内地出発の日が間近に迫ったある日 一泊二日の外泊が許された。
 「お前達、もうすぐ外地に向かう。一日家に帰って来い」とのお達しがあり、私も帰らせてもらった。
 今まで内地におり、余り感じなかったが、ここー週間以内に外地に出て行けば、もしかすると再び内地へ帰れなくなるのではないかと、しんみり思うようになっていた。
 家には、電報で帰宅の旨を連絡しておいたので、両親と、妹も岡山女子師範学校の寮から帰って待っていた。夕闇が迫る頃、縁側に出て庭を眺めると、南天の花が白く咲き、かすかな香りを漂わせていた。
 子供の頃から庭先にあった南天だか、再び生家に帰りこの南天を見ることかあるだろうか。 遠くにたたずむ懐かしい山の輪郭を夕闇が包みこんでいく。 その晩は、材料の乏しい時勢ではあったが、母が都合してくれた鶏肉の鍋を囲み、親子四人で食べた
 お互いに思うことはーつだが、誰も口に出さない静かな夕食だった。
 そして自分の置かれている境遇がぃかなるものかをつくづく感じさせられた。
 久しぶりこ、田舎のごえもん風呂に入った。この四ヵ月の間、ゆっくりした気分で風呂に入ったことはなかったが、今日は入浴中に着ている物を盗まれる心配もなく落ちついて風呂を楽しむことができた。
また、柔らかい、ふわふわとした布団の感触に「なんとも言えない幸福感を味わうことができた。それは母に抱かれた幼い日を思い起こすようであった。真っ白い枕カバー 、それは王子様になったような気持ちがした。
 静かに夜が更けてゆく。隣の部屋の明かりも消えているようだ。枕にポタリと涙が一滴・・・・・眠れない・・そうだ、遺書を書いておこう。

「お父さんお母さん、いよいよ外地に向かって、出て行くことになりました。   私はもう、二度と帰って来ることができないかもしれません。生まれてからこの方、二十年余り本当にお世話になりました。私は今まで、本当に幸福に過ごして来ることができたと思っています。何とお礼申し上げてよいか分かりません。このご恩をお返しすることもなく出征していきます。
 私は日本人として恥ずかしくないよう、御奉公して来ますから安心していて下さい。たったー人の妹の幸福を願うと共に、私がいなくても妹とー緒に幸せに暮らして下さい。 また、親戚の人や私の友人にもよろしくお伝え下さい。私はもう何も言えません、ただこれだけを書き留めておきます。..
もしもの時はこの遺書と、同封の東京で最後の散髪をした時の髪の毛 を祀って下さい。お元気で」としたため、やっと眠りについた。
 夜が明けると、弥上の氏神様「見上神社」と、先祖のお墓にお参りした  いつの間にか時間がきて、親子四人揃って四キロの山道を歩いて万富駅に来た。妹は岡山行きの列車に乗り、両親と私の三人は姫路行きの列車に乗るので別れた。 その時妹が「兄さん元気でね」と言ってくれたが声は潤んていた。
 加古川駅につき、青野ヵ原方面行きの軽便列車に乗り換えた。速度の遅い列車が小さい駅に止まり止まりして行く。乗客は比較的多く私達三人は立っていた。
 両親といよいよ最後の別れの時が迫ってきた。今生の別れになるのかと思うと涙が出てきて、ジーンと胸が詰まってきた。だが「俺は男の子だ。若い立派な兵隊だ」そのプライドで他の乗客に涙を見られたくなく、気付かれたくもなかった。じっと涙をこらえたが、どうしょうもなかった。両親はどんな気持ちだっただろう、 おそらく私以上に悲痛な思いであっただろう。もう、惜別の情耐えがたく、話すことも顔を見ることさえもできなくなり、ただ、うつむいているだけであった。
 青野ヵ原駅まで行ってから別れるとなるともっと辛くなるので、一駅手前で父母は下車し た。私は別れがこれ程辛いと思ったことはなかった。小さな列車はすぐに発車した、気を取り直し涙を拭き終わる頃、青野ヵ原駅に着いた。我に返り元気よく大門廠舎の門をくぐった

 。

自分と同じ班で、いつも並んだ場所におり、助けあっていた橋本二等兵の奥さんが、二歳くらいの男の子と年老いた両親を伴って送りに来ていたが、胸の中はいかばかりかと察するだけでも気の毒であった。
 そこは鉄道線路脇のバラスがごろごろした貨物の荷揚げ場で、汚くごみごみしていて屋根もろくにない。
女や子供にはそこにいるのが痛々しく気の毒に思われた。
 それに湿気の高い暑い日であった。奥さんの着物は、白地に桔梗の花が紺色に染め出されたスッキリした柄のもので、なぜか印象に残っている。私はいまだー人身だが、彼は三十三歳、こうして愛しい妻があり可愛い
 子供があれば、どんなに別れが辛いことだろうかと思うと、気の毒でたまらなかった。
 この五人の家族が元気で再び会えればよいがと、考えずにはいられなかった。
 お互いに別れを惜しんでいたようであったが、忙しい積み込み作業中であり、初年兵のー兵卒に充分な時間は与えられなかった。彼は皆に気兼ねもあるので早々に別れて積み込み作業に加わった。
橋本君と私はー番親しかったので、私はこの時の様子をいつまても鮮明に覚えている