内地からの便り

 お寺の境内にいる頃、内地からの便りが届いた。母からのものがニ通あった。出したのはもっと沢山だったかも知れない。
 文面は父は元気に小学校へ勤めているが、学校でも防空演習などで忙しく、本来の勉強や教育をする時間が足りなくなり困っていること。母は内肋の仕事をいろいろしており、妹は勤労奉仕で軍需工場へ働きに駆りだされて勉強ができないが、頑張っている由だった。
 母がー生懸命に私のことを祈って下さっていることが、文面から伺われ有難く、懐かしく読んだ。 母の優しい顔が目に浮かび、何物にも勝る親と子の情愛の深さ、切れない太い繋がりを感じた

 この時、山形県米沢市の西澤とよ子さんからの手紙も受け取った。物資不足で困っていることや、勤労奉仕のことが書いてあった。
 女学校四年生になったが戦争中のことなので、上級学校をどこにしようかと思っていることなどが書かれてあった。
 特に印象に残ったのは「小田さん元気で頑張って下さい。米沢のさくらんぼうが一生懸命お祈りし、待っています」と書いてある文面であった。

 米沢のさくらんぼうは淡黄の薄紅色で、甘ずっぱく舌触りがさわやかであった。
 その時代の若者やわれわれ学生達は、初恋の味がするもの、初恋を象徴するものとして愛し、食べた特産品だったので、彼女もその意味を込めて、したためてくれたのだ。
 どんなに胸をときめかしてくれたことか、一文字一文字がどれほど優しく温かく、彼女をどんなに懐かしく思ったことか。

 さくらんぼうが待っているのであれば、いくら検閲を受けても誰にも分からない言葉であった。彼女と私にしか分からない大切な味わいのある表現だった。
 私はこの手紙をその後何回も何回も読み返し、ずっと服の内ポケットにしまいこんで、肌身離さず持っていた。長い間持ち続ける間に外の封筒は破れ、汗に汚れ雨に濡れ、グシャグシャになってからもしっかり抱きしめ、お守り代わりにし、少しでも時間があると開いて見、危険な時も思い出し勇気を出した。

  しかし、敵に追われ、雨に遭い水に浸かり、弾丸の中を潜る間にいつの間にか不覚にも失ってしまったが、「小田さん、さくらんぼが待っています」というー節はいつまでも心に沁み込んでいて、私を温め勇気づけ励ましてくれたのである。