2月
生くることかなしとおもふ山峡ははだら雪ふり月照りにけり
○子を負うて麥ふみをる農婦あり、富士の方へさくさくふみ去り(烈風)
○いま、つきをへた鐘が霧のなかでゆれてゐる、空すこしあをい
(昭和15年2月作。その祈りの弘法山の夕暮(58歳)
丹沢雪景色 秦野盆地より望む
椿の花
2005.3.16 撮影 秦野市三嶽神社
私は子守の脊(注1)から路ばたの草の上におろされた。ねんねこに包まれて荷物か何かのように。それでも倒れぬやうに、とうしろの椿の木の根かたに寄せかけておかれたのである。
私の隣にも私と同じやうな生きた荷物が一つ、矢張り椿の木にもたせてある。
二人の子守は、荷物の方はとうに忘れでもして仕舞つたやうに、二三間(注2)さきの往還(注3)に出て、赤いお手玉をとつている。
私達二つの荷物は、二人の子守のとつてゐる赤いお手玉をみてゐる。お手玉は二三尺(注4)上の空で二段になったり、交叉したり、高く低く、沼の底から水沫(みなわ)がうきあがるやうに投げあげられる。
ほたりと音がして、私の直ぐ前におちた赤いものがある。お手玉がこんなところにおちて來たのかと思ったら、それは椿の花だつた。私は、ねんねこの中で手をむづむづ動かしたが、とても手が届くわけのものでない。餘り身をもがいたので、とうとう前にのめって、冷たい椿の花の上に顔をうつ伏せにする。泣かうと思ったが、椿の花で口がふさがれて聲が出ない。が、思い切って全身の力をこめていけむ(注5)とわつといふ聲が漸く出る。とうとう(ママ)泣けたと思うと嬉しくなって身をもがく。ころりと一轉して仰向けにまろげる(注6)。思ひきり大きな聲でわあつと泣いてやる。
泣きながら上を見ると、赤い椿の花が一ぱい青い葉かげから私の方を覗いてゐる。私は一層大きな聲でわあわあと泣けるだけ泣く。
注1 脊― 背。夕暮の書き癖。「背」と書いてもいる。
注2 二三間― 1間は1.8メートル
注3 往還― 街道。往来
注4 二三尺― 一尺は30.3センチメートル
注5 いけむー いきむの訛。「息む」息をこめ腹に力を入れる。
注6 まろげるー 転げる
『朝、青く描く』「少年の春」
出典 郷土文学叢書 第15巻
「前田夕暮 ふるさとのうた上」〜詩歌歳時記 生い立ちの記〜 村岡嘉子編著 11p
発行 秦野市立図書館
環境にやさしいインテリア吉田グループ 地元情報発信 ホームページ