ブルジョワジーの愛国心

(Le patriotisme de la bourgeoisie, 1906)

 

 私の見るところ、社会主義者はお人よしすぎる。インターナショナリストのことを利敵行為をする者だとブルジョワたちが誹謗するがままにさせ、彼らに〈祖国〉の敵を倒しその栄光と偉大のために働くべく定められた筋金入りの愛国者を気取らせるがままだ。これは結果的にうまいやり方ではなかった。なぜなら、社会主義者が国民としてあるいはインターナショナリストとしての心情を訴えようとすればするほど、愛国者の問い掛けに対し妥協と譲歩を重ね、一方ブルジョワは攻撃を何倍にも激化させ、〈祖国〉に対する勇敢で完全無欠の擁護者とうぬぼれるに至るからだ。社会主義者は、次回1914年の選挙では、愛国的な心情をしっかりとつかもうと考えているが、その勢いを取り戻すためには、どっちつかずの態度を捨て、防御から攻撃に移り、ブルジョワジーの愛国心の仮面をはぎ取って真実を白日の下にさらす以外にはない。

 

1.1870〜71年におけるブルジョワの愛国心

 現代史において、1870〜71年の普仏戦争のときほどブルジョワジーがその愛国心を誇示したときはなかった。

 共和国は宣言された。だが、帝政のブルジョワ共和派はパリ市庁舎に腰を据えていた。ストラスブールやメッツ、パリは包囲された。侵入する敵を押し返すことは、祖国を救い、共和国政体を栄光の下に確立することだったのだが、共和派の連中は、高慢にも臨時国防政府の称号を掲げ、わずかな領土、国境線の石ころひとつさえ譲歩しないと触れ込んでいた。

 パリの労働者はといえば、かつてラ・リカマリーやサン=オーバンでスト参加者を銃殺した帝政から解放され、共和国が社会改革の時代を開くと考え、防衛のために集団で立ち上がった。熱い想いに突き動かされ、彼らは敵に襲いかかり地方の部隊に加わって包囲軍を攻撃するために包囲線を突破しようとした。

 労働者の勢いはきわめて性急で駆り立てられたものだった。ためにブルジョワジー自身も国家防衛に加わりプロイセンに対して立ち向かおうとしたほど戦争熱にとらえられた。

 だが、パリに最初の砲弾が撃ち込まれるや、ブルジョワジーの愛国熱はたちまち消えうせた。ビスマルクは彼らの不動産に大きな穴を開けにかかった。不安と恐怖の叫び声が起こった。祖国が破れ、共和国が倒される。そんなことはどうでもいい。肝心なのは、わが家が壊されないことだ! これが愛国者を気取ったブルジョワジーの心の叫びだった。これ以降、国防政府は、売国政府となった。ギュスターヴ・トリドン〔1841〜71:ブランキ派の中心的メンバー〕は、ブランキ派の新聞『危機に立つ祖国』(Patrie en Danger)上で、この煉瓦づくりの愛国心を憤懣に充ちた調子で告発した。

 政府はもはや、講和を強行するためには、愛国的民衆を飢えさせ、無意味な出撃で好戦的な労働者階級の血を流させることしか考えなかった。その出撃たるや、労働者階級の戦争への熱情を切り捨てたために、初めこそうまくいったものの最後は退却に終わってしまった。デュクロ将軍は戦術に長けていたが、彼は勝つか死ぬかの出撃を指示したのであり、プロイセン軍の銃弾が見逃した労働者を殺すために生きて敗者となった。この愛国の英雄は、そのブルジョワ的で勇敢な行動を〈不死鳥〉の異名をもって賛えられた。

 10月31日と1月19日の二度にわたって、労働者と社会主義者は、売国政府をパリ市庁舎から追い出そうとしたが、二度とも治安部隊によって押し返された。政府は、パリの民衆を鎮圧するために、慎重にも治安部隊を戦場から離れた場所に配置していたのだ。もはや敵はプロイセンではなく、プロレタリアートだった。政府は急いでビスマルクと交渉を持った。包囲され地方との連絡もないパリの政府は、各地で交戦中の軍の状況も知らず(あるいはきわめて不完全な情報しか与えられず)、ボルドー政府にお伺いを立てることもなく、東部地域の軍を撤退させることとなる講和に署名し、アルザス・ロレーヌの割譲と50億フランの賠償金という和平の条件を呑んだ。

 包囲された一方の政府が自らの勢力範囲外にある軍や都市のために交渉を行ったのは、これが最初だった。フェーブルやシモン、フェリー一派はこの罪によって銃殺されるべきだった。ランクとガンベッタは(1)激しく憤り激昂しジュール・シモンを逮捕した。シモンは、ボナパルト派代議士ならば宣戦布告に一票を投じなければならぬと言明した人物だ。

 ビスマルクの保護の下に選出されたボルドー議会――クレミューの言によればフランスの恥辱(彼は命をもってこの辱めを償った)――では、帝政派とブルジョワ共和派がガリバルディにヤジを浴びせかけようと手を握っていた。ガリバルディは、フェデルブとともに、プロイセンと戦いだが文句も言わずにいそいそと不名誉な和平の条件に賛成した唯一の将軍だったからだ。いかなる和平条件にも署名しようという彼の熱意はビスマルクを驚かせ、そして財政顧問ブライヒローダー(ティエールは彼にレジョン・ドヌール勲章を授けた)が提案したように要求額を100億フランにしなかったことを後悔したのだ。

 議会の愛国者たちは独裁者ティエールに拍手喝采を贈り、そのティエールは売国政府のブルジョワ共和主義者たちを大臣として迎え、ガンベッタを追跡した。ティエールはガンベッタを狂暴な狂人と呼んだが、それは、ドイツが力を使い果たしていることを知り、抵抗運動を続けようとしていたからだった。とはいえ、わずか数年後、アルザスとロレーヌが解放され、50億フランが支払われ、和平が戻ったとき、勢いづいたブルジョワ愛国者たちは臆面もなくガンベッタを防衛の英雄と呼んだのだ。

 フランスの恥辱である議会は、ボルドーからパリに移り、もったいぶった議長たるティエールは、労働者や社会主義者の軍備を解き制圧しようとした。彼らは怒っていた。なぜなら売国政府は、当時毎日いたるところで膨大な蓄えがあったにもかかわらず、パリを窮乏化させ、すぐに降伏するようにと無用の血を流させたからだ。

 今日、ブルジョワ愛国者たちはアルザス・ロレーヌの割譲については、空涙を流すが、1871年には、50億フランについても、アルザス・ロレーヌについても涙を流すことはなかったし、彼らの家からプロイセン軍が持ち去った金時計のことしか心配しなかったのだ。実際、数年の間、新聞には、盗まれた金時計についてうめくブルジョワジーの声が響いていた。

 ブルジョワ愛国者が悔やむのは金時計のことだけなのだ!

 

2 ブルジョワ愛国者と高率年利の公債

 ブルジョワ愛国者は祖国の災難によって一儲けしている。

 数千の兵士が犠牲となった1870〜71年の戦争は、フランスの三分の一に大損害を与え、アルザス・ロレーヌを奪われ、およそ100億フランの出費と、〈公債〉の利子生活者には収入のうちびた一文の損失も与えない50億フランの賠償金を強いた。売国政府は、貯蓄銀行の預金支払いを停止し庶民を破滅に追い込む一方、ブルジョワ愛国者には公債の利子をいつもどおり支払ったのだ。まったく、戦争は愛国的資本家に金を儲ける格好のチャンスを与えたのだ。

 アンザン鉱山の大株主であるティエールとルーアンの大紡績業者であるプイエ=ケルティエが小躍りして署名したアルザス・ロレーヌの割譲は、アンザンやパ・ド・カレの炭鉱会社の競争相手であるオーランの炭鉱を追い払った。セーヌ下流やノールの製糸工場主の競争相手であったアルザスの製糸工場や織物工場を追い払ったのだ。1000万にも上るこれら工業地帯の途方もない富は、この災厄の日に始まる。アルザスの愛国者はこの割譲から利益を得たといわけだ。二つの国内市場を手にしたおかげで、コクランやドルフュスその他大工場主はアルザスの工場を維持し続けたばかりか、ベルフォールやトロワイユなどに別の工場を建てるに至った。さらに、労働者を獲得するために、アルザスとロレーヌの労働者の愛国心をかき立て、プロイセンの軛(労働者はそれに順応していたのだが)を逃れるためにフランスへの移住を唆した。だまされて移住したのは、大勢の貧窮者たちで、彼らはわずかな所有地を捨て値で売り、コクランやドルフュスその他の大愛国者たちがそれを買った。コクランは目算どおり土地の買い占めが終わるや、労働者の愛国心をかき立てようと、ドイツの勲章のためのボタン穴はつけずギヨーム二世が彼に与えた勲章をいそいそと受け取ったギヨーム一世のことを語った。人々が語るところによれば、愛国心者の父バレスやデルーレドなどはこれを好機とアルザス・ロレーヌでの土地財産を増やしたのだ。

 フランスの銀行は巨大な利益を手にした。1868年には一株あたり90フランだった配当金は、1871年には270フラン、1872年には320フラン、そして1873年には360フランに上昇した。これほどまでの配当金を銀行が支払ったときはこれまでになった。笑いが止まらぬほどの常ならぬ利益をもたらしたのは、50億ドルの戦争賠償金の信用取引だったのだ。

 資本を投資したブルジョア愛国者たちもまた、祖国の不幸から黄金を引き出した。50億フランの賠償金という公債は、株式市場の熱狂的な利益を当て込んだ投機を招いた。

 これ以上にスキャンダラスな公債はなかっただろう。財政や経済状況を巻き添えにした公債に対して、最もユダヤ的なキリスト教徒の銀行家が決めた以上の価格を、ティエールは定めたのだ。ティエールは公債を80フラン、年利5パーセントで発行したが、それは年利6パーセントと定められた。共和国は80フランを受け取り、100フランを返済し年に5フランの利子を支払わなければならなかった。つまり共和国はこの50億フランのために証書1枚につき20フラン、1億2500万フランを失ったのだ。すべての資本家たち、ティエールやシモン、フェリーその他の愛国者の頭目たちは公債にこぞって飛びつき、公債は8度も保証された。人々は50億フランを請求し、それは40回に及んだ。それほどこの取引は実入りの多いものだったのだ。公債証券は発行と同時にプレミアがつき、株式市場で80フランから112あるいは115フランまで値を上げた。したがって、80フランで予約していた愛国者たちはみな、32フランあるいは35フラン儲けたわけだ。これら予約者たちは2億1800万フランの利益を数日で手に入れたというわけだ。

 戦勝は、ドイツの愛国者にはフランスの愛国者ほどの潤沢な利益をもたらさなかった。ボナパルト派の代議士の財産を守った(2)ティエールは、国庫が空っぽであるにもかかわらず、オルレアン家の王子たちへの4000万フランを採択させ、このよき愛国者はひと言の礼もなしに、それを受け取ったのだ。さらに、50億フランの公債をだまし取ったティエールは、愛国者たちの懐を祖国の金で一杯にしたために、〈祖国〉の〈父〉〈救国者〉と呼ばれた。

 1870〜71年の戦争は、まちがいなくブルジョワジー愛国者の忘れられない歴史の一ページだ。なんといっても、愛国者たちは、輝かしいどころか少なからず悲惨だったこの不始末からまんまと別の展開をものにしたのだ。

 高率年利の公債は、資本の祖国だ。資本家は、半数が儲けを手に入れるこの場所に、動物の死骸に群がるハゲタカよろしく馳せ参じるのだ。1870-71年の戦争からこのかた、資本家たちは、より高い年利公債を手に入れるため、フランスで稼いだ資本を外国に投資し続けている。この資本は、ハンガリーやアメリカの小麦生産、イタリア、スペインのワイン生産の開発、またオーストリア、イタリア、ルクセンブルク、アメリカの設備投資に利用された。

 これら地域からの農産物、工業製品の輸入によって、工場主や地主は損失を被った。そのため、彼らは、愛すべき同胞に販売される製品の価格を高くするため保護関税を求めた。そして、祖国愛を持ち出し、フランス人ならフランス産の小麦や肉以外は口にしないよう、フランス製の布地以外は身につけないよう、同様の製品を外国に売る際より10〜20パーセント価格を高くすべきと訴えた。しかし、フランスの資本を投資し、競合国の工業、農業の開発を行ったのは、彼らあるいはその同業者なのだ。

 彼らは再び仕事で忙しいようだ。チュニジアをめぐり、フランスとイタリアとの間でまさに戦争が起ころうとしているのだ。資本の愛国者はイタリア公債を買い、イタリア政府に予算を補い軍備を整えるための数億フランを送った。つまり、宣戦布告がなされた場合、フランス兵士の胸を打ち抜いた砲弾は、フランスの仲介で作り上げラ得たものなのだ!

 祖国を裏切り略奪する。これがまさしくブルジョワジーの愛国心なのだ。

 

3 愛国者は労働者の敵であり敵国の同盟者だ

 わたしは代議士時代、働く女性に関する法案を提出したことがある。それは、子どもと母親のために、女性は出産の前後2か月働かなくとも生活ができるよう国から手当てを受けるというものだった。この世に新しい存在をもたらす女性は、国民【ナシオン】と人類に対してもっともたいせつであると同時にもっとも尊い役割を果たしているのだ、とわたしは訴えた。

 手当てという言葉に、当時財務大事だった大愛国者ルーヴィエは、かじっていた骨を取り上げられようとした犬のように、けんか腰になった。聴衆に対し、また議会の愛国者全員の拍手に対し飛び上がって、こう言ったのだ。こんな法をもって国家の金を無駄遣いすることはできない。

 ――見たまえ、これが愛国者だ。わたしは言い返した。フランスの女性と子どもたちのために数百万フランを求めたときに、愛国者たちは、そのようなことは国庫の金(それは労働者が満たしたものだが)を無益に浪費することだと、いやはや断言するしまつだ。しかしながら、代議士諸君、あなたたちは、国債の寄生虫に金利を支払うための10億フラン、あるいは、地主や大企業家の損失を補填し、鉄道事業その他に補助金を出すための数千万、数億フランに対しては、いつも賛成票を投じてきたのだ。

 ブルジョワ愛国者が労働者に対して見せかけの同情心を持っていることは確かだが、それは市場の前で終わる。ブルジョワ愛国者は労働者に対し軽蔑と憎悪を抱いており、それはきわめて残酷な行動へと変わるものだ。このことはブルジョワジーの愛国心の歴史の中に確かに見て取れる。これこそ、最も特徴的なもののひとつなのだ。

 1870-71年、戦時法に従ったプロイセンは、フランス兵が降伏したとき、殺すことをやめた。フランス兵は捕虜として遇され、虐待されることなくドイツへと移送され、平和が訪れたとき送り返された。

 パリ・コミューンの敗北の後、ブルジョワ愛国者は誰一人として、労働者や社会主義者に対し戦時法を守るものはいなかった。彼らがフランス人であり、愛国者であったにもかかわらずだ。〈流血週間〉の8日間、彼らは情け容赦なく留まることなく、男も女も子どもも銃殺したのだ。誰彼かまわず逮捕し、敗残者が身を潜めていると思われる家に踏み込んだ。手早くやるために、彼らを兵舎の中庭に押込み、一斉掃射をした。

 それは、1848年6月の恐怖の1日をも凌駕するものだった。

 ブルジョワ愛国者がフランス人民の血に十分酔い痴れたと判断したとき、祖国の父ティエールは虐殺を止めた。虐殺を免れた男たち、女たち、子どもたちが長い列をなし、ベルサイユまで徒歩で送致された。ブルジョワ愛国者は、男も女も、蒼ざめ疲弊し飢えと渇きで今にも倒れそうなこの不幸なフランス人の群れが目的地まで歩くのを見ようと集まった。ブルジョワ愛国者たちは怒りを晴らすためにののしり、顔につばを吐きかけ、打ち付けた。ガリフェは、行進する人々の列に近づき、そのとき彼の顔を見た者たちを引きずり出して銃殺した。狭く汚れた牢獄に詰め込まれたこの不幸なフランス人たちは、自分たちを徒刑場あるいは処刑場の柱に送ろうとする軍法会議の前を通った。敗北後の数年間、ブルジョワ愛国者はサトリーで、フランス人すなわちコミューンの敗者を銃殺したのだ。

 愛国心の教皇デルレードは、コミューンの闘士であったフランス人の血の中でレジオンドヌール勲章を集めた。つまりはフランス人を虐殺することは栄誉の証であり、愛国者にできる最も誉れ高い行為だったのだ。いかなる戦争においても、これほどまで残酷に敗者を遇しはしなかった。

 ビスマルクはフランス愛国者と同盟を結んだが、その定めたところに従って、ドイツ軍部隊は、占領地域の境界を越え逃れようとする敗者を捕らえ、ベルサイユの愛国者たちに引き渡した。ル・タン紙は、まさに愛国者らしい冷ややかな厚顔無恥を特徴とするが、疑いようのない最もありうべき事実として、ビスマルクはコミューンのパリを押しつぶすためにマクマホンやティエールに力を貸したのだと伝えている。

 愛国者たちがビスマルクの助けを借りて、1871年のコミューンのフランス人に対して行った血の抑圧は、1848年6月の日々の出来事同様、彼が抱いた恐怖のうちに労働者に対して抱いた激しい怒りを表している。彼らにとって、労働者は劣った出来損ないであり、富を生み出すためにのみ生存し、厳格さをもって従順な隷従にとどめおかれるべき存在なのだ。

 熱心な愛国者である工場主たちは、搾取の対象たる働き手に対する軽蔑の念を隠さない。彼らは働き手を、農民がオレの馬、オレの豚というように、オレの労働者たちと呼ぶのだ。彼らは働き手になれなれしく口をきくが、奉公人にはあえてそんなことはしない。

 工場主は、労働者が自分たちからあらゆる自由と喜びを奪う専制の軛に対して不満の声を上げるのを防ごうとする。労働条件の改善への要求や不平不満は、それがここに生じるなら、工場から追い出したり、日々の糧を奪うことで対処する。

 それが集団によりストライキとなるとき、激しい怒りが産業資本家の心のうちに生じ、爆発し、1871年5月や1848年6月の大虐殺を再び起こすために軍隊を要求するのだ。政府は、共和派、王政派、ボナパルト派を問わず、愛国者たちの階級秩序のために、服従を強要するのだ。軍隊が到着したとき、パトロンは、雨と雪の降りまじるなか、兵士たちに野営をさせたまま、一方で、将校たちを出迎え城に泊めさせたのだ。彼らにはワインと肉を振る舞い、給料についてわずかな要求をした惨めな者たち【レ・ミゼラブル】に対する誹謗中傷で酔い痴れた。そして、胃袋への感謝の徴として、兵士をスト参加者に向かわせた。そして彼らを馬の足で踏みつけ、サーベルで斬り、銃殺したのだ。

 軍隊の到着が遅れとしても、罪に問われないことのないパトロンは自ら労働者たちを殺すか、あるいはスト破りの裏切り者【ジョーヌ】に労働者たちを殺させただろう。

 スト参加者の虐殺に、ブルジョワ愛国者は満足し、ブルジョワ新聞は政府を誉め称えた。政府は社会主義者の要求に耳を貸さず、軍を侮辱し労働の自由の尊重をうながした労働者を押しつぶしたのだ。

 実際、丸腰で無防備な労働者を最も危険な兵器を持った兵士に虐殺させることは、最も卑劣で恥ずべき犯罪ではないか? 銃撃を命じられたこの群衆の中に、兵士は仕事仲間や両親を見たかもしれない。フルミエでは実際に、群衆の中に母親の姿を見たある兵士が発砲の命令に従わなかったのだ。

 法は、正当防衛でなければ、犯人に対して武器を使用することを憲兵や警官に禁じている。丸腰で無防備の労働者に対して発砲を命じた将校たちは法を超えた立場に自らを置いたのであり、人殺しよりも悪い者としてスト参加者を見なしたのだ。

 フランスの軍隊は、フランスの工場主のためだけに、サーベルや銃を使ってスト参加者を工場に連れ戻したわけではなく、国籍にかかわらずすべての工場主のためにそうしたのだ。リモージュの工場主、ハヴィランドは、磁器工場に彼の祖国アメリカの旗を掲げていたが、フランス人将校にストを決行したフランス人労働者を確保するよう命じた。

 30年前、ホールデン兄弟という2人のイギリス人が、法で深夜労働を禁じられているイギリス人女性を思うように搾取できないために、法でまったく保護されていないフランス人女性を昼夜搾取しようとランスに撚糸工場を建てた。この搾取は非常に目覚ましい幸運をもたらしたために、彼らはノールに撚糸工場と製糸工場を建てることとなった。さらに〈共和国〉の愛国的指導者は彼ら勲章を与え、いついかなるときにでもストライキの労働者に対しフランス軍が対処するよう熱心に取り計らった。イギリスの愛国者もドイツの愛国者もその国でフランスの実業家とまた同様だ。

 愛国的資本家は、どの国の人間であろうと、労働者を搾取し、労働者が賃上げを求めたときには虐殺する点では異なるところなどないのだ。

 

補 重罪裁判所で

 反軍国主義宣伝に関する裁判でのラファルグ同志の陳述を抜粋する。明確な主張は以下のとおりだった。

WILLM:新たに徴兵された者たちに配ったビラに、スト参加者への発砲を命じた将校に反対し武器を返すよう書いたことについて、あなたはどのようにお考えか?
ラファルグ:きわめて賢明なアドバイスだったと考えています。
裁判長:きわめて賢明というのですか!
ラファルグ:裁判長、われわれの意見は異なりますが、わたしの意見は、長い軍隊生活の中で見聞きしたことに基づいています。今回のアドバイスはあらかじめ犯罪を警告する目的でなされたものです。丸腰で無防備の労働者に対し発砲を命じた将校たちは祖国に対する犯罪を犯しているのです。あなた方がわたしの行動の邪魔をした以上は、わたしはあなた方が納得する意見を述べるべきでしょう。
裁判長:陪審員のところに行きなさい。
ラファルグ:法は、正当防衛でない限り、憲兵や警察官に対し、犯人に対する武器の使用を認めていません。丸腰で無防備な群衆に対し発砲を命じた将校は、法に背いたのです。彼は労働者を殺人犯よりも凶悪なものとして扱ったわけです。この罪をシャピュイ大尉はフォルミーで犯した。兵士たちは、楽しげな群衆が五月の花を手に通る道を3メートル上から見下ろす教会のテラスにおり、石の手すりに守られていたのです。大尉は労働者への発砲を命じました。彼は酒によっていました。というのは、工場主たちが、軍隊を来させたとき、将軍たちに肉やワインを振る舞ったからです。幸いにして、兵士たちは空に向けて発砲した。さもなくば、数百という死傷者が出ていただろう。虐殺の後、武器の検査を行い、一人の兵士が発砲しなかったことを見つけた。「なぜおまえは銃を撃たなかったのか」「群衆の中に母を見つけたからです」

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(1)私は国際的にはガンベッタよりも先にランクの名に出会った。というのは、彼こそは、レジスタンスの魂であり、各県の防衛の組織者だったからだ。歴史は彼の行ったことを再認識するだろう。

(2)ボルドー政府は、戦費を支払うために、宣戦布告の採決を行ったボナパルト派代議士の財産を差し押さえることを要求したが、よき愛国者たるティエールは、ボナパルト派愛国者どもの所有財産を侵すこの提案を退けた。しかしながら、この同じティエールが、コミューンのメンバーであったという理由で、ヴァンドーム広場の記念柱の取り壊しへの賛成票を投じた画家クールベのわずかな資産を差し押さえたのだ。

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基礎知識が足りないので、事実関係などで間違いのある可能性があります(たぶんある)。お気づきの点などありましたら、ご教示いただければ幸いです。