中小屋駅にて

平成21年(2009) 5月17日 「よしお」 と 「ただし」 は、山菜採りの途中故郷である旧国鉄札沼線(現JR学園都市線)の「中小屋」で 落ち合い、二人が高校通学に利用した、今は無き「駅跡」を訪れ往時を偲んだ。

通学当時(昭和29〜32年)の 国鉄(日本国有鉄道)はまだ蒸気機関車で、浦臼発札幌行きの列車の、「中小屋」での乗車時刻は夏冬共6時3分だった事や、また駅前には日本通運の支店があり、春の繁忙期には貨車からの肥料の荷下ろし、秋には米俵(72kg)を担いで歩み板の上を揺れながら貨車への積み込み等、のアルバイトをした事を懐かしんだ。



因みに 「中小屋」 「本中小屋」 の地名はどちらも明治時代に現在の樺戸郡月形町に設置された
「樺戸集置監」の受刑者を使って道路を開いた時に受刑者を収容する小屋を設けた地名に由来しています。

また鉄道 「札沼線」(現JR学園都市線) の生い立ちは1931年(昭和6年) 「札沼北線」 として石狩沼田〜中徳富(現新十津川)間開業、  1934年(昭和9年)浦臼迄延伸開業、

一方 「札沼南線」 として1934年(昭和9年)桑園〜石狩当別間開業、 1935年(昭和10年)石狩当別〜浦臼間開業により、全通した。

また 「札沼線」 の名称は札幌駅と終点の留萌本線石狩沼田駅から一文字ずつ取ったものである。

その後太平洋戦争が激しくなるにつれ不要不急線として、1943年(昭和18年)から1944年(昭和19年)にかけて石狩当別 〜 石狩沼田間が休止されレールは撤去された。

戦後は1946年(昭和21年)に石狩当別 〜 浦臼間が復活したのに続いて1956年(昭和31年)までに全線が復活したが、営業成績は振るわなかった。

1968年(昭和43年)には「国鉄の赤字83線」に廃止すべき路線としてその名をあげられ、その取組みの中で新十津川 〜 石狩沼田間が1972年(昭和47年)に廃止された。

この時点で 「札沼線」 という路線名が意味をなさなくなり、沿線に北海道教育大学札幌校や北海道医療大学など、学校が数多くあることから、1991年3月16日から 「学園都市線(がくえんとしせん)」 という愛称が付けられ改称された。

蛇足として 「札沼線が全通の頃は」 桑園、石狩当別、浦臼、石狩沼田、深川、岩見沢を経由し  「札幌発→札幌行き」 なる乗車券の購入が可能で、その乗車体験のエッセイが、朝倉賢著、 「札幌発札幌行き」 と題し 「北海道新聞社」 より昭和63年に刊行された冊子がある。

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