JMM連載 「レバノン〜揺れるモザイク社会」 より
第五次レバノン戦争特集記事
第31回(2006年8月24日配信)
戦争の風景9:不透明な先行き
封鎖の継続
停戦の雲行きがますます怪しくなってきた。
8月23日現在のレバノンの状況を記すと、陸海空におけるイスラエル軍の封鎖は
依然継続している。停戦発効後、素早く撤退を開始したイスラエル軍だが、ヒズボッ
ラーが武装解除しそうにないのを見て撤退を中断。国境地帯の9箇所に分散して占領
を続けている。23日未明には国境付近の村に侵入し住民二人を拉致した。越境攻撃
も、占領も続いているのである。なお23日には越境攻撃から戻る途中のイスラエル
軍戦車が自軍の埋めた地雷に触れて大破、乗員1名が死んだ他、地雷除去作業に従事
していたレバノン国軍兵士3名も爆死している。
開戦直後に滑走路を破壊されたベイルート国際空港では、今週になって商業便の運
航が再開された。しかしヒズボッラーへの武器密輸を警戒するイスラエルの要求で、
ベイルート行きの便も、ベイルート発の便も、すべてヨルダンのアンマン空港で1時
間程度の着陸を強いられるという変則的な運航体制になっている。レバノンの政治家
の中からは「アンマンでイスラエルのセキュリティ・チェックを受けるくらいなら空
港が閉鎖されたままの方がましだ(ホッス元首相)」と言った反発も起きている(た
だしセニオラ首相と国営中東航空は、アンマンでイスラエル当局がセキュリティ・
チェックをしている事実を否定している)。
海路も閉ざされている。燃料を積んだタンカーの接岸が認められないため、依然と
してガソリンなどの燃料不足は深刻で、停電問題も解消していない。こんな状況だか
ら、我が国はじめ各国も渡航禁止や自粛勧告を取り下げるわけにも行かない。空爆と
ミサイル攻撃の応酬こそ止んだものの、日常が戻ってきたという実感はなかなか得ら
れない。
空白状態継続か?
イスラエル側は、封鎖解除は安保理決議第1701号が定めるように、拡大UNI
FIL部隊が南部に展開し、南部国境地帯の非武装化が実現してから、という立場。
しかし前回報告したとおり、フランスが派兵を躊躇する中、増派部隊派遣の目途はま
だ立たない。フランスに替わり拡大UNIFIL部隊の指揮をとると期待されるイタ
リアは23日、特使をレバノンに派遣しセニオラ首相らと会談させた。しかしその前
日にダレーマ外相は「イスラエルが砲撃をやめない限り、派兵は出来ない」と語って
おり、23日の協議後にも派兵を確約しなかった。
つまり、
・ヒズボッラーはイスラエル軍による占領継続を口実に武装解除を拒む、
・フランスはヒズボッラーの武装継続を理由に派兵を拒む、
・イタリアはイスラエルの攻撃継続を理由に派兵をためらう、
・イスラエルはUNIFIL部隊が展開しないことを理由にレバノンの海陸空封鎖を
続ける。
と、四者四様に決議第1701号の履行を拒んでいるのである。四者を同時に満足
させ、決議を速やかに履行させるのは不可能に近い。
この状況を踏まえて、練達の国際外交官ロード・ラーセン国連事務総長特使(ヒズ
ボッラーの武装解除を求める決議第1559号の履行状況監視を担当する)は22
日、「これまでの状況を見るに、今後2〜3ヶ月は現在の(軍事力の)空白状況が続
くかもしれない。非常に危ない状況だ。意図しない行動が大規模な軍事衝突を誘発
し、収拾のつかない事態に陥るかもしれない」と、停戦崩壊・戦闘再発への懸念を表
明している。
確かに、現状ではリタニ川以南の狭い地域に、ヒズボッラー・ゲリラ、イスラエル
軍、レバノン国軍、UNIFIL部隊と四つの軍隊がひしめきあう。このうち強力な
イスラエル軍はアクティブに活動を続けており、ヒズボッラーは当面息を潜めている
が、いつ反撃に出るかわからない。レバノン国軍とUNIFIL部隊は弱体で、イス
ラエル軍もヒズボッラーも制止出来る軍事力を持たない。
こんな状態が何ヶ月も続けば、爆発しない方が不思議というものだ。
シリアの強硬姿勢
このように、それでなくとも複雑を極めるレバノン情勢をシリアが一層混迷させつ
つある。
23日のドバイ・テレビのインタビューで、アサド大統領は「UNIFIL部隊が
シリア・レバノン国境に展開するのはレバノンの主権侵害、シリアとレバノンを引き
離そうとする行為である。シリアはこれを敵対行為と見なす」と発言、決議第170
1号に真っ向から挑戦する態度を打ち出したのである。
決議第1701号は、シリアやイランによるヒズボッラーへの武器供与を食い止め
るため、レバノン政府にシリアとの国境地帯を監視するよう求めている。また拡大U
NIFIL部隊には、レバノン政府の要請に応じて密輸監視の任務を支援することも
求められる。アサドはそれを「シリアへの敵対行為」と言うのだ。
同日、ヘルシンキでフィンランド(EUの現在の議長国。EUによるUNIFIL
派兵問題のまとめ役になっている)外相と会談したシリアのムアッリム外相も、「U
NIFIL部隊がシリア・レバノン国境地帯に展開するならばシリアは国境封鎖も辞
さない」と恫喝した。イスラエルによる封鎖にあえぐレバノンにとって、シリアは外
界への唯一の出入り口だ。いまシリアに国境を封鎖されたらレバノンは完全な陸の孤
島と化し、その経済はとどめを刺されることになる。
シリアの意図はこれで明らかになった。
レバノンにおけるシリアの特殊な役割と立場を一切認めず、あくまでもシリアを排
除したままヒズボッラー問題を解決しようとする米国、イスラエル、それにレバノン
国内の反シリア勢力に対して、「そうはさせない。シリアを無視しては何も動かな
い」とアピールしているのだ。
停戦発効直後から、オルメルト政権内部ではペレツ国防相、リブニ外相、ディヒテ
ル公安相など有力閣僚が相次いで「シリアと和平交渉を再開するべき」と言う意見を
表明し始めた。アサドはその動きを見落とさず、「ここでもう一押しすれば、イスラ
エルはシリアとの対話を求めてくる」と判断、あえてここで決議第1701号の履行
を妨害する立場に出たのではなかろうか。
イラン核問題の影
アサドの読みは正しいかもしれない。
22日、イランは軽水炉の技術支援と引き換えに、ウラン濃縮実験の停止を求める
EU提案を婉曲に蹴り、前提条件無しの交渉を逆に提示した。これで米欧側は、イラ
ンの条件に沿って対話を継続するか、さもなくば経済制裁に踏み切るか、難しい選択
を強いられることになった。しかし、イランがIAEAの管理下に入ることを良しと
せず、独自の核開発を断念するつもりが毛頭無いことも、もはや明らか。米欧イスラ
エルはいずれイランの核の脅威と向き合わざるを得ない。
米国の先制攻撃を警戒するイランはいくつかの「保険」をかけている。核関連施設
を広大な国土の各地に分散させ、同時集中攻撃で壊滅するリスクを低くしていること
もそのひとつだ。
他にも、世界のエネルギー供給体制をひっくり返すホルムズ海峡封鎖というカード
もある。イランのミサイルの射程内にすっぽりおさまるイラク駐留米軍も、いざ開戦
となればそっくりそのままイランの人質だ。イラク国内のシーア派勢力、特にサドル
派は、開戦の折にはイランの側について戦うかもしれない。
そしてレバノンではヒズボッラーが、イスラエルに対して十分な脅威として機能す
ることが今度の戦争で立証された。原油価格の空前の高騰で、イランは資金的にも
潤っているはず。かつてヨルダンのアブダッラー国王が「シーア派三ヶ月地帯」と呼
んで警戒したイランの影響力増大は、今や誰の目にも明らかだ。
イランの脅威を少しでも軽減するためには、イスラエルはヒズボッラーの動きを抑
えねばならない。ヒズボッラーを抑えるためには、ゴラン高原と引き換えにシリアと
和を結び、シリアをイランから切り離すしかない。
第五次レバノン戦争で、軍事的にヒズボッラーの脅威の除去を果たせなかったイス
ラエルでは、そう考えるグループが声を上げつつある。しかしまだ主流にはなり得て
いない。アサドはそこを揺さぶろうとしているのである。
シリアの揺さぶりは果たして功を奏し、イスラエルと米国は対シリア政策を大転
換、シリアをイランから切り離そうとするのであろうか? それとも、従来どおりシ
リアを諸悪の根源として非交渉の立場を貫き、イラン=シリア=ヒズボッラーはます
ます一致団結して米国と対決することになるのであろうか?
UNIFIL増派交渉の難航に、さらにシリアの強硬姿勢やイランの核問題が複雑
に絡まり、レバノン停戦の行方はますます読みにくくなってきた。
第30回(2006年8月22日配信)
戦争の風景8:脆い停戦
婚礼と葬列
停戦が発効して一週間。
アル・ジャジーラやアル・アラビーヤなど、汎アラブ衛星放送も含めて、レバノン
のテレビ各局の番組編成は概ね通常の体制に戻ってきた。
戦時中はどこも24時間体制でニュース番組を休みなく流していた。「現在○×村
が空爆されています。犠牲者△名…」という速報記事のテロップが、パソコンのデス
クトップ画面のアイコンのように画面の下部に常に張り付いていた。歌謡番組や映画
など娯楽系の番組、コメディ・タッチあるいはエロチックなコマーシャルや、アルコ
ール飲料の宣伝はブラウン管からすっかり消えていた。
一週間が経過し、テレビの画面にはそういった日常的な番組やコマーシャルが戻っ
てきた。グルメ番組やワイドショー、メロドラマ、ファッションショーの類も復活し
た。
ブシャッレでは自粛ムードが一転して、夏のハイシーズンの終わりに駆け込み挙式
するカップルも目立つ。新婦の搭乗車(大抵黒のベンツ、ドアのノブの部分に白い
レースを飾るから一目でそれとわかる)を先頭に、クラクションをけたたましく鳴ら
しながら何十台もの車両が我が家の眼下の道路を通り過ぎていく。
昨日20日には妻の甥っ子が、幼児ふたりの洗礼式を来週にやるから出席してくれ
と連絡してきた。婚礼と洗礼式。どちらも、戦争のために先送りするしかなかった祝
い事である。
とは言え、全部のテレビ局が、戦争が終わった開放感に浸りきっているわけではな
い。
ハーラト・フレイクの本社ビルが直接攻撃に曝された後も、地下に潜って放映を続
けてきたヒズボッラーのアル・マナール・テレビは、むしろ次の戦争に向けて士気の
引き締めにかかっている。
同局のニュース番組の半分以上は、殉教(戦死)したヒズボッラー戦闘員と、民間
人犠牲者の葬儀の中継に割かれている。戦闘が終わって一週間も経ってから葬儀とは
奇異な感じを与えるかもしれないが、戦争中の混乱の中では、ほとんどの犠牲者はま
ともな葬儀をしてもらえず、とりあえず集団墓地に放り込まれた。だから、戦火が止
んだ今になって、遺体を掘り返し、棺におさめ、党旗にくるんで、党員が村や町の中
を整然と行進しながら「名誉の殉教者」として丁重に弔いなおすのである。
婚礼と葬列。戦争の終わりを祝い、日常を満喫しようとする人々と、戦闘で命を落
した人々の前で、戦闘の継続を誓う人々。
このふたつのグループの間に接点を見つけるのは難しい。イスラエルが無差別に攻
撃対象を拡大したことで、一時的に生まれた国民の間の連帯感も、戦火がおさまると
急速に萎み、ふたたび世論の深い亀裂が表面に浮かび上がりつつある。
戦争の命名
さて、ここまでこの戦争の名称を特定せずにレポートしてきたが、以前の紛争や今
後起きるであろう戦争と区別して分析するためにも、このあたりで名前をつけたい。
JMMと拙HPでは「第五次レバノン戦争」という名称を用いることにする。
イスラエル軍がレバノンに対して継続的に大規模な空爆を行い、あるいは地上軍を
侵攻させたことはこれまでに5回ある。イスラエル側がつけた名称では順に1978
年の「リタニ川作戦」、1982年の「ガリラヤ平和作戦」、1993年の「制裁作
戦」、1996年の「怒りの葡萄作戦」、そして今回の攻撃である。そこで、今度の
戦争を「第五次レバノン戦争」と名づけることにする。
「イスラエル・ヒズボッラー戦争」と言った方が正確なのであろうが長ったらしいの
で簡潔に「レバノン戦争」とする。複数のアラブ諸国を巻き込んだ戦争が「中東戦
争」なのであるのに対し、レバノンだけがイスラエルの攻撃を受けた戦争は「レバノ
ン戦争」、という分類だ。
ちなみにレバノンのメディアではLBCが「七月戦争」という名前をつけている。
しかし戦争の後半は8月に起きたからまぎらわしくなってしまった。なお、この命名
はLBCも戦争がまるまる一ヶ月続くことを勃発時点で予想できなかった結果であろ
う。
アル・ジャジーラは「第六次戦争」。1973年の第四次中東戦争に続き、198
2年のレバノン侵攻が第五次、今回が第六次という位置づけだろう。
イスラエルではハ・アレツやイディオト・アハロノットは「北方戦争」。全土を攻
撃されたレバノンから見れば「南方戦争」とは言えないが。
CNNは「レバノン紛争」。「紛争」のニュアンスは、主権国家同士が宣戦布告を
した上で正規軍同士が交戦する「戦争」に対して、非正規軍が主役となる戦い、とい
う感じであろうか。その意味では「紛争」の方が正確かもしれないが、交戦の規模や
期間の長さ、レバノン全土が攻撃を受けた事実を考えると、やはり「戦争」の方が相
応しい。
ベカー降下作戦
その「第五次レバノン戦争」は、果たしてこれで終わったのであろうか? 現在の
危うい停戦は維持されて、状況は安定していくのであろうか?
停戦の先行きを危うくする事件が19日に起きている。
イスラエル軍特殊部隊が、ベカー高原の真ん中に降下し、ヒズボッラー・ゲリラと
交戦したのである。
イスラエル軍機はこの作戦に先立ち、空軍機をベカー上空に侵入させ、8時間にわ
たりバアルベック周辺で旋回飛行を行っている。後に続く降下作戦の偵察か、陽動作
戦だったのであろう。
その後18日深夜(19日未明)に輸送用ヘリコプターがベカー高原西部のレバノ
ン山脈西麓に着陸、歴戦のエマヌエル・ラビノ大佐率いる20名程度の特殊部隊員が
降下してバアルベック西方のブダーイ村に向かった。隊員はレバノン国軍の制服を
着、レバノン国軍将校が用いる車両に分乗するなど、国軍兵士を偽装したらしい。
しかし、ヒズボッラーもさる者。陽動作戦が始まった後にこの地域を警備していた
ゲリラが既に待ち伏せの体制を整えていたと言うからさすがだ。特殊部隊の車両はゲ
リラの検問に引っかかり、パレスチナ訛りのアラビア語で「国軍兵士だ」と名乗った
が、あっさりと見破られ、たちまち銃撃戦となった。結局、ラビノ大佐は戦死、他に
も2名の負傷者を出したイスラエル軍は空軍機の護衛を受けてヘリコプターに収容さ
れ撤退した。レバノンの国軍筋はヒズボッラーにも3名の戦死者が出た、またイスラ
エル側はこの作戦でヒズボッラー兵士数名を拉致したと報じているが、ヒズボッラー
は否定している。
レバノン政府はもとより、国連もレバノン領内奥深くで行われたイスラエル軍の降
下作戦を「明らさまな停戦違反」と批判、ムッル国防相は「こんな攻撃が続くのであ
れば、現在進展しているレバノン国軍の南部展開を中断する」と警告した。
ムッルの言い分は、要するにイスラエル軍はヒズボッラーを挑発して、戦闘再開の
口実をつくろうとしているのではないか、ということである。そうなった場合、空軍
の庇護もなく、戦車部隊も持たず、あまつさえ決議第1701号で拡大増派されるは
ずのUNIFIL軍の支援も後述するように期待出来ない状況で、国軍兵士は圧倒的
なイスラエルの火力の前に皆殺しにされてしまうのではないか、と懸念しているのだ。
一方のイスラエル側は「ヒズボッラーは停戦決議に違反して依然、シリアから武器
を密輸しているので、それを阻止したまで。停戦違反をしたのはヒズボッラーの側
で、イスラエルの攻撃は自衛行動だ」と涼しい顔をしている。
しかし、この弁明には説得力が乏しい。そもそも、ブダーイはバアルベックより西
方、つまりシリア国境からはバアルベックよりも遠い場所にある。武器密輸の阻止で
あればレバノン・シリア国境付近を狙うはずだ。ブダーイ周辺に拉致されたイスラエ
ル軍兵士が監禁されているのでは、という観測もあるが、これも憶測の域を出ない。
一方、ブダーイはヒズボッラーの最高議決機関シューラ委員会の重鎮で、ヒズボッ
ラー創設メンバーのムハンマド・ヤズベク師の出身地で、同師の事務所もある。また
イスラエル軍は8月2日にもヤズベク拉致を狙ってバアルベックの病院襲撃作戦を行
っているし、停戦後もオルメルト首相はクネセットで「今後もヒズボッラー幹部の追
跡は止めない」と断言している。さらに、停戦後も依然としてナスラッラー議長以下
ヒズボッラーの首脳は概ね地下に潜伏しているのに対し、ヤズベクだけは18日、ゲ
リラの葬儀に参列して、演説を行っている。
こう言った事実を並べてみると、19日のイスラエル軍降下作戦の真の狙いはヤズ
ベクの暗殺か拉致にあったとみるべきではなかろうか。
難航する派兵交渉
いつ崩壊してもおかしくない危なっかしい停戦を維持するためには強力なUNIF
IL部隊の南部展開が不可欠であるが、拡大UNIFILの中核を担うと期待されて
いたフランスが躊躇しているため、増派部隊編成交渉は難航している。
レバノンの旧宗主国であり、2005年にレバノンからシリアを追い出す上で米国
以上に大きな役割を果たしたフランスは、今度の戦争でも米国と張り合い、一貫して
即時停戦のために尽力するなど、レバノンの庇護者として振る舞った。その中で、自
国軍の派遣方針を打ち出さざるを得なかったのであろうが、本音はどうであろうか。
フランスは1982年のイスラエル軍レバノン侵攻(「ガリラヤ平和作戦」)とP
LOのベイルート退去後、米、伊両国とともに多国籍軍に海兵隊を派遣し、レバノン
の平和維持にあたった実績がある。しかしこの時は米国・イスラエル寄りのジュマイ
エル政権(当時)と、シリアの支援を受けたPSPやイスーラム聖戦(当時の名称。
現在のヒズボッラーの前身と考えられている。なおパレスチナのイスラーム聖戦とは
無関係)の内戦に巻き込まれ、イスラーム聖戦が敢行した自爆攻撃で兵員58名を殺
害され、なす術も無く撤退に追い込まれた。
こんな歴史があるから、ヒズボッラーが武装を拒否するレバノン南部に兵員を送る
ことを躊躇するのも無理はない。
これまでのところ、千名単位の派兵意志を表明している国はいくつかあるが、その
うちインドネシアとマレーシアについては、イスラエルを承認さえしていないためイ
スラエルのボイコットにあっている。またイスラエル、レバノン両国と良好な関係に
あるトルコの場合、レバノン国内のアルメニア人勢力が断固拒絶の立場を示す(アル
メニア系レバノン人は、第一次世界大戦中にトルコで起きたアルメニア人虐殺事件の
際の難民の子孫)など、各国、各勢力の利害関係がなかなか折り合わない。
レバノン国軍の南部展開が一部始まった以外は、ヒズボッラーの武装解除も、イス
ラエル軍の全面撤退も、そしてUNIFIL部隊の増派展開も、何も実現せずに行き詰って
いる…これが停戦発効後一週間の現状だ。
第29回(2006年8月20日配信)
戦争の風景7:傷跡
シヤーハ地区にて
1ヶ月半ぶりに単身ベイルートに戻った翌日、8月16日。
イスラエル軍の空爆で50名を超す犠牲者が出たシヤーハ地区と、戦争中を通じて
サンドバッグのように滅多打ちにされたハーラト・フレイク地区を訪れてみた。
シヤーハ地区はアマルを支持するシーア派住民の居住区で、ベイルート市中心部か
らダマスカスに向かってのびる国際道路の西側にある。同じ道路の東側はキリスト教
徒地区だ。内戦中にはこの国際道路はシリアが実効支配する西ベイルートと、キリス
ト教徒が支配する東ベイルートの境界線(通称「グリーンライン」)になっていた。
境界を挟んで激しい砲爆撃の応酬が行われたため、現在でも道路の両側には弾痕で蜂
の巣状態になった建物の残骸が並ぶ。
しかし、いずれの残骸も古く、弾痕は明らかに内戦時代のもので今度の戦争による
被害ではない。それどころか表通りでは最新の巨大複合商業施設「ベイルート・モー
ル」の建設が進んでいるし、レストランや菓子屋などの商店も普通に営業している。
今度の戦争でほとんど空爆被害は受けていないようだ。内外のテレビで放映された虐
殺現場の建物は表通りには見当たらない。
セルビス(乗り合いタクシー)の運転手に「どこまで行くんだ」と促されて、「イ
スラエルの空爆を受けた建物まで行きたい」と答えた。運転手は「それならここだ。
ここからちょっと内側に入ればいい」と言ってその場で下ろしてくれた。
言われたとおりに大通りを外れてしばらく内側に向かって進む。全般的に貧しそう
だが閑静な住宅区域で、それらしき建物は見えない。商店が一軒開いていたので、そ
この老人にアラビア語で尋ねた。
老人はアラビア語で答えず、英語で「ドゥーユースピーク…」と逆に問うてくる。
アラビア語で尋ねているのにこんな風に外国語で返答が返って来るのは、その本人が
周りの人に外国語が出来るところを見せびらかしたいか、あるいは周りの人に聞かれ
たくない話をする場合だ。もし後者なら、結構本音が聞けるかもしれない。
私は期待して、そしててっきり英語が出来るのか、と尋ねられたのだと思って、
「イエス、アイ・スピーク・イングリッシュ」と返答した。すると老人は首を振っ
て、「ノー。スパニッシュ。ドゥー・ユー・スピーク・スパニッシュ?」と尋ねる。
なんでスペイン語なのか戸惑ったが、私は若いときにスペイン語圏を長く旅して日常
会話程度ならなんとかなるのでスペイン語で応じた。
おじさんはスペイン語が通じると知って嬉しいらしく、こちらに質問をさせてくれ
ずにお前はどこから来たのだ、そうか日本か、じゃあ日本のどこだ、と矢継ぎ早に質
問してくる。ひととおりそれに答えてから、こちらから爆撃現場はどこだ、と訊く
と、すぐそこだ、連れて行ってやる、と言って同行してくれた。
現場に着くまでの間に、今度はこちらから、「どこでスペイン語を習ったのです
か?」と尋ねると、老人は「ベネズエラに住んでいた」と言う。ベネズエラと言え
ば、反米がウリのチャベス大統領が今度の戦争でイスラエルを激越な調子で弾劾、た
だ一カ国、抗議の意思表示のため駐イスラエル大使を召還した上、断交措置をとって
いる。そのためアラブ諸国やヒズボッラー支持者の間では人気沸騰中だ。
「ベネズエラですか…チャベス大統領はなかなか思い切った立場を取りましたね」と
言うと、老人は我が意を得たり、といった表情で「そうだ。よくぞやってくれた。そ
れに対して米国は何だ。イスラエルは何だ。奴らは犬だ。最低最悪の犬みたいなやつ
らだ」穏やかな印象の老人だったが、そんな激しい言葉が口を突いて出てくる。
ほんの5分も歩くと、倒壊したアパートが見えてきた。四方を囲む周りのアパート
群は、いずれも頼りなくみすぼらしいつくりではあるが、普通に建っている。その中
で二軒分のスペースだけがそっくり瓦礫の山になっている様子が異様だ。
私が訪れた時間には、ブルドーザーとショベルカーが瓦礫の撤去にあたっていた。
粉塵がものすごく、現場に近づくと髪はすぐに灰色になり、埃が目に入って痛い。最
寄のゴベイリ市役所の放水車が来ていて、瓦礫にむかって水の放擲を続けている。そ
うしなければ、ショベルカーが動く度にものすごい量の粉塵が巻き上がり、あたり一
面が真っ白になってしまう。
写真撮影に適した角度を探して、通りから離れ、瓦礫に隣接するアパート地階のガ
レージを通り抜けた。通り抜けるとき、その建物のつくりの粗雑さが気になった。こ
んな安普請で、しかも隣のビルが倒壊するほどの衝撃を受けているのであれば、この
ビルだっていつ倒壊してもおかしくない…そんな考えが頭をよぎる。怖くなって駆け
抜けた。
ビルの裏側に入り込んで写真を撮り始めると、近くの住民らしき別の男が寄ってき
て、瓦礫を指差しながら「あの下にはまだ妊婦を含め4人が埋まっているんだ」と耳
打ちしてくれた。一瞬、背筋が凍りつくような思いをする。さらに男は放水車を指差
しながら、「ゴベイリ市役所が放水車を出している以外、虐殺が起きてから今日まで
政府は何にもしてくれない。救援作業も、瓦礫の撤去も」と、政府の対応の遅さに不
満をぶつけた。
ヒズボッラーは停戦の翌日には、もう党員を動員して家屋を失った人に当面の家賃
補助として一世帯12,000米ドルもの金額を、しかもキャッシュで配るという機敏な対
応を見せている。これでは民心が政府ではなく、ヒズボッラーと、そのスポンサーの
イランになびいたとしても無理は無い。
それにしても周りの建物のところどころに緑色のアマルの党旗や、ベッリ党首(国
会議長)の肖像が掲げられていて、ヒズボッラーの黄色い旗はまったく見当たらな
い。しかもシヤーハ地区全体で、狙われたのはここだけだ。一体どうしてこのビルが
標的になったのか?「どうしてここが狙われたのかって? こっちが聞きたいくらい
だ。あのアパートには避難民がいっぱい逃げてきていた。どうしても彼らを殺した
かったのか、さもなければ、イスラエルの内通者が居て、あのビルにヒズボッラーの
活動家が居るとでも通報したのか、どちらかしか考えられない」近くの商店主は私の
問いにそう答えた。
アマルの支持者からなら、今度の戦争のことでヒズボッラーを批判する声も聞ける
のでは、と期待していたのだが、シヤーハで私が聞いたのはこんな風にイスラエル批
判ばかりだった。やはりイスラエルは理不尽な殺戮によって、シーア派国民を一層反
イスラエル感情で団結させてしまったのではなかろうか。
ハーラト・フレイク
シヤーハを後にして、ハーラト・フレイクに向かう。シヤーハから数キロ南西方向
に入ったところだ。そこにヒズボッラーの議長府、最高議決機関のシューラ委員会、
広報センター、アル・マナール・テレビ、巨大な集会場「殉教者の主」センターな
ど、ヒズボッラー関連施設が集中する。文字通りヒズボッラーの神経中枢とも言える
地区だ。もっとも、それらの施設はことごとく爆破されて消滅し、主な指導者も未だ
に地下に潜ったままであるが。
この一角は、普段は一種の治外法権地域であり、レバノン国軍兵士や警察と言えど
も立ち寄れない。そのかわりにヒズボッラーの名にし負う強力な情報機関が治安維持
に目を光らせている。一見、何の変哲もない普通の町で、普通の市民生活が営まれて
いるのだが、ここで迂闊にカメラを取り出して一枚でも写真を撮ろうものなら、たち
まちヒズボッラーの治安要員がやってきて、厳しい取調べを受けることになる。
しかしこの日は違った。イスラエルの暴虐さを訴えるために、この一角の凄まじい
被害状況を内外の人間に知ってもらう戦術なのであろう。そこかしこにヒズボッラー
の党員とおぼしき男たちが立って周囲に目を光らせているが、行き交う人々が廃墟と
化した町をカメラやビデオにおさめるのを黙認している。
最初に入ったのは殉教者ハーディ・ナスラッラー通り。ハーラト・フレイクの中心
を貫く片側三車線の広壮な道路で、ヒズボッラーが軍事パレードに用いる場所だ。中
央分離帯に立ち並ぶ電柱にはこれまでに殉教=戦死したヒズボッラー戦士の肖像が掲
げられている。ちなみに、通りの名前はナスラッラー議長の戦死した長男にちなん
で、故ハリーリ首相が命名した。余談ながらナスラッラーが支持者の間で神の如く尊
崇される理由のひとつに、最愛の息子を解放闘争に捧げた事実がある。
この目抜き通りの両脇に並ぶ高層アパート群の多くは上部を破壊されるか、完全に
崩落するかで、原型をとどめていなかった。道路に面した地階には大抵レストランや
商店が入っているが、無傷というケースはほとんどない。ガラス窓がことごとく粉々
に割れ、店内の家具や機器が路上に散逸している。そこかしこで商店主たちがガラス
の破片や瓦礫を掃き集めており、通り全体がマスク無しでは歩けないほどに粉塵に覆
われている。
記憶をたどり、ナスラッラー通りから一本だけ中に入ったビルをたずねた。そこの
五階にヒズボッラーの機関紙「アハド・アル・インティカード(批判の時代)」の事
務所がある。同紙のI編集長とは、大学で同じ講座を一緒に受講して以来5年越しの
つきあいだ。英国で修士号をとったIは、ヒズボッラーのスポークスマンとしてBB
Cなど英語圏のメディアにもよく出演するが、戦争が始まって以来電話は不通になっ
ており、まったく連絡がとれない。事務所を不意に訪問すれば会えるかも、と思った
のだ。
幸いビルのエレベーターは稼動していた。5階までのぼって事務所を訪問したが、
やはり誰の返事も無かった。諦めてまたエレベーターに乗った。その中で、ふと「こ
んな中で閉じ込められたまま死にたくはないな」という考えが頭をよぎった。空爆で
命を奪われた人たちの中には、いつものようにエレベーターに乗って部屋に戻る途中
だった人も居ただろうし、シャワーを浴びていた人も、食事の準備をしていた人も居
ただろう。きっと多くの人がいつもと何もかわらない普通の営みの真っ最中に、何故
死なねばならぬのかと問う暇すらなく、一瞬にして命を落としたに違いない。
濛濛と巻き起こる粉塵の中を、じりじりと焼き付ける真夏の陽の光を浴びながら、
ナスラッラー通りを南下する。行きつけの喫茶店も、瀟洒なデザインで開店したばか
りの銀行支店も、変わり果てたグロテスクな姿になっていた。高架道路の片側車線分
が数メートル下の地上までずどんと割れ落ちている。崩壊した建物のそこかしこから
鉄筋がむき出しになり、コンクリートの塊がそれにぶら下がっている。
巨大な「殉教者の主」センターとその周囲の徹底した破壊ぶりはもはや壮観とでも
言うべき光景だった。10階建て以上の豪華な高層マンションが何軒も並ぶが、いず
れも原型をとどめていない。あるものは一面だけが崩落した状態で、あるものは全面
が瓦礫の中に埋もれて、辛うじてもとの場所に残っている。そう、残っているだけ
だ、まったく別の物体として。怪獣映画の一シーンか、前衛建築でも見ているような
シュールな光景だ。
そんな瓦礫の上に、レバノン国旗やヒズボッラーの国旗が何本か翻っていた。
粉塵の中を妙齢の女性の二人組みが近づいてくる。まるでイランか湾岸諸国の女性
のように、二人とも顔面を残し、全身をすっぽり真っ黒の貫頭衣で覆っている。さら
にその上に、二人とも黄色いヒズボッラーの党旗をマントのように羽織っている。
神々しいほど爽やかな笑みを浮かべた左側の女性は、ナスラッラー議長の肖像を誇
らしげに掲げている。まわりを行き交う人びとは、みんなマスクをするか、粉塵にむ
せんでいるというのに、この二人は粉塵などまったく気にならない様子だ。これも信
仰の力なのであろうか?
二人の昂然とした態度に、なるほど、これがヒズボッラーの強さなのだ、イスラエ
ルも大変な敵をつくってしまったものだ、と思った。
この二人と、ハーラト・フレイクの廃墟の写真は拙HPでご覧になれますのでご訪
問下さい。
第28回(2006年8月18日配信)
戦争の風景6:ベイルートへ
停戦続く
前回のレポートでは、
・当面停戦が発効する
・イスラエル国内で政局になる
と予測したが、8月17日現在まで大体その予測どおりに事が進んでいる。
国境周辺での散発的な銃撃戦や、レバノン領内に残っているイスラエル軍陣地にミ
サイルが飛んでくる、といった小競り合いは停戦発効後も起きている。しかしヒズボ
ッラーはイスラエル領内へのミサイル攻撃を、イスラエル側はレバノン領内への空爆
やミサイル攻撃をそれぞれ自制しており、停戦は維持されている。
一方、イスラエル国内では戦争中は政府批判を控えていた左右両方の野党勢力が、
「戦争に勝った」と主張するオルメルト首相と政権に対する批判を強めている。特
に、有力紙マアリブが15日に参謀総長ダン・ハルーツの株売り抜け疑惑をスッパ抜
いたことで、軍の立場は極めて苦しくなった。ヒズボッラーが「確かな約束作戦」を
発動、イスラエル兵2名を拉致した上、追跡する8名を殺害したその僅か数時間後
に、手持ちの株を売却した、というのがその内容だ。
ヒズボッラーが兵士拉致を企てていると警告を受けていたにも関わらず、みすみす
兵士を奪われたことだけでも軍首脳の大失態だ。そこに加えて、部下が生死をかけて
戦っているときに参謀総長は自らの資産保全に汲々としていたというのだから、開い
た口が塞がらない。打つ手打つ手がことごとく外れ、何ら戦争目的を達成出来ないま
ま終わった今度の戦争は、イスラエル軍の歴史に残る汚点といえるが、この株売り抜
けスキャンダルが事実とすれば、屈辱の戦争の最後を飾るにふさわしいエピソードだ
ろう。
ともあれ、政府と軍に対する風当たりは強まる一方で、イスラエル政局はしばらく
波乱含みの展開になりそうだ。
前回の予測で外れた点と言えば、予想外のスピードでイスラエル軍が撤退しつつあ
ること。もっとも、もともと国境地帯からほとんど進撃出来なかったわけだから、撤
退もそんなに難儀な仕事ではないのかもしれない。無駄に長逗留して兵士の生命を危
険にさらすべきではないという判断や、さっさとイスラエル側が決議を履行すれば、
レバノン側の立場は苦しくなるという計算も働いているのかもしれない。
レバノン側の迷走
実際、レバノン側はこの進展についていくのに精一杯だ。
問題はヒズボッラーがこの期に及んで、あくまでも武装解除に抵抗していることに
ある。ナスラッラー議長は14日に停戦発効後では初めてテレビ演説を行い、「戦略
的・歴史的勝利」をおさめたと宣言するとともに、リタニ川以南の地域におけるヒズ
ボッラーの武装解除の要求をはっきりと拒否した。せっかくイスラエルの猛攻を持ち
こたえたのだから、みすみす武装解除には応じられないということだ。
安保理決議第1701号は端的に言って、イスラエルの北部国境を守るために二重三重
にかけられた保険のようなもの。まず、ヒズボッラーが国境地帯で武装解除するか、
リタニ川以北に撤退する。次に、レバノン国軍がヒズボッラーにかわりこの地域を支
配する。決議は明示していないが、その目的はイスラエルからレバノンの国境を守る
ことではなく、ゲリラの不穏な動きを管理することにある。しかし、国軍の能力では
ゲリラには到底かなわないから、三番目の保険として、既存の国連部隊UNIFIL
を数で言えば7倍に拡大、装備も大幅に強化し、強力な部隊として国軍を補佐させる。
だからヒズボッラーの武装解除・河北への撤退は、決議履行の大前提だ。ヒズボッ
ラーとの軍事衝突の危険があるのではレバノン国軍も、UNIFIL部隊もこの地域
には入りにくい。
ヒズボッラーと政府の交渉は行き詰まり、閣議は二回流れた。そうこうするうちに
もイスラエル軍はどんどん撤退し、避難民も数十万人単位で続々と南部に戻っている。
結局、政府は16日の閣議で南部への国軍展開を決定、17日早朝から部隊はリタ
ニ川を越えて南部に展開しはじめた。ヒズボッラーは当面兵器を「隠し」、国軍側は
あえてヒズボッラーの武器を捜索しないという前提だ。こんな子供騙しの策で、果た
して国際社会が納得して、UNIFIL軍に各国が部隊を派遣してくれるものかどう
か。ベイルートと国連で集中的に行われている国際部隊編成交渉もまだまだ難航しそ
うだ。
アサドの勝利宣言
8月15日、戦争中は沈黙を守っていたシリアのアサド大統領はダマスカスのジャ
ーナリスト連盟の集会で演説。ヒズボッラーの勝利を「アラブ民族の勝利」「米国の
中東政策の破綻」と褒め称えた。そしてイスラエルに対しても「未来のアラブ世代
は、あなた方を打ち破る術を手に入れる。平和交渉に応じるか、さもなければ今の傲
慢な政策を続けて破滅するか」と、ゴラン高原をめぐる交渉を再開するよう呼びかけ
た。
1993年や1996年のイスラエル軍のレバノン攻撃の時は、仲介者の米国がシ
リアに働きかけて停戦が成立したが、今回は米国もイスラエルも徹底してシリアを無
視、とうとう最後までシリアの出番はなかった。
とは言え、ヒズボッラーは今度の戦争でも一貫してシリアから兵站補給を受けてい
たし、ヒズボッラーがレバノン国内における親シリア勢力の大黒柱である事実も変わ
らない。だからヒズボッラーの「勝利」はシリアの勝利に違いない。アサドは果たし
てこの演説の中でも、レバノンの反シリア勢力のことを「イスラエルによる被造物」、
「裏切り者」とさんざんに貶している。ヒズボッラーの「勝利」によって、いよいよ
シリアが本格的にレバノンへの影響力回復に乗り出すのではないか、と反シリア勢力
は警戒を強めている。
ベイルートへの道
ところで、私(筆者)は8月3日にレバノンに戻って以来、ブシャッレから一歩も
動かなかった。ベイルートからは戦争中にも妻の親戚や日本のメディア関係者の来訪
があり、その気になればベイルートへのアクセスがそんなに困難ではないとはわかっ
ていたのだが、また家族と離れ離れになったらどうしよう、という強迫観念があっ
て、なかなか動けなかったのだ。
戦争が終わったので、15日にようやく重い腰をあげてベイルートに単身出てみる
ことにした。1ヶ月半も放ったらかしにしてあるアパートが気になるし、滞納してい
る家賃も払わねばならない。
ブシャッレからトリポリまでは普段どおり町のマイクロバスで簡単に到達出来た。
しかしトリポリからベイルートへのバスの便数が極端に減っており、かなり待たされ
る。
バスは当初高速道路を快調に走り始めたが、空爆で潰された最初の橋の迂回にかか
ったところでもたつき始めた。迂回路は海岸の狭い道路で、しかもそれを両側車線に
区切って使っているから、渋滞するのも当然だ。周りを見渡すと、屋根の上にマット
レスなどの寝具を縛り付けた車両が目立つ。私と同じように、戦争が終わったから家
に戻る人たちの車だろう。数は少ないがヒズボッラーの黄色い党旗を掲げた車もある。
ビーチや海浜リゾートにはかなりの人が繰り出しており、駐車場はどこも満員だ。
15日は聖母マリア被昇天祭で、レバノンの公休日。祝日と戦争のストレスから解放
されたことで、海にどっと人が繰り出しているのだろう。ベイルート以南では空爆さ
れた備蓄庫からの流出原油で、海洋汚染が深刻だが、このあたりでは海の汚れはそれ
ほど目立たない。
じりじりと強い夏の日差しが照りつけるなか、約2時間半。普段の2倍以上の時間
をかけてバスは三本の橋を迂回し、ベイルートに近づく。道路脇の広告が目立ち始め
るが、その中に「1975、1982、1993、1996…再建するぞ、復興する
ぞ…レバノンは戻ってくる…」こんな広告が。マワーリド銀行の広告だ。冒頭の数字
は、いずれもレバノンが大きな戦争被害を蒙った年を示す。作っては壊され、作って
は壊され…この国の人たちの営みの虚しさに、胸が締め付けられる思いをする。
ようやくベイルートへ。瀟洒なダウンタウンをしばらく歩くが、カフェテリアやレ
ストランはほとんど閉まっており、人の気配が少ない。戦場に近いベイルートでは、
やはり家族揃って外食に出かけるような雰囲気ではないということか。
そこからセルビス(乗り合いタクシー)を拾ってアパートのあるハムラへ。途中、
何度もエンストを起こす。運転手は「悪いな。ガソリンが粗悪品なんだ」と釈明す
る。燃料不足は依然として深刻だ。
ハムラに着いたらもうあたりは薄暗くなっていたが、街頭はまったく点いていない。
ゴミ集積所にはゴミの山が出来ており、あちこちにゴミが散乱している。住み慣れた
町が、何倍も暗く、薄汚なくなってしまった印象だ。これも悲しい。
アパートに入ると、爆風で開いてしまったのだろうか、閉めて言ったはずの扉がほ
とんど開いてしまっており、部屋の中は埃と煤だらけで、こちらも薄汚れてしまった。
絨毯の上にまでアリが這っている。
まずは電話回線や電気をチェック。全部OK。これで仕事が出来る、大丈夫と思っ
たら、ものの10分もしないうちに停電。七階の階段を歩いて下りて、管理人に聞く
と「計画停電ですよ。夜6時から12時まで、電気はこないはずです」とのこと。レ
バノンのテレビ各局の主要ニュース番組がまったく見れない。これでは仕事にならな
い。
夜、中央銀行で働くスンニ派の友人の家に招かれた。家は西ベイルートの真ん中に
あり、ダーヒヤ(ベイルートの南郊外)からはちょっと離れているため直接の爆撃は
受けていない。しかし普段は夜でも煌々と明かりが点いているこの地区でも、街燈は
消えたまま、開いている店もまばらで、やはり薄暗い雰囲気に包まれていた。
友人は戦争中も一日も休まず銀行に出勤していたが、家族はキリスト教徒地区の高
原リゾート地区に疎開させていて、今朝、一ヶ月ぶりに家族を連れ帰ったところだっ
た。
「もう沢山だ。ヒズボッラーにはいい加減にして欲しい。どうしてもイスラエルと戦
争したいのならいっそのこと、ヒズボッラー・イスラーム共和国でもつくってシーア
派地区だけ独立させればいい」
この友人の言葉は、反シリアの立場の国民の本音かもしれない。
なお、この後のダーヒヤ訪問については次号に掲載します。その時撮った写真は拙
HPに掲載済みですのでご覧下さい。
第27回(2006年8月14日配信)
戦争の風景5:停戦は発効するか?
激戦続く
ベイルート時間で12日未明に国連安保理が決議第1701号を全会一致で採択した後、
同日夕方にまずナスラッラー・ヒズボッラー議長がアル・マナール・テレビで演説を
行い、条件付きながら決議への支持を表明、セニオラ政府の決定を妨害しないことを
宣言した。その数時間後にはヒズボッラーの閣僚も参加して閣議が開催され、やはり
全員一致で決議受け入れを決めた。
12日はユダヤ教の安息日だったのでイスラエルは閣議を開催せず、翌13日の午
後になって棄権1名を除く全閣僚の支持を得て、決議の受け入れを決めた。これより
先、13日朝にはアナン国連事務総長がレバノンのセニオラ首相、イスラエルのオル
メルト首相の両首脳と電話で協議した上で、停戦発効は14日の午前8時(日本時間
で午後2時)と発表している。この原稿を書いているのは13日午後11時半。すべ
て順調に進めばあと8時間半で、ようやく停戦が発効し、悪夢のような1ヶ月がとり
あえずいったん終息するはずだ。
しかし、いまこの時点でも戦場では開戦以来最大規模の激戦が続いている。安息日
を理由に閣議承認を遅らせたイスラエルは、決議成立直後に軍用ヘリコプター50機
を用いて空挺部隊の兵士をレバノン南部の各地に上陸させるなど、それまでの3倍に
あたる3万人の兵力を一気に戦場に投入。安息日にはお構いなしで土壇場の戦果拡大
を図った。
停戦決議が採択されてからのイスラエルのこの大規模な作戦発動には、期限までに
少しでも現場の状況を有利にしておこうという計算とともに、軍部と政府が面子を回
復するという狙いがあったに違いない。しかし、土壇場のこの賭けは完全に裏目に出
た。
ヒズボッラーのゲリラは侵攻してくるイスラエル軍を随所で迎え撃ち、戦車40両
とヘリコプター1機を破壊、イスラエル軍は1日の犠牲者数としては開戦以来最多の
24名を失った。翌13日にもイスラエル軍は6名の戦死者を出している。
それだけではない。12日も、13日にもヒズボッラーは200発を超えるミサイ
ルを発射し、ミサイル攻撃能力も健在であることを示した。
邦字紙も含め一部メディアでは、「イスラエル軍は国境から30キロメートルの距
離にあるリタニ河畔まで到達した」と、イスラエル軍の進撃ぶりを伝えているが、こ
れにはトリックがある。リタニ川が国境からそれほど離れているのは地中海岸の話。
地図で見れば一目瞭然だが、イスラエル領は東部ではフーラ渓谷に沿って、細長くレ
バノン領に食い込んでいる。この食い込んだ地域から進撃すれば、リタニ川の上流に
数キロメートルで到達出来る。イスラエル軍が現在到達したというのは実はこの地域
のワーディ・ホジェイリやガンドゥーリーヤなどの話であり、イスラエル国境から大
して離れていない。しかも、イスラエルが制圧したはずの国境沿いの村々でも依然激
しい戦闘は続いている。リタニ川以南をイスラエルが支配下に置いたというには程遠
い状況だ。
イスラエル側は12日だけでもヒズボッラーのゲリラ40名以上を殺害したと発表
している(ヒズボッラーの公式発表ははるかに少なく、開戦以来の犠牲者はわずか6
1名)。また南部とベカー高原、ダーヒヤ(ベイルート南郊外)をはじめ、レバノン
各地への激しい空爆も続け、13日にはダーヒヤの一角ルウェイス地区で集合住宅ニ
棟を爆破。16名を殺害した。依然として40名以上が瓦礫の下になっている模様だ。
14日に入ってからでさえベカー高原の村ブリタールを空爆、死傷者併せて40名と
報じられている。
決議受け入れの真意
停戦決議を受け入れておきながら、作戦を拡大し続けるイスラエルの行動は一見矛
盾しているように見える。しかし、イスラエルにとって停戦受け入れは当面の戦術で
あって、決議が要求する内容を実施するかどうかはまた別の問題なのだと考えれば納
得が行く。
自軍の被害が増大し、国内でも政府や軍の戦争指導に対する疑問と批判の声が上が
り始める状況では、当面の交戦状態の停止は望ましい。それに、決議が国境地帯に居
るヒズボッラー・ゲリラの撤退と武装解除を求めている点は、惨憺たる戦況の割には
有利な内容だ。13日の記者会見でリブニ外相は「もし履行されるのであれば、イス
ラエル・レバノン両国間のゲームのルールが根本的に変わる。イスラエルにとっては
良い決議だ」と評価しているが、そのとおりであろう。
イスラエルは1ヶ月にわたる軍事作戦で、拉致兵士を解放出来なかったし、ヒズ
ボッラーのミサイル攻撃能力を潰すことも出来なかった。しかし、決議第1701号が実
施されればヒズボッラーのゲリラは国境地帯から数十キロメートル引き離され、替
わって拡大UNIFIL部隊とレバノン国軍が展開することになる。イスラエルの戦
争目標の主要な部分は達成出来ることになる。
ただしイスラエルは、レバノン国軍は勿論のこと、従来の7倍の1万5千人規模に
増強されたUNIFIL部隊が国境を守り、ヒズボッラーの動きを封じてくれるとは
ゆめ信じていない。国防を外国軍に委ねるほどイスラエルの安全保障意識は甘くはな
い。
だから、イスラエル軍は決議を受け入れてもすんなりと決議どおりにブルーライン
の南側に撤退することはないだろう。そしてイスラエル軍がレバノン領内にとどまる
限り、ヒズボッラーはそれを南部にとどまり武装解除を拒む口実にするはずだ。
決議の要求を実施するつもりはないが、当面はそうした方が有利だから決議を受け
入れるという姿勢は、実はヒズボッラーの側もまったく一緒だ。
ヒズボッラーとしては戦局が有利に推移している現時点で停戦すれば、大きな政治
的勝利になる。だから戦火が止むのは歓迎する。一刻も早い停戦を渇望する国民の声
にも耳を傾けないわけにはいかない。
しかし、決議が求めるようにすんなり武装解除するわけにはいかない。せっかくこ
こまでイスラエルの猛攻から持ちこたえた拠点を廃棄するわけにもいかない。それが
成立するのは、シリアやイランも巻き込んだ地域レベルでの余程大きな政治決定が下
された場合だけだろう。
停戦決議の履行方法を協議するため、13日に開催される筈だったレバノン緊急閣
議はヒズボッラーの要請で延期された。イスラエル軍の攻撃が続く中、武装解除問題
を協議することに対してヒズボッラーが難色を示したからだと報じられている。やは
りヒズボッラーは戦術的に決議を受け入れただけで、自らに不利な内容を履行するつ
もりはなさそうだ。
問題は、今回の決議がこれ以上の流血と破壊を防ぐために、停戦を最優先している
ところにある。双方が受け入れやすいように、決議の内容にはどうとでも解釈できる
グレーゾーンがいっぱい残された。イスラエルもヒズボッラーも、25年間にも及ぶ
お互いの存続を賭けた闘争が、安保理決議ひとつで終焉し、平和がやってくるなどと
いう幻想はまったく抱いていないのだ。
仮に停戦が成立したとしても、政治的解決が無い限り、いずれは再び決着をつけな
いといけない時がやってくる……両者ともにそういう前提で動いているのだ。
停戦発効の可能性
従って、今後の展開を大胆に予測すると、次のようになる。
まず、当面停戦は発効し、砲火は収まる。しかし、レバノン南部の国境地帯にはヒ
ズボッラー・ゲリラとイスラエル軍の双方が展開を続けるから、一触即発のにらみ合
いが続く。ちょっとした衝突が原因で、再び大規模な交戦が勃発する可能性は大いに
ある。
しかし、もし停戦が数日間でも続いた場合、イスラエル国内で今度の戦争指揮にお
ける政府と軍指導部の迷走の責任を問う声が左右両派から高まり、政局になるのでは
ないか。場合によってはオルメルト首相やハルーツ参謀総長の更迭といった事態も起
こるかもしれない。
そうなれば、しばらくは当面交戦状態には陥らず、レバノン国軍やUNIFIL部
隊の展開が進み、停戦が固定化してくれるかもしれない。
約束の14日午前8時まで、残すところ7時間。明朝に目覚めたら砲火が収まって
くれていることを祈りながら、今夜はもう眠ることにする。
第26回(2006年8月12日配信)
戦争の風景4:開いた重い扉
新たな隣人
現在、レバノン時間で8月11日午後9時。間もなくニューヨークの国連安保理で
は修正に修正を加えた停戦決議案の協議が始まる。
ここブシャッレは闇に包まれている。もともと停電が多い地域だが、1カ月前の開
戦以来、ガソリンや軽油などが極端に足りなくなったせいで、発電機もなかなか稼動
出来ない(ただし、私の居るアパートはカディーシャ渓谷の水力発電所に送電線が直
接つながっているため、滅多なことでは停電しない。そのおかげで、こうやってニュ
ースを24時間モニターし、コンピューターを作動出来る)。
闇と星空と言えば、静寂もセットになっていそうなものだ。事実、ブシャッレの町
からも車で15分以上も離れた辺鄙な場所にある我が家の周りは、普段は夜になれば
不気味なほどの静寂に包まれる。
しかし今夜は違う。近所の若者や子供たちが戸外で焚き火を囲んでパーティーを
やっているせいだ。20人くらいは居るだろうか。大多数は年頃の女の子たちだ。太
鼓や拍手の音、それに歌声が間近に聞こえて騒々しい。
この瞬間も山の裏側では空爆で人が殺されている(と、ここまで書いたところで、
マルジュアイユーンからベカー北部に逃れようとした避難民の乗った車が、ワイン醸
造で著名なケフライヤ村で爆撃され3名が死亡、15名が負傷したというニュースが
飛び込んできた)のに、不謹慎と言えば不謹慎な話である。しかし同情すべき部分も
ある。ここで騒いでいる若者たちの中には避難民も混じっているからだ。我が家の新
たな隣人、マルタとゼイナの姉妹がそうである。
姉妹の一家は南部サイダ市から東南方向の山岳地帯、イクリーム・トゥッファーハ
の出身。お父さんは定年で退職する前は地元の小学校の校長先生だという。シーア派
居住区に隣接する一家の村も開戦以来激しい空爆にさらされ、いったんベイルートの
キリスト教徒地区アシュラフィーヤに逃れた。しかしここも連日連夜イスラエルの猛
攻にさらされるダーヒヤ(ベイルート南郊外)からは目と鼻の先だ。夜間の爆撃の轟
音と振動におちおち眠っていられない。結局人づてにはるばるここブシャッレに逃れ
てきた。
一家は姉妹に加え兄、両親の5人。我々のアパートがあるビルの屋上に設けられた
二部屋のスペースに寝泊りしている。
レバノン国民の4人に1人がホームレスになるというこの未曾有の惨事の中、私た
ち一家が被災民や避難民のために出来ることは限られている。せめてもの奉仕を、と
いうつもりで、妻は私の不在中から、我が家の電話をフランスとカナダに居る一家の
親戚からの連絡先にしたり、食事や寝具を貸すなど、なるだけ一家に親切にしてきた。
校長先生として地元では名士だった老人(姉妹の父親)と一家は、いつも他人の面
倒を見る側だった。だから自分たちが他人の世話になることに馴れていないらしく、
我々に対する遠慮ぶりは見ているこちらが気の毒になってくるくらいだ。我々が何を
提供しても、必ずお返しとして手製の石鹸など、貴重な身の回りの品を譲ってくれた
りする。
姉妹はブシャッレについてからも暫くは空爆を恐れて、散歩にさえ出たがらなかっ
たらしい。羊や山羊の群れが悠然と草を食んでいるようなのどかな場所だと言うのに。
こんなストレスのたまる生活をしていれば、たまには今夜のように破目を外したくな
るのも仕方ないだろう。
公園に寝泊りする人々
言うまでも無く、この隣人一家のケースはそれでも避難民としては例外的に恵まれ
ている。はるか遠くのブシャッレへの交通費が支払えて、家族の誰も怪我をせず、快
適な避暑地でアパートを借りるだけの経済力もあるのだから。
大多数の避難民はそうはいかない。突然の攻撃と警告に驚いて、家の中の荷物をほ
とんど何も持ち出せず、命からがら村を逃れてきた。シヤーハ地区のように、親戚や
知り合いを頼って逃れた先で不幸にも再び攻撃を受けて命を落した人も少なくない。
身近に頼れる人が居ない場合は、学校や公園のような公共スペースに設けられた避
難所で過ごすしかない。ベイルートの中心部、内務省や中央銀行に囲まれた一角にあ
るサナーイア公園もそんな緊急避難所のひとつだ。ここでもテントも無しに、多くの
避難民が暮らしている。夏のベイルートは乾季のため雨こそ降らないものの、日没ま
で暑さは厳しく、夜になると蚊の襲撃に悩まされる。
そんな場所で、何十世帯もの人々が、炊き出しで空腹をいやし、洗面所で洗濯をす
る生活を余儀なくされている。この人たちの場合、たとえ停戦が成立したとしても、
帰るべき家は破壊されており、仕事も失っている。本当に苦しいのは平和が戻ってか
らかもしれない。
私の身の回りで言えば、私本人はベイルートの某研究機関の仕事を失ったし、メ
ディアの仕事も失った。いずれの機関も戦火を逃れてはいるのだが当面閉鎖されてい
る。もともとが時給制・歩合制なので、出勤して働くことが出来ないのなら、一円の
収入にもならないのである。
一番上の義兄夫妻は揃って国立高等音楽院のピアノ講師をやっている。やはり非常
勤なので、仕事が無い現在はまったくの無収入だ。別の義兄はジュニエで写真スタジ
オをやっていて、真夏の結婚式シーズンは一番の稼ぎ時なのだが、ぎっしり詰まって
いた予約は開戦直後、ものの見事にすべてキャンセルされてしまった。キリスト教徒
地区でも南部やベカーで親戚が犠牲になったと言う人は少なくないから、自粛ムード
に張り詰めている。とてもとても結婚式を祝う雰囲気ではないのである。
義弟一家はカナダ国籍を持っていて、夏休みにカナダへ行っていたので難を逃れた。
やはりプロの写真家である義弟本人は、途中で家族と別れて結婚式撮影の仕事のため
に単身帰国する予定だったが、戻れなくなってしまった。戻ってもどうせ仕事はない
から、今も家族とカナダに居る。この際移民してしまおうか、とさえ真剣に考えてい
るようだ。
以上、私の妻の一族は収入を絶たれて、貯金を切り崩すか、借金をする以外に当面
の生活が成り立たないという点で、みんな似たりよったりなのである。幸い、誰も家
を破壊されずにすんでいるので、何とかやっていけるというのが実情だ。
停戦への渇望
こんな状況だから、誰も彼も一刻も早い停戦成立を祈っている。反シリア・反ヒズ
ボッラーの立場の人たちは「そりゃあ人道的な面ではシーア派の犠牲者や被災者たち
にも同情するし、出来る限りの救援はする。でも、大きな声では言えないが、シーア
派以外の国民のほとんどはヒズボッラーがこの戦争で負けて、武装解除してくれた方
がレバノンの未来のためには良い」、そう言う。
しかし戦局は依然としてヒズボッラーに有利に推移しているようだ。10日、イス
ラエル軍はレバノン南東部の重要都市マルジュアイユーンに侵攻したが、激しいゲリ
ラの抵抗にあって一旦撤退、態勢を立て直して再度占領したが、ゲリラの攻撃は止ん
でいない。海上では11日夕方、ヒズボッラーが二隻目のイスラエル海軍艦艇撃沈を
発表し、アル・ジャジーラ・テレビも認めている(ただしイスラエル側は夜11時現
在でも認めていない)。
イスラエル紙ハ・アレツの世論調査でもオルメルト首相の支持率は開戦前の73%
から48%まで急降下。「この戦争にイスラエルが勝てると思うか」という問いに対
して、「思う」と答える人がわずかに20%と、相次ぐ苦戦の情報と、一向におさま
らないカチューシャ・ロケット攻撃を前に、国民の士気の低下はもはや隠しようがな
くなってきた。
流石のアメリカも、イスラエル軍にヒズボッラーを潰す能力が無いのであれば、も
はやこれ以上庇いきれない。そんなことをしていれば中東全体で反米感情に火を注ぎ、
エジプトやヨルダン、サウジなど同盟国の政権を危険にさらすことになる。
10日から11日にかけて、米国が停戦決議案の文案修正に柔軟になり始めたのは、
おそらくそんな判断があったのであろう。結局、ベイルート時間で11日午後10時
に安保理に提案された米仏共同提案は
・イスラエル軍がレバノン国軍の南部展開と同時に南部から撤退するよう求める
・イスラエルが拘束するレバノン人政治犯の問題やシェバア農地の問題を両国間の
問題として認知した
・多国籍軍ではなく既存のUNIFIL部隊を拡張して南部の停戦維持にあたらせる
・UNIFIL部隊に対ヒズボッラー強制力を与える国連憲章第7章ではなく、第6
章に基づいていること
など、レバノン政府・ヒズボッラーの側にとってかなり有利な内容になった。
決議採択
レバノン時間で12日午前2時過ぎ、安保理はイスラエルとヒズボッラーに対して
戦闘行為の全面停止を求める決議第1701号をメンバー諸国15ヶ国の全会一致で採択
した。レバノン政府は12日、イスラエル政府は安息日明けの13日の閣議で、それ
ぞれ決議案に若干の保留事項をつけつつもこの決議案を承認するとみられる。
しかし、決議採択に先立ちオルメルト・イスラエル首相は地上作戦拡大にゴーサイ
ンを出している。ヒズボッラーのゲリラがすんなりとリタニ川以北への撤退に応じる
かどうかもわからない。
開戦以来12日でちょうど1ヶ月。
ようやく国際社会は停戦に向けて最初の重い扉を開いた。しかし決議を実際の停戦
に移せるかどうかは依然として予断を許さない。
第25回(2006年8月10日配信)
戦争の風景3:地上戦拡大へ
アマルの拠点でも虐殺
今日、8月9日。普段にも増してイスラエル軍機の飛行音が近く、しかも頻繁に聞
こえてくる。
今度の戦争が始まる前には、ここブシャッレの上空で、領空侵犯するイスラエル軍
機を見かけない日はなかった。空気が澄み切って、雲以外には視界を遮るものが何一
つないブシャッレ上空は、イスラエル空軍のパイロットにとっては格好の飛行訓練ス
ペースなのであろう。大抵一機だけで悠々とやってきて、大空にまるで線を引くかの
ようにまっすぐに長い雲を残しながら、悠然と東のベカー方向へと去っていく。「レ
バノンの領空を侵犯をするのはヒズボッラーの不審な動きを監視するためだ」と言う
のがイスラエルの言い分だが、それにしてはヒズボッラーがまったく居ないブシャッ
レ上空まではるばるやってくるのは一体何故か、と腑に落ちなかった。
しかし、今になってよく分かった。イスラエル空軍機はバアルベックなどベカー高
原のヒズボッラー拠点を空爆する予行練習をしていたのである。
今朝もテレビをつけるとまず目に飛び込んできたのは7日に空爆被害にあったダー
ヒヤ(ベイルート南郊外のシーア派居住区)の一角、シヤーハ地区の瓦礫である。生
存者の救出と遺体の発掘作業は2日経過した今日も続いていて、犠牲者数は当初報じ
られた10名から既に32名に増えている。さらに20名が瓦礫の下に残っている模
様だ。ベイルートの近郊では今度の戦争中、最悪の虐殺事件になるのは確実だ。
シヤーハ地区は元来、ヒズボッラーではなくライバル政党アマルの拠点だ。しかも
今回の犠牲者のほとんどは、爆撃を逃れて南部から避難してきた人だったらしい。
このあたりからも、今回のイスラエルの戦争方針の杜撰さがうかがえる。
2005年2月のハリーリ首相(当時)暗殺事件以降、ふたつのシーア派政党、ヒ
ズボッラーとアマルは親シリアの立場で団結し、あらゆる政策で歩調を揃え、ほぼ一
体化して行動するようになった。しかし、イラン革命の申し子であるヒズボッラーと、
世俗的な政党アマルは、本来激しいライバル関係にある。ヒズボッラーをレバノン社
会から孤立させたいのであれば、まずは他の宗派から切り離し、次いでシーア派社会
から切り離す……つまり、シーア派のライバル政党、アマルを何とかヒズボッラーか
ら切り離せば良い。普通の政治センスがあれば、誰でも考えつくことだ。
しかしイスラエルは逆にアマルの根拠地を情け容赦なく爆撃し、何十人もの無辜の
人々を殺した。アマル支持者はこれでますますヒズボッラーに共感し、イスラエルと
の闘争に身を投じていくだろう。
川の上で援助物資を手渡し
もうひとつ、今日見た映像で印象的なシーンは救援物資の手渡しリレーだ。
南部のどこかの小川に架かっていた橋が潰され、橋がわりに川岸に倒木が架かって
いる。その倒木の上に、赤十字社や「国境なき医師団」のスタッフが1、2メートル
の間隔で何人も横一列に並ぶ。そして、川の片岸から反対の岸まで、バケツリレーよ
ろしくダンボール箱に詰まった救援物資を手渡ししていくのである。作業中にバラン
スを崩して勢いよく流れる川の中に転落する人が出てくるし、貴重な物資そのものが
川に流れてしまうことも起きる。
一刻を争うはずの緊急救援事業で、何でこんな原始的で非効率なことが起きている
かと言えば、ひとつはイスラエル軍が橋を破壊したからである。そしてもうひとつは、
イスラエル軍がリタニ川以南イスラエル国境までの広大な地域で、一切の車両の通行
を禁止する司令を出したからだ。救急車も報道機関の車両も例外ではない。なお、イ
スラエル軍はこれにとどまらず、住民が夜10時以降に家から外出することも禁止、
違反すれば安全は保障出来ないと警告している。
イスラエル軍は空中からビラを散布してこの司令を出した。
9日にはイスラエル軍はティールで別のビラも撒いている。ヒズボッラーの指導者、
ハサン・ナスラッラー師を攻撃し、民心をヒズボッラーから叛かせるためのプロパガ
ンダ・ビラだ。「ハサンは一体何のためにイスラエルを攻撃するのか? ハサンはレ
バノン一国を人質にし冒険に走った。そのツケを払わされているのはあなた方だ」
ざっとこんな中身である。支持者が神のように畏敬するナスラッラー師を「ハサン」
と呼び捨てにするあたりなど、どう考えても逆効果に思えるのだが。
安保理内外の駆け引き
国連安保理では8日から米仏提案の停戦案の審議が始まった。8日の公開セッショ
ンではヒズボッラーをシリア、イラン、ハマースとともに「テロのカルテット」とこ
き下ろし、安保理決議第1559号(ヒズボッラーの武装解除を求めている)の履行を求
めるイスラエル代表と、イスラエル軍のレバノン領からの撤退を求めるレバノン代表
およびカタル(アラブ連盟を代表して安保理に出席)代表が火花を散らした後、非公
開協議に入った。
争点はほぼ完全にイスラエルの言い分を認めた米仏案に、どこまでレバノン政府の
求める修正を行うかである。特に、係争地シェバア農地の問題は難しい。レバノン政
府にとってはこれこそが問題の根源だから、イスラエル軍のシェバア撤退を何とか決
議に盛り込んで欲しい。一方のイスラエルにしてみれば今シェバアから撤退しては
「テロに報酬を与える」ことになるから、絶対に譲れない。
レバノンのセニオラ内閣は、安保理協議が始まる直前の7日にレバノン国軍1万5
千人を南部国境地帯に展開させることを決めている。ヒズボッラー所属の閣僚もこの
決定を支持した。レバノン政府は自国の責任で国境地帯の安全を保障するという態度
を……出来るかどうかはともかくとして……打ち出し、これをカードにして安保理決
議の文案を有利に修正しようとしているわけだ。
しかし9日にツーロンで記者会見を行ったシラク仏大統領は、「米国は決議案の修
正に乗り気でない」と語り、米国が依然としてイスラエルの要求通りの文案に固執し
ていることを示唆した。逆に拒否権を持つロシアは、レバノン政府が合意しない決議
なら支持しないという立場を打ち出している。停戦決議が実際に採択されるにはまだ
まだ曲折がありそうだ。
イスラエル、侵攻拡大を決定
停戦決議が採択されないとなると、いや、採択されても実施に移せる目途が立たな
いとなれば、これまでにも増して現場の戦況が重要になってくる。
この面では、すこぶるイスラエル側の旗色が悪い。
イスラエル軍は8日の戦闘で5名、9日にも15名を失っている。その戦闘の場所
とは驚くなかれ、何とアイータ・シャアブ、ビント・ジュベール、クファル・キッラ、
アイタルーンなど、国境沿いの村々なのである。イスラエル軍が開戦直後に制圧を発
表した筈の地域で、1ヶ月を経過した今もいまだにゲリラの攻撃に悩まされているの
だ。
まだある。開戦以来70名を超えたイスラエル軍の死者のほとんどは、イスラエル
が世界に誇るメルカバ戦車の搭乗員である。ヒズボッラー・ゲリラの持つ対戦車砲の
餌食になっているのだ。つまり場所は違えど同じ手段で、同じ武器によって同じ戦車
を破壊されているのだ。
ヒズボッラーのミサイル攻撃も一向に止まない。8日には開戦以来最多の350発
がイスラエル領内に着弾した。
イスラエル軍の苦戦ぶりは8日にはっきりした形をとって現れた。ハルーツ参謀総
長が、腹心で長年のレバノンにおける戦歴から「ミスター・レバノン」とあだ名され
る副官のカプリンスキー准将を北方方面軍に「出向」させ、前線司令官であるアダム
司令官から指揮権を奪ったのだ。日露戦争の際に、乃木元帥が旅順要塞を攻めあぐね
ているのを見て、参謀本部が児玉源太郎を派遣したのを思い出していただければ良い。
戦争中に前線司令官が事実上更迭されるというのは長いイスラエル軍の歴史の中で
も異例の出来事で、1973年の第四次中東戦争以来だと言う。
安全保障問題を協議するイスラエルの縮小閣議は9日、地上戦は国境沿いの村への
限定的な侵攻に限定するという従来の方針を転換、国境から20〜30キロメートル
離れたリタニ川まで侵攻地域を拡大することを決定した。ちょうど同じころ、米国の
ウェルシュ国務次官補は予告もなしに突然レバノンを訪問、セニオラ首相と協議して
いる。協議の中身はわからないが、9日夜にテレビ演説を行ったナスラッラー議長は
「米国が米仏案を呑むようセニオラ首相に圧力をかけているのだ」と解釈している。
つまり、米仏案を拒んだ場合、イスラエルはリタニ川まで侵攻するぞ、それでもいい
のか、という恫喝だと言うのだ。この見方はおそらく当たっているだろう。
ナスラッラーはこれまでのテレビ演説よりも一層リラックスした表情で、「リタニ
川まで来たければ来るがよい。ただし、我々は侵入者は必ず追い出す」と、イスラエ
ルの侵攻拡大を受けて立つ態度を示した。
古来、装備や練度の点で、質量ともに圧倒的にまさる正規軍が、ゲリラ戦の泥沼に
はまり、敗退していくには一定のパターンがある。
まず一貫した戦略がないこと。つまり、外交交渉や政治的手段による終戦への道標
がないまま、力に恃んで戦争に突っ走る。
次に、「あと一歩で敵を殲滅出来る」と信じて、深入りし戦線を拡大していくこと。
スペインやロシアにおけるナポレオン軍がそうだった。ユーゴのパルチザンと戦っ
たナチスもそうだったし、日中戦争の泥沼にはまっていった日本軍もそうだった。か
つてのベトナム、そして現在のイラクにおける米軍しかりである。
今のイスラエルもその泥沼に陥りつつあるように見えてならない。果たしてイスラ
エル軍は力でヒズボッラーをねじ伏せ、そのミサイル攻撃能力を壊滅させることが出
来るのであろうか?
第24回(2006年8月8日配信)
戦争の風景2:背後を刺されたセニオラ政権
映像の力
私が現在家族と暮らすブシャッレは海抜1500メートルの高地にある。「預言者」
で知られる世界的な大詩人ジュブラーン・ハリール・ジュブラーンの出身地で、聖書
に名高いレバノン杉の保全地区としても名高いこの村は、冬は雪に覆われ寒さは厳し
いが、夏は最高の保養地になる。
崖の随所からこんこんと湧き出る雪融け水。とろけるように甘いサクランボや桃、
洋梨などの果実がふんだんに採れる。眼前には数百メートルの高度差で切れ落ちるカ
ディーシャ(古シリア語で聖人を意味する)渓谷の断崖絶壁と、3000メートル級
のレバノン山脈の壮大なパノラマが広がる。空と乾いた山肌を、はじめは金色に、や
がてピンク、そして最後に赤く染めながら渓谷に沈んでいく夕日。朝と夕方に毎日必
ず二回ずつ、草を食みに来る羊と山羊の群れ。
おそらくは数千年前から何も変わっていないであろうその光景を眺めていると、山
の裏側のベカー高原では、休みなくイスラエル軍の爆撃が続き、毎日何十人もの人々
が、わけもなく死んでいるのが信じられない気持ちになる。
働き盛りの若者はみんな町や外国に移民して、村に残っているのは老人がほとんど。
車も一日に数えるほどしか通らないから、空気は澄み切ってからっと乾いている。お
まけに蚊の一匹も居ないので、寝汗をかく事もなく、深く眠れる。夏のブシャッレの
快適さは筆舌に尽くしがたい。
しかし朝目覚めてテレビをつけると、爆撃で倒壊した建物や、その瓦礫の下から不
気味に伸び出る、埃にまみれて白くなった人間の手や足の映像が目に飛び込んでくる。
来る日も来る日も、だ。レバノンではニュース番組でも遺体の映像をそのまま流す。
特にヒズボッラーのプロパガンダ・チャンネルであるアル・マナールはこれでもか、
これでもかと凄惨な遺体の映像を突きつける。
例えば今日、8月7日朝は、サイダ近郊とナバティア近郊の村で、合わせて12名
の民間人が瓦礫の下敷きになって死んだというのがトップ・ニュースだった。昼過ぎ
には南部のフーラ村で40人が倒壊した建物の下敷きになって死んだというニュース
が流れたが、しばらくして下敷きになっていた人々ほとんどが無事救出された。ほっ
としたのも束の間で、夜にはベイルートの一角シヤーハ地区と、ベカー高原のブリタ
ール村で、それぞれ15人、10人が死んだというニュースが飛び込んできた。現場
に入ったテレビ・カメラが瓦礫と、瓦礫の間からのぞく遺体を映し出す。編集されて
いない生のビデオだから、映像の動きもぎごちない。それが見る者に一層リアルな感
触を与える。
前日、6日はイスラエルにとって悪夢の日だった。国境付近のキブツに集結してい
た予備役兵12名と、ハイファの市民3人がヒズボッラーのミサイルの直撃を受けて
殺された。イスラエル側で一日に15名もが命を落したのは開戦以来初めてのことで
ある。なお皮肉なことにハイファで死んだ3名はアラブ系イスラエル人、つまりイス
ラエル国籍のパレスチナ人だった。民間人を狙った無差別攻撃では、誰が犠牲になっ
てもおかしくない。
のたうつ巨象
今のイスラエルは、まるでアリの大群に囲まれた巨象だ。一踏みか二踏みで潰すつ
もりでアリの巣に踏み込んだら、踏んでも踏んでもアリは出て来て襲いかかってくる。
アリに噛まれて血まみれになった足を振り回し、巨象は憤怒にかられて周りの花や草
木を見境なく踏み潰すが、肝心のアリの巣は一向に潰せず、いくらでもアリは出て来
て向かってくる……このままでは、怒り狂った象はそのうち核兵器でも使いかねない、
と危惧するのは私だけではないだろう。
狂った巨象を唯一止める力を持つアメリカは、しかし相変わらずイスラエルのため
に時間稼ぎをし、イスラエルの要求どおりの安保理決議を採択しようと奔走している。
ブシャッレはヒズボッラーの政敵ジャアジャア・レバノン軍団(LF)の出身地であ
り、LF支持者が多い場所だが、そのブシャッレでさえ「米国はレバノンに緊急人道
支援をしているけれど、そもそもイスラエルがレバノンを破壊するのに使っている兵
器はほとんど米国が供与しているじゃないか」、そんな意見を聞いた。
イスラエルはヒズボッラーの武装解除を軍事力で達成しようとしたが、開戦以来4
週間になると言うのに、一向にその目標は達成出来ない。そこでアメリカは今度は外
交的にイスラエルに助け舟を出した。それが5日に公表された米仏共同の安保理決議
案である。
この米仏案は、「即時停戦」の用語を避け、「敵対的行為の全面的停止」を呼びか
けている。そしてその敵対的行為の筆頭たる「ヒズボッラーによるミサイル攻撃」の
即時停止をまず求め、合わせてイスラエルの「攻撃的作戦」も停止するよう求めてい
る。つまり、「悪いのはヒズボッラーで、イスラエルのやっていることは、行き過ぎ
の部分があるにせよ、基本的には自衛権の行使である」、というわけだ。
米仏案はこの他にも、リタニ川以南に兵力引き離し地帯を設置する、ヒズボッラー
の武装解除を求める、シェバア農地からのイスラエル軍撤退は求めない、レバノン人
政治犯の釈放は求めないが拉致されたイスラエル兵士の無条件解放を求めるなど、ほ
ぼ全面的にイスラエルの要求を認めている。
背後を刺されたセニオラ政権
レバノンのセニオラ首相は米仏案がメディアに流れる直前、5日にテキサス州クロ
フォード農場に居たライス米国務長官と40分以上にわたって電話で協議し、「貴国
はレバノンとイスラエル両国間の問題を解決しようとしているのではなかったのか?
(イスラエルの要求をそのまま聞き入れた)この米仏案では、両国間の問題解決にな
らないどころか、レバノンで内戦を招きかねない」と詰め寄ったらしい。5日ベイル
ートを訪問したライスの右腕ウェルシュ国務次官補にも同じように文言の修正を迫っ
たと言うが、結局米国はセニオラの意見には耳を貸さず、フランスも土壇場で米国に
譲歩した。
果たして6日には事実上ヒズボッラーの代理として交渉の窓口になっているベッリ
国会議長が米仏案拒否を公表。イスラエル軍のシェバア農地撤退や、捕虜交換など7
項目からなるセニオラ政府案に固執する態度を示した。
ことここに至ると、米国はヒズボッラーとレバノン政府が絶対に呑めない停戦案を
提示して、レバノン側に拒否させ、レバノン側に戦争継続の責任を負わせた上で、イ
スラエルに思う存分攻撃を続けさせようとしているのでは、とさえ勘繰りたくなって
くる。
それにしても、シリア軍のレバノン撤退を推し進め、反シリアのハリーリ派を後押
しし、セニオラ内閣成立を全面的に支援したのは米国ではなかったのか? 親シリア
のラフード大統領をボイコットする反面、これ見よがしにセニオラをホワイトハウス
に招待して、レバノンへの支援を約束したのはブッシュ大統領ではなかったのか?
ブッシュ政権はレバノンからシリアを追い出すために、ハリーリ派と、ハリーリ派
が主導するセニオラ政府を支援した。そしてセニオラ政府がヒズボッラーの武装解除
を達成するよう、様々に働きかけた。しかしレバノン国内の微妙な宗派政治バランス
の故に、セニオラは米国の期待に応えることが出来なかった。米国はセニオラ政権発
足から丸一年、待ったが、国民対話円卓会議でもヒズボッラーの武装解除問題にケリ
がつかないのを見て、イスラエルに実力でこの目的を達成させる方針に変更したので
あろう。核問題をめぐるイランとの緊張が高まる中、ヒズボッラーをこのまま放って
おくわけにはいかない、もはやセニオラ政権に遠慮している余裕はない、ということ
だったのではなかろうか。
7日ベイルートで開かれたアラブ連盟緊急外相会議で、セニオラは涙にむせびなが
ら、レバノンの窮状を訴え、アラブ諸国の協力を求めた。アメリカと、頼みの綱のフ
ランスにまで背中を刺されたセニオラに今出来ることと言えば、泣くことと祈ること
くらいであろう。アラブ連盟はムーサ事務局長とカタル、アラブ首長国連邦の外相を
急遽ニューヨークに派遣、米仏案の文言修正のため最後の交渉にあたらせる決定を下
した。
忍び寄るシリアの影
このアラブ外相会議には、シリアからムアッリム外相が参加した。シリア軍のレバ
ノン撤退以来、両国関係は冷え切っており、シリアの外相がレバノンを訪問するのも
撤退後では初めてのことである。
レバノンの反シリア勢力は、この戦争をきっかけにシリアが再びレバノンへの影響
力を回復しようとしているのではないか、との懸念を隠せない。小規模ながらムアッ
リムのレバノン訪問に抗議するデモもベイルートなど数箇所で起きている。
ムアッリムはレバノンで「自分(ムアッリム)もナスラッラー師(ヒズボッラー議
長)の指揮下でヒズボッラーの戦列に加わりたいくらいだ」と最大級のリップサービ
スでヒズボッラーとレバノンへの連帯をアピールしている。レバノン内外で反イスラ
エル・反米感情が沸騰する中、時宜にかなったパフォーマンスと言えよう。
「中東民主化」や「テロとの戦い」を掲げてアフガニスタンへ、そしてイラクへと乗
り込んでいったアメリカは、いずれの国でも民衆の心を掴むことが出来ず、治安維持
にも失敗した。中東民主化の見本と称えたレバノンでも、アメリカは今セニオラ政府
を見捨て、イスラエルがレバノンを思いのままに破壊するのを許している。このまま
ではレバノンが再びシリアの影響下に逆戻りしていっても不思議ではない。
第23回(2006年8月6日配信)
戦争の風景:レバノンへの道
戦況激化
7月30日、イスラエル軍はレバノン南部の町カナを空爆。カナと周辺の住民が避
難していた建物をミサイルが直撃し建物は倒壊、55名が瞬時にして犠牲になった。
犠牲者は全員民間人で、うち37名は子供だった。
イスラエルは世界中から轟々たる非難を浴びた。即時停戦を求める国際世論は沸騰
し、さしものイスラエルも48時間の暫定的な空爆停止を強いられた。
1996年の「怒りの葡萄作戦」の際も、イスラエルは同じカナの町で国連の避難
壕を「誤爆」し、102名の避難民を虐殺している。この時も世界中から猛烈な非難
を浴びて、イスラエルは停戦受け入れを強いられた。
しかし、即時停戦を優先した当時のクリントン政権と違い、ブッシュ政権は「恒久
的・永続的な停戦」に固執、イスラエルが一定の戦果を挙げるまで戦争を止めさせる
意志はない。果たしてイスラエル軍は暫定期間中さえベカー高原への空爆を継続、地
上でも国境沿いの村でゲリラ掃討の手を休めなかった。暫定期間が明けるや否や、特
殊部隊がバアルベックの病院でヒズボッラー幹部を狙った大胆な拉致作戦を敢行。ヒ
ズボッラーも一日に200発を超えるミサイルを発射するなど、応酬は激化した。8
月4日にはイスラエルはベイルート北部の高架橋3本を爆破、首都を北部と結ぶ幹線
道路も断ち切った。
安保理を舞台に外交的解決が間近いと囁かれつつも、現場の戦況はエスカレートす
る一方だ。
家族と生き別れに
待ちわびた停戦が一向に実現しないので、私(筆者)は業を煮やして、シリア経由
で3日夜レバノンに戻り、1ヶ月ぶりに家族との再会を果たした。ここでその顛末を
報告したいと思う。極めてプライベートな体験ではあるけれども、戦火の中東で暮ら
すということの現実を読者に知っていただくためには有効だろうと思うからである。
今度の戦争で、無数の人々が私たち家族と同じような体験をしているはずだ。
私は7月1日から出張で1年半ぶりにレバノンを離れ東京に来ていた。家族はベイ
ルートの借家を出て、北部の高原の避暑地ブシャッレにあるアパートで私を待ってい
た。ベイルートから車で3時間近くも離れた辺鄙な場所にアパートを買ったのは、妻
がこのブシャッレの出身だったからだ。
戦争が始まった12日、私はまだ東京に居た。13日にはレバノン唯一の国際空港、
ベイルート空港が爆撃を受けて破壊された。6年間に及ぶレバノン生活で、初めての
事態である。経験豊富な戦争特派員ならば、この時点で即座に在京シリア大使館を訪
れ、ビザを申請していただろう。空路でレバノンに戻れないとすれば、キプロスから
海路か、シリアから陸路で戻るしかない。キプロスなら査証なしで入国できるがシリ
アは出来ない。逆にシリアの査証があれば、陸海空(ベイルート空港再開の場合)と、
状況に応じて三つのルートを使えることになる。
しかしあいにく、15日から日本は3連休だった。シリアのビザを申請して受理す
るには最低2日はかかるから、14日に申請すれば18日まで東京に残らざるを得な
い。迷った末、私はいったん母と姉が暮らす奈良へ移ることにした。数日待てば停戦
が成立し空港が再開されるかもしれない。駄目なら、また上京してシリアのビザを申
請すれば良い……そう判断したのである。
この間、ブシャッレの家族とは電話で連絡をとりあった。電話回線はつながりにく
くなっていたが、何度かトライすればつながった。
ブシャッレは元来キリスト教徒ばかりの地区で、ヒズボッラーの拠点も無ければ国
軍施設も近くに無く、イスラエルの直接攻撃に曝される心配はまずない。妻は電話口
の向こうでブシャッレは平穏そのものだと言う。義父母と義兄たちがベイルートから
「疎開」して来ているのも心強い。
在留邦人救出に奔走する在レバノン日本大使館は、私の家族にもキプロス経由で退
避を奨めてくれたが断ることにした。海岸部が攻撃されている状況では、赤ん坊2人
(3歳と1歳)を連れた妻が、ひとりで無事港までたどりつけるかどうか心もとない。
それに老いた両親をブシャッレに残して脱出するのでは、妻も精神的にきついだろう。
私は、「必ず戻るから、しばらくブシャッレを離れずに待つように」妻に言った。
シリア・ルートに決定
脱出しないとすれば、当面の心配はカネだ。ブシャッレでもガソリンを中心に物資
は不足し、値段が高騰しはじめている。それにいよいよ脱出するしかないとなった時
にも、現金が無ければ話にならない。
私の出張はほんの3週間の予定だったから、妻には数百ドル程度の現金しか渡して
いなかった。それなりのドル預金もあって、その通帳は妻の手元にあるのだが、開戦
以来ドルの引き出し注文が殺到して、目下レバノン・ポンドしか引き下ろせない状態
にあると言う。レバノン・ポンドは一歩国境を越えると紙屑同然。とても脱出資金と
しては使えない。
苦渋の末、妻は単身トリポリの銀行に行って、日本の私の口座宛に貯金の一部を送
金することにした。私が日本で受け取った金を、またドルに戻して現金でレバノンに
運ぶわけだ。ブシャッレ・トリポリ間も往復2時間以上の行程である。この時には中
継アンテナが空爆されて、携帯電話も不通になっていた。妻がトリポリから無事自宅
に戻るまで、私は落ち着かぬ時間を過ごした。
私はキプロスからの再入国も検討した。しかし、キプロスから先の船便がない。各
国の軍艦や人道支援の船舶は出ているが、私のような一介の民間人が確実に乗れる船
は見当たらない。キプロスは観光シーズンの真っ最中でただでさえホテル代をはじめ
物価が高騰しているのに加え、押し寄せる大量のレバノン難民のため、滞在先の確保
も大変だ。そんなところでいつ出るかわからない船を待つことは出来ない。
結局、私はシリア・ルートを選んだ。在京シリア大使館やレバノン大使館と連絡を
とりあって、北部のアリーダ国境を経由するのが一番安全らしいとわかったので、そ
のルートを用いることにした。25日に再度上京し、在京シリア大使館で通過ビザを
申請。この時も、「ジャーナリストには通常の観光ビザは出せない。本国照会になる
から数日間はかかる」と言われたが、「ジャーナリストとしてシリアに行くわけでは
ない。レバノンの家族に会うために通過するだけだ」と泣きついて、何とか24時間
有効の通過ビザを翌26日に発給してもらった。ローマ会議が失敗、即時停戦の希望
が遠のいた日である。
脱出出来るチャンスがあったのに、ブシャッレに残るよう家族に指示したのは私だ。
妻は「ブシャッレは安全だから、あなたが危険を冒してレバノンに戻らなくても大丈
夫」と言うが、このまま私がレバノンに戻れず、家族に万が一のことがあったら、悔
やんでも悔やみきれない。シリアのビザをとってからも、私はキプロス・ルートかシ
リア・ルートかで迷った。しかし「これを逃せば次は7日まで便が無い」と言われて、
結局8月2日関西国際空港発フランクフルト、次いでウィーン経由でダマスカスへ向
かうフライトを押さえた。
長い道のり
7月30日、南部のカナ村で今回の戦争中最悪の虐殺事件が起き、イスラエルは4
8時間の限定的空爆停止に応じる。私は地団駄を踏んで悔しがった。もしためらって
いないでまっすぐシリアに向かって居れば、空爆停止の安全な期間にレバノンに入れ
たはずだ。
空爆停止期間が切れ、イスラエル軍がバアルベック以下レバノン各地に猛烈な爆撃
を再開した時、私はフランクフルト空港でウィーンへの乗り継ぎ便を待っていた。出
発まであと15分。ラウンジのテレビがレバノンからの映像を映し出した。英語で、
「北部アッカール地方への爆撃で、高架橋が破壊されました。これでレバノンとシリ
アへの交通路も遮断されてしまいました」そう言っている。
私は真っ青になった。場合によってはダマスカス行きをキャンセルして、キプロス
行きに切り替えるしかない。急いでレバノンの妻のところに電話をかけた。妻は「そ
れはアッカールの内陸の話。アリーダ国境からの道路はちゃんと開いているわ」と言
う。これで気を取り直して、ウィーンに向かった。
ウィーン空港で1泊し、翌朝3日の便でダマスカスへ。荷物を受け取って空港のロ
ビーに出てくると、もう午後4時になっていた。
空港ロビーで一度妻に電話して、アリーダ国境が夜も開いていること、付近では爆
撃が無いことを確認する。それからロビーのタクシー会社支所でアリーダ国境へ向か
うタクシーを手配。窓口の男が「怖くないのか?」と問う。「そりゃ怖いさ。でも家
族も居るし仕事もある。行くしかない」と答える。料金は110米ドル。物価の安い
シリアでは決して安くはないが、今は時間との勝負だ。愚図愚図しているとまたどう
状況が変わるかわからない。タクシーは時折時速140キロ超で爆走、私をまっすぐ
国境まで送ってくれた。
寂寞とした車窓の光景は、のびやかで隣国で戦争をやっているとはとても思えない。
左手のアンチ・レバノン山脈の裏側はベカー高原で、激戦地のバアルベックもすぐそ
このはずだが、イスラエルの爆撃機も、硝煙もまったく望めない。戦争を連想させる
のは、すれ違うバスやタクシーがヒズボッラーの旗や、ナスラッラー議長の肖像ポス
ターを窓に貼り付けていることくらい。靴磨きや露天商が集まる薄汚い地区でもポス
ターがベタベタに貼り付けてあった。貧しいシリア人たちは中東最強のイスラエル軍
相手にヒズボッラーが奮闘するのが痛快でならないのであろう。しかしこの人たちに
はヒズボッラーを助ける力も、戦争を止めさせる力も何もない。
レバノンへ
あたりが薄暗くなったころようやくアリーダ国境に到着。そこでジュニエ(トリポ
リとベイルートの間にあるキリスト教徒の町)に戻るというクウェート帰りのレバノ
ン人青年と、2人でタクシーを頼む。ひとり50ドルずつ。戦争インフレで、レバノ
ンへ越境するなら1000ドル以上を請求されると聞いていたことからすれば、ダマ
スカスからトリポリまで計160ドルで到達出来たのは幸運だった。
車がレバノン側検問所を超えると、運転手アブ・ムスタファに「この道はこれまで
空爆されなかったのか?」と聞いてみた。アリーダの隣、アブディーヤ検問所に通じ
る道は完全に破壊されており、ボコボコになった道路を避難民が徒歩で超える映像を
日本で見たからだ。「道はやられていない。でもいつやられるかはわからないよ。昨
日もずっとこの上空をイスラエル軍機が旋回していた」アブ・ムスタファがそう言う
ので、窓から首を突き出して空を眺めた。鮮やかな半月以外、何も目に入らない。
「そんなところを毎日走って、怖くないのか?」ダマスカスで訊かれた質問を、今度
は私が投げかけた。「仕方ないさ。俺にも4人の子供が居る」よく似た答が返ってき
た。
途中でアブ・ムスタファは道路の両脇の壊れた建物を指して「これは国軍の駐屯所
だった。海からの砲撃でやられたんだ」と言った。なるほど、レバノン国旗が描かれ
たセメントの建物が半壊している。
その後しばらく行くと、毛布や食料品などの救援物資を運ぶ国連のトラックの車列
に遭遇した。12,3台はあるだろう。この車列にしても、安全に被災地まで到着出
来る保障はどこにもない。
トリポリ出身スンニ派のアブ・ムスタファは、ブトルス(ピーター)と名乗る青年
に向かって、休み無くヒズボッラーを批判し続けた。「俺だってレジスタンスは支持
してきた。でも今回のことだけは納得行かない。何でヒズボッラーが勝手に戦争を始
めて俺たちみんながこんな目に遭わされねばならないんだ? ヒズボッラーだって、
観光立国のレバノンにとって7月、8月がいかに大切な時期かわかっているはずだ」
こんな調子だ。
トリポリで2人と別れ、また別のタクシーを頼んで一時間ほど夜の山道を登った。
見下ろすトリポリの夜景は薄暗く、電気の供給が滞っているのは明らかだ。夜9時半
になってようやくブシャッレの家にたどりつき、家族と再会した。
翌4日に目覚めてニュースを見ると、ベイルートと北部を結ぶ高速道路の橋三本が
ことごとく爆破されたと言う。ブトルスは一日遅れていたならジュニエに戻れなかっ
ただろう。戦時下ではほんの一瞬の差が人々の運命を分け、家族を引き裂いてしまう。
第22回(2006年7月28日配信)
泥沼化する戦争
民間人に大きな被害
7月12日に始まったイスラエルとヒズボッラーの戦争は、勃発以来2週間を経過
した。戦局が激しさを増す一方で、早期停戦に向けた関係諸国の外交努力は米国の妨
害でことごとく行き詰まり、泥沼化する恐れが日に日に強まっている。
7月27日現在まで、イスラエル軍の空爆・砲撃によってレバノン側では既に40
0人を超える犠牲者が出た。一方、イスラエル北部の都市に対するヒズボッラーの無
差別ミサイル攻撃と、地上の戦闘でイスラエル側にも40名程度の犠牲が出ている。
猛烈な空爆を受けながらも、ヒズボッラーは2週間経過した現在も連日100発超の
ミサイルをイスラエル領内に撃ち込んでいる。またマロン・ラアス村やビント・ジュ
ベイル市における交戦ではイスラエル軍は20名近い兵員を失った。イスラエルの軍
首脳は開戦後ほどなく「ヒズボッラーの戦闘能力の50%は破壊した」と誇って見せ
たが、これは大本営発表であったようだ。
家を失い、あるいは危険を避けてレバノン国内で避難民となった人、そして隣国シ
リアへ命からがら逃れた難民はあわせて60万人にも上る。レバノン国民のざっと5
〜6分の1程度が難民化した計算だから、破壊の規模の凄まじさがうかがわれる。
米国や英国は戦艦を派遣して数万人単位の自国民の救出作戦を行った。在留邦人の
多くもキプロス島やシリア経由で戦火を逃れた。
かく言う筆者自身の場合は逆で、たまたま日本に出張中に戦争が始まったため、レ
バノンに戻る術を失い、家族と生き別れになってしまった。インターネットで情勢を
追いながら落ち着かぬ日々を過ごしている。
イスラエルを庇うアメリカ
この間、国連や仏露両国、アラブ諸国などは一貫してイスラエルの過剰な武力行使
を批判、即時停戦を強く求めてきた。しかし27日現在までに停戦は実現していない
し、実現の目途も立っていない。
その理由はいたってシンプルで、ひとつは妥協点が見出せないことだ。前回指摘し
たとおり、ヒズボッラーは捕虜交換を成し遂げない限り絶対に拉致したイスラエル兵
士を解放出来ない。一方イスラエルの側も、兵士拉致が戦争の口実なのだから、兵士
が帰ってこない限りは攻撃を止めるわけにはいかない。どちらにとってもこの問題で
の妥協は全面降伏を意味するわけで、双方の面目が立つかたちで戦争を収拾するのは
不可能に近い。
もうひとつの理由はアメリカだ。1983年の海兵隊基地と大使館爆破事件、それ
に80年代後半の米国人連続誘拐事件以来、ヒズボッラーはアメリカの不倶戴天の仇
敵だ。2006年現在の地政学でもヒズボッラーはイラン・シリア陣営の尖兵であり、
ハマースの盟友だ。米国は2004年の安保理決議第1559号や、その後はハリーリ派
やジュンブラート派などレバノンの反シリア勢力に露骨に梃入れして、何とかヒズ
ボッラーの武装解除を実現しようと腐心したが果たせなかった。
この難題を今イスラエルが肩代わりして遂行してくれているのだから、アメリカに
はそれを止めさせる気はまったくない。即時停戦を求める国際世論に対して、アメリ
カがほとんど一国だけで身をはってイスラエルを庇い、イスラエルのために時間稼ぎ
をしている……端的に言って、これがレバノン戦争をめぐる今の構図だ。
ローマ会議の失敗
フランスやドイツの外相が次々と戦火のベイルートを訪問、停戦を求めるのに比べ、
ライス米国国務長官の腰は重かった。国際圧力に尻を叩かれるようにライスは26日
にローマでレバノン支援国の外相級会議の開催を呼びかけ、それに先立つ24、25
の両日にレバノンとイスラエルを歴訪している。
ライスのレバノン訪問は、しかしどうやら停戦のために重い腰を上げたと言うより
は、来るローマ会議で即時停戦に反対するためのアリバイつくりだったようだ。
ライスはレバノンでまずセニオラ首相と会談し、緊急人道援助を申し出ている。そ
の後、国会議長のナビーヒ・ベッリと会った。シーア派でアマルの党首であるベッリ
は、地下壕に姿を隠すナスラッラー・ヒズボッラー議長の唯一の代理人だ。だからラ
イスとベッリの会談は、イスラエルとヒズボッラーの間の代理交渉であったとみてよ
い。
この会談で、ライスは停戦と同時にレバノン国軍と多国籍軍が緩衝地帯に展開する
こと、ヒズボッラーの兵器は国境から30キロメートル以遠の地点まで撤去すること
などを盛り込んだパッケージ案を提示した。
ベッリはこれに対し、即時停戦と捕虜交換交渉開始を要求、ヒズボッラーの武装解
除を含め他の問題については後にレバノン国民対話で解決するという代案を提示。会
談は完全に平行線をたどった。
ベッリ案は、「開戦」前の現状復帰そのものだ。イスラエルとしては何のために世
界の轟々たる非難を浴び自国民も犠牲にして戦争に踏み切ったのかわからない。これ
ではイスラエルが呑める筈はない。
しかしこの会談のお陰で、「イスラエルが攻撃を続け新たな軍事バランスが現出し
ない限り、現状では停戦も多国籍軍派遣も不可能だ」という言い訳をライスは手にい
れた。そしてそのままローマに乗り込み、「停戦は永続的かつ包括的なものでなけれ
ばならない」、と押し切り、ほとんど一国で即時停戦要請の発出をくいとめたのだ。
また、シリア、イラン両国を含めた地域諸国に停戦実現に向けて協力を求めるアナ
ン事務総長の意見も、ライスは「シリアと何を話すと言うのですか? シリアが行動
する(ヒズボッラーに圧力をかける)用意があるか、それが問題なのです」と一蹴し
た。国連と米国の力関係がはっきりとした一幕であった。
なお、ローマ会議の数時間前にはイスラエル軍がレバノン南部ヒヤームにあった国
連レバノン暫定部隊(UNIFIL)施設を「誤爆」し、停戦監視員4名を殺害して
いる。基地はヒズボッラー施設から離れている上、爆弾の直撃を受ける前に何度もU
NIFIL側から、危険だからこの地域への爆撃をやめるようイスラエル軍に要請し
ていたことも判明している。このためアナン事務総長は「意図的な攻撃だ」と異例の
イスラエル非難を行った。中国など殺害された兵員を派遣していた諸国の怒りも激し
く、イスラエルの国際孤立は一層加速されそうだ。
ナスラッラー暗殺狙いか?
開戦当初のインフラを狙った大規模空爆は一段落し、イスラエル軍の作戦の焦点は、
国境から数キロメートルレバノン側に入り込んだところにある村落の制圧に移ってい
る。一村ずつ、いや、一軒ずつ民家を調べ、山や谷を捜索し、ゲリラや武器庫、ミサ
イル発射装置などを虱潰しにしていくわけだ。当然ながらゲリラは随所に隠れて敵の
到来を待ち構えている。しかもそのゲリラはそこに生まれ育ち地形を熟知しており、
郷里防衛の士気も高い。イランやシリアから優れた装備も供給されている。これまで
の戦いを見る限り、イスラエル軍が国境付近のヒズボッラー兵を掃討するという目標
を達成するのにはかなりの困難が伴いそうだ。拉致兵士は安全なところに移送されて
いるだろうから、その解放はさらに一層難しい。
イスラエルが本来の目標を達し得ないとすれば、どんなケースであればイスラエル
軍の面子が立つか?
ひとつの可能性はヒズボッラーのカリスマ指導者、ナスラッラーを殺害した場合だ。
思えばイスラエルにとっての悪夢は、1992年に前任のアッバース・ムーサウィを
殺害した後に始まった。1993年、1996年の掃討作戦の失敗。2000年の一
方的撤退。1998年と2004年の捕虜交換。いずれも、イスラエルに煮え湯を飲
ませたのはナスラッラーだった。
預言者ムハンマドに連なるという(真偽のほどは定かではないが)血統の良さ。穏
やかで説得力のある語り口。しかしいったん演説を始めると、炎のような情熱的な言
葉で大衆の魂をとらえる。そして言ったことは必ず実行する、実行出来ないことは言
わないことから来る信頼感……1992年以降のヒズボッラーにとって、このカリス
マ指導者の存在は決定的に大きい。イスラエル軍と政府の幹部は開戦以来、いや開戦
以前でさえ、ナスラッラー抹殺の意志を隠そうとしていない。
ただ実際にそんな事態が起きた場合、状況が果たして鎮静化するのか、それとも反
イスラエル感情が今以上に燃え盛って収拾のつかないことになるのかは予測出来ない。
最悪のシナリオは、イスラエルのシリア攻撃だ。かつて大日本帝国は広大な中国大
陸での泥沼の戦争にのめり込み、挙句の果て中国の背後に居た米英両国を相手に破滅
的な戦争を始めた。イスラエルで「シリアに一撃を加えない限り、ヒズボッラー相手
の勝利もあり得ない」という世論が盛り上がると、第五次中東戦争勃発は避けられな
くなる。
絶え間ない戦争
あの激しい内戦中でさえ、日本のメディアがレバノンに注目することは稀だった。
最近では2005年2月にハリーリ首相が暗殺され、反シリア・デモが燃え盛った時
にだけ、一時的に日本のメディアもレバノンに注目したが、その後レバノン情勢が袋
小路に落ち込んでいくと、メディアの関心も冷め切ってしまった。
今回、この戦争のおかげで日本のメディアも流石にレバノンに焦点をあてて、「ヒ
ズボッラーとは何か」などと、連日さかんに報道している。
それはそれで結構ではあるが、ひとつだけ苦言を呈するなら、7月12日の「確か
な約束作戦」に至る経緯がほとんど報じられていないことだ。だから、「平和なとき
に一方的にヒズボッラーがイスラエルに挑発を仕掛けた」と言ったイメージが出来上
がっている。
この連載の読者は既にご存知のとおり、ことはそんなに単純ではない。ヒズボッラ
ーが平和を破った、戦争を仕掛けた、と言うが、そもそもイスラエルとヒズボッラー
は相互承認もしていないし、当然両者の間には平和条約もない。両者は不断の戦争状
態にあった。
イスラエル軍は南部を撤退した後も、一日何十回という頻度でレバノン領空を侵犯
し、漁船を拿捕し、羊飼いを殺害してきた。このイスラエルの脅威が現実に存在して
いたからこそ、シーア派国民はヒズボッラーの武装継続を支持し、反シリア勢力はヒ
ズボッラーを武装解除出来なかったのだ。ヒズボッラー活動家の暗殺を専門に行って
きたモサドのスパイ網が摘発されたことも、先日報告した。
もちろん、私がこう書くのは決してヒズボッラーを擁護するわけではない。ヒズ
ボッラーもイスラエル国内にスパイ網を築き、秘密工作を行ってきたし、パレスチナ
人のインティファーダの影にも頻繁にヒズボッラーの姿が見え隠れする。つまり、両
者はずっと影の戦争を戦ってきたのであって、決して7月12日に「突然平和が破ら
れた」わけではないのだ。
今回の戦争が過去10年間の衝突と違っているのは、「4月合意」の枠が崩れた点
である。1996年のイスラエル軍による南部大空襲と、ヒズボッラーのミサイル攻
撃が双方の民間人に甚大な被害を与えたので、今後は民間人やインフラ攻撃は控え、
双方の戦闘員・軍事施設の攻撃に限定しようと生まれた合意が「4月合意」である。
過去10年間、曲折はあったがこの合意は守られてきた。今回のヒズボッラーの捕虜
獲得作戦も、この枠内で行われた。
それに対していきなり空港や港、道路や通信施設などを破壊しつくして、何十万人
もの民間人をホームレスにしたのはイスラエルだ。ルールを先に破ったのはイスラエ
ルなのである。だから、国際社会のイスラエル批判と即時停戦呼びかけを私は全うな
意見だと思う。
連載第21回(2006年7月18日配信)
イスラエル、二正面作戦に踏み切る
「確かな約束」作戦発動
イスラエル軍がガザに猛攻を加える最中の7月12日。
今度はイスラエルの北部国境で火の手があがった。国境付近のツアリートの軍施設
にヒズボッラーのゲリラが潜入し、巡回中の装甲車両を破壊した。そして兵士二名を
拘束するとミサイル砲の猛烈な援護射撃に守られて、レバノン領内に引き返した。こ
こまではガザでパレスチナ・ゲリラが敢行した捕虜捕獲作戦の忠実な再現である。
ガザのケースと違うのはこの後の展開だ。兵士を奪還すべくゲリラの後を追いレバ
ノン領内に入り込んだイスラエル軍戦車は地雷に触れて大破。この日戦死した兵士は
計8名に及んだ。人口の少ないイスラエルにとって、これは大損害である。
ヒズボッラーは、かねてから公言していたイスラエル兵捕獲作戦(コード名「確か
な約束」作戦)を、こうやって華々しく成功させた。
逆にイスラエル軍にとっては大きな失点となった。情報機関はヒズボッラーが国境
でイスラエル兵士拉致作戦をやるという情報を掴み、たびたび警告を発していた。に
も関わらず、ゲリラに完全な不意打ちをくらい、みすみす兵士をさらわれてしまった
のである。しかも、二週間前にガザでもほとんど同じ手口でやられているのに。
果たされなかった約束
今回の兵士拉致劇の発端は2000年5月のイスラエル軍のレバノン撤退に遡る。
当時のエフド・バラク政権が1978年以来の南部レバノン占領に終止符を打った
理由はふたつあった。ひとつは泥沼化したヒズボッラーとの闘争を何とか終わらせよ
という国内世論が高まったためだ。もうひとつは、イスラエル軍が撤退してしまえば
ヒズボッラーは武装闘争継続の口実を失い、レバノン内外の世論に屈して武装解除を
強いられるという読みである。
しかしヒズボッラーの軍事力は、イスラエルと対峙するシリアやイランにとっては
貴重な戦略資産だ。そう簡単に武装解除させるわけにはいかない。
そこでヒズボッラーが持ち出した武装闘争継続の理屈がふたつあった。ひとつはシ
リアとの境界が不明確なシェバア農地はレバノン領である、イスラエル軍はまだレバ
ノン領土を占領しているという主張だ。そしてもうひとつはレバノン人やパレスチナ
人のゲリラ、政治活動家が数千人単位でイスラエルの獄中につながれている事実であ
る。「イスラエルには力の論理以外は通じない。政治犯釈放を勝ち取るには、イスラ
エル人を捕虜にして、交換交渉を行う以外にない」と言う論理だ。
2000年7月にヒズボッラーは早速この論理を実践に移した。シェバア農地近く
でイスラエル軍のパトロール車を襲い兵士3名を拘束したのである。その上で、ドイ
ツを仲介に粘り強い交渉を続け、2004年1月にレバノン人政治犯23名とパレス
チナ人400名の解放を勝ち取った。なお、交渉が妥結して初めて、この3人の兵士
は拉致作戦の際にほぼ即死していたことが判明した。ヒズボッラーは4年近くにわた
って捕虜の生死さえひた隠しにして、交渉を成功させたのだ。子弟の安否に関する情
報を一切得られなかった家族には同情するが、ヒズボッラー側の交渉術は見事であっ
た。
しかしこの時の合意は、ヒズボッラー側にとっても100%満足の行くものではな
かった。サミール・カンタールなど政治犯数名の解放にイスラエルが最後まで応じな
かったからである。「レバノン人政治犯については全員を解放させる」というナスラ
ッラー議長の約束は果たされなかった。この後も捕虜交換交渉は続いたが、ナスラッ
ラーはことあるごとに「交渉でらちが明かないのであれば、新たにイスラエル兵を捕
虜とし、イスラエルに捕虜交換を強いる」と公言してきた。捕虜を奪還するという約
束が「確かな約束」になるには、早晩新たな軍事行動が必要だった。
ヒズボッラーの計算
では何故、ヒズボッラーは7月12日に「確かな約束」作戦を敢行したのか? ナ
スラッラーは「作戦発動は前から決まっていた。イスラエル軍のガザ攻撃とは関係な
い」と言う。しかしこれを真に受ける人は少ないだろう。
盟友のパレスチナ・ゲリラが、イスラエル軍の猛烈な攻撃にも関わらず、捕虜を引
き渡さず頑張る状況をみて、側面支援したのかもしれない。闇雲に力に訴えるだけ
で、捕虜解放という基本目標を達成出来ないイスラエルに、一層の揺さぶりをかける
つもりだったかもしれない。もっとうがった見方をするなら、そもそもガザでの捕虜
獲得作戦にもヒズボッラーが関わっており、当初からガザとレバノンの両戦線でオル
メルト政権を窮地に追い込む計画だったのかもしれない。真相はわからない。
しかしおそらく作戦実施の決定は、「従来のゲームのルール内におさまる」という
状況判断から発していた。ヒズボッラーが2000年に兵士3人を拉致したときも、
あるいはシェバア農地に砲撃を加えた時にも、イスラエルの報復は数日間の局所的な
爆撃に留まり、地上軍の侵攻はなかった。もう二度とレバノンの泥沼に足を踏み入れ
たくないという世論はイスラエルに根強い。ヒズボッラーが保有する膨大な数のミサ
イルも怖い。イスラエルとヒズボッラーの間には、2000年5月以降、「恐怖の均
衡」とも言うべき抑止力が確かに存在した。今回もイスラエルが一線を超えることは
しないだろう…ナスラッラーの頭には、そんな読みがあったのではないか。
イスラエルの報復
しかしこの読みは外れた。「確かな約束」作戦が敢行された直後から、イスラエル
は戦車部隊を一部レバノン領に侵攻させるとともに、レバノン全土に猛烈な爆撃を加
え始めた。
オルメルト・イスラエル首相は来訪した小泉首相が自制を求めても取り合わず、
「これは単なるテロ攻撃ではない。主権国家による戦争行為というべきだ」と、レバ
ノン政府全体の責任を追及。ガザで兵士拉致への報復として、パレスチナ自治政府と
ガザのインフラ全体を標的にしたように、レバノンでも各地の道路や橋梁、発電所さ
らには空港、港湾までも破壊し、陸海空でレバノンを封鎖下に置いた。
空前の観光ブームを迎えていたレバノン国内はパニックに陥った。避暑に来ていた
サウジなど湾岸諸国の観光客は、13日に大挙して陸続きのシリアへ脱出。しかし間
もなくシリア領に通じる道路も爆撃で通行不能になり、16日現在、フランスや米国
は自国民を海路キプロス経由で脱出させようとしている。
逃げ場のないレバノン人の場合は悲惨だ。15日には南部のマルワヒーン村からテ
ィール市に向かって脱出を図る村人たちのバスが爆撃を受け、23名が殺された。
「開戦」後のわずか4日間で、レバノン側の死者は100名を超した。そのほとんど
が非武装の民間人である。もはや虐殺というべきであろう。
イスラエルの攻撃の重点対象は、シーア派集住地域である南部やベカー高原、そし
てダーヒヤ(ベイルート南郊外)。特に、関連施設が集中し、ヒズボッラーの心臓部
とも言えるダーヒヤは集中的な爆撃を受け、ナスラッラー議長の執務室やシューラ委
員会(ヒズボッラーの最高意思決定機関)事務所も破壊された。
一方のヒズボッラーは、連日100発近いカチューシャ・ロケットをイスラエル領
内に撃ち込んでいる。その一部はハイファ市やタイベリアス市など、国境からかなり
離れた重要都市にも着弾した。またベイルートを砲撃した戦艦を炎上させ4名を殺害
するなど戦果も挙げた。16日にはナスラッラー議長みずからテレビ演説を行い、
「戦いはまだ始まったばかりだ。ヒズボッラーの戦闘能力は無傷で残っている」と徹
底抗戦を呼びかけている。
見えない危機収拾のシナリオ
ヒズボッラーの読みが外れたのは、イスラエル政治における軍の影響力増大を見落
としたからだ。イスラエル軍の中には、「怒りの葡萄」作戦以来、ヒズボッラーに対
する政府の弱腰な姿勢への反発が脈々と根付いていた。
「怒りの葡萄」作戦とは、ヒズボッラーのカチューシャ・ロケット攻撃を根絶する名
目でイスラエルが1996年に行ったレバノン南部大空襲を指す。空襲に怯まず、ゲ
リラは神出鬼没してカチューシャ・ロケットの雨をイスラエル領内に降らせ続け、イ
スラエルの世論は作戦の効果に疑問を持ち始めた。そんな中、カナ村で国連の避難シ
ェルターが誤爆され、民間人100名近くが殺される悲劇が起きる。イスラエル政府
は国内外の圧力に屈して、双方の民間人を標的にしないという「4月合意」を受け入
れ、ようやく停戦にこぎつけた。合意によってイスラエルは「テロ組織」ヒズボッラ
ーを事実上、交渉のパートナーとして認知させられたわけだ。
この後2000年にイスラエル軍撤退、2004年には捕虜交換が実現する。いず
れのケースでも軍内部では強い反対があった。しかし2000年の首相はバラク、2
004年はシャロン、いずれもイスラエル軍の英雄だから、軍の不満を抑えることが
出来た。
今は違う。首相のオルメルトも、国防相のペレツも文民であり、軍出身ではない。
少々の犠牲を払ってもハマースやヒズボッラーを徹底的に潰してしまいたい軍にとっ
ては、願ってもない好機なのだ。それに、ガザとレバノンで相次いで兵士を拉致され
た失点も挽回せねばならない。
ヒズボッラーとしては、多くの犠牲を払って確保したイスラエル兵捕虜を、何の見
返りもなく解放するわけにはいかない。ここでイスラエルの軍事圧力に屈して、捕虜
交換を達成せずにイスラエル兵を解放することは無条件降伏に等しい。
一方のイスラエルにとっては、ミサイル攻撃停止と並んで、捕虜解放は停戦の最低
条件だ。「テロリスト」との交渉には一切応じない、という原則をここで折り曲げて
は、ガザ危機勃発以来の政策の誤りを認めるようなものだ。
つまり、ヒズボッラー、イスラエル双方ともに、捕虜の問題に関してはまったく妥
協や譲歩の余地が無いのである。この状況では、仲介者が誰であっても、停戦交渉を
まとめるのは至難の業だ。
1996年のレバノンには、故ラフィーク・ハリーリ首相という類稀な世界的コネ
クションを持つ人物が居た。ハリーリがサウジ王室やシラク・フランス大統領との太
いパイプを総動員し、米国のクリントン政権をも動かして、停戦を成立させた。
10年後の今、ハリーリ首相はもう居ない。そして1996年には無かった捕虜問
題が加わり、状況を複雑にしている。当面、危機打開のシナリオは見えない。
鍵を握るシリア
ヒズボッラーはイスラエルの反応を読み誤ったかもしれないが、イスラエル側にも
読み違いはある。射程の長いミサイルなど新兵器をヒズボッラーが次々と繰り出し、
ハイファのような重要都市までが攻撃にさらされることは、イスラエル軍にとっても
想定外だったであろう。5日間の徹底的な空爆にも関わらず、捕虜解放は実現しない
しミサイル攻撃も止まない。小規模とは言え国内での反戦運動も始まっている。こん
な展開を、イスラエル軍は予測出来ていたかどうか。
ナスラッラーはテレビ演説で「戦いは始まったばかりだ」と言うが、その通りであ
ろう。消耗戦、持久戦こそゲリラ戦の真骨頂。長引けば長引くほど、イスラエルにと
って状況は不利になる。
今後の展開を予測する上で鍵になるのは、シリアだ。これまでのところ、イスラエ
ルはシリアへの直接攻撃は控え、攻撃対象をレバノン国内に限定している。だがイス
ラエルがハマースやヒズボッラーの「黒幕」としてシリアを標的に加えた場合、「イ
スラエルは想像を超える高い犠牲を払う」とイラン首脳は公言している。シリアの
「中立」が続くか、それともイスラエルが三正面作戦に踏み切るか。もしイスラエル
が後者を選んだ場合、紛争は一気に第五次中東戦争へと発展しかねない。