− moto12 さんの恋愛話(その2) −

こまりちゃんとは余り会わなくなった。
年に3回か4回くらいかな。
大抵向こうから「元気で生きてるの?」ってメールが来て、
ちょちょっとメールのやりとりをして、
じゃぁ会おうかってことになる。
だけでその都度気まずく別れてしばらく期間があく。
で、ずーっと会ってないなぁって思うころ
こまりちゃんからメールがくる。
この繰り返しだ。

正直、こまりちゃんと会うのがかなり面倒になっている。
だって、会ってもやることが無いんです。
以前はバイクであちこち行ったけど、
いまのバイクはほぼ1人乗りだし。

なので会ってから「何しよっかー」って発言を応報して、
結局はカラオケボックスに落ちつく。
さんざ歌ってからメシ食って喫茶店行っておしゃべりして、
そこからサヨナラするまでが苦痛なのです。
酒のむ人はバーにでも行けばいいんだろーね、
そーすりゃ他の展開が開けたりもするかもしれない。
だけどおれは酒飲めないし、飲み屋も別に好きではないってことを
彼女が熟知してるので、飲み屋っていう選択肢はでてこない。

すると、サヨナラへ至る時間が苦痛なんです。
互いに名残惜しそうに、「さー、どーしよっか」を繰り返し、
結局はそこでお別れする。
だから、こまりちゃんと会うと後味はいつも決まって悪い。
そこから先、彼女が何を「どーしよっか」と言っているのかは
よく分からない。実のところ自分自身が何をどーしたいのだかも
しっかり把握できていなかったりもする。
(おれに彼女がいたときもいなかったときも、いつも
 サヨナラは「どーしよっか」だったし)

以前自由人だったころは、そのときのノリで朝まで遊び明かすってのも
多かったし、夜になったからお別れするっていうのがしっくりこない
だけのことかもしれないし、もっと深い何かがあるのかもしれない。

ま、それが何であれ、結局こまりちゃんと会うと、
サヨナラがスッキリしないで、会うたびに、
2人の間に薄いカベができちゃってるような気がして、
おれはあまり積極的に彼女と会おうとはしなくなった。

で、一番最近でこまりちゃんに会ったのが今年の6月だ(7月だったかな)。
Tシャツ一枚ではまだ微妙に寒くて、おれはYシャツを引っかけていた。
彼女は化粧等々に3時間かかったとかいって、相変わらず美しかった。
とはいえもう10年のつきあいだからね、彼女ももう**歳か。

で、それは決定的な日だった。

例によってやることがなくて、いつもこうだねまったくなにやってんだろー
ってな諦めムードで、向かうはカラオケボックス。
歌舞伎町を歩いていたらカラオケの有名チェーン店があった。
ここでいいか、と足を向けると、そのビルの入り口にいた
客引き風のこぎたないおっさんが「あ、いまは2時間待ちだよ。
別館なら空いてるけど」と、そのビルに隣接する地下への入り口を指さす。
あとで思うに、あのでっかいビルの有名チェーン店が真っ昼間っから
2時間待ちのハズがないし、あのおっさんは地下の店の客引きだった
ようだ。
これには誰もが気付くはず。
でも、カップルを地下に先導する限りにおいては、そのカップルから
あとでクレームが付くってことはまず少ないのだろう。

ワンフロアー分地下に下ったところには薄暗くて、
怪しげな秘密倶楽部の入り口のような雰囲気だった。
階段を下りきったところに、行く手を阻むようにして
カウンターが正対しており、ラブホテルの受付が似合いそうな
おばさんがボソボソとつぶやく。
「おひとり1時間1200円です。ご利用時間は自由にしてください。
 こちらからのお呼び出しはありません。いいですか?」

は? 何ですか?

と聞き返してしまった。だって、何を言ったのだかさっぱり聞き取れなかったし、
カラオケってーと利用時間きかれてウソの氏名住所電話番号を書き込むって
ものだと思ってたので、いきなり一方的にしかも小声で縷々述べられても
反応できなかったんだ。
このおばさん、ほんとに接客業なのかよ、とこまりちゃんも思ったらしい。

ひとり1時間1200円、こちらからは呼び出しません、いいですか?

と、おばちゃんがくりかえす。

「あ、いいですよ」と答えると、部屋番号を書いた札を渡された。
どっちですかと問うと、部屋の方向を指さされた。
進むに連れて地下通路の照明は絞られていくし、
怪しげな秘境に分け入っていくような頼りない心持ちになる。

「わー、やったぁ」と、こまりちゃん。
見ると、通路にテーブルが置かれ、その上に
ファミレスのドリンクバーに置いてあるような、
ジュースが出てくる機械。横には積まれた紙コップ。
フリードリンク制です、と書かれた紙がはってある。

「やったー、わたしコーラぁ。12さん何がいい?」
こまりちゃんははしゃぐが、なんだかキタロウの妖怪アンテナが
ピピピと反応しそうなほど怪しげで妖気漂う雰囲気だった。

それぞれ紙コップを片手に暗い通路を歩き、目的の部屋番号に到達。
扉をあけて驚いた、というか、ここがどこなのかを察した。

入り口で靴を脱ぐスタイルの部屋。
絨毯敷きで、部屋の奥にはベタベタもつれ合うカップルに
フィットする1.6人掛けのようなソファー。
移動式の小さなテーブル。その上にはティッシュの箱。
意図的にそうしてあるとしか思えない、
絨毯の広いスペース。
「うわ、やだここ。何よ」こまりちゃんも、ここがどこだかすぐに悟ったようだ。

ここがどこかって?
そこはカラオケボックスです。確かに。
カラオケの機械とTVモニターとマイクが2本置いてある。

見回すと、「呼ばれない限り、部屋のドアは開けません」と
汚い字で書かれた紙がカベに貼ってある。

「うわ、なにこのソファー、汚そう」と絨毯の上に腰を落とし、
ミニスカートの裾をひっぱって太股を心持ち隠しながら、
「12さん、部屋の中って暑くないよね」
「ん」(発言の意図を図りかねる疑問形の「ん」)
「上着をさ、とりあえずドアに掛けちゃってよ」

自分たちの入ってきたドアを見た。
木のドアなんだけど、肩の高さのところに丸い磨りガラスが
はめ込まれている。たぶん消防法だか風営法だかの関係で、
完全な個室にして外からの視線をシャットアウトすることは
許されていないのだろうと思う。

で、ドアのてっぺん付近にハンガーが1つ。
こまりちゃんに促されるままそのハンガーにYシャツを掛けると、
室内は完全な個室になった。
この工夫には、あぁ、なるほど、と感銘を受けてしまった。

こまりちゃんの方へ振り向きがてら、
「呼ばれない限り、部屋のドアは開けません」という張り紙がまた目に入る。

ここはそーいうところなんだな。あの変な客引きとか
接客しないフロントの対応とかは、フリードリンクとかは、
ここがこーいうところだからなんだ。
ご休憩にくらべてそんな安いっていう気もしないけど、
普通のカラオケボックスに行くふりしてワザとここに
女を連れてくるようなヤツには、こーいう店って
需要があるんだろーな、とどーでもいいことを考えながら、
さて、おれはどーしようかとちょっと考えた。

で、とりあえずは部屋の一番奥のソファーに座った。
前とか横からこまりちゃんを見ると、下心なんかなくたって
ミニスカートに収まりきらない太股に視線が吸い寄せられて
しまうだろーから、泣く泣く彼女の背後に陣取ったってわけです。

「この店ヤダぁ。カラオケボックスなのに周りの部屋がみんな
 やってるなんて思うと気持ち悪い。まさかコンドームなんか
 部屋の中に置いてないよね」

とこまりちゃんは周りを見回し、そーいうものが置いてありそうな
場所が無いのを確認して、ふーっとため息をついた。
長いつきあいで今更どーこーするきもないから、
そんなに予防線を張らないでくれよとおれは内心うんざりした。
いや、ウソだ。もしかしたらっていう可能性に心の一部が
ほんの少し上気しかけていたかもしれないような記憶もある。
その想いを、何もない前からそんなに完膚無きまでにたたきつぶさないで
くれよー、って思ったような気がしないでもない。

カラオケのTVがあって、小さいキャスター付きテーブルがあって、
こまりちゃんが座っていて、その背後。部屋の一番奥のソファーに、
おれは大の字的に手足を伸ばして座っていた。
1.5人掛けくらいのカップルが身を寄せ合うべきソファーで
こまりちゃんの座れるスペースを空けておくのもイヤラシイから、
そのスペースをフルに占拠したってわけです。

イヤ、おれが言いたいのは、祖だーに広々と独りってことじゃなくて、
前後に座った2人の奇妙な位置関係。思えば、もう初っぱなから
なんだか変に意識してギクシャクしていたのかなぁ、と。

おれたち2人は結局やることが無くてカラオケばかりってのは
前に書いたと思う。これじゃあイカンってことは2人とも思ってる。
なのでおれたちは、同じ曲は絶対2度と歌わないっていうルールをつくった。
歌う曲が無くなったらカラオケ以外の何かを捜さなきゃならなくなるどろうってことで。

で、そのルール決め以来何度もカラオケやってるので、
実際に歌う曲が残り少なになってしまった。
おれはミスターロボットとかビディオキ〜ルザレイディオスタ〜(あーわあーわ)
とか、そんなのを。こまりちゃんは日本の女性ボーカルの古い曲に遡っていた。

2人ともメロディーろサビだけはうっすら覚えて、
曲が流れればなんとかなるかなってのを無理矢理歌ってた。
ところで、歌謡曲っていわれていた頃の日本の古い曲って、
抽象表現が少ないっていうか、結構限定された1つの出来事を
きっちり説明し尽くすものが多いじゃない。
(多くないかもしれないけど、ま、いーやさ)

で、変な位置関係のまま数曲ずつ歌って、
20分経過したくらいかな。
こまりちゃんのかけた曲がね、その歌詞がすごかったんです。
はっきりいっていたたまれない気分にさせられた。
言い回しとかは全然覚えてないけど、こんな感じの詩。

わたしに1回ふられたからっておどおどしないでよ
嫌いだったらこんなに一緒にいるはずがないじゃない
あのときはいろいろ事情があったのよ
変に線を引かないで、あのころのようにもう1回わたしに手をさしのべてよ
わたしはずうっと貴方のことを好きなのに
どうしてあなたは大事なところでいつもそうやってよそよそしいの?

うわ、とかヤダ、とか言いながら、とりあえず彼女は2番くらいまで歌った。
おれはおろおろしてた。平気な顔で聴いていられる曲じゃない。
しっかり自制していないと、何かしらのメッセージなのか?と勘ぐってしまいたくもなる。
彼女の後ろにいるので互いに顔が見えない。
この位置関係でよかったと思った。

こまりちゃんは、途中で演奏停止ボタンを押した。
「あーやだ、何この曲。こんな歌詞だったなんて記憶になかった」
おれに話しかけるっていう感じではなく、前を向いたままの
大声での独り言を装う感じだった。

どう反応すべきなのか、なんていう言葉をはさめばいいのか
判断できないでいると、慌てふためく彼女に対しておれが無言の
プレッシャーを掛けているような感じになってしまったのか、
彼女は早口になってなおも言葉を継ぐ。
「こんな曲、ぜんぜん感情移入できない。それどころか、
 歌っててすごく気分悪くなっちゃった。なに、この歌詞。
 こんなの詩になってないじゃない。あー、もう。やだやだ。
 こんなツマラナイ内容だなんて覚えてたら、こんな曲
 かけなかったのに」

おれは相変わらず反応できない。
こまりちゃんが取り乱す原因が分からないでもないだけに、
おれがどう対応すべきなのかもさっぱり分からなかった。

この曲は、彼女の思いを乗せたものなんかではありません。
残念ながら。
だって、演奏ストップボタンだし。
彼女の想いに幾分かぶるところがあって、だから恥ずかしくて
演奏停止なのかもしれないけど、ああまで全否定されちゃあね。
そこに甘い幻想なんか抱くとけっ飛ばされてしまいそうで。

でも、彼女が取り乱してるからね、こんなにも取り乱すのを見たのは
初めてだったから、自然な流れとして少しからかってみたくもありました。
彼女は腰を捻っておれの方を向いていました。
おれにマイクを渡すためです。
でも、おれはそのマイクを受け取らずに、
黙って彼女の眼をじーーーっと見つめました。

無言でこまりちゃんの瞳を見つめるおれ。
「ち、違うのよ。何か特別な意図があって選んだ曲じゃないの」
「・・・・・」
「あー、ほんとよ、ほんと。リズムをうっすら覚えてただけなの。
 ほら、motoさんの曲始まっちゃったよ」

こまりちゃんはおれの方に近寄り、マイクを口元につきつける。
ア〜ア〜、ア〜アア〜アアアア〜ア〜アア〜ア〜
と、ターザンボーイの間抜けたコーラスが始まる。
素直にこの曲を歌って笑いをとれば、それで雰囲気を持ち直すだろう。
でも、おれと彼女の関係を考えると、愛とか恋とかそーいった類の
ものに今以上に近づくことは、もう二度とないだろうと思った。

彼女がおれをどう思ってるのかなんて分からない。
都合のいい彼氏の代役ってとこだろう。
おれも彼女を彼女の代役的に扱ってるわけだから、それはそれでいいんだけど。
でも、彼女が取り乱しているのをみると、一時的ではあるにしても
代役の域を踏み越えかけているようでもあって、もう少しこの雰囲気を
楽しみたいと思った。ああまで取り乱されると、自分が彼女に惚れられているような
錯覚にすら陥るよ。
だって、その瞬間において、おれは彼女に対して絶対的な優位にたっていたんだから。

だからおれはこまりちゃんの瞳を見つめたままで、
歌い出しもしなければ、マイクを受け取りもしなかった。
代わりに、マイクを突きつける彼女の右手をマイクごと両手で包み込んだ。
瞬間、こまりちゃんは固まった。
おれを見返していた彼女の瞳は下を向いた。
「な、な、な」と彼女は何かを言いたげだったけど、言葉にならない。

おれは彼女ににじり寄った。
別に、両腕に力を込めていたわけでもないので、
彼女はそれを簡単にふりほどいてマイクを持ったまま前(モニターの方)を向く。
言葉はとっさにでてこないけど、それでもおれの寄り切りを避けようって感じだ。
そのときおれは彼女のすぐ後ろ。
そのまま構わず、彼女の後ろから抱きついた。
前を向いて縮こまる彼女の小さな肩を両腕で優しく包み込んだ。
もう自然な流れとしか言いようがない。
おれの唇はおれの脳からの命令を待たず、勝手に彼女のほっそりした
うなじに吸い付いていた。
「んっ」という零れる吐息を聴いて、おれの唇はまたも勝手に
うなじのラインを軽くなぞってから、ちゅーっと吸い付いた。

「あ、待って。待って、motoさん。ねぇ、motoさんって、わたしのこと好きなの?」
「ん、好き? うーん、もちろん嫌いじゃないけど」
「わたしに惚れているの? それとも、恋してるの?」おれに抱きつかれたまま、
 何の抵抗もしないまま、それでもこっちを牽制するような口振りだった。

「うーん、質問が難しいよ。なんというか、よくよく考えてみたところで
 自分の心って、うまく言葉にできないことが多いしさ」
「できるだけ、こういう行動になった動機を言葉にしてみてよ」
「とりあえず、こまりとはこのまま仲良くしていたいと思ってる。
 こーいう状況でそーした質問がでてくるあたり、やっぱりこまりは
 何というのかな。何だか言動が新鮮で、性別に関わりなく仲良くして
 いたいって思うよ。ほんと。実際に、いまのその質問にも新鮮な感動、
 感動ったら大袈裟だけど、なにがしかの脳みそ側の喜びを得てるし。
 でもそれとは別に、抱きついたあとからかもしれないけど、肉体的な
 喜びというか、性欲を感じてはいる。抱きついちゃったのは、
 そっちが動揺してたことから始まった自然な流れってとこかな」

「で、こまりはどーなのさ」そっちに質問を返してから、もう一度うなじをチュゥっと吸った。
「んっ、待ってよ。そんなことしたら喋れないでしょ」
「いやさ、ノド鳴らして空気の固まり吐きつつさ、つっかえつっかえ喋るのって、いいもんなんだよ」
「うわ、それってエロおやじみたい。大丈夫、motoさん? 働き過ぎですり減っちゃったんじゃないの」
「んなことないけどさ。「エロ」はいいけど、「おやじ」とはショックだね」ここでもうひと吸い。
「んっ、待ってって・・・ んっ」
「おやじはね」脇腹のくびれを下からゆっくり優しくなで上げ、彼女の胸にもてをかけた。
「おやじは自分の若さを証明するため、必死で相手を喘がせなきゃあなんないんだよ」
「ん、ん、ん。バカ、待って。ほんとに待って」

彼女の語調が強かったので、素直に、というか気圧され気味に手を止めた。
実際、これまでの2人の関係を考えると、どこまで進んでいいものやら
精神的には手探り状態だったし、長い台詞を喋るにあたって下半身から
脳みそへ血が帰っていってしまっていたし、流れというか惰性で
そうした行為を繰り返していたようなきらいもあったし。

そのまま間があいたら気まずい雰囲気になりそうだったんだけど、それを回避
したかったのか、こまりちゃんの舌が滑らかに動いた。
「わたしは・・・、わたしも、motoさんとはこのまま仲良くしていたいと思ってるよ。
 motoさんに衣擦れの音を聞かせてあげつづけるって言ったものね。」

彼女はおれの方へ向き直って、「このまま今の雰囲気に流されちゃっても
いいんだけど、それで今の関係が変になっちゃう可能性があるんだったら、
このままカラオケだけにしておいても、私は別に構わないんだけど」

「カラオケだけにしておいても」?、「構わない」?、「私は別に」?
こーやって細かい言い回しに過敏に反応してしまうのは行き過ぎなんだろうか。
ともかくおれの戦意(性欲)も急激に萎えてはいた。その原因がそのときに
判然としていたわけではないだろうけど、今にして思うと、2人とも同じ
虞で踏みとどまっていて、それならそれで無理に一歩踏み込む必然性もないや
と感じたのだろうか。

「ごめん。劣情もよおしちゃったおれが悪かった。遠因がこのおかしな店であるにしても、
 ともかく変なアクションおこしちゃったのはコッチだ。とりあえず、ここ出ようか。
 まだカラオケするなら、別の店に入り直そう」と先に立ち上がった。

セックス覚えたてのガキじゃないし、やりたいっていう未練が後ろ髪引いたりはしなかった。
こまりちゃんが口にした「衣擦れの音」ってので、おれは気分よく満たされてたしね。

もう何年前だか分からないけど、彼女と見た「シラノ・ド・ベルジュラック」て映画のことだ。
ドパルデューが主演のやつね。あれのシラノが死ぬ寸前の台詞。
自分を愛してくれていたのはシラノだったのだ、とロクサーヌが気付いたとき、
すでにシラノは死ぬ寸前。彼女は彼にしがみつく。で、シラノが言うんだ。
「おれの***(失念)な生涯で、女性の衣擦れの音を聞くことができたのは
 キミのおかげだ」(それで充分満足だから何も悔いることはないよってな意味)

ふたりして結構感銘受けてね、「あぁ、おれも死ぬ間際にこまりに向かって
 あーしたこと言えたらいいなぁ」って言ったんだ。映画の感動にまかせて
口をついた放言に過ぎなかったと思うけどね。
でも、それがこの(果たして一線超えてしまうのかっていう)タイミングで
彼女の口から発せられたってことがなんだか感動的で、もうこの瞬間
おれの性欲は完全に消し飛んでいた。

「うん。じゃ、とりあえず出よっか」と、彼女も立ち上がる。

でも、なんというかね、ちっとも未練が無かったって言ったら嘘になるんだろうね。
先に出口へ向かった彼女を、後ろから軽く抱きかかえた。
「でも、ちょっとだけ。ほんの少しだけ。もー、こーいうのは繰り返さないから」

おれの腕の中で身体を反転させた彼女は、おれの肩に手を掛け、伸び上がって
(たぶんつま先立ちになって)、軽く唇を重ねた。
ほんの一瞬の接触だったので、柔らかさなど感じるゆとりもなかったけど、
この茶番を締めくくるにあたっては上等な出来事だったと思う。

以前「決定的」って書いたのは、これで終わり。
決定的ってのは、期待(誤解)させすぎだったかな。
こまりちゃんはおれにとって彼女の代役でしかあり得ないという前からの
想念が、何があろうと決定的に彼女の代役の域を超えることがないって
ことを思い知らされてしまったっていう意味で、この日のことは
おれにとって決定的なのでした。

で、こんな関係にぬくぬくとしていた自分をピンチだと思った。
こんなのにもたれかかって安心してしまって、考えてみればもう3年か4年か、
彼女がいない、特段ほしいとも思わない、探しもしない、その気力もない
っていうまま歳を重ねてしまっていて、これでいいんだろうかと。
いや、いまはそれでもいいと思ってるんだけどね、だからこのままだったわけだけど、
このまま独りで年取ってって、後で彼女欲しくなったときは白髪混じりだなんて
シャレにもならないし、ちょっと危機感もって彼女を捜すべきなんじゃなかろーか、
と思った。そーいう意味でも、この日のできことはおれにとって決定的と形容されて
よいものだった。



年がかわって、「おめでとう」という件名のメールが届いた。
送信者はこまりちゃん。
サイズは8キロと、文字データだけにしてはそこそこの分量。

近況報告に始まって、いくつかの話題の提起があって、
「バイクに乗りたいけどまだ寒いね。
 でも、近々また逢いましょう」と締めくくられている。

あのカラオケボックス(?)以来1度も会っていないし、
互いに電話なんかも掛けてないので、書くことが多くなって
しまったのだろう。

ま、会って変なモヤモヤ感を味わって、やや気まずくなって
別れて、何ヶ月か経ってから彼女のメールが届いて、
何回かメールのやりとりをしてからまた会って。
このいままでの流れ通りであって、当然来るべき頃合いに
メールが届いた。というだけのこと。

でも、今回のメールにはいつもと違うのが2つあった。

1:締め括りの表現(おれがキチガイなだけかも?)
  いまメール見直したら、「でも近々また、お逢いましょう」
  が正確だった。ま、それはどーでもいいんだけど。
  人と人とが「アウ」場合、それは「会う」だよね。
  立ち会いの「会い」、会合の「会」。
  じゃあ「逢う」ってのは何かというと、ぱっと思いつく
  のは「逢い引き」。そう、逢い引きの「逢う」だ。

  前のスレにも書いたかもしれないけど、こまりちゃんは
  文才に優れている。いやね、いろんな魅力があるんだけど
  特に文才に秀でているとおれは感じてるし、本人自身
  そーいうことを少なからず自負しているようでもある。
  だからさらさらっと書き散らしたようなメールにも
  斬新かつ独特な表現が散見されたりして、表現の
  1つひとつに気を遣っているのがよくわかる。
  そんな彼女が「会」ではなく「逢」の字を選択した。

  うーむ。ま、これはおれが考えすぎなんだろーけどね。

で、2つ目。

いくつかの話題が提起されてて、その一番最後で
一番の分量を割いてるのが「結婚」にまつわること。
要約すると、「そろそろ結婚でも真剣に考えよっかな」って感じ。
それまでの文とのつながりを考えると、なかなかに唐突な話題だ。
この結婚ていう話題が、「1」の「会う」と「逢う」に関する
おれの思考(青臭いガキが文字の裏を透かしみようといろいろ想像し、
ドキドキしてるような、相応な年齢を超えてしまうといたって恥ず
かしい間抜けな有り様)の引き金でもあったと思う。

うーん、結婚ね。
ついにこまりちゃんからもそんな単語が出てきたか、とかなり寂しく感じ入った。
彼女が結婚しようと思えば、相手なんかすぐ見つかるだろう。
彼女が人妻になってしまったら、そうおいそれと遊ぶわけにはいかない。
向こうがよくたっておれが拒否する。
もう人妻とどーのこうのはイヤだしね。
ってなると、こまりちゃんの結婚=異性との関係においては、
おれは独りぼっちになるってことだ。
これを考えるとさみしくってね。
多分年末年始のあらかたを部屋にこもって本読んで過ごしていたので
それはそれで幸せだったけど、こまりちゃんが結婚を考えるってだけの
ことで感傷的になってしまうような下地がもともとできちゃっていた
んだろうね。そう思う。
ほんの一過性の感傷かもしれないけど、おれはそんな心理状態だったので、
すかさず次のようなメールを彼女に返した。

<前略。こちらの近況を報告し、それぞれの話題にも簡単に
 応えた上で、つけたし的に>

ところでところで結婚ね。
実はおれも、すごぉっく結婚したいよ。
昨年さ、同僚のガキ(満1歳)と1時間ほど
じゃれあう機会があったんだ。
あー!とか、だー!とか、うー!とか、
そーいうコミュニケーション。
可愛いね。ほんと可愛い。
昔っからおれは人一倍ガキ好きだったけどさ、
さらにかなりの拍車が掛かったよ。
結婚したい・ガキほしいって思いが今でもしっかり持続してる。
しかし歳をとりすぎちゃうとなかなか相手がいないのよ。
そもそも面倒だからって理由で、相手をさがすことすら
していないんだけど。

で、結婚を真剣に考えるんだったら、急いだ方がいいよ。
こまりだってもうすぐ2*歳になるんだし。
三十路にまでなると、もうタイミング逃したって気がして
くるものだよ。三十路のカベって結構大きいよ。
おれはカベが大きいと感じる。

でさ、もしこまりが相手さがしに疲れたら、
おれにも声を掛けておくれ。
そのときはお見合いでもいたしましょう。

<後略>

そのときの感傷的な気分にまかせてキーボードをかたかた叩き、
推敲も無しでこまりちゃんに上にあるよなメールを送信しちゃったんです。

とはいえ、感傷的な気分に左右されてはいたけど、上に
書いてあることは概ねおれの本心でもあるような気がする。
特に、三十路のカベが大きいと感じるってとこ。
正確には「三十路のカベは大きいと感じた」だ。
そう。昨年末に、カベが大きいなぁって感じたんです。

ともだち数人と飲み屋にで騒いでて(おれは酒なんかほとんど
飲めないんだけど、しゃべるのは好きなんでそれでOK)、
狭い店だったんで隣のテーブルに領空侵犯したり、なんのかんのと
自然な感じで2つのグループが一緒になったんだ。
こっちは全員男。向こうは女。大学出て2年前後の子たちで、
向こうの方が1人多かった。

で、テーブルくっつけて、キャバクラ風に男女交互に座って
いろいろ楽しくおしゃべりしてそこそこ盛り上がってたんだ。
彼氏いないんだとか彼女いないんだとかそんな話が始まったころ
しっかり自己紹介しましょうってことになってさ、ひとりずつ
自己紹介。それなりにうち解けてたから、同性だけじゃなくて
異性からもいろいろとつっこみが入る。

で、おれの番が回ってきた。「おれのフルネームはモト ジュウニ。
ええと、トシは自称25」
普段だったらここでとりあえず笑いがおきるんだけどね。
それより先に「えー、本当はいくつなのぉ?」と女性の声。
「ん、戸籍上の年齢は・・・、忘れちゃった。役所に聞かないとわかんないや」
とごまかしたんだけどね。
すぐさま別なヤツから、おれたちが三十路オーバーだって事実が公表された。
そのときの彼女たちの表情の変化。
いや、変化というか、そのときの彼女たちの顔は表情そのものを喪失した
ような感じで凝固したんだ。

それで一気に場がしらけた。
女たちはノリが悪くなり、おれも含めて男たちは雰囲気を立て直そうとはしなかった。
で、それっきり。

いやね、こんなのが普遍的だとか一般的だとは思わないよ。
若い女の誰もが三十路オーバーの男にこーいう反応をするとは
思わない。
でも、その晩の出来事はおれにとって大層ショックだったんだ。
だって、問題は三十路ってだけのことだよ。その前の瞬間までは
いくつかカップルが乱造されてもおかしくない雰囲気だったんだよ。
だから、必ずそうだってわけではないけれども、三十路っていうのは
ある人たちにとっては、もうただ三十路っていうだけのことで
恋愛の対象からは確実に外れてしまうんだってことを思い知らされたのでした。

別段自分を格好良いとは思っていない。
けど、気分がのったときはしゃべるのが得意・・・というか
しゃべりまくるのと騒ぐのが好きなので、昔から騒ぐ場では中心的なところにいた。
10数名で満員御礼な規模のライダーハウスでは、夜は中心的に騒いでいたし、
そーいうところに女性ライダーが2人くらいいると、彼女たちはおれのまわりに
寄ってきたものだった。(恋愛とかそーいうのではないから、これは自慢の類ではありません)

それがさ、一昨年北海道に行ったとき、すんごいショックを受けたんだ。
ライダーハウスに着いたら若い女性2人と男性1人が何か話してて、
そこに「こんばんはー!」って行ったんだ。
「あ、どうも今晩は」と3人。みんな入浴終えてくつろいでるふう。
「ここって風呂ないんですよね。銭湯ってどの辺ですか」
「あそこに略図が貼ってありますよ」と、うざったそうに男が答える。
彼らは、おれの出現で寸断された会話をすぐに再開。

なんというかね、そのとき「あーあ、おれはもう若者組じゃないのかなぁ。
夜中に酔っぱらって若造に延々説教垂れてるハーレーで独りで北海道まわり
つづけてるようなじーさんたちの輪に加わるべきなのかなぁ」と、
かなり寂しく感じたものだった。

あー、なんだか三十路オーバーの愚痴になってしまって失敬。
とりあえずおれが言いたいのは、三十路を超してしまうと、
二十代のときのように簡単ではなくなることもあるってことでした。



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