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【恋は盲目!?】

1 名前:名無しさん 投稿日:2005/03/24(木) 00:47:18

俺は、走っていた。
何と言うことはない、ただ単に学校に遅れそうなだけだ。
家を出るとき見た時計は8時20分。途中の公園で8時26分。本鈴は8時30分。
記録更新のチャンスだ(って、こんな記録は更新したくないが……)。
いわゆる一つの「朝の風景」って奴だが、別にパンはくわえていない。
(やったことはあるが、走るのが遅くなるし、パンはまともに食えないし、全く意味がなかった)
ただひたすら、大きく口を開けて酸素を取り入れ、全力で走るだけだ。

まもなく最終コーナー、あそこを曲がれば学校が見えてくる。
俺は早くも疲れ切った身体にムチを打って、T字路に突入した。その時、
ドンッ!
不意に横からの衝撃が俺を直撃した。それはかなりの勢いで、俺はそのまま地面に倒れた。
「きゃっ」「いててて…」
女の子の声が聞こえる。おそらく「出会い頭の衝突」という奴だろう。
「あ、ごめん…」
俺は謝りながら、声の方に振り向いた。が、誰もいない。
「あれ?」
俺は辺りを見回してみた。やっぱり誰もいない。
ただ、地面に食べかけのパンが1枚落ちていた。
「うぅ、痛いよぉ……」
さっきの女の子の声が聞こえた。……視界正面の、何もない空間から。
「へ?」
「あぁ、パン落としちゃった……あ、ごめんなさい!」
その声は、確実に俺に向けられたものだった。が、声の主はどこにも見当たらない。
「え〜と…?」
「ちょっと急いでて…あ、そんな時間ないんだ!本当にごめんなさい!」
声が途絶え、走り去る足音が響いていく。風を切る空気の流れが、頬に当たる。
それでもやっぱり、誰の姿も見えなかった。
(…何だ?今の?人が?いたのか?)
ようやく頭が回り出したのか、次々と疑問が浮かびだした。
が、それを打ち消すように、無情な本鈴が鳴り始め、俺は全力疾走に戻った。

教室には、幸いにしてまだ先生は来ていなかった。
俺はちょっと安心して自分の席に着くと、さっきのことを考えていた。
(何だったんだ…?)
誰かとぶつかった、ってのは確かだと思う。
かなり痛かったし、倒されたし、何か謝ってる声も聞こえたし。
だけど、人なんてどこにも見えなかった。
(透明人間でも出たのか?それとも光学迷彩か?)
もちろんそんなものは、マンガの中だけの話だ。それくらいは分かっている。
でも、そんな言葉を持ち出したくなるほど、さっきの件は不可解だった。
「きり〜つ!」
不意に声がして、俺は立ち上がった。どうやら、先生が来たらしい。
「きおつけ〜、礼!」
「おはようございます!」
「ちゃくせき〜」
「はい、おはようございます。今日は、転校生を紹介します」
先生の言葉に、クラスがざわめき出す。
「じゃあ、入ってきてください」
がらりとドアが開き、入ってきたのは……
「お〜」「可愛い〜」
男子たちが声を上げる。どうやら可愛い女の子、らしい…が、俺にその姿は見えなかった。
「なあ、石村?」
俺は後ろの席の石村に声をかけた。
「なに?」
「…誰か、入ってきたか?」
「えっ?黒板の前にいるじゃない」
石村は当たり前のように言った。
「そ、そうか…そうだな……すまん」
俺は再び前を向いた。石村の言う通り、黒板の前をじっと見る。
でも視界に入るのは、教卓と黒板と脇に立つ先生だけ。

「はい、それでは自己紹介をお願いします」
「初めまして、清水佐紀と言います。よろしくお願いします」
ちょっと緊張ぎみの、女の子の声。あの時、T字路で聞いた声だった。
「よろしく〜」「よろしくね〜」
あちこちから挨拶の声が上がる。てことは、みんな見えてるんだな。
「みなさん、仲良くしましょうね。清水さんの席は…じゃあ、○○の横で」
唐突に俺の名前が出た。確かに、俺の横は空いている。
「はい」と声がして、女の子はこちらに歩いてきた。
…いや、来たのだろう。クラスの視線がこちらに動いてきたからだ。
「よろしくお願いします」
さっきよりもずっと近くから、女の子の声がした。
「私は石村舞波、よろしくね」
後ろの石村が挨拶する。俺はとりあえず石村の視線の方に向けて、
「俺は○○○○、よろしく」と挨拶した。
「…あっ、さっきの人だよね」
「えっ?」
さっきとは、ぶつかったときのことだろうか。
「あの時はごめんなさい、挨拶もできなくて」
「あ、いや、別に、気にするほどの、ことじゃないから、うん」
そんなことよりも、「気にする」べき大事があるから。俺はそう言いたかった。
「ありがとう。これからよろしくね」
隣の席の椅子ががたがたっと動く。どうやら着席したらしい。
「じゃあ、授業を始めましょう」
先生の声が、やたらと脳天気に聞こえた。

「えーと、見えてる?」
俺は清水に話しかけた。
「うん、大丈夫だよ」
清水は教科書をまだ持っていないので、隣の俺が見せてあげることになった。
で、机を横に付けて、間に教科書を置いているのだが……
肝心の清水の姿が見えないので、果たしてこれでいいのか分からないのだった。
(いいんだよな、これで)
俺は清水のいるであろう方向をじっと見た。
机の上に広げられたノートに、時折文字がひとりでに書かれていく。
その様は、俺の目にはポルターガイスト現象のように見えた。
1つ分かったこと。
それは、清水が「手に持っている」ものは一緒に見えなくなるらしい、ということだ。
机の横のフックにかけられたカバンは、ちゃんと見えているし、ノートもまたしかり。
おそらく清水の手が離れた瞬間に、見えるようになったのだろう。
(…………)
考えれば考えるほど、訳が分からなかった。何でこんなことになってるんだ?
清水はやっぱり透明人間なのか?それとも、俺の目(もしくは頭)が狂ったのか?
(…普通に考えたら、後者だろうな)
周りの人間には、清水の姿が見えている。だったら、おかしいのは俺の方だということになる。
「……あの…さ」
不意に清水の声が聞こえて、俺は我に返った。
「わたしの顔…何かついてる?」
「何かついてる」のか見えればよかったんだが。
「え?いや、別に…あ、ああ、ごめん」
清水からすれば、俺がじろじろ見てることになるんだろう。
俺は謝ると、視線を黒板の方に戻した。

「清水、ちょっといいか?」
休み時間に入ると、俺は清水を呼び出した。
クラスの連中に囲まれていた(俺には何もない空間を囲んでいるように見えたんだが)清水は、「なに?」と応えた。
「あ〜、ちょっと、話があるんだ。来てくれないか?」
俺は教室の外を指さした。
「告白でもするわけ?」
石村がそんなことを言う。
「違うって。多少込み入った話なんで、な。悪いんだけど」
「うん…いいけど」
俺たちは教室を出た(清水がちゃんとついてきてくれれば、だが)。廊下を抜け、階段を上がり、屋上へ出る。
「清水、来てる?」
「うん」
清水の声が聞こえるのを確認してから、俺はドアを閉めた。
「さて、話なんだが…清水、今どこにいる?」
「えっ、ここだよ。どうして?」
清水の声が聞こえた方を向いて、俺は話し始めた。
「まあ、何というか、理解しがたい話だと思うが…俺、清水が見えてないんだ」
「えっ!…目が見えないの?」
清水が驚きの声を上げる。
「いや、そうじゃないんだ。清水だけ見えないんだよ」
「ええっ!?……」
沈黙。というか、何か言ってくれないと、清水がいるのかさえ分からなくなるんだが。
「……どういうこと?」
清水は聞き返してきた。まあ、当たり前だな。自分でも何言ってるのかよく分からないし。
「説明しづらいんだが……」
俺はこれまでのことを話した。最初にぶつかったときから、清水の姿が見えなかったこと、
朝の挨拶の時も、授業中も、机やノートが勝手に動いているように見えたこと……
俺が話している間、清水はずっと黙っていた。
おかげで、俺はだんだん自分が1人で喋ってるんじゃないかと思えてきた。

「……冗談、だよね?」
長い沈黙の後、清水は一言だけ言った。
「だったらよかったんだけど」
俺は苦笑いを浮かべた。
「じゃあ…」
また少しの沈黙。
「…今、わたしが何したか、見えた?」
「いや、見えなかった」
俺は首を横に振った。
「そっか…じゃあ、これは?」
清水の声が近づいてくる。そして、頬にわずかに冷たい感触。清水の手だろうか?
「触覚はあるんだよな。だから、今のは分かる。この辺にいるのか?」
俺は手を伸ばした。見えない壁にぶつかったように、手応えがあった。
「うん。確かにここだな。清水って、セーター着てるのか?」
パントマイムのように、俺の手は空中を撫でていた。
でも、そこにはしっかりとした感触がある。何とも不思議な感覚だった。
「…ねぇ、どこ触ってるか、分かる?」
「いや、分からない」
「……胸、なんだけど」
俺は凍りついた。
「…………」
「…………」
ダッと清水が走り出す(空気の流れで分かった)。
ドアがひとりでに開き、階段を駆け降りていく音が響いた。
(…まずいな)
俺はため息をついた。何でこうなるかな……。

俺が教室に戻ると、清水が…いるのかどうか分からなかった。
俺は自分の席につくと、もう一度ため息をついた。
「あ、お疲れ。告白うまくいった?その感じだと、無理だったかな?」
後ろの石村がにやにやしながら俺を見ていた。
「だから違うって。…事態はよりややこしくなったけど」
後半は聞こえないようにつぶやいた。
「初日から告白じゃ、やっぱり無理があるって。きちんと段階を踏んでかないとね〜」
石村は楽しそうだ。こっちはそれどころじゃないんだが…。
「あ、しみちゃん帰ってきたよ」
石村に言われて、俺はきょろきょろとクラスを見渡した。が、当然の事ながら清水の姿は見えない。
少しして、清水の席の椅子がガタガタッと動いた。どうやら着席したようだ。
「…………」
俺は清水の方を見ながら、何か話しかけようと思った。だが、何て言えばいいのか?
「えーと…その…」俺はもごもごと口を動かした。
「…清水、今日はいい天気だな!」って何言ってるんだ、俺!
「…………」返答はない。まあ、できるようなもんじゃないんだが。
「ちょっとちょっと」
石村が俺の肩をぽんぽんと叩く。
「何だよ?」
「しみちゃん行っちゃったよ。○○が何か言う前に」
「何っ!?」
俺は慌てて清水の席を見た。椅子は動いていない。
「何かこっそりと動いてたけどね」
…やられた。清水が隠密行動を始めたら、俺には全く感知できなくなるのだ。
「でもしみちゃん、顔真っ赤だったよ。やっぱり告白したんじゃないの?」
石村に言われて、俺はさっきのことを思い出した。
(…でも、清水の胸って、ふくらみも何もなかったな…)
つい自分の手を見てしまう。って何考えてるんだ、俺!
「○○も顔真っ赤だし」
「う……」俺は何も言い返せなかった。

放課後。掃除当番から解放されると、俺は清水を探した。
「石村、清水ってもう帰っちゃったか?」
「さっき出て行ったけど」
「よし、まだ追いつけるな。じゃ、そういうことで」
俺はカバンを引っつかむと、全速で走り出した。階段を一足飛びで駆け降り、昇降口に入る。
「清水〜、まだいるか〜!」
俺は大声で清水を呼んだ。帰る途中の生徒達が、何事かと俺の方を向く。
かなり恥ずかしかったが、清水の姿が見えない以上、こうやって呼びかけるしかなかった。
「清水〜もういないか〜!」
靴を履き替えながら、もう一度呼びかける。って、いなかったら応えられないよな。
「清水〜俺が悪かったよ〜!出てきてくれよ〜!」
昇降口を出てから、もう一度。校庭の真ん中で仁王立ちになって、返答を待つ。
「…………」
「…………」
不意に、つんつんと背中を突っつく感触があった。
「清水か!」
くるっと振り向く。…当然のことだが、誰も見えない。
「……正解」
後ろから清水の声がして、俺は慌ててまたくるっと振り向いた。
「清水…いるんだよな?」
俺は前方を指さした。
「…人を幽霊みたいに言わないでよ」
応答があって、俺はほっとした。

「いや、俺にとっては幽霊みたいなもんだからなあ…返事がないと、全く分からなくなるし」
「…本当に見えてないんだ」
「ふぅっ」と清水のため息が聞こえた。
「…で、何か用なの?」
清水の言い方には棘があった。まあ、無理ないか。
「いや、とりあえず、謝っておこうかと思って。…さっきは悪かった、ごめん」
俺は深々と頭を下げた。
「…………」
清水は何も言わない。
「見えなかったとは言え、触っちゃったのは確かだ。申しわけない」
俺はもう一度頭を下げた。
「…あんまり大声で言わないで」
清水の声が、ちょっとだけ柔らかくなった。
「あ、ああ、いや、すまん。距離感がつかめなくて」
「…じゃあ、これでいい?」
さっきよりも随分と近くから、清水の声が聞こえた。
「う、うん…」
正面からわずかに漂う、甘い香り。ひょっとして、かなり接近してるのか?
何だか分からないが、ドキドキしてくる。

「…いいよ」
「えっ?」
「許してあげる。…見えてないんじゃ、仕方ないよね」
清水の声が少し離れる。俺は安堵のため息をついた。
「どうしたの?」
「…いや、許してもらえてよかったなって」
理由はそれだけじゃなかったが。
「ああいうのは、もうやめてね」
「分かった。距離の取り方には、気をつけよう」
と言っても、自信はなかったけど。
「じゃあわたし、帰っていい?」
「あ、ああ…いや、ちょっと待った」
「なに?」
「よかったら、その…一緒に帰らないか、なんて……」
俺はついそんなことを言っていた。
「…いいよ。ちゃんとついてこられたら、ね」
「…そりゃあ、難しそうだな」
俺たちは笑いながら、歩き出した。

清水と一緒の下校は、想像以上に大変だった。
ちょっと間違えるとすぐに清水とぶつかるし、かといって離れると途端に分からなくなるし。
清水に集中しすぎて、見えてるはずの電柱にぶつかったり。
清水はその度に、怒ったり、黙ったり、笑ったり。
姿は見えないけど、楽しそうなのは何となく分かった。俺は、それが嬉しかった。
「わたしの家、ここだから」
清水がそう言ったのは、俺の家から数件も離れていないところだった。
「なんだ、結構近いんだな。俺の家は、あそこだ」
俺は自分の家を指さした。
「あ、そうなんだ」
清水は意外そうに言った。
「じゃあ、また明日」
「うん、またね」
門の鉄柵が、ひとりでに開いていく。続いて、玄関のドアも。
やっぱり、不思議な光景だった。

次の日の朝。俺は、清水の家の呼び鈴を押していた。
「は〜い」
ドアが開かれる。出てきたのは、少し小柄な女性だった。清水のお母さんだろうか?
「あ、すいません。○○といいますが、佐紀ちゃんはもう出ちゃいました?」
俺はちょっと緊張しながら、聞いてみた。
「あら、わざわざ迎えに来てくれたの?ごめんなさいね、佐紀ったらまだ支度してて……
 佐紀〜、お友達が来たわよ〜」
お母さんは家の中の清水に向けて呼びかけた。
「えっ?ちょ、ちょっと待って〜」
慌ててバタバタと階段を降りてくる音が響いた。
「あっ…○○くん?」
清水の声がしたので、俺は「よっ、おはよう」と手を挙げた(清水の方をちゃんと向いていたかは怪しかったが)。
「お、おはよう……きゃっ!」
ドタドタと階段を駆け上がる音。
「ごめんなさいね、佐紀ったらまだパジャマなんだから」
お母さんの説明で、ようやく分かった。
でも、例え清水が裸だったとしても、俺には見えないんだが。
(…何考えてるんだ、俺は)
俺は自然と顔が赤くなっていた。

「で、残り時間は?」
「家を出たのが15分過ぎだったと思うから、あと10分ちょっと?」
俺たちは、またタイムアタックに挑んでいた。
「よし、走るぞ!」
言うやいなや、俺は全力疾走に入った。
「あ、ちょっと待って〜」
清水の声が、あっという間に遠くなる。ていうか、全く付いてきていない。
「清水〜!大丈夫か〜!」
「…ちょ、ちょっと待ってってば」
清水の声が、少しずつ近づいてくる。どうやら、かなり足が遅いようだ。
「そのスピードだときついな。…清水、ちょっと手を貸してくれ」
俺は清水の方に手を出した。
「えっ?」
「手だよ。俺から出すと、また変なところ触っちゃうかも知れないから」
「う、うん…」
俺の手に、ちょっと小さな清水の手の感触が伝わってくる。俺はそれをぐっと握ると、再び走り出した。
「ちょ、ちょっとちょっと、速すぎるよ〜!」
後ろから清水の叫びが聞こえる。
「これくらいじゃないと、間に合わないって!」
俺は振り向かずに言った。
「で、でも、これじゃ転んじゃうよ〜!」
清水はそう言いながらも、俺の手を離そうとはしなかった。
俺は少しずつスピードを調整しながら、清水と走り続けた。

「ま、間に合った……」
教室に着いたのは、8時29分だった。
記録更新とまではいかないが、あのスピードで来たのだから上出来だろう(別に競技じゃないけど)。
「おや、しみちゃんに○○、おはよう。もしかして、一緒に来たの?」
席に着いた俺たちに、石村が声をかけてくる。
「あ、ああ、まあね。石村もおはよう」
「はぁ、はぁ、はぁ……うん。おはよう舞波ちゃん」
清水の息遣いはまだ荒かった。
「ほぉ…ずいぶんと仲良くなったんだね」
石村がそんなことを言う。
「いや、別に、たまたま家が近くだったというか、何というか…」
「う、うんうん、そう、たまたま、たまたまだから…」
清水の声も微妙に慌てていた。
「昨日も一緒に帰ってたみたいだけど。まあ、そういうことにしておくね」
どうやら昨日のことも見られていたようだ。って、あれだけ騒いでたら、丸見えだったか。
「……はぁ」
清水が大きく息をついた。
「清水、大丈夫か?」
「う、うん…」
スピードはかなり絞ったつもりだったけど、清水にとってはきつかったかも知れない。
「ごめんな、急がしちゃって」
俺は謝った。
「えっ、で、でも、あのままだったら、間に合わなかったから、その、うん、大丈夫、だよ…」
清水の声が小さくなっていく。
「しみちゃん、顔赤いよ」
「えっ?こ、これは、朝早くから、走り回ったからで、その、あ、違った、そうじゃないの、
 大丈夫なんだけど、その、何て言うか…」
石村の突っ込みに、清水はしどろもどろに答えた。
何か、その慌てぶりがおかしくて、可愛くて、俺まで顔が赤くなりそうだった。

「あ、降りだした」
放課後の掃除の時間。午後から空が暗くなってきていたが、とうとう雨になった。
「あ〜、強くならないといいけど」
横から清水の声がした。
「清水、傘持ってないのか?」
「急いでたから、持ってくる余裕なんてなかったよ〜」
「何だ。…じゃあ、貸そうか?」
俺はちょっと考えて聞いてみた。
「えっ、持ってるの?」
「ああ」
出したり入れたりするのが面倒だから、折りたたみを一本、いつもカバンの底に入れてあるのだ。
「でも、わたしに貸しちゃっていいの?」
「別にいいよ、俺は走って帰るから。清水のスピードじゃ、走っても大分時間かかるだろ?」
「…………」
沈黙の時間が訪れる。
「遠慮する必要はないぞ。家も近くなんだし、気付いたときに返してもらえば」
「…そう、近くでしょ?…だったら……」
清水の言葉が止まる。
「?」
「…も〜、わたしそんなに足遅くないもん」
清水はちょっと不機嫌そうな声を出すと、ぱたぱたと走っていってしまった(足音で分かった)。
(…何か悪いこと言ったか、俺)
俺は呆気に取られていた。
「じー」
ふと視線を感じて…じゃなくて変な擬音が聞こえたので振り向くと、石村が俺のことを見ていた。
「何だ?」
「いや、何でもないよ。…鈍いねぇ」
石村はちょっと意味深に笑うと、掃除に戻っていった。

掃除が終わった頃には、雨は本降りになっていた。
俺は昇降口まで来ると、また清水を呼ぶことにした。
「清水〜、まだいるか〜!」
応えはない。
「清水〜もういないか〜!」
俺は靴を履き替えながら、昨日と同じことを言ってみた(だから、いなかったら応えられないって)。
「清水〜俺が悪かったよ〜!出てきてくれよ〜!」
昇降口を出て、まだ屋根の付いてる部分で返答を待つ。
「…………」
沈黙の時間。ひょっとして、本当に帰っちゃったかな?
「……くしゅんっ」
不意に横で、誰かがくしゃみをした。音の聞こえた方に、首を向ける。誰もいない。
てことは、結論は1つだった。
「清水…いるんだよな?」
「…………」
すんすんと鼻をすする音が聞こえる。でも、清水は何も言わなかった。
「清水…何か言ってくれよ。俺が悪かったから。な、この通り!」
俺は手を合わせて拝んで見せた。
「……本当に、何が悪いのか、分かってる?」
清水はようやく口を聞いてくれた。よかった。俺の一人演技じゃなかったんだ(そっちの方かい)。
「いや、分からないけど。でも何か、怒らせちゃったみたいで」
「分かってないんじゃ、意味ないでしょ」
清水の声は静かだったが、しっかり怒気をはらんでいた。

「まあ、そうだと思うけど、俺が怒らせちゃったのは確からしいから、申し訳ないなって…
 何が悪かったんだ?…足遅いって言ったことか?」
直接は言ってないけど、意味的にはそうだった。
「…違うよ」
「じゃあ何で?」
「…も〜、本当に鈍いんだから」
清水は石村と同じことを言った。
「いい?傘は一本しかないんだから、貸しちゃったら、君が濡れて帰ることになるんでしょ?
 それで風邪でも引いたら、わたしが責任感じちゃうじゃない。だったら……」
そこで清水の声が止まる。
「……だったら、一緒に帰ろうって、ことか?」
俺はかなり恥ずかしかったが、清水の後をつないで言ってみた。
「…………」
清水は何も言わない。って、もし違ってたら、俺がものごっついバカってことになるんだが。
「………あ」
清水は思い出したように口を開いた。でも「あ」って何だ?
「頷いても、見えないんだったよね…」
清水の声が小さくなっていく。
ようやく意味が分かった俺は「は、ははは…」と乾いた笑いを浮かべた。
「わ、笑わないでよ…」
「い、いや、すまん、そうなんだ、見えないんだよ…ははは…」
俺は嬉しいやら悲しいやらで、ただ笑うしかなかった。

「清水、入ってるか?」
俺は清水の方に傘を傾けながら、話しかけた。
「う、うん…」
1本の傘で一緒に帰ることになったのはいいんだけど、やはり清水が見えないってのが最大のネックだった。
「…わたしの頭、入ってないよ〜」
「あ、すまん…」
傾ける方向を間違えると、清水が濡れちゃうし。
「…ねぇ、肩、入ってないんじゃない?」
「…そうなるな」
かといって傾けすぎると俺が濡れるし。
慎重に慎重を重ねるから、歩くスピードもいつもよりずっと遅い。
雨は容赦なく降り注ぎ、俺たちはきれいに半分ずつ濡れつつあった。
「……くしゅんっ」
清水がまた、くしゃみをした。
「大丈夫か?」
「……平気」
「…やっぱり、清水が持った方がいいんじゃないか?俺は、いいから」
清水の方に、傘を差し出す。
「駄目っ。ここまで来たから、一緒に帰るのっ」
清水は意地になってるようだった。
「いや、でもなあ」
「……だったら、こうすればいいでしょ」
傘を持つ手に、柔らかくて冷たい感触。見えなくても、清水がより近くにいるのが分かった。
「……接触してる?」
「……してる」
少し恥ずかしそうな、清水の声。
「……顔、赤くなってる?」
「……なってる」
その答えに、俺も顔が赤くなっていくのを感じた。

次の日、清水は風邪で学校を休んだ。
まあ、無理もない話だった。帰るときにあれだけ濡れたし、その前も外にいたみたいだし。
(…清水、大丈夫かな)
授業中、俺はずっと清水のことを考えていた。
昨日の清水の話じゃないが、責任ってのを感じていたのかも知れない。
(…ひどくなきゃいいけど)
俺は清水の席に目を向けた。
いつものように、そこには誰も見えないけど、でも、何かが違う。
…見えなくても、やっぱり、清水がそこにいて欲しかった。
(………はぁ)
授業が終わるまでの間が、ひどく長く感じられた。

「…………」
放課後。俺は、清水の家の前に立っていた。手には、りんごの入った袋を持って。
…小遣いの都合で、1個しか買えなかったけど。
(……いいのか?)
ここまで来て何だが、俺は迷っていた。清水が寝てたりしたら、逆に迷惑だろうし……
(……ええい、仕方ない!)
俺は、清水に会いたいという自分の感情を優先させて、呼び鈴を押した。
少しして、ガチャッとドアが開かれる。そこには…誰もいなかった。てことは……
「…あ、○○くん?」
清水の声は、ちょっと鼻にかかっていて、少し弱々しく聞こえた。
「あ、えーと、清水、大丈夫か?」
俺は、何故か緊張していた。
「うん、もう熱も下がったから」
「そ、そうか…よかった」
俺はうんうんと頷いた。
「○○くんは、風邪引いてない?」
清水が俺の心配をしてくれるのが、嬉しかった。
「まあ、俺は、大丈夫だよ。それより、ごめんな。傘があったのに、何か、意味なくて」
「そんな、謝らないで。……わたしが、一緒に帰りたかったから」
清水の言葉に、俺は顔が赤くなってきた。…清水も、そうなのだろうか。
「…あ、そうだ、りんご、買ってきたんだ。よかったら、食べちゃってくれ…」
俺は照れ隠しに、話題を変えることにした。でも、微妙に口調がおかしくなっていた。
「あ、ありがとう…ねぇ、少し、上がってくれないかな」
「え?」
「そのりんご、わたし1人じゃ食べきれないし…それに、ずっと寝てたから、ちょっと退屈なの」
「あ、ああ…おじゃま、します…」
俺は戸惑いながら、家の中に入った。

「ごめんね。本当は、お茶とか出したいんだけど…」
俺は、清水の家の居間に案内された。
「あ、いいよ。清水は病人なんだから、ゆっくり休んでくれ。俺、りんご切ってくるから」
「あ、できるんだ…」
清水が意外そうに言う。
「まあ、そのくらいは。皮が途中で切れないように剥くとか、うさぎの形に切るとか、そういうのは無理だけど」
「それは、わたしもできないよ」
清水の言葉はちょっと意外だった。謙遜してるのか、それとも、全然できないのだろうか?
「腹に入れば、同じだからな。えーと、果物ナイフって、どこにあるんだ?」
「食器棚の引き出しだけど…あっちって指さしても、見えないよね……」
清水はちょっと考えて言った。
「…そうなるな」
「えーと…後ろ向いて、前に見えるドアをくぐるとキッチンだから。キッチンに入れば、すぐに棚が見えると思う」
「わかった」
俺は清水の言った通りに、キッチンに向かった。

「…いただきます」
ガラスの器に入ったりんごが、すっと姿を消す。おそらく、清水が手に取ったのだろう。
「…………」
続いてしゃくしゃくと咀嚼音が聞こえる。奇妙な風景ではあったが、そんなことを気にしてる余裕はなかった。
「…おいしい」
清水がそう言うと、俺は大きく息をついた。
「どうしたの?」
「いや、そう言ってもらえると、買ってきた甲斐があったなって…」
「…大げさだよ。でも、ありがとう」
穏やかな清水の声。何か、恥ずかしかった。
「…いや、俺、清水に会いたかったから……」
俺の口から、ついそんな言葉がもれた。
「えっ…」
「…学校でも、清水がいなくて、寂しくて……でも、それって俺のせいじゃないかって……何かごちゃごちゃ考えちゃって」
俺はそう言いながら、顔が赤くなっていくのを感じた。
「う、うん……」
清水は何も言わない。俺は何て続けたらいいか分からなくて、りんごを手に取った。
しゃくっと噛むと、甘くて、みずみずしくて、ほんの少しだけ酸っぱい味が、口の中に広がった。
「わたし………」
清水の声にも、戸惑いのようなものが混じる。俺はりんごをごくっと飲み込むと、次の言葉を待った。

「…………」
「…………」
「……ご、ごめんな!変なこと言っちゃって。気にしないで、今は、風邪を治すことを、最優先に、考えてくれ……」
沈黙に耐えられなくなって、俺は先に口を開いた。
「うん……ちょっと、熱、上がっちゃったかも……」
清水の声も恥ずかしそうで、弱々しくて、でも、すごく可愛くて、愛おしく感じた。
「…じゃ、じゃあ、俺、もう帰るよ。清水も、もう寝た方がいいから」
俺は立ち上がった。
「あ、待って……」
「えっ?」
俺の手に触れる、小さくて、柔らかくて、熱を持った感触。
「…もうちょっと、一緒に、いてくれないかな……わたしが、眠るまで……」
「あ、ああ…」
清水の手を取って、ゆっくりと立ち上がらせる。
清水の足取りは割としっかりしていたが、俺たちは手をつないだまま、清水の部屋に向かった。
…俺まで、熱が出そうだった。

清水が眠った後、俺は家を出た。
「………はぁ」
大きく息をついてから、冷たい外の空気をいっぱいに吸い込む。
何か、こんなに熱くなったのは、生まれて初めてかも知れない。
「あれ、○○じゃない」
突然前から声がして、俺はびっくりして顔を上げた。
「い、石村…」
そこにいたのは、石村だった。
「プリント届けに来たんだけど、○○は?お見舞い?」
「ま、まあ、そうだよ」
俺は、顔の赤さを抑えようと必死になっていた。
「ふ〜ん」
石村は呼び鈴を押そうとした。
「わ、ま、待て!」
俺は慌てて石村を止めた。
「何で?」
「いや、清水、今、寝たところだから…」
「あ、そうなんだ。じゃあ、ポストに入れとけばいいよね」
石村はちょっとメモ書きを付けると、プリント類をポストに突っ込んだ。
「で、○○は、ラブラブしてきたわけ?」
「な、何言い出すんだ、いきなり!」
俺の声は、微妙に上擦っていた。
「隠さなくていいって。今日もしみちゃんの席ばっかり見てたし、心配だったんでしょ?」
「ま、まあ…」
「鈍い割には、単純なんだから」
石村はそう言ってにやっと笑った。

「それほど単純な訳でもないぞ。これには事情があって…」
俺はそこで口をつぐんだ。
「事情?どんな?」
「それが……」
俺は石村に、これまでのことを話した。
話したって分かるようなことじゃないんだが、気が落ち着かなかったせいか、全部話してしまった。
「ふ〜ん。よく分からないけど、意識しすぎってことじゃないの?」
石村は一刀両断した。確かに、意識しすぎってのは、あると思う。
でもそれは、清水が見えないからであって、だから意識するようになって、余計に見えなくなってる?
…やっぱり訳が分からなかった。
「で、つまりはしみちゃんが好きってことじゃないの?」
「うっ…」
俺は言葉に詰まった。「好き」……好きって何だ?
「見えない」から、「見たい」と思う。
清水のことが気になるし、もっと会いたいと思うし、もっと…触れたいと思う。
……でも、見えなくても、清水を、可愛いと思う。
小さくて柔らかな清水の手も、ちょっと恥ずかしそうな清水の声も、すごく可愛くて、愛おしくて……
このごちゃごちゃな気持ちが、「好き」なのだろうか。
「…そうかも知れない」
俺はさっきと同じくらいに、赤くなっていた。
「それが分かれば、問題ないんじゃない?じゃ、そういうことで、頑張ってね」
石村は笑顔を見せると、手を振って去っていった。

次の日、清水は万全というわけじゃなかったが、学校に来ることができた。
俺は休み時間になると、隣の席の清水に話しかけた。
「なあ、清水」
「なに?」
「…ちょっと、来てくれないか?すぐ、済むから」
俺は立ち上がった。後ろの席の石村が、昨日と同じ笑みを浮かべながら、横目で俺を見てくる。
俺は何となく、小さく頷いた。

俺たちは、3日前と同じように、屋上に向かった。
「俺、考えたんだ。……清水が好きなのかって」
俺は話しながら、早くも顔が赤くなり始めていた。
「えっ…」
「…俺は、清水が見えなくて、だから、すごく、気になってた……でも、何か、清水と話したり、
 一緒に帰ったり、それが、楽しくて…清水が、可愛いなって思って……」
「う、うん……」
「……もっと清水に会いたくて、もっと清水に触れたくて……清水を「見たい」って、思ったんだ。
 だから……清水が……好き、なんだと、思う……」
俺の声が小さくなっていく。もはや、俺の顔は真っ赤になっていた。

「…………」
清水は何も言わない。そりゃそうだ、こんなはっきりしない「告白」じゃ、答えようがないだろう。
「わたし……わたしも、○○くんと、もっと、お話ししたり、一緒に帰ったり……一緒にいたいって、
 思ってるよ……」
消え入りそうな、清水の声。
「…………」
「…………」
お互いに、何も言えない。屋上を吹き抜ける風が、身体の火照りを冷ますように流れていく。
「……顔、真っ赤だよ」
そう言う清水の顔が見えないのが、もどかしかった。
「ああ……熱、あるかもな」
俺は「ははは…」と笑った。
「じゃあ……ちょっと、かがんでくれる?」
清水に言われて、少し腰を落とす。すると……
こつん、と何かが、俺の額に当たった。そして、数cm先から聞こえる、清水の息遣い。
「!」
俺は何も言えなかった。ただ、それでも「見えない」視界が煩わしくて、俺は目を閉じた。
「………!」
第2の衝撃。それは、唇だった。唇から伝わってくる、清水の感触。
それは何よりも熱くて、愛おしくて、俺は頭が真っ白になっていった。

「…………」
すっと、清水の感触が離れる。俺は、目を開けた。
熱くてゆらゆらした視界に、女の子の姿が、映り始める。
「し、清水…なのか?」
「えっ?」
「目の前に「見える」のは……清水なのか?」
「ええっ!?」
口元に手を当てて、驚きの表情を浮かべる女の子。……清水だ。間違いない!
「清水!…俺、見える!清水が、見えるぞ!」
俺は清水の手を取った。あの時感じた、小さくて、柔らかい手。
それだけで、俺の心拍数は限りなく上昇していく。
「……わたし、どう見える?」
俺の目を真っ直ぐに見て、清水が聞いてくる。
「……小さい」
俺は正直な感想を言った。
「それだけ?……も〜、気にしてるのに〜」
清水の頬が、少しだけふくれる。その何もかもが、可愛かった。

「……俺、ものごっつい損してた。こんなに可愛い清水が、今まで見えてなかったなんて」
「えっ…」
頬を朱に染めて、少し恥ずかしそうに口をつぐむ。俺が、ずっと見たかった表情だった。
俺は思わず清水を抱き寄せると、その顔をじーっと見つめた。
「…………」
「…………」
「…あ、あんまり見ないでよ……」
清水が困ったように眉を寄せて、顔をそらす。俺は清水の頬に触れると、くいっと俺の方に向き直させた。
「…駄目だよ。ずっと、見たかったんだから」
「…だって、これからだって、ずっと見られるでしょ?」
「……そう、清水のパジャマ姿もね」
「…明日からは、ちゃんと早く起きるんだから」
ちょっとすねたように清水が言う。
いつまでも、ずっと、清水を見ていきたい。何よりも強く、そう思った。

 

おしまい