いた本人の台詞かい!?)
彼女も、作者好みですね。



海 賊

当時、海運国ならたいてい何処の国でもやっていました。
海軍イコール海賊、のようなものです。
イスラム教国vsキリスト教国のみならず、キリスト教国同士でも、仲の悪い国の船を見つけたら、即、臨戦態勢という具合だったそうです。

当時のオスマン帝国は、まだまだ陸軍国で、海戦は不得意だったようです。
この100年後には、立派な海賊(もとい)海軍を持つ、一流の海運国となります。



モスク(イスラム寺院)

7章の壁紙がモスクの外観です。
モスク本体の周りに建っている鉛筆のお化けのような塔は、「ミナレット」と言います。
昔は、1日5回のお祈りの前に僧侶がここに登り、声を張り上げてお祈りへの呼びかけをしたそうです。
この呼びかけは、「エザーン」(または「アザーン」)と呼ばれています。
今では、このミナレットにスピーカーがセットされており、時間になると大音響の「エザーン」が流れます。
庶民のモスクは普通ミナレットは1本のみですが、格が高いモスクになるとミナレットの数が増えていきます。

関係有りませんが、イスラム圏へ旅行される際は、モスクのすぐそばにある宿は、危険ですので避けましょう。
夏期などは、朝の5時前に大音響でたたき起こされる羽目になります。



十字軍

ここでスルタンが言う十字軍とは、第4次十字軍(1202〜1204年)のことです。

当時のヨーロッパ社会は、あまり仲が良くなかったようです。
共同で何かをしようとすると、必ずすったもんだが起こります。
この十字軍でも資金面でかなり揉めたそうです。
結局、この十字軍は、資金面でのパトロンとなったヴェネツィア共和国の、利害のために動くことになります。
ベネツィアの元首、エンリコ=ダンドロのそそのかしにより、この十字軍は聖地には向かわず、東ローマ帝国のお家騒動に乗じて、コンスタンチノープルを攻め、略奪し、そこに「ラテン帝国」を建ててしまいます。
(この「ラテン帝国」も長くは続かなかったのですが)
十字軍が、キリスト教国を襲ってどうする? と思うのですがね。



略 奪

街を攻め落とした場合、兵士達はそこでの略奪を3日間だけ許されていたそうです。
これは、イスラム法に有るのではないかと思います。
(元の文を書いた際に調べたはずなので。ただし、今は許されていないと思いますよ)
このときに得た物は、自分の物とすることが出来るので、兵士達の志気を高めるには大きな効果があったでしょう。
では、キリスト教徒は略奪はしなかったかというと……それもあり得ないですね。
どちらがより残虐に行ったかというのは、時代や元首にもよると思いますが。

この他に、海賊による略奪は色々な国でされていたようです。
このとき捕らえられた人間は、身代金と引き替えに解放されることもありますが、奴隷として売られていったり、ガレー船の漕ぎ手として一生働かされたり、様々だったようです。




戦 争

盛んに行われていました。
その国の元首の実力により、領土を取ったり取られたり。
この時代に限ったことではないですが。
隣国をある程度叩いておかないと、力を付けられ、逆に攻め込まれたり、色々難しい問題があったようです。

メフメトU世の場合は、好きでやっていたような気がしますが。
何せ「ファティーヒ(征服者)」ですから。
彼は、戦略の才能もあったのでしょう。

この時代では、領土は広げられるうちにどんどん広げる、これが常識だったようです。
平和主義などと言っても、軍事力がなければ話になりませんし、国を広げておかないと、次の代の元首がバカだったら、あっという間に国が無くなってしまいますから。



参考図書

『ハーレム』 アレヴ・リトル・クルーテイエ著  河内書房出版

『コンスタンティノープルの陥落』 塩野七海著 新潮文庫

『海の都の物語』 塩野七海著 中公文庫

『ロードス島攻防記』 塩野七海著 新潮文庫

『イスラーム生誕』 井筒俊彦著 中公文庫

『イスラム思想』 加賀谷寛著 大阪書籍

『カトリック入門』 要理編纂専門委員会編 中央出版社

『メフメト二世』 アンドレ・クロー著 法政大学出版局

隠れ参考図書 『ファラオの墓』 竹宮恵子著

これらの作者の方から、
「本当に読んだのか?」
と問われそうな小説になっているかも知れませんが。

読みました。
何年前に読んだのかは、忘れましたが……
ついでに、内容が頭に入っているとも言いがたいです。
でも、参考にさせて戴いたのは確かですので、ここに明記しておきます。