安土桃山時代の日本3
茶の湯の文化
茶道あるいは茶の湯といわれる文化がありますが、それが流行になったのがこの安土桃山時代です。宣教師たちは布教のため上流階級と付き合いがあったせいか、「日本教会史」でロドリゲスは詳細にその内容を報告しています。
このロドリゲスの報告を読むと、当時の「茶の湯(数寄)」が単に茶を供することではなく、客を招待しもてなすことの全体であることがわかります。また、数寄は田舎の隠遁生活を理想として模していることもわかります。
また外国人たちは、ここでも清潔さや美しさ、秩序整然した日本文化の特徴を見出しています。
茶会
「その茶会に人を招き、そこで上記の道具を見せるために、彼らはまず各人の力に応じて饗宴を催します。これが行われる場所は、この儀式のためにのみ入る特定の部屋で、その清潔さ、造作、秩序整然としていることを見ては、驚嘆に価します。」(フロイス日本史)
日比屋了珪(ディオゴ)の屋敷
了珪は宣教師にディオゴとも呼ばれ、堺の富裕な商人でキリシタンでしたが、かなりの茶人だったようです。フロイスと日本人修道士そしてキリシタンの日本人の三人が招待されています。
茶室への階段
「そこから私たちは真直ぐな狭い廊下を通り、杉材の階段を昇りましたが、その階段は、まるでそこに人が足を踏み入れるのは初めてのことかと思われるほどの印象を与え、余りにも完璧な造作で、私はそれを筆で言い尽くし得ません。」(フロイス日本史)
茶室の内部
「部屋の片側には彼らの習わしによって一種の戸棚があり、そのすぐ傍には周囲が1ヴィラ(1.1m)の黒い粘土でできた炉(火鉢?)がありました。それは真黒の粘土製であるのに、あたかも黒玉のようにきわめて澄んだ鏡に似た非常な輝きを帯びているので不思議に思える品でした。その上には感じの良い形の鉄釜が、非常に優雅な三脚(五徳)に乗っていました。灼熱した炭火が置かれている灰は、挽いて美しく篩(ふる)った卵の殻でできているように思われました。すべては清潔できちんと整っており、言語に絶するものがあります。」(フロイス日本史)
炭
「その炭は、一般に使用されるものではなくて非常に遠方から運ばれて来たもので、手鋸で巧みに小さく挽いて、消えたり燻(いぶ)ったりすることもなく、わずかの時間で熾(おき)となり、火を長らく保たせるのです。」(フロイス日本史)
懐石料理
「私たちが、きわめて清潔な敷物である優美な畳の上に坐りますと、食事が運ばれ始めました。日本は美味の物産が乏しい国ですから、私は差し出された食物を称賛しませんが、その席での給仕、秩序、清潔、什器は絶賛に価します。そして私は日本で行われる以上に清潔で秩序整然とした宴席を開くことはあり得ないと信じて疑いません。と申しますのは、大勢の人が食事をしていても、奉仕している人々からはただの一言さえ漏れ聞こえないのであって、万事がいとも整然と行われるのは驚くべきであります。」(フロイス日本史)
了珪の息子
「ディオゴの11歳くらいの息子は、はなはだ華麗な衣服を着て、すべて金で飾った刀剣を帯びていましたので、まるで君子のように見えました。」(フロイス日本史)
数寄屋
「この王国の優雅な習慣の中でも、主要であり日本人がもっとも尊重し全力を傾倒するのは茶を飲むことに招待することであろうが、それと同じく彼らはまた客人に茶を出す場所を造ることについても、特殊な建物、その建物への通路や入口、またこれらの場所の目的に適したその他さまざまなことに丹精をこらすのである。
そこでの目的は、一般には僻地や無人の境における自然の事象について静かに落着いて観照することなので、その点からして、この場所におけるすべての構成が全体としてその目的に適応し、また藪にある粗末な樹皮や木材を自然のままに使い、一定の様式に従って造られた粗末な小屋における隠遁的な孤独を保つのにも適するようにする。
その小屋は、あたかもひとりでに自然にできたかのようにし、あるいはまた普通は僻地や茂みの中で生活している者が造る家のようにして、すべての点で自然を模倣し、すなわち家そのものが自然のままに造られ、そして自然に生じた物の中に自然そのままの形が保たれているように、すぐれた均衡と調和が保たれるようにする。
それゆえ数寄と呼ばれるその家は、貴人が田舎での生活をする一つの方法として、僻地の小屋にあたるその家に友人を招待して、食事をし、茶を飲んで観照にふけるところである。
また、通路、家に入るのに通る林、自然が調和と優雅さを保ちながら無造作にそこに造り出しているもの、その家すなわち小家そのもの、そこに置いてあって使われる道具類を静かに眺めるとともに、僻地の山寺に行ったようにして一種隠遁の気分を味わい、またその場所に適しない雑談はいっさい止めて、そこに見られる僻地のあらゆるものの形態、調和、種類についても観照するためのものである。
こういうわけで、この建物やその場所で飲食その他すべてのことに使う道具は、宮廷にあるものと同じような優美で完全で形がよくて光沢のあるものを甚だしく嫌い、また山中や僻地のものを使うのでもなくて、無造作に自然らしく造られた粗末でゆがんだものなどが使われる。
そして、日本の領主、公家貴族、武家貴族、また一般人の中の富裕な者、教養のある者は、このことに丹精をこめたので、すべての人が自分の御殿なり家屋なりに付属するこれらの建物の一つを必ずといっていいほど持っていて、そこに自分の友人や知人を華美にわたらないようにして私的に招くのである。
そして客人を招待した家の主人は自分がたとえ貴い身分であろうとも食卓での給仕を自らするのが普通であり、そこで食事をしたあとで主人自らの手で茶をたてて客人に差し出す。このような接待の方法が客人に対して払う最大の敬意である。
ゆえに身分の低い者もまた自分の数寄の場所で茶を飲むことに領主や貴人を招待することができ、領主はそれをきわめて礼儀正しく鄭重さを失わないように受諾し、たとえ招待する者が自分の家臣であっても高貴な者や目上の者として動作することなく、同輩の間柄と同じくふるまう。すなわち、そのことは田舎の生活をすることであり、田舎の模倣であるからである。」(日本教会史)
数寄の目的
「数寄を構成するすべての事物、すなわち家、林の中の道、招待、器具などの道具立ては、それらすべてのものがあの数寄が信条としていることと調和を保ち、適応するように考慮されていることである。
その数寄は隠遁者的孤独であり、僻地における田舎風の貧しさである。したがって、家、そこへ至る道、招待、さらに道具類、またそのような家に入る時の衣類は、その家と完全に調和がとれ適応していなければならない。すなわち、それらは華美なものや、贅沢な外観を持ったものでもなく、また優秀で珍奇な工夫をしたものでもなく、自然であり、雅趣を備え、孤独であり、懐旧の情をそそるものであり、独特な興趣があるもののようでなければならない。
そして、心を孤独と懐旧の情を起させるものへ向かわせる自然の与えた雅趣と風格を自然の事物の中に認識することに、数寄の重要な役割の一つがある。」(日本教会史)
数寄の不可欠な要素
「第一はすべてにわたる最上の清潔さである。」
「第二は田舎風の孤独と飾り気なさであって、あらゆる種類にわたって多くの無駄なものから遠ざかることである。」
「第三の主要な役割は、自然的なものと人為的なものとが、それぞれに数寄の目的に対して持っている自然な調和と一致、隠れた微妙な性質に関する知識および学問である。」(日本教会史)
数寄の製作
「この人たちは数寄には二つのことを求めた。第一は極度の清浄さである。第二は各自がそれぞれの資力に応じて外国製と日本製の立派な器物をいくつか、その値段を問わないで、そのためには借金しても少なくとも一個は手に入れることである。」(日本教会史)
「粗末な木で造られ、壁は細竹の上に土が塗られ、外からは茅で蔽われ、内部の天井は長い年月で煤(すす)けた古竹でできていて、その建築は全然金がかかっていないように思われるので、その家を建てるだけで、それにふさわしい材料に数百クルザードもかかるとは信じられない。しかし、その材料は多大の労力と費用とをかけて諸地方で探し集められ、その建築のためだけ仕事をしている特殊な大工の手で言い表せないほど見事に木材が削られ正しく合わされる。」(日本教会史)
「小家へ行くのに通る林と路地とを造るに当っては、どんな木でも良いというわけではないので、遠隔の地から或る種類で一定の形状や恰好をした木を探し求めてそこに植えつけ、それらの木が根付いてそこに自然に生じたような林となるまでには多くの費用がかかる。」(日本教会史)
「特に路地に敷きつめる石には金がかかる。それらは粗末で加工してなくても、ある一種の形態、風格、無造作さを備え、自然にできたようであって、ある特定の種類に属するもので、それらをきわめて遠方の地から探し求め、莫大な金で選んで買い入れる。」(日本教会史)
草庵
「この目的と調和するように、同じ外郭の中に藁(わら)や茅(かや)で葺いたきわめて小さい一つの小家を住居に続けて建てる。それは山林から持って来たままのように加工しない木材で造られ、独特の方法で組み合わされ一部に古木が使われて、僻地で歳月を経た古い部屋すなわち庵を模し、なんらの人工も加えず華麗さもなくむしろ自然の無造作と古さとであるがままの自然らしくし、僻地にあるのと同じ物を使って粗野で田舎風に造られる。」(日本教会史)
茶道具
「このもてなしで用いられる器物や陶器は、金製でも銀製でもなくその他贅沢に磨きあげて作られた貴重で高価な材料を用いたものでもなく、まったく光沢も装飾もない粗末な陶土と鉄のものであって、光沢や美しさのために自然にそれが欲しくなるような欲望をそそる物でもない。
しかしながら、日本人はその憂愁な気質、彼らの物の考え方、およびかような物を探し求めた目的からして、ほかならぬかかる神秘さを正にそれらの中に見出したのである。」(日本教会史)
「とりわけこのような古風と野趣の中で清浄であることに熱意を傾ける。その清浄ということは、万事についてたとえどんなに些細なことであろうとも、考え得る限りのもっとも重要なことなのである。」(日本教会史)
茶室
「そこ(茶室)には、沸騰している湯がいっぱいになっている鉄の深鍋(釜)をのせた炉があって、その下には精選されたきれいな灰と一定の種類の炭火が入れてある。すべてがあまりにも清潔で十分に調和を得ている点では、他に類を見ないほどである。」(日本教会史)
懐石
「家の主人が食事の時間になったと思う時、主人は奥へ行って食台を持って来る。それは漆を塗った木か白木で作り、高い足のついた一種の盆であって、一組の料理が載っている。それを客人の前に置くと、客人はそれを受け取って頭の上に捧げる。そこへ御器すなわち椀の中に少量の米飯が入れられて運ばれて来るが、その器はすっかり濡れており、この上なく清潔である。米飯の器と酒を客人の前に置き、客人がもっと食べたがれば、それを取りに再び奥に引っ込む。」(日本教会史)
中立(なかだち)
「食事が終ると、家の主人が茶を飲む時になったと客人に告げ、客人はここに来るのに通って来た林に出て行って手を洗う。
家の主人は家の戸を閉めて、全体をよく掃き清め、新たに別の絵画なり、その時節の別の種類の花なりを飾る。
用意万端ととのったところで戸を開けると、客人が再び入って来て、その場合の儀式に従がって茶を飲む時間が来るまで、その合間にあらためて観照する。」(日本教会史)
その他の日本文化
宣教師たちは絵画、演劇、舞踊、音楽などの日本文化も紹介しています。絵画については褒めていますが、やはり舞踊や音楽などは彼らには不評のようです。
香道
「日本人はまた、香料や芳香を有する物、特に伽羅と沈香の等級と純度を識別するのに、とろ火を使い巧みな技術で、同じ種類の中のさまざまな相違と等級を判定する技能をわがものとしている。」(日本教会史)
「彼は同じ香料の削片を長年嗅いでその識別法を知っていて頭領となったのであり、違った伽羅二十種類以上の見本を持っていた。」(日本教会史)
刀剣の鑑定
「同じくまた、職人の一種として彼らの規準に基づき、昔の有名な職人の手になる刀や短刀その他の刀剣類にある銘によって鑑定するのを本職とした者がいた。それらの刀剣は日本人の間ではきわめて価値があり尊重されているものであって、ただ古さとかそれを作った鍛冶職とかによるばかりでなく、それよりむしろ極度に精錬された鉄や鋼鉄であるために、当世のもののように刀が折れたり刃こぼれしたり錆びついたりすることがなくて、何物をも斬る優秀な刀剣であることが大きな理由である。」(日本教会史)
「その姓を竹屋と名乗った一人のキリシタンが都にいた。将軍(徳川秀忠)は彼を召し、百振りの違った刀を鑑定させるために彼の面前に置いた。彼はそれらを鞘から引き抜き、刀身以外は銘も見ないで、一振り毎に申し述べて、一振りも誤りがなかった。それは珍しいことであり、将軍は驚嘆してしまった。そこで慣例通りにすぐに国王の免許状を出して、日本でその道における天下最高の称号を彼に与えようとした。」(日本教会史)
絵画
「三種類の絵画、すなわち色絵、墨絵、泥(でい)があって、のりで絵具をこねる。
第一の色絵は色彩や金箔で描かれて、慶事用のものである。第二の墨絵は墨の絵具またはそれに水を混ぜたものを使うが、この絵はきわめて巧妙であり優秀である。これが日本人生来の気質に合致しているために、これを大いに楽しむ。
この種の絵のなかには昔の有名な画家の手になるものがいくつかあって、それらは彼らの間でははなはだ珍重され高価なものである。また数寄や茶の湯にはこの種のものを用いる。
第三のものは、彼らが泥(でい)と呼んでいて、金を粉に碾いたものを使う絵である。泥(でい)とは、泥すなわち金の泥を意味し、これでたいへん美しく立派な絵を作り、また金箔の代わりに色絵とあわせて非常に価値のある荘重な絵に作り上げる。これらの絵においても彼らははなはだ巧みで優れている。」(日本教会史)
「また別の部屋があり、それは水で薄めた墨色見事に描かれた絵で飾られるが、彼らはこの墨絵に優れた技能を持っているので、それらの絵は生き生きとしていて、まさに同じ墨色で鳥類や樹木その他の物の色そのものさえも表しているかと思われるほどである。」(日本教会史)
演劇
この当時、歌舞伎はまだで能や狂言が行われていたと思われます。京都の四条河原などは見世物などが行われていたようですが、地方都市などではどうだったのか不明です。
「我々の劇は、普通夜間に演ぜられる。日本では、昼でも夜でもほとんどいつでも行われる。」(ヨーロッパ文化と日本文化)
「我々の劇は、談話によって演ぜられる。彼らの劇は、ほとんど常に歌いまたは踊る。」(ヨーロッパ文化と日本文化)
「(京都の)都市の入口に当たるそれらの通路の一定の場所に、小門のついた板囲いがあって、その中では絶えず演劇、喜劇、幕間狂言が行われ、その他に昔物語を語る者がいて、それには楽器に合わせて調子を取り一定の歌をうたうことが伴っていて、この国の人にとってはたいへん楽しいものとされる。
そこでは、いつも閉めてある小門を通って人々は中に入り、各自で一定の銭を払うが、一幕毎にかなりの数の観客がいるので、その役者はその銭で食事代を稼ぐ。そして、それが終ると人々は出て行き、新たに別の人が入って来て、別の幕すなわち演劇が、それぞれの役に適した立派な絹の衣裳を着て始められ、それぞれの幕の終わりには、その方面の優れた役者いるので、彼らによってきわめて機知に富んだ幕間狂言が演じられる。」(日本教会史)
舞踊
「我々の舞踊では、太鼓の響きにつれて姿態をかえるが、歌は歌わない。日本の舞踊では、必ずいつも太鼓の音につれて歌う。」(ヨーロッパ文化と日本文化)
「我々の(舞踊者)は、鈴を手にして真っ直ぐに進んで行く。日本人は、手に扇を持て、いつでもまるで(原文欠)のように、または失った物を見つけるために地面を探しまわっている人のように歩く。」(ヨーロッパ文化と日本文化)
「我々の舞踊は昼間おこなわれる。彼らの舞踏はいつも夜おこなわれる。」(ヨーロッパ文化と日本文化)
「ヨーロッパの舞踊は、脚を多く動かさなければならない。日本人の舞踏は、もっと重々しく、しかも主に手を用いて踊る。」(ヨーロッパ文化と日本文化)
音楽
「我々の間の種々の音響の音楽は、音色がよく快感を与える。日本の音楽は、単調な響きで喧しく鳴りひびき、ただ戦慄を与えるばかりである。」(ヨーロッパ文化と日本文化)
「ヨーロッパの国民は、すべて声をふるわせて歌う。日本人は、決して声をふるわせない。」(ヨーロッパ文化と日本文化)
「我々は、クラヴォ(鍵盤楽器)、ヴィオラ、フルート、オルガン、ドセイン(葦笛)などのメロディによって愉快になる。日本人にとっては、我々の楽器は不愉快と嫌悪を生じる。」(ヨーロッパ文化と日本文化)
「通常、我々の間では、貴人の音楽は下賤の人の音楽よりも美しい。日本では、貴人の音楽は聞くに堪えない。水夫の音楽が我々を楽しませてくれる。」(ヨーロッパ文化と日本文化)
日本の風聞
ザビエルはインドやインドネシアの土民を相手に布教活動をしていましたが、日本人が理性的で学ぶことが好きであると聞いて、日本がキリスト教の布教に向いている国だと思い、苦労しながらも日本にたどり着いています。
また、スペイン人たちは日本を「銀の島」と呼んで探しており、探検のために艦隊を送ろうとしていたとザビエルは言っています。
学ぶことの好きな国民
「それは大きな島々のことで、東方に発見されてから未だ日も浅く、名を日本諸島と呼ぶのだという。商人達の意見によると、此の島国は、印度の如何なる国々よりも、遥かに熱心にキリスト教を受け入れる見込みがあるという。何故かと言えば、日本人は学ぶことの非常に好きな国民であって、これは印度の不信者に見ることのできないものだという。
此の商人達に、付き添われて、アンヘロ(弥次郎)と呼ぶ一人の日本人が来ていた。その故郷に居る時、ポルトガル人から私の話を聞いて、わざわざここまで来たのである。」(聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄)
「若し全部の日本人が、彼と同じように学ぶことの好きな国民だとすれば、日本人は、新しく発見された諸国の中で、もっとも高級な国民であると私は考える。」(聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄)
「彼は度々教会へ来て祈りをなし、私に無数の質問を浴びせた。彼は、何でも、知り尽くさずには措かないと言う、強い欲望を持っている。これは進歩が早くて、短時日の間に、真理の認識に到達することの出来る人物という、確かなしるしである。」(聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄)
理性的国民
「私が日本へ行けば、日本人は、豊富な理性の持主であるから、印度あたりの土民を相手にしているよりも、よく神に奉仕し奉ることができるに違いないというのが、日本から帰ってくる凡ての商人達の、一致した意見である。」(聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄)
「私達はここで、日本人が信者になるための、頗る適当な民族であるという偉大なる報告を得た。日本を旅行して来たものが、シャムから手紙を寄越し、日本人は、神の事を説明する神父に、会いたがっていると知らせてきた。」(聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄)
「シナの前方200レーグア以上距たったところにある日本島から私(ザビエル)にもたらされた報告によりますと、その地の国民ははなはだ理性的で、デウス様のことについても世俗の学問に関しても知識欲が旺盛だということです。」(フロイス日本史)
「かの日本の地からポルトガル人たちは、同国民は賢明で思慮深く、道理を重んじ、知識欲が旺盛だから、我らの信仰を弘めるのにきわめて適した状態にあると書いてきています。」(フロイス日本史)
カスチリヤ人(スペイン人)
「カスチリヤ人は、この島々(日本)をプラタレアス群島(銀の島)と呼んでいる。日本に居たポルトガル人は、ノヴァ・イスパニヤ(メキシコ)からマルコ(インドネシア)へ行くカスチリヤ人がこの島(日本)のずいぶん近くを通ると私に語った。また、ノヴァ・イスパニヤからこの島々(日本)を発見するために来るいろいろのカスチリヤ人が、その途中において行方不明になってしまうのは、日本へ来る途中の海に多数の暗礁があってそこで沈没するからだと、日本人が説明したということを、私はポルトガル人から聞いた。」(聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄)
「私の兄弟シモン師よ、このお知らせをするのは、貴兄に我らの国王と王妃とに次の献言をしていただきたいためである。すなわち、この御二方はその良心を軽くせんがため、カスチリヤの艦隊をノヴァ・イスパニヤ経由でプラタレアス群島(銀の島:日本)の探検のために送らないようにと、皇帝やカスチリヤ国王たちに知らせなければならないことである。何となれば、幾つの艦隊が行っても、皆滅びてしまうからである。そのわけは、海底に沈没しなくても、その島々を占領するならば、日本民族ははなはだ戦争好きで貪欲であるから、ノヴァ・イスパニヤから来る船は、皆捕獲してしまうに違いないからである。他方、日本は食物のすこぶる不作の土地であるから、上陸しても皆飢え死にするであろう。その上、暴風がはげしいので船にとっては味方の港にいない限り、助かるわけは一つもない。」(聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄)
インド
「この地方の土民は、殆ど教育がない。しかし悪い事なら何でも識っている。」(聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄)
「ここでは、不正を行うことが当然の習慣になっていて、これを癒す薬などは、どこにも発見することが出来ないのだから。」(聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄)
「一般的に言うならば、私が観察し得た限りにおいては、印度の土民は、全く野蛮未開な人間である。」(聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄)
「私が今まで会った此の地方の印度人は、回教徒も不信者も皆はなはだしく無知である。」(聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄)
モルッカ諸島(インドネシア)
「土民は野蛮であり読むことも書くことも識らない。自分の好まない人間は毒殺するのが普通である。」(聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄)
「土地は峻嶮で、山ばかりが連なっていて、歩行が頗る困難である。食物はない。住民は小麦も、ぶどうから作ったぶどう酒も、何の事か識らない。肉や家畜は一つもない。幾匹かの豚は、非常に珍しい存在である。しかし、野猪は沢山居る。大抵の村には、良質の飲用水がない。米が主食となっていて、これは豊富にあるし、彼等が、ガグエロスと呼ぶ一種のパンとブドー酒との生ずる樹も、多数ある。ある他の樹の繊維質の外皮からは、衣服を拵えている。」(聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄)
ザビエルの伝道活動
希望を抱いて来日したザビエルですが、日本での伝道には大変な苦労があり、成果も必ずしも良いものではありませんでした。
日本での伝道
「今まで発見された国々の中で、日本だけがキリストの聖教を永久に伝えることの適当な国である。けれども、それは非常な困難のうちに実現するであろう。」(聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄)
「寒さがきびしく、しかもそれを防ぐ手段が貧弱なため、日本に来る者の遭遇しなければならない困難は、すこぶる大なるものがある。例えば、寝るベッドもなく、食物は非常に少なく、坊さんたちから醸し出される障碍や、すべての日本人が心服するに至るまでに、忍ばねばならぬ迫害は多く、罪を犯す機会に満ち、民衆からは大いに軽蔑されるなどの困難がある。」(聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄)
「日本に来る神父は、また、日本人のする無数の質問に答えるための学識を持つことも必要なことである。神父らは、よき哲学者であることが望ましい。また、日本人との討論において、その矛盾を指摘するために弁証学者であれば、なおけっこうである。それから、宇宙の現象のことも識っていると、ますます都合がよい。なぜなら、日本人は天体の運行や、日食や、月の満ち欠けの理由などを熱心に聞くからである。また雨の水はどこから生ずるかの回答をはじめ、雪や霰、彗星、雷鳴、稲妻など、万般の自然現象の説明は、民衆の心を大いに惹きつける。」(聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄)
ザビエルの苦労
「日本の滞在は、犠牲と苦難とにみちた2年半の歳月であった。この間に、ザビエルの頭は、白くなってしまって。しかも印度のトラヴァンコール地方においては、1ヶ月の間に、1万人の受洗者を造ることのできた彼が、日本における活動の結果をかえりみると、数字に現れたところは、まことに貧弱であった。
鹿児島における洗礼が100−150名、市来において15−20名、平戸において180名、山口に向う途中において3名、山口では5、600名、豊後では30−50名、全部を通算しても1千名には足りない。
それでもザビエルの心は、神に対する感謝の念に溢れていた。この1千名は、(インドの)トラヴァンコール地方の粗野なマクア(族)漁夫の1万名よりも、はるかに多い数であった。」(聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄)
僻地の教会
「朽網(くさみ)のキリシタンたちは、あらゆる必要な品をいとも愛情をこめて私たちに給してくれ、私はどう感謝の言葉を述べてよいかわからぬほどでした。教会は実に立派に造られていましたので、ポルトガル人たちはそれがあまりに敬虔に満ち清らかであるのを見て、このような僻地で、しかもほとんどまったく予期することもなくこれに接したために、感涙を禁じ得ませんでした。」(フロイス日本史)
日本人
宣教師たちは日本人を白人と書いています。この頃は黄色人種という概念はなかったのかもしれません。また、日本人の学問的な優秀さを評価しています。
容貌
「日本人は白色人であるが、北方民族ほどに極端ではなく適度な色をしている。
多少丸顔で顔立ちは良く、顔つきは内陸の真のシナ人に似通っていて、広東のものには似ていない。また、髪と黒眼と小さな顔にある鼻について言えばコーリア人(朝鮮人)にも似ている。
従がって彼らは大きくて高い鼻や、豊かな髭や、淡青または青い眼や、赤毛と金髪を大いに奇異に感じて、これらをすべて欠陥とみなしている。」(日本教会史)
資質
「日本人は生来の優れた資質ときわめて鋭敏な才能を持ち、我々のあらゆる精神的思索的な学問とシナ語とを理解する能力を持っている。」(日本教会史)
「すなわち、我々の学問を学び始めてから40年にも満たない短い年数しか経ていないのに、かくも遠隔の民族が多数セミナーリオに学び、立派な人文学者となっており、また他の者は哲学と神学を学んで十分満足すべき成果をあげ、その多くの者が宗教について福音伝道達成の道を教えるに足りるほどの十分な能力を持っている。」(日本教会史)
日本人の性格
宣教師たちは日本人の性格を次のように分析しています。
好奇心に富む。
分別があり、理性に基づいて行動する。
礼節があり、慇懃である。
他人の悪口を言わないし、他人を妬まない。
賭博をしない。盗みをしない。
名誉心に富み、武道の修練に励む。
自信を持っており他民族を恐れない。
オルガンティーノ師
「日本人は本来、新奇なことを好む国民であり、すでにオルガンティーノ師はその気心を知り、経験に基づいてそれを利用することはきわめて有効な布教手段であると考えた。それゆえ、キリシタンの信仰をいっそう固めさせ、異教徒たちに救いのことを理解させることができそうな機会は、何一つ見逃しはしなかった。
その際、彼は次のような方法を用いた。すなわち彼は、一年の重立った祝日には、あらゆる地方のキリシタを儀式に参加させることにし、上記の城いずれか、あるいは都において、盛大な祭典を催し、その際、できうるかぎり美しく豪華な公開行列をくり出すように命じた。その噂を聞いて、多数の異教徒たちが祭典を見物するためにやって来た。彼らは、その催しや、キリシタンたちが団結と愛情を互いに示すのを珍しがって参集し、彼らのうちの多くの者が、その手段に動かされて説教を聞くようになり、ついでキリシタンとなるに至った。」(フロイス日本史)
コスメ・デ・トルレス師の書簡
「この日本人は、イエズス・キリストの教えを彼らの間に植えつけるのに非常に適した素質を有する。すなわち、彼らは分別があり、理性に基づいて己を処する。彼らは好奇心に富み、いかにすれば自らの霊魂を救い得るかについて話すことを好む。
彼らの間には良き礼法があり、まるで宮廷で育ったかのように互いに非常に慇懃な態度を示す。彼らはめったに隣人の悪口を言いはしない。彼らは他人を妬まないし賭博をした者は盗みを働いた者と同様に殺されることになっているので、賭博をすることもない。
彼らが気晴らしをするものと言えば武道の修練であり、非常に熟達している。その他に詩句を挙げることができる。彼らは名誉心に富み、自らの武器を全面的に信頼している。なぜなら彼らは13、4歳の頃から早くも刀剣を帯び、帯に差した短刀を決して外しはせぬからである。彼らは卓越した弓術家であり、万事彼らは非常に厳格で、そのためにすべての他国民をほとんど問題にもしていない。彼らは訴訟沙汰を起こすことなく自らの国を統治しているが、これは驚嘆に価することである。」(フロイス日本史)
「私は今までに信者および未信者の幾多の諸国を見て参りましたが、ひとたび道理を認めると、それにこれほど従順であり、もしくはこれほど信心と苦行にいそしむ人々を決して見たことがありません。」(フロイス日本史)
異国人を恐れない
「日本人は、異国人には多大の歓待と好意を示し、異国人がこの国に入ってくるのにまかせて、まったく安心している。この点でシナ人やコーリア人(朝鮮人)はまるで逆で、彼らは異国人を軽蔑し、自分たちが力弱く小心なので自国を失いはしまいかと極度に用心深い。日本人は勇敢で大胆である。」(日本教会史)
「日本人は、武器を使うことと馬に乗ることとは、いかなる国民にも引けを取らないと信じ切っている。したがって、彼らは他の国民や国家をあまり眼中に置かない。彼らは武器を大切にする。非常に大切にするので、よい武器を持っていることが何よりの誇りである。それには銀と金が極めて綺麗にちりばめてある。大刀と小刀とは、家にあっても、外出していても、彼らの絶えず帯びている所のものであり寝ている時ですら、枕辺に置いている。」(聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄)
「したがって、尊大で高慢な性質であって、たとえ他の諸民族について見たり聞いたりしても、自分たちの方が優れていると思う。特に戦時における武器とその使い方と大胆で勇敢な精神においてはそうであると考え、世界中でこの面で彼らに匹敵する者はなく、むしろ他民族は彼らに比べてはなはだしく劣っていると考えている。」(日本教会史)
名誉
「彼らは誇りが高く面目を重んずるので、名誉に関することでは簡単に生命を捨てることもいとわない。同様に自分の保護と援助の下に身をおいている者のためには、無造作に我が生命を賭ける。
彼らは侮辱や悪口に対し我慢をしないし、また人の面前でそれを言い出すこともしない。彼らはその点できわめて辛抱強く感情を外に表さないからである。したがっていさかいは稀である。」(日本教会史)
傑出した国民
「第一に、私達が今までの接触によって識ることのできた限りにおいては、この国民は私が遭遇した国民の中では一番傑出している。私にはどの不信心国民も日本人より優れている者は無いと考えられる。日本人は、総体的に良い素質を有し悪意がなく交わって頗る感じが良い。
彼等の名誉心は特別に強烈で、彼等に取っては名誉がすべてである。日本人は大抵貧乏である。しかし、武士たると平民たるとを問わず、貧乏を恥辱だと思っている者は一人もいない。」(聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄)
「大変心の善い国民で、交わり且つ学ぶことを好む。」(聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄)
武士への尊敬
「彼等には、キリスト教国民の持っていないと思われる一つの特徴がある。それは、武士が如何に貧困だろうとも、平民の者が如何に富裕であろうとも、その貧乏な武士が、富裕な平民から、富豪と同じように尊敬されていることである。」(聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄)
領主への服従
「彼等は侮辱や嘲笑を黙って忍んでいることをしない。平民が武士に対して、最高の敬意を捧げるのと同様に、武士はまた領主に奉仕することを非常に自慢し、領主に平身低頭している。」(聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄)
礼儀
「シナ人の礼儀には二種類あって、日本人はそれを彼ら流に模倣している。その一つは道徳であって、徳行と道徳上の良風とがこれに属し、彼らの国家の統治はそこに基礎をおいている。
いま一つは、日本王国に見られる高度の立居振舞、良風の現われである礼儀と習慣、さらに外面的な礼儀の教えであるが、それらは、本来は各民族や各王国で任意に工夫され、それぞれの生活様式に適応しているものなのである。」(日本教会史)
賭博
「賭博は大いなる不名誉と考えているから、一切しない。」(聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄)
盗み
「私は今日まで旅した国において、それがキリスト教徒たると異教徒たるとを問わず、盗みについて、こんなに信用すべき国民を見たことがない。」(聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄)
「窃盗は極めて稀である。死刑を以て処罰されるからである。」(聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄)
災害
「我々の間では、財産を失い、また家を焼くことに、大きな悲しみを表わす。日本人は、これらすべてのことに表面はきわめて軽く過ごす。」(ヨーロッパ文化と日本文化)
畏怖
「我々の間では、男も女も小児も夜を恐れる。日本では、これに反して大人も小児も決して恐れない。」(ヨーロッパ文化と日本文化)
「我々の間では、一般に蛇を恐れ、手で触れるのも厭がる。日本人は、恐れることなく、きわめて易々と手で掴み、ある者はそれを食べる。」(ヨーロッパ文化と日本文化)
日本人の特徴
宣教師たちは日本人の遊び好き、飲酒して酔っ払う悪い癖なども指摘しています。幕末に来日した外国人は日本の農民の勤勉さを褒めていますが、この時代は違ったのでしょうか。
遊興好き
「日本人は耕作ごとには、はなはだ怠慢であり不精であって、シナ人の有する器用さや精励さは見られない。安逸と遊興を愛好し、そのためには酒宴、音楽、喜劇、演劇、幕間狂言のきわめて優れたものとか、悠長で公正な勝負事とかで多くの時を費やす。心配、気苦労、心痛を伴う苦悩を与える物事は嫌いで、これらにはすぐ飽きがきて憂鬱症のとりこになってしまう。」(日本教会史)
飲酒
「日本人の生活には節度がある。ただ飲むことにおいて、いくらか過ぐる国民である。」(聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄)
「この異教徒の目的は、おもに酒で飽食し酩酊し腹を満たすことなので、すべての宴会、遊興、娯楽は、さまざまな方法で度がすぎるほど酒を強いるように仕組まれており、そのために酩酊し多くの者が完全に前後不覚になってしまう。シナ人と日本人の間では、祝宴や遊興において酔っ払うのは無礼なことだとは思われていないからである。」(日本教会史)
「我々の間では、誰も自分の欲する以上に酒を飲まず、人からしつこくすすめられることもない。日本では、非常にしつこくすすめ合うので、ある者は嘔吐し、また他の者は酔っ払う。」(ヨーロッパ文化と日本文化)
「我々の間では、酒を飲んで前後不覚に陥ることは大きな恥辱であり、不名誉である。日本では、それを誇りとして語り、「殿はいかがなされた」と尋ねると「酔っ払ったのだ」と答える。」(ヨーロッパ文化と日本文化)
安土桃山時代の日本2
安土桃山時代の日本4
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2015.03.02 野沢 清 kiyoshi_nozawa@yahoo.co.jp