【おーどん】
放課後
俺は、居残りで漢字書き取りをしている
ケンカをした罰だ
隣の席ではケンカの相手、千奈美も書き取りをしている
俺の視線に気付いた千奈美は、声を出さずに「バーカ」と俺を罵る
俺も「ブス!」と小さな声で反撃する
「ほらそこ!喋るな!」
藤本先生に怒られた
藤本先生は今年大学を出たばかり
美人だが怖い
「ししじゅうろく、しごにじゅう、しろくにじゅう・・・・に?」
藤本先生とマンツーマンで九九の練習をする菅谷がまた間違えた
もう5年生になるというのに菅谷は九九が言えない
漢字もほとんど読めない
教室の後ろには、給食の牛乳が飲めなくて残されてる矢口さんがいる
半泣きで牛乳とにらめっこを続ける
「牛乳が飲めたら家に帰っていいよ」って先生に言われてからもう10年経っているらしい
帰り道
「ね〜え?さんぱ、いくつだっけ?」
3メートルほど前を歩く菅谷が尋ねる
「50くらいじゃないの?」
俺がデタラメを教える
「もう!ウソ教えるんじゃないの!りーちゃん、さんぱにじゅうし!」
いつものように俺の横を歩く千奈美が答える
ケンカの勝敗も、理由も、いや、ケンカしたことさえも忘れてしまっている
俺たちは小さい頃からこんな関係
「ねえ、矢口さん、今日も帰れなかったね」
「んー、俺は好き嫌いないからわかんねえけど、嫌いな食べ物っていうのは食えないのかな?」
俺の問いかけに千奈美はちょっと考え込んでから
「私も嫌いなものないからわかんないなあ。ねえ、りーちゃん、嫌いなものある?」
「お勉強!」
菅谷は振り向いて大きな声で答えた
「ねえ、この前テレビで見たんだけど催眠術使ったら矢口さん、牛乳飲めるようになるかな?」
千奈美が突拍子もないことを言う
別に矢口さんが牛乳を飲めなくても俺たちには関係無い
だが千奈美のおせっかいは昔からこういうことを放っておけない
俺は千奈美のそんなところは嫌いじゃないが、
「バーカ、ああいうのは全部ヤラセなんだよ。効くわけないじゃん」
「ええっ?そんなことないよー。やってみないとわかんないじゃん。ちょっと、りーちゃんおいでー!」
千奈美は菅谷を呼びつけると、目を閉じさせてから
「いいですか、あなたは私が3つ数えると九九が言えるようになります。1,2,3、ハイ!」
と言い、手を1つ、パンと叩いた
目を開いた菅谷に対し、俺は
「おい、3の段言ってみな」
と持ちかけた
「んーっと・・・・・さんいちがさん、さんにがろく、さざんがきゅう、さんしじゅうに、さんごじゅうろく、
さんしちにじゅういち、さんぱごじゅう、さんくにじゅういち!・・・・・・・・・・・・・・・
やった!やった!全部言えた!」
ツッコもうとすろ俺を制して、千奈美は
「すごいじゃん、りーちゃん。いちもは途中でつっかえちゃうのに最後まで言えたよ!」
と、いつもの最高級の笑顔で菅谷を祝福する
「うん!ちなっちゃんのおかげだよ!あ、りーちゃんのおうちに着いた。バイバーイ、また明日ねー!」
俺は明日は学校休みだぞ、と言いたかったが千奈美がまた怒りそうなので無言で手を振った
50メートルほど歩いたところで、俺は堪え切れなくなって爆笑してしまった
怒るのではないかと思った千奈美も釣られて爆笑した
「っはっはっはぁ、私の催眠術、効いちゃった・・・・のかな?」
「−っひゃっひゃっひゃ、さーどうだか。相変わらず間違いだらけだったけどな」
「ねえ、あんたでも実験してみていい?」
断ろうと思ったが後々面倒になりそうだ
「んー、いいけど変な暗示かけるなよ」
「どーせ信じていないんでしょ?じゃあ目を閉じて、いいですか、私が3つ数えたら、あなたは・・・・・・」
まあ、適当にかかったフリをしてからかってやろうか、そう思っていた俺に対して、千奈美は予想外の一言を放った
「あなたは私のことが好きになる!」
俺が目を開くと同時に、千奈美は手を叩いた
そして、いつも笑顔の千奈美が、珍しく真面目な顔で俺を覗き込む
あれ?千奈美ってこんなに可愛かったか?そう思った瞬間、心拍が急上昇した
「あーっ!顔が赤くなった!ホントに私のことが好きになったのか〜?」
いつもの笑顔で千奈美が囃し立てる
「バカ・・・言うな・・よ・・・・・・・誰が・・・・・おまえみたいな・・・・・・・・・ブ、ブスを・・・・・・・・」
最後のブスは、もう声としては聞こえなかっただろう
「そう・・・・・だよね・・・・・・・・私みたいな・・・・ブス・・・・・・好きになるわけ・・・ないよね・・・・」
いつもは俺の真横を歩く千奈美が、なぜか1歩後ろからついてくる
重い沈黙の中、俺がブスと言ったら必ず怒る千奈美が、今回だけは怒らなかったこと、
そして、今,、俺の後ろで、いつも笑顔の千奈美が、うつむいて歩いていることの意味を考えた
結論が出ないまま、いや、わざと出さないまま歩いているうちに保育園についた
「舞ちゃーん、帰るよー!」
イトコの舞ちゃんを学校帰りに保育園から引き取ってくるのが俺の日課だ
「はーい!あっ!今日はちなちゃんも一緒だ!」
一人っ子の舞ちゃんは、俺のことを実の兄のように慕っているが、近所に住む千奈美にもよくなついていた
「おにーちゃん、ちーなちゃん、お手手つなごっ」
舞ちゃんを真ん中に、俺たち3人は手をつないで家路についた
舞ちゃんが今日保育園であったことを楽しそうに話す
適当に相槌を打つ俺と違って、千奈美は実の姉のようにいつもの笑顔で応える
よく見ると、千奈美の笑顔って、楽しいだけじゃなくてすげえ可愛いんだな・・・・・・
そんなことをふっと思った時、オママゴトの話をしていた舞ちゃんが俺に尋ねた
「ねえ、お兄ちゃんは大きくなったら、ちなちゃんとケッコンするの?」
いつもなら適当にはぐらかしてかわせる質問だが今日は違った
「えっ?えーっと、お兄ちゃんはねえ、んんーっと、・・・・・・」
「じゃあ舞ちゃんとケッコンするの?」
「へっ?」
予想外の二の矢で冷静に戻れた
「お兄ちゃんはね、もっと、んー、大人の女っていうかな、そういう人がいいかな?」
千奈美がやっといつもの表情で俺を見ながら
「ふーん、あんた、藤本先生みたいな人がタイプ?」
「いや、もうちょっと優しい感じ?」
「じゃあ矢口さん?」
「ちっちゃすぎる人はちょっと・・・・」
「じゃあ保健室の中澤先生?」
「あれじゃ年取り過ぎ・・・・って、オイ、何言わせるんだよ!」
笑いながら走り出した千奈美を、俺は舞ちゃんをだっこして追いかけた
おしまい