彩華の誕生の記録です。二人目でも一人目と同じように感動が、その誕生の喜びが色褪 せない為に。
台湾での出産、2回目となると気持ちも楽ですと思ってのですが、これが大変.....



2006年8月16日 午後3時30分我々の二人目の子供、美月がオネーチャンとしてこれからその生涯を通して付き合う妹が誕生しました。身長49cm、体重3500g、これが彩華です

8月14日。胎児の位置が下がっているけど、予兆が無い。不安なまま時間をすごしたくないので、ママを病院へ行かせ検査。結果は子宮口が開いている(1cm)でも陣痛の気配無し。一まず生まれてくる兆候の有ることに一通りの安堵。「これで徐々に陣痛が強くなれば」と美月の時のような安産さと二人とも思ったいたのが大間違い。これから大変な3日間のプロローグとは誰が予想したのでしょうか?

8月15日日中、待てど暮らせど陣痛が来ない。いやあったのかも知れないがものすごく軽微で感じない。夜も、昼も。我々の当初の期待の出産日もあっさり何事も無く過ぎていきました。検査からの時間がものすごく長く感じました。

8月15日23時頃 外出してしまっている私のところにママから電話。美月を寝かしている時30分に一度の陣痛らしきものがあると。取り急ぎ家に帰り、荷物を持って美月も一緒に病院へ。いつもの如くベルトをつけ、陣痛の進行状況をモニター。パパと美月は何もできないので、用意された部屋で寝ています。そのまま8月15日は顕著な進行もなく時間が過ぎて行きました。夜明けとなりました。8月16日、美月を幼稚園に送らなくてはとママを病院へ残し一旦家に帰りました。美月を幼稚園に送り出すときには、「幼稚園終わって病院に戻ったら、妹が生まれているよ」なんて話しかけたけど、美月にはこの時、その言葉の意味がなんだか分からなかったでしょうね。

15日の夜の検診でもそうだったけど、病院ではだいたい何時ごろ生まれるって時間を言う。どうも病院では出産時間のコントロールをする為に陣痛促進の薬を打っているようです。(この認識が正しいかは未だに不明)パパは午前中は依然として会社です。午後になって病院にいっても、顕著に陣痛が進んでいる気配は見えませんでした。

それでも、ママの痛みが時々やってくる。時間を追うごとに少しづづ陣痛は進行している様でした。

2時ちょっと前ですかね、分娩室へ移動。準備開始。パパは何もできないので病室でスタンバイ。3時過ぎぐらいから慌しくなりはじめ。いきみをしながら出産へ進んでいきました。痛みとともにいきんでもなかなか出てこない。ママの体力の限界か?ちょっと心配でしたね。美月の時にはいきみもきちんとできたのですが、今回はいきむときに口を空けてしまい力が抜けていく感じでした。先生が言うのです「口を閉じて〜〜」。それでもママは夢中ですよね、パパがもう一度言うと、我に返り口を閉じていきむのでした。

余談ですがこの日日本はお盆休み。仕事のトラブルに遭遇中。陣痛で唸るママの隣で携帯電話が鳴る。電話先の相手に陣痛の声がと思い、何度か分娩室を後にしました。電話中に生まれたらどうしようと思いながらでしたね。ママもきっと面白くなかったでしょうね、陣痛でいきんでいるのに脇で仕事の電話をしているし。

話しは飛んで出産の時へ。簡単に書いてしまいましたが、大変でした。病院に到着後14時間ぐらいですか。ママ、お疲れ様でした。午後3時30分、無事誕生。今回はすぐ泣き出しました。ひと安心。カンガルーケアをして、体を綺麗にしてもらっています。ママはその後の脱力で動けません。

程なくして幼稚園の終わった美月が送られてきました。新生児室のガラス越しに見た彩華。美月はその小さな目でしっかり見ていました。

彩華、我々の二人目の子供の名前です。彩りあざやかに、華やかに。美月といつまでも仲良く、お互いを助け合いながら人生を楽しんで欲しいものです。美月も直ぐに彩華の名前を呼べるようになりました。「彩華〜〜」ってね。

陣痛が軽微で感じることが無かった。妊娠後期では腰の痛みを訴えていたので、早くその痛みから解放させてあげたかった。そんなイライラもつのった出産でした。偶然から台湾に派遣され、二人の子供に台湾で恵まれ。国際的な(?)子供に成長するように期待したいです。

ママはこれから美月と彩華が成長し、嫁ぐまで優しさも、厳しさも備えたママであり、良い相談相手として御願いします。パパは?そうですね二人が嫁ぐときに涙を流さないように十分に思いでを作っておきます。そして、いつまでも幸せに暮らしてもらえるように。

3人目の出産はないです。これからは日々の日記に我々の思い出がつづられことになります。