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ブータンに到着した1998年12月から順番に、なにか出来事があったときのことを中心に読んでもらう内容があると思える日記を選んで、適当なきりのいいところで分けて読んでいただけるようにしました。少しづつ内容を増やしていこうと思っています。
写真日記の名前どおり、文章だけでもなんなんで適当にそのときにとった写真も貼り付けたりしています。この写真は
ブータンなどの写真と解説
のページで紹介しているものから選んで縮小したものです。
下の各見出しにきりのいいところで分けた各ページへのリンクが張ってありますので、どこでも選んで読んでもらえればと思います。
日本から出発してブータンに到着した頃の日記です。
初めての海外旅行、同期隊員6名で行動したのですが、添乗員なしだったのでどきどきでした。
ここは、現地事務所で受けた訓練中に書いた日記です。到着から一晩明けて、とりあえず事務所主催の研修と、いっしょに来た隊員と共同生活をしていたときのものです。
その3〜RIM1(ホームステイ)〜(1998/12/27〜1999/1/2)
現地訓練の大半はブータン政府主催のオリエンテーションで、首都郊外のRIMという施設で行われます。また、これも訓練の一環で近くにある農家にホームステイをします。
ここは、そのホームステイ中の日記です。
オリエンテーション後半です。ホームステイは終了し、再びドミでの生活が始まりますが、仲良くなったホストファミリーのところにもたびたび遊びに行っていました。
RIMでの研修も終わって、JOCV事務所主催の現地訓練が再開。といっても、実質2日間だけなので、帰国してすぐの時期の普段の生活がメインになっています。
現地訓練も終了し、いよいよ初出勤です。
私の場合は前任の先輩隊員がいたので、その人に連れられて職場に行けばよかったので楽でしたが、初出勤のどきどきしていた頃の日記です。
赴任していきなり出張です。
ここでは、出張旅行中の仕事内容と、なかなか行く機会の無い東の地域の様子を日記でお伝えしています。
私には前任の先輩隊員がいましたので、その人からここでの仕事の内容とか使われているプログラムなどの環境などを教えてもらいつつ、分かるところから手伝ったりしながら徐々に仕事に慣れていく期間がありました。
ここはそんな引継ぎ期間中の日記です。
こっちでの仕事を勉強している最中、一旦首都ティンプーに戻ることがありました。
先輩隊員が帰った後の仕事の進め方など、私の任地もまだきちんと決まっていない状況だったので、今後どうするか話したり、その他の仕事・手続きなどもあっての上京でした。
が、結局は腹痛日記になってしまいました。
首都ティンプーからまたプンツォリンに戻ってきました。
今回は今度いつ来るか分からないプンツォリンを休日に全力でうろうろしまくったときのことを中心にお伝えします。
引継ぎ期間もとうとう終わり、ティンプーに引き上げる日が近付いてきます。
ということで、今回はティンプーへの移動と、病気編です。
結局ティンプーが私の任地と言うことが正式に決まり、私の職場環境整備が始まります。
本格的赴任開始と先輩隊員見送り時期編です。
一人で仕事をはじめてしばらくたち、職場の雰囲気や自分に出来る仕事などがだいぶ見えてくるようになったように思う頃の日記です。
その14〜パロチェチュ・引越し〜(1999/3/28〜4/10)
春のパロチェチュに行ったときのものと、ブータン到着後4ヵ月後にやっと自分の部屋が決まって、引越しなど新生活準備に追われていたときの日記です。
その15〜自転車でチェリへ等〜(1999/4/11〜4/18)
以前歩いてふもとまでたどり着いただけだったチェリゴンパ、今回は自転車でチャレンジ。
その他の内容としては、だいぶ慣れてきた職場での仕事内容や、パーティーの席上で腹が立った日本人の姿などがあります。
その16〜プンツォリン出張〜(1999/4/22〜4/26)
先輩隊員が発注していたプリンタが来たのでプンツォリンにセットアップに行ったときの出張旅行記です。
隊員は年に2回健康診断があります。このときに全隊員が首都に集まるので、隊員会議や委員会活動などが集中して行われます。
その18〜SJ前夜とインターネット〜(1999/5/26〜30)
ブータンではシルバージュビリー前夜のそわそわした時期で、私はやっとインターネットが出来ると、そわそわしたときでした。
また、シルバージュビリ関連でバスケットの大会があり、JOCV隊員も参加していたのでその応援に行ったりもしていました。
ブータン国王即位25周年、シルバージュビリーのお祭りの時の日記です。
ティンプーの西に見える山と、その山の上のほうに見えるパジョディンという寺院群にミニトレッキングに行ったときのものです。
その21〜初ネットと仕事とか〜(1999/6/17〜7/3)
待ちに待ったインターネットがやっとつながりました。
私的にはこれがここでお伝えする最大のイベントなのですが、その他の内容は仕事に関するものが主なものになってます。あんまり面白くないかもしれませんが、仕事もしてるんだということで。
以前、チェリゴンパには行ったのですが今回はお向かいのタンゴゴンパへ行ってみました。
チェリとはまた違う雰囲気でなかなか楽しい散歩となりました。
ここでは、そのときの日記が主な内容です。
この時期はなんかわからん原因不明の熱に苦しめられます。
そんな調子悪いときの日記です。
その24〜夏のプンツォリン出張1〜(1999/7/29〜8/11)
今回は雨季の真っ最中にプンツォリンへ出張前半です。
その25〜夏のプンツォリン出張2〜(1999/8/12〜8/15)
夏のプンツォリン出張後半です。
今回は仕事の様子も半分くらい入れました。こんな感じで出張先での仕事をしていました。
その26〜マツタケ・JapanDay中止・出張他〜(1999/8/17〜31)
ここでのメインはマツタケ狩りツアーです。
他の内容としては、隊員主体で計画していたイベントのJapanDayが、今まで予算は出るから見積もりを取って来いと言われていたのに突如一銭も出ませんよ。ということになってしまって全部パーになってしまったり、出張に行ったり、その他普段の仕事とかの日記も混ざってます。
その27〜トレッキング前夜・ティンプードムチェ〜(1999/9/3〜16)
トレッキングに出発する日が近付いてきてそわそわしてしまって仕事が手につかない日常生活の日記です。
そして最後にはトレッキングに出発してしまって見に行くことが出来ないティンプーチェチュの代わりにドムチェを見に行ったときの日記で、これがここのメインかもしれません。あまり目立ちませんが、タシデパート開店も私の生活にとっては大きなイベントでした。
その28〜スノーマントレッキング前半コース1〜(1999/9/17〜26)
とうとう待ちに待ったトレッキングに出発です。
ここでは出発からラヤ手前のキャンプ地までの間の日記です。
その29〜スノーマントレッキング前半コース2〜(1999/9/27〜10/4)
ここは今回のトレッキング後半部分の日記です。
その30〜トレッキングを終えて〜(1999/10/9〜23)
今となってはブータン生活のすべてが夢の中のような感覚なのですが、このときには夢の世界から下界に降りて来って感じでボーっとした中で、日常生活の再開です。
隊員会議に参加したときの日記です。
今回のトレッキングは、外人がなかなか足を踏み入れることが出来ない地域である、ブータン東部を周ろうと企画された旅行に参加したときのものです。
今回の旅の後半は、この時期にあるという東の町のチェチュめぐりを中心とした車での旅行でした。
その34〜出迎えと見送り〜(1999/11/22〜12/9)
このときは年3回に分かれての派遣だったので基本的に年3回、見送りと出迎えのイベントがあります。
また、順序が逆になりましたが、職場においてはJD(ジョイント・ダイレクター)が、ダイレクターに出世したというイベントもありました。
今回は普段の生活なのですが、パーティーとか家に招待されて遊びに行ったときのことが主な内容です。
その36〜年末年始〜(1999/12/24〜2000/1/4)
ブータンは暦が日本の旧暦のように違うものを採用していて、西暦の正月はブータンにとっては何の関係も無い単なる平日です。
仏教国なのでクリスマスもほとんど何にも無し。逆の意味で貴重な体験です。
もうひとつのメインは、ブータン空中散歩。「マウンテンフライト」という、ヒマラヤ周遊飛行です。
今回は、小さいイベントが重なったので、ほとんど普段の生活なのですが、ちょっと変わったことが有りました。程度の日記が集まりました。
またまた、プンツォリンへの出張です。
ただし、短期間だったのであまりうろうろすることは無く、今回は仕事中心の日記になっています。
先輩隊員の見送りも何回目でしょうか。見送るたびに自分の感じ方が変わってくるのですが、このときもまた、前回とは違う感じで見送ります。
次に、熱。また動けなくなってしまいました。
今回はおよばれと職場で腹が立った時のことなどの日記が多くなっています。
またまたパロチェチュの季節が来ました。今回は休みを取って泊りがけで出かけます。
そこで見た日本人観光客の醜態も印象に残るものでした。
1年3回の歓送迎、日記で見ると本当に多いなあ。と感じます。
また、ガスシリンダーに関する件も印象的でした。
隊員会議も何回目の参加になったか、完全に自分達が中心になって運営しないといけない立場です。
今回は、この隊員会議編です。
今回は、パジョデンの有る方とは反対側の山、ティンプーの東側の山のてっぺんに見えるアンテナを目指して歩いたときのものがメインです。
赴任当初から延長を意識しながら仕事をしていました。
2年目からは延長を前提に仕事をしていました。事務所に話もしていたし報告書にも書いていたのですが、否定的な反応は一切ありませんでした。
それが手続きが全部終わった瞬間に突然裏切られ、すべて不可能とのことです。これはブータン事務所ではどうしようもないとのこと。目の前の相手には何も言うことが出来ないのですが、本当に悔しかったです。
また、数日前までは申請手続きを則すレターを発行しておきながら、いざ申請が出た途端に全ての申請が何の正当な理由も無く却下されるいというのはブータン政府に対しても非常に失礼なことだと思いました。
今回はキングの即位記念の時の日記です。
毎年恒例になっているコロネーションカップ・バスケットボール大会にJOCVチームも参加するということで、応援に行ったときのものが多いです。
国花が一番お手軽に見られる場所ということで、チェレラに出かけましたが、大失敗でした。
極めつけには熊らしきものがテントの横まで来るし、なかなか強烈な体験でした。
ここでのメインの内容は、一応、シムトカの赴任してすぐのホームステイでお世話になった家に写真を持っていくために遊びに行ったときのものです。
そのほかの内容は、まさに普段の生活です。
とうとう10年度1次隊が帰国します。
これで、私達10年度2次隊が延長者以外では最年長隊員になってしまいました。
もう一つの停電、2年間で一番長い間停電したときのもので、この時期、首都では1週間も停電が続くというのはなかなか珍しいと思って選んでみました。
その50〜トレッキング前夜のロードブロック〜(2000/7/31〜9/3)
トレッキングが近付いて、仕事や諸手続きを終わらせてすっきり出かけたいと思っていろいろやるんですが、なかなか進まない。
いらいらしながら進まない手続きをしようとしているときの日記はかなり毒があります。
ロードブロックは、結構大騒ぎしたのですが、日記の上ではさらっと流しています。
その51 〜スノーマン後半1・プナカからルナナ〜(2000/9/4〜15)
長い日程なので2回に分けています。今回は、その前半部分です。
本当はもっともっと行きたかったけど、ブータンでの本格トレッキング最終回のスノーマントレック後半部分です。
その52〜スノーマン後半2・ルナナからニッカチュー〜(2000/9/16〜23)
長期のトレッキングなので2回に分けた後半部分です。
パロからラヤ・ガサのルートだけでブータンヒマラヤを知った気になっていたのが恥ずかしく感じられるくらいで、ブータンの自然の多様さを思い知ることが出来た貴重な体験だと思っています。
その53〜お呼ばれ・プジャ・チェチュ〜(2000/9/24〜10/11)
ここのメインは、ブータン人とのお付き合いです。
帰国まで2ヶ月を切りました。
職場での仕事は打ち切って、現地スタッフにすべてを任せて本当に大丈夫か様子を見ることに徹しつつ、帰国準備を本格化させます。
帰国前にどうしても行っておきたかったプンツォリン出張です。
ここでは出発から前半部分までの日記があるのですが、出張後半と帰ってきてからしばらくの間の日記が帰国前のごたごたで消えて無くなってしまいました。
この頃は本当に忙しくて、記憶もごっちゃになって、かなりあやふやになって後から思い出しながら書くということも出来ませんでした。
ということで、途中までしかない出張の日記です。
とうとう帰国前の引越しです。あの作業は二度とやりたくないです。
仕事のほうは一段落させて、個人的な事とか、日本に送る荷物とか、事務所に提出する書類とか、そういうことを片付けていきます。
このときは日記を書く余裕など無く、ブータンを出てからバンコクなどで書いたものがほとんどになります。
パスポート切り替え期間に滞在したバンコク編と言うことで、帰路変更旅行前半です。
バンコクでやっとパスポートを手にして、今回の目的地である中国です。
今回はこの中国からバンコク経由で日本に帰国するまでの物で、この日記の最終回となります。
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