− サボテン さんの恋愛話 −

結構前の話。

俺の住んでるところは、田舎で遊ぶところが皆無。だから、バイクでツーリングしたり、
車でドライブくらいが楽しみ。中学時代の友人4人で、土曜の夜は集合してバイクの
話をしたり、世間話を楽しんでいた。

土曜の夕方あたりになると決まって電話がかかってくる「ねぇ、今晩あたりあつまる?」
と、毎週土曜に電話をかけてくるのは直美(仮)ちゃんだ。「仕事終わるの7時くらいだから
7時10分頃いつもの場所でいい?」と、答えるのが毎週土曜日のデフォであった。
仕事が終わり時計を見ると既に、時間は7時ちょうどだった。気軽時間が無かったから
ツナギのまま、バイクに乗って出かけた。いつもの場所は、人気の無い緩やかな峠道の
中腹にあるトイレと駐車場があるだけで何もない。いつもの場所に着くと、いつもの
メンバーがもう集まっていた。そこで、適当にいろいろな話をしてると、高志(仮)が
話を振ってきた。「お前、またツナギかよ。たまにはちゃんと着替えて来いよ」と言われた。
最近は忙しくて、会うときはいつもツナギだった。ミカちゃん(仮)が何か鼻をつまんでいた。
「何か臭くない?」と言われハッとした。今日は、土に肥(堆肥、牛のウンコとかワラとか)を
混ぜていたんだ・・・。風呂に入ってくれば良かった。と、思ったが遅かった。
「女の子も来てるんだから、ちゃんとシャワーくらい浴びてきなよw」と直美ちゃんが、腹を
抱えて笑っていた。みんなに笑われて恥ずかしかったけど、この雰囲気がとても
好きだった。「いや、しかし農業って大変だな。ウンコ混ぜたりすんのか」と、高志が言った。

ウンコは作物にとっては重要な要素なんだ。これだけはいくら臭くてもはずせない!」と、
ウンコ論に花が咲いた。「でも、農業ってお前に似合うよな」と、高志に言われた。
「その理由は??」と、聞いたのはミカちゃんだった。「だって何かこう顔が、農業して
ますって感じだろう?むさ苦しいというか・・・」あははは、と笑い声が響く。「確かになぁw
でも、農業やっててバイクに乗ってるのも何か変な感じだよなぁw」と、言われた。
段々と気分が悪くなってきた。怒りがこみ上げてくると言うよりは、悲しみに近かった。
「トラクターに乗ってる方が似合うぞ!w」と、高志に肩を叩かれた。ハハと笑って
なんとか耐えた。「今年のボーナス幾らかなぁ?」久志が言った。俺はボーナスとか
そう言うのは無いから、黙って話を聞いてると「お前、ボーナスは無いんだよな?
ローンとかどうしてる?」と聞かれた。ローンは売上の中から諸経費を引いた分から
払ってる、と普通に答えた。「大変だな、自営業は。確実な収入が無いから」高志が
半ばにやけた顔で言ってきた。更に、「普通に就職しろよ。その方が楽だぞ!休みの日に
働かなくてもいいし。農業なんて流行らないぞ」と言われ、居たたまれなくなった。「俺は
好きでやってるからいいんだ」と、一言だけ言ってその日は帰ってしまった

確かに農業は好きだからやってる。サボテンや多肉植物とか鉢植えの花が好きだ
ったし、親父の影響もあって花を作っている。本当に好きでやっている事や、好きな
物を小馬鹿にされたことが、今まで無かったから本当にショックだった。高志にして
みれば、ただの笑い話だったのだろうが、俺は深刻だった。確かに給料とかボーナス
という物は存在しない。自分で借金して、作って売って初めて現金が入り、借金を
返して、自分の生活費に充てる。そういったやり繰りをしながら生活するのが、本当に
好きだったのに・・・。その日のショックで次の日、仕事を休んでしまった。その次の日も
休んでしまった。農業にとって、ずる休みをすると言うことはもの凄く痛いことだ。それに
も関わらず、バイクだけには乗っていた。バイクだけが唯一の拠り所みたいになっていた。
その間、仕事はパートで来てもらっているジンさんという男の人がやっていてくれた。
明日は、しっかり仕事をしようと思い、その日は早めに床に入った。やっと寝付いた頃に
、携帯電話が鳴った。「元気?ちゃんと食べてる?」と、少し暗めだったのを覚えている。
直美ちゃんだった。あんな帰り方をしたものだから、何を喋っていいのか分からず、ただ
「うん」と、なるべく元気そうに答えた。

話に行き詰まってると、「この前の事気にしてる?」と、聞かれた。
「少し。あんまりそう言うこと言われたこと無かったから・・・」と、答えると
直美ちゃんは、「だよね、誰だって自分の信じてることとかバカにされたら
嫌だよね」と、暗い調子でそう言った。心配して、あえて明るい声で喋る
自分がいた「でも直美が言った訳じゃないんだし、あまり気にする必要はないよ」
と、泣き出しそうなところを精一杯の明るさを出して話した。「でもあの時、止めなかった
私たちも悪いよ。ごめんね、あの時何も言ってあげられなくて」かなり悲痛な声だった
と思う。とにかく、その日はそれで終りにして俺は寝た。
 農業は早起きで、いつも4時には起きる。取り合えず、仕事場に行った。車庫には
いつも通りに自分のバイクが置いてある。色々な憂さを晴らすために、無茶な乗り方
をしたせいか、ずいぶん汚れていた。昼休みに洗おうと思い、仕事を始めた。温室の
天窓を開けて換気する。灌水装置のスイッチを入れて水をかける、ウンコの山を崩して
十分に空気を吸わせる。堆肥の山を見ると、この前の話がよぎった。泣きそうになった
が、グッとこらえた。「なんて情けない男なんだろうな・・・」そんな思いで仕事をしていると、
あっという間に昼になった。昼食を早めに終えて、バイクを洗った。アスファルトの粉や
泥、傷がかなり目立って汚くなっていた。汚いのは自分も同じなので、不思議とバイクにも
親近感が湧く。ウンコまみれ泥まみれ埃まみれ、ウンコは当てはまらないけど似たような
もの。

7時半頃、日報を書いているとき、電話が鳴った。「私。今晩暇?」と、聞かれていつもの
癖で大丈夫だ、と答えてしまう。直美ちゃんからだった。「あのね、ちょっと話しない?あまり
時間取らせないから」と、夜に電話したときは違って明るい声だった。すぐに、仕事場の
シャワーで体を入念に洗って、よそ行きの服に着替えた。何度も、体の臭いをかいでは
制汗スプレーを吹きかけた。バイクに乗って、走り出したとき自分の首筋から匂う、柑橘系
の香りが匂った。「これなら大丈夫だ」心の中で密かに思った。
 いつもの場所に行くと、直美ちゃんがベンチにポツンと座っていた。「この前の事なんだけど
・・・」いきなり言われてびっくりした。「みんなで話して、あんたに何かお詫びしたいって話
になったんだけど」なぜだか、体の力が抜けていったのを今でもはっきりと覚えている。
きっと、あの時の怒って帰ったことで、みんなを不愉快にさせたと思っていたからだと思う。
「お詫びなんていいよ。黙って帰った俺が悪いんだから、冗談が分からなかった俺が
悪いよ」と笑って答えると、直美ちゃんも安心したようだった。「仕事の話聞かせてよ」と、
言われた。機嫌取りかな?と思ったけど、気遣ってくれる直美ちゃんに感謝しつつ、仕事の
話した。その日は二人とも笑顔で別れた。

ぼーっと、仕事場でジュースを飲みながら本を読んでいると、直美ちゃんの
顔が思い浮かんだ。「気遣ってくれてるんだなぁ、有り難いなぁ」と思い、しみじみ
としていた。ふと思い立って、近場をバイクでゆっくり走ってみた。峠をぐるっと回り、
ゆっくりと下っていると、向こう側のコーナーから勢いよくバイクが飛び出してきた。
すれ違いざま、そのバイクを見るとどこかで見覚えがあった。ドゥカティだった。
いつもならすぐに追いかけて、追いかけっこになるのだがその日は、あまり会いたくなくて
そのまま下った。決して仲が悪くなった訳では無いのだが・・・。少し下ると後ろから、バイクがやってきた。走ってる隣に来て、「止まれ!」と目で合図してきた。ドゥカティだった。
止まると、高志が近づいてきた。「この前は本当に悪かった!でも、本心で言った訳じゃない
。冗談で言ったんだ。でも、お前は本気だったんよな、そんなお前に気付いてやれなくて
申し訳ない」そう言うと、ヘルメットを付けたまま腰を90°に曲げて頭を下げた。彼が
ここまで頭を下げるのを見たのは、かなり衝撃的だった。いつもはちゃらちゃらしてて、
お調子者だったから余計だった。「いや、そんなに謝らなくてもいいって。俺もちゃんと
分かってるから」と、言いつつも涙があふれている自分がいた。ただ単に嬉しくて、それで
いて、安心してだったと思う。それから、また普通に会う約束をしてその日は帰った。
帰りは、少し飛ばして帰れたと思う。あまりバイクは上手に乗れる訳ではないけど、
綺麗なラインを描けたと思った。

それからは普通に会って話しを出来るようになった。あの時の話をする人は
誰もいなくなっていた。高志もいつもの調子をとりつつも、一言一言考えて言
葉を喋るようになっていたと思う。その日、タンデムの練習をしようと言うことに
なった。各自、後ろに乗せて峠を走る。高志はタンデムシートが無いので、俺の
バイクを貸した。まずは、高志が直美ちゃんを乗せて峠を下りていった。そして、
間隔を開けて、久志とミカちゃんが降りていった。一人残ってしまったので、
しばらく煙草を吸ったり、お菓子を食べて暇をつぶしていた。そして、久志とミカ
ちゃんが戻ってきた。そこで、あれやこれやとタンデム論議を交わした。その時の
時刻は、確か10時ちょっと過ぎだったと思う。それからまた話をしていたが、
直美ちゃんと高志をはなかなか帰ってこなかった。各自、バイクには無線機w
取り付けていたから、呼び出してみたが返事は無かった。「確か、県道の方に
行ったと思ったけど」と久志が言った。コンビニでも行ったかな?と思った。
それから、数分して二人は帰ってきた。やはりコンビニで飲み物を買っていた。
転んだのかと思いちょっと心配していた。その日の土曜日は楽しく過ごせた。

 仕事で東京に行くため、飛行機に乗っていた。乗ってる間、新聞を読んだりして
暇をつぶしていた。ふと直美ちゃんの事を思い出した。特に何を思う訳でもなく、
ただ顔が浮かんだだけだった。それから、東京で仕事をして次に山形に向かった。
新幹線に乗っていた。車内販売で、いつものメンバーに薄皮まんじゅうを買った。
直美ちゃんの顔がまた浮かび、直美ちゃんには別のおみやげを買った。何故か
その時、某有名なシュウマイを買った。何でシュウマイなんだっけ?と後で
激しく後悔したした、何で彼女だけには別に買ったんだろう?と思うと、凄く
恥ずかしくてたまらなかった。隣の席の人に笑われたような気がして、トイレに
逃げた。

それから、家に帰った。まんじゅうは次の土曜日にみんなに渡そうと思ったが、
シュウマイはどうしようと思った。女の子にシュウマイ渡してどうするんだろう・・・。
と、かなり不安になった。女の子にはもっとふさわしい物があるんだろうなぁ、
と思いつつもその日は寝た。取りあえず、シュウマイとまんじゅうは仕事場に
隠しておいた。二日後、仕事をしてると役場の軽自動車がやってきた。軽から
は直美ちゃんが出てきた。「はい、防除便り」と回しものを渡された。ちょうど、
休憩時間だったから、コーヒー出そうとした。仕事以外で女の子と二人になることは
無かったので緊張した。あまりに緊張して、コーヒーメーカーのコーヒーの入った
壺?を落として割ったのを覚えてる。ケラケラと笑う彼女に、はははっと笑って
みせた。取りあえず、お茶を出して話をしていた。シュウマイの事を思い出して、
渡そうか悩んだ。渡してしまった。「これ、仕事で東京行ったから・・・。おみやげ」
直美ちゃんはキョトンとしてたが、喜んでくれた。直美ちゃんが帰った後に事務を
お願いしているミユキさんに「何でシュウマイ??」と突っ込まれ、やはり後悔した。

 土曜日の夕方に電話がかかってきた。「集まるぞ、いつもの場所な!」と、高志
からだった。「仕事終わったか?終わるまで待つぞ」と気遣ってくれてる様子だった。
この日の仕事は午前だけだったから、風呂に入ってから行くと伝えてすぐに風呂に
入って出かけた。まんじゅうと水筒に入れたお茶を持っていつもの場所に行くと、まだ
誰もいなかった。早く来すぎたようだった。それからぽつりぽつりといつもの面々が集
まって来た。全員集まったところで、まんじゅうとお茶を出した。喜んでくれたようだった。
しかし、直美ちゃんにだけシュウマイをあげた事を思い出して、ここでもまた後悔した。
でも直美ちゃんは何も言わずに、普通だった。安心した。

その日は、お尻の動かし方を練習した。町に一つだけある喫茶店に移動した。
未だに純喫茶と書いてある古い喫茶店だが、走った後の一服によく利用していた。
「あんたって何作ってるんだっけ?」とミカちゃんに聞かれた。一瞬、全員の顔が
凍り付いた。何故か、俺の仕事のことは喋ってはいけないような、暗黙の了解が
できあがっていたようだった。でも、なんとか明るく振る舞い仕事の話をした。
「多肉植物とサボテンがメインだよ」と、話した。「他には?」と、ミカちゃんがらんらん
と目を輝かせながら聞いてきた。「母の日のカーネーションと自分で食べる用のトマト
とか・・・」高志が心配そうな顔で、他の顔ぶれをキョロキョロしていた。「トマト嫌いな
人いる?」直美ちゃんが唐突に言い放った。「俺はダメだな〜〜」と高志が答えた。
二人は話を必死に変えようとしていたのだろう。他の二人もトマト嫌い論を話し始めた。
一転して場は明るくなった。仕事の話をもっとしたかったけど、仕方ないな。と、思い
トマトの話をしていた。野菜の話が盛り上がり、帰ったのは1時過ぎだった。
 寝る前に、温室の見回りをした。それから、事務所兼休憩所で何かを飲んで(麦茶か
なんかだった)をぼーっとしていた。直美って優しいんだなぁとか、高志は結構ぶきっちょ
なんだなぁとか、考えていた。その時からだったと思う、直美ちゃんの事を好きなり始めたのは。そうして思慕していると、眠くなったのでそのまま寝た。
 日曜日、いつものメンバーに海までツーリングしようと誘われたが、仕事があったので
断った。直美ちゃんに会いたかったけど仕方なかった。ここが農業の辛いとこで、遊びたい
時に遊びに行けなかったり、連休が無かったりがザラだ。とにかく、仕事をした。誰も今日は
いないから、一人で作物を管理する。そんな時でも直美ちゃんのことは忘れられなかった。
彼女が隣にいたり、奥の鉢が置いてあるベンチの脇に立っていたり・・・。妄想だった。
そこまで人を好きになるという事は、今まで経験したことがなくて何とも言えない気持に
なった。でも、そんな気持になれるのがとても心地よかった。仕事に張り合いが出るから。

午後からまた仕事をしていた。大概の仕事は終わらせたので、時間が余った。
何をするでもなく、外に置いてある森永ホモ牛乳のベンチに腰掛けて、脳内会議
モードに浸った。今頃、海で遊んでるんだろうか?今日は天気がいいし、暑いから
気持ちいいだろうな、とか考えていた。アホっぽく思い、バイクの手入れをすることに
した。オイルを交換してる時電話が鳴った。「仕事まだしてる?」ミカちゃんからだった。
「今から来れる?」と聞かれ、大丈夫と答えた。海まで40分弱、バイクを飛ばして
出かけた。みんな水着で泳いでいた。「何だ海パン持ってこなかったのか?」と、
言われハッとした。仕方なく、かき氷を食べながら海を見ていた。直美ちゃんの
水着姿・・・。普段ならやましい気持で見るのだが、そんな風には見れなかった。
可愛いとか、綺麗とかそんな思いも無くただじっと見ているだけだった。心地いい
気持から、何故か自分に腹が立ち、無性に情けなくなった。日が沈んできて、みんなで
かき氷を突いていた。「高志って、腹筋割れてるんだねぇ」とミカちゃん(だったと思う)が
話し始めた。「高校で重量挙げやってたよな」と、何とか俺も会話に入った。「あんた部活
何だっけ?」と、直美ちゃんに聞かれた。「山岳部だったよ」と答えた。また笑われるかと思ったが、今度は大丈夫だった。その時点で直美ちゃんと目を合わせて話をすることが
出来なくなっていた。それでも直美ちゃんと話しをしていたかったから、おかしいなぁと
思った。そして、帰りは一人だけ別の道を回り道して帰った。適当に、整備したてだから
、馴らして帰ると誤魔化した。一緒に走っていると、余計な事を考えて事故を起こしそう
だったから。

家に帰って、バイクに着いた潮を洗い落とした。洗っている間に何度ため息を
しただろうか。機嫌が悪いわけでもなく、落ち込んでいると言うわけでも無かった。
ただ、本当にため息が漏れてくるだけ。部屋に入り、何と無しに中学校の時の卒業
アルバムを開いてみた。見慣れた面々が写っていた。勿論、自分も写っていた。
ページを見るたびに、直美ちゃんの姿を探す自分がいて恥ずかしかった。ストーカー
かよ・・・。と、思いアルバムを本棚に戻した。ゴロリと横になっても、浮かんで来るのは
彼女、本を読んでも出てくるのは彼女。とにかく、頭から離れなくなっていた。まるで、
病気にでもなったのかと思った。明日は月曜日だから早く寝なければ、そう思い風呂に
入り、布団に入った。眠れるわけもなく、天井を黙って見つめていた。「直美ちゃんかぁ」
と、声を出してみた。当人が現れるはずもなく、声は扇風機の音にかき消された。

朝起きると、やはり彼女の顔が浮かんでしまう。寝ても覚めても、とはこのことだろう。
とにかく仕事をした。いつも通りに仕事をこなすと、夕方だった。直美ちゃんに電話
してみることにした。「俺だけど、今は暇?」少し緊張した声で話した。直美ちゃんに
俺の声はどう伝わったのか気になった。「暇だけどどうした?」俺は、彼女をいつもの
場所に誘おうとしていた。無理だろうな、と思っていた。「ちょっと、いつもの場所に
行ってみようかと思ってたんだけど、行かない?」直美ちゃんは快く応じてくれた。
出かけるときの恒例行事が始まった。まずは、風呂に入り体を丹念に洗う。タオルに
石けんをこすって泡立てて、一心不乱に体を洗う。土臭さや泥臭さは無い。軽石で
磨く、磨く磨く。髪をガリガリと洗う。ブラシで洗う。そして歯を磨き風呂を出る。髪は
セットしなくてもまとまるほど短く刈っているから、セットはしない。そして、着替えて
出かけた。

 しばらく待った。カブトムシがいたので捕まえて遊んでいた。30分くらいは待ったが、
バイクどころか車一台通らない。心配になり電話使用としたがやめた。うなだれて待っ
ていると、聞いたエンジン音が聞こえてきた。かなり回っている。直美ちゃんが来た。
ヘルメットを外すとき、髪がふわっと舞った。それを見て、ドキッとした。黒い髪に夕
日が透けて見えた。写真にでも撮りたいくらい綺麗だった。「ごめん!!待った!?
待ったよね?」小走りに俺の所にやってきた。「待ったけど、これ見てたら時間忘れてたw」
カブトムシを見せると、笑われた。「男ってカブトムシ好きだよねぇ、どうして?」と、聞かれた。「あぁ・・。やっぱり強そうなところかな。なんか動きが遅くてもかなりトルクありそうだよね?
なんか戦車みたいだし。」そう答えたら、また笑われた。「あ!実はねぇ、これ作ってて
送れました」と、直美ちゃんは紙の包みを差し出した。「おにぎり握ってきたから食べよう」
こういうときはどう喋ればいいんだっけ?あたまの中でまた会議を開いた。会議は
まとまっていなかったが喋った「おお!ありがたい、まだ飯食べてなかった!」直美ちゃん
は、食べよう食べよう!とベンチに腰掛けた。とても美味しかった、中身は梅干しだった。
と、思う。「今日は私だけ?」と聞かれドキリとした。「あ、高志達も呼ぶ?」そう答えたが、
直美ちゃんは「いいよいいよ、たまには少人数でやるのもいいでしょ!」明るくそう言った。
嬉しくて、何かお礼に言葉を出そうと考えた。「おにぎり美味しいよ」精一杯の褒め言葉
だった。現に美味しかったから、この言葉しか出なかった。「おにぎりなんて、誰が
作ったって美味しいって」と、大きな口を開けて、彼女は笑った。

せっかくのチャンスだし、ここで思いを告げて果てよう。そう思い、何度も
言おうとしたが出来なかった。ここまで来てどうして?と、思ったが理由は
すぐに出てきた。自分が弱いからだ・・・。そう思いつつも、笑顔で話しを
聞く自分がいて、辛かった。「あ!VFR!」と言われ、ハッとした。VFRが
峠を下っていった。「VFRもなかなか格好いいよね」とっさの事だったので
「白バイのVFRに乗ってみたいなぁ」としかしゃべれなかった。「確かに白バイ
って格好いいよねぇ。でも、ヘルメット脱いでサングラス外したらおじさんだった
という、前例があるよ」二人で大笑いした。「でも、○△(俺)だったら似合うかもね」
嬉しかった。好意を寄せている人から褒められると、こんなにも嬉しいのか。
段々といつもの調子が出てきてその日は楽しく過ごせた。そして、新たに決意した。
次に会うときは、絶対に思いを伝えよう。ダメだろうと何だろうととにかく、それだけは
伝えたかった。帰り道、グリップを握る手に力がグッと入った。誰も通らない旧道を、
ガンガン攻めて帰った。が、転んだ。また気を引き締めることが出来た。

そして、数日してまた土曜日がやってきた。案の定電話が鳴った。珍しく
ミカちゃんからだった。「あぁ・・・。今日は暇?」勿論、暇だと答えた。風呂に
入り身だしなみを整えて、準備も万端だ。「あのさぁ、ちょっとみんなに話した
いことあるんだけど・・・」ミカちゃんらしくない不安げな声だった。とにかく、
いつもの場所に向かった。長袖の裾からねっとりとした、夏の熱気が入り込ん
でくる。不安げなミカちゃんの声も手伝い、おかしな汗が流れてくる。
 いつもの場所に着くと、高志が一人で待っていた。「ミカちゃんから電話
もらった?」と、聞くと久志から電話が着たと言った。「遅いな、ところで俺のバイク
なんだけど、どこかちがくないか?」何か嬉しそうな表情で、ドゥカティをさすった。
ドゥカティを隈無く見たが、いつもと変わらない赤いバイクだった。「気づいてくれよ!
今日、洗ったんだよ」と、嬉しそうにドゥカティを抱きしめた。「そうか、どうりでピカピカ
だと思ったよ!ウン、本当にピカピカだ」半ば、バカにした様な口調で言ったら。高志
は、こぉのやろーと言いながらゆっくりと近づいてきた。思いっきり脇を後ろから
くすぐられた。涙を流しながら笑っていると、異なるバイクのエンジン音が聞こえた。
直美ちゃんとミカちゃん、久志だった。ベンチに座って、ミカちゃんから話を聞いた。
「私さぁ、実はねぇ、久志とつき合うことになった」うまく話が飲み込めず、もう一度
聞いた。「だからぁ、つき合うの久志と」久志が顔を真っ赤にしながら、口をゆっくりと
開いた。「俺、ミカのことずっと好きだったから、思い切って言った」直美ちゃんは、
終始ニコニコと笑いながら、話を聞いていた。「いやぁーー、参ったなぁ。まぁ、仲良く
な!二人とも」高志は、二人の方を叩きながら言っていた。「とにかく、二人とも良かった
な。二人ならうまくいくって」ただそれしか言えなかった。自分の直美ちゃんに対する心境
を考えると、俺も!と、強い気持になった。だが、今日勢いで直美ちゃんに伝えても
浅はかなだけだと思い、その日はやめた。自分の、直美ちゃんが好きという気持が
最高潮に達して、我慢出来なくなったら思いっきりそれをぶちまけようと思った。

家に帰るって寝ようとしても、胸がどきどきしてなかなか寝付けなかった。ウィスキー
を少しだけ飲んで、寝酒をしたがかえって逆効果だった。どんどん頭の中と、心の中に
直美ちゃんが入り込んできた。どうにもならず、机の角に思いっきり頭をぶつけた。
2回か3回ぶつけた。その後はよく覚えてないが、大きな音に気付いた姉が部屋に
やってきて自分を見つけたそうだ。額が割れて、そこから激しく出血していたらしい。
すぐに、病院に連れて行かれた。今、思えば本当に恥ずかしい話しだ。

 一週間くらいたった土曜日の午前に、直美ちゃんから電話が鳴った。
今日は早いな、と思いつつ電話に出た。「ねぇ、もし良かったら今から仕事場
の方にいってもいい?」何のことだ?と思い、もう一度聞き直した。「サボテン
探してホームセンターとか、花屋さん行ったんだけどまともなの無くて・・・」
勿論OKした。すぐに、机のまわりに散らばっていた書類を、書類棚にたたき込んで
床も掃いた、それとコーヒーも用意した。しばらくして、バイクのエンジン音が聞こえて
きた。直美ちゃんが来たようだ。「暑かっただろ?中入ってよ」と、誘った。「あっつー、
もう顔ムレムレ!」顔が真っ赤だった。とても健康的で可愛く見えた。「早速だけど、
サボテン見せて」と、言われサボテンと多肉植物の温室を案内した。「うわーーっ、
何?こんなにあるの!?」何か気持ち悪い物を見たような顔で言った。「おすすめ
はどれ?あ、これはなんかグロテスクな形がいいね」かなり気に入ってくれたようだ
った。あまりにマニアックな商品が多いから引くかと思ったけど、そうでもなかった。

逆に、マニアックな形の物を好んでいたようだった。「ねぇ、これ全部で幾ら?」え?
と思った。お金をもらうとは考えていなかったから、ちょっととまどった。「え〜、じゃ
ぁ、そうだなぁ」とか、適当に濁して500円にした。「ちょっと安すぎない?気使ってる
でしょ?」と、言われたけど「生産者直販ですのでw」と笑って答えた。直美ちゃんへの
せめてものプレプレゼントのつもりだった。そして、昼までだらだらとおしゃべりして、
彼女は帰っていった。至福の一時だった。直美ちゃんと、あんなに近くで言葉を
交わしたのは、この前ぶりだった。とにかく嬉しくて嬉しくて、仕事を放ってバイクで
出かけた。車が通らないのを確認して峠を攻めた。その日はバイクが軽く感じて、
とても楽しかった。まるで子供のようにはしゃいだ。バイクに乗りながら、「俺最強!!」
とか叫んだり、「あーーーっ!!」と大声で叫んだりした。
 帰ると、そんな楽しかった事はすっかり忘れて、またブルーになった。直美ちゃんが
に思いを伝えたとしても、それが叶うものなのか?話もしてくれなくなったらどうしようか?
そんなネガティブな思いだけが、どんどん重なっていった。

 決めた。今日の夜に直美ちゃんに思いをぶつけてみよう。そう思うと、怖くなって
きた。段々と、体に冷たい汗が流れ出るのを感じた。気持ち悪くなり、思わず温室の
中で吐いた。とても苦しかった。ただ気持ち悪くて苦しいのではなく、何か胸の中に
つっかえているような感じだった。今、あきらめてまた今度にすれば気分の悪さは
すぐに無くなる。けど、そうするとダラダラと長引くだけだ。電話した、「今晩、二人だけ
で会いたいんだけど、大丈夫?」なんだか寒くなり、背筋がブルッとした。足の震えが
止まらず、その震えは声も震えさせた。「うん、いいよ〜」意外に明るい声で返事が
返ってきた。何とか約束は取り付けた、後は心の準備をするだけだ。仕事は早めに
切り上げて、昼寝した。あまり寝付けずに、すぐに目が覚めてしまった。仕方なく、
買ってそのままだった油温計を取り付けることにした。いざ、やろうと思ったがなんだ
か集中出来ずにやめた。また部屋に戻り、ごろ寝した。そうこうしているうちに、夕方
になった。風呂に入り、やはり念入りに体を磨いて、臭いもチェックした。つけること
のない香水を少しだけかけてみた。が、なんだかバカ臭くなってタオルでぬぐって
しまった。

いつもの場所に、約束した時間の20分前を狙って出かけた。実際は、もっと
早く着いた。ヘルメットを脱ぐと顔から滝のような汗が流れていた。グローブの
中も汗でぐしゃぐしゃになっていた。じっとしていると、どうにかなりそうだったの
で煙草を吸った。今日に限ってはとても不味くて吸えたものでは無かった。その辺
をぶらぶら歩いたり、燃料タンクのフタを開けて覗いてみたりした。そして、遠くから
直美ちゃんのバイクのエンジン音が近づいてきた。その時、緊張でもう足が震えだして
いた。あの時の緊張はどんな時よりも緊張していたと思う。立っていられなくなりそうで
バイクに跨った。チカチカとウィンカーを付けて直美ちゃんが入ってきた。彼女は、
俺のすぐ近くにバイクを停めた。「今日、バイク洗ってきたよ〜。何か綺麗でしょ?」
元気いっぱいの笑顔だった。今日、その元気いっぱいの笑顔を俺は持続させる
ことが出来るのだろうか?自分も笑顔で笑いかけるなかそう思った。「なぁ・・・。
実はさぁ、話があるんだけどいい?」直美ちゃんはキョトンとして、黙って頷いた。
「俺さ、直美の事好きなんだ。最近になってもう我慢できなくなって・・・。それで
今こうして話してるんだ」言ってしまった。もう後には戻ることは出来なくなった。
「え?ちょ・・・」直美ちゃんは明らかに困惑していた。「大好きなんだ」更に言った。
更に困惑してる様子だった。何分くらいだったろうか、そこで会話は途切れてしまい、
二人とも沈黙してるだけだった。しかし、沈黙は打ち破られた。「あのね、実は最近の
あんたの様子ちょっとおかしいってことだけは気付いてたよ・・・」直美ちゃんは、
ちょっと悲しそうな顔で言った。うつむいていた。俺はただそこで足を震わせながら
聞いた。「なんだか、いつも話してる時と違って緊張した感じだったし」確かにそうだ。
直美ちゃんと話すと、何を話していいのか迷ったりすることが多々あった。「それは
私とつき合いたいってことなのかな?」話は突然方向が変わった。「できれば、そうした
いんだけどどうかな?」頑張ってこれだけしか言うことが出来なかった。グローブを
握った手から汗がしたたるのがはっきりと分かった。

 直美ちゃんは何か難しいことを考えるような顔で、黙ってしまった。俺も、どうすることも
出来ずにだまって立っていた。2分くらいたったと思ったとき、直美ちゃんが沈黙を破った。
「実はね私、隠し事してたの」俺は隠し事などどうでもよくて、とにかく返事を聞きたかった、
が黙って話を聞くしかなかった。「私はつき合ってる人いるの・・・。」返事は意外なほど
早く分かってしまった。体から力が抜けるかと思えばそうでも無かった。「高志とね、
つき合ってるの・・・。」残念だとか、悔しいとかそう言う気持は無くて、ただ単に驚いた。
衝撃だった。「え?いつ頃から?」直美ちゃんは、相変わらず難しい顔をして答えた。
「1ヶ月くらい前からかな。高志に告白されたの。最初は隠してたんだけど、ミカちゃんと
久志は私たちのことに感づいてたから、話したの。でも、ヒロユキ(俺)は気付いてなか
ったから、言うのにタイミングが掴めなくて・・・。でも、ミカちゃんと久志が付き合うことに
なってたから、その時に言おうと思ってたんだけど・・・」高志と直美ちゃんがつき合ってる
事はさほどショックではなかった。だが、自分一人だけに何も知らせてもらえなかったの
が、とても悲しかった。「そっかぁ・・・」言葉が見つからない。少し笑って悔しそうにして
みたかったが、それも出来なかった。だから、自分で自分がどんな表情をしていたのか
分からない。「ごめんね。黙ってて・・・。だから、ヒロユキとはつき合えない・・・。本当に
ごめん」謝られると、何故か急に自分が惨めになり涙が出そうになった。「謝らなくても
いいって・・・」震える手で直美ちゃんの肩を叩いた。

 直美ちゃんは、目に涙を溜めていた。「ごめんね、本当にごめんね」この言葉を
何度も聞いた。それを聞くたびに、自分の心が締め付けられた。「でも、これから
みんなの仲がぎくしゃくしたりしないかな?そうなったら、私のせいだよね・・・」
とうとう泣き出してしまった。「大丈夫、大丈夫・・・。そんなこと絶対にないから、
俺も気を付けるから」ただ、そう言って手を握ってあげることしか出来なかった。
 家に帰り、部屋に入るといきなり涙が出てきた。布団に潜り込み、声を押し殺して
泣いた。振られた悲しさ、自分だけに知らされなかった事実。とにかく混乱していた。
直美ちゃんに告白する前に、『きっと成功するはず。直美ちゃんはきっとつき合ってくれる』
そんな甘えが心の中に少なからずあった。それを思い出すと、恥ずかしさと情けなさで
更に泣けた。

 そしてまた土曜日がやってきた。何も知らない高志から電話がかかってきた。「いつもの
場所で7時集合でいいか?」用事があるからと断った。部屋で煙草を吸いながらぼーっと
していた。吸いなれない煙草を既にその日は2箱吸っていた(ひと箱半くらいだったか、
定かでない)。喉がガラガラになり痛み出していた。酒もあまり飲めないのだが、ワイルド
ターキーを買ってきた。それを飲もうとしたが、酒を飲んだ後の辛さを考えると飲めなかった。
机に突っ伏してまた泣いてた。後ろからドアの開く音がして、振り向くと姉だった。
姉は、俺の泣いている顔を見るとドアを閉じた。ドア越しに「泣くな、がんばれ」とだけ言って
姉は下へ降りていった。今度はそんな家族の気遣いが嬉しくて泣いた。泣いてばかりだった。
泣き疲れて寝ていると電話が鳴り、飛び起きた。ミカちゃんからだった。
「ねぇ?用事終わった?終わったらいつもの場所で花火してるから来なよ」
行く気は勿論なかった。他のみんなにどんな顔で会えばいいか分からなかった
。「来れる?」そう聞かれて、「行けるよ」と返事をしてしまった。
 いつもの場所に行くと花火をしてる様子は無かった。高志が近づいてきた。「ごめんな、
秘密にしてて、本当にタイミング逃してしまって・・・。また、お前に悪いことしてしまった。
ごめん、許してくれ」腰を90°に曲げて、高志は頭をさげた。みんなも同じように、俺に
頭を下げた。昨日の話もみんな知っていた。「いいって!いいって!それくらいどうって
ことないから」無理矢理わらってみせた。

 それから花火をした。それなりに楽しかったが心の底から楽しむことは
出来なかった。「飲み物買ってくるけど何がいい?」そう言って俺は、バイクで
コンビニに逃げた。コンビニは明るくて誰も知っている人間はいなかった。だから
、なんだか休まるような気がした。取りあえず、バイクの雑誌を立ち読みし始めた。
そんなものを読んでも気が晴れるはずもなかった。腕時計を見ると、すでに20分も
経過していた。すぐに飲み物を買ってまた戻った。「遅かったなぁ」と言われたので
「知り合いと会って立ち話してた」とごまかした。それから1時間ほどバイクの話を
して帰った。当然、あまり突っ込んで話をすることが出来ず、ただ聞き手に専念した。
家に帰り、作りかけのプラモを作った。俺はどうすればいいんだろう?ぼんやり
とそう思った。確かに5人という数は割り切れないからなぁ・・・。俺は邪魔だろうか?
そんな思いばかりがぐるぐるしていた。考えても答えは見つからず、段々と自分に
腹が立ってきた。作りかけていたクラウザーのプラモを、床に叩きつけて壊して
しまった(後に修復したと思われ)。そして、吸いなれない煙草をスパスパ吸った。
気持ち悪くなりそのまま寝てしまった。

 それから、数週間たった。その間、彼らとは会わなかった。仕事が忙しいとか、
色々と理由を考えて断り続けた。電話も鳴らなくなり、少し寂しい感じもしたが、
あまり苦にはならなかった。金曜日の夜(だったと思う)電話が鳴った。「こんばん
は、元気だった?」ミカちゃんだった。元気だよ、とそれだけ答えた。「明日、花火
大会あるから、みんなで見に行こうって話してたんだけど来るよね?」まだ、忘れ
られて無かったようだ。「そっかぁ、じゃ行くかな」明るい声を作り出して答えた。
そろそろ顔を出してもいいかな?と考えていた矢先だったから、いいタイミングと
言えばいいタイミングだった。けど、溝がまた深くなっていたりするのが気がかり
だった。
 土曜日の夕方。久しぶりに、お出掛けの儀式を始めた。珍しく香水など付けてみた。
ドラッグストアで安売りしていたものだ。いつもとは違う場所で集合ということになって
いたので、そこに向かった。着くともういつもの面々が待っていた。「久しぶりだな!」
と、元気な声が飛んできた。「あ!マフラー変えた?」直美ちゃんも寄ってきた。
溝は深くはなっていなかったようだった。普段通りの会話が続いた。「うん、思い切って
付けてみた。あまりうるさく無いからいいんだよ」俺も何故か吹っ切れたように、普通に
会話することができた。そして、花火大会の会場に向かった。人気の無い少し離れた
場所だった。そこに誰かが(久志だったはず。彼はマメなのでこういう事に気が回る)
持ってきたシートを敷いて花火を楽しんだ。段々いいムードになってきたのか、
他の4人は距離を縮めて座っていた。俺は真ん中に座ってるだけだった。
居たたまれなくなった。それに気付いたのか、ミカちゃんと直美ちゃんが話しを振って
くれた。それがまた嬉しかった。高志と久志も話に加わった。俺は忘れられていなかった
んだ・・・。そう思うと無性に嬉しくなった。

だけど、違和感が無いわけでは無かった。お客さんになったような気分だった。
わがままな気がしたが、その気持は抑えられなかった。そして、花火大会は
もどかしい気持のままで終わった。久志とミカちゃんが何かコソコソと話しを
していた。この後の予定を話していたのだろうか?直美ちゃんと高志のこの
後が気になり、遠慮した俺は早めに帰った。帰りにスーパーで買い物してると、
直美ちゃんと高志に出くわしてしまった。「よう!デートか?」思わず言ってしまった。
「おう、ちょっとスーパーでデートだw」これだ、こんな会話を待っていた。「それはそれは
、お前センス無いな。いい夜景が見えるとこ教えてやるから行けw」俺も冗談を飛ばした。
「えー?どこどこ?」直美ちゃんものってきてくれた。「唐揚げと大学イモ食べながら、
夜景見物かぁ。いいねぇ〜w」3人で大笑いしたところで別れた。とても気持ちよかった。
突然、胸に詰まっていた物が無くなって、テンションが上がった。家に帰ると、姉も花火
大会に行ったらしく浴衣を着ていた。「おー、似合うぞ!綺麗だ!」と姉を褒めて、部屋に
入った。しかし、上がったテンションをどうすることも出来ず、久しぶりに走ってみることに
した。レーシングブーツと革ツナギを出して。脊椎プロテクターを装着した。その出で立ち
で、2時まで待った。今考えるとそんな格好して部屋で時間を待つ自分に笑える。しかも
ヘルメットを被っていたので尚更。

 ふと時間を確かめると、もう朝の4時半になっていた。仕事のことをすっかり
忘れていた。急ぎ家に帰り着替えて仕事に出た。なんだか、心が何かに満た
されて、とても充実感があった。仕事に力が入ったのは言うまでもない。いつ
も以上に仕事がはかどった。そして、あの日の事があった以前の自分に戻っ
ていた。クヨクヨ考えずにとにかく仕事に没頭しよう、そう思うようになっていた。
 
 それから、3週間くらいは彼らと、毎週恒例の行事をしていた。海にも行き、
外でバーベキューをしたりした。でも、やっぱり俺だけが少し浮いているような
感じがしないでもなかった。しかし、そんな彼らを見守り続けて行こう。そう思
えばあまり心に障ることはなかった。そして、仕事の話も普通にするようになっ
ていた。とにかく、その時が一番最高の時期だったと思う。何もかもが楽しくて
仕方がなかった。しかし、直美ちゃんがあまり来なくなっていた。少し寂しい気も
したが、楽しかったのであまり気にすることは無かった。
 そして、お盆になった。誰かが同窓会の算段をしていたらしくて、町の山の方
にあるロッジを借りていた。当日、懐かしい友人らが集まった。もちろん、いつも
の面々も集まっていた。みんな、酒をがぶがぶと浴びるように飲んでいたし、煙草
もプカプカ吸っていた。俺は酒も飲めないし、煙草もあまり吸えないから、焼きそば
とおでんを食べていた。飲んでもいないのに気持ち悪くなり、外の空気を吸気しに
、外へ出た。

 外へ出ると、数組の男女が何かを語り合っていた。邪魔かな、と思い坂道を
登って景色のよく見えるところへ行った。ゆっくりと柵に腰を下ろして吐き気を
耐えた。少しして吐き気がおさまった。またロッジに入ると、酔いつぶれた人や
眠くて寝てる人が、場所を占拠して足の踏み場が無かった。一人座って、ウーロン茶
を飲んでいた。肩を叩かれた。直美ちゃんが後ろに立っていた。顔が真っ赤になって
いた。「ねぇ、ビール飲まないの?美味しいよ」と言われたが、苦笑いして断った。
かなり酔っているらしく、目がうつろだった。「ウーロン茶!?子供の飲み物だよそれ!」
と言われたが、飲まなかった。直美ちゃんは早くも、コップ4杯目を空けようとしていた。
「飲み過ぎだって。あまり無理したらダメだって」と、なだめたりしたが無視してゴクゴク
と音を立てて飲んでいた。こういうのを見ると美味そうに見えるけど、飲んだ後の事を
考えるとやはり、飲めない。「ちょ、外行こう外!」そして、無理矢理俺の手を引っ張って
外に連れ出した。中で話をしていた連中が、俺をからかった。「いいチャンスだと思って、
変な気起こすなよ!」そんなことはとうてい出来ない。
 
 「ほら!ほら!橋見えるよ橋!」そう言って、夜景を指さして一人笑っていた。俺は
と言うと、それに合わせてただ頷くだけだった。「ねぇ、あんたアルコール入ってないよね?」
そう言うと、俺の胸ポケットに手を突っ込んで車のキーを取り出した。「その辺ちょっと回って
こよう!ぐるぐる」そう言われて、無理矢理車まで連れて行かれた。

 取りあえず車に乗り、その辺をドライブした。高志という存在がありながら、こんな
ことをしていいのだろうか?と考えた。けど、別に俺から誘った訳ではないから、別
にいいだろうと、自分を納得させた。「あんまり遠くには行かないで戻るから」と、一応
断ったが、「私がいいって言うまで」と一刀された。「ねぇ、まだ気にしてる?」と、聞か
れた。思い当たる節が色々ありすぎて、何のことだか分からなかった。「何のこと?」
と聞くと、直美ちゃんは少し笑って答えた。「私にふられたこと」まさか、そんなことを
聞かれるとは思わなかったので、びっくりした。「当然と言えば、当然の結果だったと
思うけど、自分の心の中ではちょっとだけ自信があったよ。けど、そんな自信持って
た事がすごく情けなかったけど・・・。」素直に思っていたことを話したが、直美ちゃん
は、「そっかぁ・・・。」と一言だけ言って、黙ってしまった。緊張で喉が渇いてきた。自動
販売機の脇に車を止めた。「何か飲む?」と聞いても返事は無かった。寝ていた。起こ
さずに、お茶を二つ買ってまた車を走らせた。「私寝てた!?」と、直美ちゃんは突然叫
んだ。「ちょっと、車どこかに止めて。風にあたりたい・・」飲み過ぎのツケが回ってきたよ
うだった。少し先に、広い路側帯があるのを知っていたので、そこに車を止めた。「はぁ、
飲み過ぎた」そう、言いながら直美ちゃんは外へ出た。

俺は何となく、ガードレールに寄りかかって、下にある川を見ていた。特に
何かを思って、川を見たわけではなくて間を持たせるために、わざと川に
何かあるかのように見ていた。後ろから、直美ちゃんが抱きついてきてガ
ードレールの外へ落ちそうになった。「おい、ちょっと・・・」と言ったが、咄嗟
だったから、体が硬直してしまった。「ねぇ、高志よりあんたのこと好きにな
っちゃった・・・」そんなことを言われても、まともに答えを返せるわけが無かった。
「高志とは別れたのか?」そそう言いながら、直美ちゃんの腕を解いて後ろを向いた
。「別れてない」そう言うと、しゃがみ込んでしまった。「だったら、俺にこんなことしない
ほうがいいと思うけど・・・」なんだか、悲しさと怒りが入り交じったような気持になり、
すぐにこの場から逃げたくなっていた。「高志のことは嫌いじゃないけど、私はやっぱり
あんたのことのほうが好き」俺は、自分の顔が何故か怒りに歪んでいるのに気付いて、
直美ちゃんに背を向けた。「そんなこと言われても・・・」なるべく、怒っていないかのように
喋った。はっきり言って、嬉しくなかったが恥ずかしいことに、少しだけ嬉しかった。
「ねぇ、だめ?」しゃがみ込んだまま、話を続けようとしていた。「飲み過ぎだって。早く
酔い覚ませよ」と、言いながら直美ちゃんを立たせて車に乗せた。そして、そのままロッジ
に着くまで寝ていた。ロッジの中では、また復活した連中が酒盛りを始めていた。高志は
他の連中らと、下のダムに肝試しをしに行ったらしい。彼がいなくて本当に良かった・・・。
そう思いつつ、直美ちゃんを背負って二階のベットのあるところに寝かせてきた。

複雑な気持になり、とても同窓会を楽しむところではなかった。他の連中に気付かれ
ないように、こっそりと帰った。何から先に考えていいのか分からなかった。やっと、みんな
の中が戻りかけていた矢先の事だったから、ショックも大きかった。

 家に帰り、夜中にもかかわらず音楽をガンガン流した。「うるさい!静かにして!」姉が
部屋に突然入ってきて注意された。「ごめん・・・」いつもなら、憎まれ口の一言や二言は
当然だったが、その日はそんな気力も無かった。ボリュームを絞ると、姉がイスにどっか
と座った。「ラリーカールトンだっけ?曲名なんて言うの?」CDのケースを取ってそう言っ
た。「ルーム335・・・」姉は解説を読んでいた。「用がないなら出てって」そう言うと、俺は
布団に入ろうとした。「何かあるなら話した方が楽になると思わない?」姉は気遣って、
言ってくれたのだろうが、とても話せるような状態ではなかった。とにかく、一人になりたか
った。

 朝起きると、曇っていた。仕事はお盆休みにしていたので今日は誰も来ない。
最低限の仕事だけを一人でして、休むことにした。朝飯前の仕事を終わらて、
家で寝た。今更なんでだ・・・。一人、考え事を始めた。高志とは仲良くやっていた
ようだし、二人で買い物して食事もしようとしていた。それなのに、なぜ今更俺に
あんな事を・・・。泣きたかった。泣いても意味が無い、ただ腫れた目を姉に見せる
だけだ。そう思い、必死に涙を飲み込んだ。そして、また机に突っ伏したまま寝た。
 雷の音で起きた。外は雨が降っていて、憂鬱な気持を更に憂鬱にさせた。下に
降りると、姉が仕事から帰ってきたらしく一人仏壇の掃除をしていた。手伝おうと
思ったがやめた。一人、イスに座ってアイスを食べてた。冷たくて美味しかった。
今日は、風呂掃除をすることになっていたので急いで風呂を掃除に取りかかった。
携帯電話が鳴った。手に付いた泡をすすいで、急ぎ携帯電話を取った。「私だけど
・・・」直美ちゃんだった。「ごめん忙しい」そう言って、電話を切ろうとした。「話したい
から、直接会えない?」暗い声で直美ちゃんはつぶやく。「忙しいから、無理。悪い
な」かなり、機嫌悪そうに喋っていたと思う。「どうしても会って話出来ないかな・・・。
お願い・・・」泣き出していたようだった、鼻をすすってる音が聞こえる。好きな女の子
に泣かれると、たまらなく可愛そうになり、会って話をすることにした。「風呂掃除、
やっとくから行ったら?」姉が、風呂のそばにいてびっくりした。話を全て聞かれた
んじゃないだろうか?そう、思ったが急いで家を出た。

 雨が降っていたので、車で直美ちゃんのアパートに向かった。篠つく雨で、前が
殆ど見えなかった。それでいて、ぼんやり運転していたから、赤信号をそのまま
直進するところだった。アパートの前の駐車場に車を停めた。フーっと息を吐いて、
アパートまで走っていった。呼び鈴を押すとドアが開き、直美ちゃんが出てきた。
「わざわざ呼び出してごめん・・・」うなだれて俺に謝った。謝られても、どう返事を
すればいいのか分からず、とにかく頷いた。とにかく座って、と言うので座った。
部屋は何か芳香剤のような香りがしていた。出窓には、俺が作ったサボテンや多肉
植物が綺麗に並べてあった。直美ちゃんは、台所でお茶を入れてくれてるようだった。
天助を見上げると、蓄光塗料が塗られた星形がたくさん張ってあった。女の子だなぁ、
そう考えていると、直美ちゃんがお茶とお菓子を持ってやってきた。「雨、寒かったでしょ?
温かいお茶飲んで」と、差し出してくれた。「ありがとう・・・」ぼそっと、答えて湯呑みを
持って、一気に飲んだ。「話しって何?」どんな話かは分かっていたが、取りあえず間を
持たせるために、聞いてみた。「話って・・・。昨日の事なんだけど、考えてくれた?」やはり
そうだった。楽しい話を期待してやってきたわけでは無かったけど、何だがすごく残念
だった。「かなり酔ってたから、冗談だと思ってたんだけど・・・」そう言うと、直美ちゃんは
目に涙を溜めた。「冗談なわけないでしょ・・・。私、本気なんだよ、わかる?」とうとう、涙
を流した。どうすればいいのか分からず、ただ湯呑みを見つめた。勿論、茶柱など立って
いない。ふ、と顔あげると目と鼻の先に直美ちゃんがいてびっくりした。

「私、やっぱり好き」
そう言って、直美ちゃんは俺の唇に自分の唇を寄せた。暖かい感触が唇に伝わった。
俺は、直美ちゃんを突き放した。直美ちゃんは、ぽろぽろ涙を流しながらびっくりしていた。
直美ちゃんはまた、俺の目の前に来て思いっきり頬を引っぱたいた。部屋の中にパシーン
、という乾いた音が響いた。「女の子が、好きな人に告白するのってどれくらい勇気が、必要
だと思う!?」(この言葉は絶対に忘れられない)そう言って睨まれた。「どうして、そう好きな人が簡単に変わるんだよ!高志とつき合って間もないだろ!?」俺が声を張り上げると、
直美ちゃんは少しびっくりしたようだった。それから、沈黙が数分続いた。頬がじんじんして
いる、熱くなっていた。「どうしてもだめなの?」直美ちゃんが沈黙を先に破った。「俺だって
直美のことは好きだけど、高志の事好きになってやれよ。そんなに簡単に、捨てたら
あいつは俺以上に傷つくよ・・・。好きになってやってよ」俺は、そう言って立った。直美ちゃんは、呼び止めることなく黙って座っていた。「わざわざ呼び出したりしてごめん。でも、
諦めたわけじゃないから。本当に、大好きだよ」俺は振り向かずに部屋を出た。

 どうすればいいのか分からなかった。いきなりあんな行動を取られて、訳が
分からなかった。携帯電話が鳴った。ドキッとして、恐る恐る画面を見ると、
姉からだった。単にお使いを頼まれただけだった。直美ちゃんや、高志からだ
ったら、どうしようかとドキドキしていた。スーパーに入り、頼まれた物をカゴに
入れていく。惣菜のコーナーに行くと、花火大会の後のことを思い出した。あの時
二人は、仲良く手を繋いで買い物をしていた。高志の嬉しそうでいて、ちょっと恥
ずかしそうな顔が思い浮かんだ。直美ちゃんも、笑顔だった。正直あの時に
、見たことの無い直美ちゃんの笑顔を見て、少しだけ寂しかった。あの笑顔は、
好きな人だけに見せる笑顔なんだろうな、彼らと笑顔で話しながらそう思っていた。
はぁっ、と小さく溜め息を吐いて買い物を続けた。
 家に帰ると、姉が晩ご飯の支度をしていた。それを無視して、部屋に入る。最近、
仕事以外は、部屋にこもることが多くなっていた。姉とも会話が少しずつ減っていた。
こんなに精神が混乱したのは初めてだった。仕事で、精神的に辛いことはあったが、
友人関係でこんなに悩んだことは無かった。だから、心労も仕事の時よりも倍だった。
とにかく寝れば、その間だけは忘れられるから寝ることにした。起きれば全てが、解決
していることをにわかに祈った。
 目を覚ますと夜中の1時だった。明かりが消えていて、タオルケットが掛けられていた。
暗闇で、チカチカと緑色のランプが光っていた。携帯電話だった。画面を覗くと、直美ちゃ
んから電話がかかってきていた。何度も電話したらしく、着信履歴が「直美」の文字で、
埋め尽くされていた。

 「直美」の文字を見ると、胸がシンと冷えるような感じがした。寝ている間、両親
に直美ちゃんの事を相談している夢を見た。残念ながら、両親は他界してるから
相談など出来ないが、誰かに話せば何かヒントが出てくるかもしれない、と考えた
が、相談出来る相手は誰も見あたらなかった。
 風呂で虚ろに天井を見つめていると、脱衣所に置いてある携帯電話が鳴り出した。
慌てて風呂を飛び出すわけでもなく、風呂場のドアを見つめたまま湯に浸かってい
た。数十秒鳴っていただろうか、電話に出られない旨のアナウンスがかすかに流れ
て携帯電話は、また静かになった。風呂からでて、携帯電話を見てみると「直美」の
二文字。温まった体が、また冷えた。とにかく着替えてまた部屋に戻った。
 気付いたときには、直美ちゃんに電話をかけていた。すぐに直美ちゃんが出た。「
電話出れなくてごめん。何か用?」衝撃的な事を聞かされた。冷えたからだが更に
冷えた。夏なのに、寒くなり冷や汗がたらりと流れた。「わたし、高志と別れてきた」
絶望だった。また、仲間の崩壊が始まってしまう。「何で!?どうしてそんなことした
んだよ!?」大声で怒鳴った。足が震え出してきて、じっと座っていられなかった。
イスから立ち上がり変な格好で、本棚にもたれかかった。

 大きく深く息を吸い込み、深呼吸した。そうでもしないと、とてもじゃないが
落ち着いていられなかった。「本当に好きで好きでたまらない。どうしても自
分にブレーキをかけられなかったから・・・」短期間でそんなにも人を好きに
なれるのか疑問だった。しかも一度断られたこともあったから尚更不思議だ
った。が、そのことを突っ込んでは聞くことが出来なかった。圧倒されて何も
話せなかった。「今、時間あるなら俺の家で話しをしよう」そう言って俺は電話を切
った。電話ではどうもギクシャクして話しづらかったから。
 何分だったかは忘れたが、かなり待った。台所のテーブルでテレビを見な
がら待った。段々と眠くなってきて、少し寝てしまった。起きると、時計は11時を
回っていた。インターホンの呼び鈴が鳴った。ドアを開けると直美ちゃんがいた。
直美ちゃんは顔色が悪く、唇が青紫になっていた。寒かったのか少し震えていた。
部屋に通して、熱いコーヒーを淹れて差し出した。そこまで会話は一切無かった。

 「私のこと嫌い?」直美ちゃんはコーヒーカップを見つめながら、悲しそ
うにそう言った。もちろん嫌いではないし、大好きだった。「嫌いじゃないよ。
ただ、突然の事だったから驚いてる。どう収拾すればいいのか分からない
だけ」そう答えると、直美ちゃんは黙って頷いた。「顔色悪いけど、寒くない
?」話をそらしてしまった、そうでもして次に話すことを考えないと、会話は
続きそうになかった。「高志とはちゃんと話してきたよ。お互い理解してると
思うし、高志も納得してくれた」俺の話をスルーして、直美ちゃんが話し始
めた。少し泣きそうに鳴っていたかもしれないが、髪がかかっていてうまく
表情はうかがえなかった。「俺も直美のことは好きだし、好きだって
言ってくれたときは、少し嬉しかった」直美ちゃんは顔を上げて、俺をじっと
見つめていた。目をうまく合わせられずに、視線をそらした。「ならどうして?
お互い好きなのにどうして、こんなにかみ合わないの?何を気にしてるの?」
見つめていた目が、キッと俺を睨んだ。高志のことや、仕事をバカにされたとき
の事を話した。ようは仲間が崩壊するのをおそれていた。「変に思わないで聞
いて・・・。私より、そっちの方が大切かな?どっちかを選べって言ってるわけ
じゃないけど・・・。」少し悩んだ。確かに直美ちゃんのことは大好きだ。仲間も
大好きだ。思った事を打ち明けた。「なら一人で考えないで私に相談したって
いいでしょ?二人で考えて、仲間も私たち二人もうまくやっていける方法はいくら
だってあると思うよ」(いろいろと話していたが、激昂していたので聞き取れなかった
部分あり)そう言われると確かにそうだ。高志は理解して納得してくれたらしいが、
やはり気になった。高志が仲間から去って行くのはどうしても避けたかった。
俺と高志の立場逆転しそうになっていた。

 コーヒーを飲みながら間を持たせた。何杯飲んだかは分からなかったが
腹がキリキリと痛み出していた。「俺は少し距離を置きたい。お互い少し冷
静になって考えてみればいいと思う」たったこれだけ喋っただけなのに、口
の中がカラカラになった。「そう・・・わかった。でも、私は返事待ってるから
・・・」直美ちゃんはそう言い残すと、帰っていった。玄関まで送っていこうと
したが、どうせ気まずい雰囲気になるだろうと思いそのまま俺は、座ってい
た。階段をトントンと降りていく足音が聞こえた。途中で足音がピタリと止ま
った。どれくらいの時間だったか忘れたが、数分だっと思う。足音が止まっ
ていた。気になり、階段の方に行ってみると、直美ちゃんは泣いていた。どう
することも出来ず、ただ見ていた。ヒックヒックと嗚咽が聞こえる、苦しそうに
泣いていた。そばに寄って、背中をさすったそれでも泣いていた。「もう大丈
夫」そう言って、俺の手を振り払うと走って玄関から飛び出していった。
 部屋に戻り机に向かった。そして日記を付けた。今まであったことを全て
書き残していた。パラパラとめくっていくと、思い出したくないような文章が
現れる。そして、また思い出したくない出来事を書き綴った。

 朝起きて、朝飯前の仕事をこなして朝食を取り、仕事をして昼食を食べて
また仕事をする。そんな普通の生活が続く。いつもの土曜日になっても、電
話も鳴ることが無くなった。たまに電話が鳴ったかと思うと、仕事の電話だけ
だった。そして、一人でバイクを駆った。いいラインを描きながら走れても、そ
れを褒めてくれる人もいない。転んでも笑ってくれる人もいない。少し、寂しか
ったが、それで良かった。思えば友達と言える友達が、自分のまわりから消え
ていった。

 そして、夕食を食べて風呂に入り日記を付けて寝る。時間にして11時くら
いだ。布団に入ると、必ず直美ちゃんの事や他の仲間達の事を考える。そ
れがその頃の習慣になっていた。その頃から、布団に入ってもなかなか寝付
けずにいて困っていた。布団に入って、ウトウトするのは夜中の1時頃になっ
ていた。看護士をしている姉が心配して、精神科の診察を勧めたがただ自分
が弱いから精神に影響してるだけだと思い断った。
 仲間達と連絡も、会うこともなくなってからかなりの日数がたった。その時
はもう、9月の中旬になっていた。それでもまだ暑く、汗を拭きながら仕事に
精を出していた。すっかり体重も落ち、体力も減っていた。バイクでワインデ
ィングを楽しむ気力さえ無くなっていた。仕事を終えて、家に帰り夕食を食べ
ていると、電話が鳴った。仕事の電話だった。東京で修行をしていた頃に世
話になっていた人からだった。「2年間イギリスに行ってみない?ロンドンの
ショップで住み込みで修行したい人を探してる。ハンギングバスケットマスタ
ーの資格を取るのに役立つと思う」あまりに唐突だったので、すぐには返事
を出来ない旨を伝えて電話を置いた。
 布団に入り、また考え事を始めた。仲間の事に加えて、イギリスでの修行
の事が加わった。そしてまた眠れない夜が始まった。

 布団に入りぼーっとしながら考え事を始める。直美ちゃんはもう寝ただろうか?泣
いてはいないだろうか?高志はどうしてるだろうか?久志やミカちゃんはどうしてるだ
ろうか?考え事はどんどん増えていき、睡眠時間を減らしていく。携帯電話が突然
鳴りだし、びっくりして飛び起きる。携帯電話を取り、画面を覗くと直美ちゃんからメー
ルだった。開いてみると、「おやすみ」と一言だけ書いてあった。俺も、一言だけ「おや
すみ」と返した。一体どんな気持で、直美ちゃんはメールを送ってきたのだろうか。そ
のことが気になった。何の変哲もない「おやすみ」の一言。その一言に、あんなにも
悩まされるとは思わなかった。泣きながらメールを打ってきたのだろうか?そう思うと
とても辛くなり、涙が出そうになった。メソメソしてはいられない、そう言い聞かせて
気合いを入れて寝ようとした。考え事はやめて、寝ることに徹した。結局、ウトウトし
始めたのは2時過ぎだったと思う。
 
 最近、精神的に辛いことがありすぎて仕事がおろそかになっていた。事務所の
机の上の、書類箱。未決の箱に書類の束ができていた。書類をすべてかたそうと
一心不乱にハンコをペッタンペッタンと押し、電卓を叩いて金額やら数量をはじき出
す。そうして、仕事に夢中になっているときはすべてを忘れることが出来たし、それ
がまた心地よかった。そして、また1日が終わった。テレビを見ながら寝た。姉に
起こされ、電話を手渡さされる。「イギリスの件考えてくれた?」昨日の今日だから
考えは決まっていない。それを伝えてまた電話を切る。
 イギリスに行けば本場の技術を習得することができる、こんなチャンスは一生に
一度。そう考えると、イギリス行きに心が寄っていった。直美ちゃんはどうする?
この機会に、お互い離れて時間がたてば冷静な判断が出来るんじゃないかだろ
うか?確信に近い何かが見えてきた。

 そして、次の日の夜に風呂で決断を下した。イギリスに行くことにした。その
判断が、正しいかどうかは今でも分からない。直美ちゃんも、距離を取って時
間が立てば、きっと冷静に捉えてくれるだろう。そう思いこんでいた。間違いだ
ったかもしれない。姉にイギリス行きの事を伝えたら賛同してくれた。知人に
イギリス行きの件をお願いした。快く引き受けてくれた。
 
 それからが大変だった。長い間仕事場を空けることになるから、その間どう
するかを考えた。サボテンや多肉植物は残し、他の物は全て出荷して処分し
た。サボテンやら多肉植物は、俺がいない間は他の人に一任した。後は、身
辺の整理。直美ちゃんや他の仲間達にそれを伝えるか迷った。黙ってイギリ
スに行くのは失礼だしと思い、全て伝えることにした。恐る恐る高志に電話し
た。言葉を詰まらせながら、イギリス行きを伝えた。「そうか!頑張ってこい
よ!」意外な明るさに少しびっくりした、嫌味でわざと明るく答えたのだろう
か?そんな嫌なことを考えていた。直美ちゃんのことには触れなかったが
彼は彼なりに、直美ちゃんの事を話したかったと思う。久志やミカちゃんに
も電話で伝えた。「がんばれよ!待ってるからな」久志も明るく答えてくれ
た。ミカちゃんも喜んで応援すると言ってくれた。そして、直美ちゃんに電話
をかけた。

 すべて思ったことを伝えた。直美ちゃんは少し黙っていた。そして一言
だけ、「がんばっていっぱい勉強してきて」とぽつりと言った。直美ちゃん
もまた、いろいろと話したかった事があったと思う。ただ、それを我慢して
るようにうかがえた。
 とにかく、身辺は一応すべて整った。仕事のこともすべて片づいた。あと
はイギリス行きへの準備をするだけだった。
 それから、物の準備をしたりパスポートやらビザの手続きなどをしたりと
目の回るような忙しさだった。バイクも保管の手入れをして、車庫にしまった。

 準備も整い出発の日を待った。その間も部屋の掃除をしたり、事務所の
書類や、業務の引き継ぎで急がしかった。直美ちゃんのこともすっかり忘
れていた。英語など当然喋れないので、少しだけ観光向けの英会話入門
書を買って勉強してみたりしたが、英語が苦手な自分はすぐに投げ出して
しまった。
 夜、事務所で一人書類をまとめているとバイクの音がした。誰かと思って
窓を開けると、直美ちゃんだった。「こんばんわ、元気?」と、明るく肩を叩い
てきた。この前までの暗い表情が嘘のようだった。突然だったから、何も用
意していなくて、コーヒーとお茶菓子しか出せなかった。「最近、いつもジトジト
した話しかしてなかったから、今日は明るい話でもしよう」そう言われて、自分
もそんな気になり、いろいろと話をした。「この植物なんて言うの?」直美ちゃん
は商品サンプルを置いてある棚を指さして聞いてきた。「それはガステリアって
いう多肉植物だよ」教えてやると、指でつついたりしていた。けっこうお気に入り
のようだったので、一つプレゼントしてあげた。その日は楽しい会話で終わる
ことが出来た。帰り際に直美ちゃんは、「あのこと、考えておいて」と、一言だけ
言って帰っていった。俺は取りあえずうなずいてそれに答えた。

 それから、4日後にイギリスへと発った。成田から出発するとき見送りに
来てくれたのは姉と知人だけだった。いつもの仲間には出発の日を伝えてい
なかったから当然来ないのだが、なんとなく寂しい気がしないでもなかった
が、深く考えないことにした。そして、日本を離れた。
 イギリスに着くと、修業先の人が迎えに来てくれていた。その人は日本語
の出来る人だったので安心したが、日本語で話しかけるのは今日だけだから
英語を早く覚えてくれ、と言われびっくりした。

(ここからはあまり関係のない話なので飛ばします)

 必死で勉強した甲斐もあり、なんとか日常会話は出来るようになっていて
自分でもびっくりした。英語の成績が良くなかったが、人間必死になればな
んとかなるものだと感心した。
 仕事が終り、ショップの人が手配してくれたアパートに向かった。最初の
頃は道に迷ったり、おっかない人に因縁を付けられてビクビクしながら歩い
ていたが、慣れてきたせいもあり普通に歩くことができた。郵便受けを見る
と、赤と青のストライプの封筒が入っていた。Japanの文字を見て差出人を
見ると、直美ちゃんからだった。

「お元気ですか?あなたが日本を出てからミカたちは少し寂しがっているよう
です。誰宛でもいいから、たまには手紙でもください。その時はイギリスの写
真など添えてもらえるとありがたいです。
 イギリスの生活は慣れましたか?きっと食べ物に困ってるだろうなと、考え
ていました。高志は「あいつは好き嫌いないから大丈夫だろう」と言ってました
が、大丈夫ですか?あまり、カロリーの高い物を食べ過ぎて太ったりすること
の無いように、食生活には気を付けてね。また手紙書きます。それでは・・・。

追伸 出発の日と住所くらい教えてください。お姉さん怒ってましたよ。」
(原文ママ)

手紙を貰うということが、あまりなかったから素直に嬉しくてすぐに返事を
書いた。写真は無かったので、衛兵が写っている絵はがきを無理矢理封筒に
押し込めた。 
 手紙だけの交流だと、なんだかみんな普通の状態に戻れたような気がして
少し安心した。それから帰国まで何度か手紙の交換が続いた。そして、直美
ちゃんのことを真剣に考えようとしていた。

 仕事を終えてアパートに帰る。そして、郵便受けを必ずチェックするのが
習慣になっていた。その日は残念ながら手紙は入っていなかった。
 直美ちゃんからの手紙を何度も読み返していた。その時点で直美ちゃん
とつき合ってもいいような気になっていた。しかし、まだ真相を掴んだわけで
は無かったから、毎日その気持を押し殺して仕事に行っていた。
 そして次の手紙が届いた。恥ずかしくてここには書けないような内容が
記してあった。会いたくて会いたくてどうしようもなかったこと、布団の中で泣い
てしまったことや、バイクで走れなくなったことが丁寧な字で書かれていた。そ
こまで想ってくれているのは有り難かった。手紙ではあるけど、今までそれだけ
人に好かれたことがなかった自分は嬉しかっった。だからといって、OKの旨の
返事を書こうとは思わなかった。もう少し時間を取ってじっくり考えてみたかった
からだ。

 ベッドの中で考えた。直美ちゃんは大好きだし、直美ちゃんも俺のことを
大好きだと言ってくれた。普通ならそれで相思相愛になり話は進んでいく
のだろうけど、腑に落ちない点があった。高志のことだ。彼は明るく快く送り
出してくれたが、直美ちゃんの事は一つも触れなかった。だから、彼自身が
直美ちゃんを今どう思っているのも分からなければ、俺のことをどう思って
いるのかも分からなかった。とにかく、高志に一度手紙を書こうと思った。
疲れていたのでそのまま眠った。外からは、車の走る音や、バイクの走る
音が聞こえてくる。バイクのエンジン音を聞いて、一人車種を予想してみた
りした。いつしか、バイクに乗りたくてたまらなかった。いずれ日本い帰った
ら、直美ちゃんとツーリングにでも行きたいな、と考えるようにまでなってい
た。

 連休で何もすることもなくテレビを見ているときだった。ふ、と高志への手紙
のことを思い出した。仕事へ逃げてすっかり忘れさせていた。テレビを消して
すぐに近くの、文房具屋へ走り便せんと封筒を買ってきた。 
 じっくりと、考えてペンを動かす。考えては書いて、考えては書いての繰り返
しだ。近況や、生活のことを書いた。食生活も問題なく、言葉の問題も徐々に
解消されてきていることを書いた。そして、直美ちゃんのことももちろん書いて
おいた。直美ちゃんをどう思っているか、俺が直美ちゃんとつき合うことになっ
たらどう思うか?そんなことを延々と便せん4枚に綴った。気付くと、すっかり
夕方になっていた。寝てからご飯を食べようと思いベッドに入った。
 寝てから何時間かして、電話が鳴った。同僚に晩ご飯を誘われたので、でか
けた。地下鉄に乗っていると、仲の良さそうなカップルが、二人で新聞を読んで
いた。それを見て少しだけ、羨ましくなった。そのカップルに自分と直美ちゃんを
重ねて見ている自分が少し恥ずかしくなり、壁に貼ってある広告を読んでごまか
した。

 高志から手紙が来た。破いたノートに汚い字で3枚書いて送って
来た。急いで読もうとしたが、インクが滲んでいてなかなか読みに
くかった。

「直美のことは、もう終わったことと考えている。だから、お前が直美
とつき合おうとつき合うまいと俺のことは気にしないで欲しい。俺も直
美のことが好きで告白してつき合った。だけど、振られて別れた。そ
れは素直に、俺が彼女を引き留められるだけの魅力が無かったか
らだと思っている。なんとなくだけど、お前と直美が一緒にくっついた
ほうが似合うような気がする。直美と幸せになってくれよ。

ちなみに、俺は新しい彼女とつき合うことになった。今度こそ振られな
いようにしたい!!」(抜粋 読みやすいように編集したもの。プライバ
シーもあるのでご理解願います))

 もう彼女がいる事に少し驚いた。前半で書いてあることを読む限り
では真摯な気持で書いてあったが、最後に書かれてある部分が引っ
かかった。別れた後、すぐに他の女性とつき合えるものだろうか?
そう思うと、なんだか高志の印象が心の中でどんどん悪くなってい
った。嫌になり手紙を、机の中にしまいベッドに潜り込んだ。

 寝ていると、ふいに電話が鳴り出して飛び起きた。「今日はゆっくり休んでくれ。
朝まで働かせて悪いな」それを聞いて安心した。時刻は出勤予定の12時を回っ
ていたからだ。高志が新しい彼女とつき合うことに関しては、ベッドの中でゆっくり
と考えて結論を出していた。彼自身の事だから余計な詮索はしないことにして、
これからも彼と友人としてつき合っていこう。そう思った。
 予定にない休みだったから、何をするわけでもなくテレビを呆然と見ているだけ
だった。冷蔵庫から、見たこともないような怪しいコーラを取り出して飲んだ。あま
り美味くなかった。飲み慣れた日本のコーラと味が違うからか、それとも高志の
事が引っかかって美味しくないのかよく分からなかった。とにかく、それを全部飲
んで、出かけることにした。
 文房具屋に立ち寄ってみた。何となく消しゴムを買おうと思い消しゴム2コを手に
取り、レジに行こうとしたら、ピーターラビットのしおりが目にとまった。直美ちゃんに
送ろうと思い、違うものを2枚買った。

 直美ちゃんから手紙が届いた。内容は、いつも通りに最近の出来事
や、面白かった本の話だった。俺が知らないことを必死になって伝えて
くれてるような節がいくつかあった。俺のことを気に留めていてくれてる
んだなぁ、と思い一人で笑ってしまった。そしてまた、俺も机から筆記
用具と封筒と便せんを取り出して手紙を書いた。もちろんピーターラビ
ットのしおりも同封しておいた。
 ミカちゃんや久志からも手紙が数通届くようになった。返事を返すのが
大変だったが、その大変さがまた心地いいものだった。もちろん高志か
らも、相変わらず汚い読みづらい文字で手紙が届いていた。便せんと
封筒をいくつも使うので、文房具屋に行く回数も増えた。文房具屋のお
姉さんが、不審そうな顔で「いつも買ってもらって本当にありがたいんだ
けど、そんなに何に使うの?」と聞かれるようになってしまった。いつも買
ってもらってるお礼よ、とボールベントノートを一冊もらった。

 手紙のやりとりはまさに生活の一部となり、普通の事になっていた。イギリスに
来てから2年目の春頃、いつものように直美ちゃんから手紙が届いていた。日本
では段々と春めいてきて暖かくなってきたことが書いてあった。そして後半のあた
に、夏にでもイギリスに行きたいと書いてあった。最初は冗談だろうなと思い、返
事にイギリスに来たら色々案内するよと書いておいた。それから数日後、部屋で
昼ご飯を食べてるとき部屋の電話が鳴った。アパートにいて電話が鳴るときは仕
事の電話の確率が高いからあまり出たくなかった。電話に出ると直美ちゃんだっ
だ。国際電話でわざわざ電話してくれた。イギリスに来てから直美ちゃんと電話
するのは初めてだった。「久しぶり、元気?手紙毎回楽しみに見てる」ちょっと
疲れたような声で直美ちゃんはしゃべり出した。俺はびっくりして、何をしゃべれば
いいのか分からず、ちょっと考えてしまった。「俺は元気だよ。今、こっちは雨降って
るよ。そっちはいま夜の9時頃?」取りあえず、コンマ数秒の間に考えた。もうちょっ
と気の利く言葉はなかったのだろうか。「今度夏あたりにそっちに行きたいんだけど
だめかな?」いきなり聞かれてびっくりした。「いいよ、待ってるから。色々案内する
からおいで」素っ気なかったかもしれないが、それしか答えられなかった。国際電話
であまり長話するのも悪いので、少し喋って電話を置いた。

 まさか日本から遠く離れたイギリスで会えるとは思ってもいなかった。電話
を置いてから、心臓がドキドキと音をたてて脈打っていた。おもむろに机の引き
だしから、ガイドブックを取り出して案内できそうな場所を早速探した。イギリス
に来てからあらかたの場所は知っていたから、適当にピックアップしてみた。バッ
キンガム宮殿で衛兵の交替でも見ようか、テムズ川沿いを散歩もいいかも。そん
な妄想に似た想像は止まらなかった。名所を巡るより直美ちゃんに会えると考え
るとそれだけで嬉しかった。
 そしてその日がやってきた。ヒースロー空港の3番ターミナルで直美ちゃんを
待った。新聞を読みながら暇を潰していたが、いつも読める英字も緊張で落ち
着いて読めなかった。そして待つこと1時間半、直美ちゃんがやってきた。前より
髪が長くなっていて後ろで一本にまとめられていた。いつもと違った直美ちゃんを
目の前にして緊張した。「久しぶり!変ってないね」満面の笑顔で直美ちゃんが喋
った。「久しぶり、時差ぼけ大丈夫??」直美ちゃんの笑顔には時差ぼけの様子は
無く、元気そのものだった。

 その日はアパートでゆっくり休んで、次の日からロンドンを回ることに
した。直美ちゃんはおみやげをたくさん持ってきてくれた。バイクの雑誌
は本当に嬉しかった。米や醤油まで持ってきてくれたのも本当に嬉しか
った。話ははずみ、酒もすすんだ。俺はあまり飲めなかったが、直美ち
ゃんはグイグイとビールを飲んでいた。「ねぇ、私と会えて嬉しい?」いき
なり聞かれて背中がしんと冷えた。「嬉しくないわけないだろ。こんな遠く
まで会いに来てくれたんだから」いつになくまじめな顔で答えていたと思
う。直美ちゃんは下を向いて少し笑いながら言った。「そう、イギリスまで
来てよかった・・・」しんみりとした空気になり、話しかけづらくなった。直美
ちゃんはそのまま横になり寝てしまった。起こそうとして肩を叩こうとして
肩に触れたら、パシッと手を払われてしまった。仕方なく無理矢理抱き起
こしてベッドに寝かせた。直美ちゃんを抱き上げるととても軽かった。手に
骨の感触が伝わった。スリムと言うよりは痩せすぎていたような感じだった
と思う。 
 直美ちゃんが寝たのを確認してから机に向い、日記を書き始めた。書き始
めて30分くらいだったろうか。直美ちゃんが突然「うーーん゛!」と唸った。ビク
りとした。結構酒に酔うと乱れるんだな・・・。そう思いクスッと笑い、それも日記に
書き留めておいた。

 取りあえずもう一度起こした。「シャワー浴びない?」声をかけただけでは
起きなかった。肩を揺すって見ると目をパチリと開いた。「シャワー浴びる?」
ともう一度聞くと、キョロキョロして不思議そうな顔をしていた。「ここってイギリ
スだっけ?」寝ぼけてるようだった。「間違いなくイギリスだよ。ロンドン。シャワ
ー浴びる?」はぁっ、っとため息をついて直美ちゃんはまた布団に潜り込んで
しまった。「シャワー浴びてから入った方が気持ちよく寝られるよ」そう言うと直
美ちゃんはめんどくさそうに起きた。「じゃ、シャワー借りるね」そう言うと、バス
ルームに入っていった。 
 直美ちゃんがシャワーを浴びてる間にまた日記を書いた。何とも口寂しくなり
煙草を吸ってみた。やはり煙草は苦手らしくすぐに消してコーヒーを淹れて飲ん
だ。今まで直美ちゃんと二人きりになることは結構あったが、二人とも明るく話し
ながら二人きりになることは少なかった。だから、少しだけ緊張していた。そんな
緊張を忘れるために日記を書いてるようなものだった。
 少しして直美ちゃんがバスから出てきた。「あぁー、やっぱスッキリした」濡れた
髪をタオルでぬぐいながら出てくる直美ちゃんに、不謹慎ながらドキッとした。そ
んな嫌らしい事を考えている自分が情けなかった。「何か冷たいの飲む?ビール
はやめておいた方がいいと思うけど」冗談を飛ばしてみると、直美ちゃんはケラケラ
笑いながらタオルで優しく俺を引っぱたいた。「じゃ、リンゴジュースにする?ノンア
ルコールだけど」直美ちゃんは笑いながらイスに座った。「じゃ、ノンアルコールの
リンゴジュースちょうだい」そんなどうでもいい会話がとても心地よかった。
 しばらくリンゴジュースを飲みながらバイクの話をして直美ちゃんはまたベッドに
入った。俺が「おやすみ」と言ったときはもう寝ていた。日記の続きを書いて、自分
もシャワーを浴びて寝た。が、どうにも隣に直美ちゃんがいると緊張して眠れなか
った。

 外からはパトカーのサイレンが聞こえてくる。誰かが廊下で笑いながら
話をしている。全てが気になりまったく眠れなかった。仕方なく電気スタンド
をつけて本を読んだ。直美ちゃんが寝返りしたり、布団を引っ張ったりする
音にいちいち反応してしまい読書もままならなかった。腕時計を見ると、既に
1時を回っていた。そして本を読みながら結局は寝てしまっていた。
 起きると朝の5時だった。毎日朝5時に起きるように習慣が付いていたが、さす
がに眠かった。仕事は前もって休みをもらっていたからもっと寝ようと思えば、寝
ていられたが、どうせまた緊張して眠られそうにない。テレビをつけて天気予報を
見たりする。そして朝食を作った。立派な朝食を作ろうとしたが、無理そうなので
無難なものを作った。そうこうしてると直美ちゃんも起き出してきた。髪が爆発して
いてすごいことになっていた。それを見て笑うと、「こういう髪型もよくない?」と
朝からかなり明るかった。
 テレビを見ながら朝食を食べた。食べながら考え事をしていた。いつかこうして
毎日二人で朝食を食べることができるかな?そう考えると、自分が妙にバカっぽく
なりテレビを見て忘れようとした。「こんな英語だらけのテレビ見てわかる?」直美
ちゃんが難しそうな顔をしてテレビを見つめていた。「慣れれば普通に日本語のテ
レビ見てるのと変らないよ」少しだけ得意げに話してみた。「じゃ後で英語教えてよ
外に出たとき使えるようなやつね。難しくないヤツ」そう言うと直美ちゃんは、チャン
ネルをいろいろと変えてテレビに見入っていた。

 コーヒーをすすりながらしばらくテレビを見ていた。ニュースや天気予報を直美ちゃ
んはまじめに見ていた。それを見るとなんだかとても可愛く見えてどうしようも無かっ
た。「コーヒーお代わりする?」思わず声をかけてしまった。直美ちゃんはテレビを見
たままマグカップを差し出してきた。大まじめでテレビにかぶりついていた。コーヒー
を渡そうとすると、直美ちゃんがあっと声を上げた。「これ見たことあるよ!」テレビに
は天気予報と一緒にウェスト・ミンスター寺院が映し出されていた。「ウェスト・ミンス
ター寺院だね。行ってみる?」と聞くと、直美ちゃんは子供のようにはしゃいだ。そし
てまたチャンネルを色々変えていた。
 まずは着替えて出かける準備をした。直美ちゃんは早く外に出たくてパタパタして
いた。アパートから出ると外はいい天気だった。まさか直美ちゃんと二人でロンドン
を歩けるとは思ってもいなかった。まずは大英博物館をめざした。
 「あぁ、気持ちいいね。なんかイギリスって感じするね〜」直美ちゃんは、ロンドン
の風景を全部楽しもうと必死だった。YMCA前を通りすぎて大英博物館前にやって
きたが、まだ開館時間まで余裕があったから、博物館前のベンチで少し休んだ。人
がごった返していた。「あぁ来てよかった〜。ロンドンとかの街並みもいいけど、やっ
ぱりヒロユキ(俺 仮名)と会えたのが一番嬉しいよ」え?と思い、頭をかいて顔を
ゆるませた。「俺もあえて嬉しいよ」ただ一言しか言えなかった。

 「何顔赤くしてんの?」直美ちゃんにこづかれた。そう言えば顔が熱くなって
いる。でもとても嬉しかった。少しして開館したようだったから、大英博物館を
回ることにした。まずはエジプトコレクションに行ってみた。「うひゃーー、でかい
しすごい!」と直美ちゃんはラムセス2世の胸像を見て驚いていた。俺も大英博
物館に来るのは初めてだったので。驚いた。何か訳の分からない時で書かれた
書物を直美ちゃんは一生懸命読もうとしていた。「なんて書いてある?」と聞くと
「ヒロユキはバイクで転んだって書いてあるよ」と笑っていた。しばらく大英博物館
見てから、バッキンガム宮殿に向かった。そして直美ちゃん待望のウェスト・ミンス
ター寺院に着いた。「これ朝にテレビで見たヤツだよね!」と大喜びだった。一緒に
見られて幸せだった。「写真撮ってあげるよ、そこに立って」と言うと笑顔でカメラの
方を向いた。「可愛く撮ってね!」と言われたが心の中では、可愛く撮らなくても十分
可愛いよ、とつぶやいた。

 二人で色々と見て回った。パーラメント・スクエアでは何枚も写真を
撮った。ウェスト・ミンスターブリッジあたりで少し座って休むことにし
た。「ねぇ?あれって・・・」直美ちゃんが指さす方には国会議事堂があ
った。「あぁ、国会議事堂だよ。テレビとかでたまに見るよね」直美ちゃん
は嬉しそうに写真を撮り始めた。直美ちゃんを横目で見ながら、幸せに
浸っていた。
 しばらくしてからテムズ川沿いをゆっくりと散歩した。直美ちゃんは川面
を嬉しそうにニコニコしながら見ていた。船が通るといちいち、指さして嬉し
がっていた。そんな直美ちゃんを見ていると本当に幸せで、もう何もいらな
かった。「高志達は元気にしてる?」失敗した。そんなことを聞けば空気が
悪くなる、心の中で悔やんだ。「元気だよ。ミカちゃんも久志も仲良くやって
るよ!」悔やんだ自分がアホらしくなった。「そっか、バイクは乗ってる?い
つもの土曜日」安心して話すことができた。直美ちゃんはバイクの話になると
いつも止まらない。「毎週ではないけど走ってるよ。私新しいヘルメット買った
よ。ついでにアルパインスターのブーツも買った」と、ヘルメットとブーツの話
に花が咲いた。直美ちゃんは体を動かしてで話をわかりやすく俺に教えてくれ
た。日本に帰ったら仕事よりも何よりも、早く直美ちゃんとバイクで走りたい、そ
んな思いがどんどんつのってくる。

そして昼ご飯を一緒に食べたり、色々と回ってると夕方になっていた。最後に
ハロッズでお土産やら色々と買い物をした。「ねぇ、服にはあまり興味ないの?」
正直あまり興味はない。日本で仕事をするときはツナギにエプロンをしたりおかし
な格好だし、普段はシャツとコットンのパンツがほとんどだ。「そういえばコットンの
パンツ何枚も持ってたよねぇ〜」なんだか少し情けない気分になった。俺も少しは
洒落っ気を出してみようかな・・・。そう考えつつ直美ちゃんの買い物につき合って
いた。「疲れてるみたいだから、少し休んできたら?待ち合わせしよう」直美ちゃん
と別行動するのは寂しかったけど、本当に疲れていたから少し喫茶店で休んで
いた。
 直美ちゃんはしばらくすると、紙袋を沢山持って帰ってきた。英語もままならない
のによく買い物できたなぁ、と感心した。「たくさん買っちゃった」と照れ笑いする直美
ちゃんを見ていると、抱きしめたくなった。
 アパートに戻って二人とも、ゆっくりと休んだ。直美ちゃんは買ってきた服やら化粧品
を床一面に広げたまま寝ていた。俺はテーブルにもたれたままテレビを見ていた。国会
での出来事を伝えるニュースを見ていると、今日見てきた国会議事堂が映った。それを
一人ニヤニヤしながら見ていた。そして寝てしまった。
 起きると夜の7時半だった。直美ちゃんはすっかり熟睡していた。「晩ご飯どうする?今
食べる?」直美ちゃんの肩をポンと叩いてみた。「あぁ、食べようか〜」と直美ちゃんが
のそのそと起き出した。そして、二人で晩ご飯を作った。

 二人で晩ご飯を作るとは・・・。なんだか夫婦みたいだ・・・。そんな
妄想をしつつ晩ご飯を作った。テーブルの上には沢山の料理が並
んでいた。そして、直美ちゃんが日本からお土産に持ってきてくれた
ワンカップ。まさか酒が飲めるとは思ってもいなかった。「ねぇ、何か
音楽かけようよ」と言うので、CDを出して見た。「取りあえずこれかけ
てみようか」と直美ちゃんはプレーヤーにCDを入れた。重厚な弦楽器
の音が流れてくる。「ん???」と思い二人とも聞き入った。管楽器の
メロディーが流れ始める。「ワルキューレの騎行・・・」直美ちゃんがポ
ツリとつぶやいた。しまった・・・。もっとムードのあるCDを出せば良か
った。そう思い、何も言えずにスピーカーを見つめた。「なんかリッチな
気分だね。貴族の食事みたいw」と直美ちゃんはケラケラと笑いながら
俺の方を見た。俺もそれに応じてただ笑ってごまかした。
 ワンカップはすでにそこを付いて空になっていた。その代わりウィスキー
のボトルがテーブルに上がっていた。なぜか、音楽はさっきからワルキュ
ーレの騎行がリピートで何度も流れていた。直美ちゃんはこの曲がかなり
気に入ったみたいだった。

俺は飲めいないアルコールをチビチビと飲みながら直美ちゃんと話し
を続けた。「なんだかロンドンに住みたくなっちゃった」と窓の外を見
ながらつぶやいた。ははっと笑いながら俺はイスから立ってCDを入れ替
えた。YMOのワイルドアンビシャスが流れ始める。ちょっとだけ、ムード
ある曲をわざと選曲してみた。直美ちゃんはそれに気付く訳もなく、ウ
ィスキーあおった。「あまり飲み過ぎない程度にね」と言ったが。えへ
へと締まり無い笑みを浮かべて更に飲んだ。顔がうっすらと赤くなって
いた。普段あまり見ることのない表情に少しドキッとした。
 気付けば最後のウィスキーも尽きていた。オレンジジュースを飲もう
としたが、直美ちゃんがウィスキーをオレンジジュースで割ったらしく
て、それも空になっていた。直美ちゃんは蛇口から直接水を飲もうとし
ていた。「今、スーパーで飲み物買ってくるからちょっと待ってて」直
美ちゃんは、自分の財布をもって上着を着た。「私も連れてって」と
少しよろけながら、ドアの前に立った。一人で部屋に残しておくと、何
かありそうな感じがしたので、一緒に行くことにした。

スーパーは歩いてだいたい15分くらいのところにある。その15分
の間、直美ちゃんと一緒に歩けるのがとても嬉しかった。「はぁ、外の
空気にあたったら酔い覚めちゃった」直美ちゃんはふーっと息を吐いて
そう言った。「覚めた方がいいって。あんなに飲んで大丈夫?」と心配
して聞いた。「大丈夫。最近多く飲んでも大丈夫になったから。女だか
らってバカにしてるでしょ?」そう言って笑いながら俺を小突いた。
  「バカにはしてないけど、大丈夫かなと思って」と言った。本心か
ら心配だった。男友達や他人だったらどうでもいいことだが、自分の
好きな人だから心配で当然だと思う。
 スーパーに着くと人がまばらにいるくらいで、買い物しながらおしゃ
べりするのに最適だった。「何買うの?」とカートを押しながら直美ち
ゃんが聞いてきた。笑顔が最高に可愛かった。きっと買い物が好きなん
ろうなと思った。「まずはジュースか何か飲み物と・・」と言いかけた
ら直美ちゃんが俺の言葉を阻んだ。「ビールとかは???」と直美ちゃ
んは聞いてきた。「お酒は明日。今日は十分飲んだから」と言ったら直
美ちゃんは、「ちぇ」と笑いながらまた小突いた。「外国製のジュース
とかって何か変な物入ってそうだよね」と聞かれた。確かにそういう物
もある、どう考えても不自然な色の炭酸飲料や以上にしょっぱいスナック
菓子とか。「確かにあるけど、俺はあまりジュース類は飲まないから」
と言うと、「じゃ、これ」と直美ちゃんは一本のペットボトルをカート
に入れた。それは、眩しくて目をそらしたいほど蛍光の黄緑色だった。
どうやら、青リンゴの炭酸飲料らしかった。「こういういかにもな色
ってひかれるよね〜」と、今度は真っ赤なサクランボの炭酸飲料を
カートに入れた。

お菓子や飲み物を買ってスーパーを出た。「何か魚とかヤバげなものと
か多くない?」イギリスのスーパーでは新鮮な魚介類はあまり無く、ロン
ドンに来たての頃は困った。「確かに新鮮な物はないね。野菜とかは比較
的に日本に近いけど、キュウリとかは大味だからあまり食べないね」直美
ちゃんはかなり興味があったらしく、スーパーの中でもいろいろな商品を
見ては日本の物と比べてるようだった。「スプリングオニオンってあった
けど、これはネギみたいな物?」直美ちゃんは試しに一本買ったらしくて
袋から、スプリングオニオンを取り出して見せた。「そうそう、それは
ネギだよ。日本のと同じだよ。よくみそ汁に入れて食べてるよw」と言うと
なんだか残念そうだった。「ねぇ、日本に帰りたい?」突然聞かれてびっく
りした。直美ちゃんの顔を覗くと笑顔が消えていて、まじめな表情が見え
た。「帰りたいけど、まだ勉強中だから・・・」小さな声で答えた。自分の
心の中では、直美ちゃんと一緒に日本に帰ってしまいたいと思っていた。そ
して、こんな楽しい生活を日本でもしてみたいと思ってた。「そっか、勉強
でイギリスに来たんだからね」直美ちゃんはニッと笑って見せた。そして
直美ちゃんは俺の手を握った。何も言わずに俺も直美ちゃんの小さな手を
、植物のシブやハサミの傷が付いたゴツゴツした手で握った。手は荒れ放題
でガサガサしてたからちょっと気が引けた。

二人とも少しうつむき加減で歩いていた。特に会話も無く、お互い目が合う
と視線を逸らした。すこし気まずい雰囲気で、手を繋ぎながら歩いた。小さな
公園が見えてきた。ここまで来るとアパートはすぐそこだった。「あそこって
公園とか?」直美ちゃんが沈黙を破った。「そう、公園だよ」と言うと、直美
ちゃんは公園へと俺の手を引いた。街灯がぼんやりと公園を照らしていた。二
人ともベンチに腰掛けた。直美ちゃんはため息をついた。俺はどうすることも
できず、ただベンチに座るだけだった。ふと背中が痒くなったのに気付いて背
中をかこうとしたが、右手で手を繋いでいる上に痒いところに左手が届かなか
った。気になり出すと止まらなくて、余計に痒くなっていくような感じがして
いた。直美ちゃんの顔を覗くと、ちょっとうつむき加減で地面をただ見詰めて
いた。痒みは限界に達していた。「ごめん・・・。背中かいてもいい?」直美
ちゃんはキョトンとしていたが、すぐに大笑いしていた。「せっかくなんかい
いムードだったのに」と、ゲラゲラ笑っていた。少し照れながら背中をかいた。
 それから、また仲良く手を繋ぎながらアパートに向かった。

いかにもな色の炭酸飲料を飲み比べした。それを混ぜたりして飲んだり、罰
ゲームで飲んだりした。端から見れば子供だ。時計は、夜中の12時半を指し
ていた。先に直美ちゃんがシャワーを使ってる間、俺は日記を書いた。とにかく
二人の思い出を全て書き記しておいた。
 直見ちゃんがシャワーから出てきた。恥ずかしいので意図的に時計を見て、腕
時計の時間を修正してる振りをした。「シャワー空いたよ」と言いながら後ろの
イスに座った。「あ、わかった」と、直美ちゃんを見ないようにシャワーを浴び
に行った。
 シャワーから出ると直美ちゃんはすっかり寝ていた。バイクの雑誌を見ていた
らしく、雑誌を開いたままで寝ていた。ページを見ると、ツーリングに持っていく
必需品が紹介されていた。「ツーリングいいなぁ」とぼそっと独り言をつぶやいて
から、直美ちゃんを抱き上げてベットに寝かせた。自分も眠かったからすぐに布団
に入った。直美ちゃんの寝息が隣から聞こえてくる。

 寝ているとトントンと肩を叩かれた。目を開いてみると、暗闇に直美ちゃんの
目が浮かんで見えた。「ねぇ、そっちの布団入ってもいい?」と聞かれた。俺は
困惑した。突然こんな事が起きるとも思っていなかったし、まだそんなに深い関
係になっていないと思っていたからだ。「だめ?」と聞かれた。少し寝ぼけたふり
をしようとしたが、すぐばれるだろと思いやめた。「いいよ」一言そう言うと俺は少
し端に寄った。俺は何を話すわけでもなくまた寝ようとしていた。一緒の布団で
誰かと寝るのは、小さい頃母や姉と寝たとき以来だった。肉親と寝るのならどう
という事はないが、今隣で寝ている直美ちゃんは肉親ではない人間だ。当然の
ことながら、緊張してきた。寝ようとしたが結局だめだった。直美ちゃんは俺との
距離を更に詰めて、俺の背中にぴったりとくっついた。そんな体制が何分続いた
だろうか?疲れもたまっていたので自分もまた眠りに落ちた。
 朝、カーテンの隙間から差し込む日の光で起きた。直美ちゃんは昨日と同じ
体制のまま寝ていた。俺が動くと直美ちゃんが起きる恐れがあったから、自分も
その体制のままでいた。
 どうしていきなり俺の布団に入ってきたのだろうか?二人はもうそういう仲に
なったのだろうか?いろいろな事が頭に浮かんでくる。取りあえず、布団の中
から手を伸ばして、テレビのリモコンを取ってテレビの電源を入れた。BBCの
ニュースが流れていた。それをぼんやりと見ていると直美ちゃんがむくっと、起
きた。「おはよう・・・」と眠そうな顔をこっちに向けてポツリと言った。俺も応じて
おはよう、と返した。直美ちゃんの頭が大爆発していた。それを見て俺は大笑い
した。「自分の髪だってすごいよ、ぺったんこになってるよ」と言われて後頭部を
触るとぺったんこになっていた。昨晩、スーパーの帰り道のような気まずい雰囲気
にはならず、とても気持のいい朝を迎えられた。

直美ちゃんはまた布団に横になりすーすーと寝息をたてていた。起こさないように
そーっと布団から出て俺は、洗面所で顔を洗い歯を磨いた。歯ブラシを口の中に入れ
ると、オウェッとえづいた。直美ちゃんに気付かれてはいまいか気になり、ドアからそっ
と見てみると、相変わらず寝ていて安心した。
 取りあえず朝食を作ることにした。男一人で生活してきたから作れる物はたかが知
れている。スクランブルエッグにベーコンとトーストをテーブルに置く。よく見ると
いつもより上手に作れているような感じがして悦にはいっていた。そろそろ和食が恋
しくなっていた。直美ちゃんを起こそうと顔を見てみると、口元からヨダレを垂らし
て寝ていた。思わず声を出して笑いそうになったが、必死に堪えてタオルでぬぐって
から起こした。「またおはよう」と眠そうに言った言葉を今でもしっかり覚えている
。それから、朝食を食べながらその日一日の予定を考えた。直美ちゃんは明日帰るの
で、まずは荷物をまとめることにして、外を適当にブラブラすることにした。
 朝食を食べ終わった後、直美ちゃんは自分の荷物をまとめ始めた。昨日スーパーで
買ってきた花を花瓶に飾ってると直美ちゃんに呼ばれた。後ろを向くと、直美ちゃん
が何か包みを抱えて立っていた。「これ、ハロッズで買ってみたんだけどプレゼント
だよ」と包みを俺に渡した。「何かな?ありがとう」もっと気の利いた感謝の言葉を
かけてあげれば、と思ったがやはり照れて言い出せなかった。包みを開けると、うす
ピンク色のシャツが出てきた。「お花屋さんで仕事してるんだから、オシャレなシャ
ツ着て仕事するのもいいよ。サイズはどう?」言葉がなかった。嬉しくて涙が出そう
になった。着てみて、と促されて着てみた。サイズはぴったりだった。いつもは白い
シャツだったり、青いシャツだったからピンクはとても新鮮だった。自分ではないよ
な感じがした。

 ちょっと派手な感じもしないでもなかったが、とにかく気に入った。「サイズちょ
うどいい?」直美ちゃんはちょっと、心配そうな面持ちで俺を見ていた。「大丈夫
だよ、ちょうどいい。本当にありがとう、嬉しいよ」そういったとき、涙がまた出そ
になりあくびをしてごまかした。きっと直美ちゃんは不慣れな英語で、俺にシャツを
買ってきてくれたと考えると、嬉しいような恥ずかしいような気持になった。直美ち
ゃんは、俺が着ているシャツを引っ張ってしわを伸ばすようにしていた。「おお、い
いねぇ、似合うよ〜」直美ちゃんはニヤッと笑いながら俺をしげしげと見ていた。
 俺はファッションなんかには全く興味が無いから、偉そうなことは言えないけど、
コットンのパンツとピンクのシャツは合ってるような気がした。
 そのまま二人で散歩に出かけた。ちょっと曇っていたが、二人とも天気を気にする
ことなく歩道を歩いた。「ねぇ、スーパーに行ってみたいんだけど」直美ちゃんが、ち
ょっと恥ずかしそうに俺に言った。なぜスーパーなんだろう?と思うと、笑いがこみ上
げてきた。「スーパーで何か買うの?」と聞くと、直美ちゃんは日本のスーパーとじっ
くり比べてみたいと言った。昨日と違うスーパーに行くことにした。どこがいいかと
考えてみた。ちょっと高級な人が行くマークス&スペンサーというスーパーを知ってい
たので、そこに行ってみることにした。地下鉄で行けばすくなのだが歩きたいと言うので
歩くことにした。
 バイクが走ってくると、直美ちゃんは「あのバイク格好いい!」とはしゃいでいた。や
はりバイクが好きなんだ、と思うと自分も早くバイクで走りたいなと考えていた。時間に
してどれくらい歩いたかは忘れたが、結構な時間だったと思う。目的地のマークス&スペ
ンサーに着くと、早く行こう!と直美ちゃんは早歩きになった。直美ちゃんはカートを
押しながら、色々と見ていた。「あ、衣料品もあるんだ!」とすぐにそっちの方に行って
見ていた。直美ちゃんの後ろにくっついて歩いてると、下着のコーナーにたどり着いて
しまった。「俺、あっちの方見てくるから」とごまかした。「何?恥ずかしいの?」と
茶化された。しっかり分かっていたようだ。

 直美ちゃんが衣料品を見ている間、俺は適当に果物や雑貨を見て回っていた。デザート
を見ているととても美味そうだったので、何個か買った。少しすると、直美ちゃんがやっ
てきた。「いいものあった?」と聞くと、カートの中を指さした。よく見ると、下着が入
っていた。「あぁ。。いい買い物だね」とぼそりと言うと、直美ちゃんはふっふと笑って
いた。「これは何?」と何かを手にとって直美ちゃ「んは俺の目の前に差し出した。紛れも
なくブラジャーだった。「え?ブラジャー?」とストレートに言ってしまった。「そんな
率直に言わなくても・・・」と大笑いしていた。ブラジャーだからブラジャーだと言った
のだが、失敗した。
 デートでスーパマーケットと言うのも悪くない。そう思いながら、カートを押しながら
買い物をした。何故かトウモロコシを買ってみたり、ラーメンのような物を買ってみたり
して、二人ともかなり無駄使いをしていた。結局、日本のスーパーマーケットと比べる、と
いう目的は忘れ去られて、ただの買い物になってしまった。それはそれで楽しいのでよしと
した。
 歩いてると時計屋の前を通りすぎた。はっと思い直美ちゃんを誘って時計屋に入った。直
美ちゃんはぽかーんとしていた。シャツのお礼に何かプレゼントしたかったら、時計屋に入っ
た。「どんなのがいい?」と聞くと直美ちゃんは、キョトンとしていた。「シャツのお礼」
と、言うと。ニヤーと笑い、ショーケースに張り付いて時計を選び始めた。かなりの時間を
待った。「ねぇ、これどう!?」と直美ちゃんは俺に時計をつけた腕を見せた。かなりゴツイ
クロノグラフだった。「バイクで走ってるときでもタイム計れそうだよ!」と、満面の笑みだ
った。「あー、似合うかも!それいいね!」と言いつつ、値段を見てみるとびびった。直美ち
ゃんはイギリスの通貨の感覚があまり無いから仕方無いと言えば仕方ない。「大丈夫?高い?」
と直美ちゃんは心配してくれたが、後には引けず買ってしまった。手持ちでは足らずにクレジットカードで買った。

 それから、仕事仲間とよく行くレストランで昼食をとりブラブラしながら
帰った。帰り道を歩いてると、話すことも無くなり二人とも無言になってし
まった。何か喋ろうかとかなり悩んでいた。直美ちゃんは真っ直ぐ前を見な
がら歩いていた。意を決して話しかけた。「歩き疲れた?」結局出てきた台
詞はこれだっった。「まだまだ歩けるよ。疲れた?」意外に明るく話してき
たので、こっちも明るく答えた。「俺もまだ大丈夫」直美ちゃんは少し早歩
きになった。俺もそれに必死について行ったが、実は少し疲れていた。ふく
らはぎのあたりが少し張っているのを感じた。
 ふ、と手を繋ごうと思った。どうしようか迷ったが、いつも迷ってる自分
に気づき一気に踏み出した。「手繋いでいい?」そう言うと直美ちゃんは笑
顔で手を差し出してくれた。そしてアパートまで手を繋ぎながら帰った。前
回は何となく気まずい雰囲気で手を繋いで歩いていたが、今回は楽しい会話
があったから心の底から楽しかった。
 アパートに付くとどっと疲れがやってきた。イスに座ると眠くなり少し寝
てしまった。寝たのは数十分くらいだったと思う。ふと、ステレオから流れ
てきた音楽に起こされた。好きなYMOの東風が流れていたと思う。(マッド
ピエロだったかも知れない)「何か私の知らないCDばっかだね」と言われて
しまった。流行ってる曲は知らないし、勿論歌えない。直美ちゃんに言われ
たから、少し聞いてみようかな?という気になった。ワルキューレの騎行だ
ったり、YMOだったり・・・。今考えると少し恥ずかしい。

 晩ご飯の準備を済ませてテーブルに向かった。直美ちゃんとイギリスで夕食
を食べるのは今日で最後だ。そう思うと少し落ち込みそうになったが、最後こ
そ楽しく過ごそうと思った。「お酒飲む?」直美ちゃんに聞いいてみた。きっと
今日も沢山飲むんだろうなと思っていた。「今日はいいや。最近飲みっぱなしだ
ったから」と、らしくない答えが返ってきた。取りあえず、いつものオレンジジ
ュースと冷したお茶を出した。
 会話に、明日帰ることは出てこなかった。それえはそれで良かったかもしれな
いが、もっとそういうことも気軽に話せたらなと、思った。直美ちゃんがシャワ
ーに入ってる間にまた日記を書き出した。書き出したはいいが、考え事の方が先
になってしまい、思うようにペンが進まなかった。その時点で俺は、直美ちゃん
とつき合うことを決心していた。きっと直美ちゃんとならうまくやれる。そう思
っていた。高志のことや色々あったけど、そんなことはどうでもよくなってしま
っていた。高志とは一応和解したしいいだろう。そんなことを考えていた。だけ
ど、どういった形であれ高志には、しっかりと二人のことを話しておこうと思っ
た。何でそんな答えになったかは良く思い出せないが、高志だけには隠し事をし
たくないと思ったからだろう。

直美ちゃんがシャワーから出てきた音がした。俺は、ぼーっと窓の外を見てい
たが、考え事を悟られそうに思い、日記を書いている振りをした。直美ちゃんが
後ろを歩いている、シャンプーの香りがしてきた。ふ、と後ろを向くと直美ちゃ
んが髪を拭いていた。直美ちゃんは俺が直美ちゃんを見ていることには気付いて
いなかった。だから、少し見とれていた。「シャワー空いたよ」そういわれるて
慌てて、視線を逸らした。
 シャワーから出ると直美ちゃんはテレビを見ていた。冷蔵庫からビールを取って
直美ちゃんに渡した。「飲むでしょ?ビール」そういって渡すと、直美ちゃんはニ
ヤと笑い、缶を開けて一気に飲んだ。「あぁー、美味しい〜。やっぱ飲みたいよね
〜」と幸せそうだった。俺は一気に飲むことは出来ないから、チビチビと飲んで
いた。「お酒あんまりだめなんだよね?」直美ちゃんは飲みながら、俺に聞いて
きた。飲めないわけではないが、沢山飲めないしすぐに酔う。「あまり好きなほ
うじゃないけど、あの時のゴタゴタの時はやけ酒みたいにウィスキー、をボトル
ごと飲んだよ」明るく答えたが、また失敗した。直美ちゃんはケラケラ笑ってい
た。

 いつも失敗続きの会話。ここまで来ると自分を責められずにはいられなかっ
た。自分に思いっきりムチを打ち込みたい気分になった。それでも直美ちゃん
は楽しそうに笑っていた。きっと、心の中ではあのゴタゴタを思い出してるん
だろうな、と思うと居たたまれなかった。「でもねぇ〜、あの時は私も変に焦
ってたんだよね」直美ちゃんが笑ったままそう言った。「もっと、あんたの事
考えてればあんなに急がなかったかも」直美ちゃんの顔から、少し笑顔が消え
た。俺は少し間をおいて喋った。「いや、そんなことないよ。あれだけ人に好
かれたことは無かったから、正直嬉しかった」今度は失敗しなかった。ゆっく
り落ち着いて話すことができた。直美ちゃんはうんうんと頷いていた。いつも
の直美ちゃんらしい明るい笑顔だった。
 俺が洗濯して、日記を書いてる間に直美ちゃんは寝てしまっていた。ゆっく
りと起こさないように、抱き上げてベットに寝かせた。起こさないようにした
つもりだったが、直美ちゃんは気付いて起きた。「あ、寝ちゃってたね。ごめ
ん」と目をこすりながら言った。散歩してるときは「まだまだ歩けるよ」と言
っていたが、結構疲れてるようだった。「ゆっくり休んだ方が良いよ」と一言
言うと、頷いてそのまま眠った。俺も眠かったから、床に敷いた布団にもぐり
こんだ。いろいろと考え事をしてるとやはり眠れなかった。そうこうしてると
直美ちゃんが起き出した。「まだ起きてる?」そういわれて寝たふりをしよう
かと思ったが、振り返って直美ちゃんの方を向いた。「そっち行っていい?」
昨日と同じ状況になった。「いいよ」一言いうと直美ちゃんは俺の入ってる布
団に入ってきた。

 昨日も同じことがあったから既に慣れていた。と、言えば嘘になる。緊張
で体が冷えていくのが分かった。直美ちゃんは昨日と同じように、俺の背中
にくっついていた。直美ちゃんの吐く暖かい息が背中に伝わってくる。緊張
が何だか解けていくような気がした。「こっち向いてよ。いいムードなんだ
から!」少し強めに言われた。ゆっくりと直美ちゃんの方に寝返る。意識的
に直美ちゃんとあまりくっつかないように距離を取った。体の半分が布団か
らはみ出てしまった。「足出てるよ。もっとこっち入って」そう言われ、少
しくっついた。目と鼻の先に直美ちゃんがいる。汗をかくまでではなかった
が、緊張して喉が渇いていた。「結果はどっちでもいいから、返事必ず聞か
せて」直美ちゃんは決して今すぐとは言わなかったが、今すぐ言ってしまい
たかった。「好きだから、つき合ってくれないか?」言ってしまった。直美
ちゃんに初めてきちんと自分の思いを伝えることが出来た。そして、少しの
間沈黙が流れた。直美ちゃんはゆっくりと俺に手を回してきて抱きついてき
た。俺も自然に直美ちゃんに手を回して抱いた。「ありがとう。その言葉ず
っと待ってたよ」直美ちゃんの声は少し震えていたような感じがした。きっ
と泣いていたのだと思う。自分の好きな子を泣かせるまで待たせた自分が情
けなくて、悔しくて自分も泣けてきた。「待たせてごめん」ただそれしか言
えなかった。それ以上何かを言おうとすると、声をあげて泣いてしまう感じ
がしたからだ。
 直美ちゃんは俺から離れて、俺の腕を引っ張ってそれに頭をのせた。直美
ちゃんは俺の胸のあたりにくっついた。好きな人がこんなにそばにいると思
うととても穏やかで、何か優しい気持になった。そして直美ちゃんはそのま
ま眠った。直美ちゃんが日本に帰るまで、あと時間はどれくらいだろうか?
そう思いながら腕時計を見ようとしたがやめた。こんな時間がずーっと続け
ばいいのになぁ。そう思っていると、自分もウトウトしてきて眠ってしまっ
た。

 朝起きると直美ちゃんは寝息を立てながら、俺の胸にくっついて眠って
いた。もう朝日が見えていた。直美ちゃんが今日帰ると思うと、ちょっと
寂しい気分になった。そのままぼーっとしていると、直美ちゃんが起き出
した。直美ちゃんは「おはよう・・・」と、大きなあくびをした。「おは
よう。よく眠れた?」直美ちゃんは少し笑顔で頷いた。二人ともなかなか
布団から出ようとしなかった。俺は直美ちゃんを抱きしめた。直美ちゃん
も、俺をぎゅっと抱きしめてきた。しばらくそうしていたら、直美ちゃん
がふいに起きあがった。「ご飯たべようか・・・」少し泣いていたように
見えた。「何食べようか」俺は、あまり喋る気になれずそれだけ口にして
起きあがった。
 その日の朝は、珍しくご飯を炊いた。電気炊飯器はもちろん無いので鍋
で焚いた。おかずは、日本の食料品を販売しているスーパーで買った納豆
と、みそ汁に卵焼きや永谷園のお茶漬け。自分は久しぶりに日本食を食べ
たので日本で食べるより美味しく感じた。目の前には直美ちゃんが座って
いて、俺の汁茶碗にみそ汁をよそってくれていた。こんな朝が毎日来れば
なぁ、と思いながら湯気の向こうの直美ちゃんを見ていた。「日本の食べ
物って、こっちの方だと値段はどうなの?」さっきの泣いていたような表
情は既に消えていて、いつもの直美ちゃんの顔に戻っていた。「日本で買
うより2割くらい高いかなぁ。だから日本食たべるのは滅多にないよ、い
つも節約生活だからw」努めて明るく答えた。直美ちゃんと話をしている
うちに、自分もいつもの自分に戻っていた。直美ちゃんには、人を明るく
させるような力があるような気がした。
 一息ついてお茶を飲んでいた。日本で言えば、朝食を食べて朝の連ドラ
を見ている時間帯だ。直美ちゃんイスから立ち上がり、トランクケースか
らデジカメを取り出して、外の景色を撮っていた。その後ろ姿を見ている
と、急にシュンとした気持になった。なぜそんな気持になったのかはよく
分からなかった。

 俺もイスから立ち上がり、直美ちゃんの隣に立った。俺の顔を下から覗
きこんで来た。「写真撮ってあげるね」直美ちゃんはそう言って、俺をデ
ジカメで撮っていた。「これでまたいい思い出できたね」直美ちゃんはそ
言って、またテレビを見始めた。俺はテレビを見ている直美ちゃんを見て
いた。抱きしめたい衝動にかられ、気付いたときはイスから立ち上がって
直美ちゃんのそばにいた。横からそっと抱き寄せてみた。直美ちゃんは短
く、えっと声を出した。俺はかまわずそのまま抱きしめた。俺は不覚にも
涙を流していた。男の癖に情けない・・・。そう思いつつも涙は止まらな
かった。直美ちゃんは、肩に腕を回してそっと抱きしめてくれた。余計に
涙が止まらず、声をあげそうになった。「どうしたの??」と直美ちゃん
が心配そうに聞いてきたが、答えることが出来なかった。「泣けばすっき
りするよ」一言優しく俺に言った。俺はさらに泣いたが、声をあげるのは
必死に耐えた。好きな人の前で、みっともない姿を見せたくないと思って
いたからだ。もうわけがわからなかった。
 しばらく泣いていた。生きてるうちにこんなに泣いたのは、父や母が亡
くなった時以来だったと思う。そして、俺は直美ちゃんから離れた。「ご
めん。みっともないとこ見せちゃったな」俺は恥ずかしそうにそういうと
直美ちゃんは俺の肩を叩いて言った。「良く泣いたね〜、スッキリしたか
な?」笑顔の直美ちゃんを見ると、目に少し涙を浮かべていた。ただ笑顔
で答えるしかなかった。
 飛行機は夕方なので、それまで少し時間がある。二人で何をしようか相
談した。「いつも外にいたから今日は部屋にいようか?」と直美ちゃんは
俺に言った。俺もそれがいいと思った。それなら誰にも邪魔されることは
ないし、二人だけで話しをすることもできる。「取りあえず、コーヒーで
も淹れようか?インスタントだけど」なんだか吹っ切れた明るい自分がそ
こにいた。

 コーヒーを作っていると、直美ちゃんがキッチンにやってきた。「いい
ことしようか?」と言って、ニヤニヤしていた。「いいことって?」と聞
くと、腕を引っ張ってイスに座らせた。「絶対にこっち見たらダメだから
ね」そう言われて黙って、壁を見ていた。何やらカチャカチャとコーヒー
カップをいじってる音が聞こえる。「こっち向いていいよ」と言われたの
で、恐る恐る後ろを向くと、直美ちゃんはコーヒーカップを二つ持って立
っていた。「どちらか一方のカップには、塩が入ってるよ。どっちを選ぶ
?どちらかを選んで余った方を私が飲むよ」賭みたいなことをしようとし
ているようだった。俺は迷わず右側の無地のカップをってに撮った。「そ
れでいいんだ?知らないよどうなっても、本当にそれでいいんだよね?」
と直美ちゃんはしつこい。俺は引かずそれをグッと飲んだ。普通のコーヒ
ーだった。と言うことは、余った方に塩が入っている。「やらなきゃ良か
った・・・」と、直美ちゃんはコーヒーを見ながら言った。「食べ物を粗
末にすると罰が当たるよ」と、俺は飲むように促した。直美ちゃんは顔を
しかめながらカップを傾けた。「あ、意外に飲める!!」と、直美ちゃん
が言うので、俺も一口飲んでみた。苦塩辛くてとても飲めた物ではなかっ
た。「だまされてやんの〜」と意地悪っぽく直美ちゃんは笑っていた。

 ちゃんとしたコーヒーを飲みながら、バイクの話をした。仲間で今度ツ
ーリングに出かけようという話だ。直美ちゃんは、落書き帳にペンで持ち
物や、目的地をサラサラと書いていった。「晩ご飯はどうする?」いつに
なるか分からないツーリングの計画を、二人でまじめに考えていた。でき
れば二人で行きたいと思ったが、口には出せなかった。だけど、いつかは
必ず生きたいな、と心の中で思っていた。「暇があれば私たち二人だけで
も行きたいね」直美ちゃんが少し照れた感じで言った。びっくりした、俺
の思ってることが伝わったのかな?そう思いにやりと笑っていた。「何?
どうしたの?」不思議がる直美ちゃんが、キョトンとした顔で俺に聞いて
きた。「いや、俺も同じこと考えてた」となるべく爽やかに言うつもりだ
ったが、恥ずかしくて照れくさく話した。「本当?じゃ、絶対行こうね!」
と、直美ちゃんは今にもツーリングに出かけるかのような調子だった。

 そうこうしていると、昼を回っていた。昼食をとるために部屋から出る
ことにした。「何食べる?私はラーメン食べたいなぁ」と直美ちゃんは言
っていた。ラーメン屋なら知っているところがあったので、そこに行くこ
とにした。日本企業の海外駐在員がよく食べに行く店だから、それなりに
美味しいよ、と自信を持って直美ちゃんにすすめた。「楽しみだね、まさ
かロンドンでラーメン食べられると思わなかった」ととて喜んでいた。
 昼の混む時間を過ぎていたので、ラーメン屋はすいていた。店員がやっ
てきて注文を英語で聞いてくる。「何がいい?チャーシュー麺が美味しい
よ」と直美ちゃんにすすめると、直美ちゃんは店員に向かって「チャーシュ
ーメン ワン!プリーズ!」と注文していた。店員にちゃんと伝わったらし
く、直美ちゃんは満足げな表情をしていた。「イギリスの人にラーメンの
注文を英語で聞かれるのもなんか面白いね」と、ロンドンのラーメン屋が
気に入ったみたいだった。「日本がこいしい?」と聞かれた。恋しくない
と言えば嘘になる。最初の頃は言葉が通じないために枕を濡らしたことも
あったし、日本人と言うことでスキンヘッドの人に因縁を付けられたりした
時もあった。「恋しいよ。それで寝ながら泣いたこともある」と正直に話し
たら、直美ちゃんはまじめな顔で「もしかして結構泣き虫?今日の朝も泣
いてたし・・・」と心配そうだった。「そうかな?でも、夜寝るときネガ
ティブな想像して横になるとよく眠れるよ。泣き疲れて寝るような感じで
ね」と言うと大笑いされた。「なんか分かるような気がするw」と直美ち
ゃんは、大笑いした後目を伏せた。きっと直美ちゃんも何か思い当たる節
があるんだろうなと思った。訳を聞くと空気が重くなりそうになったので
やめた。いつかきっと、訳を聞いて元気づけてあげたいと思った。

ラーメンを食べ終わり店を出ると、空が曇っていた。雨が降りそうだった
ので、アパートに戻ることにした。歩きながら色々な話をした。バイクの話
がメインだった。未だにタンデムの練習をしてると聞いたとき、一体誰と練
習してるのだろう?と嫉妬めいた考えがうかんだ。恥ずかしくなって考える
のをやめた。日本に帰ったら、直美ちゃんとバイクで走りたい。何度、そう
思っただろうか。思いはつのるばかりだった。
 途中、スーパーでお菓子や飲み物を買い込んでアパートに帰った。飛行機
の時刻を考えると、あまりゆっくりはしてられなかった。何もやることが無
かったから二人でオセロをしていた。「何でそんなに弱いの!?だから、最
初に角取らなきゃ!」と、何度も言われた。将棋ならそこそこだが、オセロ
はからっきしだった。「そうそう、そこに置けばこことこおがひっくり返る
でしょ?」と直美ちゃんは丁寧に熱く教えてくれた。
 オセロに飽きて、ラジオを聞きながらぼーっとしていた。直美ちゃんはト
ランクの中を確認していた。なんだか口寂しく思いコーヒーを淹れた。「コ
ーヒーここに置くよ」と、直美ちゃんの隣にコーヒーを置いた。直美ちゃん
は、少し元気がなかった。イギリスが気に入ってたから帰るのが惜しいんだ
ろうなと思い声をかけた。「今度は、俺も旅行でイギリスに来たいな。一緒
に行こう」と言うと、直美ちゃんはにっこりと笑い頷いた。
 窓の外を見ていると、直美ちゃんが後ろから抱きついてきた。二人ともそ
のまま、何も喋らず沈黙が続いた。俺も抱きしめたくなり、後ろを振り返っ
て、直美ちゃんを抱いた。「なんか帰るの嫌だな、ずっとここにいたい」と
泣きそうな声で直美ちゃんが言った。「今度は二人で来よう。まだ俺も見て
ない所がいぱいあるから」直美ちゃんは俺の胸に顔を隠しながら、頷いてい
た。そうして、しばらく抱き合っていた。そして、直美ちゃんが俺の唇にキ
スをした。キスをしたままどれくらいの時間が流れただろうか?キスをして
る間は何も考えられなくて、ただ直美ちゃんの暖かい唇の感触を感じていた
だけだった。

直美ちゃんは、俺の唇に届くようにつま先で立っていたらしく、疲れてき
たのか二人一緒にその場で転んでしまった。「ごめん、何かムードぶち壊し
だね」と直美ちゃんが、泣きながら笑った。そして、また座ったまま抱き合
った。そして何度もキスを重ねた。が、それから先に踏み込むことは無かっ
た。きっと、直美ちゃんが日本に帰った後寂しくなってどうにかなってしま
うような気がしたからだ。
 しばらく座ったまま抱き合っていた。直美ちゃんは眠そうに目をトロンと
させていた。壁の時計を見ると、そろそろ立たなければならない時間になっ
ていた。「そろそろ時間だよ」と言うと直美ちゃんは頷いて、渋々と俺に絡
めていた腕を解いて、立った。「今度は日本で会おう!」と元気に俺の肩を
たたいた。
 直美ちゃんの重いトランクを持ち、部屋の外へ出た。直美ちゃんは元気な
表情だったが、どこか翳りがあるような気がした。そして、階段を下りて外
へ出た。さっきよりまた曇っていた。こんな天気の日に別れるのは辛かった
が、何とか無理矢理元気を絞り出した。別れは辛いけど、また日本で会える
し、手紙のやりとりだって出来る、と自分に言い聞かせながら歩いた。

空港に着いて、まだ少し時間があったから喫茶店で少し休んだ。「来る時
はワクワクしながら空港の中歩いてたけど、帰りはやっぱり辛いよね」直美
ちゃんはアイスティー(ミルク?)を飲みながらポツリとつぶやいた。「だ
よね。修学旅行で帰るときの雰囲気と似てるよね」俺が話すと、直ちゃんは
「あぁ、分かる分かる!」と元気になった。それから少し修学旅行の話をし
ていた。
 そして、喫茶店を出た。出たところで直美ちゃんが俺の手を引っ張って言
った。「ねぇ、ここで別れよう。なんか、最後まで二人でいると泣き出しち
ゃいそうだから・・・」と、もう今にも泣きそうな顔だった。俺は最後まで
見送ろうと思っていたが、俺も涙がこぼれてきそうだった。「わかった。そ
れじゃ、気を付けて帰ってね。今度は日本で会おう。」出来るだけ泣かない
ようにと思ったが、ポロリと流れてしまった。「泣かないでよ、私も泣いち
ゃうから」と直美ちゃんは手で目を押さえた。俺はトランクを床に置いて直
美ちゃんを抱きしめた。そしてキスをした。人目は気にならなかった。外国
だということもあっただろうが、本当に他はどうでも良かった。「じゃ、日
本でね。手紙書くから。バイバイ!」最後に直美ちゃんは笑顔を見せてくれ
た。俺も、笑顔で見送った。

さっきまで、二人で歩いてきた道を、今度は自分一人で歩いていた。確か
に寂しかったが、日本で会えると思うとそうでもなかった。外は雨が降って
いるらしかった。売店で傘を買って外に出ると、結構強く降っていた。今度
は相合い傘もいいかな。と、一人にやけた。
 にやけながら歩いていると、ふと空しくなった。黙々と歩いた。むなしさを
かき消すように、ばしゃばしゃと水たまりも関係なく歩いた。途中で、どうで
もよくなり傘をゴミ箱に捨てて、濡れながら帰った。
 アパートに帰り、ぐしゃぐしゃのまま部屋に入った。やはり、傘を差せば良
かったな、と思いシャワー浴びた。シャワールームの片隅に、見たことのない
シャンプーが置いてあった。直美ちゃんが忘れていったものだった。それを見
てまた寂しくなり、やけどをするくらい熱いシャワーを浴びた。シャワーから
出ると、暑くて喉が渇いた。普段口にすることの無いビールを冷蔵庫から取り
出して一気に流し込んだ。すぐに、脈拍が上がり息が苦しくなる。それもかま
わず、また一口飲み込んだ。苦さに耐えられず、一人顔を歪ませていた。
 気付くと、部屋はすっかり真っ暗になっていた。時計は夜の9時半になってい
た。酔い潰れてパンツ一枚で寝転がっていた。明後日から仕事なのに、俺は何
をしているんだろう?そう思いながら、Tシャツを着て机に向かい、日記帳を
開いた。昨日までは楽しいことが書かれていが、その日は寂しさを書かなければ
ならなかった。それでも、意外にすらすらと書けるもので、ページは3ページに
なっていた。 
 日記帳を閉じて、ベットに潜り込んだ。今日の朝まで直美ちゃんが寝ていたベ
ットに入ると、直美ちゃんのぬくもりを感じようと布団を抱きしめてみた。情け
ないことに匂いまでかいでしまった。そして、直美ちゃんのぬくもりを探しなが
ら眠った。

 朝起きると、まだ雨が降っていた。二日酔いで頭が痛かった。飲めもしないアル
コールを無理に煽った結果がこれだ。二度とビールは口にしないと、心に決めつつ
シャワーを浴びる。直美ちゃんの置いていったシャンプーが目にとまり、そのシャ
ンプーを使わせてもらった。直美ちゃんの風呂上がりの時の、いい香りと同じ香り
がした。少しニヤニヤしながら髪をガリガリと洗った。
 シャワーを浴びて、喉が渇いた。冷蔵庫を開けると、水しかなかった。取りあえ
ず、それを一気に飲み下した。ふーっと、大きく吐いた息にはため息も少し混じっ
っていたような気がした。テレビを付けると、乳幼児の育て方のような番組が流れ
ていた。いつかは・・・、と妄想が始まった。立派な家に、広い庭。そして、俺と
直美ちゃんと、その子供・・・。そんな妄想をしていたが、プツリとそれは切れて
しまった。楽しい妄想の変わりに、直美ちゃんがいないという寂しい現実に戻って
いた。
 何をするわけでもなく、何となくテレビをぼーっと見ていた。そんなことをして
いると、あっという間に昼になっていた。取りあえず、外に出てみた。外はまだ雨
が降っていて、歩道のところどころに水たまりが出来ていた。構わずそれを踏んで
歩いてみる。傘を差してはいたが、あっちの方向に傘をさしていたから、あまり役
には立たなかった。
 でも、日本に帰れば毎日のように会えるんだよな、大好きな直美ちゃんと大好き
なバイクで一緒に走れるんだよな。歩いていると、何となく前向きな考え方ができ
ていて、笑いながら歩いている自分がいた。そして、ずぶ濡れのままスーパーで買
い物をした。

 ひとりカートを押しながら、スーパーの中を歩いていると直美ちゃんと買い物を
したときのことを思い出した。あぁ、日本でもああやって一緒に買い物できるだろ
うか。そう思いながら、色々とカートに商品を入れていく。そう言えば、いつか日
本で、高志と直美ちゃんが買い物をしてる時にバッタリ会ってしまったことを思い
出した。それを考えると少し複雑な気分になったが、考えても仕方ないと思い、そ
のまま、忘れてフリをして買い物を続けた。
 スーパーから出ると、雨は少し小降りになっていた。傘を少し横にずらしてさし
た。ずらした空間には、妄想で生まれた直美ちゃんがいる。そして、自分の脳内で
は、相合い傘をしながら二人で話していた。情けなく思ったが、自分に忠実になろ
うと、訳の分からない決心をしていた。
 そのまま、妄想で生まれた直美ちゃんと歩きながら部屋に戻った。そして、一気
に現実に戻り、また鬱な空気に包まれた。スーパーの袋から、ジュースを取り出し
て、コップに注がずそのまま飲んだ。少し、スッキリしたが歩き疲れたのかそのま
ま寝てしまった。
 起きると夕方の5時半。外は雨はやんでいたが曇っていた。よく眠ったおかげで
スッキリした。今度直美ちゃんに手紙でも書こう。そう思いつつ、夕食の準備をし
た。準備と言っても、出来合いのものを火にかけて温めるだけだ。それを食べなが
ら、明日から再開する仕事の準備をした。
 一通り準備はできた。机に向い、いつもの日記を書いた。自分の妄想をニヤニヤ
と書き込んでおいた。
明日に備えて寝ることにした。スーパーの帰り道と同じように、ベッドの横は少し
だけスペースを残しておいた。直美ちゃんのためのスペースだった。

 次の日はカラリと晴れた。なんだか気分が良くて、自転車を飛ばす。渋滞する遅
い車を次々と追い抜いていく。バイクに乗った気分で走る。
 店に入り、いつもよりでかい声で元気よく挨拶する。みんな、キョトンとしてい
た。「休みはどうだったい?日本から友達でも?」と聞かれ、直美ちゃんのことを
話した。「なぜ俺にも知らせなかったんだ?君の恋人なのか?」と聞かれ、恥ずか
しながら頷いた。「お前は、今日残業だ!」同僚はニヤニヤと笑いながら、俺を小
突いた。それに俺もニヤニヤと笑って答えた。
 その日の仕事は、いつもよりスムーズに進んだ。いいアイデアも浮かんだ。なん
だか、直美ちゃんが来てから自分が少しだけ変ったような気がした。
 昼食を食べていると、同僚達が直美ちゃんのことをもっと聞かせろと俺に詰め寄
ってきた。「写真はもってないの?見せてよ」と言われ、仕方なく財布から一枚取
り出して見せると、みんなからポカポカと叩かれた。嬉しかった。
 仕事が終り、また自転車をすっ飛ばして帰った。大家のおばさんに元気よく挨拶
して、部屋に入った。おもむろに、CDをかけた。Room335が流れてくる。やは
り明るい気分の時に聞きたい曲だ。以前は、曲と正反対の状況で聞いたが、今回は
違った。ゆっくりとボリュウムを上げる。部屋一杯に音が響いた。隣の黒人の女性
が、「もう少し静かにしてよ」と苦情を言いに来た。素直に謝ったが、心はウキウ
キ気分のままだった。しばらくの間、明るくて楽しい、メリハリのある生活が続い
た。

 そして、数日後に仕事から帰ってくると手紙が届いていた。直美ちゃんからだっ
だ。封筒を丁寧に開くと、中からは便せん三枚と写真が出てきた。手紙には、日本
に帰ってから、寂しい日が少しあったことや、早くまた会ってデートしたいことが
可愛い文字で書かれてあった。それを読んでいると、涙がぽつぽつと机の上にこぼ
れていた。ただ、寂しくて悲しくて流すいつもの涙とは違っていた。よく分からな
いが、なんだか嬉しくて涙が出ているような気がした。手紙を一通り読んでから写
真を見ると、高志やミカちゃんがこっちに向かってピースしていた。久志だけが何
故か腕組みをして後ろを向いていたのが、面白くて泣きながら笑った。そして、そ
の写真を、壁に画鋲で留めておいた。直美ちゃんが一人だけ写ってる写真や、イギ
リスで撮った写真は、ベッドに横になったときにいつでも見られるように、ベッド
のすぐ横の壁に飾っておいた。
 手紙を大事に引き出しにしまって、返事を書こうとした。が、封筒と便箋が一つ
もなかった。仕方なく、近くの文房具屋に走った。
 夕暮れの歩道をきびきびと歩き、文房具屋に向かった。文房具屋に入ると、いつ
もの、店番のお姉さんが、また?見たいな顔で俺を見た。ニヤッと笑い頷いておい
た。どの便せんにしようか迷った。無難にピーターラビットにした。いつかもそう
だったが、直美ちゃんは意外にも、ピーターラビットが気に入ってるようだったか
ら、またそれにした。レジに持っていくと、お姉さんが色つきのマーカーペンを黙
って3本くれた。「これはサービスね」と一言、無表情で俺に言った。ありがとう
と礼をして店を飛び出して走って帰った。
 部屋に入り、すぐに机に向かって返事を書いた。この時間帯は腹が減っている時
間だったが、気にせず便せんにペンを走らせた。スラスラと書いては、ペンを止め
て、考えながら書いた。しばらく寂しくて、情緒不安定だったことや、よく妄想を
していたことを書いておいた。そして、せっかくもらったマーカーペンで、便せん
の周りを囲んだ。よく見ると、小学生が自由帳に書く様な、意味不明な線がふにゃ
ふにゃと走っていた。

 気付くとイギリスにいる時間も残り少なくなっていた。時間が流れるのはとても
早いものだと、改めて感じた。そして、流れた時の中にはいつも直美ちゃんが、い
た。大変な修行だったが、ここまで来れたのは直美ちゃんがいたからこそだった思
った。早く直美ちゃんに会いたい、そんな思いが俺の尻に鞭を入れてくれた。
 ふと思い立ち、今まで直美ちゃんからもらった手紙を読み直してみた。いつも可
愛い文字で、遠く離れた日本の地元での出来事や、自分が思っていることを会綴っ
てくれている。どんどん読み進んでいくと、ある日の手紙から文末に必ず、「愛し
てるよ。大好きだよ」と書かれていた。それを見ると、少し恥ずかしくなり、手紙
を机の上に伏せた。自分も必ず、文末には「愛してるよ」と書いてはいたが、他人

愛していると言われると、やはり妙な気分になる。

 時間を調整して国際電話なるものをかけてみた。直美ちゃんの声が聞こえてくる
と、感激した。いつもは手紙のやりとりがメインだったから、久しぶりに聞く声は
とても新鮮だった。「元気だった?」直美ちゃんは元気に俺に聞いてきた。もちろ
ん元気だったが、上手く話せなかった。人と話すのは意外に大丈夫なのだが、直美
ちゃんと話をするときは、ちょっとだけ緊張する。好きな人の前では、どうしてか
何を話せばいいのか考えてしまう。「日本はどう?暑い?」直美ちゃんは一つ間を
置いてから、「うん、暑いよ。久しぶりに話せてすごく嬉しい」と、しっとりと答
えた。それは自分も同じだった。会いたくて会いたくて仕方なくなってきた。この
思いをどう伝えればいいか、会話しながら考えた。ストレートに伝えよう。そう思
い会話をぶった切って、言った。「会いたくて会いたくてどうしようもない。何か
おかしくなりそうだ」本当にストレートだった。直美ちゃんは、え?と小さく声を
出し、静かになった。「私だって会いたいよ、毎日寝る前はあんたのこと考えてる
よ」と、少し声を震わせて言った。俺はすでに涙が流れていた。「帰ったら一緒に
いつもの峠走ろうな。俺も頑張るから、直美も頑張ってな。」何か吹っ切れて、素
直に言いたいことが言い出せるようになっていた。

 仕事中にバスケットに花を寄せながら、いつも考えることがある。直美ちゃんは
どんな花が好きなんだろうと。直美ちゃんはひまわりのように元気だけど、わすれ
な草の花のように、可憐な部分もある。帰りにテムズ川のあたりでわすれな草を探
してみようと思った。その日は、ひまわりを使った寄せ植えを五つも作ってしまっ
た。オーナーに訳を話すと、「それはそれでいいんだよ。誰かを思って作ると、普
段とは全く異なるデザインに仕上がる。私も妻を愛して、思っているからこそ美し
い作品が出来ると思う」オーナーは俺の手を握って熱く語った。この言葉は生涯忘
れることのない言葉だった。(事務所に綺麗にレタリングして飾ってたりします)
 帰りに自転車を押しながら、わすれな草を探した。ただの草は沢山あったが、な
かなか見つからなかった。雑草の生えていそうな公園や、路地を探してみたがやは
り見つけられなかった。だめだったか・・・と独り言を言いながら自転車を押して
帰った。
 部屋に帰り、さっそく机に向かった。オーナーが言った言葉を忘れないうちに日
記に書き留めておいた。わすれな草を結局見つけることが出来なかったから、日記
帳に、わすれな草とひまわりの絵を描いてみた。なかなか上手く描けず、何度も消
しては描いての繰り返しだった。時間はもう9時だった。晩ご飯も食べずに、バッ
グを肩にかけたままだったのに気付いた。それも無視して、取りあえず描いてみた
が、ダメだったので。バイクに乗ってる直美ちゃんを描いてみた。自分で笑ってし
まった。クラッチを描くのを忘れていたり、手足のバランスがおかしかったり、表
情が片桐はいりの笑った顔になってしまっていた。捨てようと思ったが、後で見れ
ば面白いだろうなと思い、そのまま残しておいた。
 ベッドに入り、オーナーが言った言葉を何度も呟いては直美ちゃんを思い浮かべ
ていた。が、自分の描いた直美ちゃんが出てきて片桐はいりになっていき、ブッと
吹き出してしまった。その日の夜は、笑ったり考え事をしたりと、妙な夜だった。

 帰国まで2週間を切っていた。直美ちゃんに帰る日を伝えると、直美ちゃんだけ
で、空港に迎えに来るとのことだった。当初、みんなで迎えに行く予定だったらし
いが、他の連中が気を利かせてくれたのだと直美ちゃんは言っていた。仲間の顔が
思い浮かんでくる。しばらく会ってないから、直美ちゃんの以外の連中にも会いた
いなと思った。が、やはり一番会いたいのは直美ちゃんだった。
 職場でオーナーや、同僚らがお別れ会を開いてくれた。もう二度とイギリスに来
るなよと冗談を言うヤツや、今度は私が日本に行くからと言ってくれる子、みなそ
れぞれの言葉で送り出してくれた。オーナーがよく頑張ったなと言いながら、包み
を渡してくれた。包みを開くと、テラコッタの鉢が二つ入っていた。「君と君の恋
人に何か作りなさい」と言われて涙した。他のみんなも色々とプレゼントしてくれ
た。俺がバイクが好きだと言うことを知って、グローブをくれる人もいた。その日
は最高な夜だった。
 別れを済ませ、ゆっくりといつもの歩道を、自転車を押して歩いた。直美ちゃん
と歩いた道までやってくると、直美ちゃんがイギリスに来たときのことを思い浮か
べていた。日本の地元には、こんな洒落た場所はないけど直美ちゃんとどこかを二
人で歩きたいな、と考えていた。一緒の時間を過ごした公園を見ながら、いつもの
アパートに帰った。
 部屋に置いてあったものは、全て日本に送り返していたし、借りた家具や家電も
全て返していたから、部屋の中はガランとしていた。布団も返してしまったから寝
るときは寝袋で寝ていた。唯一残った、備え付けの机で日記を書いた。イギリスで
書く日記も、あと少しで終りだった。最後にと思い、英語で綴ってみた。喋るのは
完璧だが、書くのは少し不安だった。
 日記を書き終えると、眠くなりそのまま机に突っ伏して寝ていた。起きると、日
記帳によだれの染みが出来ていた。寝袋に入り、日本にいる直美ちゃんを思いなが
ら寝た。もう少しで会える、もう少しで一緒にバイクで走れる。そう頭の中で言い
いながら、眠ってしまったようだった。

 いつもの時間に目が覚める。急いで、朝食の支度をする。お湯を沸かしている間
にカミソリでヒゲを整える。そして、手早く歯を磨きつつ頭にジェルを付けて軽く
整える。時計を見ると、あと20分で仕事場に行かなければならない。車道を自転
車で飛ばせばまだ間に合う。急いで朝食を食べて腕時計を見る。ふと、気づきよく
考えてみると、店にはもうやめていたので、行かなくても良かったのだ。それに気
づき急に力が抜けた。取りあえず、朝食をゆっくりと食べた。テレビも何も無いの
で暇だった。取りあえず、湧かしたお湯でコーヒーを入れ直して飲みながら、ラジ
オを聞いた。そのうち、暇に耐えかねて外に出てみた。
 自転車に乗ろうと思ったが、自転車も譲ってしまってもう無かった。仕方なく歩
いてブラブラすることにした。いつもと変わりのない歩道と景色、空には真っ白な
雲とぎらぎらと照りつける太陽があった。イギリスで見る、空と太陽ももう少しで
終りだなと考えると、少し寂しい気持になった。
 川沿いを歩いていると、ベビーカーを押す若い女性が歩いていた。ベビーカーを
ちらと見ると、可愛い赤ちゃんがキャッキャッとはしゃいでいた。笑顔で見ている
と、母親であろう若い女性は、笑顔で会釈してくれた。それに笑顔で答え、そのま
ますれ違っていった。赤ちゃん可愛かったなぁ・・・。いつか、自分も直美ちゃん
と自分たちの子供と一緒に歩きたいな。そんなことを考えていた。少し恥ずかしく
なり、早歩きでその場を離れた。

 近くの売店で、お菓子と新聞を買った。ベンチに腰掛けて少し休んだ。とてもい
い天気で暑かった。汗を拭きながら新聞に目を通したが、あまり目新しい記事は無
く、そのまま閉じた。お菓子の袋を開けて、口に頬張る。クッキーより、堅焼きせ
んべいがとても恋しかった。直美ちゃんが、お土産にせんべいを持ってきてくれた
とうに切れていた。
 市内をぐるぐるするために、地下鉄「チューブ」に乗る。席は結構空いていて快
適だった。目指すはシャーロックホームズ博物館だった。しばらく歩いてはみたも
のの場所がなかなか分からず、親切そうなおばさんに聞いたらそばまで案内してく
れた。丁寧にお礼をして、ホームズ博物館に向かった。入り口で、5ポンド払い中
に入った。直美ちゃんと来たかったなぁ。そう思いながら一人寂しく、中を回って
いた。
 一通り目を通して、またチューブで帰った。昼過ぎにアパートに着いた。色々外
を回ってみたものの、あまりしっくりと来なかった。そのままベッドに横になって
寝てしまった。

 起きると、4時を過ぎていた。何もすることが無かったので、本を取り出して読
み始めた。直美ちゃんが差し入れで持って来てくれた、宮沢賢治の銀河鉄道の夜を
読んだ。直美ちゃんは俺が、宮沢賢治が好きなことを覚えていてくれたのだ。そん
な直美ちゃんに思いを寄せながら読みふけった。
 ふと、直美ちゃんのことを色々考えた。好きな食べ物は何だろうか、好きな動物
は何だろうか、好きな色は?、好きな男性のタイプはどんな人?直美ちゃんとは中
学の頃からの付き合いだが、今まで友達として、つき合ってきたが、直美ちゃんに
ついて知らないことが意外にも多かった。日本に帰ったら、二人とも腹を割って色
々なことを話したいと思った。
 時計を見ると、夜の八時過ぎだった。と言っても、外はまだまだ明るい。同僚か
ら、プレゼントとして葉巻を数本もらった。言われたとおりに、吸い口のところを
切って、火をつけて吸ってみた。美味いのか不味いのかも分からず、とりあえずは
リッチな気分になれた。葉巻をくわえたまま、本を置いて直美ちゃんが今まで送っ
てくれた写真を見ていた。直美ちゃんは、どんな写真にもいつも変らない優しい笑
顔で写っていた。そんな笑顔が俺はとても好きだった。そんな笑顔を見ていると早
く会いたいという気持で一杯になった。自分で言うのも恥ずかしいが、胸きゅんと
はこんなことなんだろうか?と思った。帰ったら、直美ちゃんの笑顔を死ぬほど見
たかった。そして直美ちゃんを抱きしめたかった。
 暗くなると、会いたいという気持は一層強くなった。それを紛らわせようと、煙
草をプカプカと吸った。数口吸うたびに、口の中が気持ち悪くなり水を飲んでそれ
を誤魔化した。どうしようもなくなり、冷たいシャワーをずっと浴びていた。その
間は紛れたものの、シャワーを浴び終わると再び心臓が脈を早く打ち始めた。寝れ
ば楽になると思い寝袋に入ったが、結局朝まで眠ることは出来なかった。

 明日はいよいよイギリスを発つ日だった。朝から、荷物を準備していた。終わった
のが、夕方になってからだった。一人イギリス最後の夕食を食べていた。ラジオから
は軽やかなポップスが流れていたが、自分は複雑な気分に陥っていた。日本に帰れば
直美ちゃんとも会えるし、バイクで走れる。だけど、イギリスを離れるのも少し辛か
った。イギリスであった出来事を思い出しながら、食事をしているとなんだか寂しい
気分になり。泣きたくなってきた。だが、グッとこらえて美味しくない夕食を無理矢
理腹の中に詰め込んだ。
 イギリス最後の日記を書いていた。取りあえず今日一日のことを書き終わると、直
美ちゃんに対しての思いを書きつづってみた。スラスラと思った通りのことを素直に
書きつづった。不思議とこうしていると、寂しさは中和されて直美ちゃんともう少し
で会える、という気持が強くなり少しずつ明るさが戻ってきていた。書きながら水を
飲もうとして、水の入ったペットボトルを倒してしまい日記帳に水が流れて、濡れて
しまった。急いで、来ていたジャージの袖でぬぐうとインクが滲んでしまった。仕方
ないので、自然乾燥させようと洗濯ばさみでカーテンのレールに挟んでおいた。それ
をみると、おかしくて笑いがこみ上げてきた。直美ちゃんへの思いを綴った文章はミ
ネラルウォーターが消してしまった。しかも読めなくなっていた。だけど、なんがそ
のほうがいいような気がした。恥ずかしかったからだと思う。
 もう一度トランクの中を確認した。忘れ物はなし、部屋に忘れ物もなし。全てを確
認してから、寝袋に入った。そっとラジオを消すと、外からは時々車が走る音が聞こ
えてくる。いつもは気にせず寝るのだが、その日だけは何故かその音が寂しく感じら
れた。居たたまれなくなり、ラジオをもう一度つける。少し落ち着いて、そのままラ
ジオをつけっぱなしで寝てしまった。朝になると、ラジオは電池が切れたのか音が出
なくなっていた。

 とうとう出発の日がやってきた。待ちに待ったと言うのもおかしいのだが、とにか
く直美ちゃんに早く会いたかったから楽しみではあった。部屋を少し掃除して、寝袋
をアタックザックに詰めて荷物を一つにまとめた。部屋はカーテンも全て取りはらっ
たから、日が差し込んでいた。その日の差し込み具合と、ガランとした部屋を見ると
なんとも虚しい気持に襲われた。直美ちゃんがくれたシャツに着替えてみる。今の自
分はこのシャツを着るのが一番好きだった。それを鏡で見てひとり満足した。
 結局出発まで部屋でぼーっと過ごした。イギリスでの出来事を、思いだそうとした
が、何だか鬱な気持になりそうだったのでやめた。ふと、自分のバイクのことが気に
なった。一応、長期保存に備えた整備をしてきたつもりだが心配だった。でも、それ
を直すのもまた楽しみだろうなと思い、自分のバイクを思った。
 昼を過ぎた。やることがなかったので、お隣さんに挨拶してこようと思い、部屋の
外に出た。お隣さんの部屋をノックすると、黒人の女性が出てきた。「今日、日本に
帰ることになりました。お世話になりました」と、とっておきの、ごはんですよをプ
レゼントした。「そう、あまりおつき合いは無かったけど気をつけて帰ってね」と握
手してくれた。もう隣に行く、中から出てきたのは普通の学生風の青年だった。何度
か見たことはあるけど、話したことはなかった。「今日、日本に帰ります。お世話に
なりました」そう言うと、彼は片言の日本語で話し始めた。「ニホンに帰りますか?
あなた話したかったけど、なかなかむりでした。今度日本行きますから、その時話ま
しょう」と、笑顔でハグしてくれた。そして、紙切れに名前と住所を書いた物をお互
い交換した。永谷園のお茶漬けをプレゼントしたら、えらく感激していた。以前、日
本で食べたことがあるらしい。これもイギリスでの忘れられない思い出だった。

 そんなことをしているうちに、時間はもう空港に向かわなければならない時間にな
っていた。アタックザックを背負い、トランクを片手に部屋を出た。そして、鍵を差
し込み錠を掛けた。ふーっと息を吐いて、階段を下りる。そして、大家さんの部屋に
行き、鍵を返した。「飛行機の中で食べて」とお菓子をもらった。お礼をして、外に
出ると暑かった。
 チューブに乗り空港に行くと、同僚らが待っていてくれた。そこで、本当に最後の
別れをした。みんな涙を流しながら、別れを惜しんだ。イギリスでの期間は短かった
けど、みんな親友だ。「ナオミによろしくね!」と、一人が言った。俺はそれに、答
えてその場を去った。

 飛行機に乗ってしばらく外を眺めていた。直美ちゃんのいる日本に向かってるんだ
なぁ。そう思うと、元気が少し出てきた。バッグから、銀河鉄道の夜を取り出して読
み始めた。何度も読んだが、この話はとても好きだった。
 食事の時、いくらかウィスキーを飲んだせいか、ぽーっと顔がほてっているような
気がした。何か音楽でも、と思い備え付けのヘッドフォンをしてチャンネルを回して
みるが、どれもつまらなかったのでバッグからMDを取り出して聴いた。いつも聴い
ている曲だったが、飽きもせず聴いた。オリヴィア・ニュートン-ジョンのフィジカル
が流れてくる。確か直美ちゃんに聴かせたら、とても気に入った曲だった。この曲を
聴くとなんだか、エロい気分になると言っいたのを思い出した。確か、この曲のPV
がそれっぽい作りらしくて、とてもエロチックだと言っていたことを思い出した。思い
だした自分もなんだか、妙な気分になり曲を飛ばした。ろくな曲も無くヘッドフォンを
外したら、隣のイギリス人男性がMDを聴かせて欲しいというので、MDを貸した。と
にかく、やることがない。映画が始まっていたが、これがまたつまらない。せっかく機
内上映なんだから、エアポートシリーズとかタービュランスでも、と不謹慎なことを考
えていた。
 少し寝ていたようで、アテンダントがブラケットを掛けてくれていた。そのまま寝よ
うと思ったら、隣のイギリス人男性がMDを返してきた。お礼にと、ガムと何故かウェ
ットティッシュをくれた。そのまま、寝ようとしたがイギリス人男性がしきりと話かけ
て来るので眠れなかった。そして、彼は勝手に寝てしまった。
 高志と最初に会ったら何と言おうか。窓から見える真っ暗な空を見ながら考えた。ま
た、仲が割れてしまうようなことは絶対に避けたかった。色々考えたが、結局は高志と
会ったときに、状況で判断しようと言うことにした。直美ちゃんは、俺とつき合うこと
を快諾してくれたし、高志も手紙では何とも思っていないといった感じで書いてあった
が、高志本人を目の前にして話さないと納得できなかった。結局、色々と考え事をして
いて眠れなかった。そして、日記を書いて取りあえず横になった。

 結局数時間しか眠れないまま成田に到着。午後の3時過ぎでとても暑かった。色々と
面倒な手続きを終えて、国内線ターミナルに向かった。あと1時間足らずで故郷に帰る。
向こうに着けば、空港では直美ちゃんが待っている。公衆電話で直美ちゃんに電話する
ことにした。「もしもし」と、聞き慣れた声が聞こえてくる。この声がとても聞きたかっ
た。「今、成田に着いたよ。あともう少しでそっちに着くよ。1時間かからないかもし
れない」興奮して、かなり噛んだと思う。とにかく嬉しかった。「もう、空港で待って
るよ。お姉ちゃんにも電話してあげてね」と言われた。最近直美ちゃんのことで頭が一
杯で、自分に姉がいることをすっかり忘れていた。そう言えば、向こうにいるときも手
紙を何通か交わして、用があるときだけ数回電話しただけだった。急ぎ電話した。姉よ
り直美ちゃん、と思いたかったが唯一の近親者ということを考えると、やはりほっとけ
なかった。「今成田着いた」直美ちゃんと電話したとき比べると、素っ気ない自分に気
付いた。「直美ちゃんが迎えに行ってくれるって言ってたから任せちゃった。お寿司と
ってあるから、直美ちゃんと一緒に家に来て」と、姉はそれだけ言うとガチャリと電話
を切った。

 飛行機に揺られ一時間弱。やっと故郷の空港に着いた、懐かしい匂いがするとか、そ
んな感じはなかったが空から見る、青々とした田んぼや畑を見るとやはり懐かしく思っ
た。荷物を受け取って、ロビーに向かうと直美ちゃんが待っていた。あたりをキョロキ
ョロして、俺を探してるようだった。気付かれないように横から回り込んで、いきなり
「ただいま」と声をかけたら、びっくりしてこっちを振り向いた。「驚かさないでよ!
もう、お帰り!」元気そのものだった。明るい笑顔が、以前にも増して明るかったよう
な気がした。その場で抱き合って再会を喜んだ。この瞬間をどのれほど待ったか。会い
たくて会いたくて仕方なかった直美ちゃんに、やっと会えた。そして手を繋ぎ外へと二
人は歩き出した。
 横では直美ちゃんが笑顔でハンドルを握っていた。横から見ると、また違った表情が
見ることが出来て新鮮だった。「飛行機は混んでいた?」と直美ちゃんが聞いてきた。
「ヒースロー発は結構混んでたみたいだけど、そんなにごちゃごちゃ混んでる訳ではな
かったよ」俺は、真っ直ぐ流れる道路を見ながら答えた。直美ちゃんの顔を見て話した
かったが、会ったばかりでちょっと恥ずかしかった。「いやぁ、でもやっと会えたねぇ
〜、本当に会いたかったよ」と直美ちゃんはポツリと答えた。「俺も会いたくて会いた
くてどうしようもなかったよ」そう答えると、直美ちゃんは左手で俺の肩をポンポンと
叩いてニヤっと笑った。

 会話に行き詰まってしまい、しばらく沈黙が続いた。外を見ていると、段々と眠くな
ってきた。そして、数十分くらい寝ていた。はっと目が覚めて「今寝てた!?」と直美
ちゃんに聞いた。「うん、寝てたよ。長旅だったから疲れたでしょ?着くまでゆっくり
寝たら?」と言われたが、少しでも話をしていたかったから、無理矢理目をこじ開けて
いた。「そう言えば、姉ちゃんが今日寿司とってあるから、一緒に来いって言ってたか
ら、家で晩ご飯食べてかない?」直美ちゃんはえっ?と言った感じの表情をした。「寿
司!?行く行く!」と、寿司に喜んでいた。
 自宅に着いた。相変わらず代わり映えのない家だが、日本に帰ってきたんだなと思っ
た。「ただいま」といつものように玄関から入ると、姉がやってきた。「おかえり。疲
れたでしょ?」と、これまた代わり映えが無くかつ化粧っけのない姉だった。姉は、少
し涙をためていた。それを見るとなんだか少し複雑な気分になった。直美ちゃんもつら
れてなのか、泣き出しそうな顔をしていた。あまり意味が分からず、取りあえずソファ
に座り、はーっと息を吐いた。「直美ちゃん、ご苦労様。今日は晩ご飯食べてって。お
酒もあるから」と姉と、直美ちゃんが話しをしているのよそ目に、パソコンを起動して
仕事関係の記録を確かめた。昨日までの記録を確かめていると、直美ちゃんが後ろから
やってきて「帰ってきたばっかりなんだから、仕事は少し落ち着いてからしなさい!」
と言われ、苦笑いしながらパソコンから離れた。

 バイクがどうなっているか確かめようと、キーを持って車庫に行ってみた。シャッタ
ーを空けると、愛車がそこに鎮座していた。日本を発つときシートを被せて置いたのだ
が、シートが取り去られていた。しかも、燃料も半分近く入っていた。セルを回すと一
発で始動した。吹かしてみたが、いつもの通りのエンジン音だった。「なんだ、全然回
るね。すぐにでも走りに行けそうだね!」と直美ちゃんが、エンジン音に負けない、大
声で言った。不思議に思って、家に入り姉に聞いてみた。「あ、あんたがいない間私が
借りてたから。整備はちゃんとしてるからすぐに乗れるよ。昨日まで私が乗ってたから
大丈夫」と言われた。そう言えば姉も大型2輪を持っていることを思い出した。直美ち
ゃんがニヤニヤしながら言った。「何度かお姉さんと一緒に走りに行ったよ」と、言っ
た。なんだか、のけ者にされたようで悔しかった。
 改めてバイクを確かめると、カウルが割れていた。「それは、お姉さんがコケた時の
じゃないかな?」と、割れた部分を指して言った。他にも、タンクに傷が付いていたり
と、結構痛んでいた。「結構走り込んだからねぇ〜」と直美ちゃんは悪そうに言ってい
た。「取りあえず動くから、大丈夫だよ。ちょっと走りに行ってみる?」そう誘ってみ
ると、直美ちゃんはうんうん!と答えて喜んでいた。

 直美ちゃんが運転する車をバイクで追った。その間、懐かしい景色を楽しんだ。何も
かも懐かしく感じて、心が弾んだ。イギリスも良かったが、やはり生まれ育った場所が
一番よかった。
 直美ちゃんの家の前で、直美ちゃんを待っていた。数分後、直美ちゃんはツナギを着
て出てきた。「これ買ったんだけど似合う?」ちょっと照れながら俺に聞いてきた。勿
論似合っていた。「よく似合うよ」そう言うと、直美ちゃんはケラっと笑い俺の腹を叩
いた。
 そして、いつもの峠に向かった。上りを軽く流してみた、直美ちゃんは軽いどころか
限界ギリギリで走っていた。内心、あー結構派手にやるなぁ、と思いつつ負けじと後を
追った。俺は久しぶりに乗るバイクに慣れようと必死で走った。段々と感覚を取り戻し
てきた頃には、いつもの休憩所に着いていた。
 直美ちゃんはバイクから降りて、柵に腰掛けていた。暑くて、ツナギのジッパーを開
き袖から腕を抜くと、汗がダラダラと流れていた。「もっと思い切って走ればいいのに
〜」と直美ちゃんは、肩をすくめて言った。俺は苦笑いしながらいいわけした。「だっ
てイギリスにいる頃はスクーターしか乗ったことなかったから、少し軽めに」と言うと
直美ちゃんは、柵から降りてきて俺のそばに来た。「まぁ、そう言うことにしておこう
か?」と笑っていた。
 二人で柵に腰掛けながら思い出話をした。「そういえばここでおにぎり食べたんだよ
ね〜」と、遠くを見ながら直美ちゃんはしっとりした感じで話し始めた。「あぁ、おに
ぎり食べたよね〜。また食べたいな」と俺が言うと、直美ちゃんは俺の方を振り向いて
言った「じゃ、今度おにぎり持ってどこかに行こうか!」と、ニコニコとしていた。
 そして、しばらく休んでから下った。エンジンは快調だが、ブレーキがいまいいちだ
った。直美ちゃんが後ろから着いてくるのをミラーで確認しながら、コーナーをゆっく
りと回った。コーナーを回るときの感覚を久しぶりに味わった。最高だった。直美ちゃ
んは俺を追い越して先に、下ってしまった。追い抜くときに俺の方を見て、ニヤッと笑
った気がした。なにを!と思い、更に速度をあげた。前の景色が流れるように見えてい
た。あぁ、この感覚だな。と思いながらその快感を噛みしめた。

 上り下りを何度か繰り返して、家に帰った。直美ちゃんは着替えに行ったからまだい
なかった。台所のテーブルに腰掛けて、麦茶を飲んでいると姉が目の前に座った。「ね
ぇ、直美ちゃんと仲良さそうだけど、つき合ってるの?」姉はへらへらと笑いながら聞
いてきた。「久しぶりに帰ってきたんだから、何か他に喋ることあるだろ」その時、自
分の顔が熱くなっていくのに気付いた。姉は笑いながら席を立ち、また夕食の支度に戻
った。
 シャワーから出て、テレビを見ているとチャイムがなった。玄関を開けると、直美ち
ゃんが立っていた。「これ差し入れだよ」と、酒屋の袋を俺に差し出した。それを受け
取り、家の中に通した。夕飯の準備がまだだったので、直美ちゃんは姉に色々と手伝っ
ていた。俺はぼーっとお茶を飲みながら、ソファで横になっていると、「お風呂洗って
きて」と頼まれた。仕方なく風呂を洗おうとソファから立つと、直美ちゃんがエプロン
をして、みそ汁のダシをっていた。それを見たときとても可愛く思った。こんなエプロ
ン姿がいつも見れればなと、ほくそ笑みながら風呂掃除向かった。まさか帰ってきて早
々風呂掃除をさせられるとは思ってもいなかった。直美ちゃんがいなけれな、姉に憎ま
れ口をたたいて、断っていたはずだ。しかし、直美ちゃんに少しでもいいとこを見せた
いと思い、快く引き受けた。

 風呂掃除を手早く終わらせると、今度は廊下のモップがけをさせられた。一応快く引
き受けたが、長旅のせいで疲れが出てきていた。ダラダラと片手でやっていると、直美
ちゃんが来て、「ちゃんと両手で力入れて!お姉ちゃんに言うよ!」と怒られた。疲れ
た顔に、必死に笑顔を作って頷いておいた。
 夕飯の支度が終わったので、テーブルに着いた。上座に座るんだろうなと思ったが上
座には何故か、姉が座っていた。「じゃ、取りあえず乾杯しよ」と姉が、俺のコップに
ビールを注いでくれた。そして、乾杯で俺の帰国を祝った。
 しばらくすると、姉と直美ちゃんは完全に酔いが回ったらしく、異常に高い笑い声を
たてていた。俺はそれをハハと笑いながら見ていたが、女性同士の会話らしく間に入っ
ていけなかった。そのうち、二人は酔いつぶれてしまった。姉はイスの背もたれに乗っ
かり、口を大きく開き天井を向いて寝ていた。直美ちゃんは、テーブルに突っ伏したま
ま、何かブツブツ言っていた。一人だけ、酔えずにつまらなかったから、二人をソファ
まで運び、後かたづけを始めた。

 テーブルの上はまさに惨状だった。シャリだけが残った寿司や、焼酎やらビールが混
ざったわけの分からない混合物が垂れていた。黙って片づけていると、直美ちゃんがソ
ファ越しに俺をじっと見ていた。「寿司まだあるよ、イクラもあるから食べる?」と聞
くと、小走りにテーブルの方にやってきた。「食べるたべる!何でもたべる!」と言っ
ていたわりには、テーブルに座って10分くらいでまた寝てしまった。仕方なくまたソ
ファまで運んだ。
 片づけが終わった頃には、姉も直美ちゃんも目が覚めていた。風呂にはいるように促
すと、二人一緒に風呂に入っていった。「覗かないでよ!!」と直美ちゃんが俺に言っ
た。正直覗いてみたかったが、姉もいるので無理だ。二人が風呂に入っている間に、日
記を書いていた。日本で書く日記は久しぶりで、なんだか新鮮だった。風呂の方からは
歌声のような二人の声が聞こえてきていた。
 二人が風呂から出たので、自分も風呂に入ることにした。湯船に浸かると、体から力
が抜けた。久しぶりに入る、風呂は最高だった。いつしかウトウトし始めて寝てしまっ
た。気が付いて目を開けると、姉が目の前にいた。「お風呂で寝ないの!」と叱られた
がとても気持が良かった。

 居間に戻ると、直美ちゃんと姉がオセロをしていた。直美ちゃんの隣に座ると、ほの
かにシャンプーの香りが漂ってきた。オセロに没頭しているらしく、となりに座ってい
るのに直美ちゃんは気付いていないようだった。そのまま、ソファに身を任せていると
眠くなり、また寝てしまった。
 誰かに肩を揺すられている。目を開けると、今度は直美ちゃんがそこにいた。「お姉
ちゃん寝てしまったよ」そう言われて姉を見ると、気持ちよさそうに寝ていた。「部屋
に運ぶよ」と言い、姉をおんぶして部屋まで運んだ。ベッドに寝かせると、直美ちゃん
が姉に布団を掛けてくれた。「気持ちよさそうに寝てるね〜」と直美ちゃんは、小さな
声で、姉を見て言った。自分も寝ようかと思ったが、せっかく直美ちゃんが来ていたの
で、そのまま下に降りた。「何か飲む?」直美ちゃんに聞いた。「じゃ、麦茶でももら
おうかな」と、言いながらソファに腰掛けた。麦茶を差し出し、自分もソファに腰掛け
た。「今日どうする?泊まってく?」別にやましい気持があってそう言ったわけでは無
い。「なんか変なこと考えてる?」と直美ちゃんは、意地悪な笑顔で俺に詰め寄ってき
た。

 本当に変なことは考えていなかった。「大丈夫、歩いて帰るから」直美ちゃんはそう
言ったが、女の子を一人で歩いて帰らせるのは抵抗があった。「夜道は危ないから、泊
まってったほうがいいよ。空き部屋あるから」と言うと、直美ちゃんは最初は拒んでい
たが、泊まっていくことにした。「オセロやろうか、おせろ」そう言われて、オセロを
始めた。オセロはからっきしなので、全敗で終わった。
 直美ちゃんは、眠そうにあくびをしているので「そろそろ寝る?」と聞いた。目をこ
すりながら、直美ちゃんは頷いた。空き部屋に案内した。「ねえ?あんたの部屋で寝ち
ゃだめ?」そう言われてドキッとした。まさか、そんなことを言われるとは思っていな
かったのでほんとにびっくりした。「あ、いいよ。じゃ、布団運ぶから」と、普通に答
えたが、内心ドキドキしていた。
 直美ちゃんを部屋に入れた。「前と全然変ってないね〜」そう言いながら、直美ちゃ
んはキョロキョロと部屋を見回していた。「じゃ、俺は下で寝るからベッド使って」と
直美ちゃんの布団をベッドに敷いた。「あ、いいよ。私が下で寝るから」と直美ちゃん
は遠慮した。「久しぶりに下で寝たいからいいよ、使って」というと、直美ちゃんはベ
ッドに座った。
 そして、直美ちゃんはすぐに寝てしまった。自分も、日記を書いて布団に入った。外
からは、無視やカエルの鳴き声が聞こえていた。帰ってきたんだな、と思いながら目を
閉じる。けど、眠れない。興奮しているのか眠れなかった。隣では直美ちゃんが、スー
スーと気持ちよさそうな寝息が聞こえてくる。一時間しても眠れなかった。直美ちゃん
が突然唸りだしてびっくりした。声をかけると、目をパッと開いた。「え?どうしたの
?」と本人は気付いていなかった。「眠れなくて起きてたら、突然声聞こえたから」と
言うと、直美ちゃんは布団に倒れ込んだ。「眠れないの?」眠そうな声で直美ちゃんが
聞いてきた。「なんで眠れないんだろうね〜」と、話しをしているとかなりの時間がた
っていた。「イギリスの時みたいに、一緒に寝ようよ。一緒に」と、直美ちゃんはそう
言いながら、俺の布団に入ってきた。一緒の布団で眠れるのは良かったが、そのせいで
結局朝まで眠れなかった。

 朝起きると、直美ちゃんはまだ寝ていた。自分のすぐ隣で、好きな子の寝顔が見られる
のはとても幸せだなと思った。
 3人で朝食を食べた。直美ちゃんは眠そうにしながら、帰っていった。これからゆっく
りと寝ようと思い、ベッドに入ると姉が入ってきた。「高志君から電話だよ」一気に眠気
が覚めた。そして背中が冷えた。恐る恐る電話に出る。「おー、帰ってきたか!」意外に
明るい声に、構えた自分は拍子抜けした。「帰ってきて早々だけど、今日の夜ちょっと走
りに行くか?向こうでは乗ってなかったんだろ?」お誘いだった。快く返事をして、また
眠った。眠る前に、高志のことを少し考えた。新しい彼女が出来たはずだが、うまくやっ
てるんだろうか?俺と直美ちゃんのことはどう思ってるんだろうか?考えては見たものの
答えは当然導き出すことはできなかった。
 昼過ぎに起きてバイクを総点検した。姉はどんな乗り方をしたのか、かなりの痛みがあ
った。それを治して、時計を見ると約束の時間の7時になっていた。急ぎ、着替えていつ
もの場所に向かう。
 いつもの場所に着くと、高志は一人柵に腰掛けて煙草を吸っていた。「おう来たか。久
振りだな。元気だった?」高志は、変わりない笑顔で俺を迎えてくれた。「おう、元気だ
ったよ。手紙有り難うな」俺も、笑顔で高志の肩をボンと叩いて喜んだ。「よし、とりあ
えず走るか。最初はゆっくりな。車も通るから」そう言って、高志はセルを回して先に走
りだした。ゆっくりな、と言う割には結構飛ばしていた。後ろから高志を見ると、すごく
綺麗な走り方をしていた。「腕あげたな」と、思いながら自分も追いつこうと必死になっ
ていた。結局、だいぶ離されてしまった。上りも離されたままで、少し落ち込んだ。いつ
もの場所に行くと、高志は誰かに電話をしていた。高志は慌てて電話を切ると、俺の方に
やってきた。「久しぶりに乗ったんだから、あまり無理するなよ」と慰めてくれた。しば
らく話し込んでいると、バイクのエンジン音が聞こえてくる。聞き覚えのあるエンジン音
は直美ちゃんだった。

 高志は、道路の方に目をむけて言った。「呼んでみた。別になんでもないから」と笑顔
で言っていたが、心配だった。
 直美ちゃんがやってきた。「こんばんわ〜」と、手を挙げてこっちに歩いてきた。心臓
は破裂しそうになっていた。取りあえず不穏な空気は流れず、前のように普通に3人で話
し始めた。少し話しをしていると、高志が突然話を切った。「俺は、直美と別れて・・で
直美はお前と今つき合ってるんだろうけど・・・」と、いきなり話し始めた。高志は笑い
ながら話していたが、少しだけ翳りがあるように見えた。「直美もお前も。俺のこと気に
しないでな。なんか、俺がこんなこと言うのは変だけど、今こんなことで仲間割れしたく
はないから。前みたいにみんな仲良くやろう」高志の意外な話に、俺と直美ちゃんはなん
と話せば迷った。「俺の彼女こ今度連れ来たいけどいいか?」高志は心配そうな面持ちで
聞いてきた。もちろんOKだった。「いいよ!また仲間が増えるね!!」直美ちゃんは、
本当に嬉しそうに笑った。「それと、お前に改めて謝る。お前に言ったあの言葉は、お前
をかなり傷つけたと思う。誰だって自分の仕事には誇りあるんだよな。俺はそれを傷つけ
たんだから・・・」高志は、俺の前で頭を下げた。最初何のことだったか思い出せなかっ
たが、やっと思い出した。「いや、そんな昔のことはどうでもいいって」と、本心から言
えた。「なんか、これで前のみんなに戻れたね」直美ちゃんが笑顔でそう言った。俺も高
志も笑顔で頷いた。

 そして、3人で走った。二人は久しぶりに走る俺に、いろいろとアドバイスをしながら
走ってくれた。こんなに気持いいバイクは久しぶりだった。初めてバイクに乗ったときの
感動より気持ちよかった。
 それから、次の土曜日に今度はメンバー全員で集まった。そこには高志の彼女もやって
きた。ショートカットでユキちゃんと言う。最初はよそよそしかったが、バイクに乗る人
間どうしだったので、みんな仲良くなれた。それから、何本か走りお開きにした。高志と
ユキちゃんが先に連なって帰っていった。次に、久志とミカちゃんが同じように連なって
帰っていった。直美ちゃんと俺が残ってしまった。「なんか、最高だね」直美ちゃんは、
穏やかに笑っていた。「今度みんなでツーリングでも行きたいね」と俺が言うと、「その
前に二人でどっか行きたいね」と、ニコニコと笑って言った。
 そして、また次の土曜日がやってきた。その次の土曜日もやってくる。毎週土曜日に集
まるからと、いつの間にか「土曜会」と名前が付いていた。その土曜会は未だに活動を続
けている。もちろん楽しく明るく仲良くやっている。







 正直バイクにあまり関連が無いような気がしたのですが
いかがだったでしょうか?お話は今日で終わりになります。

今まで読んで頂いた方有り難うございました。みなさんの叱咤激励が
書く気力になりました。何度も間を開けたり、無駄に長くなってしまった
ことをお詫びします。文を書くということに、あまり慣れていないもので・・・。

 実は、直美の両親に挨拶をしてきました。来年の夏あたりに結婚が決まり
ました。直美の両親は、快く賛成してくれました。私に両親はいませんので、
直美と二人で、私の姉にも挨拶しました。姉は、「そうなると思ってたけどね」
と、予想がついていたようです。とにかく、これからも二人仲良く生きていけたら
と思います。もちろん、「土曜会」の仲間とも仲良く活動できたらと思います。
※ちなみに、久志とミカちゃんは既に結婚しています※

 長い間お世話になりました。有り難うございました。



戻る