幕末の日本7

日本の食材
日本人は肉を食べないので外国人は食料調達には苦労していたようです。また、日本には外国人が褒めるような果物はなかったようです。
果物
「神奈川と横浜の市場に、新鮮な胡瓜や茄子、2、3種の旬の豆類やフランス豆の一級品があった。日本の夏の果物は数も少なく品種も劣っている。初夏には野生の木苺と枇杷がある。少し遅れて2種類の梅や貧弱な李(すもも)、杏子(あんず)、真桑瓜(まくわうり)が出る。概して日本の夏の果物はイギリスで栽培したものよりひどく劣っている。」(幕末日本探訪記)
食糧と家畜
「卵は豊富であるのに、鶏肉はひじょうに欠乏している」
「国内に羊は一匹もいない」
「我々が手にいれることができた唯一の見本はじつにひどい牛肉で、なめし皮にしか適さないようなしろものであった」
「長崎では魚だけは豊富だし、種類も多い」(大君の都)
肉屋
日本人は一般に肉食はしませんでしたが、薬食いと称して野生の鹿や猪の肉を食べていたそうです。こうした肉は「ももんじ屋」と呼ばれる店で売られていました。豚肉は肉屋でたくさん売っていたと下記にありますが猪の肉のことかもしれません。
「通りすがりに肉屋(ももんじ屋)も目にとまった。これは日本人が野菜や魚だけを常食にしていないことを表している。しかし実際には日本人は、我々がするように牡牛を殺したり食べたりしないから、それらの店では牛肉は目に入らなかった。それに日本では羊を見かけなかったから、もちろん羊肉も見ることができなかった。だが、鹿の肉はどこにもあった。」(幕末日本探訪記)
「たまに一頭の駄馬や牡牛を見かけるが、それらは荷物運びに使われるに過ぎない。豚には時々出くわすが、たいてい眼に触れない裏庭で飼育されている。しかし、豚肉は肉屋ではたくさん売っている。山羊や羊は日本にはいないらしい。」(幕末日本探訪記)

日本の馬
この当時においては馬に乗れるのは身分のある侍だけでした。その他では、馬車はなく、農耕にも馬は使われてなかったようです。 また、馬に関する習慣も西欧とは違っていたので、外国人は戸惑ったようです。
馬の藁沓
「日本人は馬に蹄鉄を打たず藁沓(わらぐつ)を履かせるが、この藁沓は一日ともたないので捨てて新しいのと替えなければならない。このため、遠くへ行く時には多くの藁沓が必要になる。同じように歩行者も藁で作った草履を新しいのと替えるため、日本の道路は人や馬の足の保護に奉仕した藁屑が散らばっている。(絵で見る幕末日本)
馬丁(別当)
「馬丁ないし下僕は、たえず主人に付き添っており、主人がどんなに速く進んでも必ずそれに歩調を合わせて付いて行く。なかには、風かハヤブサのように速く走る驚くべき脚力を持っている者もいる。」(大君の都)
「私の馬丁にも、馬のそばに付き添って、楽々と一気に3リーグ(約15Km)も、4リーグ(約20Km)も走る者が2、3人はいたものだ。今では、外国人に仕えて太りすぎてのろまになってしまったからだめだが、かつてはよく走ったものだ。」(大君の都)
「主人を乗せて走る馬の前になり後ろになりして脇を走りながら、何マイルでもついてくる。疲れるどころか息も乱さない。」(江戸幕末滞在記)
「主人のいない時に別当が馬に乗ったりすることはまずない。日本では上流階級の人間にしか乗馬は許されていない。」(江戸幕末滞在記)
馬の習慣
「どの馬もみな仕切りから頭をこちらへ向けて立っているではないか。西欧の馬小屋とは正反対である。」
「例えば日本人は必ず右側から馬に乗るが、これなど我々にはぶきっちょに見えて仕方ないのである。」(江戸幕末滞在記)
乗馬
「日本では馬を疾駆させることは、野卑で下品だということになっているので、日本人が猛烈な速さで馬を走らせるのは、普通は酔っぱらった時か、いたずらされた時かのいずれかであり、さもなければ文句なしに大君(将軍)の急用を意味する。」(大君の都)
「たまには急用に行く官吏が、よろよろと馬を走らせる。人も馬もこういう速さには慣れてないので、どう見てもその走り方は、そのいずれにとっても危なっかしく見える。」(大君の都)
「乗馬の上手な日本人は稀である。社会的地位が高くなればなるほど動作はより緩慢でより威厳を保っていなければならないという迷信によるものとしか思えない。地位ある人間の威厳と、乗馬で速足や駆足をしたりして忙しそうにすることがどうしても結びつかないというわけである。」(江戸幕末滞在記)
薩摩の馬
「私は一頭のすこぶる大きな美しい種馬を見つけ、値段を尋ねたら蘭貨の約百ギルダーを請求してきた。私はそれが欲しくてついに買ってはみたが、よく考えてみれば船はすでにほとんど満杯状態になっている。」
「日本には優良種の馬がいる。日本馬はオランダ馬より小さくて一般に頭が大き過ぎ、その上に日本人は手荒に扱うのでみすぼらしく見える。乗馬を飼いたいと思えば、自分で一生懸命仕込まねばならぬ。」
「馬には蹄鉄をはめないで人間と同じように草鞋を履かしてあるから、速く走らせれば乗り手が転落する危険があるのは言うまでもない。」(長崎海軍伝習所の日々)
天草の農耕馬
「農耕に馬を使っているのは、ここで初めて見た。しかし激しい仕事をさせられているその小馬は見ただけで憐れだ。しかもそれは純粋の日本種と思われる美しい小馬である。日本人のやり方がすべて馬を台なしにしてしまうのは実に残念なことだ。」(長崎海軍伝習所の日々)

公共交通機関
江戸時代に馬車はなかったようです。下記に荷馬車とありますが、何かの間違いかもしれません。また、人力車は明治になってから現れた乗り物です。
馬車
「公共の馬車はない。いや、そもそもどんな種類の馬車もない。あるのは、ただ牛が引く天皇の車と、人の肩に乗せて運ぶ普通の旅行用のまったく面倒なものだけである。(駕籠?)」(大君の都)
「ガラクタを積んだ荷馬車。この二輪馬車は江戸市中や郊外のいたる所で多方面に用いられていた。しかし、田舎では出会わなかった。」(幕末日本探訪記)
人力車
「関と桑名との間の平地では、ロンドンの街路を果物の呼び売りして歩く行商人の荷車の格好をした、それも驢馬ではなく人間が引く小型で無蓋の乗合車に人が乗っているのを見た。1869年に流行りだした人力車の先駆をなすこの小型の乗り物には大人が6人ほど乗っていたのである。自分の威厳ということにあまりに無頓着なワーグマンは、この車に乗ると言いだした。そして、冨田から桑名まで少なくとも5マイルの道程を天保銭3枚すなわち2ペンス半で乗り通した。」(一外交官の見た明治維新)

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2014.11.26 野沢 清 kiyoshi_nozawa@yahoo.co.jp