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![]() 今ここにいるのは、木庭少将が率いる木庭兵団を主体とし歩兵、野砲、隣車のー部などがー緒になり、約千人の集団のようである。よく分からないが、我らの退路は断たれており、敵は既に堅固な陣地を構えている。 袋の鼠としておいて、空から、あるいは地上機甲部隊で、殲滅を図っているようである。我々は何としてでも、退路を遮断している敵の陣地を突破しなければならないのである。 この敵陣を攻撃するため、私はマラリヤで弱り疲労していたが、小隊長から命令された。どんなに、ふらふらしていても従わなければならない。輜重隊から十名が選ばれ、その他の聯隊から来た者も含めて、総員約二十名が歩兵の田中中尉の指揮に入り敵陣地の攻撃に行くことになった。 敵は前方の森のお寺に陣を敷いている。我々は静かにこちらの林の間を縫って近づいて行った 林を抜けるとそこに川があった。先ず水筒に水を入れ元気を出して進むべく、二人が川に下りると敵が急に撃ってきた。パリ パリ パリと機関銃の猛射である。 ここは敵から見えないだろうと思っていたが、敵はよく監視していたのか、こちらがそこに出るや否や素早く弾を浴びせてきた。さきのニ人は慌てて引き返し我々も皆窪みに体を隠し伏せた そしてジリジリと後に退き、水のことはあきらめて、大きく迂回して攻めることにした。潅木の間を抜けていくとそこに通信線が敷いてあった。それは敵の陣地と我々が今進んでいる道を挟んで、反対側の山の上の陣地を連絡してあるもののようであった。 後で分かったが山の上には迫撃砲の陣地が構築されにらんでいたのだ。 |
中尉はこの通信線を切断するよう命じ誰かが切断した。 敵陣地の方に少し進み分散、散開、着剣、弾込め、安全栓を開放して、一斉に攻撃を開始した。 雑木が点々と生えており、我らの攻撃を適当に遮蔽するのに役立つように思えた。私も走ったり伏せたり小さい潅木の間に体を隠したり、また、敵陣地めがけて前進し、走ったり伏せたりしながら突進した。 だが、敵の陣地がある森は分かるが、完全に模擬遮蔽しているので、いよいよとこに敵の兵隊がいるのか分からないので照準を決めて撃つところまでにならない。 そうするうちに敵の機関銃が撃ってきた。これは自動小銃なのだが連続発射してくるので、我々は機関銃かと思ったのだ。 日本軍は自動小銃を持っていないのでそんな兵器があることを知らなかったのだが。ドッ、ドッ、ドッ、パリ、パリ、ヒュー、ヒュー、ヒューと弾が飛んでくる。しかし、敵陣地攻撃を命じられているので、弾の間を縫うようにして進み攻撃していった。 私の左手を突進していた戸部班長が「やられた!」と叫び転んだ。 ちらりと見ると右腕から赤い血潮が流れ出ているようであった。「うむ」と苦しそうな声を出した。それを横目でちらっと見ただけで、私はなおも進んだ。 次の瞬間、これも私の左側を突進していた藤川上等兵が「あっ、きんたまをやられたツ」と大きな声で叫んだ。 「天皇陛下万歳!」と言いながら潅木の間に倒れ込んだ。彼は支那事変の経験もあり中隊の中でもー番のモサでならしていた古年兵。 荒れ馬もこの人の前に行けばおとなしくなる程の歴戦の勇士で、私の隣の班で初年兵からは恐れられていた人だ。 私は彼の側に行って介抱したり見届ける余裕もなく、敵弾の中でどうすることもできなかった。 灼熱の太陽がギラキラと照りつけていた。感傷にふける場合ではなく、攻撃前進あるのみだ。 私は、やおら立ち上がり敵陣目がけてなおも突進した。十歩ばかり駆け出した時、危険を感じ右前方に滑り込むように伏せた。 その瞬間敵弾が三〜四発飛んできて、私が走っていた姿に照準を合わせていたのだろう、伏せした私の三センチ左の地面に土煙をあげた。間一髪、十分の一秒の差で助かった。 更に止めの射撃か、確認のためか、もうー度同じ地点に三発撃ち込んできた。 慌ててはいけない、動くと見つかるので伏せしたままじっと七、八分間辛抱した。 長い時間に感じた。その後は伏せたまま後へ後へと這いながら退いていった。 二百メートルばかり退いた所に大木があり、その木陰に体を横たえて休んだ。 |