風土記の古代史
風土記(ふどき)は各地方のことを書き記した書物で、元明朝の和銅6年(713)に朝廷に命ぜられて地方各国で作成されています。現在まで伝えられている風土記は、常陸国、出雲国、播磨国、豊後国、肥前国の5ヶ国分です。ただし、出雲国以外は完本ではないようです。
風土記には地名の由来や伝説、地方の産物などが記載されていますが、各地方で夫々に編纂されており、中央政府のフィルターがかかっていないので生の古代史をうかがわせる貴重な資料となっています。
常陸国風土記
常陸国風土記で最も活躍するのは景行天皇の息子である倭建命(やまとたけるのみこと)です。この倭建命と景行天皇の時代に常陸国が造られたと考えて良さそうです。
倭建命
倭建命は天皇にはなっていないはずですが、常陸国風土記では「倭武天皇」と表記されています。倭建命の時代には天皇という称号はなかったはずなので倭武大王(おおきみ)などと呼ばれたのだと思います。地元にとっての偉大な英雄に大王の称号を付けたのかもしれません。
倭建命を由来とする地名には次のようなものがあります。
漬(ひたち)国
乗濱(のりはま)
田餘(たまり)
行方(なめかた)郡
無梶河(かぢなしがわ)
鴨野(かもの)
當麻(たぎま)
宇流波斯(うるはし)の小野
波須武(はずむ)の野
大生(おおふ)の村
安布賀(あふか)の邑(むら)
角折(つのおれ)の濱
久慈(くじ)
遇鹿(あふか)
飽田(あきた)の村
藻島(めしま)の駅家(うまや)
また、倭建命は次のような地を巡幸しています。
槻野(つきの)の清水
現原(あらはら)の丘
屋形野(やかたの)の帳宮(とばりのみや)
藝都(きつ)の里
小抜野(をぬきの)の頓宮(かりみや)
相鹿(あふか)の丘前(をかざき)の宮
景行天皇
倭建命の父親である景行天皇も、少ないながらも常陸国に足跡を残しています。なお、景行天皇は「大足日子(おほたらしひこ)天皇」と表記されています。景行天皇の正式名称である大足彦忍代別天皇(おほたらしひこおしろわけのすめらみこと)から来ている名称です。
景行天皇由来の地名
霞(かすみ)の郷
景行天皇の巡幸地
浮島(うきしま)の帳宮(とばりのみや)
印南(いなみ)の鳥見(とみ)の丘
天皇の治世
暦のなかった日本の古代では、過去を語る時には天皇の治世によって時代を表現します。常陸国風土記には、崇神天皇から天武天皇までが登場しますが、天皇の表記はさまざまです。崇神、垂仁天皇については親しげに名前で表現していますが、成務天皇以降は天皇の宮の名前で表すことが多くなっています。
崇神天皇
美麻貴(みまき)天皇、美万貴(みまき)天皇
初国所知美麻貴天皇
斯貴瑞垣宮大八洲所馭天皇
垂仁天皇
伊久米(いくめ)天皇
倭建命
倭武天皇
成務天皇
斯我高穴穂宮大八洲照臨天皇
神功皇后
息長足日賣皇后
継体天皇
石村玉穂宮大八洲馭宇天皇
孝徳天皇
難波長柄豊前大宮臨軒天皇
難波長柄豊前大宮馭宇天皇
難波天皇
天智天皇
淡海大津の朝、淡海の世
淡海大津大朝光宅天皇
天武天皇
飛鳥浄御原大宮臨軒天皇
飛鳥浄御原天皇
飛鳥浄見原の大朝
出雲国
出雲国風土記に天皇や皇族はほとんど現れません。一番活躍するのは大国主命として知られている大穴持命(おほなもちのみこと)の一族です。次に多く現れるのは須佐能袁命(すさのおのみこと)の一族です。どうやら大和朝廷に支配される以前に出雲国はこれらの人々によって造られたようです。
また、出雲国風土記に九州や東国を征服した景行天皇などがほとんど現れないのは、出雲国が平和的に大和朝廷に服属するようになったからかもしれません。いわゆる出雲の国譲りが実際にあったのかもしれません。
八束水臣津野命
八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと)は、出雲国風土記では、よそから土地を引っ張ってきて出雲の国土を造った「国引き神話」の主人公として現れます。
また、八束水臣津野命は大穴持命の宮(出雲大社)を造ったともされています。国引き以前に大穴持命が居たのでしょうか?矛盾を感じます。後世に創作された神かも知れません。
八束水臣津野命由来の地名
八雲立つ出雲(いずも)
意宇(おう)郡
嶋根(しまね)郡
杵築(きづき)の郷
大穴持命の一族
大穴持命(おほなもちのみこと)は、出雲国風土記では「天の下造らしし大神」と書かれています。出雲国を造った神であり一般には大国主命として知られています。
大穴持命由来の地名
母理(もり)の里
拜志(はやし)の郷
宍道(ししぢ)の郷
手染(たしみ)の郷
玖潭(くたみ)の郷
宇賀(うか)の郷
朝山(あさやま)の郷
八野(やの)の郷
滑狭(なめさ)の郷
三屋(みとや)の郷
仁多(にた)郡
三處(みところ)の郷
布勢(ふせ)の郷
神原(かむはら)の郷
屋代(やしろ)の郷
屋裏(やうち)の郷
来次(きすき)の郷
城名樋(きなび)山
大穴持命と須久奈比古命(少彦名命)を由来とする地名もあります。
多禰(たね)の郷
また、大穴持命の御子とされる神を由来とする地名も多くあります。
山代(やましろ)の郷 − 山代日子命(大穴持命の御子)
美保(みほ)の郷 − 御穂須須美命(大穴持命の御子)
美談(みたみ)の郷 − 和加布都努志命(大穴持命の御子)
多伎(たき)の郷 − 阿陀加夜努志多伎吉比賣命(大穴持命の御子)
高岸(たかきし)の郷 − 阿遅須枳高日子命(大穴持命の御子)
三澤(みさわ)の郷 − 阿遅須枳高日子命(大穴持命の御子)
鹽冶(やむや)の郷 − 鹽冶毘古能命(阿遅須枳高日子命の御子)
須佐能袁命の一族
出雲国風土記では、須佐能袁命(すさのをのみこと)は須佐乃烏命、須佐乃乎命とも表記されています。
一般には、須佐乃男命と書かれることが多く天照大神の弟とされている神ですが、本当は出雲の土着の神かも知れません。判断に迷う神様です。
須佐能袁命由来の地名
安来(やすき)
須佐(すさ)の郷
佐世(させ)の郷
御室(みむろ)山
須佐能袁命の御子を由来とする地名もあります。
大草(おほくさ) − 青幡佐久佐日古命(須佐乎命の御子)
高麻(たかさ)山 − 青幡佐久佐日子命(須佐能袁命の御子)
山口(やまぐち)の郷 − 都留支日子命(須佐能烏命の御子)
方結(かたえ)の郷 − 国忍別命(須佐能烏命の御子)
惠曇(えとも)の郷 − 磐坂日子命(須佐能乎命の御子)
多太(ただ)の郷 − 衝桙等乎与留比古命(須佐能乎命の御子)
神魂命の一族
出雲国風土記には神魂命(かみむすびのみこと)の御子を由来する地名も多くあります。また、神魂命は大穴持命の宮(出雲大社)を造れと号令したとされています。その命を受けたのが楯縫郡をつくった天御鳥命です。
加賀(かが)の郷 − 支佐加比賣命(神魂命の御子)
生馬(いくま)の郷 − 八尋鉾長依日子命(神魂命の御子)
法吉(ほうき)の郷 − 宇武加比賣命(神魂命の御子)
楯縫(たてぬひ)郡 − 天御鳥命(神魂命の御子)
漆沼(しつぬ)の郷 − 天津枳比佐可美高日古命(神魂命の御子)
倭健命
天皇家を由来とする地名も少ないながらもあります。纒向檜代宮御宇天皇(景行天皇)が息子の倭健命(倭建命)の名前を忘れないために造った出雲郡の健部の郷です。
健部(たけるべ)の郷 − 倭健命
天皇の治世
出雲国風土記では、天皇の治世もほとんど出てきませんが、欽明天皇と天武天皇が記載されています。
欽明天皇
志貴島宮御宇天皇
天武天皇
飛鳥浄御原御宇天皇
播磨国
播磨国風土記では、神代の神から歴代の天皇まで多彩な人物が登場します。
神では、地元の神と思われる伊和大神、出雲の神の大汝命(おおなむちのみこと)、そして土地争いをくりひろげる天日槍命(あめのひぼこのみこと)と葦原志許乎命(あしはらしこをのみこと)などが活躍します。
天皇では、景行天皇や神功皇后と息子の応神天皇が多くの地名の由来となっています。その他の天皇としては、少ないながらも仁徳天皇、履中天皇、仁賢天皇、顕宗天皇なども登場します。
景行天皇
景行天皇は「大帯日子(おおたらしひこ)天皇」と表記され、播磨国風土記に多くの足跡を残しています。
景行天皇由来の地名
賀古(かこ)の郡
朕君(あぎ)の済(わたり)
阿閇(あへ)の村
御坏(みつき)江
棚津(たなつ)
南毘都麻(なびつま)
六継(むつぎ)の村
高宮(たかみや)の村
酒屋(さかや)の村
贄田(にへた)の村
館(むろつみ)の村
褶墓(ひれはか)
松原(まつばら)の御井(みい)
望理(まがり)の里
長田(ながた)の里
益気(やけ)の村
仲哀天皇
播磨国風土記に、仲哀天皇は「穴門豊浦宮御宇天皇」あるいは「帯中日子(たらしなかつひこ)命」の名称で記載されていますが、その皇后である神功皇后の記事の方が圧倒的に多く載せられています。
仲哀天皇を由来とする地名
印南(いなみ)の郡
神功皇后
神功皇后は、九州・新羅遠征の途中に播磨国に寄っており、播磨国風土記にも多く記載されています。なお、神功皇后は「息長帯日女(おきながたらしひめ)命」あるいは「大帯日賣(おほたらしひめ)命」と記載されています。
神功皇后を由来とする地名
伊保山(いほやま)
因達(いだて)の里
言挙阜(ことあげをか)
宇須伎津(うすきつ)
御津(みつ)
萩原(はぎはら)の里
針間井(はりまい)
韓(から)の清水
酒田(さかた)
傾田(かたぶきた)
陰絶田(ほとたちた)
萩原(はぎはら)
中川(なかつがは)の里
応神天皇
仲哀天皇と神功皇后の息子である応神天皇は、播磨国風土記では品太(ほむだ)天皇の名で登場します。応神天皇は記紀では品陀和氣命(ほむだわけのみこと)、譽田(ほむた)天皇と記載されています。
この応神天皇は、播磨国には両親以上に多くの足跡を残しています。
応神天皇を由来とする地名
麻跡(まさき)の里
賀野(かや)の里
幣丘(みてぐらをか)
大立(おおたち)の丘
陰山(かげやま)の前(さき)
高瀬(たかせ)の村
英馬野(あがまの)
射目前(いめさき)
檀丘(まゆみおか)
御立丘(みたちおか)
伊刀嶋(いとしま)
多志野(たしの)
阿比野(あひの)
手沼川(てぬかは)
佐々(ささ)の村
金箭川(かなやがは)
菅生山(すがふやま)
松尾阜(まつををか)
邑智(おほち)の里
冰山(ひやま)
欟折山(つきおれやま)
蒲阜(かまおか)
大見山(おほみやま)
御立阜(みたちをか)
大家(おほやけ)の里
大法山(おほのりやま)
酒井野(さかゐの)
鈴喫岡(すずくひおか)
桑原(くわはら)の里
倉見(くらみ)の里
埴岡(はにおか)
生野(いくの)
勢賀(せか)
星肆(ほしくら)
多駝(ただ)の里
蔭山(かげやま)
磨布理(とほり)の村
比也山(ひややま)
鈴堀山(すずほりやま)
伊夜丘(いやをか)
目前田(まさきだ)
阿多加野(あたかの)
賀毛(かも)の郡
上鴨(かみかも)の里
下鴨(しもかも)の里
鴨坂(かもさか)
鴨谷(かもたに)
煮坂(にさか)
鹿咋山(かくいやま)
品遅部(ほむぢべ)の村
伎須美野(きすみの)
臭江(くさえ)
小目野(おのめ)
佐々(ささ)の御井(みい)
仁賢天皇と顕宗天皇
仁賢天皇と顕宗天皇の兄弟は「意奚(おけ)袁奚(をけ)二皇子」として播磨国風土記に登場します。なお、兄弟の父親である市辺押磐(いちのへのおしは)皇子は播磨国風土記では「市辺(いちべ)天皇」と記載されています。また、兄弟の母親は記紀では荑媛(はえひめ)とされていますが、播磨国風土記では手白髪命(たしらがのみこと)とされています。
仁賢天皇と顕宗天皇を由来とする地名
玉野(たまの)の村
玉岡(たまおか)
御宅(みやけ)の村
孝昭天皇?
播磨国風土記に大三間津日子命(おほみまつひこのみこと)という人物が登場し王(おほぎみ)と書かれています。この大三間津日子命を孝昭天皇とする説もあります。孝昭天皇の正式名称は、古事記では御真津日子訶恵志泥命(みまつひこかえしねのみこと)です。
大三間津日子命を由来とする地名
餝磨(しかま)の郡
大汝命
播磨国風土記には大汝命(おほなむちのみこと)が登場しますが、これは出雲の神様である大穴持命(おほなもちのみこと)と同一人物とされています。この神様は播磨国に多くの足跡を残しています。
なお、下記に火明命(ほあかりのみこと)が出てきますが、これは大汝命の子と播磨国風土記には書かれています。
大汝命を由来とする地名
御橋山(みはしやま)
碓居谷(うすいだに)
箕谷(みたに)
酒屋谷(さかやだに)
飯盛嵩(いいもりだけ)
粳岡(ぬかをか)
大汝命と火明命を由来とする地名
船岡(ふなをか)
波岡(なみをか)
琴神丘(ことかみをか)
箱丘(はこをか)
匣丘(くしげをか)
箕形丘(みかたをか)
甕丘(みかをか)
稲牟禮丘(いなむれをか)
冑丘(かぶとをか)
沈石丘(いかりをか)
藤丘(ふぢをか)
鹿丘(しかをか)
犬丘(いぬをか)
日女道丘(ひめぢをか)
瞋塩(いかしほ)
苦(たしなみ)の齊(わたり)
大汝命と少日子根命(すくなひこねのみこと)を由来とする地名
稲種山(いなだねやま)
埴岡(はにおか)の里
大汝少日子根命(大汝命と少日子根命か?)を由来とする地名
筥丘(はこをか)
伊和大神の一族
播磨国の地元の神でしょうか、播磨国風土記には伊和大神とその一族が多く記載されています。各神を由来とする地名は次のようなものがあります。
伊和大神
香山(かぐやま)の里
阿豆(あつ)の村
林田(はやしだ)の里
伊勢野(いせの)
宍禾(しさは)の郡
矢田(やた)の村
比良美(ひらみ)の村
庭戸(にはと)の村
稲舂岑(いなつきみね)
粳前(ぬかさき)
安師(あなし)の里
伊加麻川(いかまがは)
伊和(いわ)の村
許乃波奈佐久夜比賣命(このはなさくやひめのみこと、伊和大神の妻)
雲箇(うるか)の里
奥津嶋比賣命(宗形大神、伊和大神の妻)
袁布山(おふやま)
支閇丘(きへおか)
阿和加比賣命(伊和大神の妹)
阿和賀山(あわかやま)
石龍比古命と石龍比賣命(伊和大神の御子)
美奈志川(みなしがは)
建石敷命(伊和大神の御子)
神前(かむざき)の郡
大石命(伊和大神の孫)
雲濃(うの)の里
天日槍命と葦原志許乎命
播磨国風土記では韓国(からくに)から渡って来た天日槍命(あめのひぼこのみこと)と葦原志許乎命(あしはらしこをのみこと)などが土地争いをしています。なお、天日槍命は、日本書紀では垂仁朝に新羅(しらぎ)から来た王子とされています。葦原志許乎命は土着の神のようです。
各神を由来とする地名には次のようなものがあります。
天日槍命あるいは天日桙命(あめのひぼこのみこと)
粒丘(いひぼをか)
川音(かわと)の村
高家(たかや)の里
八千軍(やちぐさ)
葦原志許乎命
宇波良(うはら)の村
飯戸阜(いいべをか)
天日槍命と葦原志許乎命
奪谷(うばひたに)
伊奈加川(いなかがは)
御方(みかた)の里
天日槍命と伊和大神
波加(はか)の村
粳岡(ぬかおか)
城牟禮山(きむれやま)
その他の神
その他にも播磨国風土記には多くの神が出てきますが、それらを由来とする地名は以下のようなものがあります。
石龍比賣命
廣山(ひろやま)の里
阿遅須伎高日古尼命
邑曰野(おほわちの)
讃用都比賣命、佐用都比賣命
讃容(さよ)郡
くら見(くらみ) (くら:木偏に安)
金肆(かなくら)
倭穴无神
安師(あなし)の里
出雲国阿菩大神
上岡(かみおか)の里
彌麻都比古命
邑寶(おほ)の里
御井(みい)の村
久都野(くづの)
神日子命
鍬柄川(くはえがわ)
伊與都比古神と宇智賀久牟豊富命
冑岡(かぶとをか)
豊穂命(宇智賀久牟豊富命)
石坐(いわくら)の神山(かみやま)
玉依比賣命
高野(たかの)の社(やしろ)
道主日女命と天目一命
荒田(あらた)
讃伎日子神と建石命
都太岐(つたき)
法太(ほふだ)の里
甕坂(みかさか)
近江国花波神、淡海花浪神
花波山(はななみやま)
腹辟(はらさき)の沼
丹津日子神
雲潤(うるみ)の里
吉川大刀自神
吉川(えがは)の里
その他
播磨国風土記には宇治天皇という記載があります。これは応神天皇の皇子である菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)のことのようです。もちろん正史では菟道稚郎子は天皇ではありません。
また、播磨国風土記には「聖徳の王(おほぎみ)の御世、弓削の大連が造れる石なり」という文章があります。有名人だからでしょうか、聖徳太子が天皇のように扱われています。
豊後国
豊後国風土記は比較的記事が少ないのですが、そこには景行天皇の事跡が多く記載されています。
景行天皇
豊後国風土記で、景行天皇は纒向日代宮御宇大足彦天皇または纒向日代宮御宇天皇と記載されています。
景行天皇を由来とする地名
豊国(とよくに)
日田(ひた)の郡
鏡坂(かがみさか)
彌疑野(ねぎの)
蹶石野(くゑいしの)
球覃(くたみ)の郷
宮處野(みやこの)
海石榴市(つばいち)
血田(ちだ)
網磯野(あみしの)
穂門(ほと)
大分(おほきだ)
速見(はやみ)の郡
国埼(くにさき)の郡
伊美(いみ)の郷
久津媛
豊後国風土記では地元の神として久津媛(ひさづひめ)が登場します。
久津媛を由来とする地名
日田(ひた)の郡
その他
その他の人を由来とする地名もあります
靱編(ゆぎあみ)の里 − 邑阿自(日下部君等の祖先)
五馬山(いつまやま) − 五馬媛(土蜘蛛)
速見(はやみ)の郡 − 速津媛
天皇の治世
豊後国風土記では、天皇の治世としては欽明天皇と天武天皇が出てきます。
欽明天皇
磯城嶋宮御宇天国排開廣庭天皇
天武天皇
飛鳥浄御原宮御宇天皇
肥前国
肥前国風土記では、景行天皇が最も活躍しており、その他では倭建命や神功皇后の記事が多く見えます。
肥前国は、大陸に近く古くから開けた土地だと思いますが、大和朝廷以前の神様などの記事が少ないのが気になります。本当になかったのか、あえて書かなかったのか、どちらでしょうか?
崇神天皇
肥前国風土記で崇神天皇は磯城瑞籬宮御宇御間城天皇と記載されています。なお、崇神天皇は肥前国には行ってはいないようです。
崇神天皇を由来とする地名
火(ひ)の国
景行天皇
肥前国風土記では景行天皇は、纒向日代宮御宇大足彦天皇または大足彦(おほたらしひこ)天皇と記載されています。この風土記では景行天皇の事跡が一番多く記載されています。
景行天皇を由来とする地名
火(ひ)の国
基肄(き)の郡
長岡(ながおか)の社
養父(やぶ)の郡
曰理(わたり)の郷
狭山(さやま)の郷
米多(めた)の郷
神埼(かむざき)の郡
三根(みね)の郷
船帆(ふなほ)の郷
蒲田(かまだ)の郷
琴木(ことき)の岡
宮處(みやこ)の郷
賀周(かす)の里
大家嶋(おほやしま)
値嘉(ちか)の郷
杵嶋(きしま)の郡
嬢子山(をみなやま)
能美(のみ)の郷
託羅(たら)の郷
彼杵(そのき)の郡
倭建命
肥前国風土記では、倭建命は日本武尊(やまとたけるのみこと)の名で登場しますが、父親の景行天皇ほどの活躍はしていません。
倭建命を由来とする地名
佐嘉(さか)の郡
小城(おき)の郡
藤津(ふじつ)の郡
神功皇后
神功皇后は気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)の名で、肥前国風土記に記載されています。新羅征伐の際に、この地を訪問したようです。
神功皇后を由来とする地名
松浦(まつら)の郡
逢鹿(あふか)の駅
登望(とも)の駅
周賀(すか)の郷
来目皇子
来目皇子(くめのみこ)は、聖徳太子の弟で新羅遠征のために九州に来ましたが、病のため遠征を果たせずに亡くなったとされる人物です。
来目皇子を由来とする地名
物部(もののべ)の郷
漢部(あやべ)の郷
その他
その他に地元の神や一般人を由来とする地名があります。
物部(もののべ)の郷 − 物部経津主神
高来(たかく)の郡 − 高来津座(神)
姫社(ひめこそ)の郷 − 珂是古(かぜこ)
三根(みね)の郡 − 海部直鳥
佐嘉(さか)の郡 − 大荒田(縣主等の祖先)
鏡(かがみ)の渡 − 大伴狭手彦
褶振(ひれふり)の峯 − 大伴狭手彦
浮穴(うきあな)の郷 − 浮穴沫媛(土蜘蛛)
天皇の治世
天皇の治世としては下記が記載されています。
応神天皇
軽嶋明宮御宇誉田天皇
宣化天皇
檜隈廬入野宮御宇武少廣国押楯天皇
推古天皇
小墾田宮御宇豊御食炊屋姫天皇