現代に生きる人間として、世界の歴史、なかんずく自国の真実の歴史を知ることは大切なことです。それにもかかわらず、日本は敗戦国となって戦いの幕が降ろされたせいもあり、その前後の日本の真の歴史は語られなくなりました。
 歴史が空白のまま年月が経過したので、連続性に欠けた今のわが国があるよう私には思われてならないのです。
といって、今日まての日本全体の潮流とか昭和の歴史を書き残すことは至難なことで、他に譲ることとして 、本書では当時のビルマの地、その最前線のことに絞り、戦いの様子を、ー兵士の実体験にもとづいて赤裸々にしたためました。
 かつて日本軍将兵三十一万人かビルマに派遣され、そのうち十九万人か帰らぬ人となりました実に驚くべき数字です。
私の所属していた五十四師団(兵兵団)は、編成当時一万六千五百人いましたが、一万二千人が戦死し、復員したのはわずか四千五百人であり、まことに痛ましい限りの犠牲者の数です。
 私のいた瀬澤小隊では編成当時百二十人いた者がニ十二人に激減し、終戦後、さらにニ年間の抑留生活の後、やっと復員することができたのです。
 しかも、戦死した将兵達のほとんどの遺骨は帰還できず、灼熱の太陽と風雨に曝されたままビルマの土と化し、その無念さ、淋しさ、口惜しさは如何ばかりか。思うだけでも涙かこぼれます。
 そして歳月の経過とともに風化し、忘れ去られようとしています。あまりにも気の毒で、慰めの言葉もみつかりません。

 私は奇跡の連続と幸運に恵まれ、また多くの戦友(そのほとんどはその後、戦死)に助けられたのです。
 しかし彼らは、もうー度内地の土を踏みたい、親にー目でもよいから逢いたい、妻子はどうしているだろうか、と思いながら、地獄のべグー山系に倒れ、濁流渦巻くシッタン河の藻屑となったのです。
 しかも、その屍は禿鷹についはまれ、あまりにも悲惨で忘れるわけにはいかないのです。
 今日まで生かしていただき、平和の中に暮らしている私達には、亡き方々に対し、慰霊の誠を尽くさねばならない責任があります。
 書物として書き残すのも、講演会において亡き戦友の実名をあげて語り伝えるのも供養であり、幸運にも生き残った者のせめてもの勤めだと思っています。
 最後に伝えたいことは、多くの方々が平和、平和、平和がよいと語っておられ、まことにそのとおりですが、いったい何にくらべて平和が有り難く、どれほど幸いなのかー
 戦争の生の姿、その悲惨さを知っていただき、そのうえで平和がどれほど有り難いかを悟り、感じていただきたいと願うのです。
 それがこの小著を将来に対し贈る所以でもあります
ご支援ご協力いただきました多くの皆様に心よりお礼を申しあげます

だきました多くの皆様に心よりお礼を申しあ