− ジジィ さんの恋愛話 −

止まっていた歯車が大きく動き出した日。

秋風が肌に染みる夕暮れ。
俺はいつもの様に、道路に面した自宅の庭で愛車をメンテしていた。
他に趣味らしいものは、何ひとつ持っていない。
花の20代も中盤に差し掛かった独身男の小さな楽しみだ。
自宅は比較的、都会と呼べる場所にあるにもかかわらず、無骨な機械と戯れるだけ。
勿論女に縁なんて無い。

しかし、その日は違った。

いつも、俺の即席ガレージの前を通る幼馴染みの恵美が話し掛けてきた。

「またバイクいじってるの?そんな格好だと風邪ひくよ。」
「よう!久々に話し掛けてきたな。風邪なんかひかないよ。俺は救いようの無いバカだからな。」

恵美が話し掛けてくると、どうしても愛車のメンテは中断する。
しかし俺は、少し煙ったく思いながらもついつい彼女と話し込んでしまう。

「お前こそ、そんな薄着じゃ風邪ひくぞ。」
「大丈夫だよ。それより、土曜の夕方だってのにバイクと二人きりなの?」
「そうだよ。俺、友達も彼女もいないしな。」
「寂しい週末だねぇ。」
「余計なお世話だ!お前こそ、こんな時間に一人で散歩か?」
「……うん。今日、彼氏と別れてきたんだ。家に引き篭もってても、落ち込むだけだから……」
「そっか。聞いて悪かったな。」
「別にいいよ。隆二(俺)と話せて少し気が紛れたから。」
「なぁ、あと少しでコイツのメンテが終わるから、少し一緒に走るか?」
「えっ?」
「俺と一緒にバイクで走らないかってこと。」
「わたし、バイク乗ったことないし正直少し恐いかも。」
「乗ったことないなら、今日乗ってみようぜ!俺がいつもコイツと一緒に居る意味が分かると思う。
 でも、その前に一旦家帰って着替えてきな。長袖、長ズボン、できれば踝隠れる靴。これは譲れない。」
「今日の隆二、なんか強引だね。分かった。着替えてくるね。」
「あぁ、俺もそれまでには用意しとくよ。」

普段の俺なら、決してこんなことは言わない。
ただ、何とも言えない寂しそうな恵美の表情に「元気付けてやろう!」っていう、幼馴染みの優しさ。
この時の感情を表すとしたら、多分こんなところだろうと思う。


書き忘れたが、俺の愛車はカワサキW1。
現行のW650の元祖で、死んだ親父の形見でもある。
コイツはシフトペダルが右側・ブレーキペダルが左側と、現代のバイクには無い珍しい操作系統を持った
車輌のため、乗りこなすにはある意味特殊な技術が必要になってくる。
また、振動が激しい為か、年がら年中ボルト・ナットが紛失してしまう。
俺がいつもメンテしている理由はこんなところだ。


チンタラ整備していては恵美を待たせてしまう。
俺は急いで分解したパーツを組み上げ、愛用の黒い皮ツナギと編み上げの安全靴を身に纏った。

出発の準備が整い、彼女が来るまで一服していようとタバコに火をつけた。
しかし、それと同時に恵美が到着。
俺は慌てて火を消して、早速ヘルメットとゴーグルを手渡した。

「とりあえず海でも行くか。」
「うん。どこでもいいよ。」

俺の自宅出発なら、国道1号線を少し走ればすぐに湘南に到着する。
出発時、辺りはすでに真っ暗だったが、失恋後に夜の海を拝んで感傷に浸るのも彼女には必要かと思い
俺は目的地を江ノ島に設定した。

俺の愛車のタンデムシートに座るのは、お袋から数えて恵美で二人目だ。
親父とお袋は、コイツでそこらじゅう走り回ったらしい。
そう考えると、振動はかなりキツイが古いバイクも感慨深いものがある。

「着いたぞ!」
「少し寒いけど、夜の海ってキレイだね。」
「振動、キツくなかったか?」
「ううん、大丈夫。バイクって気持ちいいね。それと隆二に対するイメージが少し変わったかも。」
「あ?どんなふうに?」
「何か、やっぱり男の子なんだなぁって……」

そんな会話を交わしながら、恵美は水平線を見つめながらボーっとしている。
俺は、到着と同時に自販機で買った缶コーヒーを恵美に手渡した。

「……わたし、別れた彼とは3年続いたんだ。でも最後の1年間、お互い結婚を意識しだして何か変わったの。
 それまで築き上げてきたものが変わってしまいそうとか、将来に対する不安とか、そんなことを口に出すに
 つれてケンカも多くなってね。結局お互いに冷え切っちゃったみたい。」
「……そっか。」
「だから失恋したっていっても、それほど悲しくはないんだよ。必然的に別れの時が来ただけ。
 心配してくれたでしょ?ゴメンね。」
「……」

何も言えなかった。
恵美の表情を見る限りでは、とてもこれが本心とは思えない。

俺は小さい時から恵美が好きだった。
この気持ちはずっと続いている。
だから、寂しさを紛らわす為に無理している様子が手に取るように分かる。
だが、この時はどうすることも出来なかった。

俺たちは暫く海を眺めながらボーっとしていた。
お互いに話したくても、全く言葉が出てこなかった。

「そろそろ帰るか。」
「うん。海、綺麗だったね。連れてきてくれてありがとう。」
「気にするなって。また来ような。」
「うん。」

この日、自宅に着いたのは午前2時だった。
そして次の日、俺はお袋に叩き起こされた。

「ちょっと隆二!!」
「なんだよ、まだ8時じゃねぇかよ……」
「あんた、恵美ちゃん亡くなったって……」
「…なっ!!?」
「今朝、恵美ちゃん首吊って亡くなったんだって!!」
「おいっ!!いくらお袋だからって、適当なこと言ってんじゃねぇよ!!!」
「本当だよ。今さっき、電話があったんだから……」

よく見ると、お袋の目の下が赤く腫れている。
当たり前だ。
お袋は、冗談でこんなことを伝えられる人間じゃない。
俺は自分の布団を握り締めて、生まれて初めて声が潰れるまで泣いた。

それからのことは、正直あまり覚えていない。

今思えば、彼女と最後に過ごした人間は俺だ。
ひょっとしたら彼女を救えたかもしれない。
だが、いくら悔やんでも彼女とは二度と会えない。
そして俺の恵美に対する片思いも、この時点で終焉を迎えた。



戻る