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― ツアガーンイデー/白い食べもの ―
遊牧民・・・家畜の草を求めて移動をつづけながら生活する。遊牧文化のもっとも大切なものは搾乳と去勢 だといわれるそうだ。太古、野生のヤギやヒツジを、またウマやラクダなども捕らえ、オスを去勢することで ”むれ”をつくることができたという
もうひとつは搾乳である。それら家畜にした動物から乳を搾りさまざまに加工することで農耕をしない”民”の ビタミン源となる・・・なるほど、そういったことだったのだ。乳酸菌など微生物がささえる草原のくらしである
モンゴルでは乳製品は60種類ちかくあるといわれる。日本の約4倍の広さのモンゴルであるし さらにモンゴル文化圏全体だと、名称のちがいや、製造工程のちがいもあるだろう。ここに記述するものは わたしが取材で見て、記録たものです。ご理解いただきたい。また、ご意見があれば メールをいただければ と思います 乳製品は日本でいう漬物、味噌や醤油のようだと感じる。漬物でいうと本格的に大根を干して糠で漬け込 んで沢庵をつくるか、キュウリを塩でころがした浅漬けも、どちらもお新香でつうじる。モンゴルでも困った のは一般のモンゴル人でも「アーロール」としてすすめてくれても、いただいたのは「ハスタンビャスラグ」 だったりする・・・
ミルクはモンゴルの五畜である、ウシ、ウマ、ラクダ、ヒツジ、ヤギのそれぞれから絞るが、ウマとラクダは 馬乳酒といわれるアイラグとなり、これからの乳製品はウシ、ヒツジ、ヤギのミルクでつくられる
上の写真は中国、内モンゴル自治区のオルドス。定住化した牧民の搾乳である ●カルピス これはもちろん日本の食品会社である。ここに記載するのはそのルーツにある。教師であった三島雲海は 1902(明治35)年、25歳で北京に渡る ここで事業を興すが1915(大正4)年の辛亥革命で清が倒れたことで38歳で帰国する。滞在していた 1908(明治41)年に雲海は内モンゴルの克什克騰(ケシクテン)旗 (旗−ホショーは清朝時代にモンゴル族 組織行政区)の王侯の鮑氏宅に滞在した ここで酸っぱい牛乳や、酸っぱいクリームをたくさんいただいたそうだ。 雲海は乳酸菌でできる”酸乳” に着目した。遊牧民の攪拌する瓶に入った乳は胃腸を整え、健康にもいいということだ 帰国した雲海は内モンゴルで得た経験からサワークリーム、モンゴルでいうジョッヘをつくる それが「醍醐味」である。そのときできる脱脂乳をどうするかが問題だった。そしてその活用方法として 乳酸菌と酵母で発酵させてできたのが乳酸飲料「カルピス」である。そこにモンゴルをルーツとした乳製品 が生まれたのである。これは 「カルピスの社史」にもでている
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