シリア取材旅行


 メレス捜査団の第二報告書提出が迫った2005年12月7日から11日にかけての5日間、ダマスカス取材旅行を行いました。
 筆者(編集人)は第一次湾岸戦争直後の1990年3月から9月にかけて、ダマスカスの旧市街で暮らしたことがありますが、その後は2000年4月に数日間の旅行を一度行っただけで、シリアは近くて遠い国になっていました。
 このページはこの取材旅行の旅行記のようなものです。気軽に読んでください。



 ダマスカスで一番良い思い出は旧市街の民家。うねうねと細い路地が続くが、ひとたび扉を開けると、中にはこんな世界が。中庭の中心には噴水があり、その周りにはレモンやオレンジの木が植わっている。普通の民家が、まるでアルハンブラ宮殿か、レバノンのベートッディーン宮殿のミニチュアになっているのだから驚く。
 そして静寂。車が入ってこないからだ。ダマスカスの旧市街に入ると、いつもタイムスリップしたかのような気分にとらわれる。
 筆者もこんな民家のひとつに下宿していた。当時は観光振興という発想がまるでなく、旧市街の中にはおしゃれなレストランやカフェテリアは皆無に近かったが、今はむしろ過当競争なくらい。
 無理もない。レバノンなど、他の国ではレストランのためにわざわざこのパティオを建設するのに、ここダマスカスでは普通の家がそのまま使えるのだから。ちょっと投資すればたちまちロマンチックな空間に生まれ変わる。写真は民家を改装したレストランとしては老舗の「ベート・ジャブリ」。アルコールは置いていない。しかし旧市街でもバーブ・トーマやバーブ・シャルキなどのキリスト教徒地区に行けば、バーもある。


パティオがあるダマスカスの旧家へのノスタルジーが嵩じて、宿泊先も旧式の
家を選んだ(写真左)。旧市街の城壁からは外側になるが、旧式の家が連な
る一角があり、そこに数軒このスタイルの安宿が並んでいる。写真はそのうち
のひとつ、ラビーア・ホテル。バス・トイレが共同のシングル・ルームなら7ド
ル、ダブルでも10ドル程度と格安。バックパッカーの間では有名らしく、滞在
中は常に日本語も聞こえて来た。

 
 宿が決まると、次にこの仕事に欠かせないのは通信。インターネット・カフェは花盛りだが、どこでも持参のラップトップに接続させてくれるわけではないし、通信速度もそれぞれ。
 今回はもっぱら CI@O(チャオと発音するのだろう) NETを用いた。 ラビーア・ホテルから徒歩数分の場所にあり、アクセスが便利なのに加え、高速ASDLを導入しており他の店よりは格段に早く感じる。YAHOOメールに加え、OUTLOOK EXPRESSを用いたメールの受信も可能(送信は出来なかった)で、HPのアップロード作業もストレスなく行える。
清潔で機能的な店内。料金は1
時間あたり75シリア・ポンド(実勢
で150円程度)と、別の店より若
干高めだが通信速度と安定性を
勘案すればリーズナブルと言え
る。日本へのIP電話も可能。朝8
時から夜12時まで営業している
(写真左)。

CI@O NETの若き経営者アハマ
ド・シブリ君。若干21歳で、大学で
ビジネスを学んだ後2ヶ月前に開
業したばかり。しかし狭い店内は
いつも混み合っていた。設定など
で困ってもサポートしてくれるので
安心(写真右)。
 入国してまず目についたのは、「シリアは脅迫に屈しない」「神よシリアを御加護あれ」など、外圧を批判するポスターや横断幕がここかしこに掲げられている点。シリアが前面に出てきて、アラブの大義が引っ込んだ印象も否めない。写真上はハミディエ市場近くの城壁に掲げられていたもの。「神がシリアを守り給う」とある。
 下はハミディエ市場のアーケードに30メートル程度の間隔でかかる横断幕の一枚。
「レバノンの兄弟たちよ…サアド・ハリーリよ…目を覚ませ。ラフィーク・ハリーリを殺したのはイスラエルと米国そしてその協力者どもだ」
と読める。横断幕の効果はあるらしく、今回筆者が話を聞いた人は、全員この説を採用していた。

 
  前情報相顧問を努めたハッジ・アリ博士。現政権に対する不満はいっぱいだが、ことハリーリ暗殺事件については
「ハリーリはシリアが育てた政治家だ。それに暗殺に用いられたテクノロジーはシリアのものではない。イスラエルとアメリカの仕業だ」
と断言(インタビュー詳細は9日付記事参照)。

 上に紹介した若きITビジネス経営者シブリ君は、ネット世代でシリアの外の報道にも広く接しているから、ちょっと違う見方をしているのでは、と思ったが、答えは似たり寄ったりだった。
「今起きていることは昨日今日にはじまったことではなく、60年前からの動きの中にある。欧米はずっとアラブ世界を思いのままに動かそうとしてきた。今はその障害になっているのはシリアだけだ。だから、イラクの問題やパレスチナの問題、レバノンの問題を持ち出して、シリアを言いなりにしようと試みている。ハリーリ暗殺もその一環に違いない」

 すごかったのは、下のラウダ広場(米国大使館に近い)のテントで集会を企画したNGO代表のニザール・ミフーブ氏。
「昨日届いた情報だが、サアド・ハリーリは親父のラフィークと確執があって、パリで何と二回もラフィークを殺そうとしたことがあるらしい…」
 この仰天情報には筆者もしばし絶句してしまった。




ラウダ広場に設けられた、その名も「祖国のテント」。左上には英語で
「ブッシュよ、我々が求めるのは我々流の民主主義であってお前が言う民主主義ではない」
と読める(写真上)。

冒頭の写真と同様、ラウダ広場の「祖国のテント」の集会に参加していた子供。
レバノンでもそうだったが、政治活動に子供を動員するのはいかがなものか。



 
 ラビーア・ホテルに同宿していて知り合ったクルド系シリア人のマラカさん(写真左)。
 バアス党とPKK(トルコのクルド組織)の両方で活動していたという数奇な経歴の持ち主。上の
写真にあるように、外圧に反対する愛国運動の中で子供が利用されていることに対しては強く反
対する。
「子供たちが周囲や親の言いなりになって、何もわからぬまま特定の政治立場を受け入れるよう
になれば、その社会は画一的になって何の進歩も期待出来ない」
 まったく同感。
 彼女の批判はクルド人社会にも及ぶ。
「クルド社会の部族抗争は激しく根が深い。家族や部族と言うのは社会の中核単位。それが団結
出来ないようでは民族の団結はありえない」
 ハリーリ暗殺事件については、彼女もシリアに対して仕組まれたもの、という立場だが、「覆面証
人」ホサーム・ホサーム(彼もクルド系シリア人)については厳しい。
「彼も政治的に利用されているだけよ。クルド人はいつもそう」
 クルド人でありながら、汎アラブのバアス党で活動した理由は至極現実的。
「クルドでは仕事がないもの。アラビア語を磨いてアラブとして活動すれば仕事の機会はいっぱい
あるわ」
 アラビア語で詩を書くという彼女の正則アラビア語は、実際筆者の同世代としては例外的なほど
語彙と表現が豊富で洗練されていた。

  シリアが情報鎖国だった時代は終わったと言うのが大きな印象だ。
 衛星テレビではアル・ジャジーラやアル・アラビーヤ、CNNどころか、反シリアに凝り固まっているアル・ムスタクバルさえ視聴できる。インターネットを使えばレバノンの日刊紙もすべて読める。メレス捜査団の動きを詳しく報じるサフィール紙やアル・ハヤー紙は街角のスタンドで購読出来て、しかもレバノンで買うより半額以下という安さだ。
 安いと言えば、滞在費、食費と交通費が安上がりなのは何にも増して有難い。
 取材に欠かせないタクシー代の場合、レバノンと違ってメーターがついていて明朗会計、しかもよっぽど走っても滅多に1ドルにもならないのだから利用しない手はない。
 もっとも、人口爆発のせいで供給が需要に追いつかないらしく、通勤時間などに利用する場合はかなりの時間待ちを覚悟した方が良い。

 こんなに簡単に行けて、しかも動きやすいのなら、もっともっと頻繁にやってきて取材の幅を広げて行きたい。