− 933 さんの恋愛話 −

それまで原付さえも乗ったこともなかった私がバイクに乗ることなったのは、
当時付き合っていた彼氏の影響です。
その彼氏の名前を仮に、乗っていたバイクにちなんで「ブサオ」とします。
ブサオとの話はものすごく長くなるのでまた機会があったときにでもします。

ブサオと付き合うようになって始めて紹介された友達がバイク仲間の彼でした。
彼の名前を同じく仮に「ハヤト」とします。

ハヤトはバイク乗りの男性に少なからず見られるように、
女性への対応があまり慣れていないようで、
「男は自分の進むべき道を歩いていれば、その姿に女は惚れる」と言いながらも、
私がブサオの無謀な行動に涙を流すのを、
どう言葉をかけていいやら分からない様子で泣いている私の後ろを何往復かした挙句、
「・・・が、がんばれよ」と言って私の肩をたたくぐらいしかできないくらいに、不器用でした。

ハヤトは私がブサオに理不尽な振られ方をした時も、
ブサオには説教をしたようですが、私には彼を許すようには言いませんでした。
これはあとから第三者を介して聞いたのですが、
その時ハヤトはブサオに仲を取り持つよう頼まれたそうですが、
ブサオと付き合いつづけるのは私のためにならないと断ったそうです。

私はブサオに振られる少し前から中型の免許を取りに教習所に通っていました。
元からバイクに乗る友達などいなかった私はブサオと別れた事により、
さらにバイク乗りとの接点がなくなり、メル友づくりに精を出す傍ら、
ハヤオに教習所の報告を一方的にメールで送りつけていました。

メール不精のハヤトはたまにそっけない返事くれる程度でしたが、
それでも私は、少しずつバイクに乗れるようになってくるという、
あの湧き上がるような喜びと興奮を聞いてくれる相手がいるというだけで十分でした。

私が無事免許を取得しバイクを購入すると、
ハヤトはバイク仲間を集めてお祝いをしてやると言ってくれました。

とても嬉しかったのですが、ハヤトのバイク仲間と言うのは、
私の知る限りレプオタの男性ばかりで、彼らが話に夢中になると、
私のわからない世界に逝ってしまうのは目に見えていたので、
「バイク乗りじゃないけど職場の後輩の女の子を何人か連れて行っていい?
せっかくだから大勢で騒ごう!」と返事をし、
免許取得祝いはあっさり合コンへと姿を変える事になりました。

実はハヤトにどうかな、と前々から思っていた女性がいたので、
いいチャンスだと思ったのです。
彼女は職場の幹部秘書で、色白華奢で結構な美人ですが、
中身はガッツリ体育会系で、好きな男性のタイプは「男らしく頼れる人」。
ただし、彼女には唯一無二と言える欠点があったのです。
彼女はお酒が好きな割には酒に飲まれてしまうタイプで、酔うと記憶をなくし、
そのままカラオケに行ったりするとモニター前10センチまで寄って、
研ナ○コの「カモメはカモメ」を熱唱するというご機嫌さです。

合コン当日、私の努力も空しく案の定、カモメちゃん(仮名)は酔っ払い、
終電を逃したハヤトを含めた総勢5人で一人暮らしをしている私の部屋で、
始発まで時間をつぶす事になりした。

2台のタクシーに分かれ、1台目に私とハヤトと泥酔状態のカモメちゃん、
2台目にレプオタその1、その2と乗っていました。
気にしてはいたものの2台のタクシーは離れてしまい、
私は2人をマンションの前に置いて、もう1台のタクシーを捜しに行きました。
あたりにそれらしき影はないので携帯で連絡をとり、
運転手さんに場所を教えてマンションの前に戻ると、
ハヤオは電柱に寄りかかり、カモメちゃんをしっかりと抱きしめて立っていました。

「あらあら♪」と置屋のやり手婆の口調で近寄ると、
「馬鹿ッ!支えてないと地面に寝ちまうんだよ!!」とムキなるハヤトに、
私はしめしめ、と思いつつ「悪いけど、ベットまでお願いね」と、
到着した2台目のタクシーに近寄っていきました。
それから爆睡するカモメちゃんの寝顔を肴に、バイク談義で花を咲かせ、
その日の合コンは無事終わりました。

週明けカモメちゃんは恐縮しきりで、ハヤト達には合わせる顔がないと言い、
ハヤトはカモメちゃんのことを「酔っ払った印象しかない」とメールしてきました。
私の目論見ははかなく消え去った訳です。

それから私はネット系のツーリングサークルに入会し、バイクライフを満喫していました。
ハヤトへの一方的なメールもあまりしなくなり、
もともと不精なハヤトからメールが来るわけもありません。

そんな風にして経ったある週の金曜日、
私は仕事帰りにカモメちゃんと2人で映画を観に行きました。
地下鉄から降りるとハヤトからの履歴があったので折り返しましたが、
すぐ留守電になってしまいました。

カモメちゃんと映画を観終わって切っていた携帯の電源を入れると、
ハヤトからと短いメールが入っていました。
「バイク盗まれた」
急いでハヤトの携帯に電話すると、ちょうど警察から帰ってきたとの事でした。

「・・・本気でキツイ」
と言ったきり黙ってしまったハヤトに、
私はとっさに思いついたことを口にしました。
「ご飯は食べたの?」
とりあえず合コンをやった店で夕食を一緒にする約束をして携帯を切ると、
カモメちゃんに事情を話して帰らせてもらう事にしました。
もちろん体育会系のカモメちゃんは快く許してくれたので、
私は何度も謝りながら別れて店に向かいました。

店に到着すると、ハヤトは既にカウンターに座って飲み始めていました。
「悪い、先にはじめてる」
「いいけど、早かったわね」
「車で来た」
「・・・ちょっと、大丈夫なの?!」
「大丈夫って、何が?」
ハヤトの低い声に私は次の言葉が出ませんでした。

ハヤトは驚くほど淡々とバイクが盗まれた時の状況と警察の対応を話しました。
朝はあったが仕事から帰ってきた時には無くなっていた。
自分のアパートの窓の下の電柱にカバーごとチェーンで固定、
それに加えて前後ディスクロック、アラームという、何重もの防犯も役に立たなかった。
カバーや切られたチェーンごとそっくり無くなっていた。
「帰ってくることは、ほぼありえない。気をつけてたけどやられた。お前も気をつけろよ」
口の端だけで笑ってハヤトは静かにビールを飲み干しました。

「まぁ、通勤用のオフ車がまだあるから」
と言ってハヤトは話題を変え、
今思い返しても思い出せないようなたわいのない話をし始めました。
しばらくして「明日、なんかあるのか?」
と聞かれて、私は考えもせず、
「走りに行く」
と答えてしまってから、しまったと気付きました。

「朝早いのか?もう帰るか」
あっさり立ち上がるハヤトに私は慌てて、
「待って、ちょっと待ってよ!」
「なにが」
「・・・今帰ったら完全に飲酒じゃない!
 これで捕まったりしたら、ほんと洒落になんないから!!」
私がすがるように一生懸命言っても、
「大丈夫だろ、深夜だし」
ハヤトはそのまま店を出てしまいました。

私はハヤトを追いかけました。
ハヤトはこの一ヶ月ほど前、第三京浜をぬえわキロで走って切符を切られていたのです。
「1時間でいいから酔い冷ましてよ! うちに来れば? お茶入れるから!!」
「朝早いんだろ。もういい時間だし」
「絶対起きれる!寝不足でダメなようだったらキャンセルするから!!」
ハヤトは苦笑して私を見下ろすと、
「・・・おまえん家までは運転するぞ?」
いつかのように私の肩をたたきました。

部屋に入ってお茶を入れると、ハヤトはバイクの話し始めました。
免許を取ってオフ車を買い、富士山の麓を走り回ったこと。
北海道やオーストラリアでも走ったりしたこと。
それからツアラーを買って、さらにあのバイクに乗り換えてから、
サーキットを走るようになったこと。

ハヤトの表情は無邪気な少年のようでありながらも、その口調は穏やかで、
私はただ黙って彼の話を聞いていました。

「ありがとな。今日は助かった」
突然言われて、私はなんと答えていいかわかりませんでした。
ハヤトは少しうつむいた顔を私からそむけたまま、
あのまま家にいたらどうなってたかわからない、
私に食事といわれて食べる事を思い出したくらいだ、
と床に言葉をこぼすように言いました。

そして私の手を取ると、
「もっと違う出会い方だったら良かったのにな」
と言って強く握りました。
私はやっと、
「・・・私もそう思う」
とだけ言う事ができました。
するとハヤトは少し遠慮がちに私を抱き寄せました。
「俺さ、結構好きだぜ。お前の事」
私はうなずく事しかできませんでした。

私はこの瞬間までハヤトをそういう対象には見ていませんでした。
それまで付き合っていたブサオと別れた時、
私は精神的にほとんど電池切れの状態だったので、
再び充電できるまで彼氏は要らない、
または私に充電してくれるような男性としか恋愛はできない、と思っていました。
それよりはバイクと言う新しい世界に夢中で、
かえって恋愛に削がれる時間や気力が惜しいと思っていたくらいでした。

私はハヤトの腕の中で、初めて彼を男性として意識しました。
私の頬とハヤトの頬は触れたままで、
どちらかが顔を傾ければ、唇が重なる距離でした。
でも、どちらも動きませんでした。
ハヤトは身体を離すと、私の額に額をコツンと合わせ、
「帰る。もう寝ろ」
と言って立ち上がりました。
私はハヤトを引き止めませんでした。

次の日、私はツーリングに行きました。
多少、寝不足気味ではありましたが、
バイクに乗り始めて間もない頃の私は興奮と緊張のあまり、
たとえ満腹になっても温泉に長時間入っても、
眠気が全く襲ってこなかったのです。

熱海で美味しい洋食で腹ごしらえをし、
快調に箱根へ上がって温泉に入り、再び海沿いを走りました。
しかし、解散場所のファミレスの駐車場で、
不覚にも立ちゴケして、右側のミラーを折ってしまいました。

「大丈夫?ミラー片側だけで帰れる?送っていこうか?」
心配してくれる仲間にお礼を言って、私は迷わずハヤトの携帯に電話をかけました。
そこは、ハヤトの家の隣の市だったからです。

「立ちゴケしてミラー折っちゃったよ〜w」
「怪我は?!」
「ない。多分アザができたくらい」
「今どこよ」
「○○○。1号沿いのファミレ」

ハヤトは全くいつもと変わらない口調で言いました。
「俺、これから保土ヶ谷(注)逝くんだよ。レプヲタ2号(仮称)と約束してて。
 保土ヶ谷まで来れるか?」
私は笑って答えました。
「無理無理w ミラーなしで高速なんて、怖くて乗れないよ」

私も努めていつもと変わらない口調で、
「大丈夫。下道でトコトコ帰るよ」
「帰ったら電話かメールしろよ。12時くらいまで保土ヶ谷にいるから」
電話を切って仲間達と別れ、私は原付にも抜かれる速度で国道を走り出しました。


(注)保土ヶ谷:第三京浜・保土ヶ谷PAの事。
土曜の夜になると、主に首都圏のバイク海苔が集まりマターリしている。
昔は台数が集まりすぎてPAが閉鎖されるほどだったそうだが、
現在は夏場でも私の目測では100台くらいかと思われ。


夏も終わりかけのその日は夜になると急に寒くなって、
私は小さく震えながらひたすら国道を走りつづけました。

走りながら、さっきのハヤトとのやり取りを思い返しては、
甘えきった自分の態度に愕然とし、激しく後悔していました。
それでも心の片隅では、迎えに来てくれなかったハヤトに理不尽な苛立ちを感じ、
そしてそんな身勝手な自分を責めつづけました。

何とか家に帰りつくと、私はハヤトに短いメールを出し、
そのまま携帯の電源を切って寝てしまいました。

朝起きて携帯の電源を入れると、ハヤトからメールが入っていました。
「お疲れ。明日起きたら電話くれ」
するかっ!と携帯に向かって突っ込んで二度寝を決め込むと、
昼過ぎにハヤトからの携帯が鳴りました。

「もしもし、俺。寝てたか?」
「うん」
「・・・」
電話の向こうで明らかに戸惑っているハヤトに私は苦笑しました。
「もう起きた。電話ありがとう」

「今日ミラー治しに行くのか?行くなら付き合うぜ?」
本気で心配そうに言うハヤトに、私は落ち着いて答えました。
「昨日バイク屋に電話した。来るの早くて水曜だって言ってたから、
 会社帰りに逝って来る」

ハヤタはホッとしたように明るく言いました。
「治ったら走りに行こうぜ」
「嫌よ。ハヤト、私がちんたら走ってたら置いて逝くでしょ」
「・・・」
そんな事ない、と否定しない(できない)ハヤトの正直さに、私は笑い出しました。

とりあえず直ったら連絡することにして電話を切り、
私は改めてハヤトの不器用さを感じて、再び苦笑しました。

週が明けて、私はカモメちゃんに謝りがてら、週末の出来事を話しました。
「ハヤトが私に好意を持っててくれたって全然気付かなかったよ。
 カモメちゃんは気付いてた?」
「・・・そう言われればって感じですかね」

カモメちゃんはあやふやな記憶を一生懸命たどっているようでした。
「ハヤトさん、あの飲み会の最中、ずっと先輩のそばにいたって言うか、
 そういう印象はありましたけど」
「まぁ、お互い幹事だったからねぇ」

「先輩、本当に気付かなかったんですか?」
「そうじゃなきゃカモメちゃんにどう?なんて言わないよ」
「確かに。で、今はどうなんですか?
 ハヤトさんのこと好きになったんじゃないんですか?」
遠まわしな表現など一切せずに真正面から聞いてくる、
カモメちゃんの思い切りのよさに私も本心を言いました。
「わかんない。2人きりで会ったのだって、初めてだったのに」

私は自分で言いながら、自分の気持ちを改めて確認した様な気がしまた。
「きっと嫌いになる事はないよ。ハヤト、いい奴だから。
 でも恋愛感情となるとどうかな。まだ始ったばかりだからね」

結局ハヤトはあのバイクがなくなって、
1ヶ月経つか経たないかのうちに新しいバイクを買いました。

納車の日はちょうど土曜日だったので、
新しいバイクを見るために保土ヶ谷に行きました。
いつもレプヲタ達と集まっている売店に近い定位置ではなく、
少し奥まった植え込みの沿いにハヤトは立って手を振っていました。

新しいバイクは、無くなったそれと、同車種、同年式、同色で、
ハヤトのこだわりが分かるものの、
私は複雑な気持ちに言葉が出ませんでした。

しばらくハヤトは、このバイクを見つけるのために、
仲間達がどれだけ力を貸してくれたかを、とても嬉しそうに話していました。

「今度の連休の日曜、サーキットの走行会に逝って来る。
土曜か月曜ヒマだったら買い物付き合わないか」
「いいよ。ナプース?」
「違う違う。横浜のアウトレット。アウトドア用品のショップが店出してるんだ」

ハヤトはオフ車海苔によく見られるようなキャンプ好きで、
ブサオやその仲間達とも何度か行っていました。

「バイクで?」
「車だと停めるのに苦労するからな」
と言って、ハヤトはまじめな顔をして付け足しました。
「高速もほとんど使わないから、お前も置いてかないし」

確かに、カッ飛んで逝けるような高速も、
ヒラヒラできるワインディングもない都市部の一般道なら、
我を忘れて戦闘モードにスイッチが入る心配もないと言う訳で、
そんなに私の一言が気になったのかと、私は苦笑するしかありませんでした。

その連休の土曜は既にツーリングの予定が入っていたため、
買い物の約束は月曜となりました。

「今日レプヲタたちは?」
「呼んでない。明日、箱根に朝練に行くから」
「じゃあ朝早いんだね。帰ろうか」
「悪いな」

ハヤトは立ち上がりましたが、私は長時間地面に直接座っていため、
足がこわばってすぐに立ち上がれず、思わずハヤトに手を伸ばしてしまいました。
ですが、ハヤトはそれには気付かず、既にバイクに向かっていました。

私はそうやって無意識にハヤトに甘えようとする自分が恥ずかしくなって、
すぐに手を下ろしましたが、ハヤトはそれに気付いて慌てて戻ってくると、
私の腕をつかんで引っ張りあげました。

「大丈夫か」
「ごめん」
私はその場をごまかすために屈伸をして、
自分で飲んだコーヒーの空き缶を拾いました。

「ハヤトの分も捨ててくるよ」
手を差し出すと、ハヤトは一瞬以上の間考えて、
「自分で行く」
と言ってパッと私の手を取りました。

ハヤトの手は熱いくらいに暖かく、
冷え性の私の手をあっという間に暖かくしてくれるような気がしました。
私たちは手をつないだまま短い距離を黙って歩きました。

ごみ箱まで行くとハヤトは私の手をつないだ時と同じようにパッと離して、
「トイレ逝って来る」
そのまま一人で歩いて逝ってしまいました。

私は何か取り残されたような気持ちになりながらも、
ハヤトの不器用さを感じて心の中で溜息をつきましました。

連休に入り土曜日にメールで待ち合わせを決めました。
日曜はとてもよい天気で、ゆっくり起きた私は洗車をしに行きました。
洗車場につくと、ハヤトから携帯が入っていました。
彼にしてはごく珍しく、留守電にメッセージが入っていていたので、
私はすぐに掛けなおしました。

「・・・今日バイク乗ってるか?」
「洗車場に来てるけど」
「じゃあ家に帰ってからでいい」
その割に何かあせってるようなハヤトの口調に私は首を傾げました。

「急ぎじゃないの?明日の事?」
「いいから!」
いらだたしげなハヤトに、私は溜息をつきました。

「分かった。家に帰ったら電話する。急いだ方がいい?」
「・・・いや、急がなくていい」
ハヤトの低い声に、私は明らかに違和感を覚えて、
電話を切るとそのまま洗車はせずに家に帰りました。

「もしもし?」
「いま家か?」
「うん」
「ブサオが事故った。意識不明の重体で、いま手術中」

ハヤトは今日サーキットにブサオと逝ったのか、と私は驚きました。
誰と一緒に行くのか聞いた訳でも聞かされた訳でもないのですが、
私の頭の中ではハヤトとブサオは完全に切り離されて考えていたため、
何なら2人が友達である、と言う事も意識から外れていたくらいでした。

「・・・いつ、どこで」
「最初のフリー走行で自爆した」

私は大きく息を飲んで眉間を抑えました。
付き合っていた頃から、いえ、私と付き合う前からも、
ブサオは血中のアドレナリン濃度が高くなると、
とにかくよく事故を起こす傾向にある男だったからです。
不幸中の幸いだったのは、彼に巻き込まれて怪我をした人がいなかったことでした。

「いまサーキット近くの病院にいる。さっきご両親が着いた所だから、
これからバイク引き上げに逝ってくる」
珍しくハヤトが大きな溜息をつきました。
「明日またこっちに様子見に来るから、 買い物はちょっと無理だな」
「そうだね」
「ごめん」

しばらく続いた無言の後に、ハヤトは少し早口に言いました。
「あのさ」
「はい?」
「今日明日と乗るなよ」
「なに?」

「頼むから今日明日とバイクには乗らないでくれって言ってんだよ!」
ハヤトはそう一気に言うと、再び大きな溜息をつきました。
「ごめん」
「・・・分かりました」
私は帰ってきたらメールか電話してくれるように頼んで電話を切りました。

電話を切ってまず最初に思ったのは、
ご両親もさぞ心配されているだろう。ブサオと付き合っていた当時は、
この類の事で何度も泣かされたな、と言う事でした。
でもそれは、はるか昔の、そしてまるで他人事のように思えて、
私はブサオの事を完全に吹っ切れていたと改めて確認する思いでした。

そして改めてバイクと言うのは人の命を奪う凶器にもなり得るものなのだ、
と言う事をまざまざと見せ付けられ、
私は全身の血が冷えるような緊張感に襲われました。

夜ハヤトから電話でブサオは手術が終わり、
意識は戻らないものの、命の危険はない状態になったと教えてくれました。

ハヤトはブサオが実家の近くの病院に転院するまで、
毎週末ブサオのところに通っていました。

ブサオは頭蓋骨骨折及び脳内出血と言う大怪我を負ったにもかかわらず、
事故った次の週には歩き始めると言った驚異的な回復力を見せ、
周囲を驚かせていました。

私はブサオのお見舞いには行きませんでした。
とても自己中心的ではありますが、
付き合っていた頃、ブサオが事故を起こす度に胸が押しつぶされそうになり、
それでもバイクを降りてくれとは言えずに一人で泣いていた、
過去の辛い気持ちを思い出したくなかったからです。

それに、その当時とは違い自分でバイクに乗り始めた私は、
ブサオのバイクに乗る事に対する姿勢に明らかな疑問を抱いていて、
なるべくなら、もう会いたくないとすら思っていました。
ハヤトは私を見舞いに誘う事はありませんでした。

ブサオの件が一段落して、
私とハヤトは改めて保留になっていた買い物に行くことになりました。

保土ヶ谷で待ち合わせをして第三京浜から首都高に乗り、目的のアウトレットショッピングモールに向かう間、
先を走るハヤトは何度も何度も私を振り返り、私は内心、そんなに私の走りは頼りないのかと落ち込んでいました。

ハヤトの買い物はあっという間に終わってしまい、かといって他にハヤトが見て回りたそうな店はなく、
私もハヤトを連れてウィンドウショッピングを楽しむ気にもなれず、早めの昼ご飯を取ることになりました。

食事の間中ハヤトは笑いながら、私の走りに付いてダメ出しをしていました。
その後はしばらく広場のベンチでタバコを吸いながら、馬鹿な話をして笑いあっていました。
でも私が聞きたいのはそんな話ではありませんでした。

私はずっと待っていました。
私たちはこれからどうなるのか、これからどうしたいのか、ハヤトが言ってくれるのを待っていました。

しかし、ハヤトは何も言わず、また私も何もハヤトに問えないまま、なんとなくショッピングモールを離れ、再びバイクにまたがりました。

ハヤトはそのまま来た道を引き返していました。
第三京浜に乗って、前を走るハヤトがPAに入るために車線変更をしたとき、私はなぜだろうと思いました。

道が空いていたため、まだ30分ほどしか走っておらず休憩が必要だとは思えません。
また私が変な走りをしてハヤトを怒らせたのだろうかと不安になりました。

ハヤトはヘルメットをとって私に歩み寄ると、少し困ったような表情で言いました。
「夕方からレプヲタ1号たちと横浜で飲む約束なんだよ。バイク置きに戻らなきゃならないから、今日はここまでな」

私は驚きのあまり言葉が出ませんでした。
今日は当然、一日中ふたりで遊ぶ、いわゆる「デート」のつもりでいたからです。
でもハヤトはそうではありませんでした。
彼の言葉のとおり「買い物に付き合う」だけだったのです。

「一人で帰れるか?」
ハヤトは私がうなづくのを見て、再びヘルメットをかぶりバイクにまたがりました。
エンジンをかけてクラッチをつなぐと、ハヤトは左手を上げました。
私が反射的それに応えてハイタッチをすると、ハヤトはヘルメットの中で笑っていました。

私はハヤトのバイクが見えなくなるまで見送りました。
姿が見えなくなってしばらくすると、合流で加速したハヤトのトライオーバルの音が聞こえました。

それもすぐ聞こえなくなりましたが、私はその場にずっと立っていました。
でもそうしていると、こんな所に取り残されたと言う苛立ちが胸の中に渦巻き始め、私はそれを振り払うように慌ててバイクにまたがりました。

PAを出て本線に合流しようとすると、不思議なことに周りには一台の車もいませんでした。
私はバックミラーを見ながら速度を落としギアをさげていきました。
そして両腕を下ろして大きく深呼吸し、最後にもう一度ミラーを確認すると、アクセルを全開にしました。

レッドまで引っ張ってシフトをあげ、また最後までアクセルをひねる。
私は全身を集中させてバイクの鼓動を感じていました。
バイクが限界を迎えたとき、前の車に追い付いたので、私は速度を落として一番左の車線に移りました。

それからしばらく流して走っていると、前にオープンにした白いCLKが入ってきました。

運転席には白髪の男性、助手席には同じく白髪の女性が乗っていました。
車のミラー越しに目が合ったなと思ったとき、男性が手を上げて掌を開いたり閉じたりしました。

私はハッは気づいて下を見ると、案の定、ウィンカーはつけっ放しになっていました。
慌てて消して軽く手を上げると、助手席の女性が振り向いて笑顔で手を振ってくれました。

しばらく一緒に走っていましたが、ミラー越しに見える男性は笑顔で、助手席の女性は大きな声で男性に話し掛けてみるものの男性には届ないらしく、私を振り返っては笑っていました。
川崎で出口に向かうCLKと別れるとき、私が軽く手を上げると、女性はもう一度手を振り、男性は軽くクラクションを鳴らして親指を立てました。

私は玉川の出口で下りて小銭をしまうために脇に寄ったとき、そのままエンジンを切って車の流れを眺めていました。

頭の中はハヤトに対する「なぜ」という言葉が繰り返し繰り返し巡っていました。
なぜハヤトは何も言ってくれないのか、何もしてくれないのか。
なぜ私は何も言えないのか、何もできないのか。

ハヤトは不器用で照れ屋で馬鹿がつくほど正直なので、彼の言葉を使って言うならば、私は彼にとって、違う出会い方をしなければ付き合えない、あくまでも「友達の(元)彼女」なのでしょう。

そして私はハヤトの考えが変わるのを待つこともできず、また、考えを変えさせるよう行動するまでにも至らないのです。

これだけハヤトの言動に一喜一憂する私はきっと、彼のことが好きなのでしょう。
それでも何のアクションにも出れないというのは、果たしてそれは彼のせいなのか、それとも私の気持ちが足りないからなのか。

考えても結論は出ない、と言う結論に達して、私は空を見上げました。
とてもきれいな夕焼けで、明日もきっと晴れるのだな、と思いました。

明日は少し遠くに走りに行こう。
一人でのんびり走ってみよう。
私は行き先を考えながら再びエンジンをかけ、明日への期待に少し胸を高鳴らせながら、長い橋に向かって走り出しました。



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