幕末の日本1

幕末に外交官など多くの外国人が来日し、その思い出や経験を本にして出版しています。そこには、日本人にとっては当たり前のことが、彼らにとっては新鮮であり自分たちとは違うとして記録しています。そのため、我々日本人にとっても当時のことを知ることのできる貴重な資料となっています。
最近来日した外国人が、日本は街が清潔で、日本人は親切であるなどという感想を持つようですが、幕末に来日した外国人も同じような感想を述べています。日本人の特徴的な性格や素養などは、実は江戸時代以前からのものなのかもしれません。

なお、本稿のために下記の書籍を参考にしました。

「長崎海軍伝習所の日々」カッテンディーケ 東洋文庫
著者は幕府の長崎海軍伝習所で教えていました。オランダの海軍士官です。彼の生徒には勝海舟や榎本武揚などがいます。彼は1857年から1859年の間、日本に滞在しています。

「大君の都」ラザフォード・オールコック 岩波文庫
著者は初代の英国公使で1859年から1864年の間、日本に滞在しています。

「スイス領事の見た幕末日本」ルドルフ・リンダウ 新人物往来社
著者はスイス通商調査派遣隊の隊長として1859年と1861年に来日しています。

「幕末日本探訪記」ロバート・フォーチュン 講談社学術文庫
著者は英国人植物学者でプラントハンターです。1860年から1861年の間、日本に滞在しています。

「一外交官の見た明治維新」アーネスト・サトウ 岩波文庫
著者は英国の外交官で通訳として活躍しました。日本語が堪能で勝海舟や薩摩藩士など多くの日本人とも親交がありました。本書は1862年から1869年の間、日本に滞在した記録です。

「絵で見る幕末日本」エメェ・アンベール 講談社学術文庫
著者はスイスの日本派遣使節団の団長として1863年から1864年に来日しています。

「シュリーマン旅行記 清国・日本」H・シュリーマン 講談社学術文庫
著者はトロイの遺跡を発掘したあのシュリーマンです。1865年6月1日から7月4日の間、日本に滞在しています。

「江戸幕末滞在記」E・スエンソン 講談社学術文庫
著者はデンマーク人ですが、フランス海軍の士官として来日しました。1866年から1867年の間、日本に滞在しています。

保養地
ヨーロッパから熱帯のアジアに派遣されて来た人たちは、気候が良く景色の美しい日本を保養地として考えていたようです。英国公使のオールコックは長崎の風景を見て次のように言っています。

「インドや中国で病弱になった人びとは、このような場所を見たならば、それら二国はもちろんのこと、喜望峰以東にはまったくないような保養地向きの土地だと思うことであろう」(大君の都)

スイス人のアンベールも避暑地として日本を推薦しています。

「熱帯の気候やシナにおける仕事の繁忙に疲れているヨーロッパ人たちは、日本に来て清新な空気を吸い、内海の海岸で数週間を過ごすことを歓迎するだろうし、ヨーロッパの婦女子も、イタリアのいかなる避暑地にも劣らないこの国の穏やかな気候のなかで、猛暑の数ヶ月をおくる幸福な可能性を持つことになるだろう。」(絵で見る幕末日本)

実際にフランス軍士官のスエンソンは療養のためベトナムから日本へ転地しています。

「不健康な気候のサイゴンに長居したため身体をこわし、医者からもできるだけ早く滞在地を変えるように忠告を受けていた私は、コーチシナ(ベトナム)の焼け付くような太陽とドナイ河の毒々しい悪臭が、日本の森の木陰と爽やかな潮風と入れ換わってくれるよう、全身全霊で願っていたのだ。」(江戸幕末滞在記)

「黄浦江西岸の低湿地帯に位置する上海の7、8月は、その不健康さ加減においてサイゴンに匹敵する。この季節、コレラや日射病、悪性熱病などで何百人もが死亡するため、1、2ヶ月間商売を休める欧米人は競って同地を逃れ、近くの日本の海岸で、さほど暑くない太陽の下、微笑をたたえた田園の風景に囲まれて健康と体力の回復にいそしむのだった。」(江戸幕末滞在記)

「祖国と家族から遠く離れて使命を果たすのが普通である英仏の軍人は、この美しい国日本、陽気で親切な住民に交じって暮らすのが幸せで十分に満足している。日本の和やかな空の下、微笑む自然の懐に包まれて、彼らは重労働を忘れ、厳しい船員生活と不健康な熱帯の気候がもたらした数々の病や傷を癒しているのである。」(江戸幕末滞在記)

夢の国
気候が良く景色が美しい日本は、単に保養地としてだけでなく、まるで一種のユートピアとして夢のような国として評価されています。

英国公使のオールコックはスエーデンの医師トゥーベリの著作を引用して、次のように評価しています。

「ヨーロッパ人がもっとも驚嘆するのは、最後の二つであるはずだ。非常に多くの宗派が協調し合って共存している。イギリス本国よりも大きくはなく、しかもそれと大体同じような地理的位置にある一群の島々に住んでいる約3000万人の国民が、飢えと欠乏をほとんど知らぬ。ここでは土地の表面は、全面的に、たいていの山や丘はその頂上にいたるまで、耕されている。」(大君の都)

海軍伝習所の教官として長崎に暮らしたカッテンディーケは、まるで長崎に恋でもしたかのように熱い想いを書いています。

「私は馬でだんだん遠くまで乗り出せるようになって以来、四囲の情勢が変わりさえすれば、こんな美しい国で一生を終わりたいと何遍思ったことか。例えば二本木、浦上、北華山、金毘羅、蜜柑山、三角などの場所の名は一生忘れることはできない。これらの地に住む人々こそ、地球上最大の幸福者であるとさえ思われた。」(長崎海軍伝習所の日々)

「私はこのシナ滞在中でも、ああ日本は聖なる国だと幾度思ったことか。日本は国も住民も、シナに比べればどんなに良いか知れない。だから、無事に長崎番所付近に上陸して、菜種咲く畔(あぜ)を横切り、山を越え、谷を渡って、幾町かを歩み、再び出島に帰り着いたその節は、本当に幸せだと感じた。」(長崎海軍伝習所の日々)

「これから何度となく、あの美しい長崎市の付近の光景を思い浮かべることであろう。あの千姿万容の景色を現わす山や谷、そうして自然美というものを初めて知ったあの美しい山や谷は、私の永遠に忘れることのできないものである。私は心の中でどうか今一度ここに来て、この美しい国を見る幸運にめぐり合わしたいものだと窃(ひそか)に希った。」(長崎海軍伝習所の日々)

英国外交官のアーネスト・サトウは多少の妄想も交えて日本への想いを書いています。

「その国では、空がいつも青く太陽が絶え間なく輝いている。岩石の築山のある小さな庭に面し、障子を開けばすぐに地面へおりられる座敷に寝そべりながら、ばら色の唇と黒い瞳のしとやかな乙女たちにかしずかれることだけが男の勤めであるといったような、つまり、この世ながらのお伽の国。だが、天の恵んだこの幸福な島国を訪れる機会がやってこようとは、夢にも思わなかったのである。」 (一外交官の見た明治維新)

トロイの遺跡で有名な、あのシュリーマンは世界旅行の過程で日本に立ち寄っています。

「これまで方々の国でいろいろな旅行者に出会ったが、彼らはみな感激しきった面持ちで日本について語ってくれた。私はかねてから、この国を訪れたいという思いに身を焦がしていたのである。」(シュリーマン旅行記 清国・日本)

スイス通商調査派遣隊の隊長として来日したルドルフ・リンダウは江戸の平和な風景を描写しています。

「そこでは全てが安寧と平和を呼吸していた。村々も、豊かな作物に覆われた広大な平野も、野良仕事に携わっている農夫たちも、である。
時折、我々は緩い坂道の低い丘をいくつかよじ登ると、そのいただきから魅惑的な全景が見渡せるのであった。
水平線のはるか彼方に、さながら空のような碧い海が広がり、無数の漁船が行き交っていた。そして、その小舟の四角い大きな帆が、波の上を速く滑っていくのが見られた。
足下には緑に萌える田圃が岸辺まで続き、素晴らしい庭園のごときものを造っていた。
樹齢何百年もの木の茂みが、大きな屋根の幻想的な建て方の、小さな畑を控えた古いお寺を包んでいた。そして、紙と木で作られた白い障子が濃い緑を通して楽しげに輝いていた。
暖かいそよ風が我々に花々の香りを運び、滲み透る静けさが我々の周りを支配していた。全てが休息を招いていた。今まで私はこれほどまでに自然のさなかに生きる人間の幸せを感じたことはなかった。」(スイス領事の見た幕末日本)

横浜の居留地
幕末に日本が開港すると多くの外国人が来日しましたが、彼らがおもに住んでいたのが横浜です。この横浜は貿易や外交の拠点となっていました。

「海から見ると横浜は完全にヨーロッパの町である。小さな庭と花壇に囲まれた美しい住宅の列がこちらの丘から向こうの丘まで続いている。そして、その前を住民お気に入りの幅広い遊歩道が走り、海に出る所が石を積んだ突堤で固められている。外国領事館の建物の大半は国旗でその位置が知られる。領事が居る時にはいつもマストほどもある高い旗竿のてっぺんで、お国の色の旗が天まで届けとばかり高々と掲げられてはためいている。」(江戸幕末滞在記)

「ヨーロッパ人地区はおよそ250人の居住者を数えるが、大部分はイギリス人である。そこには大きな、幅の広い、手入れの行き届いた一直線の道路が走っている。住居は西欧風と日本風の興味深い折衷を示している。それらは、概して便利で空間が多く換気もよく、二階を取りまくベランダが備えられており、白と黒の瓦を葺いた大きな屋根があり、江戸湾の海岸を何度荒らしまくる大暴風雨である台風の圧力に耐えうるためにかなり頑丈に建てられている。」(スイス領事の見た幕末日本)

江戸の公使館
多くの国は江戸に公使館を開設していました。日本を訪れた外国人は、これらの公使館を拠点にして江戸やその近郊を探訪しています。

「イギリス公使館は東禅寺にある。品川の近く、大きな街道である東海道に面し、海岸に位置しているので行きやすい。公使とその取り巻きの人々は、木陰になり石の敷いてある並木道の端にある僧侶の住居に使われていた棟に住んでいる。」(スイス領事の見た幕末日本)

「済海寺はフランスの公使館であるが、東海道に並行した道筋の高台にある。そこから江戸湾の素晴らしい眺めが楽しめる。オランダ総領事は江戸に滞在中は、長応寺と呼ばれている小さなお寺に住んでいる。ここは、かなり貧相な界隈でイギリス公使館とフランス公使館との間に 位置している。」(スイス領事の見た幕末日本)

「(アメリカ公使館の)善福寺は江戸の内部にあり、東禅寺から3キロ、済海寺から2キロの所に位置している寺である。それは、その昔、ある大きな寺で働いている僧侶たちの住居であった。周りの公園は手入れが良くないが、広く美しい木立がたくさん植えられていた。」(スイス領事の見た幕末日本)

英国公使館 東禅寺
英国公使のオールコックは木立に囲まれ美しい庭園があり更に江戸湾への眺望が良いこの場所が気に入っていたようです。

「東海道を曲がって、入口の門を入ると杉と松の木が生えている長い並木道がある。そこを通って、堂々たる二階建ての第二の門をくぐり、蓮池のある空き地をすぎると両側に植えこみがあり、最後に右手の入口を入ってもう一つの庭を通過すると、我々の想像どおりに美しい日本の庭園や、土地の一つの列に面して立派な建物がある。
そのすぐ前に芝生があって池の彼方まで続いており、池には丸木橋が架かっていた。そして、この橋の向こうには、棕櫚の木やツツジや、短く刈り込まれて円い丘のようになっている大きな灌木の茂みがあり、その後ろには、立派ないろいろな日本の木や、樫や楓などの木からなる見事な林の衝立(ついたて)がある。また、池の向こう側にいたる丸木橋の突き当たりには、棕櫚の木や竹が点在しており、整枝された梅の老木も見うけられた。
右手の方は、傾斜の急な土手によって景色がさえぎられているが、その土手にも種々雑多な花の咲く灌木や笹が生い茂り、林の衝立(ついたて)以上に見事である。ここを通っている小道をたどってゆくとジグザグの階段があり、それを登りつめると、りっぱな並木道に出て、ひろい高台にたどりつく。
そこは、よく展望がきいて、湾全体と下の市街の一部がまるで手に取るように眺められる。遠景は、さながら群衆をえがいた一幅の絵のようであって、50フィートから100フィートぐらいの高さの松の枝や幹が、青空高く塔のようにそびえたっている。かりに日本が流刑地だという見方をするとすれば、これほど美しい草庵を選べたことは幸いといわざるをえない。」(大君の都)

オランダ領事館 長応寺
スイス使節としてオランダ領事館である長応寺に滞在したスイス人のアンベールは美しいこの寺の光景を描写しています。

「この小さな空き寺は他の寺に囲まれており、しかも他の寺も大部分は空き家だったので、大都市の騒々しい市街が近いにもかかわらず田舎のように閑静であった。東海道の方からこの寺に入る道は石段になっていて、入り口には大きな黒い門があった。」(絵で見る幕末日本)

「菖蒲や羊草が茂っている池が屋敷の中央にあって、隣の岩窟から流れ出る水が注いでいる。岩窟のあたりは緑に包まれていて、現在にいたるまでその面目を保っている古い石地蔵が立っており、小さな祭壇と鳥居がある。細い道が、流れを木橋で渡って樹木や石の間を通り住居の上手にある垣根の方に続いている。」(絵で見る幕末日本)

「ここは松の木陰になっていて石の腰掛が置いてあり、そこから寺の庭や建物ばかりでなく、その向こうに港や港を守る堡塁も見下ろすことができる。太陽が沈む頃、これらのすべてが美しい風景を構成する。空と入江が鮮明な色に映え、丘陵の緑が瞬間的な閃きで覆われ、池が紫紅色の彩りを呈してくる。やがて暮色が次第に濃くなり、多数の海の鳥がねぐらの方へ飛び去って行く。緑の集団が銀色の水平線上に黒い斑点となって横たわり、鏡のような水面に振動する星の光が反映する。」(絵で見る幕末日本)

首都江戸
当時の実際上の首都であった江戸は、広大な庭園のような美しい都市として外国人を魅了しています。

「江戸は不思議な所で、常に外来人の目を引き付ける特有のものを持っている。江戸は東洋における大都市で、城は深い堀、緑の堤防、諸侯の邸宅、広い街路などに囲まれている。美しい湾は、いつもある程度の興味で眺められる。城に近い丘から展望した風景は、ヨーロッパや諸外国のどの都市と比較しても優るとも劣りはしないだろう。それらの谷間や樹木の茂る丘、亭々とした木々で縁取られた静かな道や常緑樹の生垣などの美しさは、世界のどこの都市も及ばないであろう。」(幕末日本探訪記)

「江戸には立派な公共建築物こそないが、町は海岸に臨み、それに沿って諸大名の遊園地が幾つもあった。城は素晴らしく大きな濠をめぐらして、巨大な石を積み重ねた堂々たる城壁を構えていた。絵のように美しい松並木が日陰を作っており、市内にも田舎びた所が多く、すべてが偉大という印象を与えていた。城が広大なうえに、役宅の数が多く、きれいに砂利を敷きつめた幅の広い立派な道路が交差していて、江戸の町の面積はとても広大なものであった。しかし、商業地域の点では大坂のそれよりも実際せまかったのであるが。」(一外交官の見た明治維新)

「喜望峰以東では、ここほど良い風土に恵まれている国はない。首都それ自体は、周囲が約20マイルの広さで、人口も約200万である。だが、この首都にはヨーロッパのいかなる首都も自慢できないような優れた点がある。それは、ここが乗馬するのに非常に魅力的な土地だということである。その都心から出発するとしても、どの方向に進んでも木の生い茂った丘があり、常緑の植物や大きな木で縁取られた、にこやかな谷間や木陰の小道がある。しかも、市内でさえも特に官庁街の城壁沿いの道路や、そこから田舎の方向に向かって走っている多くの道路や並木道には、広々とした緑の斜面とか、寺の庭園とか、樹木のよく茂った公園とかがあって目を楽しませてくれる。このように、市内でも楽しむことができるような都市は他にない。どの方向に進んでみても、郊外に出るとすぐに美しい、さっぱりした風景を目にすることができる。この風景に太刀打ちできるのは、イングランド地方の生垣の灌木の列の美しさぐらいのものであろう。」(大君の都)

「イギリス本国を別として、これほど緑にみちみち、これほど庭園のような場所、これほど静かな美にあふれた所はない。その国土は、豊かな森林を持ち、美しい杉の巨木が生い茂り、土壌はたいへん肥えている。」(大君の都)

「これほど土地が肥えて、観賞用の樹木が見事に生育し、木の葉が豊かで変化に富み、生垣・木陰の細道・庭園・寺院の無数の遊園地などの手入れがきちんと行き届いている所は、イギリス本国を除いては何処にもない。」(大君の都)

「木陰の細道やこぎれいな生垣、ここかしこに散在する木の生い茂った丘陵や耕された谷間などが見受けられる。これらのものがあるために、江戸の近郊の風景は、周囲の景色の調和を損ねることなしに、イングランドへそっくりそのまま移しかえることができるほど美しい。」(大君の都)

「この都会の置かれている地勢はたいへん恵まれている。ヨーロッパの大都会よりも遥かに広がりが大きいこの首都は、美しい空をいだき、柔らかな起伏の大地の上に築かれ、緩やかな曲線の素晴らしい湾のほとりに位置している。数多くの公園や庭園がこの江戸を覆い尽くしているので、遠くから見ると無限に広がるひとつの公園の感を与えてくれる。いたる所に林として並木として植えられた木立に気付く。その茂った葉は、慎ましい商家の佇まいを包み隠してしまっており、見えるのは寺院と多くの大名屋敷だけであった。」(スイス領事の見た幕末日本)

「遠く西の方に箱根の高い山々の稜線が走っており、その上に孤独な例えようのないほど美しい富士山のいただきが浮かんで見えるのである。」(スイス領事の見た幕末日本)

「江戸は庭園の町である。それはどこまでも際限のない、海に洗われ、大きな河に横切られ、多くの別荘で飾られた町である。いくつかの界隈には規則的な通りをつくっている家々の途切れることのない連続が見られる。しかし、目を移すたびに寺院や庭園や屋敷が町並みの統一性を壊しにやってきて、江戸を世界でもっとも個性的なものにしており、初めて見たとき旅行者にもっとも強くもっとも心地よい驚きを生み出させる、あの特異な様相をつくりだしているのである。」(スイス領事の見た幕末日本)

愛宕山からの江戸の景色
「ここから眺めた江戸湾や、その波が打ち寄せる都市の景色は、ほかでは絶対に得られないような美しくて素晴らしいものである。突如として旅行者の目前にひらけた一幅の絵は、まことに印象的であった。」(大君の都)

「大君(将軍)の首都は、冬でも景色が美しい。ここは、広い谷間のふところにいだかれていて、緑の森に取り囲まれ、緩やかな坂をなして傾斜している起伏の多い丘陵を頭にいただき、太平洋が怒涛をそそぎこもうとしている湾の先端までも裾を延している。その沖合には、一連の火山島があるし、また両側は、新緑の岬になっている。」(大君の都)

「低い土地にある田は黒く見えるが、これは冬季休作のためだ。しかし、三月ともなれば高い土地は一面に若草色の伸びた小麦で覆われる。黄金色の菜種の花も、人目を引く。そして、いたるところに熟練した農業労働と富を示す明らかな徴候を見かける。丘は一年中のいずれの季節にも、変化にとんだ新鮮で美しい衣をまとっている。この丘は、たくさんの屈曲した谷で断続しながら、江戸の周囲を三方から遠巻きに取り囲んでいる。」(大君の都)

幕末の日本2

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2014.11.24 野沢 清 kiyoshi_nozawa@yahoo.co.jp