反抗期論

反抗期とは

反抗期は子供が精神的に自立して育っていくため必要な重要な過程です。社会的にも問題となっている「ひきこもり」や子供の家庭内暴力は、反抗期前後において親の対応に問題があったからだと思います。また、親による過剰なしつけや虐待は、子供を犯罪者にしてしまう危険性を持っています。問題を起こすような子供にしないためには、反抗期を含めた子供の成長過程について考え、整理してみることが重要であると思います。

子供の精神の発達過程

1.幼児期
母親の保護下にあり、常に一緒に行動したがります。たとえば、保育園に入る際など母親と離れたくないので一騒動起きることも多い時期です。この年頃の幼児にとっては母親は絶対的な存在であり、子供は母親の目を通して世の中を見ています。また、ままごと遊びなどで男女の役割の違いなど少ずつ社会性を学んでいく時期でもあります。
この時期に虐待があると精神的な安定が得られず将来において精神に問題が起きやすい。また、同様に厳しすぎるしつけがあると几帳面すぎるなど傍から見て変わった性格になるかもしれません。幼児期においては、母親の保護下で十分な愛情を得ることで安定した精神的な基層が構築されます。
2.第一次反抗期
母親離れの時期であり、母親と離れて他の子供たちとの遊ぶことが多くなります。母親に対して否定的な発言、行動が現れ、よその母親との比較もできるようなります。自分の母親をある程度客観的に見られるよう成長しているのです。
この時期に母親からの強圧的なしつけがあると、母親離れができないことになり、将来に問題を残すことになります。
3.児童期
他の子供たちとの交流を通して成長する時期。集団の中で遊ぶことでリーダーシップや集団行動のやり方を学ぶことになります。けんか、いたずら、悪さ、冒険なども、この時期の成長にとって重要な要素です。たとえば悪いことの結果として生じた嫌な気持ちなど通して反省し、やって良いことと悪いことを身を持って体験し、それが身につくことになります。
空想世界に対して強い興味を示す時期でもあります。男の子なら忍者やスパイ、UFOや宇宙人などが大好きです。しかし、自分が空想の忍者のような身体能力を持てないことに気づき、空想と現実の違いを次第に認識していきます。
自慢が好きな時期でもあり家自慢や親自慢で、他の子への優越性を示したがります。価値観においては一面的で、その意味で子供っぽさがあります。 この時期に親に強制され習い事や塾で、他の子供とのぶつかり合うような交流がないと、身体に染み付いた善悪の基準ができないことになります。そのため、独善的な性格になりやすく、社会に出ても適応しにくい性格になるかもしれません。
4.第二次反抗期
ここでは家離れ、親離れを始めます。兄弟などとの確執のせいもあるかも知れませんが早く家を出たい独立したいと思ったりする時期です。
自分の家庭や親に対して批判的な言動が増えます。また、児童期のような素直さはなくなり、会話の受け答えもぶっきらぼうになるかも知れません。おそらく親の価値観を否定し、自分自身の価値観を構築しようとする時期でもあり、その考えがまとまってないために親との会話が少なくなるのかも知れません。
第一次反抗期と同様で、これ以降は自分の家族や親を客観的に見れるようになります。
この時期は進学などで当面する将来が決まることも多いのですが、このとき親が進学先など強制的に決めることは危険です。親の決めた進学先で挫折すると、親のせいで起こった結果であるとして家庭内暴力などを引き起こすことがあります。
幼児期、児童期を含めて本人の意思を尊重し、本人に決めさせることが必要です。
もし、第二次反抗期がなかったら、児童期のような子供っぽさのまま大人になるかもしれません。一見、悪くはなさそうであるが、結果として自立心や責任感のない大人になりがちです。
第二次反抗期で、親が子供の批判に耐えうる大人なら良いのですが、親が子供の信頼を得られないと、子供は非行に走る可能性があります。自分自身を構築するために、世間にぶつかって行くのだと思います。非行は単なる反抗なので、いずれ自分でも、ばかばかしくなり次第に大人になっていきます。
5.青年期(思春期)
社会的な自立に向かう時期です。異性にも興味を持ちファッションにも気をつかい、親のお仕着せを嫌うようになります。
児童期と違い多面的な見方をできるようになります。大人の裏側をも見ることになりますが、まだ大人は汚い、ずるいと思うような直線的な正義感を持っています。将来、自分が何になるか悩む時期でもあり、更には自分とは何だろうというような哲学的な疑問にもぶつかるかも知れません。まだまだ、自分に対して自信を持てずに不安な時期です。
順調に青年期に入ったなら、親とも対等に話しができるようになり、親からの影響はあまり受けなくなっていきます。
6.第三次反抗期
もし、第三次反抗期があるとしたら、それは社会への反抗だと思います。青年期では、まっすぐな正義感を持っている時期であり、大人の汚さや社会の矛盾への反抗を行うかも知れません。第三次反抗期の例としては、たとえば正義感から始まった学生運動などが想定されます。もし、第三次反抗期がうまく機能すれば、社会をより深く見られる大人になるかもしれません。

日本古来の考え方

1.七歳までは神のうち
遠野物語には次のような話が載っています。
「土淵村栃内の久保の観音は馬頭観音である。其像を近所の子供等が持ち出して、前阪で投げ転ばしたり、又橇にして乗ったりして遊んで居たのを、別当殿が出て行って咎めると、直ぐに其晩から別当殿が病んだ。巫女(いたこ)に聞いて見たところが、折角観音様が子供等と面白く遊んで居たのを、お節介をしたのが御気に障ったというので、詫び言をしてやっと病気がよくなった。此話をした人は村の新田鶴松という爺で、其時の子供の中の一人である。」
「遠野物語」柳田国男(岩波文庫)
実際に子供達は神様の仲間であり、その行為を叱ったり咎めるのは良くないと考えられていたようです。似たような伝説が静岡県掛川市の興禅寺に伝わっているようです。
「日本の伝統的な考え方に基づけば、「子供は年頃になれば自然に分別がつくもの」だから、小さいときにきびしくしつける必要などないと考えられていたのである。」
「日本人のしつけは衰退したか 「教育する家族」のゆくえ」広田照幸(講談社現代新書)
子供をきびしくしつけるようになったのは、最近になってのことのようです。ただし、昔でも武士の家庭のしつけと町民や農民の家庭のしつけは違っていた可能性はあります。
2.元服
昔は12〜16歳で元服を行い大人の仲間入りしたようです。昔と今では子供の成長度合が同じとは限らないが、この年頃はちょうど第二次反抗期を終え精神的には大人の仲間入りをするころです。現代に元服を復活させ、子供に大人の仲間入りをする自覚を持たせるのも悪くないかもしれません。

ひきこもりと家庭内暴力

典型的な十代に起こるひきこもりと家庭内暴力は第二次反抗期を上手く越えられなかったのが原因です。たとえば、中学や高校に進学するにあたって本人の自主性にまかせず、親が進路を強制したようなケースでは、進学後の躓きがひきこもりや家庭内暴力につながります。
「こんな惨めな自分が今あるのは、育てた親の責任である」
「本当は行きたくない学校に、無理に行かされた」
「あの時無理にでも学習塾に入れてくれれば、皆に遅れることはなかった」
「いじめられて苦しんでいる時に、気づいてくれなかった」
「近所の環境が悪かったのに、引越しをしてくれなかった」
「中学生からやり直したい。時間を元に戻して欲しい」
「社会的ひきこもり 終わらない思春期」斉藤環(PHP新書)
彼らは、反抗期もなかったほど良い子だったのです。親のいうことを良く聞く良い子だったのです。本人に判断させていれば、本人が責任をとらざるを得ないのですが、親に強制されたと思っているので親のせいにしています。
ひきこもりや家庭内暴力をまねいた原因の多くは親の側にありますが、次のような特徴があることが多いといわれています。父親が高学歴で教師、公務員、医師、会社員などで母親は専業主婦であり、しかも核家族。
親は子供のためと思い、いい学校いい会社などをめざし教育、しつけを行っています。結果的には単一の価値観を子供に押し付けることになり、本人の自主的な判断力の成長を奪うことになります。もし、核家族でなければ祖父母、叔父、叔母などの多様な意見があるので、問題が緩和されることになります。

中央大学教授刺殺事件(2009年) 参考文献;MSN産経ニュース・法廷ライブ

中央大学理工学部教授・高窪統(当時45)が元教え子の山本竜太(当時28)に大学内のトイレで刺殺された事件。2010年12月東京地裁で懲役18年の判決が出されました。
被告は大学卒業後に、埼玉県の食品加工会社に就職したが一ヶ月ほどで会社を辞め、その後は図書館やホームセンター、パソコン店のアルバイトやパートを転々とします。就職してもすぐに「能力不足」として職を追われています。
被告は、自分を監視したり盗聴したり嫌がらせをする圧力団体があり、その首謀者が高窪教授であるとの妄想を持つようになり、このような嫌がらせが続くようでは落ち着いて仕事もできないと思い教授の殺害に至っています。裁判では、被告は「妄想性障害」と判断されました。
被告の家族構成は不明ですが、母親は看護婦とのことです。母親は厳しい人であり、被告を溺愛しバイオリンやピアノなど多くのならいごとをさせています。小学校では「お坊ちゃん」といわれ、からかわれています。また、いじめにもあっていたようです。母親は小学校の同級生とは遊ばせないようにしており、小中高で友達がいないようでした。ただし、理系に進んだのは本人の意向です。また、大学一年の時には、親に内緒で他の大学を受験しています。
被告の「妄想」が始まった時期は不明ですが、以下のような内容です。
「自宅にガスのメーターを調べる業者の人が来たときに『今の誰?盗聴器を仕掛けたんじゃないの』」
「向かいの住民が自分を避けてシャッターを閉める」
「被告は卒業前に開かれた研究室の「お別れ会」で食中毒となり、翌日の記念写真撮影に参加することができなかった。このことで「研究室全体に陥れられたのではないか」という不信感を抱き、自宅に盗聴器が仕掛けられているのではないかと疑うようになった。」
「高窪教授がほかの学生に『ナーバスですね』というのを聞き、自分への当てこすりではないかと思いこんだ。」
「『いじめじゃない』『ありえない』と電車内で話す人がいました。高窪教授は私をいじめていないという意味だと思いました。なんで突然、私の知らない人がウワサをするのかと思い、このときは、聞き間違いと思いました。」
「別の教授が「なぜ、しゃべらない。異常だぞ」と別の学生に言っているのも自分のことだと思いはじめていったという。」
「母と旅行に行った後、誰にも話していないのに同期の学生が『山本さんが旅行に行ったとき…』と話していました。盗聴されているのじゃないかと思いました。」
「研究室へ行くと「裏切った」と話している声が聞こえてきたという。」
「信号無視の車が近づいてきたことがあった」
「ネットで悪口を広められている」
「平塚に引っ越したとき、レストランに母と月に1回くらい行っていましたが、食事に毒を盛られていると思うことがありました。」
「具体的に突き落とすそぶりの人はいた?」「いなかったですけれど、ホームに行ったときに『もしかしたらされるかも』と思ったことがありました」
教授殺害に至る原因となった圧力団体について、次のように述べています。
「もしかしたら、警察の中に圧力団体に属する人がいるのではないかと警戒していました」
「今は気持ちも落ち着いていると思うが、圧力団体が実在している可能性は何%だと考えていますか」「50%程度です」
「実在しているとして、高窪教授が首謀者の可能性は何%だと考えていますか」「0%です」
「高窪教授が圧力団体に関与している可能性は?」「50%程度です」
「他のメンバーは誰?」「あとは平塚に一緒に住んでいた叔父も所属しているかもと思っていました。高窪教授と親しくしている企業の人や教授も所属していると思っていました。」
また、教授殺害に至る心境を次ぎのように述べています。
「幕末に武士が誰かに嫌がらせを受けたとしたら、武士として(殺害を)やったと思います。武士としてのメンツを守るためというか、人間の誇りを守るためというか…。こんなに嫌がらせを受け、追いつめられたから、何もしないわけにはいきませんでした」
「事件前、あなたは3つ考えがありましたよね。自殺する、座して死を待つ、高窪教授を殺害する」(被告は高窪教授殺害を選んだ)
小学校くらいの子供時代には奇妙な空想にとらわれることがあります。たとえば「近所のおじさんがどこかの国のスパイではないか」みたいな空想です。被告の妄想にはこれと同質のものを感じます。一市民を盗聴し嫌がらせをする圧力団体などあるはずもありません。本人がそう思った根拠も、ほとんど無意味なものばかりです。しかし、それ以外に特に異常を感じさせられる言動もなく母親も気づかなかったようです。

被告は、おそらく幼児期から、母親の厳しい支配のもとに育ってきており、その精神の発達が阻害されたのだと思います。幼いころから続けてきたピアノの女性講師は供述調書で「私は『母親の言いなりにならず、自分のやりたいことをやりなさい』『母親から離れて一人で生活したらどうか』とアドバイスしました。」と言っています。このアドバイスは大学卒業後におこなわれたものですが、だいぶ遅かったようです。

秋葉原無差別殺傷事件(2008年) 参考文献;MSN産経ニュース・法廷ライブ

25歳の派遣社員・加藤智大が秋葉原の歩行者天国にトラックで突っ込み、ダガーナイフで通行人や警察官などを殺傷した事件。2010年1月に公判が開始されました。
犯行の動機として、インターネット上の掲示板で「荒らし」や「なりすまし」をやめさせるには「大きな事件」を起こして報道されるしかないと被告は説明しています。また、当時派遣社員として勤めていた自動車会社で、本人の作業着が見つからないことがあり、辞めさせるために嫌がらせをやれたと思ったことが事件のきっかけともいわれています。その2年前くらいから原因ははっきりしないが自殺を考えていたようです。希望がなく自暴自棄になっていたのかも知れません。なお、精神鑑定の結果は異常はないとされています。
子供の頃の家族構成は両親と弟の4人家族。本人の証言によると、母親は幼いころから厳しいしつけをしたようです。
・3歳くらいの時に窓のない暗いトイレに閉じ込められた。
・夕食準備中のキャベツにいたずらをしたら窓から落とされそうになった。
・お風呂で九九を間違えると頭を押さえつけられて沈められた。
・口にタオルを詰められてその上からガムテープを張られた。
・小学校3年生ごろから、食べるのが遅いと残りを折り込みチラシにぶちまけられて食べさせられた。
・小学校高学年で「おねしょ」をするとオムツをはかされた。
母親は、説明もなくこれらの行為をおこなったようです。本人は逆らうこともできず、こうした罰を受けていたようです。父親は、これにたいして特に口出しはしなかったようです。本人は楽しい家族団らんはなかったと証言しています。旅行した時の家族写真を見せられ、「天真爛漫な弟と無表情な私が写っており、当時の私の精神状態が垣間見えます」「さほど楽しくないのに楽しく見せるそんな状態です」と証言しています。
小学校のころは、翌日着ていく服もお仕着せで本人の希望は入れられなかったようです。部活についても野球部に入りたいとの希望は母親によって理由も説明されずに拒否されています。
友達が自宅に遊びに来ても「友達が帰ると、母親がこれ見よがしに部屋の掃除を始めるので、『家に人を入れるな』ということだと思い、友達を連れて行かなくなりました」と証言しています。
子供のころの学校成績は良かったようです。絵がコンクールに入賞したり、詩や作文が評価されたことがあったようですが、本人によれば母親が手を入れたりしており、評価されてもうれしくなかったと証言しています。
母親は理由も説明せずに体罰を与えていましたが、被告も小学校で同じようなことをしています。
「集会か何かで列になったときにはみ出したクラスメートがいて、『ちゃんと並べよ』という意味でひっかきました」「暴力を振るいたかったわけではなく、『ちゃんと並べよ』ということを伝えたくて、そういう行動を取りました」
「低学年の時ですが、工作の時間が終わって誰がのりを片づけるかで2人が争っていたので、この2人をげんこつで殴って自分で片づけたことがあります」
殴ることで自分の意思を伝えたかったようです。小学校の指導要録には、すぐカッとなることが多いと書かれています。
それでも、中学に入ると試験で10番以内になることを条件にソフトテニス部に入っています。ただし、本人が強く希望したのではなく先輩に無理やり登録されてしまったので、仕方なく入ったようです。その後、新人戦で入賞し新聞に名前が載るようになると母親も応援するようになったとのことです。 中学2年のころにはクラスメートの女の子と付き合ったことがあるようですが、母親に手紙が見つかり付き合いを止めるよう強制されています。
中学校時代には母親を殴ったことがあったようです。「食卓で黙々とご飯を食べていたところ、母親が何かのことで私に怒り出し、頬をつねったり髪をつかんで揺さぶったりしていたのですが、私はそれを無視していました。その後、私が洗面所に移動したところ、母親がついてきて、本格的に殴りだしたので反射的に手が出てしまったのです」
進路については、進学校であり母親の母校である青森高校に進み、北海道大学に行くよう母親に言われていましたが、本人の希望は工業高校か地元の私立高校でした。理由として「車が好きだったということと、試験で点を取るためのお勉強ではなく、もっと現場に近いものが…。工具を持ちたいと思っていました」と証言しています。
高校は母親の意向通り青森高校に進学しています。しかし、高校での最初の試験ではビリから2番目。その後、勉強をして真ん中より下くらいまで成績を上げています。
高校時代にも突然殴るクセが出ています。「ゲームに対してケチをつける言動が彼にあった。口で言うことができずに殴ることで伝えたかった」この行為について次のように説明しています。「よく分かりませんが、自分のいつもの行動パターンのように思います」
高校時代はカートにのめり込むようなり、上達するとスタッフにほめられ、「すごく嬉しかったです。やりたくないことではなく、自分のやりたいことで努力して結果を出してほめられてすごく嬉しかったのを覚えています」と証言しています。
中学のころ大学に行ったら車を買ってあげるといわれていましたが、「母親に、北大から変更したいと言ったら、(自分が希望している大学は)ランクが少し下がる大学だったのですが、そんなところなら車を買ってあげないといわれ、あてつけもあってやめました」とのことで進学自体をやめてしまいます。 高校卒業後、被告は自動車整備士の資格が取得できる短大へ進学しています。この進路について母親はもう何もいわなかったようです。本人は「もうあきらめたんだろうと思います」と証言しています。しかし、被告は短大で自動車整備士の資格を取っていません。これついて、次のように証言しています。
「最初から取るつもりがなかったわけではないです。自分の奨学金が父親に振り込まれたのですが、父親が渡してくれなかったことへのアピールで、父になぜだろうと考えさせたかった。思い当たるふしがあって、関連づければ気づくだろうと思いました」
自分の重要な将来を決める行為だと思うが、父親へのあてつけを優先しています。
この時期に寮の仲間とトラブルをおこしています。相部屋の友人のいびきがうるさく、アピールしようとした加藤被告が壁をたたいたところ、逆に仲間から無視されるようになったという。実行はしていませんが、「彼らのたむろしている部屋にエアガンを撃ち込んでやろうかと考えました」と証言しています。この後、卒業前に寮を出ることになります。
短大卒業後、友人のいた仙台で、アルバイト採用ですが警備会社で働き始めます。このころは、仕事にやりがいを感じ、生活も充実していたと証言しています。しかし、ここでもトラブルを起こしています。
「内勤時代に(工事現場で)人が足りず、現場に出ました。現場から一般道路に出ようとしたダンプカーに停止するよう指示を出しましたが、指示を無視して飛び出していきました。『指示に従わないなら誘導員は要らないだろう』と帰りました」
このことで会社を辞めてしまっていますが、直接言えばよかったのではと問われ、次のように証言しています。
「待遇というよりも、所長に提案しても許可も採用もされず、手応えがなかった。それが理由です。所長へのアピールで辞めました」
「自分がいなくなったら、会社が少し困った状況になり、そうなったら(所長が)どうして私が辞めたか考えると思いました。私が何を言いたかったのか伝わると思いました」
ここでもあてつけで重要なことを決めています。 この後、埼玉県内の自動車工場で派遣として働き始めますが、ここもある日突然いなくなるという方法で辞めています。これについて次のように証言しています。
「自分が担当する製品の部品の置き方について正社員の人に相談したところ、『派遣のくせに。黙ってろ』といわれ、正社員へのアピールのためにも辞めました」
「職場の上司からも『もう少しがんばろう』とか『よくやっている』といわれたりしましたが結局、『派遣のくせに』と言った正社員からは何もいわれなかったことが引っかかっていました」
「急にいなくなることが、会社へのアピールの形だと思ったからです」
やはり、同じパターンで辞めています。
次に茨城県の住宅関連部品の工場で三ヶ月ほど働いています。その後、運転手を目指し、青森市の運送会社に就職します。ここでは牛乳を配達する仕事をしています。やりがいがあったと証言しています。 実家に戻り、家族関係を修復しようとしますが、両親が離婚してしまいます。
埼玉の工場で働いていたころにゲーム好きだった被告はインターネットの掲示板に参加することを始め、秋葉原にも行くようなりました。その後、インターネット上の人間関係が悪化し、孤独感を強め、自殺願望がめばえてきます。
「青森県の道路で車に乗って対向車線を走るトラックに正面衝突しようと思いました」
「青森市内のある駅で、そこを通過する特急に飛び込もうと考えていました」
「その特急が駅を通過するのがすごく速いので、『これなら即死できる』と思った記憶があります」
インターネットの掲示板の管理人に会いにいくため二週間くらい休みがほしいと会社に言いましたが、断われると会社を辞めてしまいます。「自殺することを考えていたので、会社を辞める、辞めないというのは二の次だった」と証言しています。インターネットでの知り合いに会いながら旅を続け、あるきっかけで一度は自殺を思いとどまりますが、再び自殺を考えます。
今度は、東京の中央線に飛び込んで自殺する方法を考えています。自殺するため、駅のホーム行くと中央線が人身事故で止まっており、断念し車に戻りました。しばらく居ると、駐車場の管理人と警官に話しかけられ、自殺を止めるよう説得されています。この駐車場の料金を延滞しており借用書を書き「年末までに返してくれればいいから」と言われます。そのときの心境を「そのように自分を信頼してくれて、なんとしても応えないといけないと思いました」と語っています。このことで、車で死のうという考えはなくなり前向きになります。
この後、すぐに事件時に勤めていた自動車工場に派遣として勤めて始めます。駐車場の借金は約束した年末には直接事務所に出向き返済しています。 そして、このころインターネット上の「荒らし」や「なりすまし」に悩み始めます。ネットの掲示板に『目標100人ぐらい。もっとやりたい』と書き込んでいます。
「少し前に自殺はなんでいけないのかということを書き込んだりしていて、自殺に他人を巻き込むなら目標は100人というような意味です」
自動車工場で、一度は派遣社員の全員について契約の終了を言い渡されていますが、被告を含む一部の人については残留できることになりました。派遣切りが犯行の動機ではないと被告は証言しています。
工場で作業服が見つからないことは、以前にもあり、そのときにはキレなかったようです。しかし、6月5日の出勤時に作業服がなくなると激高してしまい、帰ってしまいます。「派遣の契約終了とかの話や、掲示板上でなりすましや荒らしなどの嫌がらせをされていて、精神的にゆとりがなかったからだと思います」と証言しています。また、帰ってしまったのは作業服を隠した人へのアピールだ、とも証言しており、そのときの気持ちについては、次のように証言しています。
「『またやってしまった』という気持ちでした。言いたいことを口で言えず、態度で示して失敗してきたのに、また同じ失敗をしたという気持ちです」
その後、福井まで行ってナイフを調達して、6月8日の日曜日に秋葉原の歩行者天国で事件を起こしています。秋葉原を選んだことについては、次のように証言しています。
「日本のどこに住んでいるか、分からないなりすましや荒らしに、報道を通じて自分が事件を起こしたことを示すためには大事件を起こす必要がある。大事件といえば大都市。近くの大都市といえば、東京。東京で自分が知っているのは秋葉原。という流れだと思います」
事件を起こし、捕まったあと「人生につかれました」というようなことを言っています。

被告は母親の厳しいしつけと支配のもと育ってきました。理由も説明せずに罰を与える、そのやり方は被告の行動パターンにも影響を与えています。母親へのあてつけで大学進学をやめました。会社に不満があると、いきなり辞めてしまい会社に意図的に迷惑をかけています。支配する者への反抗、自分に迷惑をかける者への逆襲が被告の行動の主要テーマになっています。将来の夢としてカート場の経営を考えていたと証言しています。しかし、そのための具体的な計画や行動は見られません。目前の敵に感情的に対応するという刹那的な、場当たり的な行動が目立ちます。第二次反抗期以降には自分の将来を具体的に考えるようになるのが普通ですが、被告には、そんなことを考える余裕もなかったように見えます。
そんな被告がはまり込んでいったのがインターネット上の掲示板です。でも、インターネット上の掲示板での人間関係が悪化すると、孤独感を強め自殺を考えるようになりました。被告にとっては最後の居場所だし、おそらく全てだったように見えます。
被告が秋葉原の歩行者天国に突っ込んだのは、自殺的な自爆行為のように見えます。

神戸連続児童殺傷事件(1997年)  
  参考文献:「「少年A」この子を生んで・・・・・・」「少年A」の父母(文春文庫)

あの「酒鬼薔薇聖斗」の事件です。神戸市須磨区の小学校の正門に「挑戦状」とともに行方不明だった小学生・土師淳君の遺体の頭部が置かれていました。当時、日本中を震撼させた事件です。犯人のA少年(当時14歳)は、これ以前にも連続通り魔事件を起こしており、女児一人を殺害、三人に怪我を負わせています。
少年の家族構成は、会社員の父親、専業主婦の母親、弟二人の五人です。母方の祖母が、少年の小学校入学のころから同居していましたが、事件の四年前に亡くなっています。
母親は否定していますが、精神鑑定書によると幼児期に厳しいしつけ(虐待)を受けていたようです。
家庭における親密体験の乏しさを背景に、弟いじめと体罰との悪循環の下で「虐待者にして被虐退者」としての幼時を送り、“争う意思”すなわち攻撃性を中心に据えた、未熟、硬直的にして歪んだ社会的自己を発達させ、学童期において、狭隘で孤立した世界に閉じこもり、なまなましい空想に耽るようになった。
そして、精神鑑定書は事件に至る過程を説明しています。
思春期発来前後のある時点で、動物の嗜虐的殺害が性的興奮と結合し、これに続く一時期、殺人幻想の白昼夢にふけり、現実の殺人の遂行を宿命的に不可避であると思い込むようになった。この間、「空想上の遊び友達」、衝動の化身、守護神、あるいは「良心なき自分」が発生し、内的葛藤の代替物となったが、人格全体を覆う解離あるいは人格の全面的解体には至らなかった。また、独自の独我論的哲学が構築され、本件非行の合理化に貢献した。かくして衝動はついに内面の葛藤に打ち勝って自己貫徹し、一連の非行に及んだものである。
また、少年には異常な性癖、行動があったわけですが精神病ではないとされています。
普通の知能を有し、意識も清明である。精神病ではなく、それを疑わせる症状もない。責任能力はあった。
精神鑑定書にも簡潔に過程を説明してありますが、母親の話を基に少年の成長過程を追ってみたいと思います。
少年は三人兄弟の長男です。次男は少年が一歳半の時に生まれています。さらに三男は少年が三歳の時に誕生しています。三人の赤ん坊をかかえた核家族の母親の大変さには同情しますが、長男への母親の愛情の分配が薄くなったことは十分想像できます。また、母親は厳しいしつけをする人だったようです。祖母にも「あんたは、子供たちをよく叱って厳しすぎる。そんなんやったらあかん。子供が萎縮してしまうわ」と言われていたようです。また、母親自身も「三男が生まれた頃は、Aが四歳、次男は三歳で寝不足な日も続いていたので、長男のAには厳しく怒って注意していたかもしれません。」と述懐しています。少年が五歳のころ「足が痛い、痛い」と言うので病院に連れていくと医者に「長男さんをもっとかまってあげてください。おそらく精神的な面からくる症状でしょう。」と言われています。
幼時期のころの少年について母親は「いつもおとなしく、いつもフニャとして人の後に付いていく子でした。」、「性格も少し気が弱く、内向的でした。「取られたら、取り返しなさい」覇気を持ってもらいたいと思い、よくそう注意したものです。」と言っています。また、幼稚園時代にいじめられていたようですが、母親は事件後の報道で知りましたと説明しています。少年は長男らしい几帳面な性格だったようです。「変に几帳面なところがあって、服はきっちり着て、夏でも襟のあるカッターシャツをつけ、ソックスをはかないと気が済まない子でした。」
少年の小学校での成績は良くなかったようです。「通知表は2ばかりでした。」と母親は言っています。少年は、塾には通ってなく、小学校二年から六年まで少林寺拳法を習っていたようです。小学校入学のころ、母方の実家に引っ越しており祖母が家族に加わります。厳しい母親に対し祖母はやさしかったようです。少年が小学校三年生のときの作文があります。
「まかいの大ま王」
お母さんは、やさしいときはあまりないけど、しゅくだいをわすれたり、ゆうことをきかなかったりすると、あたまから二本のつのがはえてきて、ふとんたたきをもって、目をひからせて、空がくらくなって、かみなりがびびーっとおちる。そして、ひっさつわざの「百たたき」がでます。お母さんは、えんま大おうでも手が出せない、まかいの大ま王です。
少年が小学校三年生のときに少し異常なできごとが起きています。
「兄弟三人が、三つ巴で取っ組み合いの喧嘩をしているところに帰ってきた夫が、長男のAに手を上げ、怒鳴りつけました。するとAは、急に目を剥くというか変に虚ろな目になり、宙を指差して、「前の家の炊事場が見える、団地に帰りたい、帰りたい」とうわ言のように喋りました。その様子がとても普通ではなく、怯えたようにガタガタ震えだしました。」
この時は母親は少年を神経内科に連れていきましたが、「軽いノイローゼ」と診断されています。
少年が小学校四年生のころ祖母が亡くなっています。母親は知らなかったそうですが、これを境に少年の蛙やなめくじの解剖が始まったようです。
母親によると、少年は泣き虫で気の弱い子供でしたが、小学校高学年のころには、友達も多くなり、よく外に出て遊ぶようになっていたようです。しかし、小学校六年生の時に、図工で赤色を塗った粘土の固まりに、剃刀の刃をいくつもさした不気味な作品を作って。少年は「粘土の固まりは人間の脳です」と説明しています。また、母親に問いただされ「ぼくの友達がいじめられとって、その子に仕返しをするために刃をつけたんや」と答えています。さらに、小学校六年生の時に問題行動が現れてきます。後の被害者・土師淳君は三男の同級生ですが、少年が土師淳君を殴る騒ぎを起こし学校から連絡を受けています。少年は、職員室で「あの子がちょっかいを出したからや」と説明したそうです。翌月の春休みに友達と四人と万引きで補導されています。万引きした品物は温度計です。母親はもちろん知らなかったのですが、少年は温度計の水銀を集めて猫に飲ませて実験をしていたようです。
中学校に入学すると、部活として卓球部に入ります。しかし、少年の悪さはおさまりませんでした。四月早々に、カッターナイフで小学生の自転車のタイヤをパンクさせ、学校から連絡がきます。「その小学生がAと友達に石を投げてきたので、その仕返しをした」とのことでした。六月に少年が部活中にラケットで仲間を叩いたとして、学校から連絡を受けています。「そいつが僕の足をひっかけたから、仕返しをしたんや」が少年の言い訳でした。次には、友達三人と同級生の女生徒の体育館用のシューズを燃やし、その子の鞄を男子トイレに隠すという事件を起こしています。本人は「自分のことはいいが、家族をバカにされたので頭にきてやった」と説明しています。
問題行動が多く、小学校三年生の時の異常なできごともあったので母親は、神経小児科に連れていきMRI検査も受けています。一歳半の時に頭を強打し五針も縫っていることもあり心配になったのです。結果は脳に異常はなし。IQも70で普通ですと言われています。ただし、「注意散漫・多動症」とも診断されました。後の審判時に「Aは、自分は周囲と違い、異常だと思い、落ちこんでいた」と母親は聞かされています。
中学二年生になっても、母親がよく学校に呼び出されています。 このころ「学校から帰って来ると、Aは「しんどい、しんどい」としきりに漏らすようになりました。めっきり口数が減って、暗い表情になり、友達と外にもあまり出掛けなくなりました。」と母親は書いています。また、何があったか不明ですが、親子で次のような会話をしています。
「みんな、僕のこと怖がってるみたいやわ」
「あんた、何かしたん?」
「誰かが、僕のあることないこと言いふらしてるから、そのせいとちゃうか」
さらには、事件の「前兆」が現れます。家の軒下の空気孔から家のものではない家庭用斧が見つかったり、床下から猫の死体が出てきたりしています。また、少年の部屋からナイフが見つかり、何度か母親が取り上げています。11月にはレンタルビデオ店でホラービデオを万引きして警察に補導されましたが、このナイフも万引きしたものだったようです。
三学期には少年は連続通り魔事件が起こしています。犯行ノートに次のよう書いています。
H9・3・23 愛する「バモイドオキ神」様へ
朝、母が「かわいそうに。通り魔に襲われた女の子が亡くなったみたいよ」と言いました。新聞を読むと、死因は頭部の強打による頭蓋骨の陥没だったそうです。金づちで殴った方は死に、おなかを刺した方は回復しているそうです。人間は壊れやすいのか壊れにくいのか分からなくなりました。容疑も障害から殺人、殺人未遂に変わりましたが、捕まる気配はありません。目撃された不審人物もぼくとかけ離れています。これというのも、すべてバモイドオキ神様のおかげです。これからもどうかぼくをお守りください。
中学三年生の5月に同級生を殴ったとして、親が呼び出されています。ナイフで脅したり、拳に時計を巻いて歯が折れるまで殴ったそうです。このとき、少年は父親が何を聞いてもブルブル震えるばかりで様子がおかしかったようです。少年は猫を殺しているなどと、その友達に悪口を言いふらされて腹を立てての行動だったようです。
この暴力事件をきっかけに少年は不登校になり、母親と一緒に児童相談所に通うことになります。母親は少年に生きる気力がなく、投げやりになっているのが心配だったようです。
少年は「世の中、面白くない。生きていても、楽しいことなんか何もない。」と言っていたようです。児童相談所の性格テストで「掴み所がなく、分かりにくい」「防御がきつくて分かりにくい」と告げられています。そして、この児童相談所に通っている時に、世の中を震撼させたあの事件を起こしています。次に掲げるのは少年の書いた「挑戦状」です。
さあ、ゲームの始まりです
馬鹿な警察諸君
ボクを止めてみたまえ
ボクは殺しが愉快でたまらない
人の死が見たくてしょうがない
汚い野菜共には死の制裁を
積年の大怨に流血の裁きを
    SHOOL KILLER (スペルの間違いは原文のまま)
    学校殺死の酒鬼薔薇
少年は逮捕後、精神鑑定医に「自分の好きな本を五冊あげてください」と尋ねられて、「はてしない物語」、「わが闘争」、「ゲーム理論の思考法」、「推理脳を鍛える本」を挙げています。ファンタジーの「はてしない物語」からは空想世界から抜け出ていない少年が、世紀の悪人とも言えるヒトラーの半生記「わが闘争」からは自分自身の生き方を模索する少年が伺えます。

少年には厳しいしつけをする母親とやさしい祖母がいました。幼児期には母親の愛情を受けられなかったため安定した精神を育めず、内にこもる性格になったように見えます。もし、幼児期に祖母が一緒に住んでいたら、また祖母が少年の第二次反抗期のころまで生きていたら、悲劇的な事件は起きなかったように思います。
少年の第二次反抗期は、問題行動が顕在化する小学校六年生のころに始まっています。親に不信感を持つと、反抗は非行になりがちです。第二次反抗期では、大人になるために親をモデル(原型)に自分自身を形成しようとします。親の良い部分をまねしようにも、それがないと感じると、家庭外に自分をぶつけてみます。それが非行です。内心では自分を導いてくれる信頼できる大人を求めています。少年は「世の中、面白くない。生きていても、楽しいことなんか何もない。」と言っていました。少年の絶望感が感じられます。将来、何になるのか、今、何をしたらよいのか、分からなくなっていたのです。結局、少年は「まかいの大ま王」である母親に対して、「バモイドオキ神」を創り出し、その導きに従おうとしました。子供たちは空想、妄想の世界が好きですが、それが現実とは違うことは早いうち気が付くのが普通ですが、少年は信頼できる大人がまわりに居なかったのでしょう。そのため、妄想の世界を突き進んだように見えます。

積木くずし 参考文献:「積木くずし[完全復刻版] 親と子の二百日戦争」穂積隆信(アートン) 

本書は1982年に出版され300万部を突破するベストセラーになり、その後テレビドラマ化されています。不良少女となったわが子との200日にわたる戦い記録した本です。
東京赤坂のアパートに住む一家の家族構成は、著者である父親が俳優、母親は専業主婦、そして娘の由香里の三人家族です。病気がちの少女は両親から、大切に甘やかされて育ったようです。ただし、父親のしつけはきびしく、面と向かって叱っていたようです。
中学校に入ると健康を取り戻し、楽しい学校生活を送っていたようですが、一年生の終わりころに顔を剃刀のようなもので切られて帰ってきます。わけを聞いても何もしゃべらなかったようです。その後、家出、登校拒否、シンナー、補導と非行への道に入っていきます。家出をすると、親は警察に保護願い出し、少女を探しまわっていました。
その後、少女はシンナーから抜け出したいと病院に入院します。病院を退院後、学校へ行きますが二日登校しただけで元の状態に戻ってしまいます。 病院の先生の紹介で、警視庁少年一課少年相談室の心理鑑別技師の竹江さんを紹介され、今までの経過を説明すると、竹江さんに「いじりすぎましたね」と言われ、少女の治療の大前提として次のことを遵守するよう言われます。
一、子どもと話し合いをしてはいけない。
二、子どもに交換条件を出してはいけない。
相手の条件も受け入れてはいけない。
三、他人を巻き込んではいけない。
(どのような悪い友だちだと思っても、その友だちやご両親のところに抗議したり、また、電話をかけたりしてはいけない。また、子どもの頃、かわいがってくれた叔父、叔母などに説教、説得してもらおうなどとは考えない。)
そして、親は次のことを守り、子どもに接するように言われます。
一、親からは一切、子どもに話しかけないこと。
二、子どもが話しかけてきたら、一切それには答えず相づちを打って熱心に聞くこと。
三、日常の挨拶は、子どもが挨拶しようがしまいが、「おはよう」「お帰り」「お休みなさい」等、親の方から正しくする。子どもがそれに応じなくても、叱ったり文句を言ったりしないこと。
四、事務的連絡はキチンとすること。親が伝えたいことを伝えるということではなく、いかなる電話等による連絡でも、相手が言ったことを「〜さんが〜伝えてくれと言っていたよ」と伝え、相手が伝言を言わない場合には一切伝えてはいけない。
今まで、父親はこれと反対のことばかりしていたと述懐しています。「悪いことをすれば叱り、つき合う友だちがよくないと思ったら切り離す。親が話しかけても返事をしないとその態度をなじり、親の独断で悪い友だちと思われる子どもからの電話があれば切った。」
その後、少女は家出をしたまま戻って来ませんが、警察署からの出頭要請には、少女は一人で出かけて行っています。その警察署から少女を迎えに来るようにとの電話に、母親は一人で帰してくださいと答えています。自分のことは自分でやらせるとの、竹江さんの教えを守ったのです。
少女は、たまに戻ってくることはあっても、相変わらずの家出状態。警察署から親が呼び出しを受け、少女をもらい下げても、その場で別れてしまう、そんな状態が続きます。
警視庁を一週間ぶりに訪問した親に次の宿題が出されます。
今日からは、お金はいっさい渡さないで下さい。十円でもです。どういう理由があっても渡してはいけません。本人が必要なもの、例えば学用品、下着類、洋服、これも必要最小限度、どうしても必要なときだけ、必ず両親のどちらかがいっしょに行ってお金を払って下さい。 それから、本人が他人からお金を借りたときは、友だちの場合は、どんなに請求されても、本人が借りたものだから本人から返してもらうように言って、絶対に親が支払わないようにして下さい。もし、隣近所から借りたりしたときは、事情を話して一回だけ返して、あとは責任が取れないから、子どもからどんなに頼まれても貸さないように伝えて下さい。このことはいかなる例外も認めません。由香里さんがなぜ今までお金をくれていたのに、急に渡さなくなったのかと聞いたら、お父さんとお母さんは、あなたが悪いことに使うお金は渡せません、あなたが普通の子どもになったら今までどおりにします、と答えてください。それから、重ねて言いますが、由香里さんがどのようなことを言っても相づちだけにして、親の方からは絶対に話しかけないで下さい。しかしこれは冷たくつき放せということではありません。これが大切なことなのですが、由香里さんの態度や言葉の表現だけでなく、由香里さんの心を読みとって下さい。そして本当の愛をもって由香里さんに接してください。
父親が京都で時代劇の撮影中に、少女は友だちを連れて帰ってきて、家の中で好きかってにふるまいます。「ふたりは、煙草は吸う、シンナーは吸う、お勝手に入り込んで食事はする。それでいて、妻とは口もきかない。由香里が、わざと妻に聞こえるような声で下品な電話をしているそばで、友だちの女の子がラーメンを食べている。」困り果てて、警視庁の竹江さんに電話すると次のように言われます。
もう少しこの状態を続けて下さい。今やっていることは、何ごとも人のせいではなく、自分自身がやっているのだということを、本人に気づかせるためです。本人に言いわけをさせないためです。親がこう言ったからこうするのだというような弁解をさせないためです。悪いことの実績を作らせる必要があるのです。何ごとも自分で気づかなければ良くなりません。我慢してください。絶対に文句を言ったり叱ったりはしないでください。
少女は自分のものを持ち出しては売ったり、元々赤かった髪の毛をアフロヘアにしたり、その態度は変わりません。しかし、その後、少女は疲れて家に帰ってきて、小康状態になります。 数日後、警視庁の竹江さんから第三の課題を提示されます。
今日から門限を決めましょう。十時までに帰らなかったら、一分過ぎても鍵を開けないようにして下さい。これは家を出すのではありません。未成年者は夜遅くまで遊んでいてはいけないと規則で定められているので、お父さんお母さんは、あなたが十時までに帰らない場合は鍵を開けませんと言ってください。これは少年法で定めていることで、警視庁の竹江に言われたことだと必ず言ってください。そのことで親を恨むようなことがあってはなりません。恨むなら竹江を恨めばいいんです。ただし、その時間を守らなかったとき、本人の口から“ごめんなさい”という言葉が聞かれたら、一度だけ開けてください。“ごめんなさい”という言葉が出なかった場合は、絶対に開けてはいけません。それも一度だけで、あとはいかなる例外も認めません。それから友だちのことについてですが、由香里さんが連れて来る友だちは、だれでも家に入れてください。ただし、十時が門限ですから、十時になったらいかなる理由があっても帰して下さい。もし帰らなかったら、110番して連れて帰ってもらってください。
門限を決めてから、しばらくは遅れないで家に帰ってくる生活になりましたが、門限を15分遅れて来た時には、教えを守り家に入れませんでした。後で、電話で「ごめんなさい」を言ったので家に入れています。その後は、少女は門限を気にしながら、家で生活を続けますが、しばらくして、バイクの盗難事件を起こします。また、シンナーも前よりひどくなっていきます。 このころ、父親の友だちである歌手の島倉千代子さんが訪ねて来ると、少女と親しく話しをしています。また、女優の佐藤オリエさんも少女と対等に会話をしています。もちろん、親とはまともな会話はありません。島倉千代子さんも佐藤オリエさんも少女にとっては信頼できる人であり好意を持っていたようです。
少女は再び門限に遅れますが、この時は家から閉め出しをくっています。そして、自転車盗で警察に保護されますが、親は連れて帰らず警察に留めてもらいます。警視庁の竹江さんに連絡し、今回は連れて帰ることになりました。
また家出した時に、少女は警視庁に出頭し竹江さんと話しをしています。竹江さんは「今日は由香里さんといろんなことをお話しました。学校のこともよく話してくれました。しかし、まだ家には入れないでください。」と親に電話で伝えています。親が家に入れてくれないので、少女は親にうながされて再び竹江さんを訪ねます。竹江さんは「態度が今までと違いますから、始末書を取ってお帰しします。鍵を開けてやってください。」と親に電話しています。
この頃、少女は親にお金を要求して暴れますが、出してくれないので、早起きしてビラはりのアルバイトを始めています。
門限破りで一悶着があった時、特に悪いことをしたわけではないが、親の希望で家庭裁判所まで行っています。親は鑑別所に入れたかったようですが、結局、少女は家に帰されました。
この後、少女は「疲れた、明日から学校へ行く」と言い出します。髪にパーマをかけ、マニキュアをした状態で登校しますが、すぐ帰されてしまいます。少しずつ直しながら、すぐ帰されながら登校を続けますが、学校へ行かなかったり、友だちと部屋でシンナーを吸ったりしています。 そんなころ、シンナーを持って交番の前をうろうろしていて補導されます。迎えに行った母親と警察で言い争いになると、少女は「親を怒らないでよ、悪いのは私なんだから、私を怒ればいいでしょ。うちの両親は何も悪いことはしていないんだから」と叫んでいます。
少女は少しずつ落ち着きを取り戻し、親との会話も復活します。シンナーは相変わらず吸っていますが、訪ねてくる友だちも親に挨拶をするようになりました。そして、少女は「シンナーはもうやりません」と自分の部屋に貼り紙するようになります。「積木くずし」は、ここで終わっていますが、この後もいろいろあったようです。

まだ、精神的にも幼さの残る少女は中学校でイジメに合うことをきっかけに、当時流行っていたツッパリのグループに入ってしまいました。第二次反抗期に非行に走るのは、よくあることかしれません。いつまでも、子ども扱いして理解のない親への反抗として非行の道を選ぶように見えます。
警視庁の竹江さんは、子どもの信頼を取り戻すための態度を、形から入るよう親に指導していきました。時間はかかりましたが、一応は、少女は立ち直っています。途中で重要な役割を果たしたのが父親の友人である島倉千代子さんと佐藤オリエさんだと思います。近所付き合いの少ない都会の三人だけの核家族であったことも非行を防げなかった要素です。家族やまわりに子どもを支える大人がいれば、もっと解決は早かったかもしれません。

望ましい教育としつけ

過剰なしつけ、虐待的なしつけは子供を犯罪者にしてしまう危険性があります。普通の家庭で普通に育てば、子供は普通の大人として成長していきます。一方で、歴史的な天才にはADHDやアスペルガー症候群など発達障害があったとされています。ベートーベン、モーツァルト、エジソン、アインシュタイン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ピカソ、ダリなどです。ただし、子供を天才に育てる教育方法やしつけ方は、おそらくはありません。もし、子供に意欲と才能があるなら、必要な環境を与えることは、特定分野の優秀な人材を育てるのに良いかもしれません。でも、普通の子供については、できれば大家族で健全に、のびのびと育てることが望ましいと思います。

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参考文献
「遠野物語」柳田国男(岩波文庫)
「日本人のしつけは衰退したか 「教育する家族」のゆくえ」広田照幸(講談社現代新書)
「社会的ひきこもり 終わらない思春期」斉藤環(PHP新書)
「子どもを叱る前に読む本 やる気のある子にそだてるには」平井信義(PHP新書)
「わが子を「メシが食える大人」に育てる」高濱正伸(ファミリー新書)
「キレる子と叱りすぎる親ー自由に感情を表現する方法ー」石川憲彦(創成社新書)
MSN産経ニュース・法廷ライブ
「「少年A」この子を生んで・・・・・・」「少年A」の父母(文春文庫)
「積木くずし[完全復刻版] 親と子の二百日戦争」穂積隆信(アートン)
「ドキュメントひきこもり 「長期化」と「高年齢化」の実態」池上正樹(宝島社新書)
「子どもの精神科」山登敬之(筑摩書房)
「お母さんはしつけをしないで」長谷川博一(草思社)
「殺人者はいかに誕生したか 「十大凶悪事件」を獄中対話で読み解く」長谷川博一(新潮社)
「発達障害に気づかない大人たち」星野仁彦(祥伝社新書)

2011.1.14 野沢 清 kiyoshi_nozawa@yahoo.co.jp
2011.1.29 改訂