− じぇべ子 さんの恋愛話 −

まだ免許取り立ての初々しい頃の出来事です。
新車を買い、家の周りをぐるぐる回って公道を走る練習をしていた私は、
一人で走る自信も少しついたので、家から150kmほど離れた湖に
初めてのツーリングに行く事にしました。

朝早く家を出発し、混雑する幹線道路でトラックに怖い思いをしながら
8時頃、やっと市街地を抜け出して山道に入りました。
湖に行くルートはいくつかありますが、初心者だった私は
ツーリングマップルの「眺望良し」というコメントだけでその道を選びました。

良く晴れた暑い夏の日でした。輝く緑の匂いが鼻をつき、
標高を上げるたびに風は心地よく涼しく私の中を抜けていく。
バイクに乗らなければ知らなかった世界に、私はわくわくしていました。
しかし、その道は地元の走り屋さんがたむろする「峠」だったのです。

道路の左端をゆっくり走る私の後ろから、何台かバイクが来ては追い抜いていきます。
私は「今日はやっぱりツーリング日和なんだね」と思い、
他のソロライダーとちょっと話ができたら良いなあ、とのんきに考えてました。
SAなどでライダー同士が気軽に話してるのに憧れてバイクに乗り始めたというのもあります。

それにしても普通のライダーはやっぱり速いなあ、私は初心者だから気にせずゆっくり走ろうと
思っていたのですが、それにしても追い抜いたりすれ違うスピードが普通じゃないのです。怖い!

良く見れば、周りのライダーはみんなレプリカに革つなぎで、コーナーでは膝を擦っています。
この道が走り屋スポットだという事に、やっと私も気付きました。
そして激しく後悔しました。どうしよう、こんな怖いところに迷い込んでしまって。

そんな私の目に飛び込んできたオアシス、駐車場。当時の私は、命からがらたどり着いた気がしました。
ひとまず休憩しようと思い、半分放心状態のまま自販機で冷たいコーラを買って、
バイクに戻るため振り向いたところで、”彼”と目が合いました。
互いの姿を瞳に映したのが分かった、ほんの一瞬ですが時間が止まった気がしました。

”彼”は、歩道を挟んでフェンスに寄りかかり煙草を吸っていました。
革つなぎを着てバイクはCBR、いかにも峠の走り屋でした。
私は「他のツーリングライダーと話がしてみたい」と思っていましたが、
走り屋さんは住む世界が違うというか、話の接点も無さそうなので、
目は合ったものの挨拶するわけでもなく、自分のバイクに戻りました。

自分のバイクに戻った私は、傍のベンチに座ってコーラを飲みながら、
峠を越えて湖に行くか、怖いから引き返すか、結構真剣に悩んでいました。
悩みながら目の前の道路を眺めていると、相変わらず走り屋さんたちが音速で駆け抜けて行きます。
「同じ所を何往復もしてるだけで、何が楽しいんだろう…」

往復しているバイクの中には、さっきの”彼”CBRもいました。
”彼”は、駐車場の方をちらちらと見ながら走っている気がしました。というより、私をちらちら見ている気がしました。
さっきの目が合った時の印象は、なぜか私にも残っていました。
でもそんな自意識過剰になった自分が少し、恥ずかしかった。気のせいだよ。

コーラを飲み終えた私は、湖に出発する事にしました。こんないい天気に、せっかく来たのにもったいない。
行けばきっと何かいい事はあるだろうから、と思ったのです。

峠は当然のようにサーキットと化していて、私は後ろに走り屋さんに付かれたら左に寄り、先に行ってもらっていました。
走り屋さんは手を上げて抜いて行ってくれて、すぐ見えなくなるのですが、
いつの間にか違う人が後ろに迫っているので、緊張しっぱなしで泣きそうでした。
たぶん峠を越えるまでは20分もなかったと思うのですが、果てしなく長く感じました。

そんな恐怖の時間でも、”彼”のCBRが往復しているのは見えていました。
左手を上げてサッと抜いていき、数分後には対向車線にいる。すれ違う時に私の目を見ているのも分かりました。

「もう、手でも振ってやろうか」つい私は笑ってしまいました。
こんなに何台もすれ違っているのに、こいつだけが何で気になるんだろう。

峠を越え、下り坂になると木々の隙間から湖が光って見えました。
「わぁ!」私は感激し、つかの間CBRの事も忘れました。

道端の展望パーキングにバイクを止めて湖を見下ろしてると、
峠の上では走り屋さんのぶんぶんいってる音が聞こえましたが、
ここまでサーキットではないみたいでパーキングは静まり返っていました。
やっぱり今日ツーリングに来て良かった、でも。
さっきの”彼”は、ここまで走ってくることは無いのかなと、なぜか残念になった気がしました。

バイクの横で地図を出し、道を確認していると、一台の爆音が近づいてきました。
”彼”のCBRでした。私は思わず顔を上げ、走り去っていく姿を見ていました。
しかしCBRは走り去って行かず、反対側のパーキング入口でUターンするとこちらに近寄ってきました。
(わ、こっちに来る…)
”彼”は私の横でバイクを止め、シールドを上げるとこう言って来ました。
「あのさ、さっき向こうの駐車場に居たよね? かわいい子だなーと思って、声掛けようと思って…」
(うわー、ナンパだ…。こういうのってあるんだ…)

実際そうされると私の頭の中は真っ白で、緊張のあまり何と返事したか覚えていません。
”彼”は、毎週この峠で走っていることや、こんな所に女の子が一人で来るのは珍しいと話し、
さっき峠を何往復もしていて「君に怪しまれてるんじゃないかと思った」と言っていました。
私はそこで「思いっきり怪しかったよー」と笑ってやり、やっと緊張が解けた気がしました。
喋ってみると面白くて、ちょっと良い奴だなーと思い、今日一日こいつに付き合っても良いかな、と思っていました。

湖までは彼に先導してもらって走り、湖畔の売店でおでんを食べて休憩し、湖の遊歩道を二人で歩きに行きました。
涼しい湖畔を歩きながら、なぜバイクに乗り始めたかとか、さっきの峠での私の恐怖体験、
そのうちバイクと全然関係ない仕事のちょっとした悩みなど、初めて会ったのになぜか話しは尽きませんでした。

遊歩道を一周して駐車場に戻った時、彼がいきなり言いました。
「あっそうだ、今日、地元で花火大会があるから見にいこうよ!」

でも、花火大会を見てから家に帰ると夜中になってしまいます。
「ウチ遠いし遅くなると危ないから、ね…」
私は夕方には帰るつもりでした。知らない場所で夜走るのは、単純に怖いと思ったのです。

でも”彼”は引き下がりませんでした。
「遠いって、2時間あれば着くじゃんー」
「えー、まだ道に慣れてないし」
「それじゃ市内まで送るから、それなら大丈夫でしょ?」
「もう今日は楽しかったからさ、また今度…」
「今度なんて、いつあるか分からないじゃん」
あまり断りつづけてると”彼”の顔が悲しげに見えてしまい、一生懸命誘ってくれるのに悪いなと思いなおして、
結局花火大会に行くことにしました。

「じゃあ10時位までなら大丈夫かな」
「うおぉー! やったぁ!!」
”彼”はガッツポーズして喜んでいました。喜んでる姿を見るのは、私もちょっと嬉しかった。

湖から彼の自宅まで一時間位でした。庭に私のバイクを置かせてもらい、
”彼”は家で革つなぎからジーンズに着替えて出てきました。

花火の見える河原まで歩きながら、人ごみのどさくさに紛れて、”彼”は肩を抱いてきました。
「やだー」
「いいじゃん、いいじゃん」
「何なの、これ?」
「ほら、迷子になったら困るじゃん」

会話が途切れると、”彼”は私を笑わせようと色々と喋ってくれます。
「いつかきっと、バイクに乗った女の子が俺の前に現れると思ってたんだよー。
その子のバイクが壊れてる所に、俺が格好良く登場して直してあげる予定だったんだけどね」
お調子者でした。でもお調子者もいいかな、と思ってしまいました。

河原は既に場所取りの人でいっぱいで、私たちは道端のブロック塀にもたれて、建物に半分隠れた花火を見ていました。
「よくナンパしてるの?」
「ううん、初めてだよ。心臓バクバクしてたよ」
「背高いし、もてるんでしょ?」
「全然、全然。もう振られてばっかり」
私は探りを入れるみたいに聞いてみました。でも、聞けなかったことがありました。
(こんな風にナンパして着いて来る女なんて、嫌じゃない?)

「花火なんか見たのは何年ぶりかなー」
「ね、田舎の花火だけど結構良かったでしょ」
私たちは近くのファミレスで夕飯を食べていました。
周りは花火帰りの地元の子で一杯で、浴衣を着た女の子たちが楽しそうにはしゃいでいました。
そんな雰囲気なのに、私の頭の中には楽しさより寂しさが満ちてきました。
(もうすぐこの人との楽しい時間が終わるんだ)

”彼”は癖なのか、席に着くとまず携帯をテーブルに置いていました。
シルバーの渋いストラップが付いてたので「格好良いねー」と言ったのですが、
私の電話番号を聞いてくる事はありませんでした。
(もう、会いたいとは思ってないんだ…)

「もう10時になるから、帰らないと」
「うん、そうだね…市内まで行けば分かるよね。○○橋まで送ればわかる?」
”彼”は名残惜しそうな顔をしてくれました。
(でも、また会いたいとは言ってくれないんだね)
ナンパなんてこんなもんなのかな。
(「また会いたい」なんて思った自分が馬鹿みたい)

庭から2台のバイクを出しながら、もうあまり会話はありませんでした。
「道は空いてると思うけど、気をつけてね」
「うん…色々とありがとうね、ごちそうさま」
バイクに乗る前に交わした言葉は、それくらいでした。

真っ暗な国道でCBRのテールランプに着いて走っていると、今日一日がやたら長かったような気がしました。
長い一日だったけど、明日になったら全部忘れてしまうような気もしました。

○○橋まであと少しの所でCBRは突然ブレーキを掛け、歩道に乗り上げて止まりました。
私も歩道にバイクを止め、ヘルメットを脱いで聞きました。
「どうかしたの?」
「いや…もう少し一緒にいたいと思って…」
そう言うと”彼”は私を抱きしめようと腕を伸ばしてきました。

でも、私は反射的に振りほどいて一歩さがってしまい、さっきから聞けなかった事を口にしました。
「こんな風にナンパして着いて来る女なんて、嫌じゃないの?」
「そんな事無いよ。せっかく会えたのに、もう会えなくなるのかと思って」
「また会えばいいじゃない」
「また会ってくれるの?」
「私は会いたいと思ったけど」
「電話番号も教えてくれないのかな、と思ってさ」
「聞けばいいじゃない」
「教えてくれるの?」

(お調子者なのに電話番号は聞けないのね…シャイなのかな?)
その場で電話番号を交換し、今度は私の地元の花火大会に誘うからね、と約束して私たちは○○橋で分かれました。

一人で家に向かって走りながら、色々ありすぎた長い一日だけど明日になってもきっと覚えている、
明日になったら電話してみようと思いながら。



戻る