ギークとオタク

ギーク

日本でのオタクに相当する言葉としてアメリカにはギーク(geek)、ナード(nerd)があります。これらは、見た目が普通でなく気味の悪い人に対して使われる差別用語です。
通常アメリカではコンピュータ・オタクはギークと呼ばれます。コンピュータやテクノロジーに熱中するくらいの興味を持ち、理系で頭脳は優秀だがスポーツは得意ではなく内向的で人付き合いの苦手な人達です。また、身なりも構わない人が多く、ちょっと変わっているので差別的に扱われたりします。
ナードはギークとほぼ同じ意味に使われるようですが、コンピュータ・オタク以外の人に使われることが多いようです。

スティーブ・ジョブズ

アップル社のスティーブ・ジョブズはギークを代表する一人です。ジョブズはサンフランシスコ近郊の中流家庭で育ちました。55年生まれです。
彼の家はシリコンバレーに近いところにあり、13歳ころにヒューレット・パッカード社に自分で電話をかけアルバイトをしていたようです。
16歳の時に天才的なギークである5歳年上のウォズニアックに出会っています。ウォズニアックはエレクトロニクスが大好きで、人付き合いの苦手なギークです。友達が女の子とデートしている年頃に一人で回路設計をしているような人です。
ギークであるジョブズとウォズニアックは高校時代に無料で長距離電話をかけられる違法な装置を開発し販売していたようです。
ジョブズは大学に入ったころ、当時のカウンターカルチャーに染まります。簡単に言えばヒッピーになったのです。彼が禅や菜食主義にはまるようになったのはこのころからです。大学を中退しゲーム機器のアタリ社に入ってから、当時のヒッピーの憧れの地であるインドへ行ったりしています。
75年にIntel8080のチップを使ったパソコンキットAltair8800がMITS社から発売されると、ジョブズとウォズニアックはMOSテクノロジーの安いチップを使ってパソコンを作ることを思い立ち、AppleTを製作し販売を始めます。開発にあたり、設計はウォズニアックで、部品調達などはジョブズが担当しています。内向的で本物のギークであるウォズニアックが技術面を担当し、対外的な部分を外交的なジョブズが担当してアップル社がスタートしました。

ビル・ゲイツ

マイクロソフト社を設立したビル・ゲイツも、ジョブズと同じ55年生まれです。彼はアメリカ西海岸北部のシアトルで裕福な家庭に生まれ育っています。
ビル・ゲイツは13歳でコンピュータに触れています。学校でBASICを使ってプログラム作成をしていたようです。さらに、CCC社所有のDEC社製の小型コンピュータPDP-10の負荷テストに参加する機会を得て、このコンピュータの隅々まで理解できるようになっていきます。
16歳のころにはISI社の給与計算プログラムをCOBOLで作成する仕事に参加し、17歳には自分の高校の時間割作成プログラムをFORTRANで作成しています。 また、このころ2歳年上の相棒であるポール・アレンとトラフォデータ社を設立し自動車通行量を測定するシステムを開発し、自分たちの商売を始めています。さらにTRW社の高圧送電線網管理システムの開発に参加したりしています。 18歳ではハーバード大学に入りPDP-10などを使いゲームを開発し楽しんでいたようです。
75年にAltair8800が発売されるとゲイツとアレンは、このマシン用のBASICを開発しています。事実上のマイクロソフト社の発足です。 この後、CommdorePET2001、AppleU、TandyTRS-80など各機種のBASICを開発し提供しています。
78年には西和彦と出会い意気投合し、NEC PC-8001をはじめ日本の各社のパソコンにBASICを提供しています。このころ西和彦はマイクロソフトの副社長になっています。日本向けの商売はマイクロソフトの業績に大きく寄与したようです。また、その後のIBM用のDOSの開発に当たっては西和彦の後押しの影響が強かったようです。

西和彦

西和彦は56年に神戸の裕福な家庭で生れています。高校生のころコンピュータと出会い、76年にパソコン月刊誌「I/O」創刊に参加し、77年には父親に出資してもらいアスキー出版を設立しパソコン雑誌「ASCII」を創刊しています。
78年に渡米しビル・ゲイツに会いアスキーマイクロソフトを設立し、日本にマイクロソフトのBASICを普及させていきました。 83年には家庭用8ビットパソコンの統一規格のMSXを制定し日本のパソコンの普及に寄与しています。ただし、MSXはNECが参加しなかったので大成功とは行きませんでした。
86年にマイクロソフトがアスキーとの総代理店契約を解消し、マイクロソフト株式会社を設立します。この会社の社長には西和彦の相棒だった古川享が就任しました。西和彦はマイクロソフトと決裂した形となりました。

孫正義

孫正義は57年に佐賀県で生まれました。彼は在日韓国人三世ですが、裕福な家庭に育ったようです。
74年に高校を中退しアメリカに留学しました。77年にはカリフォルニア大学バークレー校に編入しています。
78年に多国籍翻訳機の特許を取りシャープに1億円で売ったそうです。自分のアイデアを他の人に開発させるという方式を取ったようです。その金を元手にアメリカではユニソン・ワールド社を設立しゲームマシンの商売を行っていました。
80年に帰国し、翌年にソフトバンクを設立しています。自分の乗り出すべき商売の分野をソフトウェア流通に定めた結果でした。実績も実体もまだない会社でしたがエレクトロニクスショウで一番大きなブースを出し商売を始めています。

日米のギークの違い

コンピュータについては、やはり米国は本場です。ジョブズは13歳でシリコンバレーの中心的な会社であるヒューレット・パッカード社でアルバイトをしています。ゲイツは13歳でコンピュータ(PDP-10)を自由に使える環境にありました。
米国人は子供のころから自立心が旺盛です。ジョブズもゲイツも自分で稼いで事業を始めています。一方、西和彦は親に資金を出してもらって会社を興しています。また、孫正義のアメリカ留学も、おそらく親の金で行っています。
米国ではベンチャーがパソコンの事業を始めていますが、後発の日本でのパソコン事業はエレクトロニクスやコンピュータ関連の大企業が中心です。そのためか西和彦はマクロソフトの代理店と雑誌の商売を始め、孫正義は大企業のやらないソフトウェア流通の商売を始めています。
日本では後発のためか、パソコン関連のベンチャー企業はあまり育ちませんでした。
しかし、日本にはジョブズやゲイツのように自分の熱中できる製品の開発に邁進した、いわばギークの先行者のような人たちがいます。たとえば、ソニーの井深大、ホンダの本田宗一郎です。ソニーもホンダも元はベンチャー企業といっても良いと思います。
ただし、最近の日本のオタクは子供のころからアニメを見て、テレビゲームで遊んで育っています。そのため、アニメやゲーム関連のベンチャー企業などは、日本では多いように見えます。

ギークの実態

スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツは好きなことで成功し幸せそうに見えますが、一般のギークたちはつらいハイスクール時代を経験するようです。
アメリカの高校などでは、アメリカン・フットボールなどのスポーツ選手が人気でヒーローとなるようです。また、プレッピーと呼ばれる金持ちでおしゃれなボンボンも主流派です。
ギークはテクノロジーなどに興味を持つ理数系の人たちで学校の成績は良いことが多いようです。学校では、その能力をかわれコンピュータなどの管理を任されたりします。しかし、彼らギークは花形のスポーツ選手たちから差別されいじめられる存在です。アメリカの高校などでは日本とは比較にならないくらいのひどい「いじめ」があるようです。

コロンバイン高校事件

99年4月、卒業間近の2人の高校生がコロラド州リトルトンのコロンバイン高校で188発の弾丸を乱射し13名を殺害、その後に自殺しました。2人はギークでした。学校では孤立しいじめられていたようです。
そのため、首謀者のエリックは、品位がなく頭もよくないスポーツ選手たちをジョックス(Jocks)と呼んで軽蔑し、怨んでいたようです。彼らは、自分たちをいじめたジョックスだけでなく、そうした状況をつくった高校全体への復讐を周到に計画し、実行に移しました。
事件については、マスコミからはゲームや音楽の影響を云われましたが、いじめについての指摘は少なかったようです。
なお、エリックは精神的に不安定で、うつ病の薬を飲んでいたようです。

オタク

「おたく」という差別用語は、評論家の中森明夫が83年にロリコン雑誌「漫画ブリッコ」のコラムで使ったのがはじめてです。このコラムでは、十代のマンガやアニメなどのマニアを揶揄しています。服装や外見、態度が特徴的でネクラなマニアたちです。彼らは、相手のことを「おたくらさぁー」と偉そうに呼びかけることから「おたく」と名付けられました。しかし、差別につながるとして、このコラム連載は数回で中止されています。

オタクの出現

80年代に、漫画専門店が出現し、同人誌の即売会であるコミックマーケットが盛況になるにつれて、そこに集まるマニアが目立つようになってきました。
この特徴的な集団、世代の先頭は60年前後生まれの人たちのようです。オタクやオタク周辺の関係者の生年は以下のようになります。
 岡田斗司夫 1958 オタキングを自称、オタクアミーゴス
 唐沢俊一  1958 評論家、オタクアミーゴス
 眠田直   1963 漫画家、オタクアミーゴス
 中森明夫  1960 評論家、作家
 大塚英志  1958 評論家
 庵野秀明  1960 「新世紀エヴァンゲリオン」の監督
 ボーメ   1961 美少女フィギュアの原型師
これらの第一世代のオタクは幼いときからテレビでアニメを見て育っています。オタクが熱中する趣味の中心には必ずアニメがあります。おそらくアニメがオタクという集団を産んだきっかけになっていると思います。

岡田斗司夫

みずからオタキングを名乗る岡田斗司夫は58年生まれで、SFマニアだったようです。80年代にSF大会(DAICON)を主催し、自分たちでフィギュア(ガレージキット)を製作し販売しています。そして、ゼネラルプロダクツという会社を作りSFやアニメ関連の製品の販売を手がけています。この会社は後に、アニメ制作会社のガイナックスとなります。
オタクの代表である岡田斗司夫は95年には東大でオタク学講座(マルチメディア概論)を開催しています。97年には、唐沢俊一や眠田直とオタクアミーゴスを結成し本を出すなど活発な活動を開始しています。
2000年代になってから、オタクアミーゴスたちは「オタク大賞」を主催しています。このころからオタクは市民権を得て、不景気な日本にあってオタク文化は「COOL JAPAN」などと持ち上げられるようになって来ました。
なお、内向的な性格の多いギークの中でジョブズやゲイツが異質なのと同様に、岡田斗司夫たちも内気なオタクたちの中では異質なのかもしれません。

オタクの特徴

オタクは小学生くらいの時に熱中した趣味にはまり、そのまま大人になってしまった人たちです。
普通は思春期になると異性に興味を持つようになり、子供のころの趣味を忘れて大人への階段を登っていきます。異性を意識して服装にも気を使うようになります。しかし、オタクたちは服装や外見に気を使いません。親のお仕着せでも、それに疑問を持ってないように見えます。おそらく彼らは「人間は外見ではなく中身である」というような正論を持っています。そこには一種の合理性、ある意味で子供っぽい短絡的な合理性があります。たとえば、かつてのオタクの象徴だったリュックは両手が使えて便利である、というような単純な合理性です。 また、オタクたちには大人的な他人への配慮があまりない、自己中心的な面も感じられます。夢中になると周りが見えなくなるのでしょうが、他人への邪魔をあまり気にしないようなこともあります。
知識の量や深さがオタクたちのアイデンティティです。ギークも同じかもしれませんが、自分の興味のことを語りだしたら止まらないのがオタクの特徴です。非社交的で人付き合いが苦手で、自己中心的で、どこか未成熟なのはギークやナードも同じかもしれません。
ただし、ギークはオタクと違って自立的です。アメリカでは普通なのでしょうが、子供は早くから親からの自立意識を持っているように見えます。それに比べてオタクには、どこかに親に対する甘えや未成熟な面を感じます。

宮崎勤事件

88年の連続幼女誘拐殺人事件は世間に衝撃をあたえましたが、オタク関係者にとってもショックだったようです。宮崎勤は6000本のビデオを持っていたオタクだったのです。この事件をきっかけに「おたく」という言葉が一般に知れ渡り、その後に「オタク」として定着しました。
「漫画ブリッコ」の編集者だった大塚英志にとって宮崎勤事件は他人事ではなかったようです。積極的な発言を続け、オタクを擁護しました。
この事件ではホラービデオの影響が云々され、日本ビデオストア協会が残虐ビデオの18歳未満お断りの制限を始めています。米国でコロンバイン高校の事件が起きた時と同じような世間の反応です。

オタクとマニア

オタクと似たような意味でマニアという言い方もあります。鉄道マニア、軍事マニア、古銭収集マニア、骨董マニア等々ありますが、オタクとマニアはどう違うのでしょうか。
オタクたちはアキバなど特定の街に集まり、特定のイベントに集い、特定の店にたむろするので、集団で目立つので名づけられた面があります。
また、前述したように子供のころに熱中した趣味をそのまま持ち続けている点に特徴があります。
もしマニアとオタクを区別するとしたら、それはコアの部分にアニメとエロがあるかどうか、だと思います。鉄道マニアでもアニメに興味がなければ、それはオタクではなく単なるマニアです。

オタクの先行者

オタク趣味の一面として面白がりがあります。自分が面白いという点を追求していくという面です。
芸能界で言うと、所ジョージなどは「世田谷ベース」を作り、面白がりで多趣味です。車の趣味、戦車のプラモデル、ラジコン、家庭菜園など多くの趣味を持っています。また、タモリも鉄道や地図など多様な趣味の持ち主で面白がりです。
さらにさかのぼると江戸時代にも多くの趣味人がいました。園芸マニアは大輪の菊、朝顔の変わり咲き、斑入りの植物に夢中になっています。歌舞伎の大向こうの人たちや落語で名人・上手を褒め称える人たちも江戸時代の趣味人です。
黄表紙などの江戸時代の出版の世界では、何でも番付にする面白がりの世界です。浮世絵の美人画で紹介された茶屋の娘をわざわざ見にいくのも何かオタク的な一面を感じます。
日本人には昔から面白がって趣味を追求する一面があるのかもしれません。

オタクへの懸念

オタクには大人になりたくないというような成熟拒否の一面を感じます。彼らの多くは反抗期や思春期を経てないように思えます。
反抗期や思春期で悩むことで精神的に強くなり大人になっていきます。こうした過程を経てない彼らは、将来うつ病などになりやすいのではないかと懸念されます。

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参考文献
「スティーブ・ジョブズ」ウォルター・アイザックソン 講談社
「帝王ビル・ゲイツの誕生」スティーヴン・メインズ他 中公文庫
「電脳のサムライたち」滝田誠一郎 実業之日本社
「孫正義インターネット財閥経営」滝田誠一郎 日経ビジネス人文庫
「ギークスGEEKS」ジョン・カッツ 飛鳥新社
「コロンバイン・ハイスクール・ダイアリー」ブルックス・ブラウン他 太田出版
「Mの世代 ぼくらとミヤザキ君」太田出版
「幼女連続殺人事件を読む」JICC出版局
「システムと儀式」大塚英志 ちくま文庫
「東大オタク学講座」岡田斗司夫 講談社
「オタクアミーゴス!」岡田斗司夫他 ソフトバンク
「オタク・イン・USA」パトリック・マシアス 太田出版
「オタクはすでに死んでいる」岡田斗司夫 新潮新書
「改訂版 宮崎勤 精神鑑定書」瀧野隆浩 講談社+α文庫
「ボクには世界がこう見えていた」小林和彦 新潮文庫

2011.12.20 野沢 清 kiyoshi_nozawa@yahoo.co.jp