幕末の日本9

清潔で簡素な日本
今でも来日した外国人は日本の清潔さに驚くようですが、これは昔からのことです。また、この当時の西欧人は簡素さを好む日本人の美的センスにも言及しています。そして贅沢をしない簡素な生活に驚いています。
清潔
「一般に日本人は清潔な国民で、人目を恐れずたびたび体を洗い、身に着けているものはわずかで、風通しのよい家に住み、その家は広くて風通しのよい街路に面し、そしてその街路には不快なものは何物も置くことを許されない。」(大君の都)
「すべて清潔ということにかけては、日本人は他の東洋民族より大いに優っており、特に中国人には優っている。中国人の街路といえば、見る目と嗅ぐ鼻を持っている人なら誰でも悪寒を感じないわけにはゆかない。」(大君の都)
「彼らはきっときれい好きな国民であるに違いない。このことは、我々がどんなことを言い、あるいはどんなことを考えても、彼らの偉大な長所だと思う。」(大君の都)
「日本の住宅はおしなべて清潔さのお手本となるだろう。床は一般に道路から30センチほど上がったところにあって、長さ2メートル、幅1メートルの美しい竹製のござ(畳)で覆われている。」(シュリーマン旅行記 清国・日本)
眼病とシラクモ
英国大使オールコックは大坂から江戸への旅行中に気づいたこととして眼病とシラクモについて書いています。
「眼病を患っている人がたくさん目についた。盲人も珍しくなかった。そしてたいていの子供はシラクモ頭だ。この病気はほこりと多少関係があるものと医者は普通考えている。たしかに子供たちは、何度も体を洗っているにちがいないだろうが汚く見える。だが実を言うと、日本の下層階級の人々は、男も女も一緒になって群がり、眠り、入浴するので、接触感染をする病気があると必ず蔓延するのである。彼らには非常に頑固な疥癬がある。長崎のポンペ博士の言によると、この病気は普通のヨーロッパの治療法では治らないそうである。」(大君の都)
日本の家屋
「あらゆる方面で発達している日本人の美的センスは、どんな種類の塗料、ラッカーよりも白木の自然の色を好むのである。新しい家は障子紙と白さを競い合い、古い家は樫の木のような艶をおびて、こちらも捨てがたい。外観も内部も、日本の家は人形の家のようで店で売っている小さくて洒落たスイスの田舎屋を思わせる。長靴で汚してしまいはしないか、重い体で潰しはしないか、頭をぶつけて家を壊してしまいはしないかと心配で入るのがためらわれる。」(江幕末滞在記)
「日本の家屋の床には一面に厚さが1インチほどの竹の皮のマット(畳)が敷いてあり、その清潔さ、その白さは壁や窓に劣らない。質に違いこそあれ、その大きさと形は大君の城でも日雇いの小屋でもまったく異なることがなく一定しており、そのために、このマットは長さを測る尺度として使われる。例えば、ある部屋なり家は、長さが何マットで幅が何マットというように。」(江幕末滞在記)
「日本人の家庭生活はほとんど何時でも戸を開け広げたままで展開される。寒さのために家中閉め切らざるを得ない時は除いて、戸も窓も風通しを良くするために全開される。通りすがりの者が好奇心の目を向けようとも、それを遮るものは何ひとつない。日常生活の細部にいたるまで観察の対象にならないものはなく、というよりむしろ、日本人は何ひとつ隠そうとせず、持ち前の天真爛漫さでもって欧米人ならできるだけ人の目を避けようとする行為さえ、他人の目にさらしてはばからない。どこかの家の前で朝から晩まで立ち尽くしていれば、その中に住んでいる家族の暮らしぶりを正確につかむことができる。」(江幕末滞在記)
簡素な生活
「住民のあいだには、贅沢にふけるとか富を誇示するような余裕はほとんどないとしても、飢餓や困窮の徴候は見受けられない。彼らの生活習慣は、明らかにきわめて単純だ。」
「彼らの全生活におよんでいるように思えるこのスパルタ的な習慣の簡素さのなかには、称賛すべき何物かがある。」
「農民は、一日の労働を終えると、いつも熱い風呂に入るという贅沢さと、さらにもっと贅沢な洗髪とマッサージを期待することができる。」(大君の都)
「日本の家屋の内部は大変簡素である。厳格な清潔さが、その主要な装飾なのである。部屋は天井が低く、それぞれ移動可能な枠で仕切られているが、その移動は部屋の配置を思い通りに変えるのに十分である。これらの部屋のそれぞれは熱いむしろ(畳)が敷かれている。しかし、その部屋に備え付けの椅子、机、箪笥、寝台といった我々の国で日常使われる家具は何ひとつ見られない。」(スイス領事の見た幕末日本)
「まったく何もない広間は、昼間は事務所、客間、食堂を兼ね、夜になると寝室に変わるのである。この生活方法はごく当たり前のことであるが、日本人の住居の過度の清潔さを説明してくれる。」(スイス領事の見た幕末日本)
「ヨーロッパでは食器戸棚、婦人用衣装箪笥や男性用の洋服箪笥、ヘッドボードにテーブル、椅子、それに諸々の最小限必要とされる家具類の豪華さを隣人たちと競い合う。だから、多少とも広い住宅、幾人もの召使、調度品を揃えるための資産が必要だし、年間の莫大な出費がどうしても必要となる。」(シュリーマン旅行記 清国・日本)
「ところが日本に来て、私はヨーロッパで必要不可欠だとみなされていた物の大部分は、元々あったものではなく文明が作りだしたものであることに気が付いた。寝室を満たしている豪華な家具など、ちっとも必要でないし、それらが便利だと思うのはただ慣れ親しんでいるからに過ぎないこと、それら抜きでも十分やっていけるのだと分かったのである。もし、正座に慣れたら、つまり椅子やテーブル、長椅子、あるいはベッドとして、この美しいござ(畳)を用いることに慣れることができたら、今と同じくらい快適に生活できるだろう。」 (シュリーマン旅行記 清国・日本)
「日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、奢侈贅沢に執着心を持たないことであって、非常に高貴な人々の館ですら簡素かつ単純きわまるものである。すなわち大広間にも備え付けの椅子、机、書棚などの備品がひとつもない。江戸城内には多数の人間がいるが、彼らは皆静粛を旨とし城内は森閑としている。これはヨーロッパの宮廷にて見かける雑踏の騒音とは、まさに対蹠的な印象を受ける。幕臣たちは、皆堂々たる式服に身を固め、壁を背にして将軍の傍らに床上に端座している。」(長崎海軍伝習所の日々)
節約
「節約ということもちゃんと重んじられている。空になった贈り物の箱を回収する人間がいつも見られることからわかる通りだ。彼らは空の箱を買い集めて背負っている。」(大君の都)
「多くの家に「諸事節約」と漢字で書いた貼紙がしてあった。この簡潔な文句は家の家族や奉公人が交際上の遊興その他の不必要な出費を誓ってやめるという意味に受け取れた。」(一外交官の見た明治維新)

礼儀正しい国民
礼儀正しさも今に伝わる日本人の特性かもしれません。今では田舎のお年寄しかしないような丁寧なお辞儀は、この当時では当り前でした。
礼儀
「日本人は世界中のどこの紳士にも劣らぬほど完全な紳士だと言われている。」
「きわめて入念に刺青をした者でさえも、はだ着をつけ、身体をまんざら不格好でもない程度に低くかがめて近寄って来て、こちらの用件を聞いている時には、そのしぐさと表情には穏やかさと人の心をとらえずにはおかぬ鄭重さが現れている。そういうことは、西洋人にはとても考えられそうにないことであろう。それは、生得のものであれ、後に習得したものであれ、いずれにしても彼らに完全に身についているのだ。」
「上流階級の人々は、まったく冷静で自制心を持ち物腰は穏やかで、目下の者や召し使いに向かってさえ、常に柔らかい調子でものを言う。」(大君の都)
「日本人はもっとも礼儀正しい国民である。」
「知り合い同士の二人が路上で出会ったりすると形式ばった礼儀の交換を何分間も行う。身分の同じ人々の間の挨拶は、頭と背中と腰を折り曲げて何度も前に屈む動作をして行なわれる。その度に両手が太腿の部分を上下にこする。そして噛み合わされた歯の間から丁寧すぎるほどの言葉が数多く紡ぎ出される。この喜劇が終わってからやっと出くわした二人はお互いの目を自由に覗き込み、おもむろに会話を始めるのである。」(江戸幕末滞在記)
お辞儀
英国外交官のアーネスト・サトウは「府中の侍の子弟の公立学校」で日本式のお辞儀を試みています。
「私は靴を脱いで入口の床の上に帽子を置いてから一室へ丁寧に案内された。そこには30名ばかりの少年が床の上に正座し漢文の書物を前にして6人の教師の監督の元に、先輩生徒の暗誦する後からこれを復唱していた。私は立ったままでお辞儀をしたが、意外にも誰一人として、私のお辞儀に応えた者がいなかった。日本の礼儀作法を知らなかったために、私は皆に無礼と思われるような態度を取っていたのだ。護衛(の役人)の一人に注意されて、私は初めて自分の至らぬことに気が付き、直ぐに座ってお辞儀をし直した。すると教師たちもこれに応えて本式に頭を床へくっつけながらお辞儀を返したのである。」(一外交官の見た明治維新)
日本人の礼儀
「こうした日本の役人(外国奉行)の多くは、ずいぶん質素な暮らしをしていた。饗応の部屋は、きまって二階にあった。おそらく縦と横が12フィートに15フィート以上のものではなかったのだが、部屋には家具らしいものが置いていないので、席にゆとりは十分にあった。先方の家に着くと、まずきわめて細い階段を上って、狭い入口から部屋へ通される。私たちはすぐに座る。主人に向かって頭を畳に付くまで下げると主人も同じようにして礼を返す。それから、先方は、私たちを部屋の上座に着かせようと骨を折るが、こちらは、ここで結構ですと辞退し、しばらくは礼儀の競争が続けられる。もちろん、私は、その結果上席すなわち部屋のもっとも奥まった床の間の前に座らされるのだが、野口(従僕)は初めから敷居のすぐ内側に座ったままでいる。」(一外交官の見た明治維新)

親切で陽気な日本人
外国でも庶民は旅行者に対して親切なものだが、日本でも、この当時から庶民は親切で陽気だったようです。また、フランス軍士官のスエンソンは、陽気で幸せそうな下層階級の一家団欒を活写しています。
親切な下層階級
「沿岸地帯に住んでいる善良な人たちは、私に親愛を込めた挨拶を交わし、子供たちは真珠の貝を持って来るし、女たちは籠の中にたくさん放り込んでいる奇妙な形をした怪物をどのように料理すればよいかを、できるだけよく説明しようと一生懸命になっている。親切で愛想の良いことは、日本の下層階級全体の特性である。」
「私は、よく長崎や横浜の郊外を歩き回って、農村の人々に招かれその庭先に立ち寄って庭に咲いている花を見せてもらったことがあった。そして、私がその花を気に入ったとみると、彼らは一番美しいところを切り取って束にし、私に勧めるのである。私がその代わりに金を出そうといくら努力しても無駄であった。彼らは金を受け取らなかったばかりか、私を家族のいる部屋に連れ込んで、お茶や米で作った餅をご馳走しないかぎり、私を放免しようとはしなかった。」(絵で見る幕末日本)
長崎の農家
「私はよく一人でピクニックと洒落て遠出の遠足をしたが、彼らに近づきになりたい気持ちが湧いて立ち寄るたびに、いつも農夫たちの素晴らしい歓迎を受けたことを決して忘れないだろう。火を求めて農家の玄関先に立ち寄ると、直ちに男の子か女の子があわてて火鉢を持って来てくれるのであった。私が家の中に入るやいなや、父親は私に腰掛けるように勧め、母親は丁寧に挨拶をしてお茶を出してくれる。家族全員が私のまわりに集まり、気分を害することを用心する必要もない子供っぽい好奇心で私をじろじろ見るのであった。」
「いくつかの金属製のボタンを与えると、子供たちはすっかり喜ぶのだった。「大変ありがとう」と皆そろって何度も繰り返してお礼を言う。そしてひざまずいて可愛い頭を下げて優しく微笑むのであったが、社会の下の階層のなかでそんな態度に出会ってまったく驚いた次第である。私が遠ざかって行くと、道のはずれまで見送ってくれて、ほとんど見えなくなっても、まだ「さよなら、また明日」と私に向かって叫んでいるあの友情のこもった声が聞こえるのであった。」(スイス領事の見た幕末日本)
陽気な下層階級
「日本人の下層階級が皆そうであるように、彼らも善良で陽気。こちらからひょうきんな身振り手振りで挨拶を送ると、皆でどっと笑い、言葉を交わして制服を褒め称えるために近寄ってきた。」
「忙しい一日の仕事が終わり夜になって我々が町の通りを練り歩いていると、日本人の家族が通りに面した部屋で楽しそうに団欒しているのが目に入ってくる。我々はいつでも気楽に招じ入れられ冗談を飛ばしての談笑で時の経つのを忘れてしまう。もっとも日本語の知識は貧弱なので笑いの種になるのはたいてい我々のほうである。日本人の温厚な親切はごく自然で気持ちが良く、それだけでも彼らの他のさまざまな欠点を許してしまうことができる。」
「煙草を吹かしながら湯沸しの載った長火鉢の周りに集まると、口々から冗談が飛び交い悪意のないからかいが始まる。こうして皮肉を浴びせ合っても誰もむかっ腹を立てるようなことはない。その心持はフランス人と共通していて、フランス人の性格中とりわけ陽気さと礼儀正しさが日本人の心を捉えるのも納得できようというものである。」(江戸幕末滞在記)
笑い
「日本人ほど愉快になりやすい人種はほとんどない。良いにせよ、悪いにせよ、どんな冗談にも笑いこける。そして子供のように、笑い始めたとなると理由もなく笑い続けるのである。」(スイス領事の見た幕末日本)
愛犬の埋葬
「(愛犬の)トビイは、私の召し使いたちの間に多くの友達を持っていた。私の別当(馬丁)のかしらは、犬が死んだことを聞くとすぐに駆けつけて、籠製の経帷子に犬を包み、弔いをした。私は、宿所の経営者に木陰の美しい庭に犬を埋葬する許可を求めた。すると、彼はすぐに自らやって来て、墓を掘る手伝いをしてくれた。あらゆる階級の一団の助手たちが、あたかも彼ら自身の同族の者が死んだかのように、悲しそうな顔つきで集まってきた。犬は筵(むしろ)に包まれて、好物であった豆と一緒に墓に入れられ、注意深く北側に置かれた頭の上に常緑樹の枝が一本さしこまれた。寺の僧侶が水と線香を持ってきた。次いで、その場所を示すためのでこぼこの墓石が墓の上に置かれた。」
「私は自分が日本にいるのだということを忘れ始めていた。それほど多くの好意が示され、気まぐれの満足に対してさえもほとんどいかなる異議も申し立てられなかったのである。」(大君の都)

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2014.11.27 野沢 清 kiyoshi_nozawa@yahoo.co.jp