久保田上等兵の最期

久保田上等兵がマラリヤでもう五日間高熱が続き、全く何も食べていないので入院することになった。彼はこの間まで元気で作業していたのに、四十度の熱が出たきり下がらなくて、それに下痢までするようになったのだ。
 私が牛車に乗せてタンガップの野戦病院に連れてい った。道なき道を行くのだから揺られ揺られて大変な苦痛だっただろう。それにどんな思いをしているのだろうかと心配だった。
 やつと、野戦病院に着いた。「まいったなあ・・」と彼が言った。
 「病院に入れば薬も沢山あるし、少しすれば熱も下がるよ」と勇気づけた。しかし、病院とは名ばかり、我々が住んでいるあばらやと何ら変わりがない。幾棟かの貧しい小屋が山中 の薄暗く湿気の多い場所に、建っているだけである。
 ここも患者がー杯で空いているところがなかった。やっと、一人分のスペースを見つけそこに寝かせた。
 奥の方に大勢の患者がいるようだ。でもうす暗くてよく見えず不潔な感じが溢れている。こんなところで治るのだろうか?椰子の葉で造った窓の蓋を押し上げて開ける元気もなく、皆寝ているだけなのである。そのため暗く陰気なことこの上ない。
 久保田上等兵を寝かせて、「また来るから元気を出しておれよ」と勇気づけたものの、心配しながら帰った。
それからー週間後、「久保田上等兵の遺体を受領に行って来い」と命令された。やつぱり駄目だったのか、彼は死んだのだ。私は茫然とした。

  このようにして、薄暗い竹で造った野戦病院とは名ばかりで手厚い看病も充分な薬も与えられず、亡くなって逝った兵士たちは、自分の運命はこれまでかとあきらめながらも、また生への執着と故国への夢には去りがたいものがあったであろう。
 案内されて行ってみると、久保田上等兵は昨夜十二時過ぎから様子が変わり、午前三時に息を引き取ったとのことである。
 遺体には彼の毛布がかぶせてあるだけである。枕もとには飯盒と水筒、薬の袋と少しの日用品があった。これが彼の全財産である。余りにも寂しい旅立ちである。彼にも内地に両親があり、息子の武運を祈っていただろうに・・・・。
 浅黒い整った顔立ちの気持ちの良い男だった その彼は、哀れな姿に変わり果てている。
 一年四カ月前、内地出発の時、姫路駅から宇品駅に行く夜行列車の中で、私の前の席 に腰掛けていたが、しんみりと「いつまたこの汽車に乗れるだろうか」と話しかけてきたことを思い出し、私が彼の最期の遺体の処置をするようになろうとは・つゆぞ思いもかけないことであった。
 屍を 迎えに行ったわれわれ三人は、彼の屍を担架に乗せて病院敷地内の火葬場に運び、悲しい思いで火葬にした。