オルホン谷の文化的景観

オルホン渓谷の文化的景観は2004年に登録された。広さは121,967ha
ウブルハンガイ県とアルハンガイ県にまたがるオルホン河一帯の史跡群である





モンゴル最古のチベット仏教寺院。四角く仏塔の城壁に囲まれている



(下)城壁のなかには寺院、仏舎利などがあり、ラブラン寺では僧侶がお経を運んでいた



(下)周囲には亀石が点在する
(下)かつての首都、カラコルム遺跡の発掘現場。盛り上がっているのはオゴタイハーンの宮殿跡と思われる

 モンゴル高原には歴史の遺産、狩猟生活を描いた岩壁画や人の顔を描いた石人、高いもので4メートルはある
墓石のような石に円や帯状の文様を刻んだ鹿石が点在している。

しかし、そういった遺跡はまとまっているわけではなく草原に点在していて、行って見つけるのも容易ではない。

 時代は旧石器時代から青銅器時代、鉄器時代のものや突厥時代、ウイグル時代、モンゴル時代と
さまざまな時代の遺跡があり歴史を少し知らないと、城郭跡なども見過ごしてしまうかもしれない。

また、バルバルといわれる石の列も長いものでは数キロにも及ぶという。こういった遺跡が点在している
ことから、草原を車で走っていると奇々怪々な石積に出会う。









2007年に遺跡を近郊の博物館に移設し、レプリカが本来のところに建てられた。
上の写真はそのレプリカである。右側の欠落した部分の補修、碑文の鮮明さでわかる


ホショー・ツァイダム遺跡 キョル・デギン碑文
キョル・デギン碑文には漢文と突厥文字によって、みずからの歴史が刻まれているが、興味深いのは

「甘い言葉や、柔らかい絹にまどわされることなく、この地で遊牧をつづけよ」

という子孫への遺言が、漢文(写真 下)にはつづられず、突厥文字の面(写真 上)のみに刻まれていることだ。





カラ・バルガスン遺跡(オルドゥ・バリク城址)には行けなかった・・・

ということでモンゴルの 写真家L.Ganzorig氏 から貸していただきました。(上)宮殿跡の土塁とされる。
(下)周囲は城壁で囲まれている

 かつてユーラシアでは遊牧国家がいくつも現れていた。
紀元前7世紀にはスキタイが興り、その後も中国史など
によると鮮卑、柔然、契丹など遊牧国家が誕生した。
552年、チュルク(トルコ)系の遊牧国家である突厥に
よって西は中央アジア一帯、
東は沿海州にいたる大帝国が誕生する。

しかし、6世紀末には内乱が興り東西に分裂してしまい、
やがて7世紀中頃、唐に滅ぼされてしまうが、
682年独立をはたし、第2突厥時代を向かえる。


 第3代目のビルデ・カガン王の時代に最盛期を
向かえるが王の死後、 744年ウイグルが興る。
こうしてウイグル時代になるが抗争はつづき、
840年には北のキルギスによって滅びてしまい以後、
約4世紀にわたり統一国家の時代はなかった。

(左)カラ・バルガスン遺跡の障壁の空撮。近郊の資料館より
(上)オルホン谷の文化的遺跡群(文化遺産) ハル・ブフ遺跡

(下左)トッフン僧院。1654年に建てられた仏教寺院(下右)オルホンの滝
 1206年に抗争のつづく、遊牧民諸部族を統一したのがチンギス・ハーンで、中国、アジアから東ヨーロッパまでを支配する
大帝国となった。モンゴル帝国時代の首都として知られるカラコルム遺跡の北東60キロのところに、ホショー・ツァイダムと
よばれる遺跡がある。

ここには再興した第2突厥時代の3代目のビルデ・カガン王と弟のキョル・デギンのオルホン碑文という碑石がある。
また、碑にはバルバルといわれる石柱の列がつづき、石人などが存在している。
(キョル・デギン碑はレプリカがウランバートルの歴史民族博物館と大阪の国立民族学博物館にある。)

 ビルゲ・カガンの死後、ウイグル帝国が興り遊牧国家として最初の城郭を建設した。その都市跡がカラ・バルガスン遺跡
やオルトゥ・バリク遺跡として存在する。
 そして、モンゴル時代の1760年に建てられた寺で医療院も兼ねたといわれるツゥブゲン僧院などが登録の対象となった。




 いずれもくわしい調査がされていないものも多く、社会主義時代には多くの文化財が破壊され、
現在、各所で修復作業が行われているというのが現状である。