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History - ベネチアンビーズ
■ベネチアンガラスとビーズの歴史
ベネツィア島に人が住みはじめたのは5〜6世紀頃から。
イタリアが部族同士の争いで騒乱状態にあったため、アドリア海沿岸の町アルティーノから非難してきた人たちが移り住んだことに始まります。
ベネツィアと聞いて浮かぶのは、「ベネツィアンガラス」とシェイクスピアの戯曲『ベニスの商人』などなど。
漁業や製塩業を営む程度の資源しかなかったため、外国から品物を買い入れて本土イタリアや諸外国へ売る貿易商が盛んになりました。
一方、ガラス産業の始まりは1000年頃と考えられています(ガラス職人の名が記録されている最古の古文書は982年)。
12〜14世紀にかけてベネツィア共和国が政治的・経済的に発展すると同時にガラス産業も発展し、輸出品として国家財政の重要な供給源となります。
そして15〜16世紀初めにルネサンス期後半にその最盛期を迎えます。
その背景にはイスラム圏の技術であるエナメル彩色の技法を取り入れたことで、高級なガラス器が作られるようになったことが影響しています。
またシャンデリアや鏡がヨーロッパの貴族を魅了し、この島に最大の利益をもたらしました。
ガラス職人がムラノ(Murano)島へ強制移住させらたのは1291年。
この発令は、ガラス製造技術が国外へ流れるのを防ぐことが最大の目的でした。
また当時のベネツィア本島には木造建築が多かったため、ガラス工房からの火災で街が崩壊する危険を防ぐためでもあったそうです。
ムラノ島でのガラス職人の待遇は貴族並みの恵まれたものでした。
しかし、島からの出ることは一切許されず厳しい監視下での生活でした。
島から逃げ出そうとしたものには、死刑も課せられました。
それでも島から出ようとする人は後を絶たず、その背景には諸外国の貴族などからの引き抜きがあったからです。
こうして逃亡した人たちにより、ベネツィアの技術がヨーロッパ中に広まります。
ボヘミアンガラスで有名なチェコ、ドイツ、オランダなどでもガラス産業が盛んになり始めます。
17世紀末〜18世紀初めになると流出したベネツィアの技法は模倣され、ボヘミアやイギリスのガラスがヨーロッパ市場で人気を集めるようになります。
これらの国で作られるガラスとベネツィアンガラスの違いはその透明感と輝き。
現代のクリスタルガラス(例えばスワロフスキーのクリスタル)製造と同様の技術が使われるようになったからです。
(高濃度の鉛をいれることで透明感のある輝きをもつガラスが製造されます。これは紀元前から使われていた技術ですが、しばらくの間忘れられていました。これが1674年イギリス人によって再発見され人気を博しました。)
こうしてガラス市場は、ベネツィアの独占ではなくなってしまいました。
さらに18世紀後半になるとベネツィア共和国の崩壊(1797年)、ガラス職人組合の解体(1806年)などによりベネツィアのガラス産業はすっかり衰退してしまいます。
ベネツィアンガラスが再び盛り上がるきっかけとなったのは、19世紀後半に起こった近代ムラノガラス復興運動。
現在ムラノ島にあるガラス美術館は、復興運動の指導者ヴィンチュンツォ・ザネッティの発案によって1861年に創設されました。
現在、周囲4kmほどの小さなこの島には、およそ100軒のガラス工房や工場があるそうです。
ベネツィアンガラス製造の主流は、紀元前30年ごろに古代ローマで発見された「吹きガラス工法」。
(ミルフィオリの技法も古代ローマ時代からあったそうです。)
ベネツィアでのガラス製造技術は、諸外国からの影響を受けて以下のように多様化していきます。
○無色透明ガラス
○エナメル点彩文様ガラス
○ダイヤモンド・ポイントで線彫り装飾したガラス
○乳白色ガラス器(磁器を真似たもの)
○ミルフィオリグラス(カットしたガラス棒を並べて万華模様にしたもの)
○マーブルグラス(マーブル文様)
○アイス・クラック・グラス(ひび割れのはいったガラス)
○レースグラス(透明ガラスに細い乳白色のガラスで線文様を埋め込んだもの)
これらの技法のうちで後世まで国外への流出を防げた技術が、レースグラスとミルフィオリグラス。
(ベネチアンガラスのお店ラザンゼさんで現代風にアレンジされているガラス細工があれこれ見られます。)
これらは、現在でもベネツィアングラスを代表する手法となっています。
ムラノ島のビーズ工場 Tagliapietra Rino Glass Factory のサイトに制作工程の写真がありますのでよかったら覗いて見てください。
このザンフィリコといわれる手法でビーズを作ると、このような感じに・・・。
レースグラスを混ぜた感じかわいらしいですよね。
こちらはミルフィオリの手法で作ったビーズ。
シードビーズやシェブロンビーズ(Chevron beads:とんぼ玉)が作られるようになったのは14世紀初めから。
これらはヨーロッパ、アフリカ、北米だけでなく、インドビーズから供給されていた東南アジア諸国にも輸出されました。
とくにアフリカとの交易は重要で、金・象牙・ヤシ油・奴隷などと交換されました。
ビーズ作りには、最初は「ガラス棒を芯に巻きつける手法」が使われていましたが、15世紀になると「空中で溶かしたガラス棒を引っ張る手法」に変わります。
これにより、生産量やサイズが豊富になります。当時のビーズの種類は10万種にものぼったそうです。
19世紀初めの機械導入は、さらなる生産量の拡大と超マイクロビーズ(直径が1mm以下)やきれいな丸い形のビーズの生産を可能にします。(この超マイクロビーズの生産は糸が通らないために、まもなく流通から消えたそうです。)
[参考文献]
『ガラス大百科 −all about glass 』 新集社 1993
由水 常雄 『ガラスの道 −形と技術の交渉史』 徳間書店 1973
ジョーゼフ・B・ランバート、中島健 訳『遺物は語る−化学が解く古代の謎』 青土社 1999
Lois sherr dubin (2004) "The history of beads" Harry N.Abrams,Inc
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