− moto12 さんの恋愛話(その3) −
| その倶楽部の大勢が憧れているアイドル的存在だった先輩と 付き合うことになったのは、大学1回生の秋のことだった。 発端は、とてもクダラナイささいな出来事だった。 彼女は3回生。 その倶楽部では、6月の大会が終わると4回生が引退する。 だから、おれが入部してすぐ、こっちが顔と名前を覚えるまえに 4回生はいなくなり、3回生が部をしきるようになった。 体育会系の中でもとりわけ礼儀作法に厳しいところだったので、 1回生からみたら3回生は雲の上の存在。 特に彼女はアイドル的存在だったので、そんな人と付き合うことに なるなんて思ったこともなかったし、そうなることを望むような こともなかった。 そんなのを想像したところで、そこにはリアリティなんかこれっぽっちも なかっただろうと思う。 3回生は、男4人と女1人(彼女、仮にミキさんとしておきます)。 男4人のうち3人は、本人の前でも「ミキさんを好きだ」とか 「おれの女神」と公言して憚らなかった。 いつも決まって冗談っぽい口調だったけど、それが照れ隠しであるのは、 傍目に明らかだった。 2回生は、男7人と女8人。そこそこ綺麗な女が1人いたけど、 男7人中5人はミキさん目当てに入部したと言っていた。 女8人はもちろんミキさん目当ての入部じゃない。 当たり前か。それにしても、そのうち7人はミキ先輩に憧れてる とことあるごとに口にしていた。 そこまで慕われるミキさんてのがどーいう人かというと、とにかく優しい人だ。 おっとりした動作。美しいというより可愛いらしい顔立ち。暖かみのある笑顔。 クラブ活動に打ち込んでいるときの、近寄りがたい凛々しい表情。 そういったのと不釣り合いなグラマラスな姿態。 1回生は男5人と女11人。 男4人は2回生の女に釣られて入部したけれども、すぐミキさんファンになった。 女11人のことはよく分からないけど、2回生の男目当てがかなり多かったらしい。 こーやって書いてみると、なんてひどい倶楽部だ、まるでサークルじゃないか って思う人もいるだろうけど、この年代の男女の重大事っていったら恋愛だからね、 まぁ、こんなもんでしょ。 もちろん誰にとってもそれが入部目的のすべてではないだろうけど。 おれはというと、特に誰が目当てってのは無かった。 高校までやっていたのとは別な運動をしたかったけど、何をしようか 決まらないままでいたところ、高校からの知り合いがこの倶楽部に 仮入部していて「女性が多い倶楽部だよ」って言ったので、そこに 入部を決めた。 (まったくの余談だけど、同期の女性11人のなかにBさんが居た。) 前置きがくどくて失敬。 ま、そんな感じで、とにかくミキさんはアイドル的な存在だったんです。 おれは同期のつまはじきもので、ミキさんなんかとは違う階層に生きていた ので、夏までに口を利いたのは数えるほどだった。 しかもそれらのすべては必要事項の伝達とかそんな感じ。 <つまはじきの理由> 5月に、体育会1、2回生を学食2階に集めた新入生歓迎コンパってのがあって、 飲み慣れない酒(ビール)を無理矢理何杯か飲まされたおれはたちまち前後不覚。 相手の顔は覚えてないけど、舞踏研究会の1回生ときつく抱きしめあって、 執拗にディープキスを繰り返し、まわりで柔道部とか空手部の先輩が、 「きさま、今度シメてやるからな」とか毒づいていたのを覚えてる。 翌日から倶楽部内には、おれと口を利いてくれる同期の女性はいなくなった。 そんなおれを男の先輩たちのほとんどは面白がってくれた。 2回生の女の先輩のなかにもさばけた人が2人いて、 そーいった先輩達が毎晩おれを遊びに誘うようになり、 バカ騒ぎの日々だった。 体育会にはいっておきながらおれは礼儀作法ってのが大嫌いで、 おれと一緒になって遊び回る先輩たちは、そんなおれを許容してくれていた。 そんな状況が同期の男どもには面白くない。 それで同期の男達は先輩達に対して(特に男の先輩達に対して)必要以上に 礼儀正しく接し、まぁそんな感じで、おれの存在は同期から完全に浮いていた。 で、同期の男たちは分かってくれそうな女の先輩たちに 愚痴をたれ、暖かな同意(おれえの非難)を求める。 彼らは、おれをダシにして、女の先輩達と親密になろうとしているようでもあった。 で、「motoと部内のことで相談があるんですけど」とかいって、 彼らはよくミキ先輩を夕食に誘い、ミキ先輩はそれに真面目に対応していた。 だから、ミキ先輩への距離は、おれが一番遠かった。 (まったくの余談だけど、同期の女性全員がおれと普通に口を利いてくれる ようになったのは12月の終わり頃だった。moto人権記念日とかいって、 それを記念して先輩達に朝までカラオケ接待をプレゼントされた記憶がある) 自ら堅苦しい集団に入っておきながらも、堅苦しいのはいやだっていう 人は結構いるようで、おれと遊ぶ先輩たちは、そーいうタイプだった。 で、その人たちは1回生女子に人気のあった人たちで、そーした バカ騒ぎの中心にいつもおれがいたことから、永遠に不可能の思われた おれの人権も回復したんだと思う。うん、ハナシが逸れ気味だけど。 実際おれは毎日楽しすぎて、同期から孤立していることなんか まったく苦ではなかったし、人がそーいう状態にあるときってのは 端からはそれなりに魅力的に見えるのだと思う。 後にミキさんは、「mottyはいつも楽しそうでイイなぁ〜 って思ってたんだよ」と言っていた。 で、夏のある日のこと。 道場への道すがら、偶然ミキさんと一緒になった。 同期の奴らは既に雑巾掛けをしている時間だけど、どうせおれは 「お前は別格だから」とかイヤミを言われて何の仕事も回してもらえない から、男の先輩達と偉い人時間に道場に行ってたんだけど、この日は どーしてだったかおれ1人で、部室棟の出口で偶然ミキさんと一緒になったんだ。 おれはくわえタバコ。 「motoって、いつもタバコ吸ってるよね。そんなに美味しいの?」 「いや、美味しくなんかないですよ。健康に悪いってのも自覚してます。 ただ、高校のころ隠れて吸ってた反動で、堂々と吸えるのが嬉しくて つい吸い過ぎちゃうってとこですね」 「変なのぉ」 「ん。変だと思いますけどね・・・。 でも、便利なときもあるんですよ。ミキ先輩と2人だと、何喋っていいか 分からなくて困っちゃいますけどね、こーやってタバコを吸ってると それなりに間がもちますし」 「あはははは、なにそれ」 「でもmotoってさ、部活中意外はいつ見てもタバコ吸ってるじゃない。 1日にどれくらい吸うの?」 「いまは4箱くらいですかね」 「えーー。それって絶対病気になるよ。ううん。4箱も吸うなんて、 もうそれ自体が病気だよぉ。タバコ止めたらどう」 「はい。実はおれも、止めなきゃマズイだろうなってのは思ってるんですよ。 でも、もうニコチン中毒だろうし、止めるのって大変だと思うんです。 そーまでして禁煙するほどの強い動機がないというか」 「なに言ってるのよぉ。回りくどいこと言って。止めなきゃマズイって 思ってるなら止めればいいだけのことじゃない」 「んー、そうですね。いまからクリスマスまで禁煙できたら先輩が デートしてくれるっていうなら、決死の覚悟で禁煙にチャレンジ するだけの価値はあるかもしれないですけど」 「うふふ。いーわよ。3日でくじけちゃっても、挑戦したっていうことを 誉めてあげるから、やるだけやってみなさいよ」 ミキ先輩とまともな(?)会話をしたのはこれが初めてだった。 三木先輩とデート。そんなの単なる口から出任せだった。 出だし辺りに書いたけど、そういうことを望んだことなんて無かったしね。 ただ、おれの同期から(女からもね)かなりな時間おれへの悪評を聞いているのに そんなことがまったく無かったかのように普通に接してくれたミキ先輩に対して、 会話が終了してから初めておれは好意を抱いた。 あぁ、女神とか言われるだけあって本当にいい人なんだなぁ、と。 そういえば、禁煙への誘導のしかたも、優しさに満ちていたような気もする。 いや実際ね、先輩達が面白がって話してくれるからおれも知ってたけど、 おれの悪評ってホントひどいものだったんだ。ディープキスについては まったく反論の余地がないけど、それ以外は捏造だらけ。 部分部分は本当のこともちりばめられてるんだけど、明らかな悪意を持って 悪いヤツのハナシに改変されていて、単純な正義感が聞いたら「よし、おれが こらしめてやる」とか言いかねないような内容。 全部真に受けないにしても、そーいう評判のヤツと接するには、少々 身構えてしまうものだと思う。だけど、ミキ先輩には、そーしたところが 微塵も見受けられなかった。 だから、ミキ先輩っていいな! と思った。 だから、道場に着く前に「よし、止めた」と言ってタバコとライターを捨てた。 だからそれ以降、ミキ先輩の前では禁煙したフリをした。 だから、すぐさま仲の良い先輩たちに自慢しまくって、禁煙(のフリ)宣言をした。 おれのハナシを聞いた先輩たちは一様にうらやましがった。 そんなことでミキ先輩とデートできるわけねーだろが、とか言いながら、 それでも成り行きを面白がって、禁煙のフリに協力してくれた。 具体的には・・・、おれはそれ以来、タバコもライターも持たなくなった。 周りにはいつも誰かしら先輩がいて、ミキ先輩の目の届かないところでは いつも誰かがタバコをくれた。 ついでに、「ミキ先輩、聞きましたよ。なんか、motoのやつ本当に禁煙 しちゃってますけど、いーんですか? おれがダメ出ししときましょうか」 とか、ミキ先輩へのご注進の内容はいつも決まってマイナス方向だったけど、 禁煙してるっていうことについてだけは、誰もが完全に口裏を合わせて くれていた。 それに、このハナシが1回生(特に男)の耳に入らないように気を遣って、 2回生の女性たち(彼らの後輩または同期)に箝口令を敷いてくてもした。 おれも含めて誰もが、どーせ玉砕するに決まってるって思ってたからね、 先輩たちのこうした行動の動機は、横やりによっておれが沈没するのでは なくて、まったく言い訳できない状況で確実におれが撃沈するさまを 楽しみたいってところにあった。 いやね、みんなそうは言っていたけど、過去ミキさんにふられたことのある 心優しい数人の先輩は我がことのようにおれを応援してくれたけど。 ま、応援されたところで、禁煙のフリを続ける意外、おれにできることなんか なにもなかったけどね。 体育会系のなかで特に上下の礼儀にうるさい倶楽部にいて、 偶然の失態で同期から浮いてしまい、その分先輩達と ため口で遊び回りっぱなしなくらい仲良くなった。 破廉恥とかいって顔をしかめる同期の女性もいるってのに、 そーいうのを喜んでおれと仲良くなる人たちなので、性根はあけすけで さっぱりしていて、だから一緒に騒いでると楽しくて、 そーやっていつも騒ぎの中心にいる人ってのは周りからはそれなりに 魅力的に見えるはずで。 つまり、おれにとって良い方へ作用した変な偶然がいろいろと積み重なっただけのことです。 (とびきり余談だけど1つ思い出した。そういえば、最初からおれを差別しない同期女性はBさんだけだった) ミキ先輩は、おれの同期の男たちにとって相変わらず心の拠り所であって、 部活のことで相談がという大義名分を断り切れず、彼らとファミレスで 夕食ってのが多い。おれと彼女の距離はやっぱり遠いままだった。 でも、禁煙のフリだけは続けていた。 周りの1年がいろいろな雑用をやらされるなか、仲間はずれだからといって おれだけ何もやらないなんていうのはイヤだった。仲間外れってのは、 雑務をやらない理由にはなり得ないからね。だから1人でできるような 労役には、進んで名乗りを上げていた。 おれが雑務をしてると、よく男の先輩たちがやってきて雑談(主に笑い話)に 花を咲かせる。で、あの日親しく(?)話すことができて以降、そうした場に ミキ先輩も、たまに、そこを通りかかるついでにほんの少しだけ足を止める って感じで、ひとことふたこと言葉を交わすようになった。 「先輩先輩、まだ禁煙続いてますよ、覚悟しといてくださいね」 「え、何のこと? でも、禁煙できたのはよかったわね」 そんな、ワンパターンの他愛のない言葉たちだったけど。 禁煙のふりを続けて3か月くらい経った頃かな。 同期の男4人は、毎日の活動終了後に義務づけられている雑務をこなしており、 もう1つ雑務の必要が生じたので、おれは1人でそれに取りかかっていた。 男の先輩たちはまだやってこない。 そこに、早々と帰り支度をしたミキ先輩が通りかかった。 いや、通りかかったというか、校門へではなく、おれの方に向かってくるふうだった。 「あ、お疲れさまでした」ととりあえず声を掛けた。 彼女は軽く頭を下げておれの挨拶に応え、そのままこっちにくる 「ねぇmotoくん」 「はい」 「クリスマス、何処へ行こうか考えてる?」 「え? 考えてる?」 正直、何のことだかわからなかった。禁煙のフリってのは、それは ミキ先輩との会話を成立させるための小道具ってだけのことで、 そこから先の発展性なんて信じてなんかいなかったから、 クリスマスにデートなんてのは頭から抜け落ちていた。 「クリスマス・・・。うーん、何にも考えてないです。何処行っても カップルばっかりで鬱陶しいでしょうし、家でぼけえっとしてるのが 関の山ってとこでしょうかね」 「えー、なにそれ。わたしとデートするんじゃないのぉ」 「え、ほんと」といいながら、自分の頬を右手でピシャリと打った。 嘘っぽい仕草だけど、むかし何だったかの映画でそーいう仕草を見て気に入って、 驚くときに自分の頬を叩くのはいつのまにかおれの自然な動作になっていた。 「本当なんですか。やったー」とガッツポーズをつくった。 「あー、わたし本気にしてたのに。冗談だったの? わたし騙されたのね」と冗談っぽく笑う。 過剰なおれの身振りを嬉しく感じているらしいことは、その笑顔から明らかだった。 「いや、本気。本気です。でも本気なのはおれだけかと・・・」 「うふふ。じゃぁ、何処に行くか考えておいてね」 「はいはいはい」と挙手をする。「考えた。考えました。ラブホテルでどーでしょう」 「だめ、却下。もっと真面目に考えておかないと承知しないからね」 クリスマスにミキ先輩と何処へ行くか。 結局何も考えないままだった。 あのミキ先輩がおれと2人っきりだなんて、 リアリティがなさすぎて、想像が膨らまない。 で、クリスマスの前夜。この日は仲がよいとされている 6つの倶楽部の1年生だけによる飲み会があった。 なんのことだか理解に苦しむけど、とにかく毎年 行われてきた由緒正しい飲み会だそうだ。 体育会系だけあって(?)部内恋愛が禁止されている倶楽部も多く、 そーいう部に入ってしまった1年生への救済策ってのが、この 飲み会が代々行われてきた理由らしかった。 おれの部は部内恋愛禁止なんて決まりが存在しなかったけど、 同期の女達の多くが先輩狙いなもんで、同期の男達は結構はりきっていた。 そうそう、同期の男4人。こいつら、仲良くした方が良い場所においては、 おれとも仲の良いマネをしてくれる。なんというかね、こいつらみんな 小心ものなんだ。だから、1対1とかだとわりと普通の会話も成立するし、 こいつらが4人そろっていても、聞こえよがしなイヤミを口にするくらいが せいぜいで、おれに面と向かって何かをいったりやったりってことができない。 そもそも4人がなかよしなわけでもなく、4人いればおれの悪口で盛り上がってる みたいだけど、3人のときは、欠けた1人の悪口で盛り上がる。そーいうやつらだ。 はっきりいってつまらない奴らね。 そのうちの1人はかなりまともだったけどね。自発的に悪口を口にするような こともなく、他の3人にひっぱりまわされてるって感じで、おれと2人っきりの ときは、おれと友達のような口も利く。(一番悪質なタイプかもしれないけど) で、伝統的な(?)飲み会。酒は体質的に苦手なんだけど、結構楽しめた。 体育会系合同新歓合宿で仲良くなった子がいてさ、その子の倶楽部の 友達も交えて、飲み会の終了前10分くらいは、身の程知らずにも ハーレム状態ができてしまった。(いや、うそ。言い過ぎだった。失敬) おれはまったく記憶にないんだけど、その合宿の夜、酒飲んで全身真っ赤に なったおれは、その子に抱きついて離さなかったらしいんだ。 頭の固い体育会系という世界において、おれのディープキス事件は有名な 珍事だったので、その2番煎じのデタラメだろうと思った。そう反論した。 騙すなよ、そんなバカみたいなこと2度もするわけがないじゃないか、と。 「そんなことないよー、ほんとだよー」 「ずるいするい。男ってそーやってしらばっくれるのよねー」 「証拠写真もあるのにねー」 「うそ、そんな写真なんかあるわけないじゃないか。撮影したのはMr.マリック?」 「ほんとーに身に覚えがないの?」 ってな感じでつるし上げられていたのがハーレムの真相でした。 (余談だけど、後日証拠写真を見せてもらった。 おれはそれ以降今日まで、トータルでコップ5杯分くらいの酒しか飲んでいない) で、その子の倶楽部の女の子たちは全部で5人。 全員地方出身で、希望者が入ることのできる大学の女子寮に住まっていた。 「ねぇ、くせっけー」と1人がいった。 (合宿抱きつき事件?以降、彼女たちはおれの本名をしらないから、 あのことを話題に出すときは、おれのことをくせっけーと呼んでいたそうだ。 理由は、おれがくせっ毛だから) 「わたしたち今日は12時まで大丈夫なんだ。いつもは門限10時なんだけど、 あの寮体育会の人が多いから、今日は特別にいいよって。だから二次会しようよ」 「それじゃぁこっちも5人だから、5・5で二次会行こうよ」 まったく予期しなかった方向から、彼女への返答が出された。 いつもはおれに対して一番陰湿な態度をとっていた同じ部の同期の男だ。 いつの間にかおれたちの輪に加わっているかのような、絶妙な位置取り。 不吉な予感に満ちあふれていたものの、二次会も楽しかった。 なんとなく男女1組ずつになっての対話が中心だったので、 (たまに彼女達は横断的なよりとりをしたけど。おれ以外の4人も たまにそういう同性同士の、自己アピールにつながる内輪笑い話暴露を やったりもしたけど)ヤツらの陰湿さをあまり見ないで済んだこともラッキーだったし、 おれと対になっていたのはおれが合宿で抱きついたという女の子。 小さくて華奢な印象だけど以前から合気道をやっていて、期待の新人なんだとか。 この子、かなり愛嬌があって可愛い。あまりに可愛いものだから、いつしかおれは 彼女のことをポチと呼び、「ぽち、お手」とか言って手のひらを着きだしていた。 「わん」と言って彼女が握った拳をおれの手のひらに置く。 「チンチン」 「わんわん」と、ヒジを曲げて握った両拳を方の高さに揃え、身体を小刻みにゆさぶる。 意外と胸あるんだなぁとか、年齢相応の思考回路で淫らな視線を送りつつ、 「チンチンは其処じゃないだろ」と、自分の股間を指さす。 「え。くせっけーの其処を触っていいの?」 「OKOK.でも初めてだから優しくしてね」 ってな感じで楽しい時をすごした。 お別れは慌ただしい。 みんなもそれなりに盛り上がってたので、お開きにすべき時間を1時間も 超してしまい、彼女たちは慌てて自転車に跨り、電車3駅分を疾走していった。 残った5人のうち、1人は家が近所だったので自転車で帰宅。 同期の男どものうちで一番まともっぽい(実は一番ズルイタイプ)ヤツの アパートが近所だったので、おれたちは其処へ。 おれは家までスクーターで20分。酒もほとんど飲んでなかったけど、 家に戻ってぐっすり寝たら翌日のミキ先輩との待ち合わせに遅れてしまう んじゃないかと思って、おれもメガネのアパートへ行った。 (そう、こいつの仮名はメガネとしておこう。素顔は島田伸介なんだけど、 近視だからメガネを掛けてて、メガネ掛けた顔はそこそこ格好よく、 かなり知的なんだ。こいつの素顔を見て、メガネは顔の一部なんだなぁと感じ入ったもんだ) で、メガネのアパートにつくと、デブと甘えん坊は、 メガネのベッドを分け合ってすぐに眠った。 おれは、明日(日付的には本日)どうしようかも決まってないし、まだ寝る気分じゃなかった。 とりあえず上野駅で待ち合わせってことだけ決まってたけど、そこからどーするかは まったくもって不明だった。 メガネもまだぜんぜん寝る気にはなっていないらしい。 こいつ、あの二次会の4時間と少しの間に(時間的には十分か)、すでに カップル成立になられまして、その余韻に浸って上気してるんだ。 だから、話題はとーぜんのように、そっち系統のものになる。 「おんめとポチもいい雰囲気だったじゃねっか。ポチも結構めんこいな」 「ん、そだね」結構めんこいってのは、できたての自分の彼女と比べての ことだろうかと、どーでもいいことを考えつつ、曖昧に返事をした。 「おんめらも付き合えばいーっぺ」 「んん、可愛いと思うけどね。それよりメガネ、明日あの子とデートだろ」 「んだ」 「何時に起きる?」 「9時にはここを出るな」 「じゃあさ、おれのことも起こして。こいつらは寝たままっぽいけど、 おれはメガネと一緒にここ出るからさ」 どーでもいいことだけど、メガネはかなりモテる。 メガネを掛けた顔が格好イイってだけじゃなくて、この方言が人気の秘密だ。 おれも「んだ」(YESの意)は気に入ってしまって、 肯定を意味するとき「ん」って応えるのがクセになっており今も抜けない。 職場でちょくちょく注意されるんだけど、もう一生直らないだろう。直す気ないしね。 「なんだ、おんめ。おんめもポチとデートすんのか、このぉ」 「いや、ポチじゃないけどね。ところで、お前らはどこ行くの?」 「東京タワー」 ぶっ!とジュースをふきだして爆笑してしまった。不覚にも。 「いんだ。お互い田舎出だから、東京タワーでも楽しーと思うぞ」 「ん、まぁそーかもね」 「おんめは?」 「おれね。おれは困ったちゃんだよ。とりあえず相手が行きやすいとこで 待ち合わせようってことで上野で待ち合わせってのだけ決まったけど。 うん、こっからなら電車で一本だし、そーいう意味ではこのむさい アパートも役にたつってもんだ」 「だまれ、このぉ。んで、上野でどーすんだ」 「だから、そっからどーしたもんかなぁってさ。 良い知恵あったらお借りしたいもんだけど、東京タワー様に聞いてもなぁ」 「上野は美術館があるな」 「あぁ、あるね」 「それと動物園」 「おー、東京詳しいじゃん」 「バカにすんな。ボートがあんのも知ってるぞ」 「んー、まあね。そーいうのがあるのはおれだって分かってるよ。 別に上野に拘らなくてもいいわけだから、東京って考えたらなんだってある。 だからこそ、何するかが問題なんだよ。分かる? 東京タワー昇って ハッピーエンドってわけには行かないんだよ」 「相手に合わせる意味で、おれは東京タワーで正解だ」 「あ、なるほどね。おれの方の正解はなんだろーな」(自分に向けてのつぶやき) 「相手はどんな人さ」 「んーっとね、なんつーかな。タイプ的にはミキ先輩みたいな人かなぁ」 ぶっ!っと今度はメガネがジュースを吹き出した。 「まさか、ミキ先輩じゃねーっぺ」 こいつの驚きっぷりが面白かったので、ちょっと調子に乗ってしまった。 「いや。実はミキ先輩。これは内緒にしといてな」 おれの発言が理解不能だったらしく、めがねは混乱気味。 「本当か? ミキ先輩か?」 「まぁね。ひょんなことから。ま、一日限りの夢で終わっちゃうんだろーけどね」 「そのカッコでか?」 メガネがおれを指さす。言われて気付いた、おれは学ラン姿だ。 伝統的な(?)飲み会だけあってそれは公式行事であり、公式の場では、 男は学ランというのがその体育会の決まりだったからだ。 本当にミキ先輩なんだなともう一度念を押してから、 「おれの貸してやる」と、メガネはプラスチックのケースを引っかき回して、 自分の持ってるののうちからかなり上等な部類の服とジーンズとコートを おれの座ってる横に積み上げてくれた。おれとメガネの背格好はほぼ同じだ。 あぁ、コイツ。イイヤツなんだなぁ、とね。ちょっとマシな部類かもしれないけど 結局のところ陰口の連帯っていうだけのつまらない奴らの構成員の1人にすぎない と考えていたことを、深く恥じ入らされた。 「でも、お前はどーすんの。とくにコート。おれがこれ着ちゃったら、 お前は学ランの上に着るそのおっさんくさいのしかないんだろ」 「おれは顔がいいから大丈夫だ。それよりおんめの方がやばいっぺ。 まだ付き合ってるんでもねーのに、目的もなく街をうろついて、 寒い思いしてつまらなくなってお別れだ。 服くらいちゃんとしてねーとダメだっぺ」 ああ、ほんといいヤツだ。無性に懺悔したくなった。 で、ミキ先輩とのデート当日。 おかげさまで服装こそそれなりになったけど、 結局なにをしようかは考えつかないまま。 途中の駅のホームで何本もタバコを吸って時間をつぶし、 上野駅にはやや遅れ気味に到着。 キスなんていう事態にはなりっこないし、寒いからタバコの匂いもしないだろう。 いや、だからタバコを吸ってたわけじゃあない。 こっちが先に着いてしまうとね、ミキ先輩が到着するまで ずーーーっとドキドキしながら待つことになるんだろうと思って。 その緊張感に耐えられないだろうな、と思って。 「motoくん、おっそーい」 三木先輩が先におれを見つけてくれる。 慌てて駆け寄りながら「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」 「言い訳は?」 「いや、あの、緊張してすくんじゃうのが嫌で・・・」 「なにそれ。東京に来るのは初めてだったのかしら?」 「んなわけないじゃないですか、ひどいなぁ。いや、あのですね、 こーいうときは男が早く来て待ってるべきかと思いつつ、 そういう性差による役割分担の決めつけも一種の男女差別かなぁとも 思ったりして」 「さっぱりわからないけど、まぁいいわ。それで、どこ行きましょうか」 「先輩、どこか行きたいとこってあります?」 「え、motoくん、行き先を考えてきてないの?」 「ごめんなさい。何か考えなきゃとは思い続けていたんだけど、 何も考えつかなかったんです」 ミキ先輩はほんの少し不満そうだったけど、それでも慈愛に満ちた笑顔を見せてくれた。 「そうね。じゃぁ、ちょっとその辺でも歩きましょうか」 「有難うございます。先輩ってそーいう人だから、もう一緒にいられるだけで 幸せですよ、ほんと。いや、おれはそもそも、先輩と一緒なら日本一雰囲気の 悪い喫茶店で店員に嫌な顔されながら一日中おしゃべりしてるってだけでもOKですよ」 「なにそれ。私はそんなの嫌だからね」 とにかく間をあけないように。 なんでもいいからしゃべりつづけろ。しゃべれ。しゃべれ、と自分を鼓舞した。 あとで振り返って中身が空っぽな1日だったと回想されてもいい。 だけど、いまこの瞬間に退屈そうな顔をされるのだけはいやだった。 結局その日は、おのぼりさんの上野ツアーだった。 美術館に入り、動物園を回り、映画を見て、辺りが薄暗くなったときは、 夏にはてこぎボートに乗れる池(なんていう池だっけ。恩賜公園の)の ほとりを歩いていた。 「ね、そこのベンチ座ろうよ」とミキ先輩。 2人してベンチに腰を下ろすと、しばし沈黙した。 おれはもう疲れ切っていた。口も疲れたし、精神的にも疲弊していた。 先輩が一日中楽しそうにしてくれていたので、もうそれだけでおれは満足だった。 これ以上を望んじゃぁいけないんだろうと思った。 これ以上があるはずないと思った。そしたら・・・。 「ねぇmotoくん」とミキ先輩が口を開いた。 「どうしようか。ちょっと休んだら帰る?」 「あ、そーですね」もうすぐ、やっとタバコを吸える。と不埒なことを思った。 「え? もう帰るでいいの」 「はい?」 「motoくん、何か私に言うことは、言いたいことはないのかしら」 「え、言いたいことって? 別にに先輩に苦情いうようなことも 感謝するようなことも・・・。あ、そっか。今日は有難うございました。 楽しい1日でした、ほんとに」 「そーじゃなくって、あるでしょ。言わなきゃいけないこと」 「ええとそれは、もしかして」ミキ先輩を見る。 「それ。多分それよ。いま、どー思ってるの」先輩はおれの瞳を見返す。 先輩の頬に赤みがさしたように見え、まさかと思った。 「いまですか? 実は今日一日の緊張がどっと足にきて結構疲れてまして、 心地よい疲労感というか、もう十分満足です」 「もうこれで満足なの?」ミキ先輩は憤懣を込めて念を押すような調子で おれに言葉をぶつけてきた。それでも男なのか、と。 もうこれで満足なの? もうこれで? もう? 先輩の言葉が何度も頭の中をはね回る。 「え。じゃぁ。じゃぁ、もっと望んでもいいんですか?」おれは下を向いた。 下を向くというのは、かなり自然な反射行動だった。 先輩の言いたいことをかなり正確に感得していると思い、心の中は自信に溢れていたけれども。 それでもこういうウブな素振りをしててしまうのは、何も計算とか駆け引きではなく、 何というか、こういうシチュエーションではこうあるべきという何かのカタにはまった 安易な振る舞いであり、また、ミキ先輩もこういう反応をこそ喜ぶのではないかという 散漫な思いつきでもあったと思う。 「ね、motoくん」と、彼女はおれの顔に手を当てて横に軽く力を加え、 自分の方へおれの顔を向けた。冷たい手の感触。 「いいのよ、言ってごらんなさい。わたしもたぶん・・・」と、ここで言葉を切る。 残念ながら先輩は、おれの芝居を喜んでいるようだった。 もう、こうなったら芝居を続けるしかない。 「あの、あの、あの。あの、おれ・・・」とワザとどもったうえで、少し間をとった。 実際おれはひどく緊張していたから、このしゃべり方はおれの精神状態に そぐったものだったと思う。でも、意識的にこういうしゃべり方を選択している以上、 これはやはりお芝居だった。なぜ大事なときにありのままの自分を出せないのかと 少しいぶかりつつ、この着想を頭の隅においやった。麻雀をやっているとき、 とにかく勝負が終わるまではその日の打ち筋を反省してはならない。麻雀から得た おれの人生訓だ。反省は勝負が決したあとですべき。勝負中にくよくよ考えたら、 その時点で勝ちから遠く隔たってしまう。 だから、その場の流れに任せてそのときの想いの一部を口にした。 「おれと。もしよかったらおれと。ミキせんぱい。付き合ってください」 「うん」と微笑み(この日一番の笑顔だ)、彼女は両腕をおれのカタニまわし、 それでもどこか遠慮がちに抱きついた。 もちろんおれも笑顔だ。笑顔をつくっていた。 頭の隅では、自分の感情か、この場の雰囲気か、とにかく なにかが嘘っぽいなーという印象をぬぐうことができないでいた。 「手、いいですか」と片手を差し出すと、先輩もおれの手を握ってくれた。 初めての彼女ってわけでもないけど、なにしろ相手は雲の上の存在のミキ先輩だから、 もう手を握るだけで心臓が破裂しそうだった。 つないだ手を元気良くふって2人で公園を歩き駅へと向かう。 幸せだった。その気持は本物で、どんな微量な異物も混入していなかった。 世の中は光に満ちているんだな、と思った。 このまま2人でセピア色の写真の世界に収まってしまいたいくらいだった。 (キミがいれば 人生はかくも素晴らしいbyクラプトンだっけ?) 冬休み中も部活は頻繁に行われたので、ミキ先輩と付き合い始めた おれは、めっきり忙しくなった。付き合っていることは秘密にした。 様々な情報操作で熱心に協力してくれた先輩1人と島田伸介とを除いて、 おれとミキ先輩の仲を知るものはいない。 この2人は完璧に秘密を守ってくれた。 だから先輩たちからの遊びの誘いも極力断らず(これまでのおれの 行動に照らし合わせると不自然だからね)、何やかやの合間を縫って のデート。肉体的にはかなりハードだったけど、心は満たされていた。 いや、デートなんて名ばかりなことも多かった。 部活が終わって数時間後に(先輩との遊びを終えたおれと、 適当に時間を潰したミキ先輩が)喫茶店で待ち合わせ、 先輩を車で家まで送っていくだけってことが多かった。 (この時代に携帯電話が普及していたら、おれは迷わず購入したはずだ) で、彼女の家のそばまで行って、闇に染まった神社の境内で 抱きしめあい、キスをして、またキスをして、も1度キスして別れる。 愛(欲?)は次第にエスカレートしはじめ、抱き合っているときに おれの手が先輩の臀部をまさぐったり、後ろから抱きかかえて ブラを外した上で張りのある胸をまさぐったり、互いに足を絡ませて 腰を押しつけ合ったり・・・。 ミキ先輩との会話は楽しかった。 自分1人で考えていただけではたどり着けないような発想への飛躍とか、 彼女の意見に啓発されるとか、そーいった方面での喜びは余りなかった ように記憶しているけど、とにかく先輩の考え方っていうのは優しい。 何に対しても優しい。おれの同期の男たちとの会話(おれへの誹謗中傷 ばかり)はどれも信じるに足るレベルのものではなく、内心それなりに 苦痛だったらしい。それなのに、「でも、いいこたちなんだよね」と 総括する。 恋人(一応おれね)相手に善人ぶってみせているのではなく、心の底から そう思ってるようで、そうした彼女の優しさを見習いたくなんかないけれども、 とにかくそういう善人と話しをすると心が安まる。能のシワがほぐれていく ように感じられる。 ただ、先輩との付き合いのなかで苦痛もあった。 おれが変なのだろうけど。 こういうふうに返事をしたら相手はこういう反応をするだろう。 こんなふうに反応したら相手は喜ぶだろう。 おれの一挙一動は、そのほとんどがこうした計算に裏打ちされていて、 それを自覚してしまっていることがひどく苦痛だった。 いちいちの言動はそれなりにおれの本音でもあったけれど、 それらのほとんどは過剰な演技を伴っており、そのうちの大半は 愛を深める方向で大いにおれの狙い通り(または狙い以上)の効果を 彼女にもたらした。 ミキ先輩の望むであろうと思われる反応を返し、望むであろうと 思われる人格を過剰に突出させ(まったくウソを演じてたわけじゃない)、 そのかいあってか、おれたちは2人ですごした時間こそ少なかったものの 急速に心の距離を狭めていった。 肉体の距離もゼロにぎりぎり近づこうとしたのは1月の半ばだったと思う。 最初はうまくいかないもんだね。 おれの脱道程記念日は1月30日。先輩の破瓜も同日。 先輩、賞状だったんだ。株価が高いせいで買い控えられていたってとこでしょう。 ラブホテルへ行くきっかけは、こんな会話だった。 部活がなく、おれが他の先輩に遊びに誘われてもいない日曜日を前にして 「ねぇmotty、明日は久しぶりに1日一緒だね。どこ行こうか」 「うーん、何度も言うけど、おれミキさんとなら話してるだけでもいいんですよ」 「だめ、どこに行きたいか言って」 「ミキさんは?」 「私が聞いてるのよ」 「じゃ、ラブホテル」 「・・・・・・いいわよ」 「え、ほんとですか」 「うん」 「おしゃべりしに行くんじゃないですよ」 「うん」 電話を切って少ししてから、おれの心臓の鼓動がはやくなった。 <ところで質問> 抽象的でよく分かんないかもしれないけど、 男も女も計算が働いた上でしばしば演技しますよね。ですよね。 演技の混入濃度って、みなさんどのくらいでしょうか? 演技のたとえ 何度か失敗ののち、ようやく挿人に成功したとき。 こっちは、「あぁ、ようやく上手く入ってくれたよ」ってね、 タバコに火を付けたいようなぐったりする安堵感に包まれつつも、 相手が「嬉しい。これで本当にひとつになれた」とかいって 涙を流してるようなときね。 ほんとかよ。テックスって、本当にひとつになるのと同義なのかよ。 こんな状態でうれし泣きはやめてくれよ。とかね、そーいうふうに 瞬間的に感じつつも、その感情をさっと振り捨てて、 「うん、おれもうれしいよ」と感極まったような声で言ってから あつい口づけ。 「おれも嬉しい」は本心の一部でもある。しかしその発言様式は過剰な演技。 ファックスを経て、2人の立場というか、距離感というか、 そんなのが少し変化した。もとから誰にでも優しく 自己主張など少なかった先輩は、徐々にではあったけど おれに依存しはじめ、4月頃には何をするにもおれに 意見を求めたり判断を仰いだりするようになっていた。 部活中は相変わらず凛々しい先輩様なので、このプライベートとの 激しすぎるギャップってのはなかなか良かったけどね。キックスの調味料としても。 しかしギャップを楽しむことはできたけど、依存ってのは本質的にうざいものです。 おれの学部では、夏休みの2か月間おふらんすざますに留学する学生を募っており、 「おれ、2か月ふらんす行くね」とミキ先輩に言った。 「それは楽しみね。そんなに長く海外いけるのって学生のときだけだもんね。 実は・・・、私も留学しようかって思ってるんだけど・・・、 9月から1年間、アメリカへ行ってもいいかしら」 「いいかしらって、行きたいんでしょ」 「うん。そうなんだけど」 (じゃぁ、いけばいーじゃん。なぜおれの許可が必要なんだ、という想いを瞬時に追いやる) 「行って、それでどーしたいの?」他の合いの手が思いつかなかったから、とりあえず そう訊いてみた。許可を求めるような口振りは、何かしら迷いの表れなのだろうか、と。 「あのね、世界が広いんだっていうこととか、いろいろな価値観とか考え方とか、 そーいうのを感じたいの。自分が成長するきっかけになると思うの」 「すごい立派だ」おれはミキ先輩を抱きしめた。「そりゃぁ、行くべきだと思うよ」 (なんでそれだけの考えがあるくせに、「行く」じゃなくて、「行ってもいいか」という 問いになるんだよ、と内心では毒づきながらも、心の隅の感動した部分を 精一杯クローズアップして、おれは手放しの賞賛をアピールした) 「でも、1年いないのよ。それでもいいの?」 (おいおい、行かないでくれって言ったら行かないのかよ、なんだよそれ) 「だって、行きたいんでしょ」 「うん」 「行った方が自分にとってプラスになると思うんでしょ」 「うん」 「じゃぁ、行くしかないじゃん」 「でも、1年なのよ。mottyが7月にフランス行くから、 1年と2か月も会えないのよ。それでいいの?」 (ふざけんなよ、おれを見損なうなよ、と内心発狂しつつも最高の笑顔で) 「おれはさ、ミキさんを縛り付けるためにミキさんと付き合ってるんじゃないよ。 ミキさんのことを愛してるんだよ。だから、ミキさんにとってイイことは、 おれにとっても喜ばしいに決まってるよ。1年でも2年でもね、結局は 帰ってきてくれるんなら、おれはいくらでも待ってられるよ」 おれの腰に回ったみきさんの両腕に力が入る。 「ね、motty。ホテルいこ。いますぐしたくなっちゃった」 先輩の瞳は涙で輝いていつも以上に美しかった。 (うん。待ってられるってのは混じりっけナシの偽らざる本心だな、と 確認し、おれは安心した) フランス行きの朝、ミキ先輩が空港に来ていた。 お見送りだ。こーいうのはかなり恥ずかしい。 おれは自由奔放ワガママに放牧飼育されたから、 冠婚葬祭親戚付き合い年賀状暑中見舞いお見送りってのは苦手だ。 だからおれは独りで空港に来た。 それなのにチケットカウンターにはミキ先輩がいた。 なんと、先輩のお父上も。パパの運転で来たってわけね。 うん、すでに両親には紹介されてたけどね。たまらないよ、 こーいうのって。 目の前にちゃぶ台があったらひっくり返したい。 そんな気分だったけど、精一杯感激したふりをしてお別れした。 お父上とは握手し、ミキ先輩とは父上様の目の前で軽いキス。 これから長いこと先輩は心細いのかもしれないし、このくらいは サービスしないとね、っていうませた気分だった。 で、後期の講義が始まる1週間前。 おれは日本に戻り倶楽部に顔をだした。 山のような土産を持って。 わぁっとおれの周りに人だかりができる。 そうそう、このときおれは、部の人気者のような存在になっていた。 1年の冬には人権宣言を終えたし、ミキ先輩が部を去った6月には、 もう恋愛を隠す必要もないなってことでオープンに付き合うようになった。 すると、同期の女どもはね、「あ、私たちのあこがれのミキ先輩がmottyと 付き合ってたなんて。mottyって、すごいんだ」っとなるわけ。 はなはだ失礼だけど、まぁ株価ってのはくだらないことで変動するもんだしね。 おれの人気の理由のもう1つ。それは後輩への「教育」だ。 これを率先してやったため、おれは同期の女たちから絶大な信頼を得ていた。 それでいて後輩達からもそこそこ慕われていた。 で、そーいうのと反比例して、男の同期は島田伸介意外は一層おれから離れていったけど。 教育。そう教育。 女が多いとはいえ一応体育会なので、というより女が多いからこそ(?)、 軟派なイメージを払拭すべく(?)、おれのいた部は教育が厳しかった。 おれにとっては興味深いイベントに過ぎなかったけど、そーいや同期の 女はよく涙ぐんでたものだ。で、後輩どももよく涙ぐんだ。 教育ってのが何なのかっていうと、まずは大声で校歌斉唱。 それから大声での自己紹介。最初は道場で。次に構内の中庭で。 次に路上で。最後は駅前で、ひとり1人これをやらせる。 「声が小さい、やりなおし」とか「バカヤロー、恥ずかしがんな」とか 「もじもじすんな」とかソフトな内容の罵声を浴びせる。 こーいうのを通じて1年に敬語と絶対服従の心(?)を植え込む。 それが2年生の役目だ。 なぜこんな馬鹿げたことをおれが率先してやったかというと、 誰かがやらなきゃいけないイヤな役目ならおれが引き受けようと 思ったからだ。後輩に怖がられ、嫌われたってイイ。おれにはすでに ミキ先輩がいるんだから。 1年は男5人と女5人。 男のうちの3人は女の先輩(おれの同期目当て)。ツマラナイ奴らなので 男A、男B、男Cとしておく。もう1人は何しにきたかよく分からない 空気のようなヤツ、男Dだ。 も1人はビラオ。上下関係ってのが初めてだそうで、敬語を知らない。 こうした人間関係に慣れてないせいないため、先輩たちとの会話は 手短で、ぶっきらぼうで、規律に厳しいおれの同期どもからはすぐ嫌われた。 おれはお馬鹿な教育者だったけど、実は自分自身礼儀なんかなってないし、 公私のけじめがしっかりしてて、部活が終われば先輩達とタメ語で遊び回る。 男ABCは、こーした現状を敏感に感じ取り、すぐおれに媚びてすり寄りだした。 媚びられるってのは気色悪いね。まぁでも特に害はないから、昼休みに 学食で会ったりしたら一緒に馬鹿話に興じたりはしてたよ。 で、Dは空気。こいつは完全に空気なのでどーでもいい。 たぶんここには二度と登場しない。 で、最後に残ったビラオ。こいつは「**先輩(おれの同期の女)っていいよなぁ」 とかいう馬鹿な会話には入ってこないし、教育のできが一番悪いものだから体育会的 価値観では天性のドロップアウターであり、すぐに1年の男たちから浮いた。 見事なまでの浮きっぷりだったから、ビラオは3年から「motoの再来」と呼ばれていたけど、 でもヤツは自分の同期の女とは仲が良かった。 女も5人。特にビラオと仲が良かったのはトド子だ。この子はトドの妖精だった。 で、トド子の親友のポニーちゃん。怒りん坊だ。曲がったことが嫌いで、同期のみならず 上にだって上に非があれば面と向かってよく怒った(特におれに)。 お次は範ちゃん。いつももじもじしてて見るからに儚げで力弱く、ついつい 男をセクハラしたい気分にさせてしまう魔性(?)の女。 ビラオはこの3人と良くつるんでおり、それだから一層、同期の男どもから 離れていっていた。 (女Dと女Eは、今後の展開に関係ないから割愛) おれの同期の男たちは、男の先輩達に対しては礼儀正しく、女の先輩達に 対しては媚びた接し方しかできなかったから、(それを当然と思っていた からだろうと思うけど)後輩にも礼節と媚びを求めることしかできなかった。 同期の女たちは男の先輩にも女の先輩にも礼儀正しい接し方しかできなかったから、 下に対しても礼節だけを求めた。 で、こーした要望に応える資質を備えているのは男ABCだけだった。 残りは、ビラオとトド子を中心に、先輩っていう存在に対して結構 反抗的だった。おれとはそこそこ友好的だったけどね。 おれは教育はやったけど、普段は偉ぶらないというか、そーいうの好きじゃ なくて、上にも下にも対等のつきあいしか求めていなかったから。 (誤読しないでほしい。自慢とかそーいうことではない。体育会っていう 場においては、むしろおれのような存在の方が異質なはずだ) で、みやげものの分配が終わり、さて久々に遊びに行こうかってことになった。 じゃぁ、すべてのエピソードにオチの付いてるおれの楽しい武勇伝を聞かせる から、焼き肉食い放題行きましょう。もちろん先輩のおごりで。 ってことで、いつものメンバーで歩き出す。 いや、その中に1年かいた。ビラオとトド子だ。 なんでもおれのいない夏合宿中に、この2人は3年とかなり仲良くなったらしい。 なるほどね。孤立したらおれに興味を持つような先輩たちだったから、 無礼を体現するかのようなビラオと、そのベストパートナーのようなトド子 に面白味を見いだすってのはとても自然なことだ。 「そうそうmoto、こいつらも面白いんだよ」と先輩の1人が言う。 「なにをー。おれの芸人魂刺激して何させようってんですか」とその先輩に返し、 ビラオたちには軽く目礼した。向こうも軽く返す。 考えて見りゃ、最初のうちは教育期間真っ只中で1年とろくな交流もなかったし、 そうこうするうちミキ先輩が部を去るにあたって俺たちの仲が公認のものとなり、 堂々とデートできるもんだからデートを断る口実もなく甘い日々。そんなわけで、 鬱陶しいほどすり寄ってきた男ABC以外の1年と食事に行くのは初めてだった。 トド子はそんなでもなかったけど、ビラオはおれに対してかなり ギコチなかった。3年に対してはわりと気楽な感じで話している のに、おれに対するときはヤンキー敬語のようになる。 (注:ヤンキー敬語 文字にしたとき句点の前はタメ語で切れるが、 読点の前では無理矢理「です」か「ます」を付ける初々しい敬語) 「なんかビラオは、motoに対して硬いな」と先輩が指摘する。 「motoも偉くなったもんだ」 「いや、偉いだなんて。ただおれが教育長様だったから硬いんでしょ」と 言って、おれはビラオとトド子に頭を下げた。「ごめん。くだらないことで 何度も怒鳴り散らして。悪いと思ってる」 「いやぁ」と恐縮する2人。 「硬い。その反応、まだ硬い。よし、親睦を深める意味でビラオの部屋へ 移動しよう」と先輩のひとりが言い、他の先輩らも同意した 移動の道すがら、ビラオが大学から徒歩5分のワンルームで独り暮らし してることや、トド子もその近所で独り暮らしをしており、さまざまな 助け合い(おもにビラオが助けられている)を通じて2人が仲良くなっ ていることなんかを聞かされた。 さらに、「ビラオは本当に面白い奴なんだよ。お前に似てるよ」と何度か言われた。 おれは最後方、ビラオは先頭を歩いていたけど、そっちの会話も聞こえてくる。 「motoは、お前が感じてるような嫌な奴じゃないって」ってな発言が何度か聞こえた。 おれとビラオをくっつけようとする先輩たちの熱心さ、その原動力が不可解だった。 ま、でも良かったかな。 ビラオの狭い部屋に大勢が入り、煙草の煙で空気を濁らせつつ、結局話題はおれの 武勇伝だった。おれが一方的にしゃべりまくる。ビラオもトド子も一緒になって 笑ってた。長い時間がすぎてから、先輩が言った。 「こいつらから見たら」とビラオとトド子を指さして「motoがバカだってことは 分かっただろうけど、そこまでだ。先輩後輩の壁は高くそびえたままだよな。 おれはもう帰るけど、おい、ビラオ。糾弾しろよ、糾弾」 「え、でもそりゃ」 「やれ。先輩命令だ」 「お、なんだか分かんないけど、どんとこい」とおれ。 で、ビラオをたきつけておいて、先輩たちは帰っていった。 もう遅い時間だったから。 おれはスクーターで15分くらいだったので、糾弾なるものがあるため 部屋に残った。トド子は近所だったけど、帰った。夜中に男2人と狭い アパートってのは精神的に嫌だったんだろう。しかも糾弾とかいう怪しげ なものが始まるんだから。ま、何が始まるのか彼女は知ってたっぽいけど。 「さ、糾弾してくれ。一体なんだ?」 「じゃあ言うけど、あの「教育」っての。さっき謝ってけど何ですか、あれは。 あれって、その後のクラブ活動に何か関係あるんですか」 「関係ないね」 「じゃぁ、なんだってあんなことやらせて、声が小さいだなんだと怒鳴り散らす んですか。後輩ができて、自分たちの権力に酔いたかったとしか思えないですよ」 「いや、そんなことはない」 「じゃぁ、何の必要があってあの「教育」ってのはなされているんですか」 「うーん。なんでだろう」(今にして思えば管理者育成洗脳合宿と同じメニューだな) 「同期の女は、あの「教育」で結構心に傷を負ってるんですよ」 「う、そりゃ済まないと思う」 「先輩、率先してやってましたよね」 「ん。嫌な役だから、おれが引き受けようかな、と」 「それでいて、先輩は3年たちに対して全然礼儀正しくないですよね」 「堅苦しいのとか礼儀とか、そーいうの嫌いだからね」 「じゃぁ、なんでそーいうのをおれたちに強制するんですか。 中には明らかに自分たちの権力に酔って、ニヤニヤしながら 怒鳴り散らしてた先輩もいましたよ」 そもそも、なんで先輩ってのは偉いんですか? 先輩だからという理由だけで絶対的な権力を持つべきものなんですか? 等々、ビラオの問いつめはどんどん幅を広げていき、しまいには部のあり方 って感じの漠然としたものにまで拡散していった。 で、そのどれにもおれは明確な答えを返せなかった。 ヤツがやり玉にあげる事柄は、そういえば1年のときおれも違和感を覚えた もの(しかし深く考えることなしにいつのまにか馴染んできたもの)ばかりだった。 「それについてお前はどう思うんだ」と問うと、ビラオの口からはしっかりした 理屈がはき出される。聞いてすぐ、その理屈が正しいと感じておれは謝罪する。 その繰り返しで朝になってしまった。 おれは何でもかでもに感服し、もっと話していたかった。反省しっぱなしで 忸怩たる思いなんていう外面を装いつつ、内心は歓喜していた。 知的喜び。1言でいうとそんな感情に満たされていた。 ビラオも、おれの聞き分けが良すぎるもんだから、 自分のしゃべりに酔っていたと思う。 朝になったけど、互いにしゃべりたりなかった。 だから翌日の夜もおれはビラオの部屋にいた。その翌日も。 結局、夜は1週間くらい連続でビラオとしゃべり続けていたと思う。 倶楽部を通り越して、話の焦点は身の回りの出来事になり、世の中の 出来事になり、どんどんスケールアップしていった。 それらのことごとく、ヤツの考え方はしっかりしていて心から恐れ入った。 「先輩は、感性のレベルではかなりイイ線いってると思う。 でも、しっかり考える前に、テレビとかで溢れてる聞いたような口に毒されて、 それを自分の考えだと思っちゃってる」とビラオは言った。 おれも、ヤツのようにしっかりした脳みそが欲しいと痛切に思った。 ビラオの部屋にはでかい本棚が2つあり、難しそうなタイトルの本がぎっちり 詰め込まれている。 「おれもお前のように、自分の脳みそで考える人間でありたい。そうなりたい」 と言い、ビラオから本を10冊くらい借り、おれは本の虫になった。 大学生ってのは時間つくろうと思えばいくらでもできるからね、1日に 2冊くらいのペースでヤツの本棚の本をどんどん読んでいった。 これまで読んだ本なんて、井上靖数冊と、さらばプロ野球さらば桑田真澄 くらいなものだったおれにとって、ビラオから借りた本は衝撃的だった。 ルポや社会批評はおれの知らない世界や、これまで漠然と感じていただけ だったものを理路整然とした言葉にしてくれるし、小説は小説で 読み手に自分の思考を強いるものばかり。漫画に至ってはカムイ伝。 感動の連続だった。何がって。ヤツに借りた本を1冊読む毎に、確実に 自分の精神が成長しているっていう手応えを感得することができたから。 とはいえ、もちろんそんな乱読じゃ頭が消化不良を起こす。 消化(昇華)を促すべく、読んだ本についてビラオと議論の繰り返し。 たまにトド子をはじめ、ポニーちゃんや範ちゃんも遊びに来た。 3日に1日は、ヤツの部屋で夜をあかすようになり、 いつの間にかおれとビラオとトド子、ポニーと範ちゃんは仲良しになっていた。 特に仲が良かったのはおれとビラオとトド子。なにしろかなり濃密な時間を 共有したから。 その年の冬には、おれたち3人は体育会系の先輩後輩という垣根を超えて、 親友のような間柄になっていた。ビラオは一応崩れた丁寧語だったけど。 でもそんな仲は、礼節だけをよりどころにしている人達から見ると面白くない。 だから色々な波乱はあった。そういうのの起こるたびに、おれとビラオと 1年の女たちとの連帯は強くなっていった。 ビラオの部屋にいない夜は、3人のうちの誰か2人が決まって長電話していた。 仲のいい3年も巻き込んで、体育会系のくだらない因習をかなりうち破ったと思う。 若者と空輸の驕りのようなもので世の中の仕組みをさんざ嘆き、いずれそれを どーにかしたいなら、まず今の身の回り(倶楽部)をもっと良い方向に 変えるくらいのことはしなきゃならない。今何もできないで嘆いているだけなら 一生いつになってもそのときどきの現実を嘆いているだけだ。こういうテーゼを 提出したのはビラオで、おれたちは実際かなりがんばったと思う。 ところで、当時のおれは、即断即決即後悔な日々だったのを脱却しようと あがいていた。あがきつつもついついいろいろな出来事にオチを付けたくて 楽しい方楽しい方へと流れるきらいがあり、よくビラオに批判された。 一方ビラオはというと、理屈は一丁前だけどその分(?)行動力に乏しく、 行動という一点ではおれをうらやんでいた。(実際、よい理屈を吐けるヤツより とにかく行動するヤツの方が皆から頼られるものだ。) で、ある冬の日。互いに欠けてるものは大きい。もっと成長しなきゃぁな って話になって、次の夏休み、2人で国内を旅しようという約束をした。 motoとビラオは*年の夏に旅をします。 1.旅は旅であって旅行ではない(旅といったら夜は寝袋) 2.自分たちの成長に資するような苦難を喜びとする(目標は精神的成長) 3.電車や車は使わない。移動は独力(バイクは許容範囲か?) こんなことを書いた紙に2人で血判を押し、ビラオの部屋の壁に飾った。 まぁでも細かいことは夏が近づいたら考えようってことで、とにかく すごい旅をするんだと決意し、それだけでハイになった。なんつーか 青春のひとコマだ。(注:当時は、電波少年なんてなかったし、旅っていうのは 身の回りにありふれた安っぽいしろものではなかった) ところでトド子はというと行動力だけの存在だったけど、いいものとわるいものとを かぎ分ける嗅覚に優れていたように思う。 で、旅の話はちょっとおいといて、12月くらいだったかな。 「1月に少し日本に戻る」旨のミキ先輩からの手紙を受け取った。 もうそのころおれとビラオは自分たちの何についてでも相手に話し、 忌憚のない意見を延べあえる間柄だった。 年が明けたらミキ先輩が帰ってくるから少しの間この部屋に足が遠のくよ、 と言った。で、ビラオの問題提起。 「先輩、おれは経験ないから分からないけど、付き合うってどーいうことっすかね」 「付き合うも色々だろうけど、*先輩と*先輩みたいのが結構多いよね。 おれの考えだとあーいうのは付き合うとは言わない。あれはもたれ合い。 付き合うって言ったら、互いの感情に摩擦が起こって、その経過を楽しみながら 互いを高めあっていける関係だ、と思う。理想は、ね」 「ふーん」と感服したような表情。「じゃ、先輩とミキ先輩は」 「う、いや、違うかな。うーん、そんな大それた関係にはなれてないような気も・・・」 実際おれとミキ先輩ってのは、付き合うことによって何がどーなったんだろうか。 おれの答えはひどくしどろもどろだった。 「それが恋愛ってものだとしたら、なかなかいいものでしょうね。 でも、そんなに精神的なもんですかね。だって、顔が悪いって だけで恋愛なんかと無縁になちゃう女って多いですよね。男は 収入力とかで何かとカバーできるけど、女って顔なんじゃないですか? 一般的に」 「え、そう? 顔がすべてじゃないだろ。性格は表情に表れるしさ、性格悪い 女は魅力も半減だよ。正確よければ、ブスといわれる人も魅力アップする ことがあるでしょ」 「でも、だれが見ても救いようのないブスっていますよね。いくら性格が素晴 らしくても、人と出会う機会って恐ろしく少ないだろうし、ブスだってこと で小さいころに苛められたりして、性格が歪む可能性もありますよね。 そもそも、そうしたブスが性格歪まなかったにしても、それでいい人と 付き合えるものですか? たとえばトド子。あいつは歪んでない。それって すごいことだと思いますけど、あいつに惚れる男って、想像できないでしょ。 だいたい世の中で成功者と言われるような男は美人と結婚してるし。 ブスは選ばれてない。実際、ブスは男側に妥協がない限り選ばれない」 おれの受け答えより、ビラオの問題提起の方が説得力に勝っていると感じた。 必死で抗弁していて、おれは一体何を守っているのだろうかといぶかってしまった。 「ビラオは何が言いたいんだよ」 「女性って外見ばかりが重視されてかわいそうだなって思って」 「だから、そうでもないんじゃないの」 「先輩は美人とブスがいたらどっちがいいですか? 美しい方がいいでしょ。 美しいのが好きってことは、醜いより美しい方がイイってこと。 極論すれば醜いのが嫌いってことですよ。美しいものを好む以上、 醜いものは嫌いなんです。おれだって美人の方がいいですよ。 ただ、美しいものを求める気持ちって残酷だなぁって、そう思いませんか」 「待ってくれ。うーん。だいたいそーかもしれないけど、おれは差別なんか」 「そーですね、それは、誰だって自分を差別者だなんて思いたくないでしょうけどね。 おれだって自分を差別的だなんて思いたくはないけど」 結局すべては曖昧でモヤモヤっとした会話だった。でも何かしこりが残った。 そういや、ミキ先輩は美人だな。おれがミキ先輩と付き合ったのってひょんな ことからだったけど、先輩が美人じゃなかったらその「ひょんなこと」は 喜ばしい出来事ではなかっただろう。 美しいものを欲する気持ち=醜いものを避ける(または排除する)気持。 うーんうーんといくら考えても、何だかミキ先輩と自分の関係、ミキ先輩に 対する自分の心、美を求める心がやましいもののように思えるだけで、 思考に発展性がなかったけれど、美醜の問題ってのが暗いイメージとともに 脳内に居座ってしまった。 いろいろ思い返してみると、ミキ先輩と付き合ってるおれの心は不純だった。 そもそもミキ先輩に恋いこがれていたんだろうか? なんだか付き合えるよっていう流れになって、それで相手がみんなのあこがれの 人だったからラッキーってな感じだったんじゃなかろーか。 だいたいお付き合いはじめて以降、おれはどれだけの本心を見せたのか。 演技ばかりじゃないか。よくよく振り返ると自分を許せないことばかりで内省することしきり。 夜間そーいう狂った精神状態のまま、先輩への返信をしたためた。 ごめんなさい。会ったときに話すけど、悪い意味での大事な話があります。 先輩がいない間におれは精神的に変わってしまったようです。 それを成長といいたいけど、先輩との関係においては悪い方へしか作用しなさそうです。 他に好きな人ができたとかそーいうことではなく、自分でも何がどうしてしまったのか 明確に理解することができていないので先輩に説明して納得してもらえる自信は まったくないけど、おれが自分で下した決定に対していかに執着する人間かって ことはイヤというほど分かってくれていると思います。不吉な内容でごめんなさい。 会うべき日時と場所を、できればそっけない手紙で返してくれると有り難いです。 自分勝手であり、自分のことをしか考えていないってのを分かったうえで。かしこ。 ってな内容だったと思う。 よる書いた手紙は翌朝読み返して冷静に考え直せ。そんな警句をどこかで 聞いた覚えがあるけど、おれは夜のうちにそれを封入し、封筒を密閉した。 自分の考えがむちゃくちゃだってのを自覚していたし、ミキ先輩と 別れようっていう着想自体が自分の欲求に逆らっていることを解っていた。 内容も支離滅裂に違いないと解っていた。 だからこそ、読み返したくなんかなかった。 もうそこからは、即断即決即後悔とことあるごとにビラオに揶揄された おれの本領発揮である。夜、書いたけど読み返したくないからすぐ封入した。 朝、封入してあるからミキ先輩の米国での住所を記載した。 宛先を書いたからには郵便局へ持っていった。 この一連の流れの中に迷いや逡巡は一切なかった。 自分の行動についての思考すらなかったってのが正確だ。 ふとした勢いで始まった行為について、それを思い返したりそれについて 考え込むのが苦痛だったので、その行為の延長上の行動をただ自動的に 続けただけのこと。こーした思考停止は、当時のおれの得意とするところだったんだ。 ミキ先輩はおれのリクエスト通り簡素な返信をくれた。 会う場所と日時しか書いてない。 場所は、小菅駅前の土手。なにがいいんだか知らないけど 先輩のお気に入りの場所だってことで、過去に何度か2人でそこを歩いたことがある。 耳がちぎれるような寒さの昼下がりだった。小声では会話が成り立たないほど風が強い。 約束の時間の少し前。一服してから土手に上がると、少し向こうに体育座りで小さくなっている ミキ先輩が見えた。 気配がするなんて距離じゃなかったけど、先輩がコッチを振り向いておれの存在を認めたので おれはやや早足で近づいた。 先輩にあって何をどー話すか。そんな戦略は何も考えていなかった。 この件で頭を働かせるのが苦痛だったから、なにも考えないようにしていた。 いや、それどころか、行きの電車のなかでは、「いまならまだ悪い冗談って ことにしてごまかせるのではないか」と、そんなことばかり考えていた。 恥ずかしいはなしだけど、正直、先輩と別れてしまうことを「つらい」ではなく 「もったいない」と意識していた。そんな感性しか持ち得ない自分がイヤで、 やはり別れるしかないのかなと、気分はどんどん沈んでいく。 で、先輩とご対面。すでにやり直しはきかなかった。 向こうはおれの手紙からその意図するところを正確に読みとっており、 まずさいしょに謝罪の言葉がでてきた。 「ごめんね。mottyがいろいろ悩んでたって知らなかったから、何通も あんな手紙を出しちゃって」と。 あんな手紙ってのは、恋しいよーとか、あの夜は嬉しかったよーとか、 まぁ先輩アメリカで孤独だったんだろうね。おれとの想い出を文字にして 味わい直しつつ、甘い愛の言葉に満ちた手紙だ。そーいうのが何通かきた。 おれの返信はそっけなく、というか、こーいうことがあってこう感じたとか、 先輩と会えたことには感謝してるけど、あの部って、実はかなり理不尽な 空間なんじゃないだろうか、それを最近1年に教わったおれもなさけないけど、 とか、そーいう日々感じることを書き送り、愛の言葉の含有量は非常に少なかったと思う。 最初は質問がくると思ってた。 いきなり謝罪ってのは予想外。なので面食らって、こっちも頭を下げた。 「ごめん。どーしてなんだか分からないけど、このまま先輩と付き合ってちゃ いけないって気がするんだ」 「そーなんだ」 「うん」 −−−−−−−−間−−−−−−−−−−− 「いま別れるっていうのは、mottyに、良い方向に作用することなの?」 「確信はないし、よく分からないんだけど、うん、そー思う」 「分かったは。ごめんなさいね、いろいろ。じゃあ別れましょ」 ミキ先輩の精神的な強さをここで初めて見た気がした。 理由も聞かず、納得いっているはずもないのに。先輩の表情が こわばっているのをみれば、その発言は辛いものに違いないのに、 それでも言葉の上では毅然としたスタイルを保っている。 そんな先輩を見て、別れたくないと痛切に感じた。 「ごめん、おれが悪かった」と抱きついたら、すべてを元通りに できるんじゃないかと思い、そーしたい欲求が強まった。 でも、もう遅かったんだ。 「じゃぁ、わたしもう少しここにいるから、motty先に行って」と先輩がいうので、 もう一度謝ってからおれは駅へと歩き出した。 おれはすごい間違いをしてしまったんじゃないか。何を考えているんだ。 そもそも自分のことばかり考えて、先輩のあの辛そうな表情は誰のせいだよ。 あーわかってる、全部おれが悪いんだろう。なんで自分も先輩も辛くなってしまうのか。 おれが望んだのは何なんだ。 もう思考の悪循環。帰りの電車のなかで煩悶し続けるうちに頭が痛くなり、 電車を降りたときは足がふらふらで、まっすぐ歩くのも難儀な状態だった。 ミキ先輩を愛してなかったのかって? そんなことはないと思う。 そりゃ別れたときはショックだったし、それなりに尾を引いたさ。 でも、これで自由に遊び回れるっていう爽快感があったのも事実で、 先輩たちと遊び、夜はビラオやトド子と遊び、自由を謳歌しつつ楽しい日々だった。 「北海道ってどう?」と6月のある夜ビラオがいった。 「お、いいね。未知の大陸って感じで、旅にはうってつけだな。 でも、どーやって移動する? 電車旅なんて三流芸能人みたいだ」 「原付。DT50って知ってます? バイク屋で見て格好良かったから あれ買おうかなって。とりあえず原付の教本は買ってきたんですよ」 「いいね。じゃおれはいつものミントだな」 「えー、あのおんぼろで大丈夫なんですか」 「んー、なんとかなんだろ」 「すごーい。2人ともライダーですね。北海道ってライダー多いんですよ。 でも肉体的に大変でしょうし、私のウチに遊びに来てくださいよ」とトド子。 彼女の実家は札幌だ。 「よし、じゃあ、おまえの家は北海道でのベースキャンプだ。 親にもよくいっとけよ。2,3泊はさせてくれよ」とビラオが盛り上がる。 おれも調子を合わせたが、内心は結構苦しかった。 だって、誰にも愛されない人のたとえとしてビラオが名指しした このトド子と、おれはいつの間にやら付き合っていたから。何処を間違えたんだか。 で、しかも、冷静に観察しているとビラオはトド子に単なる同級生以上の愛着を感じているようで、 そんなおれとビラオがトド子の実家へ行く。想像するだけでかなり気が滅入る。 |