●食品安全講習会の影で

Foods at a crisis and a booklet

 O157やノロウィルスのような新型病原微生物が猛威を振るう一方、環境ホルモン=内分泌撹乱物資や残留農薬、遺伝子組換、相次ぐ食品偽装表示・・ 食品をめぐる問題は深刻さを増すばかりである。先日は中国製農薬入り冷凍ギョウザ事件が社会を震撼させた。食品の安全をめぐる問題は国境を越え、今や日中の外交問題に発展しようとしている。そうした状況の中、山中温泉では飲食業者を対象に自主的な食品衛生講習会が開催された。その際、奇妙な問題が浮かび上がる。講師がテキストとして指定した書籍は、不思議な流通組織の中に幻のようにかき消されていった。一冊の書籍を追い、迷路の中をさまよううち、彼らは驚くべき食品衛生行政の闇につきあたったのである。
■ もくじ

山中児童センター調理室にて

 冬に逆戻りしたような寒い2月の末のある日。山中児童センターの調理室は、山中温泉在住の飲食業者とその家族従業員たちの熱気で包まれていた。相次ぐ食品不祥事に危機感を持ち、自ら食品に関する安全啓発事業を開催したのである。発案者のFK氏は、この事業の実質的なリーダーである。石川県庁が推進する「県政出前講座」とタイアップし、石川県消費生活支援センターから講師のM博士を招いた。膨大な食品添加物から合成着色料を分離し、添加物に関する知識を深める。試料から分離されたのは、鮮やかというか毒々しい色素である。試料となった「食品」は数年前に調理・製造されたにも関わらず、腐敗していない。奇妙というか、背筋が寒くなる現象である。

 2月28日、山中児童センターの調理室で行われた「食品衛生講座」のもよう。業界きってのクリエイターFK氏のボランティア精神と石川県が推進する「県政出前講座」とタイアップして実現した企画だ。
 添加物や輸入食品の流通状況を説明しながら、M博士は染色試料の添付実習を行っているテーブルを回っていく。途中FK氏と目が会い 「ところで・・」と、M博士は何気なく尋ねた。
「私が準備をお願いした教材の件ですが、どうしました?」
「それが・・」
 後述のように公共団体レベルで編集・出版・流通を管理している書籍が、どこを探してもないのである。FK氏が事情を説明したところ、突然M博士の顔が曇った。
「え? 一体どうなってるんだ・・?」M博士は怪訝な表情をしながら、独語するように言った。
 本庁もちょっと無責任すぎるんじゃないか・・ 私たちにはそのように聞こえた。

くらしに役立つ食品表示ハンドブック

左が「くらしに役立つ食品表示ハンドブック」初版本。初版では各都道府県の自治体が発行者になっている。初版本は無償配布だが、第2版は有償になった。「県政出前講座」のテキストとして指定されたのは第2版。ところが、流通状況がきわめて不透明である。
 M博士が推薦したのはくらしに役立つ食品表示ハンドブックというA5版の書籍だった。 編集は全国食品安全自治ネットワーク 食品表示ハンドブック作成委員会と、いかにも役所を髣髴とさせる長ったらしい名称がついている。M博士の説明によれば、およそ次のような次第である 「これが一応『県政出前講座』の公式教材となっている。この書籍は非売品で無料だ。ただ、在庫がない。現在第2版が発行されているが、こちらは有償で税込み320円になる」
「有償? 買え、ってことですか」私とFK氏は苦笑しながら顔を見合わせた。 「でも、仕方ありませんね。それぐらいの経費はこちらで何とか捻出しますよ。で、発注はそちらでお願いできるのですか」と、私はM博士に尋ねた。 「いえ、取扱いはウチではありません。ここがすべて窓口になっています」と言って、M博士は初版本の末尾を開き、奥付を指した。そこには「発行者・石川県農林水産部消費流通課」と記されている。石川県庁はここから歩いても15分足らずの場所だ。
「分りました。これから県庁へ寄って注文してきます」

 そして、今から思えば奇妙な迷宮への旅のすべてが、ここから始まったのである。

「私らは関係ない。本屋に言ってくれ」

「くらしに役立つ食品表示ハンドブック第2版」の奥付と裏表紙。石川県での問合せ先は農林水産部消費流通課となっているが、窓口での対応から判断すると「問合せは受けるが、注文はできない」という解釈になる。また、「非売品」と断っておきながら、ISBNコードが付され、本体価格305円の印字が見える。初版では逆にISBNコードはなく「非売品」と断られているが、ネットショップでは320円(税込)で販売されていた。
 私とFK氏はひときわ大きく目立っている県庁へ向った。農林水産部はその13階にある。「は?」応対に現れた長島茂雄主幹(仮名)は困惑の表情になった。「そんなこと消費者センターの人間が言ったのですか? 当該書籍は、こちらでは一切取り扱っていません」
私とFK氏は顔を見合わせた。たらいまわしという言葉がすぐに頭をよぎったが、役所においてこの種の現象は別段フシギでもなんでもない。
「では、本書の受注窓口はどこになっているのですか?」
そりゃ、本ですから本屋でしょう
 私とFK氏は再び苦笑した。ある意味ごもっともな話だ。私達はこれまでの経過を説明するため、石川県中小企業団体中央会に寄った後、帰途へついた。
「まあ、案の定でしょうが『本屋で注文しろ』とは話が全然違いますね」とFK氏。それはともかく、発注先をどうしたものか。数がまとまっているから、小規模書店じゃ不安だ。詳しい人によると、大手のオンライン通販がより確実だという。帰途の車中、組合事務局に本のタイトルをメールし、在庫を調べてもらった。5分と経たないうちに「アマゾンでは扱っていないが、楽天には在庫がある」との返事が届いた。

 書籍の流通業者といえば、最大手のトーハンが思いつく。しかし、系列の E-hon はどうも問屋意識が強い、というのが知人の感想だ。楽天の場合、在庫がある場合は即納に近く、数がまとまって取寄せになっても、納品は実質1週間以内だという。しかも、商品の追跡状況も補足しやすい。私は楽天に「くらしに役立つ食品表示ハンドブック 第2版」を発注した。

トラブル続き

出荷状況に関する問合せでの返信メール。お詫びの文面とともに、出荷が把握できないことが明記されている。
 発注すると同時に確認メールが着信した。ところが、意外なことに、1週間たってもナシのつぶてである。運送業者をトレースしようとしたが、発送した形跡もない。講座は迫っている。さすがに不安になり、発注先の楽天ブックスに問合せメールを送った。返信にはお詫びの言葉とともに、なんと驚くべきことに「どうなっているか分らない」との返事があるではないか。「分らない?」 次いで、私は出版社の朝日出版工業、編集委員会、にもメールを送った。

 朝日出版工業からは、「弊社は印刷業務を請負っているだけであり、在庫等流通状況に関し、なんら関知しない」との文面とともに別の連絡先が記されていた。群馬県食品安全情報センター内の編集部にいたっては、何の返答もない有様である。

 講習会の前日に、これまでの経緯をFK氏に話すとさすがに呆れ顔になった。
「じゃあ、出版社が言う連絡先に問い合わせますか?」
 朝日出版のメールに記載されていた問合せ先は、東京官書普及(株)とあり、電話番号と担当者名が併記されている。
「バカバカしい。本を注文したら『途中経過はてんで分らないから、問屋に直接聞け』そんな本屋がどこにある? 今さらバタバタしても間に合うはずもないし、ほっとこう」

ずさんな流通体制にちらつく公益法人の影

 無償配布のはずが何故か320円の価格で売買されている。自治体が発行する刊行物としては異例の発行部数というが、この売上代金は一体どこへ流れていくのだろう。 相手は財務省系列。本体も、おまけに消費税までかすめとるというのだろうか?
 講習会に納品出来ない状況は確実になり、前日は注文のキャンセルと急遽代替品の調達に追われた。知人の瓶棒氏が数を取り揃えてくれたのは、深夜2時過ぎのことだ。無用な労力と経費を使わされ、不機嫌な気分からつい愚痴が出た。一体どうなってるんだ。このような杜撰な版元であれば、確実に流通からはじかれてしまう。瓶棒氏は答えた。「これは本であって本じゃないんだ」

 瓶棒氏は言う。本書第2版は320円で売買されている。このクオリティとしては格安だが、それも当然。編集や企画制作に公費が注入されているからだ。それより、奇妙なのは初版本である。非売品と銘打ってあるよね。でも、ちょっとネットで書店を検索してごらん。

 言われたとおり私はあるオンライン書店にアクセスし、検索してみた。「あっ」と私は声を上げた。奇妙なことに、絶版になっている初版「くらしに役立つ 食品表示ハンドブック」が税込み320円の価格に設定されていたのだ。

 書籍は言うまでも無く再販売価格維持制度適用品である。古本でない限り、書籍に2重価格が存在しないのは常識だ。まして無料の非売品が、末端では320円の小売価格として設定されるのは摩訶不思議な現象としかいいようがない。楽天もそれ以降次々検索してみたが、全部有償で売買されている。それにしても、この320円x売上部数は一体どこへ行ったのだろう?

 瓶棒氏は続けた。分っただろう。つまり、この本はアウトローなのだ。アウトローが闇ではなくて堂々と流通する。ある意味、オマ○コモロ出しの裏本より凄いよね。それなのに誰も文句を言えない。つまり、凄い権力、要は政府系の流通に乗っかってるからだ。この東京ナントカというのは、間違いなく公益法人だ。おそらく印刷局のOBあたりの天下り先に違いない。大蔵省の人間だからカネに対する嗅覚はハンパじゃない。初版、その前に群馬県が発行したプロトタイプが金を生むことを早速嗅ぎつけた。だって、公式教材と銘打ち、数十冊、数百冊単位で捌けるんだ。これは旨みがある。「こんなオイシイ話を見逃す手はない。俺達に寄こせ」というわけで、2版ではこの東京ナントカが元締めの座を分捕ってしまったのだろう。財務省と農水省との力の差かな。

巨大な権益団体・朝陽会

 2007年10月、会計検査院によって独立行政法人国立印刷局=朝陽会のずさんな経営体質が指摘された。朝陽会は旧大蔵省印刷局OBの天下り先だ。「くらしに役立つ食品表示ハンドブック 第2版」の流通を一手に管理する東京官書普及(株)の代表取締役は、その朝陽会の有力理事メンバーである。
 講習会の後、私は資料の整理に明け暮れた。教材のデータを入力しながらも、版元が気になった。瓶棒氏の言うとおり、流通部門を扱う東京官書普及(株)は旧大蔵省印刷局傘下の公益法人であり、吉田昌弘代表取締役は印刷局のOBである。吉田取締役は大蔵省・財務省印刷局が出身母体の独立行政法人や公益法人で組織する、朝陽会の理事を勤めている。なんと、その朝陽会は昨年(2007年)10月に会計検査院より随意契約や経費の計上などが不明朗である、と指摘を受けたばかりだという。本書が「市場」から姿を消したことと何か関係があるのだろうか。

 考えをめぐらしているうちに、団体中央会から電話があった。「教材に使った資料は『非売品』ってなってますよ。困ります。話が違うじゃないか。これじゃ資料費は払えません」 何度もクレームをつけてきた男だ。今回ばかりは真剣に腹が立った。バカじゃないのかてめえ。言う相手が違うだろう。そこから東向きの窓を見ろ。県庁が見えるだろう。そこに向って吼えてみろ。その先は東京だ。いったい、どうなってんですか? と財務省に向って吼えてみろ・・ という気持ちだった。

  1. 第14 独立行政法人国立印刷局 意見を表示し又は処置を要求した事項 /会計検査院 (PDF)
  2. 印刷局の契約は不当 財務省OB関連会社に独占発注 /iza news (2007/10/25)
  3. 国立印刷局、財務省OB関連会社に官報号外作成など独占発注 /公務員の不祥事(2007/10/26)
  4. 財団法人印刷朝陽会 役員名簿 /朝陽会のHPより

食品行政の一端が垣間見える

 と、こんなことを言っても始まらない。私は再度石川県庁の農林水産部に電話をした。
「長島さんはいますか?」
「あいにく席を外しています。後でおかけ直しくださいますか」
「いえ。それでは誰でもいいから『くらしに役立つ 食品表・・』の件で分る人に変わってください」
 まもなく、Fと名乗る女性が電話口に出た。
「何でしょう?」
「標題の本の在庫はどうなっていますか?」
 案の定、相手は即答で「こちらでは分りません。東京官書普及というところに聞いてください。電話番号は・・」
 私はさえぎって 「いえ、あなたの方で聞いてください」
「は?」
「今の話では書店で『少年ジャンプはありますか』と聞いたら『ウチは小売だから知らない。そんなのトーハンに聞いてくれ』と言われるようなものです。返事待ってますから、あなたの方で聞いてください」
「はい・・・」

 答えはすぐに返ってきた。今は増刷中だ。4月ぐらいに出回るんじゃなかろうか・・
「出回るんじゃなかろうか・・」と私は最後の語尾を小さく繰り返した。

 ふとテレビの方に目をやると、農薬入冷凍ギョウザをめぐり、日本と中国の諍いをメディアが煽るように報道している。
「お前が悪い。どうしてくれる。謝れ」
「いや、おれたちは悪くない。悪いのはお前の方だ」
 被害者のことなど、もうそっちのけの泥仕合が演じられていた。世界全体が飽食の時代に向っている。それは権益に対しても同じことだ。その一方でみんなが職務と責任だけは他人になすりつけようとしている。その結果が今の食品危機を招いたのではないか。ふと、そんな気がした。


 本編は実際の話からヒントを得て翻案した、バーチャルのお話です。一部団体名、役職名がそのまま出てきますが、必ずしも事実という訳ではありません。
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