【だんしじょし】
眠い。
終わらない仕事を家にまで持ち帰っての作業。
一人身なのでコンビニ弁当を貪りながら仕事をし、1時間ほど寝てまた会社へ。
窓から差し込む昼前の日差しの眩しさでかろうじて目をあけていたもののそろそろ限界だ。
ゆっくりと俺のまぶたが下がってくる。 いや寝てはいけない。 まだ仕事がある。
そうだ、夕方のミーティングに使う書類をコピーしないと。
「あー・・・ちょっと石川さん、これコピーしてきてくれない?」
派遣社員の石川さんを呼びつけ、書類を渡す。
「大変ですねえ係長・・・ あれ? ちょっと、係長?」
と彼女の励ます声がだんだん遠くなっていく・・・
「・・・ちょう、起きて」
気づけば机につっぷしていた。 一瞬眠ってしまったようだ。
「ん、なんだい石川さん・・・」
目をこすりながら顔をあげるとそこには派遣社員の・・・
「は? 石川さん? 誰それ」
派遣社員の石川さん、とは似ても似つかないが、なんだか見覚えのある背の低い少女。
「え?」
「『え?』じゃないでしょ、生徒会長が寝てちゃダメじゃない」
その、見覚えのある少女が俺を叱った。
ふと周りを見渡すとそこは白塗りの壁に、黒板。 どう見ても会社の風景ではない
さらに俺を見つめる何人もの小学生くらいの子供達と、数人の大人。
こちらも部下や上司ではない。
大人の中の一人が俺をすごい形相で睨んでいる。
「会議中に寝るとはいい度胸だな生徒会長」
この男にも見覚えがある。 確か小学校の時の・・・、和田教頭だ。
他の人間もそうだ。 子供達は同じ小学校だった生徒。 大人たちは教師。
そして俺を起こしてくれた少女は、生徒会の副会長で、同じクラスだった清水・・・清水佐紀だ。
なんなんだこれは。 俺は夢を見ているのか?
「聞いてるのか!」と、教頭の声。
「も、申し訳ありません!」
口から出た言葉は、信じられないくらい高い声。
変声期を迎える前の、俺の声。
何がどうなっているのか皆目検討がつかなかった。
俺が大声で謝ったあと会議は再開し、学校の花壇をどうするかとか
学校で飼っているウサギが逃げ出したとか、そういう話をしていた。
俺はわけのわからないまま適当に相槌をうっていた。
会議が終わり、生徒や教師たちは生徒会室から出て行った。
「『申し訳ありません』だって、変なの!」と清水が笑い出す。
「あ、ああ、うん」
「なんか変だよさっきから」
清水が俺の顔を覗き込む。
「そう・・・ていうかこれ、夢なの?」
「はあ、まだ寝ぼけてるの? 遅くまでえっちなテレビでも見てたんじゃないの、生・徒・会・長!」
俺は確かに小学校の6年生の時生徒会長をやっていた。
クラス投票で選ばれ、祭り上げられて立候補し、そのまま当選してしまったのだ。
しかし俺はついさきほどまで仕事中だったはずだ。
ものすごく眠かったのは覚えているが、これは夢にしてはリアルすぎる。
「いつまでもボーッとしてないで、教室に帰ろうよ」
清水に急かされ、俺たちは教室に戻った。
教室のドアを開けると懐かしいにおいがした。
もう十何年も前に何度も通ったこの教室。
木と鉄パイプで組まれた机と椅子もある。
「あー! 会長、しみちゃんおつかれさま〜」
俺たちに駆け寄って来たのはクラスで一番人気のあった嗣永だ。
確か小学校を卒業したあと嗣永は別の中学に行ってしまってそれから疎遠になったけど
この頃は仲がよかったなあ、なんてことを思い出した。
「さっきね、面白かったんだよー」
と清水が嗣永に生徒会室でのことをしゃべりだす。
桃子たちと一緒にいた石村や須藤も笑いながら聞いている。
「らしくないねー、会長」
「やっぱりえっちなテレビ見てたんでしょ?」
「えー! 会長なのに!」
3人ともキャッキャと騒いでいる。
そういえば生徒会長になってからの俺のあだ名は「会長」だったことを思い出した。
同じく嗣永たちと話していた橘と、橘に子分のように付き添っている剣崎も寄ってきた。
「会長も考えることは俺たちと同じだね」
「俺たちって、一緒にするなよ剣崎」
「ルラギッタンディスカー!!」
カツゼツの悪い剣崎とクールな橘の天然漫才も懐かしい。
この7人はクラスの中で一番仲がいいグループだった。
家も近所だったので、帰りはいつも一緒だった。
子供の足ではちょっと疲れる距離を7人で喋りながら帰った。
帰り道の途中で石村、剣崎、嗣永、清水、須藤の順に帰りの列から離れていく。
二人だけになったところで、急に橘が立ち止まった。
「あのさ、ちょっと話したいことがあるんだけど」
デジャヴ、というのか、覚えのある感覚だ。
小学校の時のあの日も、帰り道に橘の相談を受けた。
どんな相談だっただろうか・・・
俺たちは帰り道の途中の公民館に寄り、石段に腰掛けた。
「まぁ、話っていうか、アレなんだけど」
「なに?」
「なんていうかさ・・・はは」
そう、あの時もこうやって橘は照れてばかりでなかなか話そうとしなかった。
「あと2ヶ月で卒業するじゃん俺たち」
「ああ、うん」
「えっと、その、桃子のことなんだけどさ」
思い出した。
「あいつ別の中学に行くの知ってる?」
橘は嗣永のことを・・・
「俺さ、桃子のこと、なんていうか、アレだよ」
「好きなんだろ?」
「え!? 知ってたのか」
本当は知らなかった。
何がなんだかわからないけど、これは『あの時』を繰り返している。
小学校卒業2ヶ月前の『あの時』を繰り返している。
橘が嗣永を好きなのも本来ならここで初めて知ることになったのだが
『今の俺』は知っている。
夢にしてはリアルなこの状況を俺はしばらく楽しむことにした。
橘から「卒業前に桃子に告白したい」という相談を受けたあと
俺はそれを了承して家に帰り着いた。
俺の家も、昔のままだった。
父も母も若いし、大学生になっているはずの妹の舞も小学3年生の姿で俺に甘えてくる。
何故小学生時代に戻っているか考えるのはもうやめた。
夢なのかタイムスリップなのかわからないが、俺はもう一度この時代を楽しむことにした。
翌朝。
目が覚めて周りを見回してもやはり子供のころの自分の部屋。 夢ではないようだ。
朝食も母が用意してくれている。 母は料理が上手かった。
『今の俺』は毎朝コンビニのおにぎりだったから余計に美味しく感じ
つい「うまい」と声に出してしまった。 家族全員が不思議そうな顔で俺を見ていた。
俺と舞は家を出ると公民館へ向かった。
学校では「集団登校」が義務付けられていて
同じ地区の生徒は決められた時間に集合し、みんなで登校していた。
集合場所の公民館よりも学校に近い生徒は登校中に家に寄って拾っていた。
嗣永の家に寄った時、彼女の「おはよう!」の挨拶に
橘だけ「お、おう」と無愛想に返事をしているのも記憶どおりだ。
1日寝ただけなのに、不思議とこの頃の思い出が鮮明に思い出せるようになった。
記憶から抜け落ちてもいいようなどうでもいいことまでも、
まるで昨日のことのように思い出すことが出来た。
教室に入ると、既に登校していた夏焼、熊井、徳永らが昨日の歌番組の話をしていた。
「昨日のWink特集よかったよねー、さっちん可愛い」
「えー、性格悪そうじゃん。 ぜったい翔子ちゃんだよ」
「わかってないなあ友理奈ちゃん。 さっちんのほうが歌もダンスも上手いんだよ?
こーころがもう、止ーまらないの♪」と雅が振りつきで歌いだした。
(Winkは口パクだろ)とつっこみたかったがやめておいた。
おそらく、Winkの二人より夏焼のほうが上手いだろうな。
『今の夏焼』は普通に主婦やっていると聞いているが、この才能はもったいない。
「歌手になっちゃえば?」 後ろから夏焼に声をかけた。
「うわ、びっくりしたぁー、って会長じゃない」
「おはよ」
「おはよう! でさっき何て言ったの?」
「お前が歌手になっちゃえば、って」
「え! 私がぁ? 無理だよ無理!」
「そうか? 歌も上手いし、Winkの振り付け覚えるのも早いじゃんか」
「そうだよ雅ちゃん、なっちゃえ!」 清水も乗っかってきた。
「えへへ、そうかなあ・・・」 夏焼は下を向いて照れ笑いをしている。
そんな中、「おっはよー!」と大声出して教室に入ってきたのは菅谷梨沙子。
入ってくるなり夏焼を見つけ
「あ、みやー! 今日も振り付け教えて〜」と飛びついてきた。
菅谷がいると教室中がなんだか明るくなる感じがする。
嗣永に続き、男子に人気があるのが夏焼と菅谷だった。
「私も教えて〜!」と嗣永も輪に入り、トップ3が揃い踏み。
3人のオーラなのか、それとも3人に向けられた男子の熱視線のせいなのか
冬の朝の寒い教室が少し暖かくなったような気がする。
「はいはい席についてー!」
と手を叩きながら教室に入ってきたのは担任の菅井先生。
怒らせると怖いが気のいい先生で、みんなに好かれていた。
出席を取ったあと、菅井先生から発表があった。
「えー、今日からしばらくグラウンドの緊急整備が始まるので、
1時間目の体育はマラソンを中止して体育館でドッヂボールをやりまーす」
教室中から歓声。
この風景も鮮明に思い出した。 そしてある事件があったことも。
ドッヂボールは男女混成のクラス対抗紅白試合だった。
一応運動部所属ということで、俺や橘、剣崎、須藤、徳永、熊井は最初から内野。
清水や嗣永、石村、夏焼、菅谷は外野にいた。
試合が始まり、学校で一番の運動神経を持つ隣のクラスの矢島が剛球を投げる。
ボールは俺のクラスのエースである橘に向けられていた。
橘はボールをキャッチしようとするが、ボールの勢いに押されて弾いてしまう。
後ろから「ダディヤナザァーン!!」と剣崎の叫び声が聞こえる。
弾かれたボールが落ちる寸前に、運動神経のいい須藤がキャッチ。
嗣永が「ナイスキャッチ!」と言い終わる前に体勢を立て直し、外野に向かって放る。
これを相手チームの梅田が長い手足を活かして奪い取る。
ここまでも俺の記憶どおり。
そして記憶が正しければこの後梅田はサイドスローで徳永を狙う。
ボールは徳永の顔面を直撃し、徳永は倒れて保健室に運ばれるはずだ。
しかし俺はそうなることを知っている。 知っていて止めないわけがない。
やはり梅田はサイドスローで投げてきた。 自分に迫ってくるボールに怯える徳永。
俺は素早く徳永の前に回り、ボールをキャッチ・・・
しようとしたが意外に早い球速に手が追いつけずにボールは俺の顔面めがけて突っ込んできた。
バゴンッ!! と鈍い音がして、脳みそが揺さぶられた気がした。
気がつけば保健室。
「会長、大丈夫?」
徳永が今にも泣きそうな顔で、ベッドに寝かされている俺を見おろしている。
「あんまり大丈夫じゃない・・・」
俺の声も今にも泣きそうな声だ。
「もぉー、かっこつけようとするからそんな事になるんだよ」
徳永の隣で清水が言う。
「佐紀ちゃんそんなこと言わないで!
会長が守ってくれなかったら私にあたってたんだよ!」
「そうだそうだ。 けが人にはもっと優しい言葉をかけてくれ」
「けが人のくせによく喋るねえ。 女の子のボール取れないノロマなのに〜」
「口はなんとか無事だったもんでね、チビスケ」
「チビって言うな! ふん、気にして来てあげたのにさー
千奈美ちゃんにやさしく看病してもらえばっ」
そう言って清水はスタスタと保健室を出て行った。
「ごめんね、佐紀ちゃんああ言ってるけど、目が覚めるまでずっと心配してたんだよ」
徳永はまだ泣きそうな顔だ。 笑顔が売り(?)の徳永なのに。
「あ、そういえば試合はどうなった?」
「えっとね、・・・負けちゃった」
「そっか・・・」
「あのあと舞美ちゃんとえりかちゃんがすごくて・・・
橘くんや剣崎くんもがんばってたんだけど・・・」 また泣きそうな顔になる。
本来ならばこの試合は勝っていた。
俺と橘のドッヂ版スカイラブハリケーンで華麗なる勝利を収めていたはずだった。
徳永を助けてしまったことで結果が変わってしまったのだ。
試合に負けたことは悔しいが、ある意味これは未来を変えることのできる能力だと確信し
これからのことが楽しみになってきた。
ドッヂの試合から約1週間が経過していた。
クラスでは、「会長は千奈美のことが好き」という噂が広まっている。
それ以来徳永はあまり俺と目を合わせないようになった。 迷惑に思っているのかもしれない。
でも徳永がどう感じていようと、俺は悪いことをしたとは思っていない。
「なんか千奈美ちゃんのことばっかり見てるね」
ふいに後ろから声がした。 石村だ。 いつものげっ歯類みたいな顔でニヤついている。
「そんなんじゃないよ」
「へへえ、照れちゃって!」と俺をつつく。
「うるさいぞペチャパイねずみ」
「あっ! ひっどーい」
石村はまるでリスがどんぐりを頬張っているかのように顔をふくらませて自分の席に戻っていった。
さて、俺の記憶ではそろそろ橘が俺のところに来るはずだ。
「会長ー、ちょっといいか?」
ほら来た。
「こないだのことなんだけど」
「うん、桃子のことだろ」
「シッ! バカ、聞こえたらどうすんだよ!」
「大丈夫だって、今教室いないし」
「桃子以外のやつに聞かれてもまずいだろ!」
「お前の声のほうがでかいよ」
「ァゥァ」
俺たちは教室を離れて校舎の裏まで移動した。
「告白、いつするべきかな。 やっぱ卒業式にしたほうがいいと思う?」
「それでもいいと思うけど・・・」
本来ならば橘は卒業式の日に告白してフラれている。
フラれた理由は聞いていなかったが、俺はこれもなんとか変えてやろうと思った。
「思い切ってさあ、今日やってみたら?」
「え!?」
「たぶんいつ告白しても変わらないと思うんだよ、結果は。
ムード的に卒業式がいいと思ってるかもしれないけど、逆効果かもよ?みんなしんみりしてるし」
「うーん、そう言われてみると・・・。 つうか最近なんか冷静だよなお前」
「そうかね」
そりゃあそうだ。 『今の俺』は大の大人で、今後十数年の知識と経験がある。
橘はしばらく考えこんでいた橘は、意を決したようで、顔を上げて俺に言った。
「わかった。 今日の放課後呼び出してみるよ」
「がんばれよ、フラれたらジュースおごってやるから」
「縁起悪いこと言うなっ」
放課後、橘は嗣永を呼び出した。 俺は教室で結果待ち。
30分ほどして橘が戻ってきた。 俯いている。
「どうだった?」
「あー、えーっとな、わりぃ、先に帰ってて」 涙声だった。
「ああ、うん」
やっぱり告白する日を早めたくらいじゃ変わらないか。
これから橘と嗣永はぎくしゃくしたまま卒業式を迎えることになるのだろうか。
悪いことしたな・・・。
もやもやした気分のまま朝を向かえ、学校に向かった。
登校中は橘と嗣永は特に変わったところはなかったが、俺は話しかけられなかった。
1時間目が過ぎ、2時間目が過ぎ、給食時間になっても気まずすぎて話しかけられない。
気にしすぎて全然味がしない給食をゆっくり食べていると、須藤が話しかけてきた。
「会長、ちょっと屋上きてくれない?」
なんだなんだ、もしや須藤が俺に告白?
須藤に導かれるまま屋上へ。
屋上のドアの前まで来たところで、
「じゃあ私はここで〜」と呑気にいって須藤は階段を降りていった。
須藤が用があるんじゃないのか・・・じゃあ誰だ?
まさか俺、昨日のことで橘にぶん殴られるんだろうか。
恐る恐るドアを開ける。 屋上のフェンスが見えるが、誰もいない。
ドアを閉めてフェンスの傍まで行くと、昼休みにサッカーをしている生徒が見えた。
剣崎が低学年の生徒と一緒にキャッキャ騒いで遊んでいる。
「会長」
後ろから声がした。
屋上のドアの隣で、嗣永が壁に寄りかかっている。
「嗣永・・・」
「いつのまにかそれだよねえ」
「へ?」
嗣永が俺のほうまで歩み寄ってくる。
「私のこと、名前で呼んでくれなくなって随分たつよね」
「あ、ああ」
学年があがるにつれ、恥ずかしさもあってかみんなのことを苗字で呼ぶようになっていた。
生徒会長になってからは、
「みんなを平等に扱わなければいけない」
という意識が働いて余計に名前で呼べなくなったのだ。
「お前こそ、俺のこと『会長』って呼んでるだろ」
「それはそうだけど、あだ名みたいなもんだからいいじゃない」
そんなの、勝手な理論だ。
嗣永は俺の隣まで来ると、急に真顔になった。
「私けっこう寂しいんだけどなあ、名前で呼ばれないの」
真顔で、俺をじっと見つめている。
「・・・も、もも・・・こ」
久しぶりにそう口に出した。 実際、十数年ぶりにだ。
それを聞いた桃子は、今までの真顔を急に崩してプッと笑い出した。
「あはは! 変なの〜」
「なんだよ・・・」
それから嗣永は笑顔のまま言った。
「私ね、さくちゃんに告白されちゃった」
さくちゃん、とは橘のことだ。 橘朔也という名前なのでそう呼ばれている。
俺も昔はそう呼んでいた。
「そっか・・・」
「あれえ、反応うすいね」
「そ、そんなことないけど・・・」
「もっと驚いてくれるかと思ってたのに」
「それで、どうしたんだよ。 断ったのか?」
再び、嗣永が真顔に戻り、グランドのほうを見つめている。
「まだ何も答えてない。 返事は待ってもらってるの」
「じゃあ、これから断るのか?」
「ううん、OKするつもり。 だって私好きよ、さくちゃんのこと」
それには驚いた。 俺の本当の記憶では卒業式に橘はフラれていたのだから。
「でもね、本当はもっと好きな人がいたんだよ」
俺のほうに向き直る。
「卒業式にその人に告白するつもりだったの」
「・・・・・・」
「その人に思いを伝えてから、卒業するつもりだった」
「・・・・・・」
「でもさくちゃんが、『一緒の中学校に行こう』って言ってくれた」
「・・・・・・」
「だから私、私立の推薦は断ることにしたよ」
「そ・・・っか」
上手く言葉が出てこない。
「『その人』はきっと、そんなこと言ってくれないだろうな・・・」
嗣永が誰のことを言っているのかくらい、わかっている。
でもなんて言えばいいかわからずに、つい目を逸らしてしまった。
「もう・・・」
と嗣永が言った瞬間、ふわっとシャンプーの香りが鼻をかすめたかと思うと
俺の頬に何かやわらかいものが当たった。
「え・・・」
「私、先に帰ってるね! じゃあね、……君!」
嗣永は俺に手を振りながら、駆けて行った。
俺はと言えば、頬に手をやり呆然と立ち尽くすしかなかった。
「桃子がさ、俺と一緒の中学に行ってくれるって言うんだよ!」
電話口で橘は興奮して喋っていた。
「よかったな、さくちゃん」
「なんだよ急に(笑)」
「カップル成立記念にさ」
またひとつ、未来が変わろうとしている。
ドッヂや橘と嗣永の件で少しずつ俺の記憶と差異が出てきている。
本来の記憶と違う新しい歴史が作られていくのが楽しみでしょうがない。
国語の授業。 国語はそんなに好きな科目ではないけれど
菅井先生の熱の入った教え方では眠ることすらできない。
そんな中、斜め後ろの席の菅谷が呑気にこくりこくりと頭を揺らしている。
もちろん先生はそれを見逃さない。
「はい菅谷ー、この漢字読んでみてー」
ハッとして椅子から立ち上がった菅谷だが、黒板に描かれてある文字は
『醍醐味』
普通の小学生でも読めるやつが何人いるかわからないレベルの漢字だ。
ましてや菅谷が読めるはずがない。 しかもついさきほどまでうとうとしていたのに。
「えっ、あ、あの・・・」
ただでさえパニくっているのに先生のあの目で睨まれてはまともな答えがでそうにない。
「どうしたの、読めないの?」
「えっとえっと・・・み・・・」
「・・・」
「みそあじ・・・?」
ダメだこりゃ。
「みそあじ!? 菅谷、あんた舐めてるの!? 国語を甘く見ないでください!」
先生がキレはじめてる。 このままでは説教がはじまってしまう。
「ほら、もう一回よく考えてみなさい」
「ふぅ、ふぅ、ふぅ」
菅谷の息遣いが荒くなり、目には涙をためている。
助け舟を出してあげたいところだが、席の位置からして少し無理がある。
そもそも、このシーンは俺の記憶にはなかったことだ。
菅谷が朝のホームルームの時から眠たそうにしていたことも。
桃子は昨日数人の友達に橘との事を話したと言ってたから
そのせいで菅谷は寝不足になっているのだろう。
「あう、あばば」
思考回路はショート寸前だ。
菅井先生も顔に青筋立てている。 こりゃ授業がつぶれるかな、と思った矢先。
(だいごみ、だよ)と俺の後ろで声がした。
振り向くと後ろの席の石村が菅谷にこっそり教えている。
菅谷はそれを聞いて、キッと前を向いた。
「だいご・・・だいごみです!」
先生はちょっと眉間に皺を寄せながら、「いいでしょう」と菅谷を座らせた。
菅谷はほっとした様子で、小声で何度も石村にお礼を言っていた。
「よくわかったな石村」俺も声をかけた。
「えへへ、私歴史得意でしょ? 『後醍醐天皇』を覚えてたから読めたんだ」
なるほど。
「ホントにありがとうね舞波ちゃん」
これでようやく普通の授業に戻るか、と思ったのだが。
「石村、あなたさっき菅谷に答え教えてたでしょう」
菅井先生のターゲットが石村に代わった。
石村がひきつった顔で顔をあげる。
まるで蛇に睨まれたネズ・・・いや蛙だ。
「答えは自分で探すものなの、あなたがわざわざ教えてあげることじゃない。
わからなかったらわからないでもいいの。 それで悔しいと思ったら
自分で調べればいいことなんだから。 あなたはそれをさせずに
菅谷を甘やかしてしまったのよ。 今のが一番、僕は許せない」
先生の説教が始まってしまった。 今度は石村が涙目になっている。
はぁ、仕方ないか・・・
「先生!」
俺は声を張り上げ、立ち上がった。
先生は不思議そうな顔で俺を見ている。
「俺が石村に教えたんです、漢字の読み方」
「は?」
「直接菅谷に教えてやろうと思ったんですけど、席が斜め後ろだったんで
読み方を紙に書いて石村にこっそり回して、それで・・・」
「・・・・・・」
ちょっと無理があったか。
「あなた後で職員室に来なさい」
そう言った後、菅井先生は授業に戻った。
国語の授業の後、職員室でたっぷりと絞られた。
先生は俺が石村をかばっていたことを知っていた。
「僕はあんた達が嫌いだから怒ってるわけじゃないの」
知っている。
「間違ったことや悪いことをした時に、自分で解決する方法を見つけて欲しいだけなの。
だから石村が答えを教えたことも、あなたが石村をかばったことも怒ってる。
二人とも助けたいという気持ちでやったことかもしれないけどね。
大人になったら、自分一人で解決する力が必要なの」
やっぱり熱い先生だな、この人は。
似たようなことで何度も怒られたことを思い出した。
小学生に言うことにしては、ちょっと早すぎるような気もするが。
そんな説教を何十分もされて、ようやく教室に戻った。
説教で次の授業が自習になり、大半の生徒は喜んでいた。
石村と菅谷は俺が戻ってくるなりまっさきに駆け寄ってきた。
「ご、ごめんね会長、私のせいで」
「違うよ、梨沙子がうとうとしてたから・・・」
二人ともお互いをかばいあっている。
「いいって、菅井先生の説教は慣れてるから」
そこへ今度は嗣永がやってきた。
「あのね、昨日私がりーちゃんと遅くまで電話で話してたから・・・」
次は夏焼がやってきて、
「私昨日桃ちゃんと話したあとすぐに教えてあげようと思って
梨沙子に電話したの。 それで疲れちゃったんだよね」
「違うよう、みんなは悪くないの、梨沙子がね・・・」
そんな様子を見ていたらなんだかおかしくなってきて笑ってしまった。
「仲いいよな、みんな」
「なんで笑ってんのよ〜、会長」
「お前ら見てたらなんか面白くてさ」
「もー・・・あ、そうだ! お礼に今度チョコレート作ってきてあげる」
石村が言った。
「チョコレート?」
「バレンタインだよ、バ・レ・ン・タ・イ・ン」
「あ、そうか。 もうすぐだよなそういえば」
「あー、じゃあ梨沙子も作るー」
「私も!」と夏焼も。
夏焼はあまりこの件に関係ないような気がするが・・・。
「それなら私も作るー!」
嗣永も乗っかってきた。
それを聞いていた橘が割り込んできた。
「おいちょっと桃子、俺に作ってくれるんじゃ・・・」
「大丈夫だよ義理だから! さくちゃんの分はちゃんと別に作ってあ・げ・る!」
「え、あ、うん・・・」
それを聞いてみんなが笑い出した。
そういえば当時のバレンタインはチョコレートなんてもらってなかったな。
確実に俺の歴史は変わってきている。
俺がこの時代来てから、既に20日ほど経過した。
登校の時や、教室での会話。
いくつか俺が変えてきた事のせいで、会話や行動が俺の記憶とはかなりかけ離れてきている。
ドッヂの件や嗣永と橘のこと、先日の菅谷の件とは関係のない生徒も
俺の記憶とはまったく違うことを話している。
『1匹の蝶の1度の羽ばたきが、地球の裏側で竜巻を発生させる要因にもなりえる』
というバタフライエフェクト、所謂カオス理論というやつを信じるとすれば
今頃南米あたりでは天変地異にでも悩まされているのではないだろうか。
というような変な心配をしながら、俺は南米かと思われる方向に勝手に拝んでみた。
「なにしてんの、会長」
清水が俺の顔を覗き込んでいる。
窓際に差す夕陽が清水の顔を照らしてオレンジ色にしている。
「うお、なんだ副会長か、どこから沸いてきたんだ」
「人をボウフラみたいに言わないの」
「ボウフラより小さいかもな」
「いい加減にしなさい!」
清水は垂れている眉毛を思いっきり吊りあがらせて俺にチョップを見舞った。
「痛ってえ。 あのな、俺は南米の方々を思ってだな・・・」
「はあ?」
「いやなんでもないけど。 で、何か用?」
訊ねると清水は、「え、や、まあ何ということもないんだけどお・・・」
と顔をそむけ、もじもじしている。
「あ、もしかして俺にバレンタインのチョコでも渡しに来たとか?」
俺は今日既に嗣永、夏焼、菅谷にチョコレートをもらっている。
本当の記憶では、もらっていなかったはずのチョコレート。
いや、もらっていなかったどころかあの時は剣崎にウソのラブレターを渡され
校舎裏で1時間近く待ちぼうけした挙句、クラス中の笑いものになったのだ。
それが今は3つものチョコレートが手元にある。
しかも人気のトップ3にもらったものだから、クラス中の男子が羨ましがっていた。
カオス理論バンザイ。
「・・・・・・」
「あれ、図星か。 モテちゃって困るなあ」
「ばっかじゃない! あなたに渡しに来たのはこ・れ・で・すぅー!」
と生徒会回覧用のプリントの束を俺の顔に叩きつけた。
「ふご」
「もらったチョコレートはどうせ義理でしょ!
でれでればっかしてないで、ちゃんと生徒会の仕事もしなさいよねっ」
と言うともう一発俺にチョップをくらわし、教室から出て行った。
「そんなに怒らなくてもいいだろ・・・」
俺は床に落ちて散らばっているプリントを拾い集めランドセルにしまい込んだ。
荷物が重い。
生徒会のプリントの束だけならば問題はないが、今日は義理チョコが3つも入っている。
いやいや、たかがチョコ3つでこの重さはありえない。
これは菅谷のバカでかいチョコレートのせいだ。
『あのね、みんなにあげようと思ってた分全部入れてひとつにしちゃった』
とキャッキャはしゃいでいた。
気持ちは嬉しいがこればっかりはみんなに分けてあげてくれたほうがありがたい。
小学生の体力でやっとの思いで玄関にたどりついた。
「ふう・・・」
重さでしびれている手で下駄箱を開けると、封筒がひとつ入っていた。
「なんだこれ」
ピンクの封筒に、ハート型のシールで封がしていある。
バレンタインデーに、この封筒。 もしやこれは・・・ラブレターってやつ?
いやいや、まさか。 悪戯だろう。 剣崎の悪戯だけは変わらなかったか。
そう思いつつも気になり、封を開けてみる。
『渡したいものがあります。 校舎裏の焼却場で待っています。』
便箋に書いてある『校舎裏』という文字を見て、真っ先に剣崎の顔を思い浮かべたが
剣崎の悪戯の手紙にしては文字が可愛らしすぎる。
あのバカじゃあどんなに頑張っても筆跡を真似るなんてできるはずがない。
しかし女子の誰かと共謀している可能性も・・・
「お、会長! ラブレター!?」
試行錯誤していて気づかなかったが、いつの間にか横に石村が立っていた。
「え! ああ、どうせ剣崎か誰かの悪戯だよ」
「ええ〜、でも本物だったらどうするの?」
確かにその可能性も否定できないわけで・・・。
「まあ、いいけど。 ハイ、これ!」
石村が綺麗にラッピングされた箱を俺に差し出す。
「お」
「ちゃんと手作りしたんだよ。 教室で渡そうと思ったけど
桃ちゃん達が渡してて男子が騒いでたから、なかなか渡せなくて」
「おお、サンキュー」
俺は手紙を左手に持ち替え、石村のチョコレートを受け取った。
「それじゃ、私いくね」
石村は素早く靴を履き替えて玄関を出て行く。 そして俺のほうを振り返って
「あ、手紙が入ってるから、ちゃんと読んでよね!」
そう言い残し、また足早に駆けて行った。
既にぎゅうぎゅうの鞄に無理やり石村のチョコを詰め込んで、俺は焼却場へ向かった。
焼却場にはゴミを焼いた後の煙がまだ漂っていて、少しけむたい。
この頃はダイオキシンなんて全然問題になってなかったな、とか思いつつ
とりあえず焼却場の前の空き瓶置き場に座り、荷物を降ろした。
「どっこいしょ、っと」
「ふふっ、なんか親父くさいね」
どこからともなく声がして、俺はあたりを見回した。
「こっちだよ、会長」
声がしたほうを向くと、木の後ろから徳永が顔を出していた。
「徳永だったのか・・・」
「よかったぁ、来てくれて」
いつものニコニコ顔で、徳永は胸をなでおろす仕草をした。
「剣崎の悪戯かと思って、迷ってたんだけどさ」
「私もそれがあるから来てくれるか心配だったんだぁ」
そう言いながら、俺の横に腰をおろす。
「渡したいものって、何? チョコレート?」
今日はたくさんチョコレートをもらっていたので、ついそう聞いてしまった。
「単刀直入だねえ。 でも、ちょっと違うかな」
ちょっと違う・・・? 何なんだろういったい。
「えっと、私が渡したいものはね」
「うん」
「そのー、なんていうか・・・」
徳永は急にもじもじして、下を向いてしまった。
「・・・」
「あ、ほら、その、君に受け取ってほしいのは」
「・・・」
「わ、わたしの」
「徳永の?」
「・・・私」
「へぇ!?」
いきなりそんな事をいうもんだから、俺は素っ頓狂な声を出してしまった。
小学生が『私をあげる』なんてそんな!
徳永も自分が言ったことに気づいて、顔を真っ赤にして立ち上がった。
「ひぇっ、ち、ちがうの! そうじゃなくて、なんか、ち、ちがくて」
「ぅえ、あ、う、うん」
俺も徳永も慌てまくっていた。
「あ、その、私、好きなの! 会長のこと、……君のこと好きだから!
だからその、受け取って欲しいのは、わ、私じゃなくて、
いや、私なんだけど、そうじゃなくて、私の気持ちなの!」
「わ・・・わかった」
「あのね、へ、返事はね、あとでいいから! それじゃね!」
と、そう言って徳永は自分のランドセルを持って猛ダッシュしていった。
「・・・どうしよう」
『今の俺』は、それなりに恋愛はしてきた。
告白されたこともあったし、自分から告白したこともある。
しかしこの『小学生時代』では、はじめてなわけだ。(嗣永の件は別にして)
愛の告白ってのは確かに衝撃的なことではあるけども
何故俺はここまでドキドキしているんだろう。
そんなことを考えていたら、荷物の重さも忘れていつのまにか家についていた。
妹の舞が俺の荷物からはみだしている箱に気づいた。
「わぁー、お兄ちゃんすごい! こんなにチョコもらったの?」
「大漁大漁だ。 舞にいっこあげるよ」
「ほんと? じゃあこの一番おっきいやつがいい!」
と言って菅谷の特大チョコレートを両手で抱えていった。
そのおかげで一気に荷物が軽くなった。
俺は自分の部屋に行き、もらったチョコレートを少しずつ齧りながら
『手紙が入っている』と言われていた石村からもらった箱を開けた。
出来はちょっと不細工だが、ハート型の可愛らしいチョコレートが入っている。
そして底の方に便箋が一枚。
『男の人に手紙かくのはじめてなんだけど・・・』
という書き出しではじまり、先日の国語の授業のことでお礼が書いてある。
そして最後の行。
『あの時、決めたんだ。 ……君に気持ちを伝えようって。
私、あなたのことが好きです。』
まじかよ。
俺の口からチョコレートのかけらがボロボロとこぼれていった。
予想外の、とんでもないバタフライエフェクトが返ってきてしまった。
翌日。
なるべく徳永や石村と顔をあわせないようにした。
石村は俺の後ろの席だが、無理して教科書だけ見るようにしていた。
それにしてもよくわからない状況になっている。
小学校の頃の俺はこんなに女子から人気があったか?
それなりに仲良くはしていたけど、恋愛に繋がることなんてなかったはずだ。
確かにこのタイムスリップ的状況を楽しんで
積極的に歴史を変えていこうとしているが、まさかこんなことになるとは。
それに、俺は二人の気持ちには答えられない。
想ってくれていたことは嬉しいけれど、俺は昔からずっと好きな人が・・・
好きな人? 誰だっけ・・・
この頃、俺は誰を好きだったんだ? まったく思い出せない。
他の事は鮮明に思い出せるのに、俺が好きだった誰かを思い出せない。
『好きだ』という気持ちは残っているのに。
「かーいちょー」
能天気な声で我に返る。 剣崎だ。
「剣崎か、おはよう」
「おはようって、もう昼休みだよ」
考え事ばかりしていたらいつのまにか何時間も経っていたようだ。
あれ? 俺給食食べたっけ・・・。
「いいよな会長、梨沙子からチョコもらったんだろー」
「ああ、うん。 舞にあげたけど」
「ナズェ! ナズェ俺にくれなかったんディス!?」
剣崎が急に必死になる。 そういえば剣崎は菅谷のこと好きなんだったなあ。
「舞が欲しいって言うからあげたんだよ。 お前そんなこと言わなかっただろ」
「そんな・・・」
尚も泣きついてくる剣崎を振り払おうとしているところに、清水がやってきた。
「会長! 次の音楽の授業で使う楽譜取りに行くから手伝ってよ」
「えー、それは日直の仕事だろ」
「あなたでしょ、今日の日直」
そうだった。 考え事ばかりしていてすっかり忘れていた。
「さ、早く早く」
「はいはい」
「ていうかよく考えたらお前は日直じゃないよな」
教材室へ向かう途中の廊下の途中で清水に言った。
「私はたまたま菅井先生に頼まれたの」
「だったら女子の日直に頼めばいいだろ。 わざわざ俺に頼まなくても」
「あんたねえ、か弱い女の子にクラスの人数分の楽譜を持たせる気なの?」
清水が呆れ顔で言う。
「まあ確かにお前じゃ楽譜に潰されそうだな」
「またそんなこと言う」
ふくれっ面で俺を睨み、階段へ向かって走り出した。
「私先に行ってるからねー」
「おーい、副会長が廊下走っていいのかー」
「あっ」
清水は言われて規則を思い出し、急ブレーキをかけたが、遅かった。
ドスンッ
「きゃあっ」
階段へ曲がる角から出てきた生徒にぶつかり、小さい清水はコロコロと廊下を転げていった。
「何やってんだか」
俺は起き上がって頭をさすっている清水に駆け寄った。
「いったぁ・・・」
「まったく、副会長が規則を破るからバチがあたるんだよ」
清水を抱え起こしながら説教。
「いやー、どうもうちの清水がすいませんねー」
と、つい『今の俺』の仕事柄の言葉遣いでぶつかった相手に謝ってしまったが
ぶつかった相手を見てそんなことを気にしている場合ではなくなった。
清水にぶつかられて肩を抑えている徳永と、俺を睨みつけている熊井・・・。
「あ、あー、えーっと・・・」
なんと声を掛けたらいいのかわからず、立ち尽くしてしまう。
立ち尽くしついでに(?)、抱えていた清水から手を離してしまった。
「痛っ! もう急に離さないでよ!」
そんな清水の声も耳に入らない。
「あ、あの、会長・・・」
「徳永・・・」
「あのね、返事は、ぜんぜん、まだいいからねっ
ずぅっと後でもいいから、あ、そんなに後になるのはいやだけど・・・」
徳永はうつむいたまま、俺を見ようとしない。
「千奈美、行こ」 熊井が徳永を促す。
「う、うん。 あ、それじゃあ私行くね!」
「ああ、うん・・・」
徳永は俺の表情を伺うようにチラッとだけ見て、すたすたと音楽室へ向かっていった。
熊井もそれに続くが、少し歩いたところで向き直り
「会長、あんた千奈美を泣かせたら許さないからね」
と鋭い眼光で俺を睨みつけ、再び歩いていった。
(なんで俺が熊井に睨まれなきゃいけないんだよ・・・)
熊井は普段は優しいやつだが、敵に回したくないタイプだ。
力はそれほど強いわけではないけど、言葉責めが辛い。
まぁ、それが好きだと言う物好きな男子も中にはいるが。
「ちょっと! 私のこと忘れてない!?」
後ろからなんかちっちゃい人の声がした。
「友理奈となんかあったの?」
教材室で人数分の楽譜を集めながら清水が俺に訊ねた。
「いや、熊井じゃなくて徳永となんだけど・・・」
「へっ? 千奈美と? なんで、何したの? いじめたの?」
「ばっか、そんなんじゃないって」
「じゃあ何で友理奈があんなに不機嫌なの」
「それが俺にはさっぱりなんだよなあ・・・」
俺は楽譜を集める手をとめ、座り込んで頭を抱えた。
が、思い切って言ってみることにした。
「ちょっと俺の話聞いてくれますかね、清水さん」
清水はクラスの良いまとめ役だ。 男子からも女子からも絶大な信頼を得ており
担任の菅井先生以上にクラスの相談役として活躍している。
清水に話せば、何か解決策を与えてくれるかもしれない。
そう思って俺は清水に昨日のことをすべて打ち明けた。
「へぇ〜、千奈美と舞波からねー。 ついに言っちゃったか」
「え、ついに? ってどういうこと?」
清水はしばらく腕組みをして考えていたが、
「まあ、全部話してくれたから私も教えてあげるけど、千奈美と舞波から
会長のことについていろいろ聞かれてたんだよ。 趣味とか何やらいろいろ」
「まじで」
「でもねー、会長のことが気になる、って話は何度も聞いてたけど
まさか実行に移すとは思ってなかったなあ。 あの子達そういうの苦手分野じゃない?」
確かに普段の地味な石村と、照れ屋の徳永からは考えにくい行動だ。
「何か、きっかけになるような事があったのかもね。 アレとかアレとか」
「アレとかアレとかって・・・・・・あ」
そういえば石村の手紙にも書いてあった。
『あの時、決めたんだ』
あの時って、もしかして俺が国語の授業で石村をかばった時?
とすると徳永の場合は体育の授業?
未来を知っていたからこそ出来たあの行動のせいで。
そんなひとつの行動が、彼女達の背中を押してしまったのか。
「告白されちゃったもんはしかたないんだから
二人の気持ちは受けるなり、断りなり、きっぱりしないとだめだよ」
まったくその通りだ。
「ありがとうございますチビハム先生」
「な、なによチビハム先生って! 私の話、まじめに聞いてたの!?」
「聞いてたよ、ありがたい話だから敢えて『先生』って付けたんだけど」
「そこじゃないの! その前! ハムってなによハムってー!」
「ハムスター」
俺は楽譜を半分持って教材室を後にした。
「ちょ、ちょっと待って、私これ全部持つの〜? 待ってよぉー!」
清水の話をふざけて聞いたわけじゃない。
二人の気持ちに対してどう答えればいいのか、覚悟は決めた。
もとはと言えば、そうならなかったはずの歴史を変えてしまった俺のせいだ。
悩んでもしかたない。 答えは決まっている。
これからどうなってしまっても、全ては俺の責任だ。
音楽の授業は菅井先生が一番力を発揮する授業である。
絶対に気を抜けない。 気を抜けば説教コースなのはわかりきっているからだ。
「リズムが早いの! はい、タン、タン、タン、タン!」
菅井先生はいつにも増して熱い。
この学校では卒業式に、在校生と卒業生がそれぞれ合唱をすることになっていて
今日からその練習が始まっている。
先生もこの学校の卒業生だから気合が入っていて当然だ。
「ブレス! ブレス!」
音楽の授業で気を抜いてはいけないのは、みんな理解しているが
それでも、毎回何人かは先生の鋭い目にとまってしまう。
今日、前に立たされて先生の熱心な指導を受けているのが徳永と石村なのは
俺のせい・・・ではないはずだと思いたい。
「覚えてきなさいって言ったでしょ! ここまで歌えないと思ってなかった!」
二人は既に半泣き状態である。
「僕はこの学校が好きなの! そこから巣立つ人をちゃんと育てたいの!」
徳永も石村も一生懸命声を出そうとしているが、先生の怒号のせいで泣き声しか出てこない。
「あ、え、い、う、え、お、あ、お! ハイ!」
先生の手拍子に続けて、二人も続く。
「あ、え、い、ぅ、ぇ、ぉ・・・ひっく」
「・・・じゃあ徳永、『にゃあお』って猫みたいに言える?」
うわあ、『にゃあお』が来た。 罰ゲームみたいなもんだ。
「い、言えません」
「言えなくてもやるの。 石村も一緒にやってみて。 はい、にゃあお!」
「に、にゃぁぉ・・・」
「石村は!」
「・・・できません・・・」
「できない。できませんじゃなくて、できるように努力しなさい。
努力する気がなかったら、すぐにここから出てきなさい」
一方的に攻められる二人。
先生の熱い気持ちもわかるが、これではただのスパルタだ。
しかし、ちっとも声を出せない二人に対して菅井先生はひとつため息をして、
「ちょっと休む? 休憩しようか。 ちょっと、そこのお茶持ってきてくれる?」
音楽室には、声にうるさい菅井先生の要望で加湿機やウーロン茶のポット等が置いてある。
ポットに一番近いところにいた(つまり背の順で並んで一番端にいた)清水が
てきぱきと動いて3人分のお茶を汲んできた。
飴と鞭、という言い方はちょっと違うけれど
こういう時に見せる優しさが、先生が厳しくても好かれている理由だ。
音楽の授業が終わると、恒例行事が始まる。
『授業で先生の的になった生徒を囲んで慰める会』だ。
もちろん、先生を責める生徒は一人もいない。
みんな「もう少し練習したら大丈夫だよ」とか「一緒に歌の練習してあげる」とか
そういった励ましをするのだ。
それでもやはり、徳永と石村は落ち込んでいた。
俺は今日の放課後にでも二人に返事をしようと思っているが
この状況でそう伝えても大丈夫なのだろうか・・・。
その日の放課後、俺は徳永を校舎裏に呼び出した。 徳永に告白された場所だ。
運良く、と言えばいいのか、熊井はついてきていないようだ。
徳永は俯いて、俺のほうを見ようとしない。
菅井先生の指導のせいで気持ちがネガティブになっているのだろうか。
まあ、今から俺はそれをさらにネガティブにさせてしまうかもしれないのだけど。
精神年齢は格段に俺が上なのだから、大人の対応をしなければいけないが、自信がない・・・。
『あの・・・』
二人同時に声を出してしまった。 一瞬目が合ったが、徳永はまた俯いてしまう。
「あ、いいよ、言って」
「いや、俺はあとでいいよ、徳永から」
俺の言葉を聞いて徳永は、恐る恐る顔をあげた。
「・・・あ、あのね、私ね」
徳永は一言一言発するごとに俺の顔を見ては目を逸らしている。 俺の表情を伺っているのだろうか。
「私達、ドッヂボールの授業のあとに少し噂になったでしょ・・・?」
「・・・うん」
「あの時ね、すっごく嬉しかったんだぁ」
笑顔で言っているが、無理しているように見える。 いつもの徳永の笑顔じゃない。
もしかしたらもう、俺がこれから言うことに感づいているのかもしれない。
「私、この噂が本当になったらいいなって思った・・・。 だからね」
「ごめん、徳永」
「・・・」
「徳永の気持ち、嬉しいけど、やっぱり答えられない」
「あ、うん・・・」 徳永はまた俯いてしまった。
「他に、好きな人がいる」
未だに俺は、自分が『好きだった人』を思い出せないでいる。
でも確かに心の中にあるのだ。 誰かを好きだと言う気持ちが。
この時代に来ても、知識や感じ方は大人の時のままなのに
好きだという気持ちだけが湧き上がっていて、しかもその相手が誰なのかが思い出せない。
こんな、自分自身でもよくわかっていないまま徳永の気持ちを断るのは悪い気もするが
中途半端な気持ちで受けてしまうのは、もっと悪いことだ。
ぐすっ、と鼻をすする音が聞こえる。
徳永は俯いたまま泣き出してしまった。
乾いたコンクリートの地面に、ぽたりぽたりと水滴が落ちる。
「あの、徳永のことは好きだよ、嫌いとかじゃないんだ、けどさ、あの、なんていうか」
大人の対応など、できはしなかった。 なんて声をかけていいのかわからない。
こういう時の女の子の慰め方なんて、何度経験してもやっぱりいつも焦ってしまうものだ。
「あのさ、ごめんな、でも・・・」
「はい、そこまで!」
徳永をどう慰めようかおろおろしている俺の後ろから、声がした。
知っている声だ。 恐ろしく冷たい声。
「くっ、熊井・・・」
いったいいつからいたのだろうか。
熊井は焼却機に寄りかかってこちらを見ている。 ものすごく、鋭い目で。
『千奈美を泣かせたら許さないからね』
今日の昼間に言われた言葉を思い出し、鳥肌が立ってきた。
熊井は俺のほうに歩み寄ってくる。 俺は、一歩も動けない。
気づけば目の前30センチほどの所に熊井の顔があった。
これから俺は熊井にどんな罵声を浴びせられるのだろうか。
背後の徳永のすすり泣く声がさらに俺の恐怖心を膨らませた。
「会長・・・」 熊井はじっと俺を睨みつけている。
「・・・」
俺は覚悟を決めて、ぎゅっと目をつぶった。
「千奈美のこと、ちゃんとふってくれてありがとね」
熊井の口から飛び出したのは罵声ではなく、とても明るくて優しい声だった。
目をあけると、普段ぜったいに見せないようなきらきらした笑顔の熊井がいた。
「え、え?」
この時の俺はおそらく、ずいぶん間抜けな顔をしていたことだろう。
「だって、泣かしたら許さないって・・・」
熊井はひと呼吸すると、俺に言った。
「ああ、アレはね、あんたが千奈美と中途半端な気持ちで付き合って
後で千奈美に悲しい思いをさせたら許さない、って意味よ」
「そ、そっか・・・」
熊井は俺の安堵した様子を見ると、俺の後ろでまだ泣いている千奈美に駆け寄った。
「千奈美、会長レベルの男なんてまだたくさんいるんだから、もう泣きやみなさい」
熊井は徳永を両腕で抱え込み、髪を撫でながら慰めている。
そして、どうしていいのかわからない俺の様子を見て、
「あんたはまだやることあるんでしょ、行きなさいよ」
今度はさきほどの笑顔ではなく、悪戯っぽくニヤついている。
「まだやることって熊井お前、知って・・・」
「ほらほら千奈美は私に任せて、さっさと行く!」
熊井に聞きたいことはあったが、機嫌を損ねないうちに退散することにした。
まだやることがあるのは確かだ。
俺は屋上に向かっている。
徳永と鉢合わせにならないようにまったく違う場所にしておいたのだ。
しかし、校舎裏の焼却場から校舎を一周し、非常階段で屋上に登るというのはかなり体力を使う。
半ば息切れしながら、ようやく屋上の扉の前までたどり着いた。
以前ここに来たのは、嗣永と話をした時だ。
あの時の嗣永との会話を思い出しながら、思い切ってドアをあけた。
石村の姿は見えなかった。
須藤に(正確には嗣永に)呼び出されて屋上に行った時もそうだった。
青空と屋上のフェンスだけが視界に広がり、そこには誰もいない。
あの時嗣永はドアの後ろに隠れていたけど、そこにも石村はいなかった。
一応、5時に来てもらうように須藤を通して伝えていたのだが、少し早く来すぎたのだろうか。
徳永と話したあとすぐに走ってきたので、時間なんて見ていなかった。
腕時計や携帯を見れば時間がわかるというのが、身に染み付いているのかもしれない。
しかし小学生時代は腕時計やアクセサリの類は禁止されているし
携帯電話なんてまだ開発段階の時代である。 うっかりしていた。
しょうがないからまた嗣永の時のようにフェンスの所で待とうと思い、俺は歩き出した。
トン、トントントン。
ふいに頭上から、音がした。
トン、トトン、トントン。
見上げると、屋上のさらに上の段給水塔を背にして石村が足元の壁を靴の踵で叩いている。
トントントン、とリズムを取りながら。
おそらく給水塔へ繋がるパイプを登ったのだろう。
石村は空を見つめながらつぶやいた
「やっぱり、ここのリズムがどうも取りにくいなあ」
よく聞けばそれは、さきほど音楽の授業でやった卒業生の課題曲だった。
俺が来ていることにはとっくに気づいているんだろうが、一向に空ばかり見ている。
「ずっとここにいたのか?」
「うん」
「あのさ、昨日もらった手紙のことなんだけど、あ、てか降りて話さない?」
「やーだよ、お気に入りの場所だもん」
「見上げてばっかりで、首が痛いんだけど・・・」
石村は俺のその言葉をまるで聞こえていないかのように、リズムを取りつずけている。
「・・・まあいいか、それで、その・・・手紙のことなんだけど」
「千奈美ちゃんには、なんて言ったの?」
「え!?」
突然徳永のことを聞かれて、心臓が止まるほど驚いた。
「告白されたんでしょ、昨日」
相変わらず石村は空を見つめている。
「いや、うん、そうだけど・・・なんで知ってんだよ」
「昨日ね、会長がもらってたラブレターのことが気になって、あの後会長の後をついてってたんだ」
「それで、見られちゃったわけか・・・」
喋りながらも、トントントンとリズムを取っている。
「うん」
「徳永には、返事をしてきたよ」
それから5分ほど、二人とも何も喋らないまま時間が過ぎていった。
トントントン、トントトントン、トントン・・・トン。
靴音が止む。
「私にも、千奈美ちゃんと同じこと言うために呼び出したの?」
「・・・うん、まあ」
「返事を欲しいなんて、書いた覚えないんだけどなあ」
それを聞いて、一気に頭に血が上る感じがした。
徳永は確かに告白の返事を待っていたが、石村の手紙にはそんなこと一言も書かれてはいない。
ただ、好きだという気持ちを伝える内容だったはずだ。
恥ずかしかった。 何を図に乗っているんだ俺は。
二人に告白されたからって、調子に乗って思い上がっていただけなんじゃないのか。
「あ、いや、その・・・ごめん」
「別にいいよ謝らなくて。 でも、私の気持ちはホントだからね」
「う、うん・・・」
「返事をくれなくてもいいよ。 気持ちが伝えられたから、それでいい」
「石村・・・」
「『あの時決めた』っていうのもホント」
「あの時って、国語の授業の時か?」
「違うよ。 その時も嬉しかったけど、でも違う」
違っていた。
国語の授業で石村をかばった時、それ以外に彼女の気持ちを押すようなことをしただろうか。
「会長が覚えてなくて当然だと思うけどね。 私も、覗き見する気はなかったけど」
覗き見?
「何のこと言ってるんだよ石村」
「・・・また石村って言う。 私のことも名前で呼んで欲しいな」
ハッとした。
『私けっこう寂しいんだけどなあ、名前で呼ばれないの』
つい数週間前。 同じこの屋上で。 嗣永に言われた言葉を思い出した。
「石村、お前、もしかしてあの時」
「あー、桃ちゃんは名前で呼んだのに、私には言ってくれないんだ」
「ごめん、・・・舞波」
「それでよし」
「あの時、舞波もここにいたのか?」
「だから言ったじゃん、お気に入りの場所だって。 勝手に入ってきたのはあなた達。
それに、あんな話してる時にのこのこ出ていけないでしょ・・・」
「まあ、そりゃそうだけど・・・」
「でも桃ちゃんが言ってるのを見て、決心したんだよ。 気持ち伝えようって」
石村がそこでようやく、俺のことを見た。
「ねえ、私がここから降りたら、キスしてくれる?」
「え・・・」
仔犬のようなつぶらな瞳で、俺を見つめる。
「・・・」
「キスって、え、え?」
動揺している俺を見て、石村はまた空に向き直った。
精神年齢で言えば圧倒的に上回っているはずのに、なんだか遊ばれているような気がする。
「できないよね。 会長、好きな人いるもんね」
好きな人・・・。
石村は知っているのだろうか。 俺が好きだと思っている人のことを。
だとしても聞けるわけがない。 『俺の好きな人って誰だ?』なんて。
でも何か、手がかりくらいは掴めるかもしれない。
トン、トントントン・・・
石村は再び、靴でリズムを取り始めた。
「私、課題曲の練習しなきゃいけないんだから、用がないならもう行ってよ」
「あのさ、やっぱり降りて話さないか?」
少しでも手がかりになることを聞きたかった。
「お気に入りの場所だって言ってるでしょ、降りないよ」
「でもさ・・・」
「行ってって、言ってるじゃない・・・私そんなに我慢できるほど強くないもん・・・」
石村のその声は、少し震えていた。
俺はその場を後にした。
屋上からの階段を下りる途中も、トントントンとリズムを取る音は響いていた。
それから数日が経った。
やっぱり女の子を振るというのは、気持ちいいもんじゃあない。
しかし徳永と石村は2、3日したら普通に話しかけてくれるようになったし
今まであまり話したことのなかった熊井ともよく話すようになった。
まあ、結果的に悪い方向にはいかなかったわけだし、良しとしていいのかな。
そんなことを考えながら、ぼけーっと昼休みを過ごしていた。
「会長会長」
どこからともなく俺を呼ぶ声がする。
「会長ってば」
声は聞こえるけれど、姿は見えない。
「もう、聞こえてるんでしょ! 無視しないでよ!」
「聞こえてますけど、どこからするんでしょうかこの声は」
「こら!」
スパーン、と頭に軽い衝撃。
横を見ると、やっぱり誰もいな・・・いや、清水がいた。
「誰かと思ったらハムスター先生、小さすぎて見えませんでした」
「いい加減にしなさいよぉ。 そんなに小さくありません!」
俺の頭をひっぱたいた右手がまだ痛いらしく、ずっとさすっている。
「じゃあアライグマくらいか、ラスカル清水とかいいかも」
「あんたねえ、最近ちょっとひどくない?」
最近俺は清水に前にも増して妙なあだ名ばかりつけている。
会うたび会うたび新しいあだ名を考えて呼んでいた。
「はぁ・・・」
清水は腰に手をあてて、座っている俺を見下ろしている。
実際は見下ろしているように見えて、目線はほぼ同じ高さだったりするわけだが。
「人が真剣に話した内容を勝手に他人に教えるような人にはこんな仕置きじゃ足りないくらいだ」
「・・・え? ななななんのことですかあ?」
あからさまにとぼけている。
「お前、徳永と石村のこと熊井に話しただろ」
「えー、話してないよおー」
徳永と話しをした時、熊井に『あんたはまだやることあるんでしょ』と言われた。
俺が徳永と石村に告白されたことを知っているのは清水だけだ。
石村を呼び出してもらった須藤にはこの事は伝えていない。
「清水以外に誰がいるんだよ」
「う・・・」
「・・・」
「・・・」
黙秘ですか。
「正直に言わないとチューするぞ」
「えっ!」
「冗談だよ、なに紅くなってんだ」
「ば、ばっか、本気になんかしてないわよ! きもちわる!」
清水は急にあわてだし、何故か俺の机をバンバン叩き出した。
そして周りの視線に気づいて、更に顔を赤くした。
「まあいいけどさ、なんで熊井に言ったんだよ」
「え、だって友理奈あのとき怒ってたから、先に言っといたほうがいいかなって・・・」
「ほらやっぱり言ったんじゃんか」
「あ、ひどい! 騙した!」
「ウソつくほうがひどい」
「・・・ハイ」
清水はしゅんとなって俯いてしまった。 小さい体がさらに小さく見える。
「それで、なんの用だったの?」
「えっとその、たいしたことじゃないんだけど」
「何?」
「あ、あれ? まだ怒ってる?」
普通に答えていたつもりだが、怒っているように聞こえただろうか。
「それはいいよもう。 それで、何だったの?」
「あのね、あっ、最近ほら、一緒に帰ってないじゃない?
だからその、たまには一緒に帰らないかなと思って・・・」
「清水はいつも石村達と一緒に帰ってるだろ」
「そうだけどぉ、桃子はいっつも橘くんと二人で帰ってるし・・・
舞波は学校から一番家が近いから、途中からいっつも私一人になるし・・・」
「須藤は?」
「茉麻は部活を見に言ってるから・・・」
茉麻が部活に熱心だったのは俺も知っている。
6年生はこの時期とっくに部活を引退しているのだが、茉麻のことだからまた恋しくなったのだろう。
俺や剣崎もたまに部活に顔を出してコーチ代わりをしている。
それに加えて卒業式が近いため、最近は生徒会の仕事で夕方遅くまで残っていることがある。
生徒会の女子は早く帰されるため、副部長の清水は俺より先に帰ってしまう。
「今日は生徒会の仕事もないし、たまには一緒にどうかなって・・・」
「まあ、気持ちはわからんでもない」
「でしょ! だから今日一緒に帰ろうよ」
「でも今日は剣崎とゲーセン行く約束してるからダメ」
「ええー! いいじゃんゲーセンなんていつでもできるでしょー!」
「いつでもできないから今日行くんだよ」
「日曜日とかに行けばいいじゃない・・・」
「休みの日は家でゴロゴロするに決まってるだろ」
「どうしてもダメ?」
「ダメ」
「・・・ホントに?」
なかなか食い下がらない。 なんでこんなに必死なんだ。
「ホントに」
「じゃあ、わかった・・・」
ようやく諦めてくれたようだ。
今日は生徒会の仕事がないからひさしぶりにゲーセンで遊べる。
このチャンスを逃すわけにはいかないのだ。
その日の夕方、俺と剣崎は無理やりに橘も誘ってひさしぶりにゲーセンへ行った。
最初は桃子と帰りたいとダダをこねていた橘もやっぱりただの小学生で
しばらくすればいつのまにやらソニックブームで俺のダルシムを苦しめている。
そのまま熱中していたらすっかり日が落ちていた。
アイスを買って、暗くなった道を3人並んで帰る。
「やっぱりひさしぶりにやるとスカッとするな〜」
「ほとんどお前のガイルばっか勝ってて俺はちょっと不満だけどな」
「俺は全然楽しくなかったよ・・・」
一番負けて俺と橘の分のアイスをおごらされた剣崎がしょんぼりしながらアイスをなめている。
「気にするなって、一汗かいたあとのアイスはうまいだろ?」
「うまいディス・・・」
相変わらず単純だ。
「あれえ、買い食いは禁止だよー」
ふいに隣から声がしたのでぎょっとして振り向くと、須藤が俺達の隣を歩いていた。
「す、須藤! いつのまに・・・」
「うん。 部活の後にみんなと話してたらすっかり遅くなっちゃっててー
一人で帰ってたら会長達が歩いているの見えて、いつのまにか追いついちゃった」
さすが須藤。 体も大きけりゃ歩幅も大きいというわけか。
「ていうか会長、佐紀ちゃんと帰るんじゃなかったの?」
「いや、一緒に帰ろうって言われたけど、俺ゲーセン行く予定あったから」
「そうなんだあ。 今日は一緒に帰るんだって佐紀ちゃん言ってたのに」
「もう6年なんだから、一人で帰れるだろ」
「そうじゃなくってえ、今日は一緒に帰ってあげたほうがよかったと思うなあ」
須藤は大きい目で、少し寂しそうな顔をしながら俺に言った。
「え、なんで?」
「えっとね、最近佐紀ちゃん様子がおかしいんだよ」
それを聞いて橘が何かを思い出したような顔をした。
「あー、そういえば桃子もそんなこと言ってたな」
「うんうん、俺もなんか変だと思った。 最近ちょっとそわそわしてるよ」 剣崎もそれに続く。
様子がおかしい? そうだったか? いつも通りのように見えたけど。
「この前佐紀ちゃんと一緒に帰った時、変だったんだよ」
「変って?」
「佐紀ちゃん家の近くまで来たときね、知らないおじさんが家の前にいるのが見えたの」
「知らないおじさん?」
「私の見たことない人だった。 それで私佐紀ちゃんに『あの人誰だろうね』って言ったの」
「うん」
「そしたらね、佐紀ちゃん『バイバイ、またね』って言って、走って帰っちゃった」
「それで?」
「私もバイバイって言って帰ったよ」
「それだけ? それのどこが変なんだよ」
「だから、知らないおじさんがいて」
「家庭教師の人とかじゃないの?」
「佐紀ちゃん頭いいから、家庭教師いらないと思うけど・・・」
「家庭教師がいるから頭がいいのかもしれないだろ」
「それはそうかもしれないけどお、でも・・・」
須藤は何かすごく、悲しそうな顔をした。
「『バイバイ』って言った時の佐紀ちゃん、なんか寂しそうだった」
「・・・・・・」
今日も昨日も一昨日も、元気いっぱいのいつもの清水だった。
俺の前で、寂しそうな顔なんて見せたことはなかったはずだ。
「そいつはきっと誘拐犯ディスよ!」
空気の読めない剣崎が、舌足らずな喋り方で変なことを言い出した。
「ええー、誘拐ー? こわいよぉ」 須藤が真に受けている。
「誘拐犯が堂々と家の前に待ってるわけないだろ剣崎」
橘に冷静につっこまれて、またしょんぼりしている。
それから、その『知らないおじさん』のことについて
いろいろと論争、というか妄想を繰り広げながら俺達は帰り道を進んだ。
清水のことは確かに気になる。
今日、必死に一緒に帰ろうと誘ってくれていたのは、
そのことで俺に何か言いたいことでもあったのではないだろうか。
それについては明日聞いてみることにしよう。
しかしもうひとつ気になることがある。
その『知らないおじさん』が、俺の記憶にまったく登場していないことだ。
そんなインパクトのある出来事なら覚えていないはずがない。
俺がこの時代に遡ってきてから、記憶にないような事をいくつかやってきたが
そんな人物が現れるようなことをしたとは思えない。
考えられるのは、俺が自分が好きだった人のことを思い出せないのと同じように
この『知らないおじさん』の出来事が記憶からすっぽり抜け落ちている・・・。
一体、この時何があったんだ・・・。
翌日、俺は清水ばかり見ていた。
特に変わった様子はないように思える。
普通に友達と喋っているし、昨日須藤が言っていた寂しそうな表情は微塵も見せない。
様子が変だと感じていないのは俺だけなのだろうか。
「今度のお相手は佐紀ちゃん?」
熊井が話しかけてきた。
最近よく話すようになってわかってきたことだが、熊井は思っていたより怖くなかった。
「いや、そういうわけじゃないけど」
「ふうん、じゃあ会長も佐紀ちゃんの様子が変なの気になってるんだ」
「熊井もそう思ってる?」
「まあねえ、だって『元気すぎる』もん」
元気すぎる?
「清水はもとから元気じゃないか」
「そんなことわかってるわよ。 でも、最近無理やりそう振舞っているように見えるの」
もやもやが消えないまま、俺はその日の放課後に清水に声をかけた。
「俺、今日は用事ないんだけど」
「えっ」
「だから、今日は一緒に帰ってあげようと思って」
「ほんとに!?」
「ああ」
橘と嗣永は二人で先に帰っている。 須藤は今日も部活だ。
今日は俺と清水、石村、剣崎の4人で下校することになった。
石村と剣崎がそれぞれ途中で帰っていき、俺と清水の二人きりになる。
「昨日、何か俺に言いたいことでもあったの?」
単刀直入に思い切って聞いてみた。
「・・・うん、あったよ」
「何?」
「私ね、引っ越さなきゃいけなくなっちゃった」
「は? 引越し?」
そんなはずない。 俺の記憶にはそんなこと・・・
「じゃ、じゃあ須藤が見たって言ってる『知らないおじさん』って誰だよ」
「あの人は、私の新しいパパ」
新しい、パパだって・・・?
「いや、お前の父ちゃんまだ生きてるだろ!」
「パパは出てっちゃった、1ヶ月前に」
「じゃあそのおじさんと一緒に暮らすのか?」
「・・・うん」
「嘘だろ、そんなこと、俺の・・・」
俺の記憶には残っていない・・・。
いや、記憶に残っていないんじゃない、思い出せないんだ。
この時代で再び生活するようになってから、通常以上に記憶力が高まっている。
たいていの事は会話の内容から人の仕草まで鮮明に思い出せたはずだ。
それが何故かある部分だけすっぽり抜け降りている。
清水の話に寄れば、清水の父親は借金を作って逃げてしまったらしい。
もちろん清水の父親の連帯保証人は別にいたが、借金取りは清水の家にも押しかけてきた。
そこへ、母親の友人だったその『おじさん』が現れて、追い払ってくれたというわけだ。
その人は法律関係の仕事をしているらしく、なんだか難しい言葉を連発して
借金取りは手も足も出なかったとか。
その後はまあ、清水にはまだよくわからない事情でそのおじさんと暮らすことになったらしい。
まだ前の父親と正式に離婚したわけではないので、再婚というわけではないようだが。
「この事、一番最初に話しておきたかったの」
「俺に?」
話している間に清水の家の前に着いてしまった。
「それじゃ、バイバイ」
そう言った清水は、本当に寂しそうな表情をしていた。
それから約1週間程して、菅井先生から正式に清水の転校の発表があった。
卒業と同時に九州へ引っ越すということだった。
その時には俺以外にもほとんどの生徒が、この事を清水本人から聞かされていた。
この発表の後も、清水は以前と変わらず明るく振舞っていた。
いやむしろ今までよりも一層明るく、時々煩わしくさえ感じるほどに元気だった。
卒業式までもあと2週間ほどになった頃、夏焼から提案があった。
清水の思い出作りに、卒業旅行も兼ねてみんなで遊びに行こうというものだった。
俺の記憶の中には、卒業旅行に行ったことはちゃんと残っている。
旅行と言っても、隣町の遊園地に遊びに行ったくらいだ。
しかしこれが清水のために行ったものだったということは記憶に無かった。
何故、俺の記憶の一部分はかけ落ちているのだろうか・・・。
旅行までの間その事ばかり考えていたが、結局結論は出なかった。
卒業旅行当日。
当初は俺と清水と言いだしっぺの夏焼、それに橘、嗣永、剣崎の6人で行く予定だったが
日に日に参加者が増えてきて、最終的には女子は清水、嗣永、石村、須藤、夏焼、菅谷。
男子は俺、橘、剣崎の他に3人呼んで、合計12人の大所帯になってしまった。
別に女子に人数を合わせる必要は無かったのだが、そう提案したのは橘の嗣永のバカップルだ。
男女12人で電車に乗り、目的地の「センチュリーランド」まで向かった。
センチュリーランドはこの3月いっぱいで閉館予定の遊園地だ。
今は入園料半額サービス中のため、夏焼がここを選んだ。
園内ではウシやカエルの着ぐるみを来たアルバイトが風船を配っている。
菅谷は配られている風船をじっと見ていた。
「みやー、梨沙子風船ほしい」
「風船かあ、私も欲しいなあ。 そうだ、男子取ってきてよ!」
夏焼が男子全員に命じた。 夏焼の命令ならば、と男子は一目散に駆け出していった。
「ほら、会長も恥ずかしがってないで行きなさいよー」
「ああ・・・」
小学生の姿なのだから別に恥ずかしがることはないが、
なんとなく、そういうことには少し抵抗してしまう。
「はやく、行ってこーい!」
と、嗣永が俺の背中を突き飛ばした。
男子全員が風船を手にしたところで、夏焼が大声を上げた。
「今から風船を渡した女子と、今日は一緒に行動すること!」
それを聞いて俺と橘以外の男子の目がカッと見開き、4人が我先にとダッシュしていった。
当然のごとく、人気の夏焼と菅谷を目掛けている。
その様はさながら小宇宙(コスモ)か竜闘気(ドラゴニックオーラ)でも纏っているかのようだった。
「夏焼、俺と!」
「これを!」
男子4人が夏焼と菅谷に殺到する。
「俺ド風船オ゙受ゲ取ッデグダザイ!」
剣崎に至っては何を言っているのかよく聞き取れなかった。
「みやー、怖いよー・・・」
「ほら男子、梨沙子が怖がってるでしょ! もっと紳士的に!」
そんな中橘は余裕綽々と嗣永のもとに歩いていき、風船を渡している。
「ちょっとー! さくちゃん、もっと必死に走ってきてよー」
「ごめんごめん」
なんとなくだが、この二人の将来が見えた気がした。 橘は尻に敷かれるんだろうな・・・。
俺は、その輪の端っこで、その様子をニコニコしながら眺めている清水に風船を渡した。
「やるよ、しみスター」
清水は目の前に差し出された風船と俺を交互に見つめてから、
「何よー、また変なあだ名付けて!」
「ハムスターみたいにちっちゃいから、しみスター」
「やーだ、そんな変なの」
「変なのとはなんだ。 しみスターとミニスターって似てるだろ?
ミニスターってのは大臣って意味だぞ。 すごくない?」
「似てるけどミニスターとハムスターは関係ないじゃない・・・」
「じゃあ、しみハムだな」
「あんまり変わらないと思う・・・」
「ていうか、風船いらないの?」
「えっ、・・・いる」
そう言って風船を俺の手からもぎ取った。
男子の、菅谷・夏焼争奪戦もなんとか決着が着いたようだ。
剣崎はめでたく菅谷に風船を受け取ってもらっていた。
須藤は自分から風船を奪いに行っていたようにも見えたが・・・。
それから、急に嗣永が先導しはじめた。 まるでこの時を待っていたかのように。
「じゃあ上手くペアが出来たから、まずジェットコースターに乗ろー!」
早速わけのわからない事を言い出した。
ジェットコースターとか、そんな意味不明の乗り物に何故乗らなければいけないのだ。
あんなものただガーッ上って、ガーッて落ちるだけじゃないか。
それに3月だぞ、3月。 体感温度が凄まじく冷たいぞ。 やめておこう。
と、もちろんそんなことは恥ずかしくて口には出せない。
「あれぇ、会長、なんか顔がこわばってるよー」
須藤が気にしなくてもいいことに気づいてしまった。
「寒いだけだよ」
厚手のジャンパーを着きておきながら言うセリフでもないな、と言ってから気づいた。
「怖いんでしょー」
嗣永が突っ込んでくる。
「怖いわけないだろ!」
子供相手に(今は自分も子供だが)つい強がってしまう。
「へえ〜、じゃあ会長は一番後ろの席ね!」
そして、墓穴を掘った。
ジェットコースターは俺の嫌いな乗り物ナンバーワンだ。
飛行機でも船でも、たいていの乗り物はなんでも平気だが、これだけはダメだ。
いつからか、これがトラウマになってしまっていた。
遊園地等に行くといつも絶叫マシーン系だけは避けている。
おかげで『今の俺』は、それで散々いじられることになったのだが。
しかし、これから作る歴史は、そんな俺を存在させてはいけない。
これは試練だ。 これを乗り越えて、新たな自分を作り上げる。
ジェットコースターがなんだ!
そういうふうに自分に言い聞かせてみたが、
いざ目の前に固定用のベルトが降りてくるとじわじわと恐怖がこみ上げてきた。
勝手に歯がカチカチと鳴り出し、全身に鳥肌が立ってきた。
「怖い?」
隣に座る清水が俺に訊ねる。
震えすぎて、清水の顔を見ることもできない。
「私も、怖い」
それを聞いて渾身の力を込めて清水のほうを向くと、清水も同じように、肩を震わせていた。
「清水・・・」
「泣かないように、しようね」
そう言って清水は無理やりに笑顔を作って見せた。
「轟天號、発射しまーす!」
係員の無情な声が響いた。
ガタン、ガタンと徐々に登っていく。 この音だけでも吐き気がしてくる。
「泣かない、泣かない・・・」
隣で清水が何度も呟いている。
「し、清水、怖いときは、な、な、泣いたっていいんだぞ」
「やだ、やだよ・・・」
ガタン、ガタン・・・
「泣いても、じ、女子なら、別に何も言わ、言われないだろ」
絶叫マシーンで泣く女の子は、結構可愛がられるもんだ。
ここで男が泣くと、後々までバカにされることになるのだ。
ガタン、ガタン・・・
「やだ・・・わ、私、卒業式まで、泣きたく、ない・・・」
「清水・・・」
ガ、タン・・・
「怖いんですけど、怖いんですけど、怖いんですけどおおおおおおお!!」
前の方で菅谷の絶叫が聞こえると同時に、俺達は重力に引きずられた。
ゴオオオオオオォォォォォォォォーッ
その急降下で一瞬意識が飛びそうになり、ふいに思い出した。
抜け落ちていた記憶が蘇ってきたというのが正しいだろうか。
ジェットコースターがトラウマになっている理由。
それはまさに今日、この日の事だ。
あの時も、俺は一番後ろの席に座らせられた。
ジェットコースターの最後尾がどんなに恐ろしいものかも知らずに。
この急降下の後の「ひねり」で、あの時の俺は恐怖のあまり意識を失い、
スタート地点に戻った時には、失禁していた・・・。
それが絶叫マシーン嫌いの『今の俺』を作り出してしまったのだ。
2度目の急降下を超え、次が最大の二段ひねり。
あの時の恐怖と、今体感している恐怖が同時に襲ってくる。
コースターの首が持ち上がり、一番前の席の嗣永と橘が楽しそうに両手をあげているのが見えた。
次の瞬間には天地が逆さまになり、目の前が霞んできた。
(ダメだ、気を失いそうだ。 清水は・・・)
横目でちらっと見ると、清水は目をつぶって、ひしっと固定ベルトにしがみついていた。
俺はとっさに清水の手を掴んだ。
「泣くな! 清水!」
清水は俺のほうを見て少しだけ微笑み、そして手を握り返してきた。
震えてばかりいた俺の冷たい手は、清水の暖かい手から体温を奪った。
ゴオオオォォォンッ ゴオオオォォォンッ
豪快な二段ひねりを終えて、ジェットコースターはなだらかなコースに戻った。
次第に直線コースに入り、スタート地点へ戻っていく。
失禁は、していない・・・。
ガタンッ
「わぁー、楽しかったー!」
「もっかい乗ろうぜ!」
嗣永や石村達がきゃあきゃあと騒いでいる。
夏焼と剣崎は、今にも泣き出しそうな菅谷をなだめていた。
須藤は何故か汗がびっしょりで、その隣の男子は片手が真っ赤になっていた。
おそらく須藤に思いっきり手を握り締められていたのだろう。
それを見て、ふと自分の手元にも目をやった。
清水の小さい手を握って、俺の手も汗だくになっていた。
「会長の手、冷たかった」
「ごめんな急に握ったりして。 でも今は暖かくなってる」
「そうだね・・・」
「くっくっく、清水変な顔してたな」
「はははっ、それ言うなら会長だって」
恐怖からの開放感で、俺達二人は自然に笑い出していた。
「会長ー、しみちゃん、いつまでも座ってないで! 次のとこ行くよー」
嗣永がせかす。
「ああ、今行くよ」
とは言ったものの、実は二人とも腰が抜けていた。
「ねえ、お化け屋敷行かない?」
今度は夏焼の提案だ。
ジェットコースターに比べたらお化け屋敷の怖さなんて屁みたいなものだ。
俺はまだジェットコースターを完全に克服したわけではないが
『トラウマ』というほどではなくなっている。
気絶して失禁せずに済んだのはやはりあの時、清水の手を掴んだからだろうか。
清水の手を掴んだのはもちろん清水を落ち着かせるためでもあったが
自分自身のためでもあった。 一石二鳥、というところか。
それにしても何故あの時、俺はジェットコースターに乗ることを『思い出せなかった』のだろう。
清水の新しい父親のことを思い出せなかった時の様に、実際に起こるまでそれを思い出せなかった。
そしてこの遊園地での出来事も、ほとんど思い出せないでいる。
そういう時俺は、過去に戻っていることを忘れて本当にこの時代に生きているように感じる。
同時に、誰かが意図的に一部の記憶を隠し、自分で探し出せと命じられているようにも。
「アレの次はお化け屋敷なのぉ・・・」
清水ががっくり肩を落としている。
「お化け屋敷もダメなのか? それじゃあ遊園地で楽しむところないだろ」
「さっきまでジェットコースターでビビりまくってた会長に言われなくない・・・」
「俺はあれは苦手だけど、他は全然楽しめるよ」
「でもぉ、別にお化け屋敷じゃなくなって他にいくとこあるじゃなーい・・・」
「どこ?」
「メリーゴーランドとか、あと、メリーゴーランドとか・・・」
「俺はそんな馬しかいないような遊園地は嫌だぞ」
「うう・・・」
清水はさっきよりももっと肩を落としてうなだれてしまった。
「まあ、あと清水が大丈夫そうなのはミラーハウスとか」
「あ! それだよそれ! それにしよう!」
さっきまでうなだれていたのが急にぴょこんとはね起きた。
「急に元気になったな」
清水は早速夏焼に提案しにいった。
「ねえ雅ちゃん! お化け屋敷じゃなくてミラーハウスにしようよー!」
「ミラーハウス? お化け屋敷と似たようなもんじゃない。 さ、行くよー」
あっけなく撃沈。
今度は膝を落とし、地に両手をついている。
「俺がジェットコースター乗れたんだから、清水もお化け屋敷入れるって。 ほら行くぞ」
俺は清水の首根っこを掴んで強引に引き摺っていった。
江戸時代なんだか平安時代なんだかよくわからない作りの門の上に
『保田家の呪い』
と、崩した行書体で書かれたどでかい看板が付いている。
清水はそれを見ただけで青ざめていた。
「ちゃんとペアで一組ずつ入っていくんだからねー」
嗣永がまた仕切っている。
「じゃあ行こう、さくちゃん」
そう言うと嬉しそうに嗣永・橘ペアが入っていった。
その次に菅谷と剣崎で、夏焼達、石村達と続く。
いよいよ俺達の番になったが、清水の足が入り口前でなかなか進まない。
「ねえ会長、なんか私お腹が」
言い終わらないうちに、俺は清水の背中を突き飛ばした。
「きゃあああああっ!!」
中に入ると、清水が床に転がっていた。 少し力を入れすぎたようだ。
「ごめんごめん、ほら、立てるか?」
「ひどい・・・」
「まだ泣くなよ。 卒業式まで泣かないんだろ」
「今のでちょっと泣きそうだったんですけど・・・」
俺の手に捕まって立ち上がりながら清水が愚痴る。
「だからごめんて。 出るまで俺の手握ってていいから」
「え?」
「さっきは俺が怖くて清水の手、握っちゃったから。 これでおあいこな」
「うん、わかった。 ありがと」
手をつないで中を進んでいき、だんだんと入り口の明かりが薄れてくる。
通路の両脇に並ぶ妙な顔をした地蔵と、軋む床の音が恐怖感を膨らませている。
清水は俺の手を握り、且つ俺の背中に隠れながら進むという
俺の左腕に負担がかかりまくりの歩き方でついてきている。
たまに脇から落ち武者の生首が飛び出したり、井戸から手が出てきたりして
その度に清水は「きゃっ」とか「ひゃあ」とか言いながら縮こまっていた。
しばらくすると、目の前にふすまが現れた。
今までは通路に沿って歩いていただけだが、今度は入場者自ら扉を開けなければいけないらしい。
どうせふすまを開けると、生首でもぶら下がっているんだろうと思いながら
俺は思いっきり力を入れて、バーンッとふすまを開けた。
が、意外にも何も出てこなかった。
しかし、その向こうに人型の何かが蝋燭の明かりに照らされてぼんやりと見える。
この和風のお化け屋敷に似つかわしくない、ジーンズを履いた足。
「あ、会長! それに、後ろにいるのは佐紀ちゃん、だよね?」
そこにいたのは石村だった。
「なんだ石村か、一人で何やってんの?」
「え・・・舞波?」
今まで俺の後ろに隠れていた清水がようやく顔をあげた。
「えっと、さっき相川くんが怖がって先に一人で逃げて行っちゃったから・・・」
相川というのは石村とペアになっている男子だ。
「それで一人でトボトボ歩いてたのか」
「うん」
「よかったぁ。 舞波、私達と3人で一緒に行こ」
清水が心底ほっとしたような声で言った。
「ま、どうせもうそろそろ出口だろうし。 一緒に行くか」
俺は空いている右手を石村に差し出した。
石村は俺を見てちょっとだけ恥ずかしそうな顔をしてから、俺の手を握った。
それから3人で出口に向かって少し歩いたところで、
石村のいるほうの壁からふわっと風が吹いたのを感じた。
ふとそちらを見ると、いつのまにか石村の背後に白い布が垂れ下がっている。
「舞波、後ろ・・・」
清水もそれに気づいたようだ。
「え?」
怖がりすぎてぼそぼそ喋っている清水の声は石村に届かなかったらしい。
背後の白い布がゆっくりと揺らめき始める。
布が風でめくれて、時折何か黒い物が見え隠れしている。
「後ろだよ・・・石村」
俺も何故だか声が小さくなってしまった。 怖がっているのだろうか・・・。
白い布は、だんだんと角度を変えている。
布の向こう側にある黒い何かがわかった。 髪の毛だ。
「え、なに? しろ?」
やはり聞こえていない。
「二人とも何言ってるの?」
石村がそう言った瞬間、布がぐいっと勢いよく角度を変えた。
そこには髪の毛を振り乱した女性が、天井から逆さにつるされていた。
その女性の顔は怒りに満ち満ちたような物凄い形相をしており、今にも飛び掛ってきそうだった。
子供向けにしては作りがリアルすぎて、俺もさすがに一瞬ひるんでしまった。
「石村、後ろー!」
俺は大声を張り上げた。
「いやああああああああっ」
石村が振り返るのとほぼ同時に、清水が叫び声をあげて走り出した。
あの小さい体からは想像も出来ないほどの力で引っ張られ、つい石村の手を離してしまった。
俺はそのまま引っ張られて、出口を出てしまった。
出口では嗣永や橘達が待っていた。
「最後のやつ怖かったでしょー? 私これ知ってたから大丈夫だったけどねー」
嗣永が得意げに話しかけてきた。
「梨沙子、あれ作り物だから・・・」
一方夏焼と剣崎はまた泣きじゃくる菅谷を慰めている。
石村のパートナーだった相川は、よほど怖かったのだろうか
柱にもたれかかって真っ青な顔をしていた。
「よかった、私、泣いてない・・・」
はぁはぁと息を切らしながら、隣で清水が言った。
「よく泣かなかったな」
「逃げるのに一生懸命で、泣くの忘れてた、へへ」
「そりゃよかった・・・俺は腕が折れるかと思ったけど・・・」
「最初に突き飛ばしたから、おあいこ」
そう言って笑っている清水は、まだ俺の手を握りしめたままだ。
握ったまま、小さくかたかたと震えていた。
「そういえば会長、途中で舞波と会わなかったの? 相川くんが置いて逃げてきたらしいけど」
嗣永が俺に訊ねる。
言われた相川は、真っ青な顔のまま俯いてしまった。
「いや、会ったんだけど・・・」
俺はさきほど起こったことを嗣永達に話した。
「えぇ〜、会長も置いてきちゃったのー? ダメじゃない!」
「でも、清水がひっぱるから・・・」
「デモもストライキもないでしょ!」
「すんません・・・」
その後、石村は夏焼とそのパートナーの男子を支えながら出てきた。
夏焼もパートナーの男子も、相川と同じく顔を真っ青にしていたが
石村だけはけろっとしていた。
「石村、無事だったのか」
「うーん、あんまり怖くなかったよ」
「そっか・・・」
普段はおとなしくしている石村だが、こういうことには強いらしい。
「佐紀ちゃんはまだしも、会長まで走って逃げちゃうんだもん。 情けないなあ」
「だからそれは清水が・・・」
「はいはい、言い訳無用! 次行ってみよ〜」
嗣永が元気に歩き出した。
俺があの人形にひるんでしまったのは確かだ。
情けないのは俺の責任だが、こんな時に記憶が戻らないのもしゃくだった。
「次は、もうちょっと楽しいのがいいね」
清水が笑顔で話しかけてきた。
「だな」
その笑顔に少しだけ救われた気がした。
いくつかアトラクションを回り、昼食を取ったあと、しばらく休憩することにした。
俺と清水は夏焼達と同じテーブルに座った。
みんな次に乗りたいアトラクションの提案を出している。
俺はコーヒーを飲みながら、この時代に来てからのことを振り返っていた。
何故俺がタイムスリップしてしまったのかはわからないが
いつも仕事に忙殺されていた『今の俺』を忘れられることは何より嬉しい。
神様だか魔法使いだか、とにかく
俺に楽しい休暇を与えてくれて感謝している。
「なあ会長、観覧車乗りたくない?」
話しかけてきたのは夏焼のパートナーの上城という男子だ。
「ダメだよ上城君。 観覧車は最後に乗るの!」
「だよな、ごめん夏焼」
夏焼の言うことに素直に従う上城。
こいつはクラスの中で夏焼を狙っているうちの一人である。
「観覧車かあ・・・」
そう呟いて俺はふと観覧車のあるほうに目をやった。
遊園地の一番奥のほうに大きな観覧車がそびえている。
観覧車を見つめていたら、観覧車から見たと思われる遊園地の風景の映像が
ふいに俺の頭に中に、ノイズのように飛び込んできた。
『もう会えないかもしれないね』
『嫌いになりたい・・・』
『忘れないでね』
同時に、断片的だが声も流れて込んでくる。
何だ今のは。 聞こえたのは・・・清水の声?
このまま観覧車に乗るのなら、俺は自然に清水と乗ることになるだろう。
その時、清水がこの言葉を言うのか?
というより俺は小学生時代の『この時』、清水に実際言われたのか?
俺はなんて答えたんだ? この後どうなったんだ・・・?
「どうしたの?」
清水の声で我に返った。
「清水・・・」
「次、メリーゴーランド乗るんだって。 早く行こ?」
屈託のない笑顔で俺に話しかけてくる。
「生徒会コンビー、置いてくよ〜」
少し先から夏焼の声がした。
「うん。 じゃあ、行こうか」
俺と清水は自然と手をつないでいた。
それから俺達はメリーゴーランドやコーヒーカップなど
いくつかのアトラクションをまわった。
今はスケートリンクで、上手く滑れない清水を指導している。
「手離さないでね、離さないでね、離さないでね」
「離さないと滑れないだろ」
「でも離したら転ぶもん・・・」
清水は俺の手につかまってへっぴり腰でゆっくり歩いている。
「じゃあさ・・・、よっと」
俺は清水の手を振り解き、すいっと背後に回った。
「わああ、離さないでええ」
両手をばたつかせている清水の腰を後ろから支える。
「これでいいか」
「う、うん・・・」
「俺が後ろから支えてるから、清水は普通に足動かして滑ってればいいよ」
「わかった、ありがと」
清水は俺に支えられてバランスを取りながら、交互に足を動かしていた。
「そうそう、その調子」
「ほ、ほんと?」
「今度はスケートの靴を外側に斜めに向けてみて」
「え、なんで? 斜めに向けたらまっすぐ進まないでしょ!?」
「あのなー、テレビでスピードスケートとかやってるの思い出してみろ・・・」
「え? えーっと・・・」
「靴をまっすぐ前に向けてる選手なんているか?」
俺は自分の右足で、清水の両足をカツッ、カツッと蹴って無理やり八の字に開かせた。
「わ、わ、わ」
清水はまた両手をばたつかせている。
「落ち着けって、俺が支えてるから。
はいそのままバランス取って、次は足の上げ方」
「えー? 足あげなくても歩けるよ・・・?」
「それは俺が押してるからだろ」
「でも足上げたら転ぶ・・・」
「転ばないから。 いいか? まず右足を後ろまで滑らせて、だいたい自分の
お尻あたりまで下げたら足をあげる。 それから右足は地面につけないように前に持ってくる。
右足を地面に付けると同時に、今度は左足を同じように後ろに下げる。 この繰り返し」
「うん・・・やるけど、手は離さないでね?」
「大丈夫。 ほらやってみて」
清水は足を八の字にしたまま、俺の言ったとおりに足を動かし始めた。
すいっ、すいっと滑り出している。 飲み込みが早い。
「ほら滑れてきた。 上手いじゃん」
「すごい、私滑れてる。 なんか感動〜」
「じゃあそろそろ手を・・・」
「離さないでね!」
バランスさえ取れれば俺の支えは必要ないと思うのだが、清水はまだ自信がないようだ。
「わかったよ。 じゃあこのままリンクを横断してみるか」
「うん」
俺と清水はその格好のまま、リンクの真ん中へ向かって滑り出した。
清水を支えたままなのでそんなにスピードは出せないが。
「お、なんだかコツつかんできたみたいだな」
「うん、教えられた通りにやったら、ちょっとわかってきたよ」
「よし、じゃあちょっとスピードあげてみるかな」
「え、スピードあげるの? 転ばない?」
「だから支えてるって言っただろ」
俺がスピードを上げようと右足で氷上を蹴ったと同時に、後ろから声がした。
「会長ー! どいてどいてー!」
「え」
振り向いた時には遅かった。 夏焼が俺目掛けて突進してくる。
夏焼の靴は前をまっすぐ向いている。 だからまっすぐ向けてたらブレーキかけられないだろ!
なんてレクチャーしている間もなく・・・
ドスーンッ!
俺はそのまま夏焼に押し倒されてしまった。
「ご、ごめんね会長・・・」
夏焼はちょうど俺の腹の上にまたがるような形で覆いかぶさっている。
「いや俺は大丈夫だけどさ、怪我ない?」
「うん、私は大丈夫。 会長がクッションになってくれたから」
笑いながら夏焼が言った。
「おい会長! 夏焼から離れろー!」
遠くから上城の声がする。 好きでこうしているわけじゃないんだぞ。
「もぉ上城くん! あなたが手を離すからこうなったんでしょー!」
夏焼にそう言われて、上城はしょぼんとしてしまった。
「ははは。 アレ? ていうか清水は?」
俺は周りを見渡して清水を探した。
清水はリンクの真ん中から少し外れたところで氷上をくるくる回っていた。
「わああああ誰か止めてよおおお」
俺がスピードを上げたのと、夏焼から押された反動で、回転が止まらなくなっている。
「すごい佐紀ちゃん! トリプルアクセルってやつ!?」
違うだろ。
「んなこと言ってる場合じゃない。 ちょっと夏焼、すまん」
俺は夏焼を半ば強引に体から引き離すと、立ち上がって清水のいるほうへ向かった。
結構な回転がついている。 このままだと壁にすごい勢いで打ち付けられるかもしれない。
清水には滑り方は教えたが、まだ止まり方を教えていなかった。
途中で転んでもらったほうが壁にぶつかるよりダメージは少ないだろうが
自信がない割に下手にバランスだけは取れているようで、くるくる器用に回りながら壁に向かっている。
俺は全速力で清水に向かって滑り出した。
スケートはある程度基本的なことは出来るが、得意というわけでもない。
だからこんなにスピードを出すことははじめてだった。
自分でもふらつきながら走っていることは気づいているが、体勢を立て直す暇はない。
あと数メートルで清水が壁にぶつかるという時にようやく追いついた。
足をクロスさせて強引に壁側に回り、壁と清水の間に入り込む。
ブレーキなんてかけている暇はなかったので、俺の背中は壁に打ち付けられた。
そこに清水が突っ込んでくる。
「わっ!」
清水はそのまま俺の胸の中におさまり、俺は清水の体をしっかり捕まえた。
「はぁ、はぁ・・・よかった、間に合った」
「・・・・・・」
清水は俺の胸に顔をうずめて、黙っていた。
「もう離さないからな」
「・・・うん・・・離さないで」
言ってから、自分が物凄く恥ずかしいセリフを口にしていることに気づいた。
「あ、あの、なんていうか、離さないってのは、その・・・」
「ヒューヒュー! 会長やるね〜」
ちょうど壁の傍に嗣永達がいた。
「いや、だからそういうことじゃなくてだな・・・」
「いいじゃん、照れるなって!」と、橘も乗っかる。
「これでラストの観覧車も楽しく乗れるね!」
夏焼が追いついてきて言った。
そうだ、観覧車。 次はあれに乗ることになる。
観覧車の中で、あの時何があったのかがわかる。
そして俺が何故これを思い出せないのかも、わかるかもしれない・・・。
みんなは楽しそうに観覧車に向かって歩いている。
俺は一歩一歩観覧車に近づくたびに、頭がちくちくする感じがする。
頭の中で何かが弾けているような感覚だ。
記憶の蕾が一つずつ開いている音だろうか。
一歩足を踏み出すと、記憶の中の『あの時』の俺も一歩を踏み出している。
リアルタイムであの頃の記憶が戻ってきている。
抜け落ちていた部分の俺の記憶が。
「さて、最後のアトラクションだよ〜」
嗣永が張り切っている。
その嗣永の声も、『あの時』の嗣永の声と二重に聞こえる。
だんだん、頭がぐらぐらしてきた。
「どうしたの? 会長、気分悪いの?」
俺の前を歩いていた菅谷が心配してくれている。
「大丈夫、ちょっと疲れただけだから」
「それならよかったあ」
菅谷がにこっと微笑んで、前に向き直った。
「ホントに大丈夫?」
今度は隣の清水が訊ねる。
「大丈夫だって」
「私達だけ乗らないで休んでよっか?」
「いや、乗りたいんだ。 一緒に」
「そっ・・・か。 うん、わかった。 乗ろう」
清水は一瞬だけ下を向いてから、笑顔で言った。
嗣永達や夏焼達が次々と観覧車に乗り込んでいく。
俺と清水は一番最後に乗ることにした。
須藤たちが乗り終え、ついに俺達の番だ。
観覧車に乗ろうと足を踏み出すと、また頭の中に衝撃。
今度は先ほどよりももっと強い感覚だった。
そのせいで俺は少しよろめき、一台乗り過ごしてしまった。
「やっぱ具合悪いんじゃないの?」
「いいから・・・」
次に来た観覧車に先に清水を乗せ、俺も意を決して乗り込んだ。
清水と向かい合わせに座って、腰を下ろした瞬間。
頭の中に、というより俺の体全体に何か波のようなうねりが流れ込んできた。
その『うねり』の中に、清水やみんなの顔、そして声がノイズのように混じっている。
パズルのようなそれは一瞬のうちに組み立てられ
やがて一つの『思い出』として、俺の脳に再び刻み込まれた。
俺が思い出せなかった記憶。 清水と観覧車に乗ったあの時の記憶。
―清水は、あの時も笑顔だった。
『ねえ会長、真面目な話だからふざけないで聞いてよね?
・・・私、春から九州に行ったら、みんなともう会えないかもしれないね
え? そんなことない、って簡単に言うけど、遠いんだよ?
たまには手紙書いたり、電話とかもするかもしれないけど・・・
みんな中学で新しい友達できたら、私のことなんか忘れちゃうよきっと
私も向こうで友達たくさん作るよ。 みんなのこと忘れるくらいに』
俺はこれを聞いて、怒ったんだ。 観覧車から漏れるくらい大きな声で。
『本当は行きたくないよ。 本当は忘れたくないよ
でも忘れなきゃ、みんなこと忘れなきゃ、そうしなきゃ辛くなるもの
会長の事、…君の事を一番忘れたい。
今だってとっても辛い。 だからいっそ、嫌いになりたい・・・』
そして俺は、清水を、平手で殴ってしまった。
『痛い・・・。 けど、これは忘れないでおくね、ありがとう
忘れないから、会長もこの日の事だけは、忘れないでね』
清水はずっと笑っていた。―
観覧車が回り出した。 運命の輪のように。
清水は『思い出』と同じ、笑顔だった。
「ねえ会長、真面目な話だから・・・」
俺はこの運命を変えてみせる。
「本当に俺達もう会えないと思うか?」
俺は椅子から立ち上がって、清水が話し出す前に言った。
「え・・・?」
「清水は、俺達ともう会えないと思ってるかもしれない
俺達が清水のことを忘れてしまうって思っているかもしれない
でも絶対忘れないよ、俺は」
「ねえ、立ったら危ないよ・・・」
清水は俺の話を聞こえない振りをしている。
「頼む、聞いてくれ。 真面目な話だから」
「私も真面目な話だよ・・・」
「知ってる。 でも聞きたくない」
「なんで・・・?」
「俺達のこと忘れるなんていう話、聞きたくない」
清水は顔を伏せた。
「だって、忘れちゃうんだよ」
「忘れないよ。 清水がそうやって、忘れて欲しいなんて思うからいけないんだ
お互いに想い続けていればきっと忘れない」
「会長・・・」
「だから、俺のこと嫌いになりたいなんて思わないでくれ」
「思いたくないよ、でも・・・」
「でもじゃない。 俺は清水のこと忘れないし、嫌いにならない」
「・・・」
「いやだよ・・・嫌いになりたいよ・・・」
「俺は絶対に会いに行く。 清水のこと迎えに行く
だからそれまで俺のことも絶対に忘れないで欲しい」
「・・・」
俺は無言のままでいる清水の手を掴んで、抱き寄せた。
そしてその小さな体が潰れてしまうくらいに強く抱きしめた。
「清水の事が好きだ」
「・・・」
「好きだよ」
「・・・うん・・・私も、だいすき」
ぐすっ、と清水が鼻をすする音が聞こえた。
その時ちょうど、観覧車が頂上まで達した。
海に沈む夕陽が俺達を照らしている。
夕陽は清水の目から零れ落ちる涙をきらきらと輝かせた。
「あれ、泣いちゃった、私。 卒業式まで泣かないって決めたのに・・・」
「いいよ泣いても。 最後の涙じゃないんだから」
「うん・・・そうだね」
清水は涙目で笑った。
「あ、ハンカチ持ってたかな俺・・・」
「なによぉ、ムード台無しじゃない」
ジーンズのポケットをまさぐり、くしゃくしゃになっているハンカチを取り出した。
「あったあった、ほら涙拭いてやるから上向いて」
俺は涙でぬれた頬を優しくハンカチで拭ってあげた。
「なんだかくすぐったいね」
「いいからじっとしてろって」
「うん」
清水はそのまま口をつぐんで、目を閉じた。
「・・・あのさ」
「んー?」
「清水、その・・・」
「・・・私も、名前で呼んで欲しいな」
「あ、ああ・・・さ、佐紀」
「・・・」
「キス、するぞ」
「・・・」
「何も言わないなら、ほ、ホントにするからな」
「・・・」
「佐紀」
小さい佐紀の、小さい唇に、俺の唇を重ねた。
愛しくてたまらなかった。 口づけたまま、佐紀をもっと強く抱きしめた。
まだ涙で濡れていた佐紀の唇は、少ししょっぱかった。
「痛っ」
佐紀が声をあげた。
「ん?」
「もお、力入れすぎ! 痛いよ〜」
興奮しすぎて強く抱きしめすぎたようだ。
「ごめん。 力抜くから、もう一回していい?」
「・・・うん、いいよ」
ガタンッ
「あああーー!! ちょっと二人とも何やってんのー!?」
嗣永の声が耳に飛び込んできた。
知らぬ間に観覧車は下まで到着していたのだ。
観覧車の扉が自動的に開くと、みんな揃って俺達を見ていた。
「いや、その・・・」
「あ、あはは・・・」
佐紀は顔を真っ赤にしていた。 おそらく俺も同じだっただろう。
「予想外だったわ・・・しみちゃんに先を越されるなんて・・・」
嗣永が変なところでショックを受けている。
「ねえさくちゃん! 私達もしようよ〜!」
「な、なに言ってんだ桃子・・・」
嗣永に引っ張られっぱなしの橘。 やっぱり将来が見えるな。
「ふふっ」
佐紀も同じ事を考えていたらしく、二人を見て笑っている。
「さ、降りよう。 このままだともう1週しちゃいそうだ」
「え〜、私はもう1週してもいいんだけどなぁ」
「・・・あんまりからかうなって、照れるだろ」
「あはは、変な顔ー」
俺達は遊園地を後にした。
嗣永はまだ橘にキスをせがんでいる。
菅谷と剣崎は、まだ付き合うまでは行っていないが、仲良さそうに腕を組んでいる。
この二人は案外お似合いなのかもしれない。
夏焼とペアだった上城は、振り回されっぱなしでくたくたになっている。
石村は、パートナーの相川そっちのけて遊んでいたらしく、特に何もなかったようだ。
須藤達は、ペアを組んでいた白井という男子が一方的に須藤に好意を持っているようだ。
嗣永の作戦はまあまあ上手くいったというところだろう。
みんなと別れたあと、俺と佐紀は一緒に手を繋いで帰った。
翌日、嗣永から電話があった。
『まったく、昨日は見せつけてくれちゃってさー』
「ごめん」
『なんで謝るのよー』
「だって・・・あの時」
『あの時のことはもう忘れて、私のダーリンはさくちゃんだけだから』
「そうだな。 嗣永達は上手く行ってるの?」
『ラブラブ過ぎて困るくらい!』
「あ、そう・・・」
『それにしても、ようやく、って感じよね』
「どうゆうこと?」
『もう! ようやく会長としみちゃんと結ばれたってこと!』
「へ? 俺が佐紀のこと好きなの知ってたの?」
『当たり前じゃん! 二人ともなかなかくっつかないからイライラしてたんだよ、みんな』
「みんな?」
『うん、みんな』
「みんな知ってたってこと?」
『知ってたっていうか、昔からあんた達見てたらわかるわよ』
「そうか?」
『幼稚園の時からずっとお似合いだと思ってたもん』
そういえば、石村にラブレターの返事をした時に、言っていた。
・・・気持ちが伝えられたから、それでいい・・・
・・・会長、好きな人いるもんね・・・
石村は俺が佐紀を好きな事を知っていたんだ。
「じゃあ男子も知ってたの?」
『知ってたに決まってるじゃん。 遊園地の時は、相川君達にも教えて付き合ってもらったけど』
「え?」
『だーかーらー、最初に風船渡した時よ。 みんなしみちゃんには風船渡さなかったでしょ?』
「え、そうなの? じゃあ菅谷が風船を欲しいって言ったのは・・・」
『あれも作戦。 だってあの卒業旅行自体、二人のためにやったんだから』
「そっか・・・なんかありがとな」
『いいってこと! 私とさくちゃんをくっつけてくれたお礼だから』
「え、あれは別に・・・ただ橘にちょっと助言しただけで」
『それがよかったの! そうじゃなかったら今頃私、私立の中学行ってたんだから』
嗣永は本来なら私立の中学に行く予定だった。
昨日遊園地に行ったのも、本来ならば佐紀と嗣永二人の為の卒業旅行になるはずだった。
俺は橘に助言した時すでに、運命を大きく変化させていたのだ。
『卒業式まで後少しなんだから、それまでしみちゃん大事にしなさいよね』
「お、おう」
嗣永との電話を終えた後、この後の事についてぼんやり考えていた。
おそらく、俺がこの時代に来てしまったのは佐紀のためだ。
佐紀に関連する一部の記憶が抜け落ちていたのもそのせいだろう。
俺は、あの時言えなかったことを佐紀に伝えた。 目的は全て果たしたはずだ。
そうしたら俺はどうなるんだろう。
卒業式までは、小学生のままでいられるんだろうか。
それとも、このまま中学へと進んで新たな歴史を作り上げていくんだろうか・・・。
卒業までの一週間、クラス中で遊園地での事が騒がれたが
俺と佐紀はいつもと変わることなく、冗談を飛ばしあっていた。
ただ、登下校はいつも手を繋いでいた。
卒業式当日。
一応、俺の体は無事に(?)小学生のままだ。
式が行われる体育館では、いつもよりちょっといい服を着たクラスメイトが
そわそわしながら式が始まるのを待っている。
中にはもう泣き出してしまっている生徒もいた。
卒業式の前に、この学校を去っていく先生達の離任式があった。
離任していく担任の菅井先生と、保険医の飯田先生が壇上に立って挨拶をした。
菅井先生はまた、『僕はこの学校が好きなの!』と涙ながらに熱く語っていた。
その後は、生徒会交代式。
俺の学校では、生徒会の交代を卒業式にやっていた。
2学期のうちに時期生徒会は決まっていたので
俺や佐紀は生徒会腕章を時期生徒会の生徒に託した。
卒業式が終わって、生徒達は教室で思い思いの時間を過ごしている。
卒業アルバムにサインを書きあったり、写真を撮ったり。
俺は机に座って、卒業文集をじっくり眺めていた。
「会長、ちょっとちょっと」
須藤が俺を呼ぶ。
「俺もう会長じゃないんだけど」
「いいからいいからー、写真撮るよー」
「いいよ、恥ずかしいから・・・」
俺は写真うつりが悪いので、撮られるのは苦手なほうだった。
「ええー、せっかくみんなで撮るのにー」
「俺は撮る役でいいって」
「怖いのー? 魂は抜かれないから大丈夫だよー」
「んなこと思ってないっつーの」
「じゃあ撮ろうよー、佐紀ちゃんも撮りたがってるし」
ふと教壇の方を見ると、佐紀やみんなが俺を見ていた。
「早く来いよ会長! 清水としばらく会えなくなるんだから」
既に嗣永と肩を組んで待っている橘が急かす。
「ふう、わかったよ」
俺はみんなの所へ向かった。
「じゃあしみちゃんが真ん中で、会長がその隣ね!」
また嗣永が仕切っている。
「俺真ん中かよ・・・」
「真ん中でも魂抜かれないよー」
須藤がまた変な心配をしている。
「そんなこと心配しなくて大丈夫だから」
黒板を背にして、みんなで肩を組む。
そこへ夏焼と菅谷がやってきた。
「幼馴染み組で固まってないで、私達も入れて〜!」
「うん、雅ちゃん達もおいで〜」
剣崎の隣に菅谷、そしてその前に夏焼が座った。
俺は、教室のドアの前に徳永達がいるのを見つけた。
徳永は恥ずかしそうにこちらを見ており、隣には熊井がいつものすまし顔で立っている。
「徳永、熊井。 来いよ」
声を掛けると、二人ともぱっと笑顔になり、駆け寄ってきた。
「千奈美、あんたは会長の後ろね」
「え、え、いいよ友理奈ちゃん」
「いいからここに立つの!」
「うん・・・」
徳永が俺の後ろに立ち、その隣に熊井が立った。
「さ、揃ったことだし、写真を・・・」と嗣永。
「誰が撮るんだよ」
「えっとぉ〜・・・考えてなかった・・・」
「じゃあ、俺が・・・」
「あー、会長はいいってば! ねぇちょっと上城くん!」
嗣永は教室の端で喋っていた上城に声をかけた。
「上城くん、カメラのシャッター押してくれない?」
「俺かよ、つうか写真撮るなら俺も入るぞ!」
上城はそう言って夏焼の横に座った。
「ええ〜、じゃあ白井くんか相川くん・・・」
「僕も入る! 須藤さんの隣とっぴー」
「それなら俺も入るぞ!」
そうやって人数はどんどん増えていった。
後列は左から菅谷、剣崎、熊井、徳永、嗣永、橘、石村。
前列は左から夏焼、上城、佐紀、俺、須藤、白井、相川になった。
まあ、バランスは取れているが、カメラマンがいないことには変わらなかった。
「だから誰が・・・」
言いかけた時、教室の扉がガラッと開いた。
「仲良さそうねあんた達。 僕が撮ってあげるからそこにいなさい」
菅井先生だ。 まだ涙目のままだが。
先生はみんなの分の使い捨てカメラを預かり、一枚一枚写真を撮っていった。
「じゃあみんなポーズ取った? 行くよ! ハイ声揃えて、イチゴを英語で?」
『ストリベリー!』
パシャッ
「ハイ、目に優しいのは?」
『ブルーベリー!』
パシャッ
「ハイ、コケモモを英語で?」
『え・・・?』
パシャッ
「クランベリーでしょ! あんた達英語をなめてるの!?」
「先生〜、英語の授業はいいから〜」
「あ、そうだった。 ごめん」
「もう先生ったらー」
みんなが笑い出した。
この一枚だけみんな変な顔で写っていることだろう。
そしてそれを見ていた他のクラスメイトも写真を撮りたがって
みんな菅井先生にカメラを渡して撮ってもらっていた。
付き合って10枚ほど写真を取ったところで、俺と佐紀はみんなの輪の中から抜け出した。
「なんだか疲れたな」
「疲れたぁ。 でも、楽しい」
佐紀はこのまま引越してしまうから、みんなに引っ張りだこで写真を取られていた。
「あとで二人で撮ろうか」
「うん!」
俺と佐紀はまた手を繋いだ。
「はい、そこ! そのまま!」
嗣永の声がして振り向くと、パシャッとカメラのフラッシュが瞬いた。
「なんだよいきなり・・・」
「いいのが撮れたねー、後で焼き増しして二人に送るからね」
「うん、ありがとね桃ちゃん」
「しみちゃんも喜んでるじゃない、会長も素直になりなよー」
「・・・ありがとな」
「最初からそう言いなさい、それじゃ!」
そう言って嗣永はまたみんなの輪の中に戻っていった。
写真を撮って思い出にしても、ここにいるほとんどはみんな同じ中学に上がる。
違う中学に行くやつも、会おうと思えばすぐに会える。
だが佐紀は違う。 引っ越した先ではまったく新しい生活が始まる。
周りは知らない人だらけの中で、一から関係を気づいていかなければならない。
そう思うと、心が締め付けられた。
菅井先生と佐紀のお別れの挨拶が終わり、俺達は教室を後にした。
この時代に戻ってから2ヶ月ちょっとこの教室で過ごしたが、やはり名残惜しい。
教室に心の中でさよならを告げ、卒業証書と卒業アルバム、卒業文集を詰め込んで
少し重くなった鞄を抱え、玄関へ向かった。
玄関では嗣永達が待っていた。
「ねえねえ、これからお母さん達とご飯食べに行くんだって」
「みんな行くけど、会長も行くだろ?」
聞けば、同じ地元で育った友達同士で
ちょっといい店に食事に行くことになったそうだ。
「ああ、行くよ」
「だよね。 ところで会長、しみちゃんは? まだ声掛けてないんだけど」
「え、一緒にいたんじゃなかったのか?」
「私達は会長と一緒にいるもんだと思ったけど・・・」
佐紀は終わったあと俺より先に教室を出て行ったので
てっきり嗣永達といるものだと思っていた。
下駄箱を見ると、佐紀のシューズはまだ入っていなかった。
「んじゃあ、ちょっと探してくるから待ってて」
俺は鞄とランドセルを橘に預けて、校内へ戻った。
佐紀は一人で何をやっているんだろうか。
俺はまず屋上へ向かった。
屋上への階段を駆け上がり、扉を開けたが誰もいない。
嗣永のように扉の後ろにも隠れていないし
石村のようにもう一つ上の段にのぼっているわけでもない。
屋上に来たのは、俺がこの時代に戻ってきてから3度目だ。
俺への思いを打ち明けてくれた嗣永。 ずっと涙をこらえていた石村。
『卒業式にその人に告白するつもりだったの』
『私そんなに我慢できるほど強くないもん・・・』
二人の顔が交互に浮かんでは消えた。
しかしここに佐紀はいないようなので、俺は次の場所へ向かった。
校舎裏。
ここは徳永に告白された場所で、徳永を振った場所だ。
そして初めて熊井の女の子らしい笑顔を見た場所。
『私、この噂が本当になったらいいなって思った・・・』
『千奈美のこと、ちゃんとふってくれてありがとね』
いつもニコニコしていた徳永の泣き顔。
いつもつんつんしていた熊井の笑顔。
どちらも俺がこの時代に戻ってきていなければ見ることの出来なかった表情だ。
そしてここにも佐紀はいなかった。
自分の教室や音楽室、教材室等にも行ってみたが、いなかった。
だとすればもう、佐紀が行くような場所はひとつしかない。
俺は生徒会室の扉に手を掛けた。
本来なら会議以外の日は鍵がしてあるはずだが、開いていた。
そして生徒会長席に、佐紀は座っていた。
「何やってんだ、みんな待ってるぞ」
「うん・・・」
佐紀はランドセルを枕にして、机に寝そべっていた。
「どうやって入ったんだよ」
「えへへ、忘れ物しましたって言ったら、鍵貸してくれたの」
「なんだ忘れ物って」
「まだしてないけど、これからする」
「え?」
「この学校に、たくさん忘れ物していっちゃう・・・」
佐紀は少し、涙ぐんでいる。
俺は佐紀の隣に座った。
「じゃあ、取りに来なきゃな」
「そうだね・・・」
「でもなんで生徒会室なんかにいるんだ?」
「うーん、なんでだろ。 あの時かなあ・・・」
「あの時?」
「会長、会議中に眠っちゃった事があったでしょ?」
「ああ・・・あったな」
俺がこの時代に戻ってきた日のことだ。
「あの日から、なんか会長ちょっと大人っぽくなったっていうか」
「そ、そうか?」
まあ、そりゃそうだ。
「あの時からね、自分でもよくわからないけど、この場所によく来るようになったんだぁ」
「何しに?」
「別に何かするわけじゃないけど、こうやって、会長のこと考えたりしてた」
そう言って、佐紀は笑った。
「・・・照れるだろ」
「ふふっ、そろそろ行こっか。 待たせちゃったし」
佐紀は椅子から立ち上がり、ランドセルを持ち上げた。
「うん行こう。 あ、そうだ佐紀」
「なに?」
「こないだ言った事、本気だからな」
「え・・・?」
「だから、迎えに行くって言ったことだよ」
「ホントかなぁ〜?」
「嘘つくわけないだろ! 俺本気で・・・」
「大丈夫だよっ、信じてるから」
「おう・・・、だから、迎えに行くからさ、その時、忘れ物取りに来ればいい」
「・・・うん、そうする」
「そんで、だから、その・・・」
「ん?」
「もっかい、キスしていい?」
「もぉ〜、何言うかと思ったら、会長のえっち!」
「ちが、お、俺は、そんなんじゃなくて、しばらく会えないから・・・」
「まったくー、しょうがないな・・・」
俺は佐紀をまた、力いっぱい抱きしめた。 そして優しく口づけた。
出来るだけ長く、キスをしていたかった。
これから会えなくなると思うと、たまらなく切なくなるから。
だから少しでもこの感触を刻んでおこうとおもった。 そしてその時間はとてつもなく長く感じた。
1時間でも、1日でも、1年中とも感じるくらいに、長い時間だった。
「ちょっと、係長、起きてください」
誰かに揺さぶられて、目が覚めた。
「あれ? ああ、すまないね石川さん」
気づけば書類の山に囲まれた机で、突っ伏して寝てしまっていたようだ。
派遣社員の石川さんが、心配そうな顔で俺を見ている。
「徹夜続きで疲れてるんじゃないですか?」
「そうかもね。 一瞬目を瞑っただけのつもりだけど、すっかり居眠りしてたよ」
「食事もちゃんと摂ってます?」
「ああ、それは妻がちゃんと作ってくれるから」
「いい奥さんですよね〜。 あ、そういえば昨日スーパーで奥さんに会いましたよ!」
「おお、そうか。 何か言ってた?」
「『夫が居眠りしてたら起こしてあげてください』って、ふふっ」
「まったく・・・」
「可愛い奥さんですよね、お名前なんでしたっけ?」
「佐紀だよ。 チビだっただろう?」
「確かに・・・、でも可愛くていいじゃないですか〜」
「まぁ・・・ね」
「あっ、係長照れてますね!」
「おいおい、からかわないでくれよ」
「すみません! あ、夕刊来てたんで置いときますね」
石川さんは届いたばかりの夕刊を俺に渡し、席に戻っていった。
夕刊に一通り目を通してから芸能欄をめくると、一面に大きく見知った顔が出ていた。
『夏焼雅、完全女優転向宣言!』
学校でアイドルだったクラスメイトの夏焼は、今ではすっかりスターだ。
中学校に上がってからレッスンをはじめ、オーディションを受けてすぐに合格した。
アイドルグループとしてデビューし、しばらくしてソロアーティストへ。
それから音楽と平行して女優業を続けていた。
「女優一本で行くのか、夏焼の歌結構好きだったんだけどなあ」
俺は夕刊を折りたたみ、再び机に向かった。
今日はさっさと仕事を終わらせて家に帰ろう。
ここのところ徹夜ばかりでいつも遅くに帰っていたから
今日は早く切り上げて、二人で夕食をとろう。
「あ、そうだ。 ミーティング用の書類を用意しなきゃいけないんだった」
ふと思い出し、ぐちゃぐちゃの机の中から書類を取り出した。
「すまないけど石川さん、ちょっとこれコピーしてくれない?」
傍にいた派遣社員の社員に声を掛けた。
「はぁ? 私は石川じゃなくて藤本ですよ! 新人だからって間違えないでください」
ショートカットのその女性社員は、物凄い目つきで言った。
「ああ、そっか。 ごめんごめん藤本さん、コピーお願いできる?」
俺は彼女に書類を渡した。
そうだ。 石川なんて社員はいなかった。 何を言ってるんだ俺は。
ブブブブブ、ブブブブブ・・・
机の上に置いていた携帯が鳴っている。
ピッ
『もしも〜し、私でーす』
「なんだ佐紀か。 まだ仕事中なんだけど・・・」
俺は電話を持ったまま廊下へ出た。
『ごめんごめん、嬉しかったからつい』
「で、何かあったのか?」
『へへえ、実はね、小学校の同窓会の招待状が届いてたの!』
「おお、小学校のかあ。 ってことは夏焼も来るのかな」
『どうだろねえ、さっきニュース見たけど、忙しいみたいだね。 でも私も会いたいな』
「そうだな。 橘達ともしばらく会ってないけど、まだ続いてるのかな」
『うん、こないだ電話したんだけど・・・』
そんなやり取りが行われていたとある会社の外に、一人の女性が立っていた。
昼間のビジネス街に似合わない、変てこな服装をしている。
そこに、同じような服をきた女性が二人、駆け寄ってきた。
「チャーミーさん、どうでしたあ?」
そのうちショートカットの女性が言った。
「ふっふっふ、バッチリよ! これで魔法学校の卒業試験は合格ね」
チャーミーと呼ばれた女性が自信満々に言う。
「難しかったですねえ、今年の課題」
「私全然できんかったわぁ」
ロングヘアーで関西弁の女性が肩を落とす。
「まだまだね、エリカ、ユイ。 私は完璧に出来たわよ〜」
「でも、確かにチャーミーさん、『過去に戻ってやり直しをさせる』って課題は出来てましたけど」
「なにか文句でもあるの? エリカ」
「なんだかいろんなこと変えすぎちゃってるような・・・」
「そうですよぉ、時間を戻しすぎたんじゃないですかあ?」
「な、何を言ってるのあなた達! 私の魔法は完璧よ!」
「でもこれが魔法学校の校長にバレたらどうするんですか?」
「今年はお隣の妖精の学校でも失敗した子が出たらしいですよお」
「ユイ、その子どうなったの・・・?」
「さあ〜、私は知りませんけど〜」
「なんだか急に怖くなってきた〜! どうしよう・・・」
おしまい