− ヒロ◆bEwXqsQAjo さんの恋愛話(その1) −

彼女と初めて話したのは今から8年くらい前
中一の時でした。
名前は千尋と言って自分が幼稚園の時に一緒だった政克と同じ小学校だと話してました
千尋さんは当時160あった自分と同じくらいで長い髪を左右二つに縛っていたのを覚えてます。
それからたまに会話するようにはなりました。
中一の後半くらいになって千尋さんは長かった髪をバッサリと切ってショートカットにしてました。
まるでイメージが変わってビックリしたことを覚えています。

千尋さんとは中三になるまでクラスは別のままだった。
その間も本当にたまに挨拶したり軽く話したりとで時間は過ぎていき中三になった。
中二の時にあった宿泊学習ではクラス全体で大きなボートに乗って操縦するということもあってなかなかに楽しかった記憶がある。
二泊か三泊くらいの日程で最終日の午前中に千尋さんのクラスが優勝して自分は心の中でおめでとうと言ってたことを覚えてる。
中三になってから同じクラスになり「同じだね」と話したような気もする。
中三の初めの行事にオリエンテーリング(またの名をウォークラリー)があり班決めで同じ班になった
自分が班長となりみんなでコースを話し合い三パターンあるコースから途中にある問題もさほど難しくなく長さも三つあるうちの中で真ん中というちょうどいいコースを選び出発した。

先にオリエンテーリングの結果から言うと学年の中ではペケだった。
途中の話はみんなが歩き疲れてペースが遅くなってるところを自分がずんずん歩いていき
「体力あるなぁ、おまえ誰か掴んでけよ」
「ヒロくん体力あるから平気だよね」
の流れで千尋さんはしばらくおれのリュックを掴んでた。
「頑張ってみんな」
と平静を装いつつも単純にうれしかった。
二年間で自分も千尋さんも背は170になり何か近いものを感じていた自分はそこから彼女に対する気持ちが変わってきたのかもしれない。
ずんずん歩いてたのはすでに学校へ帰還する時間を過ぎていて早く帰還したかったってのがあった。
帰還してペケになって何も言われなかったのだけは救いか

その後少しして学活で前期の委員会を決める話し合いになった。
福祉委員会を決めるところでおれが手を上げて他に誰も手を上げなかったからすんなりと決まった。
次に女子を決めるところで千尋さんが手を上げこちらもすぐ決まった。
またうれしかった。
この委員会でのことはよく思い出せないので割愛します。

六月に京都、奈良の修学旅行の班決めがありいつもつるんでる友達と組んだら千尋さんは仲いい友達と一緒に自分のところに来た。
「うれしいこと続きだ」
二日目の京都で何ヶ所か行く場所を決める話し合いで予定は嵐山、金閣寺、北野天満宮、三十三間堂となった。
修学旅行は一日目、全体で奈良の大仏の見学だった。
おれらは見おわってから鹿と戯れてた。
二日目は朝から予定の場所を巡り三十三間堂行きのバス停への道中で見つけたわら天神に立ち寄った。
予定にはない場所だけど一応お参りをして次の三十三間堂に向かった。
少し千尋さんと話したかったけど友達と話してて話し掛けられなかった。

旅館についてから千尋さんと話そうとしたけど部屋は違うし女子の部屋に行く勇気もなくて行ったところで追い出しくらうだろうからやめた。
夕食の後に自由時間があってみんなは新京極へ行った。
千尋さんに話し掛けたかったけど当時(今もなんですが)好きだったミリタリー関連のものが売ってる店へ友達と行き
「SWATベスト売ってるよ!すげぇ!」なんて言ってた。
三日目は学校全体で清水寺へ行った。
色々売ってるバッタモンについて少しだけ千尋さんと話せた。
「よかった」
そんな気持ちで清水寺を後にし帰りのバスに乗って京都駅へ到着し帰りの新幹線に乗った。
新幹線の中で千尋さんと仲のいい友達からトランプ貸してと言われ渡したら千尋さんを含めた四人で遊んでた。
「楽しそうだなぁ」
まじって遊びたかったけど眠かったから東京駅まで眠ってた。

東京駅に着いて帰りのバスに乗り換えてからは学校まで二時間ほど
その間はカラオケする人がいたり映画を見たりですぐに時間は流れた。
学校へ到着して千尋さんに話し掛けようとしたら疲れてるようだからやめておいた。
次の週に修学旅行のことを話した。
ありきたりの話だけどやっぱりうれしかった
夏休みに入ってからは特に何もなく長い期間が過ぎ九月になって後期の委員会を決めるときには別の委員会へ千尋さんは入った。
あまり一緒になる機会は前ほど多くなくなり引っ込み思案な自分はなかなか話し掛けられずもどかしい毎日だった
たまに話し掛けて色んな話をしてる時に免許が取れるようになったらバイクの免許を取りたいと言った覚えがある

「免許取ったら乗せたげるよ」
とか
「乗せてよ」
というようなやりとりはなかったけどやっぱり会話できるってだけでうれしかった。
卒業間際になりクラスのメンバー一人一人の自己紹介を含めた文集を作ることになった。
できあがって配ってから千尋さんのところを見てみると他の女の子同様に寄せ書きみたいになっていて
「何もないところでこける人は初めて見ました」
とか
「ちっとりぼけちょるん人が友達にいてよかった」
などのことが書かれていた。
これを見て少し天然入ってる人なんだって言うのを初めて知った。

当時の自分の中では千尋さんは他の女子と比べると話しやすくて多少好きな気持ちのある子って認識だった。
高校入試があって高校は無事志望校に決まった。
入学してから知ったことだけど千尋さんも一緒だった。
うれしかったけど学科が違うせいで余計に話すことも少なくなった。
たまに見かけるとなんでか前みたいに話し掛けられなかった。
すれ違う時
「制服似合うなぁ」
なんて思っても話し掛けられずにいた。
思い切って話し掛けて
「制服似合うよね」
「そっちはどんな感じなん?」
と聞けばよかったと今は思う。
そんなことがありながら夏休みに入りぐうたら生活を過ごして九月になった。
なぜかはわからないけど学校へ行っても不思議と千尋さんに会わなくなった。
一日に一回くらいはすれ違うことはあったのにそれさえもなかった

記憶にあるのはスーパーでパンを買い込んで帰ろうとしたときにすれ違ったのが一度だけ。
不思議なこともあるもんだなんて思ってた。
それから10月になり初めて体育の日が10月の第二月曜となったことによりできた三連休が明けた火曜日
忘れもしない1999年10月12日
その日は朝飯を食わずに学校へ行った。
チャリをこいで学校の目の前に来たところで時計を見たら8時31分だったのを覚えてる。
チャリを停めて教室に入りカバンを置いていつものように友達と話してると千尋さんが事故にあったと聞いた。
冗談だろって気もしたけど救急車の近づく音が聞こえてきたので本当なんだなって思った。
朝会、一時間目、二時間目、三時間目とずっと無事でいてほしいと祈ることしかできなかった。
三時間目の終わる頃緊急の全校集会を行なうから生徒職員は体育館に集まってくださいと放送があった。

千尋さんのことだろうと直感した。
だけどずっと無事でいてほしいと祈り続けてることに変わりはない。
体育館へ全校生徒が集まり教師も集まったところで校長が壇上に上がり話を始めた。
「みなさんに悲しいお知らせがあります、今朝八時半頃に千尋さんが事故に遭い・・・」
そこまで来たところで先も聞かず
「あぁ、知ってるさ。で、いま緊急手術の真っ最中なんだろ」
と思ってた。
次に続いた言葉はできることなら聞きたくはないものだった。
「即死しました」

「即死」
この言葉は
「絶望」
へと変わり
「苦しみ」
となる。
「嘘だろ!なぁ嘘なんだろ!こんなのありかよ!」
千尋さんのクラスを見れば同じクラスの女の子たちはみんな泣いてる。
「嘘じゃねぇのか・・・」
脱力感どころではない全てを失ったそんな気がした。
「なんであの子が・・・順番違うだろうが!」
「おれが先だろ!なんでおれじゃないんだ!」
「おれなんて生きていてもしょうがないのに・・・」

全校集会の後は昼飯を食う気もせずただぼうっとしてるだけだった。
何もする気が起きない。
午後の授業もうわの空で受けてた。
家へ帰ってから部屋に籠もりラジオのスイッチを入れた。
狙ったかのようにロード第二章が流れてた。
今までこらえてたのが一気にあふれてきた。
「あの日あの時、きみと出会っていなければ、こんなに悲しいことも、なかったと思う、でも会わなけりゃ、もっと不幸せだった」
こんな時に聞いたら泣くなって方が無理な話し
涙があふれてとまらない。
少ししてからとりあえず夕飯を食ってまた部屋に籠もり中学の卒業アルバムや文集を眺めてた。
写真や文を見ながら当時のことを思い浮かべる
千尋さんの笑ってるところを思い出して涙が出てきた。
翌日は学校が終わって帰宅してから花束を買い事故現場へ行った。
千尋さんのクラスのみんながいて何事かとおれを見ていたが花束を出すと拍手が起きた。

「そんなために来たんじゃない、そんなものいらない」
言おうとしたけどみんなの気持ちを大切にして花束を置いたらさっさと帰った。
この場にいると泣きだしそうだったし人に泣いてるところを見られたくないから帰った。
うちに帰ってからやっぱり泣いた。

通夜に葬式と過ぎて友達と一緒に墓参りへ行った。
お母さんと話して写真をもらえないか聞いた。
二週間近くたって10月24日に千尋さんの16の誕生日と言うこともありみんなでまた集まった時に写真をもらった。
ディズニーに行った時の写真らしくにっこり笑ってピースしていた。
うちで眺めてたら自然と泣いてた。
その年のクリスマスに尋ねたら形見にと黒のニット帽とグレーのマフラーをもらった。

事故から半年たって少しだけ落ち着きを取り戻せたこともあり四月に原付の免許を取った。
家に帰ってから自転車に乗って一番に千尋さんの墓前に報告へ行った。
家から10km離れてるけどそれぐらいどうってことなく到着してから近況報告をしていつものように
「好きだよ」
としめて墓地を後にした。
それから次の週の土曜になってバイクを買いに行き初めて買ったバイクはNS-1
納車の日もバイク屋へ取りに行ってから家に帰る前、慣らし運転とかこつけて一番に千尋さんのところへ行った。
それからエイプに乗り換えたときも
事故って足折って入院して退院してバイクに乗れるようになってからも
車の免許を取ったときも
高校卒業したときも
短大に入学したときも
中型の免許を取ったときも
今の愛車ホーネットが納車になったときも
いの一番にまず報告しにいった。

前みたいに千尋さんになかなか話し掛けられなかったおれはもういない。
だけど悲しいかな・・・
ちゃんと話したかったことがたくさんあるのにな
ちゃんと
「好きだよ」
って言いたかった。
千尋さんの写真を眺めてから眠りにつけば
時々、ほんとに時々夢に出てくる。
夢に出てきたときは話し掛けられなかったのが嘘のように楽しく話してる。
「今なにしてる?」
「学校は?」
なんてことを
夢に出てきた次の日は何もないけど墓参りに行くときもあるかな?

去年の10月24日は千尋さんの20回目の誕生日だった。
学校の帰りに赤とピンクの薔薇の花を10本ずつ20本買い束にして墓前へと供えた。
「20回目の誕生日おめでとう」
の気持ちと一緒に
「成人式はどんな形でもいいから来てほしいな」
って言葉もこめて


今でも自分にとってクリスマスにもらったニット帽にマフラーと写真は大切な宝物です
自殺を考えた時期につなぎとめてくれたお守りに近いところでもありますが



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