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ブレードランナー
映画「ブレードランナー」について
ブレードランナーは、1982年制作のリドリー・スコット監督によるSF映画。主演はハリソン・フォード。公開された当時は、たいして話題にもならなかったが、次第に熱狂的なファンが増えカルト的な人気を集めている映画です。
舞台は酸性雨が降り続く2019年のロサンジェルス。地球外惑星での奴隷労働のために開発されたレプリカントと呼ばれる人造人間6名が植民地の惑星を脱出し、地球に侵入。主人公のデッカードは脱出した人造人間を始末する警察の「ブレードランナー・ユニット」の元捜査官で賞金稼ぎです。デッカードは元上司に頼まれレプリカントの始末を依頼されます。このレプリカントは、危険な植民地での労働に耐えうるよう卓越した身体能力を持ったネクサス6と呼ばれる最新型の人造人間です。彼らが地球に侵入した目的は、自分たちを創ったタイレル社の社長に会うことです。4年しかない彼らの寿命を延ばしてもらうためです。 原作のフィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」は、どこかコメディっぽい感じがありますが、この映画の描いた未来社会は、陰鬱で希望のないものです。結末も悲劇的です。今まで見たこともなかった暗い未来社会イメージの影響は、SF的・おたく的な一部の熱狂的ファンに留まりませんでした。某社のPR誌「プリンキピア」創刊号で、ある建築家が、この映画を取りあげています。都市の景観を考えることも建築家の仕事ですので、当然といえば当然です。 でも、この映画の魅力は、あまり語られることのない、そのテーマの深さにあると思います。
映画「ブレードランナー」のテーマ
この映画では日本の「謡」が印象的に使われています。先行する映画では、鬼才ピエロ・パオロ・パゾリーニ監督の「王女メディア」でイアソンが金の羊毛皮を持ってメディアと逃げるシーンで「謡」が使われています。そうです、ブレードランナーもギリシャ悲劇(ギリシャ神話)を基にした映画だったのです。
レプリカントを製造したタイレル社のマヤの神殿を思わせる巨大なビルの主タイレルは、レプリカントを創った父です。脱走レプリカント首領のロイは、タイレルに会い寿命を延ばすことを要求しますが、タイレルは理論的に無理であることを説きます。ここでタイレルは、ロイのことを放蕩息子(注1)と呼びかけています。このあと、子であるロイは父親を殺してしまいます。両目を指で潰して殺します。これは、ギリシャ神話のオイディプス王の物語です。ギリシャ神話では、間違えて父王を殺したオイディプスは自分の目を潰しています。 もう一つのテーマは存在論の問題です。4年の命しかないレプリカントは思い出もなく歴史も持てません。その彼らが大事に持っていたのが「家族写真」です。擬似家族としての仲間と一緒にくつろいでいる写真です。タイレルの秘書のレイチェルも、実はレプリカントでしたが、彼女にはタイレルの姪の記憶が埋め込まれていました。レイチェルはデッカードによりレプリカントであることを見抜かれますが、彼女は自分がレプリカントであることを知りませんでした。母親と一緒に写っている写真も持っていました。幼いころの記憶も持っています。その記憶は、その写真は彼女の存在証明、アイデンティティの一部だったのです。映画の終盤で、死んだロイを前にデッカードは、次のように独白します。
彼は自分のことを知りたがった
どこから来て、どこへ行くのか 何年生きるのか 人間も同じなのだ(注.2)
神殿の主タイレルはレプリカントの創造主です。少なくともレプリカントにとっては神です。そして、その子であるロイは、神の子であるキリストの役割を担います。デッカードとの最後の戦いで、死期の近づいたロイは、動かなくなった手のひらに釘で刺激を与えようとします。磔になったキリストと同じように手のひらに釘を貫通させるのです。戦いのあと、死にいくロイはデッカードを前にして、次のように語ります。感動的なシーンです。
お前ら人間には信じられないものを俺は見てきた
オリオン座の近くで燃える宇宙船 タンホイザー・ゲートのオーロラ そういう思い出もやがて消える 時がくれば、涙のように、雨のように その時が来た(注.2)
ロイが亡くなった時、彼の手元から白い鳩が雲の晴れ間を目指して飛び立ちます。ここに、新たな神話が生まれました。(注.3)
ブレードランナーのバージョンについて
公開時すぐに、この映画を築地の映画館に見に行きました。妙に外国人客が多かったのを覚えています。直前に週刊「平凡パンチ」で、この映画の記事があり、映画美術が面白そうだったので見に行きました。残念ながら平凡パンチの写真にはあったホッケーマスクのダンスのシーンなどはありませんでした。
この映画のラストは、デッカードとレイチェルが美しい夕日の自然の風景の中を走っていく、本編中の陰鬱な雰囲気にはなかった明るいシーンでした。このシーンは、他の映画のフィルムを借用して作成されたものです。ラストが分かりにくく暗すぎるとして制作者側から強要されたようです。このシーンは、映画の熱心ファンからは不評でした。そのため、映画公開から大分たってからディレクターズ・カットとして別バージョンが公開されました。このバージョンではナレーションが消され、ユニコーン(一角獣)がでてくるデッカードの夢のシーンが追加され、最後の逃亡シーンがなくなっています。ユニコーンのシーンは、デッカードもまたレプリカントであることを示唆しているようです。脚本にはなかったようですが、監督はデッカードがレプリカントであることを意図していたようです。 しかし、今の私にとっては、この映画の主人公はルトガー・ハウアーが演ずるレプリカントの首領ロイ・バディです。デッカードがレプリカントになってしまうと、話は複雑になってしまいます。映画のオリジナルは公開時のバージョンだと思います。一般にも解りやすい公開時のバージョンを私はお薦めしたいと思います。
(参考)おもなバージョンの違い
劇場公開バージョンにあってディレクターズ・カットにない独白(ナレーション)、シーン
・すしバーの前で新聞を読んでいる時のデッカードの独白 ・スピナーで移動中のデッカードの独白 ・元上司ブライアンとの会話中のデッカードの独白 ・死んだロイを前にてのデッカードの独白 ・デッカードとレイチェルの逃亡シーン ディレクターズ・カットで追加されたシーン ・デッカードの夢に出てくるユニコーン(一角獣)のシーン
2011.1.17 野沢 清 kiyoshi_nozawa@yahoo.co.jp
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