美月の誕生の記録です。誕生の喜びが色褪 せない為に。
台湾での出産でも大丈夫です。



2003年10月7日は私達夫婦にとって忘れない日となりました。妊娠から39週と2日間待ち望んだ私達の子供誕生です。

その日の夜19時頃から陣痛らしき痛みを感じ始めた妻と、陣痛の促進の為に日課として運動(と言っても散歩ですが)をしていた近所の中学校に行き、グランドを歩きながら陣痛の進み具合を確認しました。ほどほど歩いたところで、陣痛の間隔が10分程度に短くなり、家に戻り支度をする事としました。来るべき出産の為に、入浴を済ませ、入院中は食べることができないアイスクリームを食べ、陣痛の間隔を計り続けました。

10分間隔が、徐々に短くなり、時計の針が23時を指す頃には陣痛は5分間隔になりつつ有りました。あんまり早くに病院に行ってもまだ子供が出てくる状態で無いと家に返された人や、途中で陣痛がおさまり陣痛復活の為に病院の階段を昇り降りをさせられた人の話を聞いていたので、120%陣痛が5分間隔でくるのを待ってから出発しようと思ったのです。

後1時間ぐらいは大丈夫とのんびりしていたのですが、陣痛の間隔はリズム良く5分間隔となり、23時20分ごろ突然不安になり、荷物をまとめてタクシーに飛び乗り病院へ向かいました。外は大雨です。月は何処?

病院到着後、陣痛の状況をモニターする測定器を取り付け陣痛の間隔と、子供の誕生の準備が進むのを待ちました。始めの頃は妻も楽勝気分で笑っていたのです。入院手続きを済ませた頃には時計の針は0時を回っていたと思います。まだ楽勝モードの妻でした。陣痛のモニターはそれから1時間以上は続いていました。この時ばかりは男は何もできません。ただ、待合所にて待っているだけ。

おぉ??。陣痛の間隔が短くなり始めたのかな?。ちょっと御主人は席を外してと言われ、看護婦が何かを調べたみたいです。調べた所、「後1時間以内に出産ですよ」と言われても何をすれば良いの????「はい」と答えてみたけれど、妻はベッドの上で唸っている。「頑張って! もう少し。」

時計の針は午前1時30分頃。分娩室に妻は移動。イキミ始めた。そろそろか?と思いつつも待合所で待機。午前2時少し前に先生がやっと到着。出産の進み具合を調べているのかな?それにしてものんびりしている。台湾の出産事情はこんなものなのかとのんびりぶりにちょっと驚きを覚えました。

暫くして、看護婦から御主人も分娩室へと言うことで分娩室に入って10分足らずでした。数回のイキミの後美月の頭が出てきたのです。テレビで見ていたいものとちょっと、いやかなり違いました。台湾ではイキミに合わせて、お腹を押し、子供が出てくるのを助ける作業をするのです。痛いだろと思うのですが。

頭が見えた!後少し。頑張れ!

午前2時10分。体重3380g 身長51cm可愛い女の子の誕生です。感動の瞬間でした。

美月の出産後お父さんは用無しですので、すぐ出て下さいと言われて再び待ち合い室にて待機。美月を綺麗にして、看護婦が美月を保育室へ連れて行く時に、「はい、あなたの子です。覚えておいて!」と一瞬言われて保育室へ入って行ってしまった。しわしわの顔だったぐらいしか記憶に無い。写真をとっておけばよかった。その後出産の主治医も来て、おめでとうと握手を求められ、お礼をして握手をしたのです。(多分妻はそんなことがあったとは知らないと思いますが)

美月の産声からほどなくして、分娩後の処置を施された奥様は病室に搬送されてきました。夜中です。多分4時近く、私は眠かったので、ソファーで爆睡した様です。奥様は興奮していてその後も数日間はよく眠れなかかったと言ってました。

出産直後の美月は保育器で6時間を過ごす必要があり、我々と対面したのは朝の8時過ぎでした。可愛い子でした。小さくて。ここから育児のスタートです。出産から3日間は病室へ、その後坐月子と言う台湾ならではの「出産後体力回復センター」で10日間を過ごすことになります。


生まれる前、名前はどうしよう、何時生まれてほしい、男?女?将来は何にさせるとか、いろんな夢を話していました。妻は毎日お腹の中の美月に「スルット出ておいで」と語りかけていたのがよかったのでしょう、分娩は早かったです。出産に所用した時間は記録上、陣痛を感じた夜の7時頃からの記録でしたが、私としては今回の出産は陣痛が激しくなった0時頃からで、所用時間2時間30分の出産と思ってます。とても順調でよかったとつくづく思います。お腹の中で美月は妻の声を聞いていたのでしょ。多分私の声も。2003年はすべてが美月の為であったかの様です。社会ではSARSだとか暗い話題が続きましたが、最後に美月は私達の所に喜びを運んできてくれました。元気に育ってほしいと切に願います。